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ずっと気になっていたことがある。吉本隆明が「原発擁護論」を盛んに言っているということを雑誌や本やらでよく目にしていたのだが、私自身は吉本が原発について直接語ったり書いたりしたものを見たことがなかった。雑誌のインタヴュー記事のようなものが多いらしいのだが、古い雑誌の記事を探すほど熱心でなかったということもあるし、漏れ聞く限りでは吉本はつまらない科学神話に取り込まれているような話らしかったので、気になってはいたものの放っておいたのだった。 1週間ほど前、暇つぶしに本屋を覗いていたら黒古一夫著『文学者の「核・フクシマ論」』 [1] という本を見つけた。吉本隆明、大江健三郎、村上春樹の3人の原発・核をめぐる言説を論じたものである。原発をめぐる大江健三郎の言説・行動はよく知られているし、この本でも高く評価されている。一方、吉本と村上は強く批判されている。 著者によって批判されている内容を取り上げて、あらためて批判するなどということは意味がないが、少なくとも私が予想したとおり、吉本隆明の原発容認論はきわめて素朴な科学信仰、つまり、科学の発展がすべてを解決する、科学の進歩で勝ち取った原発を放棄することは人類の進歩に反する、といったたぐいの話なのである。そもそも科学と技術を混同しているのだ。核分裂や核融合の発見は科学であって、確かに自然についての科学的認識は後戻りしないし、できない。その科学的事実を応用して原発を作るのは工業技術なのである。技術というのは人間に都合の良いものを取捨選択すればよいのである。薪を作るのに鉈を使うか鋸を使うか、という程度の問題なのである。人類の進歩などと何の関係もない。 後戻りしない(できない)科学の進歩というのであれば、半導体によって太陽光を直接電力に変換する科学技術のほうが原子力よりも遙かに新しい科学(的発見)によるエネルギー創成技術なのである。単純な科学進歩論に基づくなら、原子力より太陽光発電を主張しなければならないはずだ。 吉本隆明ともあろう人のあまりにも素朴な科学信仰に涙が出そうになる。彼の『言語にとって美とは何か』や『共同幻想論』を夢中になって読んだ世代として、なんと評して良いか分らない。「吉本の「福島」以後も同様の発言を繰り返していることについては、問題化すること自体が酷であり、責任は、認知力が衰えた吉本にインタヴューしたメデイアにあると考えるのが適当である」と書いた絓秀実の言い方 [2] が適切なのだろう、と思いたい。 緑に映える集会。 (2013/5/26 14:23) さて、今日は月1回の日曜昼デモである。晴れの5月らしい陽気、錦町公園の緑の下に集まる人々の顔も、青葉若葉の緑に映えて明るく輝くような陽気なのだ。 デモ前の音楽会? (2013/5/26 14:32) 楽器を持って参じた人が多く、デモ前にはちょっとした音楽会である。といっても、ビキニ環礁における第5福竜丸の被爆の歌であった。 定禅寺通りから一番町に曲っていく。 (2013/5/26 15:04) 陽気のせいか、デモもなんとなくおおらかな感じで、人と人の間隔もゆったりととって、しかもたくさんの楽器で賑やかなのである。一番町では、音楽を演奏しているグループがいて、いっそう賑やかになる。 仙台市青葉区青葉通りの「青葉」も濃くなって。 (2013/5/26 15:25) デモを(いわば元気そうに、快活に)歩いていながら、デモというのはそんなに心が忙しいわけではないので、いろんなことを考える。 たとえば、鬱屈するようなことがらというのは日々新しく現れてくるのであって、今日もそれなりに鬱屈するようなことはあった。それでもデモを歩き始め、最初はなかなか声が出ないのだが、今日の特別編成のドラム隊のリズムに心を委ねているとだんだん声が出るようになる。そうして、大きな声でシュプレッヒコールができるようになると少しだけ鬱屈した気分が晴れる。何かもっとできるような気がしてくるのである。これもデモの効用であると思いたい。 考えてみれば、いつもこんな感じだった。集団のはらむ熱気を怖るるはいつよりのこと旗はなびかふ 岡井隆 [3] 集団が苦手なのである。今、少しずつそんな性癖を乗り越えつつある、とデモに参加しながらそう思いたいのである。 [1] 黒古一夫『文学者の「核・フクシマ論」』(彩流社、2013年)。[2] 絓秀実『反原発の思想史』(筑摩書房、2012年)p. 63。[3] 『現代歌人文庫 岡井隆歌集』(国文社 1997年)p.124
