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いい天気だ。予報では昼前から曇天ということだったがずっと明るい春の陽射しが溢れている。日向で動くと汗ばみ、日陰でじっとしていると少し寒いという三月下旬らしい気温で、厚いジャケットと薄いジャケットを着替えながら、市民広場で「3.27 NO NUKES Parade」の会場設営の手伝いをする。 チェルノブイリ事故から30年、福島事故から5年経った。昨日26日には東京・代々木公園で「原発のない未来へ!3.26全国大集会」が開かれ、3万5000人が参加したという。昨年は、3月8日に日比谷公園で2万3000人が参加した「3・8 NO NUKES DAY 反原発・統一行動」が開かれ、私も集会から国会前での抗議行動に参加した。 今年は、東京、仙台と連日の行動は無理とあきらめて、仙台の「3.27 NO NUKES Parade」だけにした。いくぶんできた余力の分で、少しでも手伝えればと早めに会場に来たのである。 挨拶と報告。(2016/3/27 14:02~28) 篠原恭子さんの司会で、集会は始まった。実行委員会を代表して脱原発みやぎ金曜デモの西新太郎さんの主催者挨拶は、「皆さん、お天気が良くてよかったですねぇ」という言葉で始まり、伊方原発1号機の廃炉決定に触れ、「みなさんの力で必ず女川原発を廃炉にしましょう!」と締めくくった。 続いて、宮城県内のそれぞれの現地で脱原発の活動に携わる人たちから挨拶や報告があった。初めに、女川原発の立地自治体の女川町議の高野博さん、阿部美紀子さんが挨拶された。40年前、東北電力は「原発は絶対安全で放射能の心配もない」と女川町民に説明して原発を建設した。福島の事故でそれが全面的な嘘だと分かったのだから廃炉にするのが筋道だと、高野さんは強調された。阿部さんは、旧牡鹿町で43%、旧雄勝町で74%の人口減が地震と津波の被害ばかりではなく、原発への不安もそれを加速していると指摘され、住民に不安な生活を強いている原発を止めさせましょうと訴えられた。 指定廃棄物最終処分場候補地、加美町から「放射性廃棄物最終処分場建設に反対する宮城県民連絡会」代表の高橋福継さんが挨拶された。候補地の田代岳は鳴瀬川、江合川の水源山地にあり、処分場建設は宮城米の主要産地であるろ大崎平野を汚染する恐れがあると強い危機感を述べられた。 女川原発30km圏からは結成されたばかりの「女川原発UPZ住民の会」の事務局長、美里町の橋本史俊さんが挨拶された。知事のさじ加減でどうにもなるような東北電力とUPZ自治体との協定の内容を強く批判され、UPZの自治体も女川原発再稼働の拒否権を持てるように運動していきたいと決意を述べられた。 最後に、脱原発を目指す宮城県議の会代表の佐々木功悦さんが壇上に上がった。県議の会から参加された5人の県議、福島かずえさん、天下みゆきさん、遠藤いく子さん、中嶋廉さん、大内真理さんも壇上前に並ばれた。 佐々木さんは美里町長として町ぐるみの脱原発に取り組んでこられたが、町長辞職後、脱原発を訴えて県議に当選された方である。佐々木さんは、原発の耐震性にも言及された。女川原発はもともと250ガルに耐えるように設計されたもので、再稼働にあたって1000ガルに耐えられるように改良するとしているが、宮城県北部地震では4022ガルであったことを考えれば女川原発の安全性は全く信用できないと強調された。 集会中に核兵器廃絶・海外派兵反対を訴えて毎月一回33年も行進を続けている「市民行進の会」の皆さんが合流し、この後のパレードにも参加された。 600人が集まった。(2016/3/27 14:05、08、21) 「宮城のうたごえ」の合唱。(2016/3/27 14:45、46) 宮城県各地の脱原発・反原発の現場からの報告、挨拶の後、「宮城のうたごえ」のコーラスである。「なぜに、福島の地から」という歌で始まり、子どもたちへ想いを伝える「青い空は」と続いた。 昨年に続いて、今年も「みやぎ割烹着―ず」が楽しいパフォーマンスを披露した。