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東京電力福島第1原発事故の責任をめぐって検察審査会の起訴議決がなされていた東電旧経営陣の3人、勝俣恒久元会長、武藤栄、武黒一郎両元副社長が29日に業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴されるという。過酷事故を引き起こした責任がようやく裁判の場で問われることになる。あれだけの被災者、犠牲者を出し、膨大な国土を放射線で汚染させ、被爆者の将来に深刻な不安を刻み込んだ経済行為の失敗の責任は必ず問われねばならない。 しかし、原子力災害の責任は一電力会社だけが負うべきものではない。原子力を推し進めてきた政府、行政機関もまたよりいっそうの責任があるだろう。とくに、福島原発事故以前の第一次安倍内閣は、原発の電源喪失の危険を問われて、国会の答弁書で次のように答えている。 地震、津波等の自然災害への対策を含めた原子炉の安全性については、原子炉の設置又は変更の許可の申請ごとに、「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設 計審査指針」(平成二年八月三十日原子力安全委員会決定)等に基づき経済産業省が審査し、その審査の妥当性について原子力安全委員会が確認しているもので あり、御指摘のような事態が生じないように安全の確保に万全を期しているところである。 結果として「安全の確保」は果たされなかったのであるから、安全を審査した経済産業省、それを追認した原子力安全委員会、そして政府としてそれを良しとした安倍内閣の責任は明確である。東電旧経営陣の裁判の先には国そのものの責任を問うことが私たちの責務ではないか。 230万人の日本人兵士の死をもたらした政治家、軍人の戦争責任が戦犯として問われたように、10数万人の避難者、犠牲者を出した事故責任を厳しく問うことが新たな災害を防ぐ最も有効な手段に他ならないし、国民の生命財産を守る真正の政治の確立にも必須である。 たとえば、「薬害エイズ」裁判では、薬品企業と並んで、許認可権を持つ厚生省、それに権威を与えた専門家(医師)が裁判に問われている。原発事故では、電力会社、経産省、原子力安全委員会が責任を問われるのは当然のことだ。 さて、裁判は裁判で注目しつつ、私は私のデモである。勾当台公園野音前。(2016/2/26 18:20)フリー・スピーチ。(2016/2/26 18:14~21) 今日は、スピーチをする人が少なかった。主催者挨拶は、原子力規制委員会が運転開始から40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機を新規制基準に適合すると認めたことに触れた。老朽原発の運転期間を40年とする原則は、規制委員会によって骨抜きにされようとしている(こんなことを書くと顰蹙を買いそうだが、原子力規制委員会メンバーは政府の原子力行政(原発の再稼働)に権威を与える(追認する)ためだけに雇われた〈専門家〉なので、私自身はそんなに驚かなったのだが)。 また、『3.11メモリアルアクション』のさらなる告知があった。このイベントについての東北電力とのやり取りも紹介され、5万戸程度の参加を見込んでいるという話に電力会社は余裕をかましていたという。来年、再来年と続けながら、東北6県や新潟県までイベントの輪を広げていきたいと意欲満々の呼びかけだった。 最後に、宮城県議会の傍聴の報告があった。先の県議選のあと、59人の議員のうち20人が参加する「脱原発をめざす宮城県議の会」が結成されて、原発を巡る県議会の議論が活発になると期待されている。県知事が質問に答えられない場面も出て、かなり厳しく質疑がなされたようだ。そのなかで、重大事故を想定した汚染シミュレーションや専門家による「安全性に関わる検討会」の継続延長などを認めさせる成果もあったという。傍聴席のどこが聞き取りやすいかなどと傍聴ガイドも含んだ報告だった。 勾当台公園から一番町へ。(2016/2/26 18:38、43、44) いつものことだが、集会が終わると50人の金デモはスムーズに(さっさと)出発するのである。21日の日曜日、安保法制に反対する高校生の組織「T_ns SOWL」主催の「全国一斉高校生デモ」が仙台でもあった。要請があって、金デモのOldsの5,6人がデモの応援と見まもりで参加した。そのデモの準備中、「いやあ、これと比べれば金デモはデモ慣れしてるね」と笑いあったが、毎週のことだからとくに不思議なことではないのである。 