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今日の日曜昼デモは午後2時からなのに、大幅に遅刻して2時25分に着く。最後列のベンチに座って15分ほど、デモが出発しようというときに堪えきれなくて退散した。若いときから私の属性の一つになっている過敏性大腸炎である。 だから、これはデモをしない脱原発デモのブログになる。デモについては書くことがないのである。 梅雨空なのに人は多い。 (2013/6/30 14:27) 昨日は、白石市小原温泉での1年に1度の集まりがあって、温泉宿に宿泊した。予定の決まった数ヶ月前から、翌日には七ヶ宿ダム上流、県境の山のどれかに登ろうと決めていた。 数日続いたぐずぐずした天候、起きてみれば雨はふっていないが周囲の山はすっかり濡れきっていた。 山歩きは諦め、早々に自宅に戻り、家族の昼食を用意し、デモに出かけようとした頃からお腹に変調が現れ始めたのだ。 ここ数週間、1週に1度山歩きをして、また1週に1度デモで街を歩く。今の私はデモくらいでしか街に出ないが、1週に1度ずつの山と街、いいペースだった。しかし、今日は山と街、同時になくなった。 時雨の雲にのって山また山に山めぐり 街また街に街めぐりするものはわたしのなかのどんな妄執の影なのであろう すでに極度に矮小化された記憶の全景のかなたからなにやらなにものでもないものの声がきこえてくる 渋沢孝輔「たまゆら 十一」部分 [1] 勾当台公園から急ぎ足で自宅に帰り着き、ひっくり返ってぼんやりしている。何もしない。「おこない」の「おこたり」とは思わないが、何となくがっかりしている。無窮から無窮につゞく、ながき日のけふのおこたり。わがいのちつひになすなく。おこたりにはてなばはてよ。爭はずものほしがらず、右の足左にもやらずおこたるはうつくしきかな。おこたるはいさぎよきかな。 金子光晴「おこたりの歌」部分 [2] 私の今が「いさぎよい」とはとても思えないが、悪い社会では「おこたり」が勇気ある決断であることもあるだろう。たとえば、先の戦争のさなかに日本で生きる時などには。 もう少し叙情的に「おこたり」をかばってくれる詩人もいる。 怠けることは うつくしい今を生きる 裸体のように死をすなおに受けとめる種子のように舌の上に光をころがそう木の下に影をえらぼう 嶋岡晨「永久運動」部分 [3] 私は、このような金子光晴や嶋岡晨の詩のフレーズを選び出して、何もしない日曜日の午後の時間を思わせぶりにやり過ごしている。エクスキュウズのようになって、かえって心の凹みが大きくなりそうだ。 開き直っているわけではないだろうが、次の句のような勁い感情が大切だ、きっと。 暗愁の春過ぎて夏そして何 佐藤鬼房 [4] [1] 『渋沢孝輔全詩集』(思潮社 2006年)p. 302。[2] 『金子光晴詩集』(創元社 昭和26年)p.257。[3] 『嶋岡晨詩集 永久運動』(思潮社 1964年)p.18。[4] 『現代俳人文庫10 佐藤鬼房句集』(砂子屋書房 1999年)p. 90。
2013.06.30
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(続き) Photo G 「道がないよ!」 仙人沢の源頭。 (2013/6/24 7:46) 尾根道は次第に右手に尾根を持つ山腹の道になり、さらに沢に向かって降っていく。そこは仙人沢の源頭なのだが、沢の向こうに道が見えない(徒渉点5)。イオが困って後を振り向いている。 沢を7、8mほど下ると対岸に道が見える。じつは必要な場所には赤い(色褪せてピンクだが)布が木に括り付けられていて、見落とさなければ心配はないようだ。 Photo H この沢が登山路。(2013/6/24 7:53) 仙人沢の源頭を渡った後の道は、人の踏み跡が残らないような沢道だ。イオには道に見えないらしく、少し戸惑っているようだ。突然、支沢が分かれたりするが、ここでも赤い布が過不足なく目印となっていて迷うようなことはない。 ゴロタ石の沢道は歩きやすいわけではないが、このあたりにはまだショウジョウバカマが咲き残っていて目を楽しませてくれる。 左手に真っ黒な泥道の急斜面があらわれて4、5mを這い上がると、もうそこは背丈ほどの笹原のダンゴ平である。道脇には濃淡の紫のハクサンチドリがたくさん咲いている。 Photo I ダンゴ平出合いから見る前山、仙台神室岳。(2013/6/24 8:03) 道は三叉路となって、左手の山形神室岳と右手の仙台神室岳を結ぶ道に出合う。ずっと木下道を歩いてきたので、日射しが気持ちよい。東の方向には登山路がはっきりと刻まれた前山、その後にこれから登る仙台神室岳が逆光で黒い姿を覗かせている。 左:ハクサンシャクナゲ、右:マルバシモツケ。 1230mほどの前山の頂上も眺望がよいが、ここでは白い花を咲かせているハクサンシャクナゲに目が引かれる。近くの雁戸山にはピンクのアズマシャクナゲが咲いていたが、ここではピンクの花は見えない。隣の山形神室岳では咲いているシャクナゲを見ることができなかった。シャクナゲの木はたくさんあるが、どれにも花が着くというわけではないらしい。 Photo J 前山からの仙台神室岳。(2013/6/24 8:22) 前山から見る神室岳は、やはり逆光で黒々と聳えている。これから頂上直下の急坂に喘ぐのである。ここの急坂は粘土質の道で滑りやすい。足がかり、手がかりが少ないのだ。上りは這うように登れるが、下りが心配になる道だ。 左:ハクサンチドリ、右:コケモモとゴゼンタチバナ。 息を喘がせてのぼれば、そこにはマルバシモツケがたくさん咲いていたし、群生するゴゼンタチバナの中からコケモモが顔を覗かせていたりする。 Photo K 仙台神室岳頂上。(2013/6/24 8:49) 予定よりだいぶ遅れて、8時49分の頂上着である。登山口の案内看板には「仙人沢入口-ダンゴ平 150分」とあった。20分のロスを除いて、実際には140分を要した。