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大学時代の友人が北九州からやってきて、わが家で一夜を過ごして帰っていった。10年ぶりの再会だったが、わが家に来たのは20年以上も前だった。「いずれまた会いましょう」と友人は北九州に帰っていったが、たぶん二人ともその実現可能性を信じてはいないのだった。 若かったときには信じられた可能性が一つ、また一つと消えていく。そんなふうにして、若かったときにはなかった新しい寂寥を老人は手にしていく。 長い秋雨(すすき梅雨というらしい)の切れ間の日曜日、気温がどんどん上がって行く。少しずつ秋の冷涼に体が慣れてきていたので、嫌がる体を宥めながら肴町公園に向かう。長雨で毎日の散歩をさぼり続けていたせいか、どことなく自分の足に信頼がおけない。 肴町公園の集会。(2016/9/25 14:04~14:25) まだらに木漏れ日が射す公園に集まっている人は多くない。夜のデモに参加できない人のために始めた月一回の日曜昼デモだが、それで都合がよくなる人より都合が悪くなった人の方が多いようだ。 長い闘いなので、日曜は家族と一緒に休養を取り、英気を養うという過ごし方も大事だ。私のように、退職して、家族と一緒に長い時間を過ごすようになった人間は、日曜にも出かけて、みんなから英気をもらう方が大事なのである。 もんじゅ廃炉についての主催者挨拶から始まったフリー・スピーチには、宮城県議会で「脱原発議員の会」の議員が女川原発に関する質問を行うので多くの傍聴をお願するという訴えがあり、また、沢田研二のリサイタルに行かれた方が反戦、反原発の歌が収録されている最新のCDを薦められた。 10月23日(日曜日)に予定されている「脱原発みやぎ金曜デモ」の200回記念デモの案内もあった。でき上がったチラシが配られ、元鍛冶丁公園で午後2時から開かれる集会の内容が紹介され、続く市内デモへの参加が呼びかけられた。 福島の人々への政府の態度に明らかなように、政府は私たち国民をあたかも無知文盲の人間のごとく扱うところに現状の政治状況の本質があると述べられ、日常の様々なことがらにきちんと声をあげ意思表示をしなければならないというスピーチもあった。 また、新電力への移行の薦めのスピーチは、ネットでしか申し込めないのでネット環境にない人はなんとか若い人の応援を得て申し込んでほしいという薦めから、いずれにせよ省電力の努力が原発による発電を追い込んでいく力になるので日々の節電が大事だという話に続いた。 さいごに、河北新報の23日の夕刊に載った短いコラム記事が紹介された。仙台で脱原発の活動を地道に続けている市民グループとして「ぶんぶんカフェ」と「脱原発みやぎ金曜デモ」が取り上げられている。先週のデモの前に30分ほど取材を受けたことがもとになっている「河北抄」というコラム記事である。肴町公園から一番町まで。(2016/9/25 14:32~14:38) 集会が終わり、デモの隊列を整えて少し待機である。肴町公園を解散場所にする「市民行進の会」の核廃絶を訴えるデモが到着してから、金デモは出発するのである。 公園に入って来た「市民行進の会」の10数人はほとんど金デモの誰かと知り合いらしく、それぞれに手を振りあっている。そのなかの数人は、金デモの列に加わってあらためて二度目のデモに出発する。一番町を行く。(2016/9/25 14:40~14:47) ギュンター・アンダースは、ヒロシマ・ナガサキからスリーマイル島、チェルノブイリにいたる核の時代に発言を続けた反核の哲学者である。今年になってアンダースの論集の翻訳本『核の脅威』 [1] が新刊として出版された。 アンダースは、原水爆が使用され所有される時代をアポカリプス、世界の終末へ向かう時代だと断言する。――抽象的な言い方をすれば、一九四五年まではわれわれは、不朽と思われる種属、少なくとも「絶滅するか永続するか」と問うたことのない種属に属する死すべき一員にすぎなかった。それがいまやわれわれが所属しているのは、それ自体が絶滅を危惧される種属である。(この違いは勘違いされることはないだろうが)死を免れぬという意味でなくて、絶滅する可能性があるという意味で、死に定められているのだ。