鴎座俳句会&松田ひろむの広場

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人参200601


人参
ロシア映画みてきて冬の人参太し  古沢 太穂
この映画は始めて公開された「総天然色」の「シベリア物語」といわれています。ソ連が輝いて見えた戦後の開放感・高揚の中の作品です。アメリカ映画もフランス映画も大きな感動を呼び起こしましたが、この句はロシア映画ならではの人参の赤の鮮明さが印象的です。あえて「冬の」と季重なりで寒さを強調しています。この人参は丈の短いいわゆる金時人参がふさわしいように思えます。
 その「シベリア物語」の雰囲気は、映画の中で歌われた「シベリア大地の歌」にも見ることができます。
シベリア大地の歌(作詞・ドルマトフスキー、訳詩・劇団カチューシャ)
シベリアの大地は
  河と森はてしもなく
  つどいしつわものは
  なつかしふるさと出でて
  たたかいに出で行きぬ
  たぎりみつ力みよ
  シベリアよ 我らの自由と青春
  大地はひらく ふるさとシベリア
「シベリア物語」
大衆とともに喜び、歌うなかから成長してゆく芸術家の姿を、厳しく、雄大なシベリアの自然と、新しい建設の時代の息吹のなかで歌いあげた音楽映画。四十年代後半、ソ連はナチス・ドイツとの壮絶な戦いに勝利して、社会主義の勝利の確信を深め、解放の喜びのなかで建設と復興の気運にみちた時代で、「シベリア物語」はそうした時代を映した作品でもある。
 日本では一九四八年に初公開、戦後の混乱と復興の世相の中で人気を集め、ソ連映画最初の大ヒット作となり、「バイカル湖のほとり」や「シベリヤ大地の歌」などの主題歌も広く口ずさまれた。六五年リバイバル公開されている。
 主役は、「石の花」のウラジーミル・ドルージニコフ。
[あらすじ]
 第二次大戦末期。ベルリン攻撃の前夜、モスクワ高等音楽院出身のピアニストのアンドレイ中尉はベルリン攻撃の前夜、国境の小さな町でピアニストの生命とも云うべき手首に負傷した。
 そして終戦、アンドレイはモスクワに復員する。その頃、ライバルのボリスはピアニストとして、恋人ナターシャはソプラノ歌手としてすでに名声を得ていた。アンドレイは恩師の励ましにもかかわらず、自らにも、恋人ナターシャとの未来にも希望を失い、生れ故郷のシベリアの奥地に向う。
 折しも戦後の復興が盛んな故郷で、建設現場の製図師として働きながら、アンドレイは労働に励む人々の素朴な歌声を聞き、民衆の音楽を知る。そして素朴な民衆と広大な自然に囲まれてともに生活し歌を歌い、彼はいつしか心を癒していった。
そんなある日、偶然にも飛行機が不時着したため、この地に逗留したナターシャはアンドレイと再会する……そして以前にも増して燃えあがる愛の炎。
 アンドレイの音楽や愛についての自らの煩悶はオラトリオ「シベリヤ物語」として結実した。かつての音楽院での初演は、割れかえるような拍手を浴び感動のうちに幕を閉じた。
[スタジオ/製作年] モスフイルム・一九四七年製作

