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鴎座俳句会&松田ひろむの広場
さくらんぼ(夏)200607
さくらんぼ(桜桃)松田ひろむ
さくらんぼは、別名「桜桃(おうとう)」とも呼ばれますが、植物学的には、セイヨウミザクラ=西洋実桜(Prunus avium)と言います。
バラ科サクラ属の落葉高木。 果実は丸みを帯びた赤い実が多く、種類によって葡萄の巨峰のように赤黒い色で紫がかったものもあります。種子は一つです。英語では「チェリー」。
一般的には、
一、木や木になっている状態の実を「桜桃」
二、摘まれた実は「さくらんぼ」
三、輸入物や缶詰などに加工されると「チェリー」
という風に使いわけられています。
「さくらんぼ」というと、その名前から桜の実と思われ、事実さくらんぼという名前の由来も「桜の坊」。つまり桜の実という意味でしたが、現在では桜の実とさくらんぼは別の意味になりましした。桜桃も本来はシナノミザクラのことでした。
お花見をする桜には、さくらんぼが生りません。また生っても成熟しません。代表的な染井吉野(エドヒガン×オオシマザクラ)は交配種のため、実生で増やすことが出来ません。自然種の山桜は当然ながら実生です。
さくらんぼは、バラ科サクラ属に属し、
・甘い実をつける甘果桜桃(西洋実桜:セイヨウミザクラ)、
・酸っぱい実をつける酸果桜桃(西洋酸実桜:セイヨウスミノザクラ)
のヨーロッパ系二種と、
・中国桜桃(支那実桜:シナノミザクラ)
の東アジア系一種、合計三種類がさくらんぼの仲間で、普通さくらんぼと言われているのは、甘果桜桃のことです。酸果桜桃は酸味が強いため生食には向かず、果実酒やお菓子に加工されています。
サクランボの生産地として有名な山形県では県の木として制定されています。
桜桃は異なる種類で交配しなければ実がなりません。
近年では温室栽培により一月初旬の出荷も行われています。正月の初出荷では贈答用として約三〇粒程度が入った三〇〇グラム詰めで三万円から五万円程度で取り引きされ「赤い宝石」と呼ばれることもあります。
効用
さくらんぼの主成分は糖質で、カロチンやカリウム、鉄分がたくさん含まれています。
中でも鉄分は他の果物と比べて群をぬいており、貧血や疲労回復、冷え性に効果があります。その他、疲れ目の回復、美肌維持、気管支炎の消炎などにも効果があるそうでうす。
胎児の健康な育成を育むということで、妊娠中の女性に欠かせない葉酸も多めに含んでいます。
歴史
甘果桜桃(セイヨウミザクラ)はイラン北部のからコーカサス地方(カスピ海と黒海に挟まれたアゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの三共和国を指す)を経て、ヨーロッパ西部までの山地に広く野生していた原種から、有史以前に栽培化されました。栽培の最初は小アジア辺りとする説もあり、またスイスの湖棲民族の遺跡から種が発掘されるので、その地で栽培化の可能性も考えられています。ギリシャ時代には栽培の記録があります。酸果桜桃(セイヨウスミノミザクラ)は黒海からトルコ共和国のイスタンブール(コンスタンチノーブル)辺りが原産地と考えられています。
両種は二~三世紀にかけてヨーロッパ各地に広まり、特にドイツ、フランス、イギリスで普及しましたが本格的に栽培されるようになったのは十六~十七世紀からといいます。
十六世紀以前の発達の歴史はあまり明かでなく、ドイツに導入されたのは十八世紀になってからです。
新大陸アメリカへは十七世紀ころの初期の移民が伝えました。他にカリフォルニア州にも十八世紀初期に導入されて栽培が盛んになりました。
日本には明治時代になってから初めて導入されました。日本にはオウトウは、もともと自生していなかったもので、明治六、七年頃、勧業寮から農事視察の目的で中国に派遣された視察団の一行が、桃の苗と一緒に、中国種のオウトウを持ち帰ったというのが、オウトウの導入の始まりとされています。また、明治元年にドイツ人のガルトネルが北海道にあった六本のオウトウを植え、さらに北海道を開拓する人達がアメリカから二十五種類の苗木を輸入しています。
