全3件 (3件中 1-3件目)
1

一昨日、特別秘密保護法案反対の集会・デモに参加できるようになるまでの10日ばかりの間、寝たり起きたりの体調不良の熱っぽい身ながら、退屈で暇をもてあましていた。 「原発ゼロ」を公然と主張し始めた小泉元首相の言動に、自民党は慌てふためき始めたし、郵政民営化を争う総選挙では小泉流のポピュリズム的政治手法に完璧にしてやられた日本のマスコミ・ジャーナリズムもおそらく右往左往するだろうと、この暇な時間をつぶせることを期待しつつ、そんなニュースを楽しみに待っていたのだった。 ところが、今頃になって新聞は特別秘密保護法の話題に集中しはじめ、「小泉原発ゼロ発言」の話題は遠ざけられてしまったようだ。遅きに失したとはいえ、新聞マスコミの特別秘密保護法反対の論陣はとても重要であって、まぁタイミングが悪かったと我慢するしかなかったのだ。Photo A 肴町公園(北西角から)。 (2013/11/23 14:02) 特別秘密保護法案反対の集会・デモではすこし疲れが出たものの、もう体調に問題はない。冬に入る前に、夏の疲れで1ヶ月ほど不調になるのはよくあることで、10日ほどですんだ今年はむしろ恵まれていたのだ。 それで、今日は脱原発デモである。月に一度の日曜昼デモを勤労感謝の日の休日に、肴町公園14:00集合、14:30デモ出発という案内である。Photo B 集会が始まる。 (2013/11/23 14:11) ここまで書いて来たら、甘利ナントカ大臣が小泉原発ゼロ発言を批判して「科学的技術が進んで放射性廃棄物の保管期間を短縮できるようになる」旨の発言をしたというニュースをテレビが流していた。科学的無知というよりたんなるホラ話である。 物理学的には、ある放射性同位元素に陽子または中性子を必要量だけ注入して安定同位元素に変換することは可能である。あるいは逆に、長寿命放射性同位元素に陽子または中性子を付加してより不安定な短寿命核種へ変換することも理論的には可能である。ただし、そのためには核分裂生成物としての多くの種類の放射性同位元素を分離したうえで、それぞれの同位元素に異なった核変換処理を施さなければならない。Photo C 肴町公園南側の道を一番町へ。 (2013/11/23 14:37) 最大の問題は、核反応断面積(核変換が起こる確率と考えてよい)が極端に小さいことだ。すべての放射性同位元素の核変換が済む時間は、おそらく半減期に応じて減衰するのを待つ時間と匹敵するだろう。つまり、想像を絶する費用をかけて核変換処理施設を建設して長期間の作業をすることは、何もしないで保管しておくことよりいいなどとはとても言えないのだ。 原子力村の御用学者でも今はそんなことは言いだしはしないだろう。甘利大臣の発言は、原発推進が科学的無知ないしは科学的知識の無視によって進められてきたことの典型的な例に過ぎない。人間がつくった人工物が「安全」で「絶対に事故は起こらない」と宣言した時点で科学は破綻していたのである。Photo D 一番町に入る。 (2013/11/23 14:41) 戦後思想の巨人であった吉本隆明も原発擁護発言をして多くの心ある人びとを落胆させた [1]。吉本は東京工業大学で化学を勉強した人だが、彼の原発擁護論のベースになっている科学観は50年ほど前の高度経済成長期の小学生が抱いたような純朴な「科学万能信仰」に似ている(もちろん、その時代の吉本はすでに名をなした詩人で文学評論家であったのだが)。そういう点で、新聞かテレビかは忘れたが、石原慎太郎という科学音痴政治家の原発擁護発言と吉本のそれがそっくりだったので驚いた記憶がある。甘利大臣が如実に示したように、科学に無知なほど科学信仰に走るのである。Photo E 快晴なのにアーケードの天井は閉まったまま。 (2013/11/23 14:42) とまれかくまれ、デモの話である。 ほぼ真四角の四辺に沿って樹木が植えられ、中央はあたかも集会のためであるかのように広場になっている肴町公園に、いつものデモくらいの人が集まっている。Photo F まもなく定禅寺通り。(2013/11/23 14:54) スピーチでは特別秘密保護法案に触れる人もいた。この法律が成立すれば、まっさきに原発関連の情報が秘密指定される可能性が高いということもあって、今日のデモでは「ヒミツホゴホウハンタイ!」と「ゲンパツジョウホウヲカクスナ!」というコールが加わった。Photo G 定禅寺通りの欅も葉が疎らに。(2013/11/23 14:57) コースは、肴町から一番町に出て北上し、定禅寺通りを左折して晩翠通りを通り、青葉通りから肴町公園に戻る周回デモである。