「ラブ・ミー・テンダー」を忌野清志郎が「何言ってんだ~ ふざけんじゃね~ 核なんていらね~」と歌い出す反原発ソング「放射能はいらねえ!」に振付をして、歌って、踊るのである。ファミリーコーナー。(2016/3/27 14:52) みやぎ割烹着ーずのパフォーマンス、そして集会アピールへ。(2016/3/27 14:55~15:00) 集会の締めは、集会アピールの朗読である。 3.27 NO NUKES Parade ! ―みんなで止めよう女川原発― 集会アピール あれから5年経ちました。あの日、3月11日午後2時46分に、東北地方太平洋沖地震が起き、それによって東京電力福島第一原子力発電所では1号機、 3号機、4号機の水素爆発、2号機の格納容器破損という史上最悪の原発事故が発生して、悪夢のような放射能汚染と放射線被曝が始まりました。原発事故が生み出した放射能は、16万人の人々を福島の地から追い出し、残された町は人が住むのが困難な土地になってしまいました。 あれから5年も経ちました。事故を起こした4基の原発は、日本の科学技術では手の施しようもないまま、いまも大量の放射能を海と空に吐き続けています。いまだに10万人余りの人々は故郷に帰れる望みがありません。故郷の町では、強制的に遺棄させられた家畜やペットが命を失ったばかりではなく、すべての生き物たちが放射能に傷ついています。そして、私たちが何よりも恐れていた甲状腺がんの多発は、宮城県に住む私たちにとっても決して他人ごとではありません。 あれから5年経った今、私たちの子ども、そのまた子ども、そしてずっと未来の子どもたちのことを考えると、心も体も震えるばかりです。それなのに、政府や電力会社は福島を放置したまま、原発の再稼働を始めています。いくつかの裁判では、危険な原発の再稼働を認めない判決が下されました。しかし、私たち多くの国民の願いを聞くこともなく、政府は再稼働への動きを止めようとはしません。 あれから5年、私たちは、宮城県で生きていく私たちと子どもたちのために、女川原発の再稼働に反対し続けています。日本の未来の子どもたち、地球の未来の子どもたちのために、すべての原発を止めるよう求め続けています。 仙台市の、宮城県の皆さん、そしてこれからを生きていくすべての皆さんに訴えます。未来の子どもたちに健康で光り輝くような故郷を残すために、どうか原発廃棄の声を上げ続けている私たちの列に加わってください。2016年3月27日 「3.27 NO NUKES Parade」参加者一同 昨日の東京の3万5000人には及ぶべくもないが、この市民広場には600人が集まって来た。「毎週金デモに参加する人も、一年に一度今日ここに参加する人もみんな同じ脱原発」と主催者挨拶で金デモ代表の西さんが言われたが、私たちの列にはもっと多くの人の意思が加わっているだろう。 宮城県全域でみれば、思いが強くても仙台のこの場所までやって来られる人は限られている。だが、私たちの列の見えない先にはその人たちがずっと連なっているにちがいないのだ。 市民広場からパレード。(2016/3/27 15:11、13、14)一番町を行く。 (2016/3/27 15:28) 冬の間、ずっと暗い街を歩いていたので、温かい陽射しのもとでこれから街に出ると考えると少しばかり気分が浮いてくる感じがする。コールの練習をしながら、列がどんどん整っていく。 仙台市役所前の市民広場からまっすぐ南に出ればすぐに繁華街の一番町に入る。600人の参加者は、信号を一つ越えると三つのグループに分かれ、さらに最後尾を歩く「宮城のうたごえ」が独立したグループとなって、コールときどきコーラスという具合に進んでいく。 葉通りで東二番町通り(国道4号)を渡る。 (2016/3/27 15:41、43)最後のグループが到着。 (2016/3/27 15:52) 傾きかけた陽を浴びて、色とりどりの風船や幟旗が輝いているようだ。若いころ、学生や組合のデモでこのような感じを受けたことはあまりない。 子どもから私のような年寄りまでさまざまな(つまり、色とりどりな)人々が声を合わせて訴える風景は、じつのところ、この日本にとってはとても近代的なことではないか。ここ数年の国会前の風景もそうだが、こうした風景はかつての日本にはなかった。私はそう思う。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.03.27