なお、中国桜桃(シナノミザクラ)は中国原産で、中国で発達したものであり、江戸時代から伝来しています。明治初期には清からも導入され、西日本にわずかに栽培されています。
また、明治七、八年頃、アメリカ、ヨーロッパから多数のオウトウ品種を導入し、東京の三田育種場において苗木を育成し、これを北海道、東北その他の諸県に配布し、栽培させた記録があります。しかし、自然放任の状態でほとんど枯死したとみられています。ただ山形など東北では比較的オウトウの育成に適する風土であったためか、放任しても苗木は一部生き残り、次第に産業的な栽培にまで発展したものです。
山形には明治八年(一八七五年)に東京から、洋梨、林檎の苗木に混じって、三本のオウトウの苗木が入ってきました。明治九年八月、山形県令となった三島道傭(みしまみちつね)は、三田育種場と北海道開拓使からオウトウの苗木を取り寄せ、県模範場に植え付け試験させる一方、山形市周辺や、米沢市などの篤農家に苗木を配布し試作させました。また寒河江市には農商務省勧業寮の分場があり、ここでも数種のオウトウ苗木が植え付け試作されました。
おうとう(サクランボ)の品種
現在日本で栽培されている品種は三十種ぐらいといわれています。
早生種
シャボレー
フランス原産。赤く甘酸っぱい。現在では食用としてよりも受粉に使われています。収穫時期は六月上旬。
紅さやか
「佐藤錦」に「セネカ」を交配して得られた実生から選抜・育成されたもので、紅秀峰と同じく一九九一年に品種登録された新しい品種です。収穫が早く、六月上旬~中旬頃には収穫されます。形は短心臓形の小粒で、果皮は朱紅色を帯び、果肉は赤い色をしています。糖度は高いのですが、酸味もあり、果汁も多くて食味は良好です。
中生種
高砂
アメリカ原産で、もともとは「ロックポート・ピカロ」といいました。果皮は黄色地に赤みを帯びており、果肉は乳白色です。甘みは中くらいでやや酸味が強いのですが、食味は良好です。核が大きく、果実がやわらかいので輸送中に傷みやすいのが欠点です。収穫時期は六月中旬。
佐藤錦(さとうにしき)
国内で最も多く生産されている品種。「ナポレオン」を母に「黄玉」の花粉を交配したなかから育種され、一九一四年(大三)に交配育成した佐藤栄助の名をとって命名されました。以降、現在に至るまで、さくらんぼのトップの座に君臨し続けています。六月下旬に収穫されます。
晩生種
ナポレオン
日本には一八七二年にアメリカから導入されました。起源は不明ですが栽培歴は長く、十八世紀始めからヨーロッパ諸国で栽培されているという古い品種です。六月下旬~七月上旬頃熟します。長めの心臓形の大粒で、果皮は黄色に赤い斑を帯びています。果肉はややかたく淡い黄色、酸味はやや強いですが、完熟したものは甘くて濃厚な味です。生食にも加工にも向きます。品種名は、ナポレオンの没後の一八二一年にベルギー王がナポレオンにちなんで命名したそうです。
紅秀峰(べにしゅうほう)
「佐藤錦」に「天香錦」を交配して得られた実生から選抜・育成されたもので、一九九一年に品種登録された新しい品種です。大玉で甘味が強く、酸味が少ないのが特徴です。収穫時期は七月上旬。
アメリカンチェリー
「ビング」「ジャブレー」「レーニア」などのアメリカ産の総称です。日本では五~八月頃に出まわります。国産品よりひと回り大きくて濃紅色の外見と、強い甘みが特徴です。主産地はアメリカ西海岸カリフォルニアと東海岸のワシントン州ですが、最近はニュージーランドからの輸入品もふえています。
サクランボの産地
サクランボの生産地としては山形県が全国の栽培面積の六割を占め、次いで北海道・青森県・山梨県で全国の九割を生産しています。
季語としてのさくらんぼ
桜の実は「毛吹草」(寛永)や「増山の井」(寛文)に旧四月となっています。その桜の実は黒褐色の山桜の実のことです。「滑稽雑談」には「俗にさくらんぼという」とあります。桜の坊やの意味です。
昭和九年の虚子編『新歳時記』は、「さくらんぼ」を見出し季語として
