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こんにちわ♪
愛すべきタンザニア人
アフリカに着いて最初の何週間かで私はアフリカの人たちに強い愛情を覚えた。それは強烈な感情で、あらゆる年齢層の人を男女共に当惑させる類のものだった。
アイザック・ディーネセン『アフリカの日々』より
有名な、アイザック・ディーネセンの言葉。
タンザニア在住中に、この言葉を意識したことはなかったけれども。
今おもうと、この言葉は理解できる。
↑
近所のガキども。写真を撮ると言うと、群がります♪
タンザニア人は、とっても親切だ。
もちろん他の国の人だって親切なんだけれども。
俺にとってタンザニアへの思い入れがなぜにこれほどまでに強いのか。
俺自身も説明できないんだ。
今回は、ページでは掲載するまいと思っていたタンザニア人との思い出の写真を一挙公開しようと思う。
なぜこの写真を公開するのを戸惑っていたか。
それは、写真の中に既に故人が存在するからなんだ。
その故人は決してお年寄りではなく。
逆に子供や赤ちゃんなんだ。
だから、今まで俺の気持ちの中で整理がつかなかった。
この写真は、俺の近所の子供たちの食事会の風景。
いつもこんな感じで、みんなで集まってご飯を食べている。
近所の子供も、みんないっしょくたんに面倒みましょうというのがアフリカ的生活観。
そう、日本で言うところの幼稚園が存在しない代わりに。
こうやって子供グループが存在するのだ。
写真は、近所の学校の警備員。
ずいぶん物々しいでしょ?
何しろ治安が悪いアフリカ。
この警備員は、自治体で雇われている警備兵で。
なかなか頼りになるやつだった。
そして一緒に写っているのが、お調子者の近所の若者。
俺はこの警備兵の写真が取りたかったんだけれども。
一緒に写りたいって、入ってきちゃった。
まだこれでも未成年なので、ファンタを飲んでいます。
上の写真は診療所のスタッフの子供たち。
赤ちゃんの名前が『アイカ』。抱っこしているのはお兄さんの『ギルバート』
不幸にもどちらもこの世にはいないのだ。
アイカは、待望の女の子だったので、みんな喜んでいたんだけれども。
チャガ族の部族語で、『ありがとう、ありがとう神様』を意味するこの名前を授かった赤ちゃんは、生後数ヶ月でこの世を去った。
ギルバートは、俺が日本へ帰国後に訃報が届いた。
彼が通っていた小学校が俺の家の近くにあり。
よく学校帰りに俺の家に寄っていたんだけれども。
もうそんな光景もかなわない。
↑
アフリカの赤ちゃんも、生まれたてはみんな白いのだ。
赤ちゃんは、とっても可愛い。
生まれたては白くて、成長と共に色黒になっていく。そして可愛い。
なんでだろう?
そんなアイカももうこの世にはいないのだ。
よくタンザニア人が、訃報があるたびに。
いい人や、可愛い人なんかはみんな神様がすぐ天国に連れて行っちゃうからなんだ。
と言っていたけれど。
是非そうあって欲しい。
↑
俺の住んでいた地域はスクマ族という部族のホームランドでした。その部族では双子が生まれると、必ずなぜだか一人を『クルア』、もう一人を『ドイ』と名づけます。
これはどこの家でもそうなのです。この写真は、双子『クルアとドイ』とそのまた兄弟『クルアとドイ』です。お父さん、お母さん同じで、しかも一卵性双生児で双子。写真にはいませんが実は更にこの下に『クルアとドイ』の兄弟赤ちゃんがいるのです。
この分だと一ダース揃うのも遠い日ではありません。
どっちが『クルア』でどっちが『ドイ』だか分かりません。だってどっちを呼んでも全員来てたから・・・。
↑
バイクはスワヒリ語では『ピキピキ』と言います。この語源は、とある部族の武器に『ピキ』と呼ばれる車輪系の投げナイフがあったそうで、バイクのタイヤの形状がその『ピキ』を連想させたのだそうです。そして二つあるから『ピキピキ』。