われわれは「死を免れぬ種族=人類(genus mortalium)」という状態から、「絶滅危惧種(genusmortale)」の状態へと移ってしまったのである。 (p. 224) 「どんな人間でもいずれ死ぬのだ」という人類の時代から、「どんな人間でもいずれ殺されるのだ」という人類の時代を私たちは生きているということだ。次の文章の「核実験」を「原発」に置き換えて読むと、私たちが置かれている核時代の状況をよく説明している。 わたしたちが立ち向かう相手、わたしたちが行為によって「取り組む」相手は個人ではなくてあらゆるものの総体になっています。今日極めて重大な意味で行為しなければならない人が出遭う状況は、個人に影響を与え得るような状況ではありません。そういう人が行為する場合、数十万、数百万の人々に関わることになります。しかもその数百万の人々は至るところにいて、それも現代の人々だけではありません。わたしたちの相手は人類にほかならないのです。実際の核攻撃は言うまでもありませんが、たとえば核実験によっても、地球上のあらゆる生物を襲いかねない以上、どういう核実験をやっても、それはわたしたちに襲いかかります。地球は村になったのです。こことあそこという区別は消えています。次世代の人々も同時代人なのです。――空間について言えることは、時間についても言えます。核実験や核戦争は同時代の人々だけでなく、未来の世代にも襲いかかるからです。 (p. 101) 例えば、チェルノブイリ事故による死者数は98万5千人になるだろうとニューヨーク科学会は見積もっている [2]。たしかに福島の事故での死者数はチェルノブイリ事故と比べれば多くはないが、未来の死者はまだ数えられていない。チェルノブイリとは違って、福島はまだ5年しかたっていないのだ。 今日、肴町公園で出会った二つのデモの一つはすべての核に反対し、もう一つはすべての原発に反対する。二つにして一つである。私たちは原爆も原発も止めたい。 『核の脅威』の最終章のアンダースの言葉は、私たちのデモの足取りをもっと強くと要求しているようである。 しかし唯一確実なのは、終末の時代と時の終わりとの闘いに勝利することが、今日のわれわれに、そしてわれわれの後に登場する人々に課されている課題であり、われわれにはこの課題を先送りにする時間はなく、後世の人々にとっても時間はないということである。 (p. 286)定禅寺通り、晩翠通りを廻って肴町公園へ。(2016/9/25 14:50~15:12) 一番町では2か所ほどで音楽の演奏をやっていて、その近くではいつものようにサイレントデモで通り過ぎる。定禅寺通りにまがったばかりの中央歩道でも演奏をやっていて、ちょうど演奏の合間らしく大きく手を振って挨拶してくれた。 定禅寺通りのケヤキ並木のトンネルを抜け、晩翠通りに入るころ、秋の日差しの陰影の強さに気づいた。写真のコントラストが強くなるが、とくにカメラを調整せずに映し続けた。失敗がその日を特別に印象付けてくれることもあるのだ(と、強がってみる)。[1] ギュンター・アンダース(青木隆嘉訳)『核の脅威――原子力時代についての徹底的考察』(法政大学出版会、2016年)。[2] 佐藤嘉幸、田口卓臣『脱原発の哲学』(人文書院、2016年)p. 34。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅
2016.09.25
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民進党の党首に選ばれた蓮舫さんが、野田佳彦元首相を幹事長にする意向だというニュースが流れている。野田元首相は、東電福島第一原発が「冷温停止状態」になったとして原発事故の収束宣言を出したうえに、大飯原発の再稼働を「自分の責任」で決めたそもそもの人物である。あげくの果てに自爆解散することで、歴史上最悪な安倍政権の生みの親となった人物でもある。反吐が出るような話だ。 野田前首相の事故収束宣言は、安倍現首相の「福島は完全にコントロールできている」という発言とともに、福島事故をめぐる政治的な二大虚言である。嘘の大きさにおいて群を抜いているのだ。政治に虚言はつきものだと嘆いたハンナ・アーレントのことを少し思い浮かべた。