人参(ニンジン)
セリ科ニンジン属の野菜で、アフガニスタンが原産地です。
細長い東洋系品種と太く短い西洋系品種があり、ともに古くは薬として利用されてきました。江戸時代に栽培されていた品種は東洋系が主流でしたが、栽培の難しさから生産量が減少し、現在の主流は西洋系品種になっています。栽培には涼しい気候が適しています。
ヨーロッパ・北アフリカ・中近東に分布する野生種からアフガニスタン北部で栽培型が成立しました。このアフガンニンジンが一方はペルシャ・アナトリアなどを経てヨーロッパに伝わり、オランダで現在のヨーロッパ型として分化し、もう一方はシルクロードを経て十三世紀に中国に入り、アジア型が分化し、西域(胡)から来たダイコン(羅蔔)として胡羅蔔と呼ばれましだ。日本には十六世紀末に渡来し、「芹人参」「菜人参」などと呼ばれました。
現在よく見かけるニンジンはヨーロッパ型、色鮮やかな金時ニンジンはアジア型で、鮮紅色はリコピンが含まれているためです。現代の栽培種=学名Daucus carota。
【英語】 carrot 、【中国】胡羅蔔 (コロボウ・こらふく)
人参という名はもともと朝鮮人参のことでした。そのためニンジンはそれと区別するため、畑(はた)人参、芹人参、菜(さい)人参と呼びました。朝鮮人参はウコギ科の薬用植物です。
人参は、その形が朝鮮人参と似ており、また同じ様な薬利効果もあるところから、人参と呼ばれるようになったのです。。ところが、栽培が普及すると、単にニンジンと言うと野菜のニンジンを指し人参とも書き、主客転倒したのです。
【滑稽雑談】京洛塩小路の畑に生じる物、其の根黄深く金の如し。味も亦美也。此の種を他地に下すに、其の色黄ならず。是其の地気に応ずるらし。此の物形色真の人参に稍々似たり。故に和俗人参と云ふならし。(改造社『俳諧歳時記』)
食べる 生食
子供が人参を嫌いなわけは、その苦み(えぐみ)と独特の匂いにあるようです。さらに人参を食べなさいと強要されて、ますます人参が嫌いになったという幼児体験もあるのではないでしょうか。
そういえばジュール・ルナールの「にんじん」という小説もありました。「にんじん」は赤毛の子供。母親から憎まれいじめられる子供の孤独と反抗と思われていますが、母親はにんじんを憎んでいません。母親からの反応がないことに悩み傷つく少年の姿なのです。
人参は、生で食べるときには注意が必要です。生のニンジンにはビタミンCを破壊するアスコルビナーゼという酵素が含まれています。大根との紅葉おろしは、見た目はいいのですが要注意です。この酵素は酢に弱いので、生のニンジンは酢の物にするか、酸味のきいたドレッシングをかけて食べるといいのです。
甘みやカロチンは皮の部分に豊富に含まれているので、水でシッカリ洗って皮を剥かずに食べましょう。
 ビタミンAが不足すると風邪をひきやすくなります。日本人はビタミンAの多くを緑用野菜からカロチンとしてとっています。
カロチンの呼称がニンジンの英語名キャロットに由来するように、ニンジンのカロチン量はずば抜けて多く、中くらいの半本で、一日必要量がとれるほどです。ビタミンB群、C、カルシウム、鉄も多く、栄養的価値が高い。注意したいのは、ニンジンはビタミンC酸化酵素を含んでいるために、他の野菜と合わせてジュースにすると、ビタミンCの効果を弱めてしまいます。ミキサー中にあらかじめレモン汁や酢を少し加えると良いでしょう。

いま普通に使うオレンジ色のニンジンは西洋系、主に日本料理に使う鮮紅色のニンジンは東洋系で、京ニンジン、金時ニンジンとも呼びます。
カロチンは油脂に溶ける性質があるので、油脂を使って調理すると体内への吸収がよくなります。

季語としての人参
人参(にんじん) 胡羅蔔 (冬)
 『通俗志』(享保元)『靨』(安永六)などに兼三冬。『清鉋』(延享二以前)『田毎の日』(寛政一〇)に十月として所出。
『通俗志』『清鉋』などに「胡◆(にんじん)」、『年浪草』(天明三)『田毎の日』などに「胡羅蔔(にんじん)」と表記する。(角川書店『図説俳句大歳時記』)