ピキピキを止めておくと、すぐに子供が群がってきます。
娯楽の少ない村なんかだと、子供にとってバイクもすっごく珍しい乗り物。ちょっと乗せてあげると、まるでそれはあたかも、ジェットコースターにでも乗ったかのような歓声と興奮に包まれます。
この写真は、恥ずかしながらマーゲイとビクトリア湖へデートに行った時のもの。
デートと言っても、マーゲイの甥っ子、姪っ子がたくさんついてきた、いわばお守りの手伝いだったのだ(笑)
ビクトリア湖には、チンパンジーのブランディーが住んでいるサーナネアイランドがあり。
そこは休日をのんびり過ごすには、とっても良い所なのだ。
アフリカ人でも、都会の人はライオンとか見たことない人が結構多い。
逆に日本人以上に知らない場合が多いのだ。
日本なんかじゃ、実際にライオンとか見たことはなくてもTVや本などでどういった動物かは見ることはできるが。
アフリカじゃぁ、逆にその手の情報伝達網が未発達なので、都会っ子は本当に知らないのだ。
だからある意味、サーナネアイランドは発展途上国にはその継続が大きな負担となっているのは確かだけれども。
教育ということを考えると非常に重要なんだ。
そんなタンザニアのプチ動物園への休日の散歩。
あの頃、日本へ帰りたいとは決して思わなかった。
そのまま、あの土地で死んでも本望とすら思っていた。
懐かしいタンザニア、そして愛すべき人たちの思い出です。
コズィとモジャ
写真は、僕の近所に住んでいた子供。ピンクの洋服着ている子がコズィ、赤ちゃんがモジャ。
実は、両方とも孤児なんです。詳しい事情はわかんないけど、アフリカじゃお母さんお父さんがいないなんてのは結構あること。
二人とも、僕の雇っていたお手伝いのママに育てられていたんだけど、そんなみなしごハッチ的な悲壮感は全くなかった。
ご近所の子供たちは全部ひっくるめて、ママたちが一緒に世話するって感じ、そして年長さんがちっちゃい子供を世話するってのが、自然とみんな身についている。コズィもこの頃まだ4歳。でも赤ちゃんのモジャのお守りをよくしてました。
僕はコズィが大好きでした。
近所の子供たち
これは当時住んでいた家の近所の子供たちが家の前で『結婚式ごっこ』をしているときの写真。
ぼくの家の前で遊ぶがきんちょは、ほとんど女の子ばっかり。
男の子は、『空手教えろ』だのなんだのうるさすぎだからちょっと追っ払ってたのです。
この頃僕は一番ハッピーに感じていたと思う。よく家の前でこいつらが遊んでいるのをぼーっと見てて『あーあ、このまま時間止まんねえかなぁ。』って思ったこともしばしば。
左の真ん中のピンクと白の縞模様の服を着ているのが、1の写真で紹介したコズィです。
最後列の左から2番目の女の子がコズィのお姉さん代わりのアンナ。
一番前の男の子、彼は名前をアジャブ(スワヒリ語で不思議と言う意)と言います。生まれた時未熟児でねずみのように小さかったらしい、それでアジャブ(不思議)。
みんなやんちゃな遊び盛りだったけど、ぼくの家には電気も水道もなかった(周りの家も)ので、水に困るとみんなで水を汲んできてくれた。
そんな親切を身にしみて感じていたのです。
今でも時々こいつらから手紙が来ます。
コズィなんか当時まだ4歳。読み書きもできなかったのに、一生懸命俺に手紙を書くために覚えたんだって、手紙に書いてありました。
泣かせるねぇ(涙)。
さて最後に紹介するこの人物。
俺のタンザニアでの生活は。
実はこの人なしでは語れない。
そしてこの人なしでは、生き永らえる事もできなかったはずなんだ。
タンザニアは、日本と違いライフラインがない世界。
ライフラインとは、水道、電気、ガス、電話などの事。
日本人である限り。
これらのありがたさを忘れがちなんだけど。
いざ、これがないと、マジで大変。
そう、それはまさに。
毎日がキャンプ生活。