平気で大きな嘘がつけるというのが政治家の条件だという世間の評判もまた、こんな事実で裏書きされるのである。 私としては民進党の行く末を心配する立場にないのだが、自公ばかりではなく、民進党も脱原発の未来に立ちはだかるらしき動きにうんざりしているのも確かだ。勾当台公園野外音楽堂。(2016/9/16 18:13~18:37) 主催者挨拶は、九州電力が川内原発、玄海原発での免震棟建設をやめて耐震棟にすることにして、それを原子力規制委員会が容認したことへの批判であった。 それに続く今日のスピーチの最大のトピックは、「政府が高速増殖炉もんじゅの廃炉に向けて最終調整に入った」というニュースで、数人の人がその話題に触れた。危険な原発が廃炉に向かうというのは、もちろん喜ぶべきニュースだし、これが核燃料サイクル政策の破綻の始まりなら言うことなしである。 ところが、実際には、もんじゅを廃炉にしても原発を推進する通産省(ひいては自公政権)にとってはなにも困らないのではないかと思えるのだ。「燃やせば燃やすほど核燃料が増える夢のような原発」という歌い文句で始められた高速増殖炉計画は、新しい科学技術を推進することが使命である文科省が、大洗の実験炉「常陽」、敦賀の実証炉「もんじゅ」と進めてきたものだ。 しかし、世界の趨勢は高速増殖炉を捨てる方向で進んでいる。何よりも、日本では、原発が生み出す大量のプルトニウムを処理するはずの六ヶ所村の核燃料処理施設の稼働のめどがまったくたっていない。通産省的な立場からすれば、このような状況下で高速増殖炉によって大量のプルトニウムを生産することは合理的ではないということだろう。現有するプルトニウムはMOX燃料として使用し、原発再稼働でできるプルトニウムを核燃料サイクルにまわせば将来的にも十分と考えているのではないか。もんじゅ廃炉の支障となるのは、文科省の面子ぐらいだろう。 濃縮ウランを使用するように設計された既存の原発でMOX燃料を使用するのは、原発の危険度を格段に上げることになる。一基の高速増殖炉もとても危険には違いないが、MOX燃料によって全国のウラン炉へその危険が分散、分配されるというのが、通産省が目論んでいる核燃料サイクル政策の本質であろう。 事態は本当に喜べるものなのか。私はそうではないと思っている。 ときどき福島から二人で仙台の金デモに参加されている人のあいさつの後、講演会の告知があった。映画『日本の原発』を監督し、全国の原発訴訟を牽引している弁護士、河合弘之さんの「日本の原発問題を俯瞰する――特に放射線健康被害について」と題する講演会が10月5日(水)19:00~21:00に仙台弁護士会館4階で開催される(主催:宮城県保険医協会)。 最後に、宮城県の「女川原子力発電所2号機の安全性に関わる検討会」についての報告があった。この検討会は、2年間を目途に設置された原発推進ないしは擁護派の専門家からなるきわめて形式的な会だったが、規制委員会による女川原発の審査が遅れていることや、東北電力の点検記録の不備が見つかったことなどから検討が十分になされなかったことを理由に検討会設置期間を延長することを県が決めたということだ。 このような検討会は新潟県にもあって、当初は宮城県のように原発推進、擁護派ばかりのメンバーだったが、今ではきちんと批判できる専門家も加わっていて、宮城県の検討会にも客観的に議論、批判できる人材も加えるべきだと批判された。仙台市役所前で市会議員さんが。(2016/9/16 18:49~18:52) 40人のデモは、勾当台公園から公園と県庁の間の道に出て勾当台通りを渡って市役所前の道(表小路)に出る。 市役所前では、仙台市議のお二人が大きく手を振って応援してくれている。しばしば、私たちと一緒にデモに加わってコールを担当してくれることもある共産党の女性市議のおふたりだった。一番町。(2016/9/16 18:55~19:01) 勾当台公園での集会の前の30分ほどのあいだ、脱原発デモのことを新聞記者さんと話しをする機会があった。個人的な一参加者として参加しつづけている動機や気持ちを聞きたいということだった。 マスコミ・ジャーナリズムの人が、市民によって担われている継続的な脱原発デモに興味を持たれているのはとても心強いが、何よりもうれしかったのは、ただの一参加者に過ぎない私のブログ記事を丁寧に読んでくださってていたことだった。 