こんにちわ♪

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理系と文系



画像もあったので、もったいないのでフリーページにアップしました。


さて。

理系と文系なのですが。

どちらも共通して言える事。
かなり妄想家です。

でもその妄想のベクトルは大きく違う。

なぜならば、思考や視点などが全く異なって来るからだ。

文系の場合は、妄想(ドリーム)のことを空想(イマジネーション)とか夢想(ファンタジー)と呼ぶ。

理系の場合は妄想(ドリーム)を、構想(ビジョン)とか計画(プロジェクト)と呼ぶ。

両者とも、結局はおんなじことなんだけど。

重要な点は。


理系は、現実(リアル)を根底に考え、自分の妄想(構想)をいつかは、現実(リアル)になるのではないか、もしくは現実(リアル)にしようと考えている点だ。

これはきわめて危険極まりないっ。

中には、妄想と現実の区別がつかなくなっちゃう、マッドサイエンティストもいたりする。

アインシュタイン博士は、一日10時間くらいという長い睡眠を必要としたそうだ。
それは彼が、妄想(構想)にふけっていたからだ。

彼が妄想(構想)にふけったおかげで、科学の発展は飛躍した。

一方、エジソンは一日4時間くらいしか寝なかったそうだけど。

それは、妄想をリアルにしようと懸命だったからなんだ。


文系の妄想(空想)は、理系のそれとは違い、科学の発展には直接影響を与えることはないけれど、実害も少ない。

その代わり、ちびっ子達の妄想(ドリーム)を育てるのには、大いに役立っているかも知れない。
それは、物語で。漫画でとかだ。

ドラえもんを科学(ビジョン)漫画と見るか、物語(ファンタジー)と見るかは人によって違うけど。

なんかたとえ悪いな。


そして、そんな妄想(空想)で育った中から、妄想(構想)家の理系が生まれたりするんだから、基本は文系なのかな?

さて、そんな理系の妄想本をご紹介。
何を隠そう、俺も持っています。

人類滅亡後5000万年後、2億年後の生物。
科学者たちの妄想の大集計だ。





アフターマン 人類滅亡後の地球を支配する動物世界 ( 著者: ドゥーガル・ディクソン / 今泉吉... フューチャー・イズ・ワイルド 驚異の進化を遂げた2億年後の生命世界 ( 著者: ドゥーガル・デ...


でも、こんなことを科学者は真剣に、妄想しているのです。



さて、文系と理系の違い。

まず、物を捕らえる視点がかなり違う。

具体的で、簡単な例では。

お花を見て。
文系:『まぁ、きれいな、お花♪』
理系:『〇〇属、〇〇科の花で・・・』

↑まぁ、極端な例ですけどね。

でもこれが、時として双方誤解を生む原因になることがある。


お互い、上記のような意見を聞いたとき。
文系:『まぁ、なんてロマンのない人なのっ』
理系:『おいおいっ、背中が痒くなるような事言ってるぜぇ。』

となるんですよ。

これが、昨日の俺の日記が誤解を受けた原因の一要因でもあると思うんだ。そして、詳しく書かなかった、それが原因なんだな。


ただし、文系と理系の組み合わせは、結構よいと思うんですよ。

僕は、理系側ですが、友人には文系側が結構多いんです。

飲みに行ったりすると、会話が噛み合わない事なんかしょっちゅうあるけど。
逆にプライベートで付き合うんなら、文系の方が俺はいいかな。


理系だとね。
分析・議論が始まっちゃうんですよ。
う~ん、疲れる。

たぶんね、結婚するなら俺(理系)は、文系の女性の方が良いような気がする。
なんかね、そうしないと子供が非人間的になりそうで怖いんだ。





以前、お仕事でとある田んぼに行ったことがあるんですよ。
仕事といっても、直接関係したものではなかったんだけど。
そのときのメンバー。

俺(理系:生物系)
女性A(文系)
男性B(理系:化学系)
女性C(理系:数学系)
男性D(システムエンジニア)

さて、このときある田んぼを訪れて見た各々の感想や意見。

俺『カエルいないかな?』
女性A『田舎の風景ってすてきねぇ♪』
男性B『農薬何使ってるんですかね?』
女性C『1アールの田んぼで、これだけ密集してたら、収穫どのくらいあるんでしょうね?』
男性D『あっ、ここ電波入んないゃ。』

文系・理系の違いだけではなく。
理系でも、それぞれ分野が違うと。
同じフィールドへ行っても、すでに視点が全然違う所へ行っていると言う、決定的な例でした。






それから、もうひとつ大きな相違点に。
ある問題について話していると文系の人はだだその件について話していたいだけでも、理系は解決策を必要としたりする。

なぜならば、理系の根本的な考え方に。
原因と結果の相互関係を必ず考えているからだ。


まずその問題に対し、原因を考え、分析し、理由を見つけ、結果を出し、解決策を考える。

ファンタジーに結果はいらないかもしれないが、プロジェクトに結果は必要なのだ。
それが、理系の基本的思考。

ところが文系では。
解決策までの過程として、分析を必ずしも必要としなかったり。
解決策も特に必要としなかったりする。

すると、理系人間には、たいそう気持ちが悪い。


ロンドンにきて、これはしょっちゅう体験していますよ。
何しろ、ディスカッションしても、しただけということばかり。俺から見ると『何のためのディスカッションなの?』と思うばかりなんだけど。
みんないわく『こうしてディスカッションする事に意義がある。別に解答を俺らは望んでいるわけじゃないんだ』と。

・・・・はぁ?

俺には、この感覚がよくわかんないんですよ。
これに反論するとね。
『あなたの価値観は、ソリューション(結果)にあるけれど、私たちの価値観はプロセス(過程)にあるんです。』だと。

う~ん・・。
さっぱりわからん。


結果出さなきゃだめじゃん、やっぱり。

人生観をそれで語るならば、良いけれど。

俺らはレポートを書かなきゃいけないんだよ。

まぁ、そんなこんなだったけど。
俺のプロジェクトは、文系の教授からは斬新なものとして見えたらしく。優秀な成績をいただいちゃったけどね。








さて、まとめとして。

理系の妄想(ビジョン)は、文系のも妄想(ファンタジー)から生まれてくるものであり。
時として、世間(文系)の一般的視点から外れた異端児が理系となり。
時には、危険なマッドサイエンティストに。
時には、偉大なノーベル賞受賞者に。

そして文系の中にも。
異端な見方をする方は、アーティストとなったり。
中には、ノーベル文学賞を受賞されたり。


結局は、ベクトルは違っても。
考え方は、違って、そのため、意見に相違は出るかもしれないけど。


そして、文系はそのプロセスの重きを置き、理系はその結果に重点を置く視点の持ち主なんだけど。


やってることは一緒なんだよね。


てな感じでした。


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