さらに食い物も自分で調達しなきゃならない。
こちら英国に来て。
日本からのお嬢様留学生と話をしていると。
『わたし、キャンプした事ないんですよ♪一度してみたいなぁ』
などと包丁すら握ったことのない方が言われるが。
そんなキャンプ生活をず~っと続けていた俺にとっては。
酔狂としか思えない。
お嬢様に狩りなんかできるはずはない。
サバイバルには超強くなったけど。
やっぱりできれば、水道があって、熱いシャワーが浴びれて、電気の下で暮らしたいもんさ。
さて、そんなアフリカのサバイバル生活を。
陰で支えてくれていたのが、ママドミナ。
俺の家専属のお手伝いのママさんだ。
最初の頃、ママドミナを雇っていなかったから、それはそれは大変だった。
水汲みに、ビクトリア湖まで出かける。
家から約2km。
日本人の俺に、頭にバケツを乗っけて運ぶなんて能力は携えていなかった。
家に着く頃には、バケツ一杯に汲んだ水は三分の一くらいになっている事なんかしょっちゅうだった。
さらに仕事はきつい。
こんな生活をしていたから、当時一気に10kgくらいは痩せてしまった。
ママが来てから大助かりだった。
いつも家のドラム缶に、水を一杯に満たしてくれる。
仕事から帰ってくると、ご飯の用意ができている。
あぁ、幸せだったなぁ。
ママは、俺の家の全てを把握していた。
それは家主の俺以上に。
どこに何があるかわからないときは、ママに聞けば全て解決。
マラリアで寝込んだ時は、なんかおかゆを作ってくれた。
涙がちょちょぎれたね。
そんなママが、ある日田舎の実家にちょっと帰ってくると。
ママの実家は、俺の家から約60km位奥地に入り込んだところ。
そんなに遠くはない。
2~3日で戻るからと言って、水をふんだんにいつもより蓄えてくれて、果物なんかも余分に買い込んでくれて出かけていった。
ところが、1週間たてども。
2週間たてども、帰ってこない。
最初は、ここはアフリカだからと思ってたけれど。
だんだんママの子供たちも心配し始めた。
水も、そこをつき始め。
う~ん、かなり困り始めた。
するとある日、ママの田舎から使者が訪れ。
メッセージを持ってきた。
『ちょっと足を怪我しちゃって帰れませんが、近いうちに必ず帰ります。』
そこは、交通の便のとっても悪いところ。
ママは、歩けないで困っていたのだ。
俺は急遽ママの田舎へレスキューへ出かけた。
ママは、いたって健康で。
ただ足を骨折してしまったらしく。
歩けなかっただけだった。
俺の顔を見てママは行った。
『もうだいぶ良くなったから、帰りましょう。』
タンザニアの奥地の田舎は、俺が住んでいるところよりもさらに不便。
だからママも帰りたかったんだ。
そして、無事帰還。
するとママは、翌日から水を汲んでくれた。
まだ無理しちゃだめだよって言ったんだけど。
そしたら、ママの子供たち、そして近所の子供たちも総出で。
水汲みを手伝ってくれた。
彼女なしでは、俺のアフリカ生活は語れない。
写真は、そんなママドミナと近所のおばちゃんたちと一緒にちょっと遠足へ出かけたときのスナップ。
俺のメットを抱えて澄ましている。
俺のまぬけな面をさらすのは不本意だったが、ママドミナの写真で今PCに保存していたのは、これだけだったんだ。
というわけで、ご了承ください。
最後に、タンザニアを象徴するキリマンジャロのふもとに暮らした、他の日本人が詠んだ詩を一つ披露させて頂きます。
キリマンジャロの麓へ
どこまでも広がる裾野
雨を蓄えた命の山に抱かれて
私は生きた
この土地に暮らした
夕日に染まる氷河の紅さ
いつも心の慰めだった
生活は貧しいけれど
人々の心には優しさがあふれている
私は愛した
この土地を、この人々を
さあ目を閉じて帰ろう
心はいつもそこにあるから
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