2013.05.26
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(続き) Photo G 左から蔵王連山、雁戸山、大東岳、南面白山、面白山の眺望。 (2013/5/18 9:09) 泉ヶ岳に登っての頂上での休憩はいつもここである。蔵王連山から舟形連山までの奥羽山地の山並みはもちろん、遠く飯豊連峰、朝日連峰までよく見える。 朝食は私もイオも弁当である。私は定番の生姜焼き弁当で、イオには鶏ガラの水煮から身や軟骨を選び出したものに少量のドライフードを加えてある。10日ほど前の戸神山山頂では自分の弁当を一口も食べなかったイオも今日は完食である。その上に、私の弁当の肉とゆで卵をねだって満足そうなのだ。 Photo H しっかりと休憩中のイオ。(2013/5/18 9:12) この頂上台地にはコブシの花が咲き残っていた。そういえば、水神コースの途中に、花がほとんど散ってしまっていたが、コブシの大木があった。あんなに大きいコブシの木はかなり珍しいのではないかと思う。 左:山麓のモミジイチゴの花。右:頂上台地のコブシの花。 コースの途中で何人かの登山者から「表コース」で熊が出たという話を聞いた。「犬がいて安心ですね」と話しかけてきた人もいたが、本当に安心かどうかはわからない。私はイオを熊よけだと思っているが、イオは私を熊よけと思っている可能性がないわけではないのだ。何しろ、見通しの悪い山道では私の前に出ようとはしない犬なのである。 Photo I 「かもしかコース」を下る。 (2013/5/18 9:52) かもしかコースを下ることにする。このコースは「岡沼」(たいていは涸れ沼)まではほとんど急な下りで、とくに「ひがら坂」と名付けられた付近は険しい。今日は土曜日とあって、この急坂を喘ぎながら登ってくる登山者が多い。登山者と出会うたびにイオは道ばたで「待て」姿勢で待機である。山道では「人間優先」で、イオは喜んで待っている。ご褒美おやつが待っているからである。 Photo J 「ひがら坂」付近の急坂。 (2013/5/18 10:02) じつは、登る先で誰かに待たれているというのは、場合によっては苦痛なことがある。急坂に喘ぎながらもなるべく早く通り過ぎなければ、と思うからだ。そう思いながらも、やはり犬のほうが待たねばならない。でも、とても上手な人がいて、私たちより先に「どうぞお先に」と言って、そこで一息入れるのだ。 急坂の終わりころ、下は5、6才から小学生、上は30歳前後の大人たちの30人ほどのグループが登ってくる。私とイオは、道を外れて大休憩となる。大人たちは「犬も登ってきたんだよ」などとイオをダシにして子供たちを励ましながら登っていく。 Photo K 岡沼手前の分岐。 (2013/5/18 8:35) 大集団をやり過ごして、少し下ると岡沼の上の分岐に着く。4,5人が休憩していた。ここで「犬は山ではあまりマーキングしませんよね」などと話しかけられ、少しばかりの犬談義となる。 ここからかもしかコースをはずれて、お別れ峠に向かうことにする。この道は、1度だけ歩いたことがある。かもしかコースを下って来たとき、前日の雨と雪解けで岡沼が満杯になっていて登山道が水に沈んでしまい、やむを得ず迂回路として利用したのだった。 このあたりは、泉ヶ岳スキー場のリフトを利用して「兔平」まで上がってしまえばアップダウンの少ない散策路として利用できる山道になっている。お別れ峠まで出て滑降コースを下る。登りで上半分、下りで下半分を利用することで、今日は滑降コースの全部を歩くことになる。 Photo L 快適な林の下道。 (2013/5/18 10:55) お別れ峠からは緩やかで快適な雑木や落葉松の林の道である。できるだけゆっくり歩く。お気に入りの山麓のおいしい蕎麦屋さんでそばを食べて帰るにはまだ少し時間が早いのである。 イカリソウ3種。 やや暗い感じの林にイカリソウが咲いている。よく見ると紫のやや濃いもの、薄いもの、真っ白なものが同じ場所に咲いている。もしかすると、紫から白の間で連続的な変異があるのかもしれない。 花といえば、頂上近くで可憐な白い花を見つけたのだが、何という花かよく分らない。とても小さな花だが、気品があってとてもよろしい。 何という名前の花か不明。 下山路は小さな沢に出るとほどなくおしまいである。駐車場で少しぐずぐずすると蕎麦屋さんにちょうど良い時間だ。そんなほどのよさで今日の山行は終るのである。