桜の実である。豆ぐらいの大きさ赤紫黒色になって、子供達は採って食べたりすることもあるが、普通さくらんぼと称するものは、花を目的としない実桜の実のことで、チェリーといひ桜桃といふ。チェリーは欧州原産。桜桃は支那種であるといふ。六・七月の頃、美しく紅色或は黄色に成熟して美味である。直径五・六分位。山形県・福島県などからは良種が出る。
とあるのが、もっとも古い例でしょう。
さくらんぼの実作は非常に少なく、かえって太宰治の「桜桃忌」が多いくらいです。これから名句を期待したい季語です。
さくらんぼ さくらんぼう
枝々に見えてつぶらや櫻んぼ(ホトトギス)翠畝
昭和八年の『俳諧歳時記』(改造社)の、この句が「さくらんぼ」のもっとも早い用例ですが、この「櫻んぼ」が桜桃のことか、単なる「桜の実」のことかは明らかではありません。
茎右往左往菓子器のさくらんぼ 高浜 虚子
さくらんぼとひらがな書けてさくらんぼ
富安 風生
さくらんぼ紅さして子の嫁ぎけり 村上しゆら
さくらんぼ十年遅刻してきたと 櫂 未知子
さくらんぼ熟れて路傍に俄店 吉良比呂武
さくらんぼ硝子細工に似て少女 山口 貞子
さくらんぼ笑で補う語学力 橋本美代子
さくらんぼ数へて食べて妻若し 下村ひろし
さくらんぼ舌に転がる英単語 吉原 文音
さくらんぼ摘まみつつ子が欲しといふ
山田 弘子
さくらんぼ悲鳴のやうなアリアかな 辻 桃子
さくらんぼ並べてありぬ仏頭と 佐藤 秋水
さくらんぼ碧海流れやまざりき 小檜山繁子
さくらんぼ母に甘えし記憶なく 飯田波津恵
さくらんぼ六月生れ讃ふべし 轡田 進
サ行まだ覚束なき子さくらんぼ 谷中 淳子
一つ食べ一句考へさくらんぼ 稲畑 汀子
*国家よりワタクシ大事さくらんぼ 摂津 幸彦
笑窪とてひとつは淋しさくらんぼ 清水 衣子
寝転んで読む悪女伝さくらんぼ 野村 尚子
*太陽はいつも一粒さくらんぼ 近藤 絹子
張られたる網に入口さくらんぼ 山本きよ子
朝市の人みな素顔さくらんぼ 工藤眞智子
童馬漫語童牛漫語さくらんぼ 加藤三七子
恋人はめんどうな人さくらんぼ 畑 耕一
恋文の起承転転さくらんぼ 池田 澄子
自分に宛てられた恋文を読んでいるのか、それとも、文豪などが残した手紙を読んでいるのか。いずれでも、よいだろう。言われてみれば、なるほど恋文には、普通の手紙のようにはきちんとした「起承転結」がない。とりとめがない。要するに、恋文には用件がないからだ。なかには用事にかこつけて書いたりする場合もあるだろうが、かこつけているだけに、余計に不自然になってしまう。したがって「起承転結」ではなく「起承転転」。(中略)同じ作者に「恋文のようにも読めて手暗がり」がある。(中略)もちろん、作者は大いに困惑している。『空の庭』(一九八八)所収。(清水哲男)
桜桃の花 おうとう あうたう
蕎麦くふや桜桃の花咲く頃の 森 澄雄
月山の裾桜桃の花浄土 阿部月山子
桜桃の花に挿替へ子をみとる 遠入たつみ
桜桃の花みちのべに出羽の国 角川 源義
桜桃の花より低き登り窯 磯貝碧蹄館
桜桃の花満面に茂吉歌碑 皆川 盤水
小樽港桜桃の花ともに暮れ 細見 綾子
繭ごもるらし桜桃の咲く盆地 市村究一郎
桜桃
ハンカチに買ふ桜桃や子の手曳き 岡田 貞峰
急流に映り桜桃黄熟す 加倉井秋を
均斉に桜桃並ぶ心安からず 石田 波郷
桜桃といへば親しき忌日なる 矢島 渚男
桜桃のみのれる国をまだ知らず 三橋 鷹女
桜桃の一粒添へて機内食 金子 邦子
桜桃の艶におどろく夜学生 沢木 欣一
桜桃の沖の父親立ち泳ぐ 坪内 稔典
桜桃の幹つたひくる水木霊 長谷川久々子
桜桃の熟れゆく空に白根岳 福田甲子雄
桜桃の数多のベルの鳴るごとし 関森 勝夫
桜桃や北の碑文のヴェルレーヌ 文挟夫佐恵
桜桃をふふめばはるかなる山河 小島 花枝
桜桃を洗ふ手白く病めりけり 石田 波郷
桜桃持てきしひとにその後逢はず 大野 林火
桜桃村月山の雪さやかなり 水原秋櫻子
人はみな桜桃の種うす黄いろ 山西 雅子
青水無月村の桜桃採りつくし 鳥越やすこ
夕日より濃き桜桃を竿秤 有馬 朗人
夕暮にひかる桜桃ある祖国 宇多喜代子
実桜
實櫻や死にのこりたる菴主 蕪村
實櫻や立ち寄る僧もなかりけり 蕪村