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年に数回しかない東京での会議が終わって、ぶらぶら歩きで午後6時半まで時間をつぶす。しかし、温かい。いや、温かいというよりも暑い。仙台暮らしでは、暖冬といえども身体はまだまだ寒冷地仕様なので、歩き出すとすぐに汗ばんでしまう。 所要時間を適当に判断して地下鉄に乗ったが、国会議事堂前には25分も早く着きそうなので、日比谷で降りて歩くことにした。日が陰り、気温も下がってきたので、ずっと手で抱えていたコートを着たが、汗ばみそうになるのを避けようとゆっくりゆっくりと歩いて、国会正門前にはピッタリ6時半に到着した。 次々登壇するコーラー(国会正門前)。(2016/3/18 18:31、44、19:02) コールに声を合わせて。(2016/3/18 18:45) コールが始まった。列の先頭にいるのだが、写真にはコーラーが小さくしか写らない。いちおうは仕事で東京に出てきたので、カメラも一番軽い35mmの短焦点レンズを装着してきたのだ。むやみやたらとそばに寄っていく勇気もないので、今日はこれで行くしかないと諦めた。 たまにしか来ない東京だが、コールをする人はどなたも何度かお見かけしたことがある。国会や首相官邸に向けてのコールだから、仙台での街頭デモのコールとはまったく趣が異なる。市民に向けるコールは優しく、政治(家)に向けるコールは厳しく、ということだ。国会前のコールで気分がすっきりするということは、確かにある。 産経新聞がSEALDsのコールで首相を呼び捨てにしていることについて、明治生まれと見紛う(誤解のないように言えば、大正以前の生まれで儒教的倫理の最悪、幼稚な部分だけつまんで生きている)ような笑止な言いがかりを書いていたが、それを受けてか、「今日も呼び捨てで行きます」と前振りがあってコールが始まった。ここでは呼び捨てこそふさわしい。 スピーチ・タイム。(2016/3/18 18:54~19:18) コールの合間にスピーチが続く。二人ほど、高浜原発3、4号機の差し止め決定を下した大津判決に対する関西経済人の発言に関するニュースを取り上げた。とくに、関西経済連合会の角和夫副会長(阪急電鉄会長)が、「憤りを超えて怒りを覚えます。なぜ一地裁の裁判官によって、(原発を活用する)国のエネルギー政策に支障をきたすことが起こるのか。こういうことができないよう、速やかな法改正をのぞむ」という発言したことに、「我々こそ、憤りを超えて怒りを覚える」と強く批判されていた。 このような日本の主要な企業の役員が、日本の社会システムとしての司法制度や労働制度を無視したい、無力化したいというのは、いわば資本主義を生きる前提としている以上、本能に近いものだろう。だが、かつては法制度を重んじるとか民主主義的道徳という「建前」があって口を噤んでいただけだろう。 しかし、国会での数に任せてなりふり構わない憲法違反で安全法制を強行採決したり、地方自治法の精神を踏みにじった手続きで辺野古新基地建設を強行しようとする安倍政権の誕生で、その建前のタガも外れてしまったようだ。つまり、政界と経済界は憲法や司法制度を超える権力を獲得したと信じているようにしか見えない。それが司法制度を無力化しようとする発言になって顕在化したのだ。 もう一つ、高浜原発を巡る悪辣な事例として、大津地裁による運転差し止め仮処分決定を受けて関西電力の八木誠社長が「一般的に(原発停止に伴う)損害賠償請求は、逆転勝訴すれば考えられる」と述べたというニュースが挙げられる。 これは、明らかに住民訴訟を起こした(これから起こす)人々への恫喝である。