実作の人参
人参の実作は、葱・大根に比べてたいへん少ないものです。「大型俳句(俳句検索エンジン)」で比較すると、葱六八九、大根八二八に対して、人参は八六がヒットするだけです。俳人は人参嫌いなのでしょうか。また人参は保存されて四季に使われますので、季感が薄いのでしょうか、季重なりも目立ちます。
人参
朝霜や人参つんで墓まいり        去来
俎板に人参の根の寒さ哉         沾圃
胡羅蔔(にんじん)赤しわが血まぎれもなき百姓 栗生 純夫
*人参を擂るおとうとの羽化のため  佐藤 鬼房
円き川音切る人参の色やすらか   飯田 龍太
籠の人参ごろごろ女靴安売     星野 紗一
人参の太さこんじきぐらしかな   松澤  昭
人参の捻ぢ梅うれし京雑煮     高島 筍雄
人参あまく煮て独りにもなれず   坂間 晴子
馬市や馬に人参やる別れ      平野六角牛
上つ面なるか人参泥だらけ     伊東 達夫
人参の明るい乱雑姉妹に母     伊藤 淳子
下校の子待つ人参のケーキ焼く   成田 郁子
カリカリと人参ステックコツプ酒  千才 治子
むつかしく金時人参選つてをる   吉井 幸子
人参を切つて華やぐ女かな     仙田 洋子
*人参の朱をおもいだす真人間    宇多喜代子
人参の掘り出してある夕日かな   大串  章
寒林に人参色の陽が沈む      村岡 正明
笑ひ減る冬や人参輪切りにせよ   村越 化石
?涼しさは人参の髭馬の髭      大木あまり
大根と人参・芋・牛蒡
人参も色こぎまぜて大根曳        召波
大根が夜寒かこつや人参に     井本 農一
元日や芋牛蒡蓮人参を妻に謝す   橋本 夢道
人参洗う(洗ふ)
*人参も青年も身を洗ひ立て     宮坂 静生
  人参をあまた洗ひし川の水     斉藤 夏風
洗ひ人参積み上げ城の見ゆる川   高梨 静枝
 春の人参
春めく灯あすの人参けふ洗はれ   中村草田男
洗ひ機に人参踊り春一番      小出 秋光
涅槃図の人参大根なべて哭く    岡田 史乃
春立つ日人参を煮て芋を煮て    毛塚 静枝
人参の花(冬)
 実作ではなぜか多いのですが、人参は花が咲く前に収穫するので、花は茎立ちと考えられます。種を採る目的以外に花を見ることはありません。
*畑隅に人参の花子守立つ      大野 林火
畑隅をかすませてをり花人参    嶋田 麻紀
人参の花の白などうるさけれ    齋藤  玄
白日に夢さらしけり花人参     上関ふみ子
鎌研ぎの錆降りかかる花人参    伊丹三樹彦
人参の花よごれゐて土用波     細見 綾子
人参の花の終りを人のあと     下田  稔
人参の自生の花も勝手道      佐藤 豊子
人参のうつくしからず花ざかり   広瀬 盆城
人参の花といえばなぜか「島」です。俳人の思考は類型化しているのでしょうか。
島貧しからず人参花ざかり     吉田 愛子
もり上る人参の花島裏に      松崎鉄之介
人参の花まつすぐに島の空     曽根新五郎
流人墓山人参の花咲かせ      星野麥丘人
人参蒔く(夏)
人参は寒冷を好むため一般的には夏蒔きで冬に収穫しますが、春蒔きの品種もあります。実作にある「種袋」は春の季語とされていますが、「人参の」とあれば夏です。
にんじんを蒔き縮れ毛の友と楽し  沢木 欣一
人参を播き曇り空被せしなり    宮津 昭彦
春蒔の人参の種子揉めば匂ふ    岩崎釣水子
人参の絵が濡れてゐる種袋     阿部 菁女

派生季語―人参採る 人参引く 人参引(冬)
 人参採る・引くはもともと薬用人参いわゆる朝鮮人参を採ることをいいますが、実作では人参と混用されています。
  朝鮮の妻や引くらむ葉人参        其角
は、「葉」とあるものの朝鮮人参のようです。以下の句は朝鮮人参ではないようです。現在では朝鮮人参は栽培されていますので、「人参引く」は、普通の人参と割り切っていいでしょう。
  人参を引いて御調(みつぎ)や里の神     松瀬 青々
土砂降りへ人参真赤にぬきはなつ  秋山 淡適
人参を抜き大山を仰ぎけり    庄司 圭吾


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