ダンゴ平-頂上は45分ほどかかったことになる。 遠く南の雁戸山、熊野岳には雲がかかり始めている。太平洋側は曇り、日本海側は晴れである。笹谷峠に斎藤茂吉の歌碑があったが、この地にちなんだ歌が他にもある。 はかなかるわれの希ひの足れるがに笹谷峠のうへにゐたりき [1] うつせみの胸戸ひらくわがまえに蔵王は白く雁戸ははだら [2] 蔵王のぼりてゆけばみんなみの吾妻の山に雲のゐる見ゆ [3] 白雲は湧きたつらむか我ひとり行かむと思ふ山のはざまに [4] 蔵王山に斑(はだ)ら雪かもかがやくと夕さりくれば岨ゆきにけり [5] 頂上で遅い昼食である。イオはイオの、私は私の弁当を食べる。相変わらずイオは私の弁当の方が気になるらしいが、ほぼ完食する。雁戸山、山形神室岳から3回続けて完食というのはイオには珍しい。食欲があるのはいいことだ。ご褒美に甘いクッキーを少しやる。 食事をしていると夫婦連れ(たぶん)の登山者が頂上に着いた。女性が大きなザックを背負って先に到着し、その3分1ほどの荷物を背負って息をハァハァ言わせながら男性が5分ほど遅れ到着した。高速「笹谷IC」付近から歩いてきて仙人沢コースを登ってきたのだという。 少し離れて休んでいるお二人に挨拶して、9時30分過ぎに下山をはじめる。下りには不向きな悪路のことを考えれば、下山路に仙人沢コースを取るのは賢い選択ではない。 仙人沢コースを上り、山形神室岳-トンガリ山-ハマグリ山-笹谷峠と周回するコースを勧めている登山書もある。ただ、そのコースでは笹谷峠から仙人沢入口まで炎天の舗装路をイオが歩く羽目になりそうなのだ。犬は炎天のアスファルト道路に弱い。 舗装路をバイパスする山道が地図には記載されている。しかし、笹谷峠付近で数回探したのだが、未だにその道を発見できていないのだ。 とにかく、仙人沢コースを下るのである。頂上直下の急坂をそろそろと降り、ダンゴ平の下のゴロタ石の沢では転ばないように気をつける。つまり、時間さえ気にしなければたいしたことではないのである。 とはいえ、サワラ林の尾根からの急降下には苦労した。下りで登山者に出合う可能性が高いのでイオをリードから放せない。イオを4mの伸縮リードの範囲内でコントロールしなければならない。イオとすれば、4足で一気に駆け下りて行く方が遙かに楽なのである。 4mの範囲でイオに「待て」と言い、私がイオに近づくまで静止させておくのは意外に難しい。「待て」で待っているのだが、私が動き出すと自分も動いていいと判断するらしい。2度ほど4mを越えて宙づりになってから少し問題を理解したらしい。しかし、最後の岩の壁は途中で止まりようがない。イオを上に待たせておいてロープを伝って私が途中まで降り、イオが一気に駆け降りられるようにした。ところが、私の目測が間違って50cmほどリードが足りなくて、最後にもう1度、イオは宙づりになったのだった。 徒渉点4の仙人沢の上流200mほどの仙人大滝に行ってみることにする。ザックを置いて右岸の道を辿ると途中から沢の中を行くことになる。大きな倒木があって結構歩きにくい。 小さな沢の上に渇水で水量は少ないが、滝全体の構造は圧倒的である。写真には写っていない左右の岩壁は大きくハングオーバーしている。真下からはとても写真には収めきれないのである。かといって、離れれば狭い谷の両岸に隠れてしまう。 Photo L 渇水の仙人大滝。(2013/6/24 11:24) 3つの急斜面を無事に降り終え、仙人大滝も見た。あとはひたすら歩くだけである。下山路では何人かの登山者と出会うだろうと思っていたが、まったく出合わなかった。午前中に、仙人沢コースを登ったのは3人と1匹だけのようだ。 ゆっくり歩こうと心がけていたせいか、ほとんど疲れを感じない。年齢相応の歩き方というものがあるのだろう。そんなことを思いながら歩いていると、どうもイオの様子がおかしい。歩いている私の前に回っておやつをねだるのだが、後ずさりするとペタンと座り込んでしまう。後ろ肢に力が入らないらしい。 家に帰り着くと、イオは左の後ろ肢をほとんど動かさなくなった。家族みんなでああだこうだと心配したのだが、次の朝には、いつものように散歩に出かけ、いつものように普通に歩いていた。 イオの症状はひとまずはおさまったものの、次の山歩きが心配なのである。[1] 『斎藤茂吉句集』山口茂吉/柴生田稔/佐藤佐太郎編(岩波文庫 2002年、ebookjapan電子書籍版)p. 232。[2] 同上、p. 230。[3] 斎藤茂吉『歌集 赤光』(新潮文庫 平成12年)P. 210。[4] 同上、P. 109。[5] 同上、P. 55。
2013.06.24
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6月4日に雁戸山、6月10日に山形神室岳と同じ笹谷峠の駐車場から登った。ものはついで、次週はさらに隣の神室岳(仙台神室岳)に計画を立てていたが、天候に恵まれなかった。多少の雨なら登山できるとは思うのだが、退職後の今こそ良い条件だけで登ることにして、もう無理はしないのである。 1週間延期した今日は快晴である。いつもより早めに家を出た。今日の仙人沢ルートの出発点は旧笹谷街道の中腹で、駐車スペースが1台分しかないのだ。少し離れた場所にも駐車スペースがないわけではないが、どっちみち早く目が覚めるのでさっさと車に乗り込んだのだ。 さすがに今日の出発は早い。5時20分の歩き出しだ。仙人沢コースを往復する予定なので、連れ(イオ)の水場には困らない。それでも頂上近くの暑さ対策にイオ専用の氷水魔法瓶は用意してある。 Photo A 仙人沢。小滝の上流で左岸に渡る。 (2013/6/24 5:34) 沢沿いの斜面をトラバースする道は細かなアップダウンが続いてけっして歩きやすいわけではないが、ほとんど高度を稼がない。右手下方の沢音を聞きながら15分ほどで道は仙人沢を渡る(徒渉点1)。 歩き始めはいつも興奮状態のイオが、張り切って沢を渡るが、そこはその辺でたぶん1番深くて、途中から大慌てで対岸の大きな石に飛びついた。