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日が少しずつ長くなってきたし、ほんとうに暖かくもなってきた。昨日は大雪の名残の雪が急激に減って、広瀬川がいくぶん増水していた。今朝もまったく寒くなくて、軽めの散歩用の服を探すのに手間取って、待ちかねてイライラしている犬に何度も吠えられた。 デモのために家を出たときはけっこう明るかったのだが、勾当台公園野音前についた時にはすっかり暗くなっていて、春らしい夕暮れのデモになるかなという期待もあっさり凋むのだった。日が長くなったとはいえ、まだ……。 (2014/2/28 18:15)「みやぎ割烹着ーず」の初披露。 (2014/2/28 18:21) 集会では「みやぎ割烹着ーず」という音楽隊の結成されたことが紹介され、コーラス曲で初めての披露があった。コーラスで歌われたのは、ラブ・ミー・テンダーの替え歌で、亡くなった忌野清志郎が反原発ソングで歌ったものらしい。 家に帰って、ユーチューブで忌野清志郎の歌を探して見た。少しばかり歌詞が違うようだった。 「放射能はいらねー」 (ラブ・ミー・テンダー) 作詞:忌野清志郎何言ってんだー、ふざけんじゃねー核などいらねー何言ってんだー、よせよだませやしねぇ何言ってんだー、やめときないくら理屈をこねてもほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ放射能はいらねえ、牛乳を飲みてぇ何言ってんだー、税金(かね)かえせ目を覚ましなたくみな言葉で一般庶民をだまそうとしてもほんの少しバレてる、その黒い腹何やってんだー、偉そうに世界の真ん中でOh my darling, I love you長生きしてえなLove me tender, love me trueNever let me goOh my darling, I love youだまされちゃいけねぇ何やってんだー、偉そうに世界の真ん中でOh my darling, I love you長生きしてえな夜デモらしく……。(2014/2/28 18:36)大雪の名残も消えかかって。(2014/2/28 18:48) 先日の日曜デモで一番町を歩いたときは、雪かきあとの残雪がたくさん残っていたが、もうほとんど溶けてしまっている。一番町を通り過ぎる頃に吹いてきた風は少しひんやりとしていた。二日ほど続いた暖かさも終って、寒さがぶり返す気配がした。みんなの服装はまだまだ冬。(2014/2/28 18:56)目を引く手作りプラ。(2014/2/28 18:56) 反原発ソングといえば、ライブの告知もあった。2月7日のデモのとき、浅野隆博さんからの紅次郎さん『PROTEST SONGS』という音楽CDを頂いたが、その紅次郎さんの仙台ライブが5月に予定されている。計画を練っていた浅野さんがいよいよ具体化したのだ。紅次郎ライブin仙台音楽の力で脱原発と反戦、反貧困を訴えたい! 日時:2014年5月17日(土)19:00開演場所:ライブ・バー「カフェ・ド・ルシール」(仙台市青葉区国分町3丁目)主催:紅次郎ライブin仙台実行委員会https://readyfor.jp/projects/benisen
2014.02.28
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私の講演はキャンセルされた。私がインドに帰ってから数日間、福島からの放射能が風に乗って東京に降り注いだ。放射能の広がりは六〇〇平方キロに及ぶ。それはチェルノブイリのそれに匹敵すると公表された。それでも原子力業界は結託して悪いニュースを知らせまいと、原子力エネルギーが唯一の未来だと信じ込ませようとしている。 こうしてこの小さな島国は苦しみの円環を完成したのだ、戦争中も平和なときも、私たちの想像力が核によって摩滅してしまったために。人間の愚かさ、それが異なるデザインの海に囲まれた島で、ふたたび演じられている。 アルンダティ・ロイ [1] あれからもう3年経とうとしている。そのころ、アルンダティ・ロイは、講演のために招待された初めての東京にいて、〈3・11〉を経験した。講演は中止になり、アルンダティ・ロイは、東アジアの小さな島国が辿った《苦しみの円環》に思いを寄せていた。当時、煽動罪の嫌疑でデリーの裁判所に召還されていた彼女は、ふたたびインドのネオリベラリズムとの闘いの場に戻っていったのだ。 そのような闘う作家としてのアルンダティ・ロイの在り様は、「核による《苦しみの円環》の克服は「小さな島国」に住む私たち自身に課せられた闘いだ」ということを自ずと私たちに語っているようだ。雪が残る勾当台公園野音前。 (2014/2/23 14:33) 先週の金曜デモは、年に数回しかない仕事の日にたまたま重なってしまった。仕事を終えてから出かけるつもりが、いったん炬燵に入って休んだら、立ち上がる気力が萎えてしまっていたのだった。 