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世田谷美術館で「ボストン美術館 -華麗なるジャポニスム展」を見終えて、用賀から乗った東急田園都市線を二駅目、「駒沢大学」で降りる。ここから「柿の木坂」のあたりを歩いて、東急東横線都立大学駅へ抜ける予定だ。 世田谷美術館に行くための田園都市線の沿線の地図を眺めていて、「柿の木坂」という地名が目についた。幼い頃聴いた歌謡曲にこんな地名があったが、それは架空の地名だったはずだ。「柿の木坂は駅まで三里」と歌にはあったが、現実の柿の木坂は、駅のすぐ近くである。Photo A 駒沢大学駅前商店街の通り。 (2014/6/29 13:02) 駒澤大学駅から地上に出て、首都高(玉川通り)と直行する駒沢大学駅前商店街(自由通り)を南に歩き出す。近くに駒沢オリンピック公園があるせいか、スポーツウェア姿の高校生がたくさん歩いている。Photo B 駒沢ガーデンハウス前の緑陰の道。(2014/6/29 13:06) 商店街は、比較的新しくできたような雰囲気だ。右手に植え込みに囲まれた大きなマンション(駒沢ガーデンハウス)があって、その植え込みにそって右手に分かれていく道がある。気持ちのいい緑陰の道で、木陰を辿って行ったが、そのまま進めば駒沢競技場に入ってしまいそうなので、細道を左に折れる。Photo C 呑川柿の木坂支流緑道。(2014/6/29 13:16) 細い坂道を上り、自由通りを越えると道は下り坂となり、「呑川柿の木坂支流緑道」という看板のある道に出る。いつも思うのだが、東京には川を埋め立てた緑道がとても多い。近代化とは、川を川のままには残しておけないらしい。 緑道は、付近の住民にはとても良い散歩路にちがいない。ただ、人工的な道で、人の暮らしの匂いはしない。朝夕の散歩ではない私のような街歩きの人間には、それほどふさわしいわけではない。人工的に作られた自然(形容矛盾?)としての公園のようなものだ。自然とはいいにくいし、かといって人間の暮らしが作り上げた道でもないし......。Photo D 右は東京医療センター。(2014/6/29 13:21) 少しばかり緑道を歩いたが、ずっと同じ景色である。地図に「東根公園」とあるので右手の道を登って行ってみるが、ちいさな児童遊園だった。公園を横切り、東京医療センター横の道を南にとる。 Photo Dの右手の鋪道を二人のご婦人が歩いている。二人ともまったく同じように右手で杖をついている。この炎天下を歩いているのは、病院からの帰りでもあろうか。道はすぐ木陰の鋪道となり、日傘も差さないご婦人の心配はさほどでもなくなった。Photo E 「柿の木坂」交差点。(2014/6/29 13:30) 二人のご婦人を追い越し、坂を上りきると駒沢通り(都道416号)に出る。住宅地の通りを左に「柿の木坂」交差点まで歩いて、右折する。まっすぐで平坦な住宅地の道だ。古い家はほとんど見られず、立派な門構えの家が多い。新出来の街だ。 Photo F(左) 東に向かう細道。(2014/6/29 13:34) Photo G(左) 谷底に向かう下り坂。 (2014/6/29 13:36) 二ブロックほどあるいて、左の細道に入る。細道だが、これもまっすぐに住宅地を切っている。新しい町に多い道の作り方だ。柿の木坂の町の歴史は知らないが、正確な格子状に道が配されている町はたいてい新出来の、つまり不動産会社が作り上げたような町が多い。街歩きの場所選定ではできるだけ避けるようにしているのだが。 まっすぐな細道は次第に下り坂になり、ふたたび上り坂になっているのが遠くに見える。谷底へ向かって歩いているのだ。谷底は、さっき少しばかり歩いた呑川柿の木坂支流緑道である。「水は低きに流れる」というまったく当たり前のことだが、「なるほど」と少しばかり発見の気分がする。Photo H 環七通り。(2014/6/29 13:48) なるべく日陰を選んで歩いているが、とにかく暑い。谷底の道、緑道の木陰道を涼みながら歩く。300mほど歩いて左の坂道をあがり、環七通りに出る。Photo I 東急東横線沿いの道。(2014/6/29 13:49) 今日の街歩きの前に、地図を眺めながら、二点だけあらかじめ決めていたことがあった。一つは、東急東横線の線路脇の道を通ってみることで、もう一つは目白通りの本来の「柿の木坂」を眺めることだった。 環七通りから目白通りに下る道に入り、東急東横線の陸橋の手前を右折して、線路沿いの道に入る。Photo J 野萓草の花と東急電車。(2014/6/29 13:50) 線路沿いの崖の草叢の中に野萓草の花が咲いている。道端の柵から身を乗り出すようにして、野萓草の花を写そうとしていると、電車が通っていく。タイミングはいいのだが、写真としてはどっちが主対象なのか分からない中途半端なものになってしまった。Photo K 目白通りへ下る。(2014/6/29 13:52)Photo L 目白通り、東横線陸橋から覗く「柿の木坂」。(2014/6/29 13:57) 線路沿いの道をどんどん下ると目白通りに出る。