前肢で石にぶら下がり、腰から下は水の中。2mほど上流を渡ってイオを引き上げる。私は靴底をぬらすだけの渇水だというのに。水が嫌いなので、ちょっとの深みでパニクるのだ。 仙台神室岳Map。A~Lは写真撮影ポイント。地図のベースは、 「プロアトラスSV7」、歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」 によるGPSトラックデータによる。(谷底、岸壁の下では誤差が大きい。) 沢沿いの林内には花が少なく、5枚の大きな掌状の葉で丈の高いヤグルマソウの白い穂咲きの花だけが目立っている。所々にミヤマカラマツも咲いているが見落としそうになる。 左:ヤグルマソウ、右:ミヤマカラマツ。 沢の左岸を10分ほど辿ると再び右岸に渡る(徒渉点2)。そこから4、5分で小さな滝が見えてくる。 Photo B 小さな滝。(2013/6/24 5:48) この小さな滝の上流で右岸に大きな支沢が合流する。トンガリ山付近から流れて来る支沢だ。2週間前トンガリ山付近の尾根から覗いたときにはこの沢には残雪がたっぷり残っていた。 Photo C 右岸からの支沢と仙人沢の間の斜面へ。(2013/6/24 5:51) 登山道は仙人沢とトンガリ山からの支沢に挟まれた斜面に続いている。合流点の下で左岸に渡り、ふたたび仙人沢の右岸に渡って登山道に取り付く(徒渉点3)。道はふたたび仙人沢の右岸をへずるように進む。道を塞ぐような倒木に10cmもある大きなナメクジがいて驚くが、イオはまったく気がつかない。犬は動きを見るので、ナメクジは石と一緒なのだ。 徒渉点3から15分ほどでまた仙人沢を左岸に渡る(徒渉点4)。ここから200mほど上流に仙人大滝があるという。下山時に体力に余裕があれば、大滝を見に行くことにして、通過する。 沢を渡ってすぐに斜面に取り付き、沢に平行に走る急峻な尾根に上がる。 Photo D サワラ(アスナロ?)林の尾根道。(2013/6/24 6:24) 尾根道はサワラの林である。私にはサワラとアスナロの判別はできないが、少なくともヒノキではない。 やや勾配はあるが、快適な木の根の階段道が続く。狭い尾根を進んで行くと「北蔵王縦走コース」という赤い標識があって、道は尾根から右手に離れて下っていく。ただ。今まで歩いて来た道はまっすぐ尾根を登って行くようにも見えるのだ。 たぶん、まっすぐに続く尾根道は登山道ではないと思いながら、これだけはっきりと道になっているのはこの先に面白いもの(こと)があるのでは、などと余計なことを考えた。行ってみることにした。6、7分登ると眼前に現れる大きな岩で道は途切れる。左右は切り立った崖で、けっして安全な道ではない。少し後悔して戻る。20分ほどの無駄である。 結局、尾根から離れる道は、迂回してふたたび上部の尾根道に取り付くためということがわかった。 Photo E 迂回路の最後。左の岩に取り付く。(2013/6/24 7:01) 先ほど行き止まりになった大岩の絶壁の下を通って東に進み、Uターンするように西へ進む。突然、道が消えている。少し慌てたが。左の岩にロープがぶら下がっていて、そこが道なのだった。ここからはふたたび尾根に上がるための急斜面である。 この急斜面をイオと繋がって登るには4mのリードは短いようだ。つまり、4mの範囲内に必ずしっかりした足場がないと危険なので、リードを外すことにする。さいわいとても早い入山だったので、まだ近くに人はいないと判断した。 Photo F 急斜面の上で心配顔のイオ。(2013/6/24 7:07) 10分もかからないで急斜面を上がれたが、恐るべき斜面である。下山するころには登山者も増えるだろうし、イオには十分な協力を頼むしかない。 両手を斜面に張り付けながら這うように登って行く私を、さっさと登って行ったイオが上から覗いている。私を心配していると思いたいのだが、さて本心はどんなやら、あきれてるのか、焦れてるのか、わからないのである。 落葉樹を巻き込んで根本が融合した2本のサワラ(アスナロ?)。 尾根道にはやはりたくさんのサワラの木があって、しかも下よりもずっと大木なのだ。2本のサワラの根が融合してしまって、間に挟まれた落葉樹(確証はないが、タカノツメという木に似ている)の根本が完全に埋まっている。上には3枚の複葉を持つ枝が普通に繁茂していて、抱え込まれた木も元気に生長しているように見える。(続く)
2013.06.24
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夕暮れどきに集う人々。 (AF-ISO800-2M、2013/6/21 18:45) 静かなスピーチ、激しいアジテーション。初夏の夕暮れどきの集会が進行する。熱意に満ちた演説に「そうだ、その通り」などと思いながら、若い頃のようにアジ演説に呼応してこぼれ溢れるようなエネルギーが沸き立つ感じはもうない。賛意は静かにわき起こる。この時刻には闇もまだ脚に絡まず、夜の訪れも、あこがれる昔の音楽のように、或いはなだらかな坂のように感じられる。 J. L.ボルヘス「見知らぬ街」部分 [1] 一番町も夕暮れどき。 (AF-ISO800-2M、2013/6/21 19:09)はやく来よはやく来よとぞたれか呼ぶ日暮れの街はしんそこ寒し 永井陽子 [2] 子どもの頃、夕暮れどきというのは寂しくて悲しい時間帯だった。鳥も虫もいなくなり、木も花も見えなくなり、そして友達もいなくなって一人で家に帰る頃合いだった。青年期には、1日が始まる朝は不安に満ちていて、夕暮れどきは時間をやり過ごすのに必死で、たいていは飲んだくれていた。老いて今は、1日を暮らし終えた夕暮れどきはとてもいい時間だと思えるのだ。たつぷりと皆遠く在り夏の暮 永田耕衣 [2] 夕暮れどきは一人でいる時間のイメージばっかりだが、今はデモの中の一人である。そして、大勢の人の中で、どうしたことか、今日は夕暮れどきの感傷なのである。 藤崎デパート前は明るい。 (AF-ISO800-2M、2013/6/21 19:12) 夕暮れのこの雰囲気をきちんと写し取れたらいいな、と思う。しかし、コンデジで写す写真で夕暮れの風景というのは、私には難しい。ISO感度を上げたり、下げたりはしてみるが、オートフォーカスのままで何の工夫もない、というよりどうして良いか分らないのである。 一番町の中を歩くときは、店々の照明に助けられるのだが、少し外れれば、手ぶれ、ピンぼけばかりになる。フラッシュをたけば、夕暮れなのにまるで夜景である。 青葉通りは薄暗く、ISO感度を上げてみる。 (AF-ISO1600-1M、2013/6/14 19:16) 夕焼けが赤いと、彼はまた愉しくなり、雲が出ると、彼の幸福の色も変わる。心も変わるときがある。 ウンベルト・サバ「詩人」部分 [4] そう、夕暮れは感傷的な時間帯と限られたわけではない。デモを歩いているということは、私(たち)は自らの「幸福の色」を変えようとしているということだ。そのために、その闘いのために、必要なら「心も変わるときがある」ということだ。 仙都会館前解散時にはフラッシュをたいて。 (AF-ISO1600-1M-FLASH, 2013/6/14 19:24) 暗さが増した街角でデモは終る。これから、少しだけビールを飲んだりしながら、夕暮れどきの仙台の街をぶらりぶらりと家路につくのである。仙台は小さき紫陽花の咲くところスーパーにホヤがごろりと並ぶところ 大口玲子 [5] [1] 『ボルヘス詩集』鼓直訳(思潮社 1998年)p.10。[2] 『永井陽子全歌集』(青幻社 2005年)p. 468。[3] 『永田耕衣五百句』(永田耕衣の会 平成11年)p.157。[4] 『ウンベルト・サバ詩集』須賀敦子訳(みすず書房 1998年)p.51。[5] 『大口玲子歌集 海量(ハイリャン)/東北(とうほく)』(雁書館 2003年)p. 154。
2013.06.21
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5月17日の朝日新聞・朝日歌壇に次の歌が選ばれていた(選者:高野公彦)。下北の原燃原発見下ろして安全無限の風車が回る (東京都)宮田礼子 風力発電の風車の支柱が折れるという事故のニュースがあって、風力発電にもそれなりのリスクはある。しかし、無人の野に建てられる風車では真下に人がいる確率はほとんどゼロに等しく、仮に人身事故が起こったにせよ、東電福島第1原発のリスクとは比べようがない。 風車のリスクを基準にすれば、原発1基のリスクは無限大であることは〈フクシマ〉によって事実として証明されている。原発を基準にすれば、風力発電の風車の「安全性」は無限大である。 原子力や放射線医学の専門家はしばしば「リスクコミュニケーション」が大事だという。しかし、彼らのリスクコミュニケーションとは口八丁、手八丁、加えて札びらの威力で「無知な大衆」に「安全である、危険はない」と信じ込ませる作業であるらしい。少なくとも、東大教授の島薗進先生の『つくられた放射線「安全」論』 [1] をよむかぎり、そうとしか思えない。 専門家の「安全信仰」と比べれば、上の歌に詠まれた「安全無限の風車」という歌詠みの眼差しがいかに正しく、信頼できるかは言うまでもない。左から主催者代表、司会者、初めての参加でスピーチをする人。 (2013/6/14 18:12、18:18) 定刻の午後6時を少し回り、いくぶん遅刻気味の私も何とか間に合うような案配でデモ前の集会が始まった。 いつものように、初めての参加者として、カソリック教会の人、反原発運動とボランティア活動で全国を回りながら宮城に住みついたばかりの若い人などがスピーチをした。 仙台市が東北電力の大株主だということに話題が及び、仙台市議の人が仙台市長に女川原発の廃炉を主張するように議会で働きかけたいと熱弁をふるったし、仙台から離れて活動している二人の女性の熱いスピーチもあった。 まっすぐ一番町に向かうデモ。 (2013/6/14 18:52) デモが一番町に入ると、先週から開催されていた大陶器市が今日で終るらしく、それぞれのテントは商品の片付けをしている。先週と同じようにここではコールを遠慮しながら歩くのである。 一番町、ブラザー軒のある路地前を行く。 (2013/6/14 19:00) 定禅寺通りから一番町に入り、広瀬通りに出る少し手前に「ブラザー軒」がある路地の前を通る。じつは、昨日ひさしぶりに菅原克己の詩を読んでいて、そこから高田渡の「ブラザー軒」に想いが及び、これまたしばらくぶりの高田渡の歌を聴いた。 「東一番丁 ブラザー軒」という歌い出しで始まる菅原克己の詩に高田渡が曲を付けて歌っているのだ。ブラザー軒の椅子に座った詩人が亡くなった父親と妹の幻影を追うという内容の詩で、次のようなフレーズで詩は終る。死者ふたり、つれだって帰る、ぼくの前を。小さい妹がさきに立ち、おやじはゆったりと。東一番町、ブラザー軒。たなばたの夜。キラキラ波うつ硝子簾の向うの闇に。 菅原克己「ブラザー軒」部分 [2] じつに静かな感情で亡くなった者たちへの哀惜を詠ういい詩だし、いい歌である。高田渡は歌うべき素敵な詩を選ぶ才能に恵まれたフォーク歌手だった。 菅原克己は宮城県亘理町生まれで、黒田三郎や吉野弘と同じように、辛い社会を優しい心でとらえ続けた詩人で、私としては次のような詩がとてもお気に入りなのである。もう会うときはあるまいと、それぞれ考えながらそれでも年に一度ぐらいは、などといたわりあって別れるむかしの人に会ってきた。二〇年目に、暗い八重洲通りで…… 菅原克己「むかしの人」部分 [3] 反原発デモの話が、菅原克己の詩の話題になってしまったが、これもいいことにしよう。デモは来週も、再来週も、その後もずっとあるのだから、今日はこのまま詩の話で終ることにしよう。 蔵王の、ぶなの森の、小径は良かったね。蛇や栗鼠があそんでいた。人がいないのにかえってにぎやかだった、あの木漏れ日の小径は。 菅原克己「蔵王の小径」全文 [4] 2週続けて蔵王連山の北の端の山を歩いた。木漏れ日の小径が賑やかだというのは、一人で山歩きをする人間には意外と共通する感覚かも知れない。 来週も山へ行こうと思っているが、梅雨時の天気予報は思わしくなく、雨天登山などは避けたい身にはまったく予定が立たないのだ。 さて、菅原克己も高田渡も亡くなってずいぶん時がすぎた。「東一番丁」もとうの昔に「一番町」と名前を変えられてしまっているが、ブラザー軒は昔のままで立派に残っている。 「ブラザー軒」。 (2013/6/14 18:00) [1] 島薗進『つくられた放射線「安全」論』(河出書房新社、2013年)。[2] 『菅原克己全詩集』(西田書店 2003年)p.78。[3] 同上、p.184。[4] 同上、p.28。