いつものように仙台駅に近い仙都会館前解散だとばかり思いこんでいて、仙台駅で12月初めの旅行の切符を購入しようと予定していたが、次の機会に変更である。Photo H 晩翠通りの銀杏並木。(2013/11/23 15:05) もうすっかり秋も深まって、定禅寺通りと青葉通りの欅並木の中にはほとんどの葉をふるってしまった木もある。晩翠通りは銀杏並木で、黄葉は今が盛りだ。今年のギンナンは豊作らしく、知り合いのおじさんはせっせとギンナン拾いに精を出しているということだ。Photo I 青葉通りの欅はまもなく冬木の姿に。 (2013/11/23 15:19) 青葉通りに入って、すぐ左折して細い道に入ると肴町公園に出る。「肴町」というのは、伊達政宗が仙台に城を構えたときに随伴してきた商人によって作られた町で、いわゆる「御譜代町」の一つとされているが、この一帯は「国分町一丁目」、「大町一丁目」となっていて、おそらく「肴町」は公園名に残っているだけのようだ。Photo J 肴町公園の樹木が見えてきた。 (2013/11/23 15:24)デモコースMap。A~Jは写真撮影ポイント(地図のベースは「プロアトラスSV7」)。 [1] 黒古一夫『文学者の「核・フクシマ論」』(彩流社、2013年)。
2013.11.23
コメント(8)

二週間ほど寝込んだ。下痢で始まり、微熱が続いた。二週連続で「脱原発デモ」に参加もできず、熱っぽい頭でときどき本を読む。いのちなり露草の瑠璃蓼の紅螢籠われに安心(あんじん)あらしめよ今生は病む生なりき烏頭(とりかぶと) 不愉快な、碌でもない政治のニュースに苦しめられながら、気が弱ってしまったのか、波郷の句が身に滲む [1]。こんな気分の時に読む俳人ではないが、つい手にしてしまった。 体調を整えるために図書館に出かけたりした。ジグムント・バウマンの『コラレテラル・ダメージ』を借り出した。自民党政権(と大政翼賛的な公明党、みんなの党、日本維新の会)による特別秘密保護法案をめぐる愚劣なやりとり(愚かさが悪意に転化する典型的な例)が連日報道されていて、民主主義の衰弱、破壊へ向う現実を目の当たりにしているというのに、それに重ねるように、病める現代の民主主義の危機を読み解こうとする『コラレテラル・ダメージ』を読み始めたのである。 あまりにも愚劣な政治的現実に関わるより、その愚劣さの本質を読み解く社会学的論考を読んでいる方がたしかに私の性には合っている。だが、それだけではどうにもならない。デモにも出かけるのである。仙台市役所前広場。(2013/11/21 17:42) 愛読しているブログ記事で日比谷公会堂で「STOP! 秘密保護法 11・21全国統一行動」をやることを知った。「出かけたいが、ちょっと無理かな」と嘆いて、そのブロガーさんに「仙台でもやるかもしれませんから、無理をしないで」と慰められる。そんなやりとりをしているときに、仙台での集会とデモがフェイスブックで告知されたのだった。 かつて所属していた組合の旗も。(2013/11/21 17:49) 午後五時半、仙台市役所前の広場に行くとかなりの数の旗が並んでいて、そこには退職前に加盟していた組合の旗もあった。いつもの脱原発デモが100人前後なので人の多さに少しばかり驚いたのだが、もっともっと多くなくては、と思い直した。 スピーチが続くが、私にはよく聞き取れない。特別秘密保護法の意図はあまりにも明白で、いまさら細かな議論の必要なんかないと思っているせいか、スピーチが聞こえないのはほとんど気にならない。脱原発デモよりずっと長い列が一番町を行く。(2013/11/21 18:04) 国民に知られたくないこと、秘密にしなければならないことをたくさん抱える政治が、歴史的にはいつも非人道的な犯罪を冒してきたことは今さら言うまでもないことだ。とはいえ、いつか私はブログのどこかでこんなことを書いていたと思う。「私が歴史から学んだことは、人は歴史から決して学ばないということだ」。 歴史からなにも学ばず、ここでこの法案を通してしまったら、残念ながら麻生某が「ナチスに学んで……」と口走ったように、憲法改正まで進むプロセスを国民は知ることもなく、気がついたときにはナチスばりのファシズム国家、好戦国家ができあがってしまうだろう。 私たちは、いま、その入口に立っている。列が長すぎてコールがなかなか揃わないが。(2013/11/21 18:06) デモは、一番町を通り、青葉通りを左折して仙台駅へ向い、仙都会館前で流れ解散である。 さて、読み始めた『コラレテラル・ダメージ』に次のような一節があった。……私たちは長年にわたって、罪もないのにグアンタナモやアブグレイブその他の刑務所に収監され、秘密にされ、そのために相変わらず不運で、非人間的な状態におかれている囚人の存在を知っている。