肉体と精神は、歩みを揃えながら、順調に老いつつあるらしい。 2週続けての大雪だった。とくに2回目の大雪は湿り気が多く、冬の終わりを告げる例年の大雪のようで、今日の日射しはいくぶん春の匂いがする。集会場所の勾当台公園へ向かう途中、あまりひどい遅刻にならないように急ぎ足になると汗ばんでくるくらいだ。いざ、デモへ。 (2014/2/23 14:40)風もなく、春めく中を。(2014/2/23 14:42) ゆっくり歩いて、デモ出発にかろうじて間に合った(つまり、ぎりぎりの遅刻)。暖かいせいか、なんとなくみんなゆったりとデモへの出発準備をしているように見える。歩き始めてしばらくして、ポスターを持つ手が素手のままだということに気付いた。 手がかじかんでいるわけでもないのに、いちおう左手だけ手袋をする。ときどき写すデジカメのために、右手は素手のままだ。いつもより気分はゆったりと。(2014/2/23 14:48)一番町でも雪はまだ。(2014/2/23 14:56) あっという間にデモは終る。この頃はデモ帰りに市バスに乗ることが多かったが、今日はブラブラ歩いて帰る。ここから自宅までは、とくに歩いてみたい散歩道があるわけではないが、奇妙なことに、中央通りの人混みを新鮮に感じるときがある。それは、ここ1年くらいの発見である。そういえば、最近はほとんど人酔いをしないようになった。地下鉄工事で変則的な青葉通り交差点。(2014/2/23 15:07) アルンダティ・ロイは、その積極的な政治的言論活動の一つとしてインドのナルマダ・ダム建設反対運動に関わったが、その闘争の敗北のプロセスに関して、「一人の指導者に頼りすぎたことは運動をひ弱なものにしてしまった」と言い、「それは真の民主主義を運動のなかに作りだすことができ」ない理由だと語っている [2] 。 ある意味で大衆運動の一般的なありふれた本質を述べたに過ぎないような彼女の言葉が印象に残ったのは、想田和弘さんが『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』で描いて見せた橋下徹と彼らの支持者の関係を想い起こさせたからである。 インドにおけるネオリベラリズムとネオナショナリズムに支えられたインド政権への抵抗運動に参加する人々と橋本支持者の政治的立場は反対称と言っていいほど真逆に近いのだが、指導者(ヒーロー)に依存する心性にいくぶん似通ったところがあるのではないかと思ったのである。 同事件〔毎日放送記者の糾弾事件〕では、その一部始終を記録した動画がユーチューブで広まり、橋下氏の尻馬に乗って記者を侮辱する言葉がネット上に溢れ返りましたが、彼らが多用したのは、「とんちんかん」「勉強不足」「新喜劇」といった言葉でした。動画を実際にご覧になった方なら分かると思いますが、これらはすべて、橋下氏自身が動画のなかで発した言葉です。彼らは、「他人を罵る」という極めて個人的な作業にも、自ら言葉を紡ぐことなく、橋下氏の言葉をそっくりそのまま借用したのです。 [3] 想田さんは、政治状況のなかで流行語のように力を持つ〈言葉〉について議論を進めているのだが、私が気になったのは橋下支持者たちの心性である。彼らは、「民意」としての「選挙で選ばれた代表」が「既得権益」者としての「身分保障の公務員」や「税金で飯を食う官僚」と闘う政治家・橋下を支持することで、自分もそのような社会的不正(?)と闘っているという思い込み(自己欺瞞)に陥っており、橋下徹をその闘いの指導者として見なしているのだろう。 これはもちろん、想田さんが喝破しているように、「民主主義制度における国民のコンセンサスは、論理や科学的正しさではなく、感情によって成し遂げられるのだ」と公言してはばからない橋下徹によって妬みや憎しみなどの下劣な感情を掬い取られてしまった人々のことである。 「論理や科学的正しさ」に依拠していない「感情」に基づくために、当然のように、論理そのものである言葉をどんな形でも自らの脳からは発しようがない。それで、指導者(ヒーロー)と見なす橋下徹の言葉をオウムのように真似ることで、なにか発言していると自己を誤魔化すしかないことになる(いや、おそらくは、それが自分の言葉だと信じ込んでいるのだろうが)。 一人一人の考えを集約することに民主主義の本義があることからみれば、ある指導者とその指導者の言葉をオウム返しにする人々は、明らかに反民主主義的な社会関係を形成していることになる。橋下徹をしてプチ・ヒットラーとかファシストとか謗る言説がネット上に溢れ返るのも、このような現象に由来していると考えられる。 アロンダティ・ロイの言葉が引っかかったのは、同じようなことが脱原発・反原発運動に加わる人々の心性のなかにないのだろうか、ふとそう思ったためだ。 私たちは、山本太郎や三宅洋平、宇都宮健児や細川護熙をヒーロー扱いしてはいないか、彼らの言葉をオーム返しに喋ってはいないか。そんなことを思ってみたのだ。 