歩道橋を渡って少し戻り、東横線の陸橋下から目白通りの坂道、「柿の木坂」を眺める。環七通りや東横線の高架に遮られてさほどの眺望はない。Photo M(左) 呑川本流緑道。(2014/6/29 14:07)Photo N(右) 都立大学駅前の道。(2014/6/29 14:09) 東横線都立大学駅はすぐそこだが、細道に入って少し迂回してみる。斜面に作られた住宅地らしく左手はコンクリート土留めの上に人家が建てられている。右手に折れて少し下ると、また緑道の道である。 「呑川本流緑道案内」という看板がある。この道は呑川本流跡の緑道ということだ。先ほど歩いた柿の木坂支流緑道は都立大学駅のすぐ西で合流している。そのほかに、さらに西で合流する駒沢支流緑道もあるらしい。 少し意地悪く言えば、この一帯の自然の川はすべて埋め立てられているということだ。最近、よく騒がれているゲリラ豪雨に対処できるのか心配になる。ゲリラ豪雨被害のニュースが東京に多いのはそのせいではないか、と思ったりもした。 緑道はすぐに、今日の街歩きの終点、都立大学駅への道と交差する。そこから50mで駅である。 街歩きMap。A~Nは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。
2014.06.29
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「6.28 NO NUKES DAY」に『さようなら原発 首都大行進』が行なわれるというニュースがFacebookやtwitterでどんどん流れてくる。「東京でデモしたいなぁ」とFBに書き込んだら、「来ませんか」という応答があって、簡単にその気になってしまった。 JR東日本が四日間乗り放題という「大人の休日倶楽部パス」なるものを売り出していて、その利用期間が6月30日までだったので、27日からのぎりぎり最後の4日間をそれに充てた。いつもは、そのパスを利用して美術館巡りや街歩きをしていた。だから、東京の街を行くデモも、わたしの中では「街歩き」のカテゴリーに属する。ちなみに、仙台で歩く毎週のデモは、「散歩」のカテゴリーである。 東京ステーションギャラリーの「ジャン・フォートリエ展」で時間を調整して、中央線で明治公園に向かう。天気予報通りに雨が降り出している。Photo A1 傘がいっぱいの明治公園。 (2014/6/28 12:56) 明治公園は二度目だ。昨年の「3・9 つながろうフクシマ! さようなら原発大集会」に参加したのが初めてだった。そのときは、大きな交差点を右折する大デモの迫力に驚いた記憶がある。仙台では人数が少ない上に、左折、左折でデモは進むのである。 「島キクジロウ&No Nukes Rights」のオープニングライブが始まっていた。傘が林立していて、ステージは見えない。人の少ない後の方に立っていると、雨の中をどんどん集まってくる。 Photo A2 たくさんの旗、旗、旗。(2014/6/28 13:10~13:28)Photo A3 学生さんのよく目立つアピール。 (2014/6/28 13:49) 集会が始まったが、みんなが傘を差しているので、司会の木内みどりさんも挨拶をする鎌田慧さんやミサオ・レッドウルフさんなどの姿も見ることができない。それで、声だけ聞きながら会場をうろうろと徘徊する。いろんな旗、幟がある。学生さんが一人一字づつの「原発核開発反対」を掲げている。最近、学生の参加が増えつつあると聞くが、やはり、若い人の行動は頼もしいものだ。 FBで連絡を取り合った目良誠二郎さんに電話してみたら、ステージ脇におられるという。米良さんとは初対面だが、FBで見慣れているので一目で確認できた。「NN FRAGILE TAG」をデザインされた角井さんご夫妻たち、お仲間を紹介していただいた。皆さんは、デモの先頭近くを歩くというので、一人で参加している私はその後についていくのである。 「NO NUKES FRAGILE TAG」は、角井さんの図案ファイルをダウンロードして、仙台でも広めようと自作してみた。10枚ほどバッグにぶら下げて「脱原発みやぎ金曜デモ」を歩いたら、すべて捌けてしまった。目下、増産中である。 Photo B(左) デモの先頭のドラム隊。迫力抜群。(2014/6/28 14:19)Photo C(右) ゼロノミクマさんがデモの見送り。(2014/6/28 14:24) 集会スピーチの間に雨はすっかり上がった。主催者発表5500人の行進が始まる。列の先頭はドラム隊で、私の前を通り過ぎるときの音の迫力に圧倒された。ドラム隊に続く先頭グループに混じって歩き出す。公園を出てすぐの道端で、FBでしか見たことがないゼロノミクマさんが手を振っている。行進している人もいっせいにカメラ(携帯、スマホ)を構える。もちろん、私も例外ではない。Photo D 神宮球場脇の道。(2014/6/28 14:28) アピール行進の列は、神宮球場南側の道を青山通りに向かう。