デモの写真をたくさん写し、フェイスブックやツイッター、さらには個人のブログで、仙台の脱原発デモのことを発信しているのだが、じつのところそれを受信してくれる人々はきわめて限定的だ。やらないよりましという程度だろう。全国各地で脱原発の活動をしている人に、仙台でもやっているという情報がなんとか届いてくれればというのがせいぜいの願いなのである。 全国各地での脱原発へ向けた市民の活動が聞えてくると、私自身が励まされるし心強くも思うので、こちらからの発信もせめてその程度の役に立ってくれればと願っているのである。大通り(国道4号)を渡る(青葉通り)。(2016/9/16 19:13) このブログを書いている途中で、民進党の幹事長は野田前首相に決定したというニュースがあった。 民進党の話題はもうやめようと思っていたのだが、民進党がらみのニュースの中にはちょっといいニュースもないわけではない。 次期衆院選で静岡1区から立候補する民進党公認候補の選考を巡り、同党静岡1区総支部と党県連が対立している問題で、総支部は二十六日夜、静岡市葵区で 開いた緊急役員会で総支部の解散を決めた。元国会議員、現職県議、静岡市議ら四人を含む十三人が離党し、無所属になった上で、総支部が推している弁護士青山雅幸氏(54)を擁立する。二十九日にも離党と解散手続きに入る。 弁護士の青山雅幸さんという方は、浜岡原発の廃炉を求める訴訟団の事務局長だった人で、県や中央の民進党はそれがだめだということで別の人物を公認した。 新しい執行部成立の時期の民進党がらみのちょっといいニュースというのが民進党の離党話というのは大いなる皮肉だが、民進党の地方幹部の人たちが離党してまで脱原発候補を擁立するというニュースは、もしかしたら今後の脱原発運動にとってきわめて象徴的な意味を持つのではないか、などと思っている。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅
2016.09.17
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とても細くしなやかな一本の白髪を摘まみあげたとき、ふっと時間が止まってしまったような感覚に陥った。7センチほどの長さで、鋏で切られた跡がない。女性のものだろう。 さて、この白髪をどうしよう。すこし戸惑っている自分に気づいたが、どうもこうもなく、ゆっくりと屑籠に捨てた。 水曜日の午後、市立図書館から借りだした本の中に『現代短歌全集 第17巻』があった。〈かわたれどきの頁繰り〉として、木曜日の早朝4時ころ、その本の頁を繰っていた。180頁を開いたら、島田修二の歌に付けられたかぼそい付箋のようにその白髪はあった。歌ひつづけ歩みつづけて来しからに帰りなんいざ無韻の里へ [1] 何の根拠もないのだが、この白髪の女性も長い人生を「歌ひつづけ歩みつづけて来」た歌詠み人だったにちがいないと思ってしまったのだった。私は歌詠みではないので、「無韻の里」へ帰りたいと願う心をそのまますんなりと理解できるわけではないが、必死で生きてきた人生からまた別の人生へと願ったことはある ただの偶然にすぎないことを、こんなふうに記してしまうと、なにかそれなりの感傷が生まれたような気分になってしまうが、じっさいはそのあいだ空白の感情のまま過ぎていたようにしか思えない。空白の感情というのは、つまりはうまく表現できる言葉が見つからないということでもある。 白髪によって誘われた短い時間の感傷を離れ、再び頁を繰っていると、冬道麻子の章で次のような歌を見つけた。此の世にてめぐりあうべき人がまだいる心地して粥すすりおり [2] もしかしたら、私のなかにもこんな若々しいロマンチシズムがかろうじて生き残っていて、あの一本の白髪を眺めていたのだろうかなどと一度は思い、いや、そんなことはあるはずもないと否定してみたり……。 その答えなど打ち捨てるように本を閉じ、犬と散歩に出かけた。窓の外はとっくに明るくなっていて、予定時間を過ぎて犬は1時間以上も待たされていた。肴町公園。(2016/9/9 18:10~18:31) 肴町公園はとても近い。