ブログ05

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二兎を追う者は一兎をも得ず



 「無限大は原理主義感情の係数」:蛇の血統の者達は、これをやって、神の摂理の邪魔をし続けていると。だから、私は、欲をやらないで、為に生きて、対抗し続けているのです。それで、民主党国会議員から、神奈川県知事に、前進していた松沢成文の現実をようやく、微かに感じる事ができるように成れました。あと、自民党総裁→内閣総理大臣という前進の道を諦めて、同じく、東京都知事となった石原慎太郎の現実も認識する事ができました。

 可能性と致しては、内閣総理大臣の方が上ですが、現実と致しては、一国一城の主(あるじ)である都道府県知事の方が上だったようです。中曽根康弘は、首相でしたが、今は、法律上の地位である内閣総理大臣なので。

 麻生太郎は、鳩山邦夫を切って、誰もいない内閣にした。誰もいない自民党内閣、当然、国民に支持されないと。それで、今は、もう、内閣は無い。鳩山由紀夫民主党代表と小沢一郎民主党幹事長でやっている内閣総理大臣と。国民は、鳩山由紀夫を犬と言っていると。即ち、嬶(かかあ)天下と。内閣閣僚が、内閣総理大臣の主任ではないという事です。自分の発言をしているという事です。

 私は、それを悪い事であるとは思わない。しかし、鳩山由紀夫内閣総理大臣が、上でない事は悪い事であると思っています。夫たる者、妻よりも上の見識がなければならないと。夫である鳩山由紀夫内閣総理大臣が、上の見識を持てているように成れれば、おそらく、内閣閣僚の自分の発言は止むでしょう。妻が、夫をする必要が無くなるから。

 これが米国状態と。バラクオバマ大統領には、クリントン元大統領夫人が、国務長官をやって、支える必要が有るのでしょう。何故か。見識が足りないから。黒人という枠、白人という枠を越えて、黒白人をやっていないからです。だから、クリントン元大統領夫人がサポートし続ける必要が有るのです。即ち、バラクオバマ大統領は、夫をまだ、やれていないという事です。日本文化では、これを恥と言っています。夫たる者、妻にサポートされたらならぬのだ。性別変更だから。自分が妻に堕ちているという事だから。

 このように、米国大統領をやるのも、「道」なのです。米国大統領道と。精進努力と。これが日本文化なのです。

 適応性は係数次第←その通りであると私も思います。

 暇になったオジサンがぐったりするのに対して彼女たちは元気になる。←何故か。妻は夫の為に存在しているからです。雌は雄の為に存在している。だから、雌は、自分の雄がいれば、元気なのです。いなくなれば、再婚という事になります。雄が消費され尽くしたら、雄ではなくなった粗大ゴミと離縁してしまうと。だから、私は童貞でい続けているのです。自分の父が、粗大ゴミに堕ちないように精進努力を致し続けるしかないのです。これが息子と父との信頼関係なのです。家族の絆と。家族が崩壊しないように、お互い、信頼関係を致し続けているのです。私の場合は、姪の進路指導と。姪の現実であるMNアナの結婚が決まっているそうなので、一安心と。今、姪は、大学1年生かな? その姪の進路指導を致し続けているのが、私の最低限なのです。甥は、一浪の大学2年生かな? 甥は、妹のダンナが進路指導をする必要が有ると。私は、甥の下の地位なので、甥は背負わないのです。

 甥の方が、私の上の地位だから。妹のダンナが、自分の未来を背負い続けなければ、自分の未来が無くなってしまうよという事なのです。

 このように、私も、自分の現実の人生の地位はちゃんと支払いし続けているのです。

 実の経済と虚の経済、八つぁんと熊さんとが金をやり取りして、目の前の樽酒を飲み続けると、樽酒が減り続けるだけ、即ち、虚の経済が有るというのは、空論であると私は思います。何故かというと、そこには、先ず、御金のやり取りが有るからです。