先頭からのコールが聞こえるときは、それに合せ、聞こえなくなれば、ローカルに誰かが音頭をとってコールが始まる。最初のうちはいろんなコールがあったが、最後に一番多くなったのは、「ゲンパツイラナイ、アベモ␣ イラナイ」である(もしかしたら、「アベ、モウイラナイ」かもしれない)。Photo E 右折して青山通りに入る。(2014/6/28 14:39) 坂を下り、青山通りに右折する。歩道橋の上にはカメラマンが並ぶ。米良さんも本格的なカメラマンで、レンズを交換しながら行進する人びとをいろんな場所から写している。列の前方へ行ったり、後方へ走って行ったり、たいへんな体力だ。Photo F 青山通り、「南青山一丁目」交差点。(2014/6/28 14:42) 青山通りの鋪道には犬の散歩している人などもいて、なにか閑雅そうな雰囲気で人が行き来している。それでも、かなりの人が手を振ってくれたり、拍手をしてくれるのだ。Photo G 表参道へ右折。 (2014/6/28 14:53)Photo H 表参道ヒルズ前を行く。(2014/6/28 14:59) 青山通りの坂を上りきり、表参道に入っていく。歩道橋の上に、カメラを構える米良さんがいる。大勢の人が行き交う表参道は、行進の一番の場所である。 ヒルズの前をすぎ、道は少しずつ下って行く。「神宮前」交差点の手前が底になっていて、道はまた上り坂になる。Photo I 明治神宮前を代々木体育館へ左折。(2014/6/28 15:15)Photo J 米良さんとお仲間の皆さん。(2014/6/27 15:25) 明治神宮前を左折して代々木体育館を過ぎれば、流れ解散の場所である。前を歩いていた米良さんのグループに追いつき、記念写真を撮りあって、お別れした。 私が東京に出て来さえすれば、金曜にはいつも官邸前で抗議行動をしている皆さんにお会いできる。私次第なのだが、またお会いできる予感がする。それは、敵は手強く、抗議行動はまだまだ続きそうだ、ということの裏返しで、必ずしも喜ぶべきことではないが、志を同じくする人たちとお会いできる機会があるということはとても大事だ。Photo K まだまだ続く行進。(2014/6/27 15:33) 私は原宿駅から山手線に乗るつもりで、アピール行進と逆方向へ歩き出した。つぎつぎと行進の列がやってくる。明治神宮前の歩道橋の上から眺めると、流れ解散の公園まで列は続いていて、反対側からは向かって来る列が続いている。 私は仙台へと急ぎ足である。 街歩きMap。A~Kは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。
2014.06.28
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新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を見て、昼からは近くの新宿御苑から四ツ谷付近をブラブラと歩いた。 膨大な数の人間が住む東京という巨大都市の中で、人びとが積み重ねてきた暮らしの風景を眺める、そんな気分で続けている街歩きに、観光ポイントというのはあまりしっくりとはしない。公園は、その土地に住む人が歩くのがふさわしい。そう思っても、田舎者は、少しは見ておきたいとも思うのだ。Photo A 新宿御苑、千駄ヶ谷門へ。 (2014/6/27 12:36) 千駄ヶ谷駅を降り、駅西のガードをくぐる細道で、新宿御苑・千駄ヶ谷門に向かう。園内に入ると、すぐにモミジバスズカケノキの大木が目を惹く。プラタナスである。最近、大樹の根元から見上げるのが、なぜかささやかなマイブームになっている。このモミジバスズカケノキも下からしばし見上げることになった。Photo B 旧御涼亭からみる園内。(2014/6/27 12:47) 門からまっすぐに進み、池に出たところで左折していくと、池の端に中国風の旧御涼亭がある。そこから眺める庭園がいい絵になっている。雨模様なのせいか、とても人が少ないのもいい。 旧御涼亭をでると、雨足が強くなった。折畳み傘を拡げ、カメラを抱きかかえるようにして歩き出す。道々、ユリノキやヒマラヤシーダなどの大樹を見かけたが、雨の中でカメラを上に向けるのは諦めて通り過ぎる。 大温室があったので、順路にしたがって一回りして時間を潰したものの、雨足は弱まりそうにない。諦めて、雨の街を歩くことにした。 Photo C 交差点を渡って「御苑前本通り」へ。(2014/6/27 13:25) 大木戸門から御苑を出てまっすぐの道に入る。「この道は「御苑前本通り」といいます」と大きな看板がビルの壁に取り付けられている。ビルの並ぶ普通の(東京ではという意味だが)道である。Photo D 「大木戸坂下」交差点。道の向こうの坂を下る(2014/6/27 13:31) 御苑前本通りはそれほど長くない。斜めに分岐する道を右に折れて、「大木戸坂下」交差点を横切る。東長寺の小さな墓地の脇を下って行く。「みょうが坂児童遊園」があるので、この坂は「みょうが坂」と推測したが確かではない。 道は靖国通りにぶつかるが、その手前、靖国通りに平行に走る細道に入る。