元鍛冶丁公園と同じくらいで、私としてはとても助かると言いたかったところだが、いつものと同じように家を出て少しばかり時間を持て余した。それで、西公園に入って猫の集会に参加して時間を潰した。 その公園猫の中によく似た3匹の兄弟(姉妹)猫がいる。その3匹が生まれたばかりの時、犬連れの私にいっせいに駆け寄ってきて母猫にえらく叱られたことがある。公園を通り抜けるときにいつもやるように、あれとあれとあれ、今日も3匹を確認する。 猫の集会の後は、人間の集会である。西公園から肴町公園に移動するが、人影はそんなに多くない。定時を8分ほど過ぎて主催者の挨拶が始まったが、そのころにはだいぶ人が増えていて、「なんだかんだ言っても40人は必ず集まるんですよね」と常連の一人が話しかけてくる。 「人が変わっても40人になるのはちょっと不思議な感じ」などと話していたが、今日は50人まで参加者が増えていた。こういう微妙な機制を理解するのはちょっと難しい。 主催者挨拶は、新潟県知事が次期の知事選出馬を見送った話である。泉田知事は、2007年の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発の対策室の扉が開閉できなくなる事故を受けて、東京電力に免震棟の設置を強く要望し、柏崎刈羽や福島第1原発の免震棟を設置させた。 もし免震棟がなかったら、福島事故はさらに想像を絶するほどの被害になっただろうと言われている。さらに、泉田知事は福島の事故原因の解明なくして再稼働はありえないと強く東電を批判し続けている。 いわば私たちのように脱原発を訴える人々にとっては泉田知事はとても頼りがいのある政治家の一人なのである。ということは、原発推進勢力にとっては見過ごせない人物で、出馬断念の一因とされる新潟の地方新聞の一方的な知事批判報道は原発推進勢力の反撃の一つとする見方が大勢を占めている。 現在は、泉田知事出馬へ再考を促す署名活動も始まっている(私も署名した)ことや、万が一の場合の反原発派候補の擁立の模索が始まったことなどのニュースになっている。 政府は、原発の廃炉や福島事故の賠償を進めるために、新電力にも費用負担を求める方向で調整に入ったというニュースについてのスピーチもあった。新電力への利用者の移行が増えれば、廃炉や事故の賠償に架かる巨費をまかなえなくなるおそれがあるためだという。 このニュースは、政府自身が廃炉や廃棄物処理の費用まで含めると原発による発電コストが異常に高いことを自ら認めたことを意味している。これまでのコスト計算が虚偽であったことの自白である。政府自身は負への道を歩もうとしているにもかかわらず、原発から撤退することが、社会的・経済的にもっとも合理的な判断であることを政府自らが道筋として明示しているのである。 新電力ではないが、関西電力が仙台港の建設している石炭火力発電所の問題についてのスピーチでは、地方で発電し中央へ送電するという構図が原発と同様、火力発電所も国家の差別構造に組み込まれていること、この火力発電所は環境アセスも全く不十分なまま強引に進められているという指摘がなされた。原発ばかりではなく、発電をめぐる社会構造にも目を向ける必要があるということだ。肴町公園から一番町へ。(2016/9/9 18:36~18:43) 今日のデモコースは、肴町公園からまっすぐ一番町に出て、一番町を広瀬通りまで北上する。錦町公園や勾当台公園、元鍛冶丁公園から出発する時とは一番町を歩く方向は逆になっている。 定禅寺通りまで北上して、晩翠通りを廻って肴町公園まで戻ってくるコースをとることもあるが、これは意外と時間がかかる。今日は、広瀬通りから晩翠通りに出て公園まで戻るのだが、こっちだと時間が短すぎる。ちょうどいい加減の距離が選べないのだ。一番町。(2016/9/9 18:44~18:46) 今日のコースでは、一番町を歩く距離はとても短い。つまり明るい道はとても短いということなので、短時間で多くの写真を撮らなくてはならないのである。私の腕では、一番町を外れた道の明るさ(暗さ)で写す写真はあてにできないからである。 そうでなくても、昨日カメラの設定をいろいろといじったせいで、公園の暗さではシャッター速度が異常に遅くなってしまって集会の初めのころの写真を台無しにしてしまったのだ。