明るい一番町に入って。(2016/2/26 18:45) 一番町(広瀬通りから青葉通りまで)。(2016/2/26 18:46~49) イルミネーションがすっかり取り払われた一番町では、店内からあふれ出してくる光がいっそう目を引くようになっているが、店舗の並び具合では薄暗い感じの箇所もできている。 熱心に拍手をしてくれる人もいたが、デモに関心があるのか、珍しいのかよくわからないが、今日はコンデジやスマホでデモの写真を撮る人が目立った。ふと、この一番町を歩いている大勢の人の中で初めてデモを見たという人はどれぐらいいるのだろうかと思った。 仙台から車で1時間もかからない私の生まれ育った町は、今でもデモとは無縁だ。最近は安い高速バスで県外からも買い物客がたくさんやってくるというから、デモを始めてみる人はけっこう多いのではないだろうか。だとすれば、50人のデモの効果は、予想以上に大きい可能性もあるのではないか。そんなことを考えた。 一番町(広瀬通りから青葉通りまで)。(2016/2/26 18:51~19:59) 次のようなニュース(河北新報、2月25日付)もあった。 東京電力は24日、福島第1原発事故の状況をめぐり、核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」が起きていることを事故直後に公表できたにもかかわらず、過小に誤った判断をしていたと発表した。東電は「判定する根拠がなかった」と説明してきたが、炉心溶融を規定するマニュアルが社内に存在していた。 原発事故では1~3号機で炉心溶融が起きた。東電は事故から2カ月後の2011年5月になって3基の炉心溶融を正式に公表。それまでは、より軽微な「炉心損傷」と説明していた。 原発として考えうる限りでの最悪の事故である炉心溶融に対するマニュアルがあることを忘れていたということは、それより軽微な事故に対するマニュアルなど問題外だったに違いない。つまり、すべての事故に対する能力を欠いているということだ。これだけでも東電が原発を運転する資格がないことを告白しているのだが、これまでの東電の隠蔽体質から考えて、マニュアルは存在しないことにして意図的にメルトダウンを隠していた可能性もある。 原子力村の一員と思われる「専門家」がメルトダウンを公表しなかった東電を次のように擁護していることも、東電の隠蔽だったことを暗示しているのではないか(日本経済新聞、2月25日付)。北海道大の奈良林直教授(原子炉工学) 事故から間もない3月14日の段階で「炉心溶融(メルトダウン)」を正式に発表していたら、国民の間で大パニックが起きていたと思う。判定基準に基づいて炉心溶融と認めたところで、何かしらの利点があったとは思えない。 相変わらずのパニック論である。自分たち以外の一般国民は馬鹿だという認識でものを喋っているのである。少し長いが、「パニック」についての本当の専門家の考えを紹介しておく。静岡大学防災総合センター(火山学、災害情報学)の小山真人教授が次のように述べている。とくに、「他分野の研究者」、「行政担当者」、「マスコミ関係者」には必読文献であろう。〔……〕災害に関する情報がパニックを引き起こした事例は、世界的に見てもきわめて稀である。それどころか、深刻な内容の情報が公的機関から警報として伝えられても、思ったほどには危機感をもたれず、避難に結びつかない実態が長年の研究によって明らかになっている。つまり、災害情報=パニックという固定観念は、誤った思い込み(パニック神話)である。突然の警報によって群衆が狂ったように逃げ惑う等の場面は、映画などによって刷り込まれた悪しき幻想なのだ。 〔……) いずれにしてもパニックは、(1)緊急かつ重大な危険の認識、(2)閉じられそうになっている限られた脱出路の認識、(3)状況についての情報不足、の3条件すべてが揃わないと発生しないとされている。このうち、危険そのものや脱出路の状況は改善困難なことが多いが、情報不足は比較的容易に解消できる。 つまり、必要とされる情報を迅速に伝えることによって第3条件の「情報不足」をつぶせば、パニックを防止できる。 こうした知見は、災害情報の発信に携わる研究者間では常識であったが、他分野の研究者・行政担当者・マスコミ関係者には共有されていなかったようだ。危機管理の視点から見れば、先に挙げた政府関係者、研究者、マスメディアの対応は、あまりに不勉強かつ稚拙なものであった。 こうした情報制限がなぜ駄目なのかは明白である。