2013.06.14
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(その1からの続き) Photo F 二つの神室岳。(2013/6/10 7:36) 灌木の生えるトンガリ山の頂上を少し外れると見晴らしは良い。とくに、ここから見る神室岳は左右ともに切り立つ威容(異様?)を見せている。あの切り立つ斜面に登山道があるわけではないが、次回の登山予定が少し不安になるような形である。 Photo G 快適な尾根を行く。 (2013/6/10 7:37) 見晴らしの良い快適な尾根道が過ぎて、いよいよ頂上への登りに取り付く。少しずつ高度を上げていくと、道脇にはハクサンチドリやアカモノの花が現れる。この種の花を見つけると、「あぁ、山に登っているんだな」という実感がわいてくる。 左:アカモノ、中:ハクサンチドリ、下右:ミヤマオダマキ。 トンガリ山への登りよりは楽だが、やはり少しは喘いで、そして頂上である。頂上に着く直前に、念のためイオをリードに繋ぐ。先頭を登ってきたはずだが、他のコースからの登山者がいる可能性があるからだ。 Photo H 山形神室岳頂上。(2013/6/10 8:12) 頂上に着くと、予想通り誰もいない。さっそく記念(証拠)写真を撮る。この頂上も灌木が生えていて眺望は良くない。北側に刈払いの場所があって山形市を望むことができる程度である。 Photo I 雁戸山頂から南を望む。(2013/6/4 8:25) ザックを置いて仙台神室岳へ行く道を辿ってみる。急な下り道をすこし進むと神室岳方向の眺望が開ける。ここから見る神室岳は普通に登山できそうな平凡な姿である。左手に大東岳が霞んでいて、手前には糸岳が見える。 真夏の真っ盛りに糸岳に登り、イオが暑さにすっかりやられてしまって、木陰を辿りながら休み休み下山したことがあった。それ以来、イオの暑さ対策には気を遣うようになった。イオの先代、ホシという犬は大東岳からの下り、渇きに耐えかねて谷川へ降りようとして滑落したことがあった。ホシはその事故以来、強度の高所恐怖症に悩まされたのだった。 今日は氷詰めの魔法瓶を用意してきたのだが、薄曇りで過ごしやすく、せっかくの冷水をイオはたいしてありがたがっているようではないのだった。 頂上で朝食弁当をとっていると、私と同年齢くらいのご夫婦の登山者が到着した。私が歩き始めたころ、登山の準備をしていたご夫婦である。先にご主人が到着し、10分ほどして奥さんがやってきた。 お二人と少しばかり犬と花の話をして、私とイオは先に下山を始める。 Photo J 下って行く尾根道の向こうに霞む雁戸山、蔵王連山。 (2013/6/4 9:05) これから登ってくる登山者と次々に擦れちがうだろうと予想されて、下りではイオをリードから放せない。たいがいの登山者はイオを見て話しかけてくる。犬が山を登ることに驚く人が多いが、小さな愛玩犬ならいざ知らず、ほとんどの犬は人間よりも能力的に優れている。筋力、心肺機能に比べてとても軽いのだ。人間は筋力もないのに無駄に重くて、しかもそれを2本の足だけで支えて歩くのだから、4肢駆動の犬にかなうわけがないのである。 途中、両手にストックで登ってきたお年寄りがいて、イオを見て驚いたらしい。道を譲ってくれながら、「びっくりした。シロクマだど思ったど。山にシロクマはいねんだげどな」というのだ。 長いこと山登りをしながら、熊を恐れていたのだろう。人間以外の山の動物はみんな熊に見えてしまうらしい。よりによって、シロクマなのである。 二人ずれのご婦人にも擦れちがった。私と同年配か少し上のようだった。この二人は、先ほどのご老人とは大違いで、遠くから「おっ、ワンちゃんだ」と叫び、擦れちがいながら「おぉ、めんこいごど」と言い、ワシャワシャとイオを撫でていくのだった。概して、山の女性は逞しい。 Photo K トンガリ山北面のガレ場 (2013/6/4 9:36) 下りの尾根道では足が速い。給水休憩だけで降りてきた。山形神室岳山頂発8時55分、駐車場着10時30分だった。
2013.06.10
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期待に満ちてハコ乗り状態。(2013/6/10 5:38) 6月4日の雁戸山登山と同じ笹谷峠の駐車場に向かう。笹谷峠から南へと歩いて雁戸山へ登ったが、今日は北に歩いて山形神室岳に登るのである。 山形自動車道を笹谷ICで降り、旧道で高度を稼いでいくと、どんどん深くなる山に連れ(イオ)の興奮もどんどん高まるようだ。完全にハコ乗り状態になっている。 山形神室岳Map。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータ。 5時55分、薄曇りの駐車場を出発する。暑くなるという予報で、イオの体温調節のために今年初めての氷入り魔法瓶を持ってきたが、このまま、薄曇りが続いてくれれば助かる。 なにしろ、雁戸山コースと違って、今日のコースはほとんど尾根歩きで、イオが息をつける日陰はほとんどない。人間にとって快適な尾根歩きは、犬にはとくに素敵なわけではないのだ。 左:キンポウゲ、右:アズマギク。 