設定し直したが、まだどこかに不都合があってその後も思うようには写ってはいないのだった。 夜の写真をうまく撮ろうと設定をいじったのだったが、裏目に出てしまった。広瀬通り。(2016/9/9 18:53~18:54) 広瀬通り、晩翠通りへと進むにつれて、夜は深くなる。コールの声が雑音にまぎれず、だんだんに明瞭になってくる。そう思うと、コールというのは街の喧騒との闘いのようで、喧騒の中でこそ意味があるということなのだとわかる。雑踏の喧騒の中で、遠くでは聞き取れないかもしれないときにコールは最大の意味を発揮するのである。晩翠通りから肴町公園の路地へ。(2016/9/9 18:59~19:00)[1] 島田修二「渚の日々」『現代短歌全集 第十七巻』(筑摩書房、2002年) p. 181。[2] 冬道麻子「杜の向こう」同上、p. 428。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅
2016.09.10
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夏の終わりには疲れが出る。いつものことだが、たいていは微熱が続く症状だった。これまでの最悪のケースは、遊びほうける予定の定年退職後に備えて、体力作りのために春から少しずつ登山を始めた退職3年前に起きた。快調に登れることに気をよくして、少しずつ高度を上げて、夏には週1回のペースで山に登った。 けっこう体力があると喜んでいたのだが、10月頃から不調が始まった。微熱が続いたのである。1ヶ月半ほど続いた不調のせいで、国際会議の講演依頼を断らざるをえなかった。日本で開催される会議で予定の招待講演者が来日できなくなった穴埋めの依頼だったので、さほど責任を感じたわけではないが、大学勤めで講演を断ったのはこの一回だけだった。 10日ほど前から喉に痰がからみ、微熱もあった。これが今年の夏の疲れで、こんなものですめば楽なものと思っていたのだが、2日前の夜に38度くらいの熱が急に出た。 今朝になって熱はおさまった。大事をとって夕方まで床の中で休んで、夕方、金デモのために家を出た。歩き出しは、体がふわふわするようで心もとなかったのだが、少しずつ歩くペースを上げて汗が噴き出すと、調子が良くなってきた。体の不調が汗と一緒に出ていくような不思議な感じがしたのだった。勾当台公園野外音楽堂。(2016/9/2 18:07~18:26) 主催者挨拶もそれに続くスピーチも、原子力規制委員会の放射性廃棄物に関する決定のニュースについてであった。委員会決定は、「原子炉の制御棒など放射能レベルが比較的高い廃棄物(L1)の処分の基本方針は、地震や火山の影響を受けにくい場所で70メートルより深い地中に埋め、電力会社に300~400年間管理させる。その後は国が引きつぎ、10万年間、掘削を制限する」というものである。 突っ込みどころ満載のニュースである。そもそも「地震や火山の影響を受けにくい場所」が日本にあるのかどうかすら疑わしい。そのうえ、電力会社が400年も存続することができるのか。400年もたてば、エネルギー事情が大きく変わって電力会社は存在理由を失っているのではないか。もうすでに今年から電力自由化が始まって、原発を持つ電力会社以外が供給する電力へのシフトが始まっているのである。 それにもまして、「10万年間、掘削を制限する」という権限を持つ日本という国家が10万年後まで存続しているのだろうか。未来の10万年後は想像しにくいが、10万年前のことはわかる。私たち現生人類、ホモサピエンスは10万年ほど前にアフリカで生まれた。その時代には、35万年前くらいに生まれたネアンデルタール人も生存していたが、その後ネアンデルタール人は絶滅し、ホモサピエンスだけが残った。 つまり、10万年というのは、ある人類が生まれたり絶滅したりする事象が起きる時間スケールなのである。生まれて10万年のホモサピエンスがもう10万年生き残る可能性はそれほど高くはないのである。ましてや、このホモサピエンスは原水爆や原発という人類殲滅の科学技術を手放せない人類なのである。 10万年も管理し続けなければならない放射性廃棄物を大量に生み出す原発にしがみつくことしか考えていない愚かな国家のもとで、誰の子孫が10万年後まで生き残れると考えているのか。 