会社や事務所の裏側の道だ。道は丁字路になり、突き当たりを右折した道は緩やかなカーブの道だ。Photo E(左) 愛住公園入口。(2014/6/27 13:40)Photo F(右) 切り通しの道。(2014/6/27 13:41) 緑が見え、「愛住公園」の看板がある。道は緩やかな坂で、ところどころ小さな切り通しのようになっている。高いところに塀があり、見上げると真竹の屋敷林があったりして、散歩向きのよい道だ。 坂道を上りきると、新宿通りに出る。Photo G 「四谷三丁目」交差点。 (2014/6/27 13:47) 新宿通りを東進して「四谷三丁目」交差点で、外苑東通りを越える。新宿通りを100mほど歩くと、「須賀神社参道」という案内のある横道があった。その道に折れて歩いてみたが、神社は見えないし、参道という雰囲気でもない。 地図を見ると、この道の東におおきく湾曲する道があるので、須賀神社は諦めて左折した。Photo H(左) 真英寺前のカーブ。(2014/6/27 13:56)Photo I(右) 須賀神社への階段道。(2014/6/27 13:58) 地図で見つけた道は、新宿通りの「津之守坂入口」交差点から入ってくる道だ。その道に出たところに墓地と寺院の建物が見える。右に進んで行くと、真英寺という寺の下を道はカーブしていく。 十字路があって、右の道は須賀公園へ行くという案内がある。その道を覗くと階段道である。階段下に「須賀神社」と彫った大きな石塔があった。Photo J 須賀神社。(2014/6/27 14:00) 階段の上に須賀神社があった。私の地図には須賀神社は載っていないが、最初に入った新宿通りからの「須賀参道」は、神社までまっすぐの道だった。須賀公園というのは見あたらず、おそらく神社一帯が公園らしい。Photo K(左)戒行寺坂。(2014/6/27 14:06)Photo L(右)学習院初等科の裏の道。(2014/6/27 14:14) 須賀神社の前の道から左に折れる道をとって、四谷駅方向に進路をとる。左折した道は、やや急な坂で「戒行寺坂」の道標がある。昔、坂の途中に豆腐屋があって、おいしい油揚を作っていたので「油揚坂」の別名もある、そんな由来が書いてあった。 クランク状に左、右と東に向かっていると、右手に塀の続く細道になる。学習院初等科の裏手も道だ。学習院の塀沿いに進めば、四谷公園前の広い道に出る。Photo M 四谷公園前の道。(2014/6/27 14:17) 公園の緑の下を北上し、四ツ谷駅に向かう。道は外堀通りと合流する。外堀通りと新宿通りが出会う交差点を渡れば四ツ谷駅である。Photo N 四ツ谷駅。(2014/6/27 14:28) 四ツ谷駅につく頃、真っ黒な雲は東に移動して、雨が上がった。梅雨時の計画する街歩きの典型とはこういうものか。雨に急がされるように歩く街歩きは、街の印象もまた雨に煙るような感じだ。雨を楽しむには、なにがしか異なった人生のフレーバーが必要らしい(見当もつかないが)。街歩きMap。A~Nは写真撮影ポイント。地図のベースは、「プロアトラスSV7」。
2014.06.27
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車で出かける朝の遠出散歩は、通勤ラッシュのない土、日にやろうと決めた矢先に雨に降られて、月曜日になってしまった。おかげで快晴である。去年までのイオといっしょに行った登山と同じだ。私たちが山に登るときは必ず晴天である、と豪語しているのだが、じつは晴天の日にしか山には行かないのだ。 原町(はらのまち)は、藩政時代に塩竃など仙台の北東へ向かう道(仙遠街道)の最初の宿場町で、かつて仙台市電の東の終点だった。1年だけだったが、近くの清水沼に住んでいたことがある。16歳の時だ。10年ほど前、住んでいたあたりを歩いてみたが、すっかり様子が変わっていて、下宿していた家の建っていた場所すら見当が付かなかった。 清水沼に住んでいたといっても、高校に通うだけで、休みは実家に帰ることが多く、周辺を歩いたことはない。あまりよく知らないという意味では、仙台の他の地区と変わらない。Photo A 原町通りの向こうから朝日が上がる。 (2014/6/23 5:35) 国道48号(仙塩街道)沿いのコインパーキングに車を止め、原町の通りに入る。国道48号と平行に走るこの通りが旧仙塩街道である。通りの真向こうに朝日が上がり、道の端からハレーションを避けて写真を撮る。 まとまりのある商店街だろうと予想していたのだが、どこにも「◯◯商店街」とか「△△△通り」という名前が出てこない。小さな町の幹線道路沿いという雰囲気がする。大きな集落であり、住宅地であり、そして商店街でもある。つまり、暮らしの全体がそこにはある。落ち着いた静かな通りが、とてもいい雰囲気を醸し出している。Photo B 千手観音堂(善入院)。(2014/6/23 5:39) 通りの左手に千手観音堂がある。明治の廃仏毀釈で一時は廃寺となっていたが、昭和に入ってすぐ弘前の善入院との合併の形で現在のようになったという。 