2013.05.18
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船形連山遠望(泉区根白石付近から)。(2010/5/18 6:15) 「泉ヶ岳山歩きMAP」(泉区役所発行のパンフレットから)。A~Lは写真撮影ポイント。 もちろん、徘徊コースなどというのがあるわけではない。徘徊するように山を歩くかもしれない私と連れのためのコースである。 発熱して3日寝込んで、私に唯一残されたパブリックな仕事で2日遠出をしてその夕方からまた2日発熱した。やっと直ったと思っていたら、連れ(イオ)が41℃の高熱を出して、行きつけの動物病院で点滴1本、注射2本を打ってもらい、3日間投薬を飲んで過ごした。犬は病院で治療、人間は市販薬でごろ寝ということである。 そんな後の山行で、家人からはずいぶんと反対されたのだが、慎重に様子を見ながら、万が一の場合はすぐに引き返せるコースを選ぶから、という言い訳をして家を出たのである。そのコースが、中腹以下を周回する(うろうろと徘徊する)コースのつもりだったのである。 Photo A 水神コースはじめの緩やかな登り。 (2010/5/18 7:03) 前半は緩やかな登りが続いていて、歩き始めにはやさしい水神コースに入る。道脇にはスミレがたくさん咲いているがタチツボスミレばっかりで、場所によっては群生している。他には、丈の低い木性のモミジイチゴの白花が目立つ程度である。 左:シラネアオイ。右:エンレイソウ。 しばらく歩いてやっと1輪のシラネアオイを見つけた(道なりで見かけたシラネアオイはこれっきりであった)。 ゆるい登りが終って「水神平」に出ると、そこから「滑降コース」中間の「お別れ峠」へ向かう分岐がある。そこから折れてお別れ峠に向かい、滑降コースを下れば、毎日の朝の散歩程度の山歩きとなる。家人には、そんなコースだよ、と言い置いてきた手前もあって、右折する。 Photo B 水神平の「お別れ峠への分岐」。 (2013/5/18 7:37) 分岐から明るい雑木林の斜面をトラバースするように7、8分歩くと、すぐにお別れ峠である。ここは5叉路になっていて、水神コースから来た道、滑降コースの上りと下り、スキー場上端(リフト)への道、カモシカコースの岡沼の上に出る道が合流している。 Photo C 「お別れ峠」。 (2013/5/18 7:45) さて、ここからが問題である。「病み上がり」(と家人は言う)の一人と一匹だが、いまのところ何の支障があるわけではない。口とは裏腹に心で決めていたとおり、左折して滑降コースを頂上に向かう。お別れ峠を出るとちょっとした急斜面が続くが、すぐに見通しの良い台地に出る。2段の台地になっていて、上の台地を「見返平」と呼んでいる。 Photo D 目の前に泉ヶ岳の全容が現れる。 (2013/5/18 7:56) この台地からは泉ヶ岳の全容が眺められて、私のお気に入り場所の一つだ。見返平からは文字通り南西の眺望が開けていて仙台市街から蔵王連山まで望める。ここで景色を楽しんでおかないと、後は頂上までの急登に喘ぐだけになる。 Photo E 大石だらけの急坂。この先にはさらに「大壁」の急坂が。 (2013/5/18 8:19) 見返平からは急登である。「病み上がり」の一人と一匹は、休み休み息を整えながらゆっくりと登る。犬は水の飲み貯めができないこと、汗腺がないため体温調節が人間のようにはできないことがあって、そのために水分補給には気を遣う。先代の犬(ホシという)の時、山行途中の水分補給が十分でなく、渇いたホシは水を求めて谷へ転落するという事故があった。そういう前科が私にはある。 Photo F 泉ヶ岳頂上到着。(2013/5/18 9:02) 「かもしかコース」合流点まで喘ぎ続けると、そこからは幾分緩やかになって10分ほどで頂上である。頂上はそのまま通り過ぎて、北泉ヶ岳方向に頂上台地を進み、船形連山から蔵王連山までの眺望が開ける場所で朝食休憩とする。(続く)