前の参議院選挙や今度の東京都知事選挙では、いつもより少しばかり熱心にネット言説を観察していたのだが、いくぶんそのような傾向がなかったわけではない、というのが実感だった。もちろん、選挙である以上、支持する候補者の言葉を広く伝えたいという事情もあっただろう。ただ、その傾向が強まったのは、相手候補者を批判する(罵る、disる)ときである。まったく同じ言葉で罵る一群の人達がいたのだ。選挙陣営内で批判の方法を打ち合わせたので同じ言葉遣いになったということかもしれないが、少なくとも現象的には橋下支持者たちの言動とよく似ていて、気持ちいいことではなかった。 さて、私のことだが、それぞれの政治的意味合いは違うにしても、上記の山本、三宅、宇都宮、細川の四人には(この四人だけではないが)相応の敬意を抱いている。敬意は抱いているが、誰も私のヒーローになることはない。 それは信念というようなことではない。素直ではない私の性格によるのだ。私には、誰かを尊敬のあまり崇め奉るという心根は子供の時から全くないのである。小学校で読むように勧められる偉人伝のたぐいは虫酸が走るほど嫌いだった。プロ野球も映画も好きだったが、野球選手や映画スターのブロマイドなどというものに興味がわいたことはない。 『ヒーローを待っていても世界は変わらない』というのは湯浅誠さんの著書 [4] だが、私にはいままでもたぶんこれからもずっとヒーローはいないのである。ヒーローを待っていたことはなかったのだ。だからといって、世界が変わったわけでもないけれども。 [1] アルンダティ・ロイ(本橋哲也訳)『民主主義のあとに生き残るものは』 (岩波書店、2012年) p. viii。[2] 同上、p. 120。[3] 想田和弘『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』(岩波書店、2013年) p. 11。[4] 湯浅誠『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)。
2014.02.23
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犬と一緒に朝の散歩に出かける時間は、だいたい6時くらいである。冬の6時はかなり暗いが、そのため、散歩の途中で夜明けの空を見ることになる。 散歩にカメラを持って行くことは稀だが、タイミングがあったときには夜明けの写真を撮ることができる。スマホで撮ることもあるが、いずれにせよ、夜明けを撮るための写真技術があるわけでもなく、それなりに写っていればよしとする、という程度だが。 私の家は、旧市街の西の端、仙台城址近くにあるため、朝の散歩はその周辺に限られる。そのため、散歩の途中で眺める日の出は、仙台市街地の方向になる。 Photo A 仙台国際センターの庭から。 (2009/2/25 6:25) 仙台国際センターには広い芝生の庭がある。仙台城址の下、広瀬川沿いに追回住宅があった頃は、この広場で出会う散歩の犬も多かった。しかし、この住宅は太平洋戦争直後、空襲の被災者や引き揚げ者のために一時的に作られた住宅地であったため、最近、立ち退きが進められ、一挙に散歩の犬が減ってしまった。 Photo B 仙台城二の丸跡公園から。 (2009/10/30 6:10) 仙台国際センターの西、道路を挟んで高い石垣の上は、仙台城の二の丸跡である。東北大の文系学部や図書館、記念講堂があって、東側は公園になっている。ここにも広い芝生があって、川内山屋敷や亀岡の犬たちが散歩にやってくる。 ある時、この芝生の広場をニホンザルが歩いていたことがある、我が家の犬イオはすぐに傍に寄っていったが、二匹はとくに威嚇も争いもないのだった。年老いた離れ猿らしく、猿が薮の中に消えるまで、つかず離れずくっついて歩いたのである。 Photo C 仙台国際センターの庭から(三分間の変化)。 (2010/1/4 7:02~7:05) 上の写真は3分の間を置いて写したものである。日の出の色彩はあっという間に変化してしまう。朝焼けがとてもきれいなので、写真を撮ろうと高台に移動した頃にはなんの変哲もない空になっていた、というのはよくあることだ。Photo D 仙台城二の丸跡公園から。 (2010/2/17 6:05) 上の写真の右端、小山になっているのは経が峯で、伊達三代の墓所である瑞鳳殿がある。その下を広瀬川が剔って流れている。仙台駅は、一番高いビルと写真の左端の中間ぐらいの方向である。Photo F 澱橋北詰から。(2010/2/19 6:45) 澱橋から見ると、日の出は仙台中心部のビル群の陰である。広瀬川に朝焼けが映っている。広瀬川はこの辺でも中流域の風情で、岸のどちらかは断崖になっているし、川沿いの住宅地は河岸段丘の上にできていることが多い。Photo G 「仙台二高前」から「仙台城址入口」への道の途中から。(2011/12/21 6:21)Photo H 牛越橋南詰めから。 (2011/12/23 6:41) 牛越橋は、広瀬川に掛かる橋のなかで旧市街では最上流になる。