少なくとも私たちは、私たちと私たちの子孫の未来(10万年などではなく近未来のことだ)を確かなものにするために、原発(と原水爆)に反対し、これ以上放射性廃棄物を増やすことがないようにデモで意思表示をしているのである。 先週、3・11後の政府の動きをドキュメンタリー風に描いた映画『太陽の蓋』の案内があったが、一週間だけという上映期間が好評のため9月9日まで上映が継続されるという報告があった。9月3日から9日まで11:55からの上映ということである。 最後に、8月27日に開催された「風の会」の公開学習会「原子力のい・ろ・は」の追加報告と、来年1月29日(日)に開催予定の第3回目の「市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム」には慶応義塾大学経済学部教授の金子勝さんに講演をお願いする計画である旨の告知があった。勾当台公園から表小路へ。(2016/9/2 18:33~18:36) 9月に入って、夏時間の金デモは終わって、ふたたび午後6時集合、6時半デモ出発ということになった。なのに、日の暮れるのが早くて、先週より30分早い時間という実感がないまま、勾当台公園はあっという間に闇に包まれた。 暗闇のなかを出発したデモの列はいつもより参加者が多いと思われたが、数えれば、いつものように40人だという。40人と50人の違いなら、その差を見間違えないと思えるのだが、なぜ今日にかぎって実感と実数が食い違ってしまったのだろう。発熱の影響が残っているのかもしれない。やわな脳だということか……。一番町。(2016/9/2 18:45~18:54) これはデモが終わって帰宅してから見つけたのだが、とても気になるニュースがあった。日本の原発13基の圧力容器に強度不足の疑いがあって調査に入ったというニュースである。 フランスの原発で強度不足の疑いがある原子炉圧力容器などを製造したメーカーが、稼働中の川内原発1、2号機など国内8原発13基の圧力容器を製造していたことを原子力規制委員会に報告したことが発端となった。 ニュースには詳しく描かれていないが、ほかの情報を合わせると。圧力容器に使用している鍛造鋼に含まれる炭素量にムラがあって強度不足のおそれがあるということらしい。鉄鋼はその強度を増すために炭素を混ぜるのだが、その炭素が結晶粒界などに偏析すると脆くなって、脆性破壊の原因になる。 これは、8月27日の「風の会」主催の公開学習会「原子力のい・ろ・は」でも話題になったことだが、原子炉の圧力容器は繰り返しの熱履歴や圧力変化によるクリープ、さらには放射線損傷によって炭素の偏析が進んで脆性が増すことはよく知られていて、圧力容器の脆性破壊は冷却水の一挙の喪失によって核燃料溶融に至る重大な原子炉事故をもたらす。東京大学名誉教授(金属学)の井野博満先生は、つとにその危険性を指摘されていて、とくに日本でもっとも古い原発の一つである玄海原発1号機は最も危険だと主張されている。 その圧力容器のもともとの材料の炭素分布にムラがあるということは原子炉の安全性にとってきわめて重大な問題である。ところが別のニュースによれば、原子力規制委員会は「製造当時の記録や試験結果で健全性を証明することが可能だ」として、あらかじめ「健全性が証明される」ことを予見している。残念ながら、ここでもまた、規制委員会が原発推進の口実のために設けられた形式的な機関にすぎないことが明らかになっている。 青葉通り。(2016/9/2 19:00~19:07) 青葉通りを仙台駅の方向に歩き、国道4号を越えて、流れ解散地点に着く。それまで、体力が持つかどうか心配していたのだが、意外と快調だった。 それでも大事をとって、地下鉄に乗って帰ることにした。今朝まで発熱していた老人としては慎重にならざるを得ないのだ。秋めいた風が吹いていた街でもたっぷりとかいた汗が体調不良をすべて持ち去ってくれたように思ったのだが……。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2016.09.02
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