まず、情報制限が招く情報不足こそが住民に不安や混乱を与え、さまざまな噂や流言の発生を招き、上述のパニック発生条件(3)を助長して、最悪の場合は真のパニックを招く要因となる。きわめて起きにくいパニックがもし起きたなら、それは情報不足をもたらした側の責任と言えよう。さらに、パニック神話にとらわれて情報制限をおこなった人々は、当然とられるべきだった住民の正当な危険回避行動も妨げた。 仙都会館直前の交差点(青葉通り)。(2016/2/26 19:15) さて、デモが終わったら急いで帰宅である。発熱で救急入院した後、体力が落ちたのか動きが悪くなった111歳の義母のため、介護の用具をいろいろと替えることになった。専門家に相談しながら、体や姿勢に合った車椅子への交換、専用の食事テーブル、床ずれ防止のために空気圧を変動制御できるエアマットなど、義母の体型や能力に合わせた微調整が残されているし、操作にも早く慣れなくてはならない。電気的、機械的な操作があるせいで、その手のことは私の担当になってしまった。細々と、かつ忙しいのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.02.26
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先週の金デモブログに書いたことだが、ベルギーは国として2025年までに7基の原子炉全ての廃棄を目指して着実に進んでいるとばかり思っていた。ところが、ティアンジュ(Tihange)原子力発電所の完全廃炉に向けての作業の中で、2号機を2015年3月に再稼働させたという。そのことに対して、国境で隣接するドイツ西部のアーヘン市が、老朽化したベルギー国内の原発の安全管理が適切に行われていないことを理由に、近々訴訟を起こすと発表した。そんなニュースがあった。 2025年に完全廃炉を目指すといっても、それまでは機を見て運転するということらしいのだが、問題のティアンジュ原発2号機はコンクリートブロックに亀裂が発見されて停止措置が取られていたにもかかわらず、何の手当もなしに再稼働させたということだ。どこの国でも、原発を再稼働させるためには、どこかで安全性を犠牲にするか無視するかしかないようだ。どこまで何をやっても安全を担保することなどができないことを原発推進側も先刻承知なのである。 いまや、原発の危険性は国境を越えた訴訟も辞さない深刻な問題となっている。何の手当もできず、大量の放射能を太平洋に流し続けている日本が環太平洋諸国から訴えられる日がいずれ来るのではないか。そうなれば、取り返しようのない膨大な汚染量に対して補償などの経済的な対応はほとんど不可能だろう。ベルギー原発の訴訟は、EUが定めた原子炉の安全管理基準を法的根拠としているが、そのような協定、条約が環太平洋諸国にないことで安穏とできるような問題とは思えない。 今日も暖かな勾当台公園。(2016/2/19 18:12、16)フリー・スピーチ。(2016/2/19 18:14~26) 出先から戻ってきた妻が「風が強くなって冷えてきた」というので、けっこうな身支度をして家を出たが、風がおさまってしまうとまったく寒くない。着込みすぎたので、急ぎ足では汗をかきそうになるくらいである。 最初のフリー・スピーチは、安全性に関する高校生のアンケート結果を報じている河北新報の記事についてだった。アンケートに応じた高校生の30数パーセントが原発の安全性に不安を持っているという。とくに原発立地の女川町では半数以上の高校生が原発を不安に思っているということだった。金に絡んだ大人のしがらみなどがなくて、素直に社会を見たらそうなるのは当然の結果だろう。 続いて電力自由化の話があった。電力自由化であたかも原発由来の電力を購入しないことが可能になったように思っているが、宮城県ではその選択肢がないのである。東北電力から購入したものを別会社が売る形になっていて、実際上東北電力の価格が一番安くなるという。電力自由化の制度そのものが、既存電力会社に有利に働くようになっているという怒りのスピーチだった。 原発の話を近所の人たちに話すと、ほとんどの人はよく理解していない。デモに参加していて原発問題に詳しい人がそういう人たちに話す機会や場所を多く作ってほしいという訴えもあった。 また、『3.11メモリアルアクション』への参加を訴えるスピーチもなされた。3月11日の20時から21時まで各家庭の電気を消し、被災地から原発とエネルギーを考える夜にしようという呼びかけである。