全6件 (6件中 1-6件目)
1

あたしとしても色のついた夕方なんぞには叙述的であってきみのちょっとの留守のあいだはなんにもしていないのである 富岡多恵子「まだ帰らないでよ」部分 [1] 季節の移りは早い。日曜の昼デモのとき、次回の金曜デモは、遠くにかなかなの鳴き声を聞きながらきっと気分の良い晩夏の夕暮れ時の散歩になるだろうなどと、のんきなことを考えていた。 夕闇というよりもう夜である。「釣瓶落とし」などという古典的な比喩が思い浮かぶ。午後6時半がこんなに暗くなっているとはついぞ思わなかった。最近の夕暮れ時をどんなふうに過ごしていたのか、おのれの日々の暮らし方が疑われる。「なんにもしていな」かったというわけでもないのだが。 6時15分集合。やはり遅刻。(2013/8/30 18:26)公園が暗い分だけ人の姿が目立つ。(2013/8/30 18:30)今日はイベントの告知が多い。(2013/8/30 18:39) 最近、『エコ・デモクラシー』 [2] という本を読んでいる。「フクシマ以後、民主主義の再生に向けて」というサブタイトルが付いているが、フクシマ以前に書かれた本で日本での訳本の出版がフクシマ以後だったと言うだけである。 環境問題、生物圏の危機を扱った本なのだが、それを読むと原発問題はそこで述べられている様々な環境問題を超えてさらに生物圏の危機を拡大させていることが理解できる。 そして、その本が指摘している極めて重要な問題点は、近代が獲得した代表制民主主義という政治システムが地球という大きな生物圏の危機を解決することは不可能に近いということである。 著者は、その解決のために「エコ・デモクラシー」を提案しているが、それはハーバーマス流の熟議民主主義とも言うべきもので、代表制民主主義に代わるべき新しい民主主義でないのが少し惜しい感じがする本である。 人間が生きているこの地球上の生物圏へ向かうような眼差しを持つならば、原発問題にどう対処するかは議論の余地がない。フクシマ以前であっても、そのことに気付いている人はたくさんいた。夢に見るわれは抜け髪チェルノブイリ汚染地域の雨にまみれて 道浦母都子 [3] 〈何度も事故があるのに......〉いきいきと婚姻色に輝きて作動していむ原子炉の火は 道浦母都子 [4] 優れた歌人の鋭敏な感受性と確かな想像力がなければチェルノブイリからフクシマに辿り着けない、などということは絶対にない。私のような凡庸な人間の想像力でも、放射能の「雨にまみれ」る恐怖は鮮烈なものだ。国道4号(勾当台通)を超えるときはいつも長い信号待ち。(2013/8/30 18:55)一番町を行く。まもなく広瀬通。(2013/8/30 19:08) [1] 富岡多恵子「詩集 女友達」(思潮社 1964年)p.18。[2] ドミニク・ブール、ケリー・ホワイトサイド(松尾日出子、中原毅志訳)『エコ・デモクラシー -フクシマ以後、民主主義の再生に向けて』(明石書店、2012年)。[3] 『道浦母都子全歌集』(河出書房新社、2005年) p. 566。[4] 同上、p.516。
2013.08.30
コメント(0)

一雨きてほしくどうやらきそうなかなかな 荻原井泉水 [2] お盆を過ぎれば秋風が吹く、と仙台人はよく言う。今年は盆過ぎまで暑さが続いているが、今日はそんなに暑くはない。 デモ集合場所の錦町公園へ向かう途中、通り抜ける西公園では蝉が激しく鳴き交わしている。うるさすぎて、夕方遠くで聞こえる「かなかな」のような風情はない。 定禅寺通り、一番町を過ぎる頃、ぱらぱらと降ってきた。「一雨きてほし」いところだが今はまずい、と空を見上げたりしていたら、それっきりだった。もう始まっている錦町公園の集会。(2013/8/25 14:14) 今日も遅刻。公園の木々の間に集まっている人々が見える。木立の色、芝生の色で、何となく涼しそうに見える。みんなの後ろに回ってスピーチを聞く。いつもの立ち位置、最後部から。(2013/8/25 14:15) 陰っていた陽が、デモが出発する頃には少しずつ差し始めた。それでも日射しはそんなに強くない。水分補給の準備をしなかったが、心配なさそうな、そんな涼しさである。公道(定禅寺通り)でデモの列を待つ「脱原発カー」。(2013/8/25 14:43)「脱原発カー」に続いて出発。(2013/8/25 14:44) 先頭で横断幕を持って、「脱原発カー」に続く。そういえば、脱原発カーが先導するようになってからは、パトカーの先導がなくなった。パトカーと脱原発カーが等価な仕事(役割)をしているのだとは、とても思い至らなかった。後方には100人の元気なデモ隊。