私たちがそのことを知っても、ときおり抗議のつぶやきが漏れるだけで、公然たる抗議につながることはめったになく、ましてや効果的な反対運動が起きることもない。私たち「民主的なマジョリティ」は、これらのすべての人権侵害が「彼ら」を対象にしたものであって、「われわれ」を標的にしたものではない、つまり、異なる種類の人間(「あなた方と私の間にいる彼らは本当の人間なのか?」)を対象にしたものであり、私たち普通の人間には、その影響は及ばないと考えて自分を慰めている。私たちは、ルター派の牧師でナチスの迫害の犠牲者であるマルティン・ニーメラー(一八九二—一九八四)が学びとった、次のような不幸な教訓を都合よく忘れ去ってしまっている――最初、彼らは共産主義者を連行したが、私は沈黙を守った。次に、彼らは労働組合員を追い回したが私は組合員ではなかったので、何も言わなかった。次に彼らはユダヤ人を追い回したが、私はユダヤ人ではなかった……そして次にカトリックを標的にしたが、私はカトリックではなかった……次に彼らは私を連行しようとした……しかし、そのとき、誰も私のために声を発しようとはしなかった。 [2] 文字通りに、「特別秘密保護法」が成立した後の私たちは、ニーメラーの経験をそっくりなぞるように生きていくしかなくなる。 もっとも、自分ではなにもものを考えず、権力の命ずるままに生きたいのであれば、「私を連行しようとした」ということにはならないかもしれない。それはあきらかに奴隷の生き方だが……。 [1] 『石田波郷句集 初蝶』(ふらんす堂、2001年)。[2] ジグムント・バウマン(伊藤茂訳)『コラレテラル・ダメージ ――グローバル時代の巻き添え被害』(青土社、2011年) p. 37-8。
2013.11.21
コメント(2)

気がつけば、みちのく仙台の秋はどんどん深まっていた。せめて一度くらい秋らしい感傷に浸るのも、季節の正しい過ごし方だろうに、いつのまにか晩秋なのだ。 右翼ナショナリスト政権の秋がこんなに息苦しく鬱陶しいものだとあらためて身に染みる。それはまず、日本語が人間が使う言語として世間で通用していないという言語的閉塞感にある。 よく日本語は論理的な言語ではないとしたり顔でのたまう人間がいるが、どんな言語でも同じように論理的であり、同じように非論理的である。非論理的な側面を強調する言語活動が目立つとすれば、その社会自体の問題である。 たとえば、東電福島第1原発事故は事故処理対応としてはほとんど水で冷やすだけで終っている。熔けた核燃料の行方すら分らない。雨が降れば降った分だけ放射能汚染水が海に垂れ流しである。つまり、東京電力は原発事故を処理する技術を持っていないのである。これを「コントロール下にある」と表現したら、言語体系は崩壊する。日本語を率先して意味不明言語(非論理的言語よりたちが悪い)にしているのは今日ただいまの日本の政治家たちである。 政府が汚染水対策の前面に出ると言っているが、これは完全な空念仏にすぎない。東京電力に処理能力がないということは、日本のどこにも、世界のどこにもそんな技術はないということだ。自民党政府がいくら空威張りしても、ない技術は権力や金ではどうにもならない。出来もしないことを出来るかのように大声で語る言語に信頼は生まれない。 「日本の原子力技術は世界でトップ」と宣言しながら、事故処理には世界の英知を集めるというこの典型的な論理矛盾。言葉が言葉として通用しないこの閉塞感に包まれて夏から秋を過ごした。そういうことなのだ。秋の暮行けば他国の町めきて 山口誓子 [1] 政治家の日本語は外国語に聞こえる。いや、そういう句ではない。やめよう。せっかく、詩歌で秋を味わおうという気になったのだから、鬱々となる政治の話は脇に置いておこう。真昼の月の下を荒れた道がつづいているのみであるときに一人の男が遠くからこちらへ近づいてきたりするそれだけのことで世界の秋は深くなってゆくように思われる孤独な道を歩いてくる男だけが高貴な冷たい戦慄を感じているに違いない 鮎川信夫「行人」部分 [2] 政治を志すものの中に「高貴な戦慄」を感じるような人間はいないのか、などと、どうも愚劣な政治のイメージから逃れるのは難しいらしい。せっかくの鮎川信夫がもったいない。野菊咲き満ちとんぼの貌を明るくす 金子兜太 [3]けふはけふの山川をゆく虫しぐれ 飴山實[4] これだ。やっとしみじみとした秋の雰囲気だ。この秋「けふはけふの山川」に出かけられなかったことが、私の今年の秋の問題だったのだ。稲にうつくし水ながれ美作一の宮参る 荻原井泉水 [5] この俳句はいい。繰り返し口ずさんでみる。