實櫻や月の影もる麓寺 玉井
實櫻に重き曇や吉野山 如猿
木母寺や實櫻落ちて人もなし 正岡 子規
*実桜やピアノの音は大粒に 中村草田男
実桜や豊頬夫婦道祖神 池上 樵人
桜の実
来てみれば夕の櫻實となりぬ 蕪村
山櫻実をもてはやす鳥もなし 彫棠
紫を玉にぬく實の糸櫻 正岡 子規
いつの間に来し晩年の桜の実 徳弘 純
かつ見たる救世観世音桜の実 森 澄雄
業平の老いらくの地の桜の実 田中 英子
桜の実紅経てむらさき吾子生る 中村草田男
桜の実垂れて暮れざり母の町 大野 林火
桜の実赤く黒きを多佳子の死 細見 綾子
桜の実鳥語の母音ずぶ濡れに 高岡すみ子
桜の実落ちて安曇の土染むる 河野 友人
少しづつ友も変りぬ桜の実 山田みづえ
吹き降りの眉山に熟れて桜の実 林 徹
喃語にもうなづいてゐる桜の実 橋本 榮治
桜桃忌
太宰治の「桜桃」の桜桃はその最後に出てきます。
子供より親が大事、と思いたい。子供よりも、その親のほうが弱いのだ。
桜桃が出た。
私の家では、子供たちにぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかも知れない。食べさせたら、よろこぶだろう。父が持って帰ったら、よろこぶだろう。蔓を糸でつないで、首にかけると、桜桃は珊瑚の首飾のように見えるだろう。しかし、父は、大皿に盛られた桜桃を、極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き、食べては種を吐き、そうして心の中で虚勢みたいに呟く言葉は、子供よりも親が大事。(太宰治「桜桃」)
太宰治(一九〇九~一九四八)が山崎富栄と玉川上水に入水心中したのは、昭和二十三年六月十三日のことだが、毎年一度太宰を偲ぶ会を持とうという相談が友人知己の間から持ち上がり、翌昭和二十四年の六月十九日に第一回の桜桃忌が開かれた。命名は同郷の今官一。「六月十九日」に決まったのは、太宰の死体がその日に発見され、奇しくも三十九歳の誕生日に当たったことによる。「桜桃忌」の名は、太宰晩年の小説「桜桃」にちなむもの。
三鷹の禅林寺で催されることになったのは、ここに太宰の墓が建てられたからである。この寺には森鴎外の墓もあり、生前散歩に来ていた様子で、鴎外は太宰が最も敬愛する作家でもあった。
桜桃忌は毎年六月十九日の午後二時から参会者が墓前に集まり、住職が読経をあげて鎮魂の供養をしたあと、各自墓前に手を合わせて詣で、そのあと一同が庫裏の座敷(今は葬祭場)に移り、思い出を語り合う。
現在は「墓前の集い」と「桜桃の会」の二本立てが桜桃忌の内容であり、この形は今も定着している。以前の桜桃忌は太宰を愛する人達ばかりによって、ごく自然に発足し続けられたもので、直接親交のあった人達が遺族を招いて年に一度、緑陰の庫裏に顔を合わせ、何がなくとも桜桃をつまみながら酒を酌みかわし、偲ぶのが趣旨であった。桜桃忌は発足当時、亀井勝一郎氏が中心となって取り仕切られていた。(「三鷹市生涯学習情報」より)
いちにちをおろおろ生きて桜桃忌 橋本 榮治
ときめきは遠くより来る桜桃忌 白石みずき
ペンだこも小さくなりぬ桜桃忌 福島 胖
教科書は置きて説くなり桜桃忌 川口 淀村
黒板に人間と書く桜桃忌 井上 行夫
黒々とひとは雨具を桜桃忌 石川 桂郎
桜桃忌よりも富栄忌徳利置き 手塚 美佐
傘のしずくで線ひく遊び桜桃忌 寺井 谷子
掌に受けし螢の匂ひ桜桃忌 長谷川史郊
消しゴムを買いためている桜桃忌 たまきまき
水中にくもる白日桜桃忌 鷲谷七菜子
生涯に水子一人や桜桃忌 黒木 胖
他郷にてのびし髭剃る桜桃忌 寺山 修司
太宰忌の桜桃食みて一つ酸き 井沢 正江
致死量に話及びぬ桜桃忌 湯橋 喜美
天金の一書重たき桜桃忌 伊藤喜太郎
白き椅子ひとつは倒れ桜桃忌 畑中 博孝
枕まで海の来てゐる桜桃忌 岡 節子
夜に務め車中立ち読む桜桃忌 南部 博
夜学生教へ桜桃忌に触れず 沢木 欣一
友の手のみな温くあり桜桃忌 阿久津凍河
涙ほど降りて晴れたる桜桃忌 小林 康治
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