2013.05.18
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被爆地を這ふほかになき山楝蛇(やまかがし) (いわき市)馬目空 昨年の7月くらいから、朝日新聞の投稿欄「朝日歌壇」、「朝日俳壇」から原発事故に関連して詠まれた短歌や俳句を抜き書きしている。上の句は今年の4月8日付の新聞に掲載された金子兜太の選による句である。 人間も家畜もペットも、放射能汚染と放射能被爆によって悲惨な状況に追いやられている。そして、人間も家畜もペットもその一部は避難できたり救出されたりしているが、多くは見捨てられたままである。それでも、見捨てられていることを人々は口の端に登らせ、不十分とはいえマスコミも時として取り上げることがある。 しかし、野生であるものたち、おそらくは人間よりももっとずっと太古からその地で生き続けてきた野生の命の被爆は無視され続けている。少数の生物学者が多くの形質異常を発見するのだが、それだけである。被爆地を這うほかに彼らの生のありようはないのである。 そして、放射能にまみれた地を這うヤマカガシの姿は、様々な事情に阻まれてその地を去ることのできない人々の生に重なってしまう。それぞれの交換不可能な生を、東京電力はおろかどのような政治も贖うことはできない。 今日は東北大学片平キャンパスの北門前に集合だが、集会はなくてそのままデモに出発である。先々週は発熱で、先週は唯一私に残されているパブリックな仕事でデモはお休みだった。連休もあったので本当に久しぶりという感じである。 会場についてすぐ、私のブログを見ているという人に話しかけられた。あるイベントでお世話になった人をブログに書いていて、その人の友人だという。デモで見かけている人なので、厳密には「見知らぬ人」ではないのだが、なぜ私の顔が分ったのだろうと一瞬不思議に思ったが、何のことはない。ネットで探せば、私の写真が何枚かは見つけられる。それに、ホームペ-ジも三つのブログもFacebookもtwitterもすべて実名なので、何の不思議はないのである。 東北大学(片平キャンパス)北門前を出発。 (2013/5/17 18:34) 五ッ橋通を横断する。 (2013/5/17 18:38) 南町通を渡っていく。 (2013/5/17 18:41) 青葉通を渡る。 (2013/5/17 18:45) 一番町には青葉祭りの山車(山鉾)が展示されていて、その脇を進む。 (2013/5/17 18:49) 広瀬通に出て、ここを左折。 (2013/5/17 18:52) 広瀬通から晩翠通へ左折する。 (2013/5/17 17:01) 晩翠通から青葉通へ。 (2013/5/17 17:07) 一番町を横目に青葉通を進む。 (2013/5/17 17:13) 東二番丁通(大通り)を渡ってまもなくゴール。 (2013/5/17 17:19) デモを歩きながら、この脱原発金曜デモの最初が昨年の7月20日で、まだ1年もたっていないのだな、などと考えていた。いつかの集会のスピーチで、「私の目の黒いうちに全原発の廃炉を目指す」と語った人がいた。何年かかるのか皆目見当がつかないが、私よりずっと若いその人には十分に可能な望みだろう。 上記の句と同じように、5月6日付けの朝日新聞、「朝日歌壇」に次のような短歌が載っていた。佐佐木幸綱の選である。原発反対叫びて過ぎし三十年上関の里に春は来にけり (山陽小野田市)淺上薫風 30年も闘い続けていて、まだ闘いは続いている。そして、いつものように季節はめぐっているのである。これからの30年という反対運動を想像してみる。当然ながら、私は生きてはいない。「私に目の黒いうち」とは言わないが、それでも30年経ったころには全原発廃炉が実現していればいい、そう願っている。
2013.05.17