千手観音と脇侍の勢至菩薩、聖観音を祀るお堂の前には樹齢240年ほどの大銀杏、奥の門を入ると右手に小さな鐘楼がある。鐘楼の向かいには桜の木が2本あって、春の境内を目に浮かべて、想像の花見をした。Photo C 車道に並ぶ花壇。(2014/6/23 5:43) 千手観音堂から出て来ると、道端の花壇に咲くオレンジ色のスカシユリが目につく。この花壇は、鋪道ではなく、車道にはみ出すように設置され、通りの左右に交互に配されている。街の美化ばかりではなく、車の減速を促す交通安全の用も果たしているようだ。Photo D(上) 写真館。(2014/6/23 5:51)Photo E(下) 美しい格子組の商家。(2014/6/23 6:00) 通りには写真館もある。建物は新しいが、なぜか懐かしい感じがする。今はめっきり目にすることはなくなったが、かつては街並みのどこかにこのような写真館があったと思う。 家族の折々の記念日に、このような写真館で家族写真を撮る。そうした習慣を持つ家庭はたいてい裕福で、それに高価だったカメラも持っているような家だ。私の育った家にはカメラもなく、写真館で撮った家族写真なんて一枚もなかったけれど。 さらに通りを進むと、白壁に瓦屋根の日本家屋がある。格子組が美しい。三枚戸の間口は商家として使われていたことを思わせる(今もそうなのかもしれないが、早朝では確認のしようがない)。Photo F 渓谷の趣き、梅田川。(2014/6/23 6:04) 通りは下り坂になってまもなく通りが終る頃、左の道に入る。100mほどで梅田川にかかる橋の上だ。緑濃い両岸はやや切り立って、小さな渓谷だ。白波を立てながら岩盤瀬を流れ落ちる下流を覗き込んでいると、箒とちりとりを手にした年配の男性に話しかけられた。 この頃、鵜がやって来るようになって小魚を食べてしまうのだという。「大きな鯉しか残ってないんだよ」。鵜の食害は次第に北上してきて、近年は宮城県でも問題になっている。この梅田川には漁業権は設定されていないが、他の河川では漁業関係者の頭痛の種となっている。Photo G 梅田川の橋で。(2014/6/23 6:10) 橋を渡って左折、住宅地の中の道を梅田川に平行しながら上流へ向かう。左に下る道があったので、坂道を降りていくと、今度は車の通れない小さな橋である。橋の上で、今日初めてのイオの写真を撮る。Photo H 平田神社。(2014/6/23 6:19) 橋の向こうは上り坂、住宅地の間を細い道がゆっくりと曲っていく。登りきった丁字路の突き当たりは酒屋さん。酒屋は、写真館よりもずっと街角の普通の光景だった。一定の人口に必ず一軒の酒屋という感じだったが、今はどうも違う。 東京でホテル泊まりのとき、近所の酒屋が見つからないことがけっこう多い。小さな酒屋がどんどん消えていっているのだ。同じように地域には必ずあった小学校も統合されて、母校がなくなったという人はたくさんいる。経済と行政、領域は違っても起きていることはとても似ている。「暮らしの広域化」である。経済活動を営む大人のためだけの変化で、子どもと老人には住みにくくなるばかりだ。 酒屋さんの脇に入って原町小学校の前を通る。校門の前を通り過ぎると、平田神社が見えてくる。小さな神社で、由緒書きによれば、伊達政宗が岩出山から仙台に移ったときに、家臣の平田某が現在の古川から移したものだという。 御輿を収めているらしい脇社があって、観音開きの戸の脇に「火用心」の謂われが書いてあった。 「「火」は、日月星辰を表し「用」は鷹を表わし「心」は、ひな二羽が宝珠を抱いた姿である、鷹は視力が強く五里先の火災を発見し、両足で二羽のヒナをつかんで避難させるという賢い鳥である、伊達政宗公は瑞巌寺伽藍を火災から守るため木札として掲げ火防のいましめとした、」(送りがな、句読点はママ) なるほど。 Photo I 泉ヶ岳の山稜と新幹線。(2014/6/23 6:22) 平田神社脇の道から遠く泉ヶ岳から北泉ヶ岳、三峯山と続く山稜が眺められ、その手前の新幹線高架を上り列車が通過していく。写真には列車の最後尾が写っているが、「はやて」の後部に連結した「こまち」の赤い屋根が見える。 狭い道の向こうに開ける眺望に、少なからずはっとして立ち止まってしまった。すぐ左に折れて眺望は消えるのだが、たぶん直進しても坂を下ってしまって眺望は期待できないようだ。一瞬の至福のような眺めだった。Photo J 清水沼公園。(2014/6/23 6:30) 平田神社の裏を通る道は、清水沼公園に通じている。公園の中に「清水沼跡」の石碑がある。政宗が岩切城を攻めたとき云々とあって、涼をとった沼の意の「涼(スズ)沼」から清水沼に転意した(らしい)という謂れ書があったが、字が小さくて判読が難しい。あっさりと諦めて、公園を後にした。Photo K 坂道が急になる頃、散歩は終る。〔左〕行く道、〔右〕来た道。(2014/6/23 6:44) 清水沼公園を出て、原町の通りとほぼ並行に走る細道に戻る。ちいさなアパートや民家が並ぶ道で、なかに「ハイツ カルチエラタン」という看板を掲げた二階建ての小さなアパートがあった。カルチェラタンが評判になった頃に建てられたのだとすれば、長ければ築40年くらいであろうか。いや、1968年頃に学生であった人たちに馴染みの地名なので、もう少し後で命名されたのかもしれない。 細道の終りは急な坂だ。私たちだけが歩くその道を、けっこうな年配の男性が猛スピードで下って来る。その自転車をやり過ごし、私の後ばかり歩くようになったイオの表情を写して、今日の散歩は終りだ。撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。
