大。福。日記

大。福。日記

何になりたい?助産師・看護教員・CNS



 私は9歳のときに母をなくしています。なんとなく母性への憧れがあって、産婦人科に引き寄せられたのでしょう。助産師になりたいと思ったのは20歳の時でした。

 准看学校を卒業して、産科に勤務して、お産の虜になりました。もっと母乳マッサージをうまくできるようになりたい、ベビーキャッチだけじゃなくて取り上げてみたい…個人産院のおじいちゃん先生(ビッグベビーも切らずに出す超ウマでした)が何でも自分でする医師だったので、専門性を持って仕事がしたい!!そう思って、進学をしました。


 進学して収入源に勤めた総合病院で脳外科に配属になりました。看護はどの分野でも面白くて、母が脳出血で亡くなっている影響もあってか、のめり込みました。急性期では、危機状態を脱すると、本当に「お帰りなさい」って嬉しかった。リハ期では一緒に取り組むのが好きで、トイレや車椅子へのトランスなんか大好きでした!家族への対応も、人事じゃないから真剣に丁寧にやってた。この頃は、脳外科でやろうと、思っていました。



 そして2年次在学中に妊娠。2年次って、母性・小児・精神の授業が沢山入ってて、授業が十分な母親学級になるってくらい、私にはタイムリーでした。出産も、授業のお陰で、全然怖くなくて、陣痛開始から6時間で出ちゃう安産でした。
 「陣痛は、赤ちゃんを押し出す“私の力”」
気の持ちようで、お産は変わるなって感じました。

産後3日目、急にメンタルで揺れて涙もろくなって、辛い時があったんです。その時に、お世話になった助産師さんが、「ホルモンのせいであなたのせいじゃない。頑張ってるわよ。あなた、頑張り屋さんね。乳首を見れば、準備してきたなってわかるわよ。」って言ってくれました。

すごくすごく励まされた。これからママになる緊張がブっ飛んで。
楽になった~!

こんな助産師さんになりたい!!
って思ったんです。



そして、3年生で復帰し、母性の臨床実習に-。

 事前学習から、実習…メラメラと助産師になりたい!!と思いました。

でも協力してくれる人々からの「いつまでも自分の好きなことばかりしないで、リコちゃんのために」という言葉が胸について、進学を先延ばしに考えました。(合格したかは分かりませんが、在学中の妊娠を許容し、支援してくださった教務に感謝するように勉強したので、妊娠した2年生から首席のまま卒業)とりあえず、学費もなかったので、勤務することに。


 その後色々ありましたが、娘との時間を長く取られるし、出身学校の副学校長の推薦もあって精神科に就職しました。


 そこで、乳幼児期~思春期までの生育環境の大切さを身にしみて実感しました。

 私はリハビリテーション病棟に属し、長期入院(受け入れ先が整えば退院可能の)患者さんの退院促進を担当しました。人として育つのに必要なのはリファレーシング(社会性)。すごく遣り甲斐があって、私と言う援助者そのものが何であるかを確実にしてくれるようでした。

 この時、精神看護で専門か認定看護師を取得しようと思いました。そして、いつかは尊敬するO先生のような看護教員(准看学校時代に持った夢)になろうと決めました。それから、仕事に打ち込む中、職場での評価が上がり、3年5年先のポジションについて上司と話す機会がありました。「役職を命じられても断らないで」

 一方、パパとの発達課題もあって、役職についてから2人目を産むのは仕事が途切れて嫌だな…。ということで子作りして、見事的中したのでした。

 そして、妊娠・出産。
 妊娠中は産休に入る直前まで、プライマリーナースとして退院援助をしたり、教育関係、チームリーダーも担当していたので、ヘトヘト・イライラ。食べちゃったんですね。で、体重が+10kg。すでに描いていた妊娠期を過ごせていないので自己価値が低下し始めていました。

(娘のときは+5kg、2676g超安産。)陣痛が来ても5分間隔で一旦寝ると消失するのを3日繰り返し(3日間3時間睡眠でヘトヘト)、体重増加のせいかな?歩き回ったりもしたから、子宮筋疲労による、微弱陣痛か?心音が心配だし、もうこれ以上疲れたらお産の時、努責めない!と、誘発希望で受診。

 この時3指開大。先生は入院判断に困っていたけれど、入院させてくれることに。(ナイス判断!感謝です。。。だって家に帰れば娘の世話で陣痛に集中できないもん)喘息があるので、心音・胎盤機能も良いし様子見とのこと、階段昇降をして誘いまくっていました。そしてお産。3570gビッグベビー!