(2013/8/25 14:53)小さな小さな金蛇水神社(祭礼中)。(2013/8/25 14:59) 一番町に入ると金蛇水神社の幟がたくさん立っている。祭礼があるらしい。金蛇水神社はビルに張り付いた小さな神社である。若い頃、このあたりを毎夜のように酔っぱらって徘徊していたのだが、金蛇水神社の確かな記憶がない。人は記憶のなかにある街を愛するのであり、記憶が蓄積される街を愛するのだ。 三浦展 [2] 三浦展に逆らうつもりはないけれども、どんな記憶が蓄積されたのか、それによっては、愛したり、憎んだり、あるいはまた関心が消えてしまったりするのではないか。 ずっと暮らし続けていると、この街を愛しているのやら嫌っているのやら判然としなくなってしまうような気もする。 炎暑もおさまって人通りの多い一番町。(2013/8/25 15:00) 一番町は人通りが多い。一時期の暑さが治まったせいだろうと考えたりしたが、暑いさなかに一番町に出てきたことがない私には、比較すべき根拠がない。 仙台七夕の期間は例外としても、ずっと続いた炎暑の中でも毎日この程度の人出があったかもしれない。ポストモダンの時代の消費行動に向かう人々のエネルギーは、私の想像を超えているのだから。欅青葉、木陰の気分良さ。(2013/8/25 15:20) 一番町を歩いているうちにさすがに少しばかり汗ばんできた。青葉通りに入ると、欅並木の下を風が通り抜けていく。汗ばんだ体を心地よさが吹き抜ける。 とても気持ちがよくて、見上げる欅木立の緑も木漏れ日も少しばかり覗いている青空も、みんな格段に美しく見える。 これからは、こんなに気持ちの良い季節をデモしながら歩けるのだ。少し暑さの残る晩夏の夕暮れのデモ散歩も快適にちがいない。 [1] 荻原井泉水『現代日本文學大系95 現代句集』(筑摩書房 昭和48年)p. 479。[2] 三浦展『ファスト風土化する日本』(洋泉社 2004年)p.207。
2013.08.25
コメント(2)

109歳が墓参りに行くという。季候のよい春秋の彼岸にはよく行くのだが、最近は暑い盛りのお盆の墓参は避けていた。さいわい、ここ数日、朝晩の気温が20℃くらいまで下がっているし、今年は息子の手も借りられる。朝6時40分に家をでた。 できるだけ時間をかけないで墓参りをすませたいので、実際には散歩どころの話ではない。ここでは、以前にイオと私でのんびり散歩したときの写真を加えて、今朝の墓参りと「バーチャル散歩」のミックスのブログとした。 北山は仙台旧市街の北に連なる丘陵で、藩政時代からの寺院がたくさん並んでいる。北山霊園は、市街地の新寺小路や元寺小路にあった寺院の墓地を移して仙台市が開いた墓園で、北山の寺院群の西北端にあたる丘陵の北斜面にある。Photo A 北山霊園西口前の石仏、石碑群。(2009/5/13 10:24) JR仙山線北山駅から東南に坂を上がると北山霊園の西の入口で、そこには大きな石仏、石碑が並んでいる。霊園に入る道は丘陵の尾根で、墓地は左手の北斜面に広がっている。Photo B 北山霊園の西部。(2009/5/13 10:25)Photo C 北山霊園の中心部。(2013/8/16 6:53) わが家の墓は、市街地から移ったある寺の区域にあって、車が通れる尾根道のすぐ近くである。朝早く着いたので、墓近くの駐車区域には私たちだけだった。 私が義母の車から車椅子への乗降と車椅子移動の担当、息子がイオと水汲み、妻が墓の掃除と花の準備という分担である。途中の砂利道では車椅子は後ろ向き走行しかできず、義母はおとなしくがたがたと揺られている。イオと109歳。(2013/8/16 6:49) それぞれが線香をあげていると、義母が「届かない」とすこし怒り気味で線香を持つ手を震えさせていて、線香入れを近くにやってやっと満足。いつもは誰かが代理であげればよかったのだが、今日は念が入っている。Photo D 車道のロータリーには小さな石仏群。(2009/5/13 10:27) わが家の墓のお参りが終って記念写真。義母は少し疲れ気味で「笑って!」とお願いしても表情を変えない。 次は、輪王寺の墓園とそれに隣接する北山キリスト教墓地へ行って、知人の墓をいくつかお参りする。Photo E 「戦災死没精霊供養碑」。(2009/5/13 10:31) 南口から北山霊園を出るのだが、その手前に「戦災死没精霊供養碑」がある。太平洋戦争末期の昭和20年7月10日未明の大空襲で市街地12000戸が焼失、死者は1300人に上った。この碑は、その死者たちの霊を弔うためのものである。Photo F 北山キリスト教墓地(林の中まで続く)。