2014.06.23
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デモのブログを書こうと思ったのだが、何を書いていいのか分からない。思いつくのは、どれもいつか書いたような気がする。同じことを書くのは、気が引ける。 幼い頃、小学校の担任に日記を書くように勧められて始めたのだが、2日目には書くことがなくなった。その頃から同じことを書くことに抵抗があったらしい。上の姉が、「3日ももたないのね。1日坊主だ」と言い、それからしばらく年の離れた5人の兄姉たち(すぐ上の姉とは9歳、長兄とは17歳離れていた)に「1日坊主」と呼ばれ続けた。 今日が昨日とほとんど同じだった、というのが日記書きの難しいところである。今日が昨日までとは決定的に異なっていたら、たぶん日記どころではない。だから、日記を書き続けるのは相当な才能(私にはない)が必要なのだ、きっと。フリートークに聞きいる参加者。 (2014/6/20 18:38) デモに参加したというブログが書きにくいのは、今日のデモがいつものデモのように進んだということだ。つまり、脱原発デモの日常化である。それはそれで意味がある。日常化とは、運動にとってとても大切な「継続する」ということが実行されているということだからだ。ブログを書くためにデモに参加いるわけではないのだから、これはこれで、とてもよい。 主催者挨拶に、最近頻々と起きる政治的問題についての言及はできるだけ避けて、原発関連のスピーチに集中しましょう、とあった。ここ一週間ほど、原発関連の話題は重大な政治的イシュウの影に隠れてしまっている。原発に関連するコンテンポラリーな話題も思いつかない。 デモへ。(2014/6/20 19:03)まだ明るいのに一番町は夜の雰囲気。(2014/6/20 19:14)デモ人の後ろ姿。 勾当台公園をデモが出発する頃はまだまだ明るいのだが、一番町の灯が見え出すと急に宵らしくなってくる。黄色みを帯びた明るい照明がかえって夜を演出しているのである。今年も「復興応援」だという大陶器市。(2014/6/20 19:16)出店テントで狭くなった一番町ではコールはない。(2014/6/20 19:22) 定禅寺通りから広瀬通りまでの一番町では、今年も「宮城復興応援全国大陶器市」のテントがずらっと並んでいる。ほとんどのテント店は店じまいの最中である。テントと商店の間の狭い隙間を進むので、ここではコールはせずに、呼びかけスピーチだけで進む。デモ列だけが渡る広瀬通り交差点。(2014/6/20 19:24)青葉通りから解散場所へ。(2014/6/20 19:38) 広瀬通りの交差点はいつも混み合うのだが、今日はデモの列だけが渡っていく。いつもだったら大勢の人と行きあうので、コールの声が一段とおおきくなるのだが、今日は急ぎ足で渡った。 青葉通りに出て、地下鉄工事のために変則的に区切られた車道を過ぎると、まもなく流れ解散地点である。 前回のデモから夏時間に変更になって、帰りのバスの時間がまだよく分らない。今日は、デモの後、仙台駅まで行ってJRの切符を購入しなければならない。27日から4日ほど東京に行く予定だ。切符を買ってから、駅始発のバス時刻を確認して帰ることにする。
2014.06.20
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車好きのイオのために、週一回は仙台市内の遠めの場所へ車で出かけるという朝の散歩を始めたのだが、雨続きで延び延びになっていた。土曜日から晴れ上がったので、日曜の朝の遠出になったが、これは都合がいい。週日だと、散歩から帰る時間帯は、通勤ラッシュの始まりにぶつかる。それで、散歩の終り頃はなんとなく気ぜわしくなってしまう。長い時間歩くわけではないが、時間を気にする散歩というのはつまらない。これからは、土曜、日曜、祝日を朝のドライブ散歩日に決めた。 今日は、荒町から連坊小路あたりをまわってみる。荒町の手作りの七夕祭りなどがローカルニュースで紹介されていたことがあった。そのせいか、派手な七夕を飾る中心部とは違った昔ながらの商店街のイメージがある。Photo A 東に延びる荒町の商店街。 (2014/6/15 5:44) 仙台市立病院の隣のコインパーキングに車を止めて、荒町の通りに入る。人っ子一人通っていない、などと思っていると、日曜の早朝なのに、学校指定のジャス(ジャージーのスポーツウェア、仙台ではなぜかジャスと呼ぶ)を着た中学生にぽつりぽつりと出会う。