歩き始めから急坂である。とにかく一気に尾根に登り、あとは尾根筋を辿る。登り口から満開のヤマツツジが次々と現れる。道の端、足下にはキンポウゲの光沢ある黄色が散らばっている。 Photo A アズマギクの咲く道。 (2013/6/10 6:29) 高度を少し稼ぐと、キンポウゲにアズマギクが混じってくる。急坂の高度に応じて、アズマギクの花がどんどん増えてくるようだ。この道は夏と秋に1度ずつ歩いたことがあり、夏のタカネナデシコが印象的だった記憶がある。 私のほとんどの経験では、たいていの場合、数本のアズマギクを見つけてありがたがっていたのだが、ここでは驚くほど無数のアズマギクが道ばたに連なっている。 左:タニウツギ、右:ツクバネウツギ。 急坂を登り終えると、これから歩く峰々が見通せるようになる。三角点のある1146.4m峰→ハマグリ山→トンガリ山→山形神室岳と辿って行く。体力に自信があった頃には、さらにその先、神室岳まで足を伸ばしたこともあるが、たぶん今の体力では限界ギリギリだろう。無理はしないで、山形神室岳から引き返すのだ。 Photo B 1146m峰から山形神室岳へのコース。 (2013/6/10 6:37) 案内書には1146.4m峰をハマグリ山と記しているものもあるが、1146.4m峰には三角点があるだけで、その先の小さな峰にハマグリ山の頂上標がある。また、神室岳を山形神室岳に対応させて「仙台神室岳」と呼び慣わしているようだ。 Photo C ハマグリ山、トンガリ山、山形神室岳が重なって。 (2013/6/10 6:58) 台地上の1146.4m峰の頂上付近は背丈より高い笹原で、特徴のない道ばたに三角点がある。笹原を抜けると、ハマグリ山の小さな峰が見える。1146.4m三角点から10分ちょっとでハマグリ山頂上に着く。 Photo D ハマグリ山頂上。 (2013/6/10 7:00) ハマグリ山頂上には枯れ木に手製の頂上標が括り付けられている。鉄板に「ハマグリ山/1.146M」とくり抜いた看板である。ハマグリ山の名の由来は知らないが、その下には本物のハマグリの貝殻をたくさん張り付けた板が置かれていた。 ハマグリ山からは規模は小さいがロープが用意された岩場などがある急坂を下る。フラットな鞍部を少し歩けば、長い登りである。トンガリ山の名の通りにここの登りはこのコースでは1番の難所であろう。 Photo E トンガリ山頂上。 (2013/6/10 7:31) コース1番の登りとは言え、ハマグリ山から30分でトンガリ山頂上に着く。ここはとくに見晴らしがよいわけではないので、イオの給水休憩だけで通過する。 上:ヤマツツジ。 下左:ガクウラジロヨウラク、下中:ムラサキヤシオ、 下右:ムラサキヤシオ?(葉にも紫が)。(その2に続く)
2013.06.10
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フクシマはあらゆる現在を禁ずる。それは、未来への志向の崩壊なのであって、そのために他の諸々の未来へと働きかけなければならないのである。 ジャン=リュック・ナンシー [1] ナンシーの『フクシマの後で』を読んだ。フクシマを語ることを哲学者の避けられない義務として引き受けた講演を基にした論考である。本は、フクシマ以前に書かれた「集積について」と「民主主義の実相」を加えた3部構成になっている。なかでも、〈68年〉以降の政治状況を民主主義の意味から論じている「民主主義の実相」は、私としてはとても興味深く読むことができた。 しかし、フクシマを哲学するとことはきわめて困難のことに見える。ナンシーは、マルクスの「貨幣=一般的等価物」とする考えを社会全般に拡大して「一般的等価性」を基本として考えようとする。そして、「結局、この等価性が破局的なのだ」 [2] と結論する。 このナンシーの言葉は、「象徴交換と死」を書いたボードリヤールが、いまやポスト・ポストモダンの世界が「不確実なものになったのは、世界の等価物はどこにも存在しないからであり、世界は何ものとも交換されないからだ」 [6] と述べるにいたったことと呼応しているようだ。 ナンシーは、破局的な等価性について次のように書いている。 アウシュヴィッツとヒロシマという二つの名に共通するのは、境界を越えたということである。それも、道徳、政治の境界でではなく、あるいは人間の尊厳の感情という意味での人間性の境界でもない。そうではなく、存在することの境界、人間が存在している世界の境界である。言いかえれば、人間があえて意味を素描し、意味を開始するような世界の境界である。実際、これら二つの企ては戦争や犯罪そのものをはみ出しており、それらがどのような意味内容を有しているのかは、そのつど、世界の存在からは独立した領野においてしか理解されなくなる。 [3] そして、フクシマは、アウシュヴィッツ、ヒロシマ・ナガサキに同列に加えられてしまったのである。フクシマもまた「諸々の名の極限における名となった」 [4] のである。 このような「極限における名」たちを前にするとき、ナンシーも触れている [5] ように、アドルノの次のような言葉を思い出さざるをえない。アウシュヴィッツ以後、詩を書くことは野蛮である。 テオドール・W・アドルノ [7] アウシュヴィッツについては、アドルノの言葉に私は納得する。しかし、ヒロシマ・ナガサキばかりではなくフクシマについてもたくさんの「詩」が書かれているのではないか。しかも、私(たち)はそれを野蛮だとはけっして思ってはいない(くだらない「詩」がたくさんあることとは話は別だ)。 アウシュヴィッツとヒロシマ・ナガサキ・フクシマのこの大きな差異は何に由来するのだろう。考えられることは次のようなことだ。ナチスに虐殺されるユダヤ人やロマ、共産主義者の存在は境界を越えた極限の名であるが、ナチスもまた人間が存在する世界のあらゆる領野を越えた極限の狂気(国家の狂気)であって、そのふたつの極限が存在する世界は、「意味を素描し、意味を開始するような世界」ではありえないだろう。 