おそらく将来的にはスラップ訴訟も辞さないという脅迫も含意されている。ここでも司法制度など歯牙にもかけない本能のかけらがのぞき見える。 しかし、住民が実力で原発を差し止めたなら住民への損害賠償請求も論理的にはありうるが、差し止めたのは裁判所である。損害賠償請求は、裁判所つまり国を相手取って起こすことになろう。ぜひ、再稼働をなりふり構わず推し進める国を相手に損害賠償請求訴訟を起こしてもらいたい。とても面白い漫画になるだろう。 闇に浮かぶキャンドル。(2016/3/18 19:19) 抗議と祈り。 (2016/3/18 19:21、23) 官邸前(国会正門前)抗議は、午後6時半から8時までである。たまの東京では、官邸前に行くことが多かった。それで、まず国会正門前に行ったのだが、やはり、官邸前にも行っててみようと思った。7時15分になったので、残りの45分を官邸前で過ごそうと国会正門前を離れた。 正門前の抗議の列が途切れたあたりにキャンドルが並べられていた。その写真を撮ろうと近寄ってみたら、先にカメラを構えている人がいる。官邸前でお会いする目良誠二郎さんだった。私とは逆に、官邸前からこちらに向かってきたらしい。 目良さんと挨拶を交わして、これから官邸前に行くと話すと「今日は少ないですよ」と言う。先週の金曜日が3月11日だったので、大勢集まったのだろう。仙台でもいつもの倍近い参加者があった。だいたいそんなあとは反動で人が減るようである。 官邸前にわたる交差点の手前に「安保(戦争)法と原発再稼働は車の両輪」という幕を掲げている人がいた。今、起きている様々な政治的問題の出どころは同じだ。再稼働反対も安保法制反対も辺野古新基地反対も、そのほかもろもろも私たちの行動が必要だ。何よりも今度の参議院選挙が重要だ。 悩ましいほどやらねばならないことはあるのだが、それに見合うほどの行動力と実力がない。暗い闇に鮮明に浮かんでいるアピール幕を見て「体を大切にしなければ」と思ったのだった。 官邸前。 (2016/3/18 19:26~35) 官邸前の人はたしかにいつもより少なかった。いつものように先頭から2番目のグループにむとうさんや唐沢さんという目良さんのお仲間がおられた。挨拶をしてから、コーラーのいる先頭の写真を撮って戻ったのだが、ここは人が詰まっていて私の入れる余地はなさそうだったので、そのグループの最後尾に入って声を上げることにした。 喉が辛くなってきたころに、後方から「どうですか」と言って飴を配る人がやって来た。「のど飴ですよ」というので、ひとつ頂いた。黒糖の味のする大粒の飴だった。 終了時間の8時少し前に目の前にあった地下鉄入り口を下ることにした。そういえば、前回も雪が降っている仙台が心配でバタバタと時間前に帰ったのだった。今日はバタバタする理由はまったくないのだが、私の喉は仙台のデモではけっして鍛えられていないということは確認したのだった。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.03.18
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5年前の3月11日も小雪のちらつく寒い日だった。町内の避難先はすぐそばの県立高校だったが、グランドが避難先で建物には入れないのだという。避難先で凍死などというのは悪すぎる冗談で、川向こうの小学校に避難させてもらうことになった。 町内会が今も市と交渉しているのだが、市の管轄外の県立高校なのでうまくいかないのだというのである。どんな災害が起きても、役所は旧弊を変える気はないということらしい。政治家や電力会社のように、ここでも学習しない人たちがいる。 黙祷(錦町公園)。(2016/3/11 18:09) 錦町公園での集会が始まるころから雪がちらつき始めた。ここのところずっと暖かだったのに、今日にかぎってまるで5年前と同じだ。涙雨とはよく言うが、涙雪というのもあるらしい。 集会は長い黙祷で始まった。これは脱原発の集会だが、参加者のなかには肉親や友人、知人など身近なひとたちを喪った人も大勢いるだろう。