そういえば、今頃は中体連という地域の体育大会の季節なのだった。 地図を見ると、このあたりにはけっこうな数の寺がある。通りの右手奥に「昌伝庵」という寺院があって、道の入口に「荒町公園」の看板がある。公園を覗いてみようと入っていくと山門があって、近くに犬の散歩を禁じる小さな看板があったのですぐに引き返した。結局、もう少し奥にあるらしい公園の入口すら分からなかった。散歩なので、犬と一緒に歩けない場所に意味はないのである。 Photo B 森民酒造の杉玉(酒林)。「酒粕できました。」(2014/6/15 5:53) 昌伝庵の道を出たすぐの所に「森民酒造」があって杉玉が軒下に懸けられている。テレビなどではよく見るが、実物は初めてだ。風情のある木製の掲示板に「酒粕できました。」というポスターが貼ってある。表はそんなに間口の広い店ではないが、隣地から覗いてみると裏には大きな酒蔵がある。Photo C 「福井文彦」さん。(2014/6/15 5:57) 森民酒造から少し進むと、きちんと柵囲いした家一軒分ほどの空き地があって、「福井文彦」という文字と似顔絵を彫りつけた木製の碑が敷地内にある。その下部に、「作曲家。大正初期の人。幼少のとき北海道から荒町に移り荒町小で勉学する。後に世界的テノール歌手の藤原義江の専属伴奏者として殊に海外公演で活躍した」とある。知らなかった。初見である。Photo D 毘沙門天参道。(2014/6/15 6:00)Photo E 毘沙門堂唐門。(2014/6/15 6:01)Photo F 毘沙門堂と300年杉。(2014/6/15 6:02) 交通信号のところに「毘沙門天王」という大きな横看板がある。満福寺という寺が毘沙門天を祀っているらしい。江戸中期に造られた毘沙門堂唐門は、仙台市指定有形文化財ということだ。 毘沙門天は「奥州仙台七福神」の一つだというが、その七福神をよく知らない。いずれ、「仙台散歩」のテーマの一つにしてもよいかもしれない(まったく信心深くはないのだが)。 Photo G 新幹線高架。右手に仙台箪笥伝承館。(2014/6/15 6:10) ほどなく右手に「仙台箪笥伝承館」が見えてきて、突き当たりの人家の向こうに東北新幹線の高架が見えてきて、荒町の通りは終る。仙台箪笥伝承館は仙台の観光番組ではよく取り上げられるが、私はまだ入ったことはない。Photo H 祭礼準備に忙しい三宝大荒神社。(2014/6/15 6:14) 通りの突き当たりを左に折れると三宝大荒神社がある。大きな神社ではないが、境内には地元の人が集まっていて、どうやら祭礼の準備らしい。そういえば道々に赤い祭礼旗が立てられていた。 鳥居の手前に小さな祠があって「耳権現さま」だという由来書きがある。祀られているのは、元寇の役に出征した兵士を供養する(正応三年の刻銘がある)卒塔婆石で、耳の病に霊験あらたかだという。 八幡町の来迎寺には、「モクリコクリの碑」と呼ばれる延元2(1337年)の石碑がある。「モクリコクリ」は「蒙古・高麗」の意らしく、やはり元寇の時の死者の供養の碑らしい。Photo I 新幹線高架と東北本線陸橋をくぐる。(2014/6/15 6:15) 大荒神社の前の道は、新幹線高架、東北本線陸橋をくぐり、道の先は元茶畑で仙台第一高等学校がある。東北本線陸橋をくぐってすぐ、左手の線路沿いの道に入る。街の通りと比べれば、ずっと朝の散歩らしい雰囲気になった。Photo J 土の匂いで元気が出る。(2014/6/15 6:19) 街中ではなんとなくダラダラ歩く感じだったイオもいくぶん足取りが快調になる。土や草や樹木の匂いは犬の元気の素らしい。山登りのために車が山林に分け入るとほとんど狂喜乱舞していたイオも、いまは年老いてこのようなささやかな朝のドライブ散歩で我慢するしかないのだ。Photo K 待っていても電車は来ない。(2014/6/15 6:21)Photo L 「白石」行き上り電車。(2014/6/15 6:24) 線路沿いの道なので、イオと電車を1枚の写真に収めたいと思ったがうまくいかない。イオがうまくポーズを撮ったときは電車はやってこないし、電車が来たときはとんでもない方を向いている。Photo M 連坊小路跨線橋から五橋方向を見る。(2014/6/15 6:32) 線路沿いの道が気に入って、連坊小路の通りまでずっとその道を歩いた。線路沿いの道の終りに草むらがあって、母猫と二匹の子猫が草に隠れるように休んでいた。少し立ち止まって、イオも猫たちもお互いを認識するまで待ってから、草むらの横を通り過ぎた。一匹と三匹は互いの目を合せたまま、静かに擦れちがう。猫たちは目だけ動かすが、横たわった姿勢のままだった。 新幹線高架の下、連坊小路跨線橋で東北本線を越えて五橋に向かう。連坊小路の通りがこんなに広かったのか、記憶は定かでないが、そんな印象である。 通りを行くと「杜の都信用金庫連坊小路支店」のビルがあったり、街灯に「むにゃむにゃ通り商店街」の旗が括られていたりする。「杜の都信用金庫」も「むにゃむにゃ通り」も初めて聞いた(見た)。お金に縁がない暮らしなので信金の名前を知らないのは不思議ではないが、それにしても同じ市内なのに知らないことが多すぎる。Photo N 愛宕上杉通りは国道4号と合流する。(2014/6/15 6:44) 「むにゃむにゃ通り」を五橋交差点に出て、愛宕上杉通りを左折、地下鉄「五橋駅」前を仙台市立病院方向に向かう。市立病院のまえで愛宕上杉通りは広い国道4号に合流する。 市立病院の前を過ぎればコインパーキング、今朝の散歩の周回コースの終りである。 撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。