しかし、ヒロシマ、ナガサキ、そしてフクシマでは、〈ヒバクシャ〉という極限の名、極限の存在について語られるばかりで、その対極を共存させて語られることがないのではないか。大都市の上空で爆裂する原爆がどんな結果をもたらすか、人間は想像できる。その想像を超えて原爆投下を決断する戦争国家の狂気は、ナチスの狂気と完全に比肩しうるものである。 放射能汚染によって16万人が故郷を追い出され、残る人々もその日々を〈ヒバクシャ〉として生きなければならないフクシマが私たちの世界に間違いなく存在し続けているのに、「美しい日本」と言って憚らない政治(国家)の狂気、その原発を他国に売りつけ、「美しいトルコ」、「美しい◯◯◯国」を地球上に再生産しようとする狂気、フクシマそのものと私たちが暮らしているこの国家の狂気とを一つの世界として描ききる「詩」や「哲学」は存在するのだろうか。 デモ出発の準備。 (2013/6/7 18:36) もちろん、「詩」も「哲学」も必要だし、大切だ。だが、さしあたって、原発を廃棄させようとするデモは、かなり必然的に重要だ。 勾当台公園野音前はしばらくぶりの感じがする。先週は、たまたま年に数回しかない仕事で東京にいて参加できなかったし、先々週は昼デモの錦町公園で、さらにその前の週は東北大学北門前だったのだ。 今日は、少し参加者がいつもより多いような気がする。ふくしま集団疎開裁判や6月2日の東京の集会、国会包囲デモの報告などがあって、デモに出発である。 一番町に入ると、路上にたくさんのテントが張ってあって「大陶器市」が開かれている。定禅寺通りと広瀬通の間の一番町が会場になっていて、「宮城復興応援」と銘打って全国各地の窯元が出店しているらしい。 「大陶器市」のテント脇を粛々と。 (2013/6/7 18:52) 陶器市の区間はシュプレッヒコールを遠慮して静かに歩くが、広瀬通を越えれば、また声を張り上げるのだ。暖かくなると、デモも少しゆったり感が増す。寒さで縮こまる、というか緊張している感じが全くなくなるのだ。 気分のいい夕暮れ時の散歩なのである。 [1] ジャン=リュック・ナンシー(渡名喜庸哲訳)『フクシマの後で--破局・技術・民主主義』(以文社、2012年)(p. 65)。[2] 同上、p. 26。[3] 同上、p. 34。[4] 同上、p. 34-5。[4] 同上、p. 30。[5] ジャン・ボードリヤール(塚原史訳)『不可能な交換』(紀伊國屋書店、2002年) p. 7。[7] テオドール・W・アドルノ(渡辺祐邦、三原弟平訳)『プリズメンーー文化批判と社会』(ちくま学芸文庫、1996年) p. 36。
2013.06.07
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(続き) アズマシャクナゲ(遠くに蔵王連峰・熊野岳) 狭い尾根筋にはアズマシャクナゲ(色が濃いのでハクサンシャクナゲではないと思う)が美しいピンクを見せている。たくさん咲いているが、狭い尾根道なのでそばに寄れる木は少ない。足下にはイワカガミがまとまって咲いている。 しゃがみ込んでイワカガミの写真を撮ろうとしたら、イオが「なんだなんだ」とばかりに寄ってきて、しばらく調べるのだ。私が食い物でも見つけたと思ったのだろうか。 Photo F イワカガミを調べる。(2013/6/4 8:22) 何度かの上り下りの斜面は急で、助走を利用できないイオがジャンプしても上がれない大岩が2ヶ所ほどあって、前肢だけでぶら下がっているイオを押し上げたり、脇に抱えて這い上がったりして、ようやっと頂上である。 Photo G 雁戸山頂で記念のポーズ。 (2013/6/4 8:48) 頂上着が8時35分で、ここで朝食を取ると9時くらいになるので南雁戸山は諦めることにした。現時点では6時間くらいの山歩きが体力的に妥当だろうという判断である。 Photo H 雁戸山頂から南を望む。(2013/6/4 8:37) Photo I 雁戸山頂から南を望む。(2013/6/4 8:42) 雁戸山山頂は、実に眺望の良い場所である。南に蔵王連峰が望め、北には大東岳周辺の山々から船形連山(船形山から泉ヶ岳まで)が見通せる。写真に写っている峰々の名前を挙げてみると、それらの全てを登っているし、その目立つ峰の間の小さな山のいくつかも登っていることに気づく。 Photo J 登って来た(下って行く)尾根道。 (2013/6/4 9:12) 私もイオも朝食弁当を完食(私の弁当の肉の半分はイオの胃に収まったが)して、9時10分に降り始めた。 急坂の岩道をイオは軽快に飛び跳ねながら降ることができるのだが、人間はそうはいかない。両手を使い、そろりそろりと岩を降るしかない。4mのリードの限界を越えないように「待て!」を連発しながら降っていく。イオはそのノロさに明らかに不満そうだが、イオには登りで私に抱え上げてもらった恩義があるはずだ。遠慮なく待たせるのである。 Photo K 木の根道を戻る (2013/6/4 9:52) 尾根道が終り、東斜面の木の根道に入る。ここでもイオの足は速く、ときどき振り返っては、私を待っている。この木の根道は、体も神経もだいぶ消耗するようだ。 このあたりから何組かの登山者と行き会うようになったが、分岐から宮城コースに入るとまったく誰とも出会わない。ほとんどの人は私と同じように、山形コースを登るらしい。 分岐から宮城コースに入るとすぐ「有耶無耶関跡 雁戸山」と記した黒御影石の立派な道標がある。その少し先には遭難者の慰霊石碑もある。 そこから5,6分登ると古い避難小屋のある小さな草地の峰に出る。その草地に黄色い花が咲いていて、近寄ってみればタンポポなのであった。どんな種類のタンポポか分らないが、黄色のイングリッシュ・デージーといっても通用しそうな美しさなのである。 避難小屋からの下りのはじめは、やや滑りやすい粘土道で、2度ほど転んだ。いずれにしても緩やかな下りで、後半は歩きやすい快適な林の下道である。 林が開けて空が大きく広がるところで道はほぼ直角に左に折れる。地図に三角点が記されている場所だが、その三角点は細い木の丸棒に半分壊れた白い樹脂製らしいものがかぶせてあるだけだった。 三角点からの道はほぼフラットで、三つほどの空沢を渡ると八丁平に入る。道はいくつかに分かれたり出合ったりするが、「有耶無耶関」や「六地蔵」、「仙住寺跡」をめぐる散策路である。そのどれを辿っても駐車場への案内表示はしっかりとある。 八丁平の散策路ではヤマツツジとレンゲツツジが競うように咲いていた。笹谷峠まで登ってくる車中からは満開のタニウツギを見ることができたが、この八丁平のタニウツギはまだ蕾である。ドウダンツツジもまだ小さな蕾だけだった。 左:ムラサキヤシオ、中:レンゲツツジ、右:ヤマツツジ 6地蔵の内の4体ほどを眺めながら、駐車場に帰り着いたのは11時20分だった。