 八つぁんが、熊さんに御金を払って、樽酒を飲むという事を、熊さんが受け入れるという事は、熊さんが、その樽酒の担任をしなければならないという事です。金というのは、存在しないのです。御金しか存在しないのです。兌換券(私の言葉では、金本位制度下の通貨です。)ではない信用通貨(私は信用貨幣・管理通貨と言っています。)を遣う場合には、払う相手と、受け取る相手とが存在するのです。国家は、市場に流通する通貨・貨幣の量を調整するだけなのです。この事が解っていない養老猛司はやはり、専門バカという事になります。国家運営・経営が解っていないから。

 だから、樽酒の担任をした熊さんにとって、樽酒は、自分の物なので、その後、八つぁんに御金を払って、その樽酒を飲むという事はできないのです。これが現実なのです。

 養老猛司君よ、君はおそらく、少年なのだ。現実社会の担任をもうできていないのだ。だから、空論を弄・玩・翫(もてあそ)んでいるのだ。しっかりしなさい。

 最後に、養老猛司君に対してコメント致します。人は皆、別の自分を持っている。それぞれが自我を持っている。だから、他人の自我は基本的には、他人の物・他人の責任です。即ち、自分の自我に関してだけ、責任を持てばいいのです。これが、私の双方向の考え方です。物々交換の考え方です。これを道の考え方というのです。あと、崖を登る必要は無い。それは身体・肉体の考え方です。地上の人間達を見ている神にとって、1万メートルの山の頂上にいる人と、海面下1万メートルの海中にいる人とは、殆ど、同じにしか見えない。これが、物質的地位です。だから、肉体を養う為に、そんなに労力を遣う必要無いのです。宇宙は大きいのだから。そして、我々の本質は霊だから、勿論、宇宙を飛び回って、惑星の違いを体験する未来が当然、有るのです。惑星旅行。恒星旅行等々。

 これが霊止(ひと)の考え方なのです。昆虫が好きなのは、少年です。

 現実の担任、信用貨幣・管理通貨の担任が、やがて、現実の人生の地位に下りてくるのです。化してくるのです。だから、昆虫の担任をしている養老孟司は少年に堕ちてしまっているのです。

 彼の何が間違っているのか? それは、彼が、世界観を獲得できていない点が、学者に成れなかったという事なのです。普通、学問をやると、神の摂理に絶対に到達する。神の世界観を垣間見る。それで、真理を知って、神に目覚めていく。これが学者の道。

 「バカの壁」の中に、学者はいない。思考は、肉体の現実の中にはいない。自由に、世界を飛び回る事ができるのです。神の真理を探究致し続ける事が、学者の使命・天命だから。

 これが、普通です。

 自分の現実利益の追求を、学者は、する事ができないのです。真理の探究という御仕事を致し続ける事しかできないのです。だから、崖を登る必要は無い。物質的地位の向上、肉体的地位の向上、する必要無い。

 学者は、さらなる真理を得る事ができて、喜ぶ、嬉しい。これが学者。そして、その得た真理を世の中に報告する事が御仕事と。世の中は、天皇ー内閣総理大臣ー内閣閣僚ー省庁ー監督官庁の部下を致し続ける民間企業ー…という構造になっているのです。この組織が、日本国内の文化文明を創造致し続けていくのです。この組織構造をやらなければ、御仕事は、何も成立しない。文化文明の部品を創造できない。即ち、文化文明に参加できないのです。即ち、御仕事が何も成立致さないのです。日本国内の社会的地位・地徳を全く得られないという事です。

 今、日本国は壊れているので、人徳&天徳の御仕事をやれなくなっている。だから、地徳だけ。民間だけ。物だけという事です。

 民間とは、福田康夫の事です。女子=金が、麻生太郎。犬が鳩山由紀夫。犬というのは、自分の現実をやれない存在と。ソフトバンクのCMで、女子学生を見て、第二子である長女、「彩にも、ああいう時が有ったなあ。」と懐かしく思い出しているのが、犬のお父さんと。娘の父、即ち、金もやれなくなると、あとは、犬と。思い出だけ。写真のフォトフレーム内の存在と。

 養老孟司君は、二兎を追う者は一兎をも得ずを思い出した方がいいと思います。学者の道を前進し続けるのか、民間の物欲・肉欲の道を前進し続けるのかと。


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