(2013/8/16 7:11) 北山霊園を出て、輪王寺の裏手の道に入ると左手の斜面にキリスト教墓地がある。この墓地や輪王寺の墓地は北山丘陵の南斜面に広がっていることになる。じつは、イオは退屈しています。(2013/8/16 7:03) 義母も妻もクリスチャンで、キリスト教墓地の墓参は欠かさない。後をついて歩くイオは、ときどきお参りでストップするのが不満らしい。あちこち調べ回り、嗅ぎ回らなければ満足できないのだ。Photo G 輪王寺の本堂の屋根がのぞく。(2013/8/16 7:12) キリスト教墓地から輪王寺の墓地に入っていくと本堂の屋根が見えてくる。墓石群の間の細い坂道に入ると、イオが前に進まない。気になるニオイがあちこちにあるらしい。Photo H 輪王寺の三重の塔。(2009/5/13 10:38) Photo Gの墓を抜けると輪王寺の第2駐車場で、そこから三重の塔が見える。その裏手には、おおきな松の木々の間に墓地が広がっている。気分のよい散歩ができそうだ。Photo I 北山霊園の西部の墓地。(2009/5/13 10:39) 墓地から、南表の本堂に向かう途中に藩祖伊達政宗の三男竹松丸とその殉死者、政宗の正室愛姫の母親の墓がある。いわゆる「仙台石」という種類の石でもあろうか、風化が進んだ墓石が並んでいた。Photo J 輪王寺の本堂。(2009/5/13 10:50) 輪王寺は美しい庭園でも有名なのだが、たいてい犬連れである私はその庭園に入ったことがない。 本堂前から南にまっすぐ参道が下っている。参道脇には沢山の種類の木が混植され、小さなほこらがあったり、石仏が並んでいたり、最高の散歩コースになっている。 Photo K 本堂前から参道を見下ろす。(2009/5/13 10:50)Photo L 山門から参道を見上げる。(2009/5/13 10:54)Map A~Kは写真撮影ポイント(地図のベースはプロアトラスSV7)。
2013.08.16
コメント(6)

私の生れ故郷へ、イオと妻と墓参りに行ってきました。 そのブログはこちらです。 (2013/8/13 13:29)
2013.08.13
コメント(2)

おもひ栄え大暑無言の別れかな 佐藤鬼房 [1]念力のゆるめば死ぬる大暑かな 村上鬼城 [2] イヤな感じを抱きながら京都に出かけ、胃癌の摘出手術をする姉の見舞いに行ってきた。末期癌には至ってはいないものの、その1段階手前まで進んでいて、開腹してみなければ癌の摘出が可能かどうか分らないという宣告だった。なんとか摘出することができて、7時間半の手術は終った。最悪の事態のなかのさらに最悪の結果だけは避けられて、少しはほっとして仙台に帰ってきたのだった。 私が6歳の時、姉は東北の小さな農村を出て行った。同じ屋根の下で姉弟らしく暮らした記憶は私には少ない。姉は、横浜、清水、京都と移り、私は16歳から仙台で暮らしている。 そういえば、姉は仙台七夕を見たことがない。そして、たぶん、見ないままになってしまうだろう。冷麦に朱の一閃や姉遠し 秋本不死男 [3] 今日は、区役所に所用があって出かける。幼い頃、母親が作ってくれた冷たいうどんをなぞりながら「田舎そうめん」なるものを作って昼食として出かけることにした。母が作ってくれたうどんを姉と一緒に食べた記憶も、やはり私には残っていない。 区役所経由で遠回りをして七夕の街を少しだけ歩いてきた。 欅並木(定禅寺通)。 (2013/8/7 13:28)大いなる欅にわれは質問す空のもっとも青からむ場所 寺山修司 [4] 定禅寺通と国分町通のスクランブル交差点。 (2013/8/7 13:34)陽のあたるのはいいスクランブル交差点で 誰の足もとにも濃い影をおとしかなしみにも 陽があたる屋上のハトは人間をこはがらない回転木馬はいいアイスクリームはいい子供たち 老夫婦 うつくしいさうして かなしみにも陽があたる 吉原幸子「街」全文 [5] 仙台市庁舎。 (2013/8/7 13:37) 市庁舎の鐘が正午を告ぐる街逢ひたきはひとり逢へざるもひとり 永井陽子 [6] 中央通の七夕見物客が大通り(東2番町通)を渡る。 (2013/8/7 13:55)射的人形のように見しらぬ敵意を射ちおとしながらいずれはおれがおれであるためにまぎれて行かねばならぬこのひたすらな雑踏よ 石原吉郎「雑踏よ」部分 [7] 人の波の上、七夕飾り (2013/8/7 13:56)浄めらるるわが滅びこそ待つものか背にひろごる蕩尽の街 春日井建 [8] 竹の根元には伝統的な竹飾りが。 (2013/8/7 13:58)ありふれたシャツを着てなんでもない風景のなかを通りすぎることができたならきみは ほんのすこしだけこの世界を許せるようになっているならんで歩いている少女の衣装やしぐさに異和をかんじなくなったときからきみは雑踏のなかを誰かにぶつかることなく歩いてゆけるすると街は きのうまでのようにうそ寒い視線をきみに投げかけることなくどうにか生きてゆけるじゃないか とそんなふうに背中をたたいて風がすぎてゆくのである 坂井信夫「街にて」部分 [9] 古式に則った竹飾り。 (2013/8/7 14:05)ゆめにみる女はひとり星祭り 秋本不死男 [10] 近代はこんなふう?(中央通と一番町の交差点)。 (2013/8/7 14:01)やさしさはおとずれるものだたぶんふいにある日の街かどのある時刻にであいがしらにわしづかみにされる逃げ場のない怒りのようなこのやさしさ 石原吉郎「やさしさ」部分 [11] [1] 『現代俳人文庫10 佐藤鬼房句集』(砂子屋書房 1999年)p. 70。[2] 『現代日本文學大系95 現代句集」(筑摩書房 昭和48年)p. 29。[3] 『わが愛する俳人 第四集』(有斐閣 1979年)p.161。[4] 『寺山修司全歌集』(講談社、2011年) p. 298。[5] 『吉原幸子全詩 I』(思潮社 1981年)p.353。[6] 『永井陽子全歌集』(青幻社 2005年)p. 609。[7] 『石原吉郎全集 I』(花神社、1979年)p. 309。[8] 春日井建『歌集 水の蔵』(短歌新聞社 平成12年)p. 103。[9] 『アンソロジー坂井信夫』(土曜美術社出版販売 20001年)p.32。[10] 『わが愛する俳人 第四集』(有斐閣 1979年)p.175。[11] 『石原吉郎全集 I』(花神社、1979年)p. 341-2。
2013.08.07
コメント(7)

今年の仙台の梅雨はなかなか終らない。もう少し長く続けば典型的な「ヤマセ」で、昔なら冷害・飢饉となってしまう東北・太平洋岸の特徴的な天候だ。 梅雨寒が続く仙台の最高気温が25℃を超える日はほとんどない。早朝散歩の時などは寒いくらいである。そのせいか、この1ヶ月で3回ほど熱を出した。たいしたことにはならないが、よく風邪を引くのである。一昨日と昨日も微熱に悩まされていた。 昨日の天気予報では今日は1日中曇りで雨は降らないということだったが、出がけに確認すると20時頃に1mm程度の降雨の予報に変わっていた。 家を出るときは曇ってはいたが降ってはいなかったのに、歩き出して5分もしないうちに小雨になった。折畳み傘を出したが、次第に雨足は強くなり、ズボンの裾が濡れてきた。それに少し寒い。少し不安になってくる。 風邪が心配で引き返そうかと思い、雨の中をこんなに歩いてきたのにもったいないと思い直したりしながら歩く。 いつも遅刻しているのに、今日に限って時間前に南西口から錦町公園に入った。しかし、雨の公園にはどこにも人の集まりが見られない。少し、不安になってネットで集合場所を確認するが、今日は間違っていない。 ドイツトウヒの大木の下で雨を避けながら待っていると、「みやぎ脱原発カー」がやってきた。それがいい目印になって公園のあちこちから少しずつ人が集まってくる。 雨天決行です。 (2013/8/2 18:21) いつもより参加者が少ないのは仕方がないが、意外に女性が多い。子供と一緒のお母さんもいる。心を定めた女性の意志は強固だ、ということは知っているつもりだが、ほんとに心強い。それなのに、私は帰ろうかどうか迷いながらここにやってきたのである。 後から見たら意外に人が多い。 (2013/8/2 18:22) 「雨天中止」などと言う声はどこからも出ずに、デモは始まった。私はいつものように集団の後方に立っていたのだが、先頭の横断幕を持つひとが足りないというので前に出て行った。 傘とカッパのデモでも、シュプレッヒコールはいつものように大きい。横断幕は雨に濡れて次第に重くなるが、その分だけピンと張っている。横断幕の真ん中を持っている私の足に濡れた横断幕が張り付いてズボンの前面に水が滲みてくる。 少し寒いと感じていたのだが、デモを歩き、大声を出していると涼しさが快適になる。やはり、私にはデモは健康法の一つになりつつあるようだ。 デモも終盤にさしかかって青葉通りに入ったころには雨は小降りになってきた。雨中の国会前デモを経験したことはあるが、仙台の金曜デモでは初めての雨の経験だった。 先頭を行く「みやぎ脱原発カー」(青葉通)。 (2013/8/2 19:11)
2013.08.02
コメント(2)
全6件 (6件中 1-6件目)
1