地震と津波と原発事故で甚大な被害を受けた東北に住むものとして、この日を長く記憶のとどめるためにもこれから毎年の行動にしたいということだった。 最後に、デモ行進の際の障害物への注意があった。公園にも一番町にも車止めのブロックや鉄柱が歩道に並んでいて、デモの歩いているときに足を取られることがあるので注意してほしいということだった。前を大勢の人が歩いているデモでは、たしかに足元を見ることは少ない。私も転ぶことはなかったものの2度ほど足をぶつけたことがある。 勾当台通りを渡る。(2016/2/19 18:40) 今日はしばらくぶりで脱原発犬チョモランマさんが加わって、1匹と45人のデモ行進となった。人間の数は先週より減っているにもかかわらず、集会の時から人が多いとずっと感じていた。 参加人数を数え上げるスタッフはたいへん厳密なので数字は正しいはずだ。たぶん、寒さが緩むのと一緒に私の空間把握感覚も緩んでしまったのだろう。 一番町に入ってくる。(2016/2/12 18:47) 一番町で。(2016/2/19 18:47~50) 一番町に入ると、昨年の暮から輝いていたイルミネーションがすっかり消えていた。冬の寒くて暗い季節に人々を街に誘って消費を促すためにキラキラと光っていたイルミネーションがすべて取り払われ、消されてしまったのだ。 先週の12日にはイルミネーションはまだ煌めいていたので、たぶん、12日と19日の間に一番町の冬は終わり、繁華街に春がやってきたということなのだろう。経済活動における季節の変化はある日突然にやってくるのである。 ぶらんどーむ一番町から藤崎前で。(2016/2/19 18:53~19:03) 専用のキャリーカーなしでチョモさんは歩き通している。後肢の故障はほとんど治ったようだ。飼い主さんに「イオちゃんはどうですか?」と尋ねられたが、わが家のイオはゆっくりゆっくりと気ままに近所を歩くだけである。500メートルほどで帰る散歩もあれば、休み休みしながら1時間も散歩にかけることもある。どちらにせよ、歩き出してみなければわからないのだ。 青葉通り、一番町から仙都会館前まで。(2016/2/19 19:05~14) フェイスブックで、村上敏明さんという方が「入江赳史くん 茨城・常総から 原発巡り、辺野古など基地をヒッチハイクで 原発NOの力強いアピール 京都関電前から」という投稿をしていた。 入江さんは、ヒッチハイクで各地の原発、原子力施設を訪ね、それぞれの地での脱原発行動に参加しながら北海道まで北上し、南下しながら女川原発を訪ねた足で、昨年の8月14日に仙台の金デモに参加してくれた青年である。ヒッチハイクで移動するのは、各地での人々の考えを聞くためだということで、その時は、寄せ書きがびっしりと書かれた旗を手にしていた。 あれから辺野古まで行ったということは、ヒッチハイクで全国をくまなく回ったということだろう。その熱意と粘り、意思の強さにあらためて敬意を表するばかりである。仙台の金デモでスピーチする入江さんと一番町のデモの途中で金デモの佐藤さんと。(2015/8/14) 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.02.19
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こんなニュースをネットで見つけた。 間もなく新政権が誕生するベルギーが、2025年までの脱原発へ一歩を踏み出した。10月30日の組閣交渉の中で結ばれた主要6政党間の合意に基づき、現存する2カ所の原子力発電所は全て閉鎖される方向だ。ただ代替エネルギー源の確保が条件となっており、調整には時間がかかりそうだ。複数の国内メ ディアが伝えた。 ベルギーは北部ドエル(Doel)と東部ティハンジュ(Tihange)の2カ所に原発を抱え、共に仏公益事業大手GDFスエズ傘下の電力大手エレクトラベルが運営している。合わせて7基ある原子炉のうち最も古い3基を2015年まで、残りを2025年までに廃炉とする計画。2003年に脱原発に向けた関連法が既に成立しているが、今回の合意でこれを堅持することが確認された形だ。 福島事故を受けてドイツが脱原発に踏み切ったことはよく知られているが、チェルノブイリ事故後にはオーストリアは建設した原発を一度も使うことなく閉鎖し、イタリアも1990年にすべての原発を閉鎖した。また、オランダでも2基中1基を閉鎖し、残る1機については耐用年数を全うさせるか早期閉鎖にするか政治的に議論されているものの遅かれ早かれ原発は閉鎖されることになる。