2013.06.04
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雁戸山(山形神室岳山頂から)。(2009/9/7 9:00) 雁戸山は蔵王連峰の北端の山塊である。健脚は、雁戸山、南雁戸山、名号峰、熊野岳、刈田岳と辿って行くらしいのだが、もちろん、私には無理である。仙台から東北自動車道に入って村田JCTから山形自動車道に入り、笹谷ICで降りる。そこから旧道を笹谷峠まで登り、高度を稼いでからの登山である。 雁戸山Map。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」、 歩行軌跡は、「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。 笹谷峠には大きな駐車場があって雁戸山や山形神室岳、仙台神室岳の登山口になっている。その駐車場の入口に斎藤茂吉の大きな歌碑がある。 ふた國の生きのたづきのあひかよふこの峠路を愛しむわれは 笹谷峠は昔日の交通の要所であったが最大の難所でもあった。特に冬の遭難者が多く、そのため仙台伊達藩によって笹谷峠付近に広がる八丁平に「仙住寺」が建立され、助小屋の役目を果たしたという。 八丁平には寺跡や六地蔵が残されていて、散策コースが網目状に広がっている。 雁戸山登山路は、この八丁平とそれに続く緩やかな長い道と最後の岩の急斜面からなっている。山形県側のコースを登って、宮城県側のコースを降って来る予定である。八丁平の高みに通信施設があって、そこに続く舗装道路から山小屋のところで右の登山道に入る。 Photo A 林の中の緩やかな登り路が続く。 (2013/6/4 6:52) 風の吹き抜ける具合によるのだろうか、2、3mの灌木の道から普通の林になり、また低い灌木林というふうに変化する。ムシカリの花がいたるところに咲いている。ときどき、アオダモの白い花が青空に映えていて美しい。 左:オオカメノキ(ムシカリ)。右:アオダモ。 いずれにしてもゆるやかな登り道だと安心していたら、目の前に大石だらけの急坂が現れた。気を引き締めて、足下を注意しながら登り始める。沢跡の道だと思いながらゆっくり辿っていくと、木が倒れていたりしてどんどん歩きにくくなる。 こんな悪路はなかったはずだし、登山人口から考えてこの悪路を放って置くはずがないと気づいた。道を間違えたに違いない。GARMINのGPSで位置確認をして地図と照らし合わせると微妙にずれている。地図の登山路がいつも正しいわけではないが、引き返すことにした。 先ほどの大石の急坂を下ってすぐ、左に折れる正しい登山路が現れた。まっすぐ登ってきて、目の前の急坂に気を取られてそのまま直進したのだ。その後の道は、やはり緩やかな登りである。 左:アズマギク、中:ミヤマカタバミ、右:ツバメオモト。 山形県の関沢からの登山路と出会うあたりも、快適な林の下道である。南に向かう道が少し左に曲って朝日に向かうように歩くと山形コースと宮城コースの出会い(分岐)に出る。登り始めからここまで1時間45分かかった。 念のため、7年前の秋に登った時の時間を調べたら1時間30分であった。緩やかな登りでは年齢の効果はそんなに現れないらしい。 Photo B 急斜面をトラバースする悪路。 (2013/6/4 7:47) 山形、宮城コースの出会いからの道は、急な東斜面を横切って進む。進行方向にはほとんどフラットと言えるが、傾斜している道を、横に生える木や根を越えながら歩くのはかなり消耗する。 連れ(イオ)にしても何度も何度もジャンプを繰り返さなければならないのだ。ときどき雁戸の峰が見通せるのが救いである。 Photo C わずかな残雪、イオの大好物。 (2013/6/4 7:51) 急斜面のトラバース道が終るころにわずかな残雪があった。イオはすかさず雪にかじりついている。犬は体温調節が人間のようにはいかないので難しい。しょっちゅう水を飲ませることと日陰で休めるように気を遣う。 ここで、だいぶ減ったイオの飲料ボトルにきれいな雪を掘り起こして満杯にしておく。もう少し暑くなれば、氷を詰めた魔法瓶の水を用意しなければならない。 残雪を跡にするとすぐ、「新山を経て山形市」という分岐に出る。そこから頂上までは、ほとんど急な上り下りの狭い尾根道である。 Photo D 狭く急な岩尾根を登る。 (2013/6/4 8:04) 雁戸山の名前の由来の1説に、大型の鋸である「ガンドウ」がその基だというのがある。遠目からは雁戸山、南雁戸山の双耳峰がそれに相当するのだろうが、実際に登ってみると雁戸山にいたる小さな峰々が鋸の歯の一つ一つに感じられて、より「ガンドウ」の実感が強い。 Photo E 眼下の山形市、遠くに月山と朝日連峰が霞む。 (2013/6/4 8:16) 鋸の歯の一つを登り終えて振り返ると、眼下に山形市が望める。右手遙かに月山が白く輝いているし、左手には朝日連峰が望める。(続く)
2013.06.04
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