2014.06.15
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金曜デモには二週続けて不参加だった。先々週の金曜日は、たまの東京仕事で、夕方、首相官邸前抗議に加わって、ミサオ・レッドウルフさんの迫力あるコールに応えて大声を上げてきた。先週は、熱を出してひっくり返っていた。 5月23日のブログで、大飯判決も含めて良いニュースについて書くことができたが、この二週間悪いニュースばかりが続いた。すべて安倍政権発の不快なニュースで、入梅の湿気寒さと発熱が加わって滅入るばかりだった。それでも、友人、知人たちのFBやブログ記事でかろうじて気持ちを立て直していた。 なかでも大木晴子さんが書かれた『1969 新宿西口地下広場』(新宿書房、2014年)が出版されたことを、当の大木さんのFB記事で知って、半日ほどで読み終えた。元気が出たとは言いにくいが、気分はだいぶ変わった。1969年、大学院修士2年の私は全共闘の闘士ではなかったけれど、大学への機動隊導入に備えて、封鎖棟から運び出されたヘルメットや書類が私の部屋の押し入れに入っていた頃だ。駐在所の裏のアパートに住む私のところがかえって安全だと、後輩が運び込んできたのだった。 新宿西口には行かなかったけれど、大木さんより3、4歳年長の私は本に描かれた時代の空気を仙台で味わっていたのだ。 読んだ本のなかで面白かったものは、たいてい書評を書いてブログ(このブログとは別立てのブログ)に掲載しているのだが、大木さんの本は「即自的」な感情に浸りやすくて、書くのが難しい。大木さんから「感想を」という書き込みがあったので、いつものブログの形で届けたいと思ってはいるが、少し時間をおいた先のことである。 1969年の新宿西口地下広場が、時空を超えて、2011年のタハリール広場(カイロ)やズコッティ公園(ニューヨーク)に連続している。そんなシュールリアリスティックな時空交差を想像しつつ、チョムスキーやネグリを引用しながらそのイメージを言葉にする、という書評を考えている(これはほとんど妄想だな)。 おなじみ「チョモ」さん。 (2014/6/13 18:43) 6月から金曜デモは夏時間開催になっていて、午後6時半集合、7時にデモ出発だ。天気さえ良ければ、夕暮れ時の優雅な散歩を楽しめるというものである。 宮城県庁前、勾当台公園に着くと、チョモさんはマッタリとデモ待ちをしている。 先頭を歩く横断幕、出発準備中。(2014/6/13 19:04)色づく西の空の方へ。国道4号を渡って市役所前に。 (2014/6/13 19:12)一番町、三越前。(2014/6/13 19:20) 午後7時、まだ明るい時間にデモは出発するが、西の空はとっくに色づいている。勾当台公園から仙台市役所前くらいまでは夕空を楽しめるが、一番町ではアーケードに挟まれた狭い空しか見えない。 デモ歩きが夕方の散歩を兼ねている身にはすこし寂しいが、デモの訴求力がもっとも有効に働くのは一番町なので、私の望みはいかんともしがたい。大事を取ってキャリーに。ちょっと照れくさそう。(2014/6/13 19:22) 一番町、仙台三越前を過ぎてすぐ、チョモさんは用意したキャリーカーに乗せられる。足を痛めているので、この辺が限度なのだ。ここまでよく頑張りました。カメラを構える私を見る目が、なんとなく照れくさそうに感じられて、ちょっと笑ってしまった。振り返ったら、デモスタッフも笑っている。ずっとデモを誘導しているお巡りさんも笑いをこらえているようだ。広瀬通りを渡る。ここがもっとも人出が多い。(2014/6/13 19:28)ここを過ぎれば青葉通り。(2014/6/13 19:35)一番町に比べれば暗い青葉通り。(2014/6/13 19:40) 順調にデモは進んだ。「川内原発再稼働するな」というコールは、二ヶ月くらい前から始まったと思う。「センダイゲンパツ」といっても分からないのではないか、という議論がスタッフであったようだ。私としては、「センダイゲンパツ」と聞いて仙台人がギクッとしてくれれば、効果大というものではないかなどと思ったりもした。 ちなみに、私は仙台(センダイ)の「川内」という所に住んでいる。「川内」は「センダイ」ではなく、単純に「カワウチ」である。 「川内原発再稼働反対!」
2014.06.13
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