仙台城の築城の際、石垣に使う石を牛に引かせたという地名の由来がある。この橋の北東、1km位のところに石切町(旧名)があった。Photo I 澱橋北詰から。 (2012/12/24 7:05)Photo J 仙台城二の丸跡公園から。 (2013/12/30 6:59)Photo K 「仙台二高前」から「仙台城址入口」への道の途中から。(2014/1/18 6:54)Photo L 仲の瀬橋西詰めから。 (2014/2/10 6:42) 仲の瀬橋は、二階建ての橋である。上の橋は、広瀬通りから仙台二高、東北大を通って亀岡に向かう道で、国道48号線がこの下の橋から青葉山トンネルをくぐり、関山峠を経て山形(寒河江市、天童市)へ向かう。Photo M 朝の散歩から帰る一人と一匹(仲の瀬橋)。 (2011/12/11 7:21)A~Mは撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。
2014.02.13
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仙台の寒さの底で。 (2014/2/7 18:17) 昨日から冷え込みが厳しい。昨日の朝の散歩から、最高バージョンの防寒着に変えた(重ね着を増やしただけだが)。これはパッチと言うのだろうか,それとも股引? いわゆるズボン下(underpants)を今年はじめて穿いてデモに出かける。 大丈夫、まったく寒くない。むしろ、汗をかかないように気をつけなければ、とゆっくり勾当台公園に向かったのだったが、足の先、手の先はすこしずつ冷たくなってくる。 代謝が落ちて、年年寒さに弱くなっていくのがよくわかる。かつては山上湖で夜釣りをしながら、早朝の釣りに備えて雪の中でそのまま眠ることもあった。目が覚めたら、目の前を狐が歩いていく。一瞬目が合ったが、何事もなく通り過ぎて行ったのだった。狐も私も風景の小さな小さな部分を生きていたのだ。 いかん。若い頃の思い出に浸るようになったらますます心が寒く萎びてしまう。とまれかくまれ、デモの話である。 カメラマンは大阪からの参加者。 (2014/2/7 18:46) 主催者から、「スピーチでは東京都知事選挙の脱原発派候補の支持、不支持の話は遠慮してくれ」という趣旨のやんわりとした注意があった。スピーチの時間に遅刻することが多いが、私が聴いていた限りでは、さすがにそんな話をする人はいなかったように思う。主催者としての気遣いだが、ここの参加者にはそんな心配は無用のようだ。 スピーチした人のなかに、「大阪から仙台のデモを見に来た」という若い人がいた。その人は、デモの後になり、先になりして熱心にデモの様子を写していた。 一番町を行く(1)。(2014/2/7 18:50)一番町を行く(2)。(2014/2/7 19:01) デモの前に〈たか〉さんから「無料配布です」と一枚のCDをいただいた。紅次郎という人の『PROTEST SONGS』という音楽CDである。 帰宅してさっそく聴いたが、私のような年寄りにもとても馴染みやすいバラード風の歌がいくつか収められている。優しげないい声の男声ヴォーカルである。『道無き道(原発無くせ Full ver.)』 lyrics: 紅次郎 http://www.youtube.com/watch?v=Eb-naruOwF8誰かのために 明日のために道無き道を ボクらは歩く自分のために 子供のために子供の子供 そのまた子供にボクら手を取り合って 前だけを見つめて未来のために 100万年後のために道無き道を ボクらは歩く拳を高く挙げて 前だけを見つめて福島のために 東北のために 日本のために原発無くせ!Na na na na ~原発無くせ! 原発無くせ! 原発無くせ! ……… 作詞、作曲の紅次郎さんの、「原発に反対する歌です。/また、原発に反対する人達へのエールでもあります。/原発をなくして子どもたちに安全な未来を!」のメッセージが載っている歌詞カードも付いていた。 もう一つ、とても気に入ったフレーズがある。『そこに愛はあるのか』(部分) ~原発利権に群がる金の亡者たちに捧げるバラード~ lyrics: 紅次郎 http://www.youtube.com/watch?v=oqRIBCe57OU(………)君の胸に手を当てたら ほんの少し考えてごらんよそれはとても単純なことさ きっと君にも分るはずそこに愛はあるのか‥‥‥放射能の雨が降る ボクの小さな小さなアパートの屋根に皮肉なもんだな それは君のその広い広い庭にも同じ雨が降り続く(………) 紅次郎さん: Twitter : https://twitter.com/benisama Website : http://peace.rgr.jp/cojirou
2014.02.07
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