スウェーデンでも2010年に全原発廃棄するという政治的決断がなされたこともあり、原発大国フランスが残っているとはいえ、ヨーロッパが脱原発へ向かって進んでいることは確かだ。 こうして先進国では脱原発が進むが、経済成長を夢見る後進国においては原子力エネルギーへの幻想は続いているだろうし、そのような国に原発を売り込もうという悪辣な国もある(日本だが)。このような流れから、いずれ、原子力エネルギーをめぐる周辺国化が始まるのではないかと想像される。福井や福島や青森など経済的に恵まれない農漁村に原発を集中させたように、これからはグローバリズムの名のもとに貧しい国々に原発を集中させて原子力の周辺国化が進められていくのではないか。 日米安保条約や原子力協定ばかりではなく、安倍政権が進めている集団的自衛権行使を可能にする安保法制やTPPによって、日本そのものの周辺国化、属国化が徹底されようとしているとき、その日本が原発輸出を目論んで後進国の原子力に関する周辺国化の先兵的役割を果たそうとするのは、私たちにとっては悲劇であり、世界から見れば喜劇そのものだろう。周辺国の人々からの憎しみは日本に向かい、周辺国から吸い上げた経済利益は日本を素通りしていくことは目に見えている。 原発を止められない日本は、もうすでに周辺国化された東アジアの後進国の一つに過ぎない(いや、経済的にはともかく、政治的・文化的には先進国になったことなど歴史上一度もない)。なのに、愛国主義者たちの嘆きの声が聞こえてこないのはとても奇妙だ。 今日も暖かな勾当台公園野外音楽堂。(2016/2/12 18:19、26) フリー・スピーチ。(2016/2/12 18:14~29) 金デモは、3回続けて暖かい日に恵まれた。こういうこともある。かつて、金デモは雨に降られないと豪語していた時期があったが、それが金デモには必ず雨が降るに変わったこともあったので、厳寒期のデモが連続して暖かい日に恵まれても特別なことではないが、風邪ひき常習の身にはけっこう嬉しい。 フリー・スピーチは、安倍自公政権のいわゆる自称「アベノミクス」なる経済政策の欺瞞や虚偽を厳しく指摘する話から始まった。 また、オーストリアと韓国からの留学生の参加があって、ウイーン大学の学生さんが挨拶された。原発問題に関心を持たれて何度も福島に行かれたということである。 さらに、今日の集会には高校生も参加されていて、高校生の団体「T_ns SOWL」(Teens Stand up to Oppose War Law)が安保法制に反対して計画している「0221全国一斉高校生デモ」を仙台でも行うという告知をされた。大学生の組織「SEALDs_TOHOKU」の方からこれを応援し、参加しますというスピーチもなされた。 岩沼市から参加された方は、脱原発運動を広めるために原子力市民員会が作成した『原発ゼロ社会への道――市民がつくる脱原子力政策大綱』という冊子を薦めていると話された。この冊子は1冊1000円だが10冊以上まとめて購入すると700円になり、差額分を活動費に充てているということだ。詳細は原子力市民委員会のホームページに記載されている。 二つの裁判への支援要請もあった。一つは、福島県の原発のプルサーマル化を拒否するなど国の原子力政策を批判し続け、不当な国策逮捕による冤罪裁判から続いている前福島県知事の佐藤栄佐久さんの「退職金返納命令取り消し」請求裁判の判決が、2月24日に仙台高裁で行われる。その傍聴支援に高裁玄関ロビーに当日の12時45分集合されるよう呼びかけられた。 さらに、これから本格的な裁判に入る「南相馬・避難20ミリシーベルト基準撤回訴訟」への支援署名の訴えがなされた。裁判所による門前払いのおそれも考えられて、できるだけ多くの人々の思いが裁判所に届けられて誠実な裁判が行われるように訴えていきたいということだ。 勾当台公園を出発。(2016/2/5 18:37、39) デモの参加人数は、一番町に入ってからスタッフの一人が丁寧に数え上げる。30分早く始まる冬時間になるとデモ出発ぎりぎり駆けつける常連さんもいるのである。 それなりに参加者の顔ぶれも変わっているのに、今日の参加者は先週とぴったり同じ55人だった。 一番町で。(2016/2/5 18:48~51) ぶらんどーむ一番町から藤崎前で。(2016/2/12 18:58~19:01) かつて世界の二大核開発拠点だった米国のハンフォードと旧ソ連のマヤ-クの歴史を批判的に描いた『プルトピア』の著者、ケイト・ブラウン米メリーランド大教授(歴史学)が朝日新聞のインタビューに答えて、次のように話している。 