リズムといい、音調といい、ざわざわするほどすばらしい。「美作一の宮」がどこにあるか、まったく知らないのだが、この一句によって「象徴界」の美しい秋の宮となる(無季自由俳句を唱えた荻原井泉水に「秋」を強く感じるのは多少皮肉ではあるが)。 さて、「現実界」に戻って「脱原発デモ」に行くのだ。 暗闇に司会者のドッペルゲンガー。(2013/11/1 18:11) 街頭が点灯しないまま、暗闇で集会が始まる。今月は反原発関連のイベントが多くて、告知が続く。山本太郎さんが秋の園遊会で天皇に手紙を手渡したことをスピーチで取りあげた人がいた。政治家やマスコミの反応に怒っているらしいのだが、よく聞き取れなかった。 山本太郎さんが天皇に手紙を手渡してから深々と最敬礼をしている姿を写真で見たが、この人は天皇を深く敬愛しているという印象だった。青年政治家が園遊会の立ち話では失礼に当たると考えて、手紙をしたためて原発事故をめぐる日本の現状を奏上したという図である。敬愛する天皇に日本の実情を知ってもらいたいという純朴で真摯な行いと私は受け取った。 私は母の胎内で太平洋戦争の敗戦日を迎えて戦後民主主義の息吹をたっぷり吸いながら育ったので、歴年の自民党政府の原発政策に断固として反対して反原発運動の先頭を走り、その強い思いで政治家になった青年が、天皇制に逡巡することなく深々と最敬礼している姿に、これほど深く天皇を敬愛していたのかと少しばかり驚いたのである(もちろん、「天皇制」と「天皇制イデオロギー」は峻別して考えなければならないけれども)。 政府の政策に強く反対する青年政治家が天皇を深く敬愛している。その事実に自民党などの右翼政治家、ナショナリストたちは感動して褒め称えるのかと思っていた。なんとかという文科大臣が田中正造と同じだと発言したと聞いて、山本太郎は田中正造のような歴史的偉人だと褒めたのだと思ったほどである。ところが、事態はまったく逆で、総掛かりで袋叩きにしようという魂胆らしい。 これはどうやら、たったひとりで反原発を訴え、政治の場を志し、国民の強い支持を受けて当選してきた青年政治家に対して、地盤にしがみつき、政党にしがみつき、金とおべんちゃらで這い上がってきた老醜政治家たちの「妬み」と「嫉み」が天皇を梃子として暴発したというのが正しい見方のようだ。これこそ「天皇の政治利用」そのものである。じつに醜い。街頭が点灯して。(2013/11/1 18:18)後の方の参加者が浮かび上がる。(2013/11/1 18:18) 集会の途中で街灯が点灯した。とても明るくなって、突然に人が湧いたような印象を受ける。 最後に茨城から参加した人が、福島の現状、福島裁判東京の検察審査会での審査などについて話した。「ここに参加している人はみんな知っていることだけれども......」と言い、この場からもっと広げることが大事だと強調されていた。そのとおりである。ベンチ最後部の住人(ホームレス氏)は今日も元気に。(2013/11/1 18:34) 野音の中央の列のベンチの最後部は、ひとりのホームレス氏の定位置になっている。集会には毎回参加しているが、残念ながらデモには参加しないのである。彼をひとり残して、デモは出発する。おとなしい一番町。(2013/11/1 19:00)賑やかしの一番町。(2013/11/1 19:04) いつものように一番町を行くと、途中からブルーのイルミネーションが両サイドに輝いている。クリスマスにはまだ早いような気がするが、年末までこのままなんだろうか。植木に飾り付けたイルミネーションは、年末の一時期ならまだしも、そんなに長い間では植木も生き辛いのではないか。そんな心配をしてみる。 憂鬱払いに、秋の詩歌を読み出してみたのだが、秋というのは景色ばかりでなく、人事もまた思い深いものがある。私にはほとんど人事がらみの出来事というのはなくなってしまって、これも詩歌の世界だけで味わうことになったようだ。行く我にとどまる汝に秋二つ 正岡子規 [6]おくられつおくりつはては木曾)の秋 松尾芭蕉 [7] [1]『季題別 山口誓子全句集』(本阿弥書店 1998年)p. 260。[2]『鮎川信夫全詩集 1945~1965』(荒地出版社 1965年)p.142。[3]『金子兜太集 第一巻』(筑摩書房 平成14年)p.82。[4]『飴山實全句集』(花神社 平成15年)p. 164。[5]『わが愛する俳人 第二集』(有斐閣 1978年)p.59。[6]『子規句集』高浜虚子編(岩波文庫 2001年、ebookjapan電子書籍版)p. 155。[7]『日本の古典 54 芭蕉句集』(小学館 昭和59年)p.93。
2013.11.01
コメント(8)
全3件 (3件中 1-3件目)
1