私も、家をそっくり流されたり、肉親を亡くした同級生を励ますための会を立ち上げたのだったが、本人たちの心が落ち着くまで待つのに二年もかかったのだった。心の傷が癒えるには長い時間が必要なのだ。そして心が傷が癒えないことを助長するかのように、5年も経ったのに復興はまったくの道半ばなのである。 スピーチ、朗読、独唱。(2016/3/11 18:13~27) 黙祷が終わり、主催者挨拶は、「女性自身」という週刊誌(3月22日号)の「福島県60小中学校『放射性物質』土壌汚染調査『8割の学校で18歳未満立ち入り禁止の数値が出た!』」という驚くべき内容の記事のことだった。調査した60ヵ所の約8割で「放射線管理区域」の指定を受ける4万ベクレル/m^2を超える高い数値が観測されたという記事である。 「放射線管理区域」とは、空間放射線量や表面汚染線量が一定の値以上の場所で、法によって一般人の立ち入りが禁止され、放射線作業従事者(18歳以上で、かつ一定の教育訓練を受けた者)だけが立ち入り可能で、そこではすべての飲食が禁止される。小学生や中学生がそこで暮らすことなど絶対的に法で禁止されている場所なのだ。にもかかわらず、福島原発事故以降は放射線被ばくに関してはまったくの無法状態である。「復興とはいったい何なのか。日本はまったく狂っているとしか思えない。」と怒りのスピーチである。 そのあとは、5年後の心境を語るスピーチ、2011年3月11日午後2時46分に起きたことを詠った和合亮一さんの詩の朗読、幸喜恵理さんの独唱と続き、静かな鎮魂の時間を過ごした。 デモは、蝋燭を掲げてのサイレントデモである。蝋燭といっても、風の中を歩き回るので安全なLEDの蝋燭が用意された。 定禅寺通りで東二番町通り(国道4号)を西へ。(2016/3/11 18:48) 3月11日、それに続く東電福一の原発事故の5年後の日を前に、とても大きなニュースがあった。3月9日に、大津地裁が関西電力高浜原発3、4号機の運転を禁止する仮処分決定を行ったのである。主文は、「債務者は、福井県大飯郡高浜町田ノ浦1において、高浜発電所3号機及び同4号機を運転してはならない。」というものだ。 4号機はすでに緊急停止で止まった状態で、3号機は直ちに運転を停止した。最大限の敬意を表して裁判官の名を記しておこう。山本善彦裁判長、小川紀代子裁判官、平瀬弘子裁判官の三人である。 決定文(脱原発弁護団全国連絡会のホームページに掲載されている)のなかに、次のような記述がある。福島第一原子力発電所事故の原因究明は,建屋内での調査が進んでおらず,今なお道半ばの状況であり,本件の主張及び疎明の状況に照らせば,津波を主たる原因として特定し得たとしてよいのかも不明である。その災禍の甚大さに真撃に向き合い二度と同様の事故発生を防ぐとの見地から安全確保対策を講ずるには,原因究明を徹底的に行うことが不可欠である。この点についての債務者の主張及び疎明は未だ不十分な状態にあるにもかかわらず,この点に意を払わないのであれば,そしてこのような姿勢が,債務者ひいては原子力規制委員会の姿勢であるとするならば,そもそも新規制基準策定に向かう姿勢に非常に不安を覚えるものといわざるを得ない。 福島第一原子力発電所事故の経過(前提事実(6)イ)からすれば,同発電所における安全確保対策が不十分であったことは明らかである。そのうち,どれが最 も大きな原因であったかについて,仮に,津波対策であったとしても,東京電力がその安全確保対策の必要性を認識してさえいれば,同発電所において津波対策の改善を図ることが不可能あるいは極度に困難であったとは考えられず,防潮堤の建設,非常用ディーゼル発電機の設置場所の改善,補助給水装置の機能確保等,可能な対策を講じることができたはずである。しかし,実際には,そのような対策は講じられなかった。このことは,少なくとも東京電力や,その規制機関であった原子力安全・保安院において,そのような対策が実際に必要であるとの認識を持つことができなかったことを意味している。