当時〔1950年代〕、原子力発電の技術開発でソ連に後れをとっていた米国は、日本に原子炉を輸出することにしました。広報戦略の一環です。ソ連は、米国の原子炉を「マーシャルアトム」(軍事用の核)だと言ってばかにしていました。米政府はこれを恥じ、アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」を唱え、原爆被爆地の広島にあえて原子炉を置こうとしたのです。ビキニ事件を受けた日本の反核運動の盛り上がりもあって「広島原発」は実現しませんでしたが、ともあれ、米国製の原子炉が日本に設置されました。それは、原子力潜水艦用に開発された軍事用の原子炉を転用し、民生用の原子炉としては安全性が十分確認されたものではありませんでした。しかし、改良に余分なコストや時間をかけたくなかった。米国は非常に危険でやっかいなものだと知りつつ、ソ連をにらむ西側陣営の日本に輸出した。日本にはエネルギー資源がなく、米国に支配された国だったからこそ実現したのでしょう。 原発を巡るアメリカと日本の関係や、過酷事故を運命づけられたかのような日本の原発の歴史の始まりが、疑いようもなく、簡潔に、明晰に述べられている。「米国に支配された国」に「非常に危険でやっかいな」原発が押し付けられたのである。 しかも、そのように周辺国化というよりも植民地化された日本で、安倍自公政権は福島の人々の犠牲に目を向けようともせず、そのアメリカだけに忠誠を尽くすように日本の原発を守り続けようとしているのだ。 私たちは、日本の無残な政治的状況という点においても、原発に反対してデモを続けるしかないではないか。そのように行動している私たちは、言葉の正しい意味で「愛国者」ではないかと思う(「愛国者」という言葉は歴史的・思想的に薄汚れていて嫌いだが)。愛国主義を標榜する人々のほとんどは安倍自公政権を支持している。そのことは彼らの愛国精神に反しないのであろうか。まあ、彼らの「愛国」とは単に政治権力に従順というだけなのかもしれないが……。 青葉通り交差点の手前。(2016/2/12 19:02)青葉通り、東二番丁交差点。(2016/2/12 19:10) この横道の交差点を越えればゴール。(2016/2/12 19:12、13) 一週間に一度の脱原発デモは、私の生活に一定のリズムを与えてくれる。先週後半から今週前半まで、バタバタと走り回っていたので、ことさらそんな風に感じる。 先週の木曜日、肺炎の疑いで救急入院した義母は111歳という年齢もあって、さっそく、いざという場合に延命治療するかどうかという話になった。さいわい、肺炎でもなんでもなくてきっかり一週間の入院で水曜日の午前中に退院と決まって、延命治療に関する重苦しい判断は避けられた。 義母の付き添い介護をしている妻は、同じ病院で狭心症の検査入院の予約をしていた。病院の配慮で、火、水と一泊入院で義母と一緒に退院することになっていた。その間、私が食事の世話を中心に義母の付き添い介護をしていた。妻の検査結果は良好だったものの、カテーテル検査後の出血が止まらず退院延期を宣告されて、私一人で義母を退院させ、自宅で介護することになってしまった。 妻が間をおかず退院してきたので問題はすぐに解決されたのだが、この一週間のバタバタはけっこう体に効いているようだ。なんでもないと思っているのだが、少し動くと疲れが顕われるのだ。体の奥深いところに疲れが残っているらしい。 一週間に一度のデモで体のリズムを取り戻すのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.02.12
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前回の日曜昼デモの日、私を除くわが家の家族全員が風邪をひいてしまい、困ったと思いながらデモに出ていたのだが、そこまでは予告編みたいのもので、本編は後からやってきた。 111歳の祖母も37度台の熱が3日ほど続いたのだが、木曜の午後、訪問医の診断で急遽入院することになった。肺炎を心配しての処置である。結果は肺炎にまで進んでいなくて、熱も下がってきたので、様子を見ましょうということになった。 救急車で運ばれたので、準備できなかった細々としたものを届け、付き添いの妻の食事を運んだりしていると、この金曜日の夕方はデモ以外に何もすることとがなくなった。日中の暖かさの残る勾当台公園野外音楽堂。(2016/2/5 18:12、27) フリー・スピーチ。