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(続き) Photo G 戸神山頂上で。陽が出てイオは眩しそう。(2013/5/2 7:20) 頂上は東に開けていて、仙台市街から太平洋まで望める。朝日に海が輝いているが、逆光で仙台市街は判然としない。先週の木曜日に歩いた蕃山の尾根筋も見える(写真右手、一番上の山並み)。 Photo H 仙台市街の向こう、朝日に光る太平洋。(2013/5/2 7:22) ここで朝食である。定番の生姜焼き弁当である。私の好物で、しかも手軽に調理できるのでたいていはこの弁当である。イオにはドライフードとレトルトパック状のものを用意してきて、器に開けてかき混ぜて出したが、見向きもしない。しょうがないので、非常食用にいつもザックに入っているクッキーをやると、それは食べる。結局、クッキー数枚と、私の肉をいくつか食べてイオの朝食は終る。 この犬には肥満の心配をしたことがない。自分で調整しているのではないかと思えるほどなのである。むしろ。心配は食べないことなのだ。 あっという間に頂上で何となく物足りないが、朝食も終ったので下山することにする。もう1度、女戸神山の登り返し、「正式」の裏コースを歩くことにする。 女戸神山からは緩やかな下り尾根で、気分の良い雑木林である。 Photo I 快適な下り尾根。 (2013/5/2 8:03) 女戸神山の頂上から5分ほど下ると右手下方に伐採地が開けている。その伐採地の作業道が戸神山の南面を迂回する旧林道跡の道(裏コースの道)に出会う場所で下りはほぼ終る。そこからは旧林道のゆったりした道が続く。道の右手は急斜面、左手には所々地面の露出した崖が続く。 Photo J 北裏から見る戸神山の峰。 (2013/5/2 8:12) 裏コースからは戸神山を北方向から眺めることができる。戸神山をほぼ半周する裏コースは、旧林道跡なので道は広く歩きやすい。半周して、南に折れるとやがて表コースと合流する。この分岐点は、白い粘土層がむき出しの広場になっている。 Photo K 表コースと合流する広場が見える。 (2013/5/2 8:35) 分岐からは同じ道を戻るだけである。ゲート入口を6:00に出発し、表裏の分岐6:26、鞍部の分岐6:59、女戸神山山頂7:06、戸神山山頂7:20、裏コース旧林道分岐8:10、表裏の分岐8:36、そしてゲート到着は8:54だった。もう少し距離が長いように思っていたが、あっという間である。 ゲート前の車に辿り着いたとたんに雨がぱらぱらと落ちてきた。急いで車に乗ったが、時間が早いので帰路とは反対方向、秋保の馬場地区あたりで戸神山を眺められる場所があるのではないかと探しに走った。馬場地区の北裏の田んぼの中を走る農道から1ヶ所だけ戸神山が見えるところがあった。カメラを向けたが、南からなので女戸神山は隠れている。 南、秋保町馬場付近からの戸神山。 (2013/5/2 9:01)Map戸神山。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、 「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ による。
2013.05.02
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戸神山遠望(青葉区折立付近から)。(2010/5/8 5:19) 昨日はときどき小雨の1日だった。今日の予報は晴れのはずだが、何となく雲が多い。昨夜降ったらしい雨で地面はしっかりと濡れている。薮道だったら結構下半身は濡れるだろうと、レインウエアばかりでなくスパッツも用意して出かけた。 国道48号線を白沢から秋保への県道に入る。関山峠から下ってきて国道48号線に沿って流れる広瀬川と大東岳と神室岳の間から流れてくる名取川の間の丘陵に戸神山はある。広瀬川と名取川のちょうど中間くらいに登山口でもある白沢配水所へのゲートがある。 Photo A 白沢配水所へのゲート脇から入山。 (2013/5/2 5:58) それにしても寒い。5℃である。長袖のアンダーシャツ、ウールのボタンダウンシャツにウインドブレーカーでは心許ないが、まずは歩いて見ることにする。 連れのイオに防虫スプレーを振りかける。ものすごく不機嫌な顔で耐えている。月1度の滴下薬、その都度のスプレーは犬の山歩きには必須である。今年一番のフィラリアの薬は昨日飲んだ。 ゲート脇を通り抜けて舗装されたワインディングロードを登ると数分で白沢配水所の施設である。その右脇を回るように道があって古い林道跡の登山道が始まる。このあたりの地質は崩れやすい白い粘土層で、至る所に崩落跡、崖があって白い地肌を見せている。 Photo B 表コースと裏コースの分岐点の道標。 (2013/5/2 6:25) スパッツを付けて歩き出したのだが、道が広いのでほとんど濡れずに歩ける。むしろ道脇の立木から落ちてくる滴が多いので、立木に触れないように歩く。 歩き始めて20分ほどで、表(東)コースと裏(南)コースの分岐の広場に着く。結構、賑やかな道標が何本か立っている。いつものように、表コースから登り、裏コースを降りてくることにして、右の道に入る。右手に松林があったりするが、ほとんど松混じりの雑木林の快適な道である。 林越しに戸神山の双耳峰が見える。地図では、504mの戸神山しか名前が記されていないが、地元の案内道標では504mの男戸神山、470mの女戸神山となっていてわかりやすい。 Photo C 松混じり雑木林の向こうに戸神山の双耳峰。 (2013/5/2 6:30) 分岐から12、3分で休憩所がある。コの字に廃されたベンチ代わりの丸太は多少朽ちかけているが、立派な休憩所である。休憩所は雑木林と杉林のちょうど境目にあって、ここから杉林に入っていくのである。タチツボスミレ(上左)、ナガハシスミレ(上右)、エイザンスミレ(下左)、スミレサイシン(下右)。 雑木林ではタチツボスミレとナガハシスミレばっかりだったが、杉林にはエイザンスミレとスミレサイシンが咲いている。まだ若いが、あちこちでヒトリシズカが花穂をのぞかせているし。ヤブレガサもまとまって芽を出している。ほんの少しだったが、白花のイカリソウが蕾を持っていた。この白花イカリソウは日本海側に自生すると図鑑に紹介されているが、この辺では平地に近い方に紫花が多く、山が奥まると白花が普通に咲いていて、そんなに珍しいわけではない。 ユウシュンランをしばらくぶりで見た。山道を歩き始めてすぐの白い花を付けていた木イチゴの根元に咲いていた。若いころ、野生の蘭科の花が見たいだけの山歩きを熱心にしていたことがあって、そのころは特に珍しい花ではなかったが、最近はあまり目にしていない。小さな蘭で、その気になってみないとなかなか見えないのかも知れない。ユウシュンラン(上左)、ヤブレガサ(上右)、イカリソウ(白花)(下左)、ヒトリシズカ(下右) 杉林の中に「水場」がある。石の間からわずかに滴っている。斜面が少しきつくなるあたりから杉林が雑木林に変わる。下草のほとんどない、雑木もまばらな明るい開けた感じの斜面である。その斜面をまっすぐ双耳峰の中間の鞍部に上がる。 Photo D 男戸神山と女戸神山の鞍部へ。 (2013/5/2 6:57) この鞍部から左は戸神山への道、右は女戸神山への道である。案内道標には記されていないが、鞍部尾根をそのまま突っ切って越えるような道がある。人があまり利用しない道らしく微かな踏み跡の道だ。私はいつもこの道を利用して裏コースへ下っていたのである。 女戸神山には行ったことがないので、まずは右に道を取った。緩やかな尾根道を7、8分登れば女戸神山の頂上である。その頂上から西に下る道があって、案内標でそれが本当の裏コースだということを初めて知った。 Photo E 女戸神山の頂上。 (2013/5/2 7:05) 女戸神山の頂上からすぐに引き返し、戸神山に向かう。道々、イオがおやつをねだるので、ときどきはやろうと思うのだが、用意してきたおやつを食べようとはしない。小袋に分けられていて山歩きに便利だろうと、安いものを見つけることに夢中な妻が珍しく「ちょっと高いのよね」と文句を言いながらわざわざ買ってきてくれた「シニア犬用」のおやつである。それをやると口には入れるのだが、ペッと吐き出す。食わず嫌いのある犬なので、いったん食べさせてしまえばと思って強引に口に入れると、私から見えない方の口脇から吐き出す。 そんなやりとりをしながら下ってきて先ほどの分岐を過ぎるとすぐに急坂が始まる。「熊落ち坂」と呼ぶらしい。ここからは「おやつ」についてのやりとりはしない。 Photo F 戸神山頂上への急坂、「熊落ち坂」。(2013/5/2 7:11) 坂路脇にはずっとロープが張ってある。確かに急で息が切れるが、ものの10分ほどで頂上である。頂上について、「やった。やった。」とイオを褒めながらおやつを出したが、そんな勢いにごまかされることなく、やはり吐き出すのである。(続く)
2013.05.02
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