現時点において,対策を講じる必要性を認識できないという上記同様の事態が,上記の津波対策に限られており他の要素の対策は全て検討し尽くされたのかは不明であり,それら検討すべき要素についてはいずれも審査基準に反映されており,かつ基準内容についても不明確な点がないことについて債務者において主張及び疎明がなされるべきである。(決定文44-45頁) 福島の原発事故の原因が解明されていないにもかかわらず作成された新規制基準や再稼働への行為そのものに疑義を呈している。そして、それらの問題を超えて原発が安全であることについては債務者(関西電力)が責任をもって証明しなければならないと主張している。 おそらく、現在の原子力村の科学力、技術力では福島事故の解明は当分不可能であろうから、大津地裁の決定文の論理は、再稼働を目指すすべての原子炉にそのまま適用できるものだ。 これで、志賀原発、大飯原発、高浜原発と三つの運転差し止めの判決が出た。川内原発の再稼働を容認した裁判官たちは心寒い気分に陥っているに違いない。こうして少しずつであってもこのような判例が増えていくことは、これからいくつも続く原発差し止め訴訟で必ずや良い影響を与えるだろう。 政府の意向に従順な裁判官も少なくないだろうが、法の論理を重んじる裁判官だって少なくないはずだ。これらの判例の論理を重く受け止めてくれることを期待してもいいのではないかと思う。地裁レベルでこのような判決が増え、それが高裁を動かし、もっともあてにならない最高裁も無視できなくなることを、私は期待している。 一番町を行く。(2016/3/11 18:51~57)脱原発犬チョモランマさんは専用車で。(2016/3/11 19:07) 泥憲和さんという元自衛官の方がいる。安保法制などに積極的に発言を続けておられ、2月28日に開催された「憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える」(立憲民主主義を取り戻す弁護士有志の会、野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会主催)でも講演されている(残念ながら、私は所用で聞くことができなかったのだが)。 その泥さんが、じつに明快(痛快)に今度の大津地裁の決定文を要約されて、フェイスブックに(ツィッターにも)投稿されている。【快挙!高浜原発運転差し止め決定】 ざっくりいうとですね、「福島原発事故の原因さえわかってないのに、この段階で安全であるなどと、どの口が言うのか」(意訳) 「人類の経験など浅いもので、地球温暖化の影響などで今後どんな災害がやってくるかも分からんのに、裁判所に対して十二分に安全対策がなされたと見なせというのか、ふざけるな」(意訳)「福島事故を経験したにもかかわらず、過酷事故に対応する設計思想はあかん、外部電源の問題も失格、地震想定もさっぱりで、津波対策はろくなもんじゃないし、避難計画さえまともじゃない。こんなことで運転許可なんかできるか!運転差し止め!」(意訳)ぶった切りですな。 拍手! この通り、もう言うことなしである。 青葉通り(先週と同じ構図を2倍の人間で)。(2016/3/11 19:09~10)青葉通りで東二番町通り(国道4号)を東へ。 (2016/3/11 19:16) 静かに静かにデモは終わった。サイレントデモというのは、とても注目を浴びるデモのようだ。コールがないので、「なんだなんだ」という感じで道行く人が注目している。プラカードを一生懸命に読んでいて、デモに関心が向いている時間が長くなっているように思える(私の欲目かもしれないが)。コールときどきサイレント、というのもいいかもしれない。 今日は財布を忘れて家を出てきてしまった。冷え切った体で夜道を歩いて帰るしかない。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.03.11