(2016/2/5 18:16~28) 日中はとても暖かかった。病院に荷物を届けるのは自転車でというのが妻の指示だった。付き添いの合間にあちこち出かけるのに必要だというのである。しばらくぶりに自転車に乗って汗をかき、自転車では寒かろうと厚着をしたので、徒歩で帰る病院からの道でも汗をかいた。 そんな日だったので夜の冷え込みの見当がつかず、用心してやや厚めの服装にしたので、夜の勾当台公園も暖かいのである。 フリー・スピーチでは、「ミナセン(みんなで選挙)クラシックとお茶しま専科」というオールみやぎの会主催のイベントの告知があった。「チェロ四重奏と憲法カフェin北山市民センター」というサブタイトルにあるように、立憲主義を取り戻す弁護士有志の会の小野寺義象さん、草場裕之さんのお話とチェロ四重奏の演奏があり、来たるべき参議院選挙についてお茶を飲みながら楽しく語り合いましょうという企画である。 2月26日(金)に北山市民センターで、昼の部は15:00から、夜の部は19:00から開かれる。この企画は、要望があれば県内どこでも出張開催するということである。 今日はじめて参加した人も挨拶された。京都から仙台に転居されたということで、これから毎回参加したいと話されたが、若い人が意外に少ないので驚いたということだった。 選挙がらみの告知があったので、脱原発のことも選挙を抜きにしては語れないというスピーチが続いて、最後に東芝の経営状況の話題が出た。粉飾決算、過剰債務の大きな原因の一つに原発事業がある。東芝は、将来原発が何百基も造られると見込んでアメリカの原発ブランドのウェスティングハウス社を傘下に収めたが、その費用にWH社のブランド料として過剰な資金を投入したものの、世界で何百基も造られるはずのない原発事業を幻想として抱え込む羽目になってしまった。原発企業の末路の話である。 勾当台公園から勾当台通りへ。(2016/2/5 18:37、40) この時期は、仙台では最も寒い日が続く(はずである、いつもなら)。前回の日曜昼デモも好天に恵まれたが、この夜もまったく寒さを感じさせないいい塩梅の気温である。ぬくぬくとした55人のデモの列が勾当台公園を出発した。 定禅寺通りを越えて一番町へ。(2016/2/5 18:48~50) デモの写真を撮るために列を離れて道を迂回することがある。そんなとき、この頃のコールが遠くまでよく聞こえるようになったと思うのだ。コーラーは大きなトラメガを使うが、それに応えるのに後方で使う小さなトラメガがとても効果的なのだ。 ぜいたくを言えば、男声、女声など音質の異なる複数の小トラメガがあればもっとデモアピールらしくなると思うが、音量が大きすぎるのはかえって不快感を与えかねない(音量調節でなんとでもなるかもしれないが)。 広瀬通りから青葉通りへ一番町を行く。(2016/2/5 18:54~59) 厳冬期の中の暖かな1日というせいだろうか、街に人が多い。ときどき、通行人の顔がアップで写っている写真があったりする。そんな写真をブログに使うことはないが、デモ人以外の人が写り込んでいる場合にはボカシをかける。 もともとブログ写真はサイズが小さいので、遠めの人にボカシを使わねばならないほど鮮明ではないのだが、念のためにいちおう手を加えておくのである。面倒なのだがしょうがない。 青葉通りへ左折。(2016/2/5 19:01) 青菜通りを東進。(2016/2/5 19:03~05) 暖かいと体も声も伸びやかになる。一番町から青葉通りに出ると、デモの声がきれいに澄んだようになる。アーケードの反射がないせいだろうが、青葉通りの道幅の広さと相まって、声が届いているだろうかという思いもする。 アーケードで反射されれば自分たちに大きく聞こえ、広い道では声は遠くまで広がって自分たちには小さく聞こえる。物理的にはそうなるが、心理的には逆なのである。 流れ解散地点の仙都会館前には17時08分に着いた。11分発のバスには間に合いそうもない。勾当台公園を始点とするデモの時にはたいてい17時10分前後になるので、バスは諦めて地下鉄にする。 以前はバスに間に合わなければ歩いて帰ったのだが、地下鉄という選択肢が増えて、やや堕落気味である。しかし、今日だけは急いで家に帰って夕食を作らねばならないという立派な言い訳がある。やはり、地下鉄の乗るのだ。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.02.05
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