 娘のときは、パパが腰を押してくれて、2人で、自分で産んだって思えました。助産師さんはそれを支えてくれた印象。息子は、発露で痛くて痛くて「無理だ!自力じゃ出せないよ。切って(会陰切開)もしょうがない」と諦めました。なのに、助産師さんがうまく誘導してくれて、NOリスで産ませてくれました。もう感動!!

 第1声は「助産師さんにはなれないや」

 居合わせた産科医が「へ?」言っていました。お母さんに合わせて、その人らしいお産を助ける人…なんて素敵なんだろうと思いました。

 しかしながら、その後の私は、興奮して眠れず5日間も睡眠がとれずに精神を病む一歩手前になるのでした。いいえ、あれは病んでいたのでしょう。

 2人目だし、学校の実習病院で助産師さんも知り合いだったこともあって、8時間後から母子同室。夜、お産が3件続きそうだから、れんちゃん宜しくね!と声をかけてくださり、そのまま続投になった。体は疲れてヘトヘトなんだけれど、忙しいのが分かるから、甘えちゃいけないと思うから、わが子がかわいいから、預かってが言えませんでした。

 ビックベビーの息子は20ccの糖水じゃ、満足できず空腹てい泣でうるさく寝かしてくれません。ミルクをもらいにいくと、もらえずおっぱいを吸わせるようにとのこと。
 「でも…寝てくれないんですけど」
 「親の都合で沢山飲ませるなんてダメ。まだ20ですよ。」(回答したのは看護師)

 頭が回らず、いつの間にか「ミルクはもらってはならない」強迫感を持ち必死に3時間が来るのを絶えました。

 また、“してはならない”モードに入っているんで、男の子のオムツ替えはウンチを拭くとオシッコが飛んできて肌着を汚してしまい、「オムツも満足に換えられない」と自信喪失。

 そうして不眠5日目。とうとう頭がやられてしまい感情が爆発!!泣き喚き(個室で誰も気付かなったけれど)帰り支度をしました。「母児愛着形成に失敗しそう」私にとっては危機でした。

 そんな時です。
 自分からは困っていると言い出せない私の変化に、ある助産師さんが気付いてくれました。
「上手くなんてできなくていいのよ」
「眠れないの?動物なんだもん。産んだばかりのわが子を敵から守るのに眠れる?」
「大丈夫大丈夫」
「育児がちゃんとできるようにお世話しますからね」
「ホルモンのせいで気持ちが高ぶるの。頭がやられたんじゃないからね」

その言葉にどれほど救われたか…退院日、家に帰ってから爆睡するのですが、入院中の不眠でも気分が楽になりました。思えば、あの7日にも満たない入院期間のうち子宮復古、母乳栄養の確立、育児技術の取得という大忙しのスケジュールに周産期における精神面のケアなんてほとんど成されていないと、実感しました。

 一番聴きたかった言葉は、「よく頑張っているわよ」等のお褒めの言葉。

 例えば、褥汗なのに授乳中の発汗を見て、助産師さんに「四苦八苦の様子ですね」といわれたシーンがありました。「暑いですか?」とか「よく頑張っていますね。」「汗をかいて大変そうに見えますがいかがですか?」とか伝え方で違います。

 MIDWIFE-女性と共に-(かりん堂さんより引用)この7日間に、育児における自信がより付いたなら、児童虐待も減るのではないかな、家族の病理に起因する精神疾患も、減少するのではないかな、私はその担い手になりたいと思うのです。


 人を育てるに困った時、どこに相談すればいいのかを、伝えたり一緒に考えたりもしたいです。女性と共にー。だから助産師になりたいと思っています。

 学校が減る中で、オチオチしていられないのですが、私が行きたいのは母子保健研修センターなので、しばらく閉校されるのはないのでは?という一抹の甘えと、何より人間形成の「基本的信頼の確立」「母子分離不安」が重要との信念に反して、息子が2歳を過ぎるまでは2週間の泊り込み実習や、早朝から夜間にかけての学生生活に入ることはできないのです。

聞けば、学費に約150万は掛かりそうで、昼食などの生活費や交通費、参考書代、緊急保育時の保育代など貯蓄もしなくては!!

 だから、平成20年から受験を始める予定です。それまでにお金を貯めて、母性小児看護の勉強をして、脅しまくって退院させた?!(今では感謝していただいております。再入院も7人ともない!)元担当患者さんにも説明して病院を去る儀式もしないと。コツコツボチボチの理由がこれです。


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