ひっそりと

ひっそりと

三年生


少し覚えていることを書いておこうと思う

担任の先生は変わったし、今年は介助の先生が週に3日来てくださるという事だった
2年生の担任だったN先生は 同じ階にある4年生の担任になってらした
新学期早々、3年の担任の先生ふたりと、4年生の担任の先生ふたり、校長先生、教頭先生とで、”お話”をした


4月は、相変わらず、「○君を叩きました」とかの電話がかかってきていたような気がする
その度に 電話したり、おうちまで謝りに行ったりした

そんな時に、家庭訪問があった
夕方、K先生から「学校のほうに来ていただけますか?」と、電話があった
他のお母さんからの、「いつまでも変わらないんですね。おうちのほうではどう思ってらっしゃるんですか?」という抗議があったそうだ

その時のわたしはどうだっただろう・・・
ただ、感情を抑えられなかった

「どうしろとおっしゃってるんですか?」

その次の日から、学校に付き添うことにした
それまでは、登下校に付き添っていたけど、それからは教室まで付いていった
せめて・・との思いで、廊下から見ていた

みい君は、椅子に座っていなかった
床で、画用紙に絵を書いてみたり、工作をしてみたり・・
空き教室にいることも多かった

「なんで」って思うようなことで、かんしゃくを起こした

中間休みは、川に行って、魚を捕まえた
小石を積んで”ダム”を作った
その時々に、何人かの子が傍にいて、みい君は、何とか仲間に入れてもらってるんだと錯覚しそうだった

それまでに「お母さん、学校にいこか?」と聞いたとき、「絶対にイヤや」と言っていたのに、私が付いていくのが みい君の中で”あたりまえ”になった

ただ、他の子供達の「なんで?」という言葉・・わたしを見る目・・・
やっぱりつらかった
嫌だった
逃げ出したい思いだった


診療所の先生は、「そろそろ”本人に告知する時期”です」とおっしゃった
わたしが、4年生の『わくわく』で、自閉症を取り上げたグループがあったことを相談する前だった
「どうしたらいいんだろうか」って、迷いがある
『告知する時には、悲しそうな顔をしてはいけない』と、読んだ本に書いてあった
今のわたしに、その力があるんだろうか・・・


3学期になって、4月のころとは違って、「だいぶ、落ち着いてきたんやね」って言ってもらえるようになってきた
科目によっては 椅子に座って、授業が受けれるようになってきた
まだそれでも 月に1・2回は、かんしゃくを起こすこともある
ただ、それが、”他の子”に向かなくはなってきた
対象が、私のことが多いかった

空き教室で かんしゃくが納まるを待つけど、その時間も、だんだんに短くなったと思う


わたしといえば、みい君の同級生の子の顔と名前を覚えた
「おばちゃん、あのなぁ・・」とかいって来る子もいる



みい君の体の成長を見ていて、なんとなく『3・4年生が壁だろう』と思っていた
何とか、いい方向に言ってるんじゃないかって思えてきた

ただ わたしの身体と神経は 悲鳴を上げている・・・


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