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寒椿怠らざりし日も昏るる 石田波郷 [1] 暖冬に戸惑っていたらしい庭の椿も藪椿を中心にポツポツと花の数が増えだした。「今生は病む生なりき烏頭」[2] と詠った波郷は、今日という日を愛おしみ、今、この時間を惜しみ、怠らないように必死に生きたにちがいない。なにしろ、「雪はしずかにゆたかにはやし屍室」[3] と詠まざるをえない日々を送っていたのだから。 さて、たくさんの時間が残されているわけではない私はというと、今日の「怠り」の言い訳のように、のっそりと家を出て県庁前に向かうのである。勾当台公園野音前。(2016/3/4 18:28)フリー・スピーチ。(2016/3/4 18:11~27) 勾当台公園に入り、高台にある野外音楽堂を見上げるとあまり人は多くないようだ。とくに今日にかぎって人が少ない理由があるのか、見当がつかない。もっともそんな理由はなかったらしく、結局はいつもと同じくらいの50人のデモにはなっていた。 このごろ私は金デモに遅刻をしなくなった。時間どおりだったり、ときどきは時間前に着いたりするので、まだ人が集まっていないことが多い。それで、人の少ない印象がだいぶ強くインプットされているようだ。 集会での主催者挨拶は、先月26日に再稼働したばかりの高浜原発4号機が29日に変圧器周辺のトラブルで緊急停止したことから始まった。もともと高浜原発4号機は再稼働直前の20日にも原子炉補助建屋で放射性物質を含む水漏れが見つかるというおんぼろ原発であるが、主催者が強調したのは、今回の緊急停止が発電と送電を始める様子をマスコミに公開している最中に起きて、関電の担当者が「緊急」には対応できず右往左往している様子が動画で流れているということだった。このような技術者たちが運転している原発がいかに危険であるかがよく確認できる動画なのでぜひとも見てほしいということだった。 続いて、プルトニウム問題を話された人がいた。日本が多量のプルトニウムを保有していることに懸念を示すアメリカ政府関係者がいることや、核燃料サイクル計画の見直しがひそかになされていたことがあったというニュースや、そうなれば六ヶ所村のある青森県はプルトニウムを全面的に拒否するだろうということ、原発から出る放射能廃棄物ばかりではなくプルトニウムの処分もまったく解決のめどが立っていない問題ということだ。 3月11日が間近に迫った今日も『3.11メモリアルアクション』への参加呼びかけがあった。主催者からは、金曜日である11日の脱原発デモではLED蝋燭を掲げたデモのあと集会場所の錦丁公園に戻って蝋燭を灯した集まりを持ちたいという提案があった。 最後に、3月27日に開催される『NO NUKES Parade! ―みんなで止めよう女川原発―』の案内、情報拡散、カンパの要請と、5月の開催されるシンポジウムの案内があった。 日中はこの季節らしい暖かさだったが、日が落ちてからだいぶ冷えてきた。じっとしていることが辛くなるころ、タイミングよくデモに出発する。 表小路(市役所前)で。(2016/3/4 18:42) 今日の正午近く、安倍政権が辺野古新基地建設の代執行訴訟について福岡高裁那覇支部の工事中止を含む和解案を受け入れるというニュースが流れた。和解案には、沖縄を含めオールジャパンで最善の解決策を合意して米国に協力を求めるべきこととか、延々と裁判が続けば国が勝ち続ける保証はなく、むしろ知事の広範な裁量が認められて国は敗訴するリスクは高い、などの内容が含まれていた。沖縄県は和解案受け入れをすでに表明しており、和解案に不満を漏らしていた政府がようやく受け入れを表明した形だ。 金デモの常連の一人が3月1日から辺野古に入っていて、フェイスブックで現地の様子が次々に届いている。政府の和解案受け入れのニュースを聞いて、辺野古ゲート前で座り込みの人たちが全員でカチャーシーを踊る様子が動画で届いた。少なくとも半年程度は工事が中止されるだろうから、ひとまずは喜んでいいのだ。警察と海上保安庁という二つの国家暴力装置を前面に押し出して権力の意図を通そうとした政権の目論見が頓挫した意味は決して小さくない。 安倍政権の思惑は、参議院選挙や沖縄県議会選挙で辺野古新基地問題を争点から外して有利に選挙戦を進めようということだろうし、話し合いが不調に終わり再び訴訟合戦となっても行政の一機関に堕したような最高裁では最終的には勝てると踏んでいるにちがいない。砂川判決のように「統治行為論」で国家統治に関わる政治性の高い行為は裁判所の審査権の外にあるなどとして政府勝訴の判決が出る可能性に期待しているだろう。 しかし、最高裁判決が出るまではそれなりの時間がかかるのだから、それを、安倍自公政権を替えてしまうために私たちに与えられた時間と考えることができる。 一番町を行く(1)。(2016/3/4 18:48) 一番町を行く(2)。(2016/3/4 18:49) 辺野古ほど大きな運動ではないが、政治権力に向き合う市民という意味で、もう一つ注目すべきニュースがあった。《保育園落ちた日本死ね!!!》と題した次のような内容のブログ(一部抜粋)がネットで話題になっていた。何なんだよ日本。一億総活躍社会じゃねーのかよ。昨日見事に保育園落ちたわ。どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?何が少子化だよクソ。子供産んだはいいけど希望通りに保育園に預けるのほぼ無理だからwって言ってて子供産むやつなんかいねーよ。不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。ふざけんな日本。 民主党の議員がそれを国会で取り上げたら、「安倍晋三首相は「匿名である以上、実際に本当であるかどうかを、私は確かめようがない」と答弁。議員席からは「誰が(ブログを)書いたんだよ」「(質問者は)ちゃんと(書いた)本人を出せ」とやじが飛んだ」という。明らかに国民の生活にとって深刻な問題にもかかわらず、そんな反応しかできない政治家の愚劣さはいかんともしがたいが、それは先刻承知のことで、腹は立つがそんなに驚かない。 ニュースのツボは、腐った問題意識しか持たない政治家の言葉に怒った人たちが、「#保育園落ちたの 私だ!」というプラカードを持ってすかさず国会前に集まって抗議したという点にある(#のついたハッシュタグは、ツイッターで検索するためのキーワードを意味していて、ネット上で話題になっていることを示している)。 報道写真では、本当に若いお母さんとお父さんたちが3、40人ほど集まって抗議している。時代は本当に変わったのだと実感できる光景だ。組織化されていない普通の市民が、自分自身のことを政治イッシューとしてとらえてただちに行動を起こしているのである。 もはや、右翼vs左翼だとか国家権力vs反政府勢力などという図式ではない。「政府vs市民」なのである。日本人のマジョリティは政治に関心がない、選挙にもいかないと言われている一方で、普通のその辺にいるなんでもない市民が政治イッシューの前面に立っているのだ。 デモの後を追って。(2016/3/4 18:58~19:01) 青葉通りに出た。(2016/3/4 19:05) けっして「怠り」のエクスキューズではない(と本人は思っている)デモも終わった。忙しくしているつもりだが、何ごとかを為したという実感の裏打ちがない。もしかしたら、ただただ人生にうろたえているだけかもしれない。椿その紅蓮なすもの身に受けてうろたえおりし去年(こぞ)の春はも 福島泰樹 [4] [1] 『石田波郷読本(『俳句』別冊)』(角川学芸出版 平成16年)p. 154。[2] 『石田波郷句集 初蝶』(ふらんす堂 2001年)p.72。[3] 『石田波郷句集 初蝶』(ふらんす堂 2001年)p.50。[4] 福島泰樹「歌集 月光」『福島泰樹全歌集 第1巻』(河出書房新社 1999年)p. 268。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2016.03.04
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