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先週の金デモの翌々日、2月19日の日曜日の夕刻にお祝い会があった。女川原発の建設計画の段階から地元漁民とともに原発の反対運動に取り組んでこられ、現在も反原発運動を牽引されている仙台市の篠原弘典さんが「第28回多田瑤子反権力人権賞」を受賞された。有志の提案で、その記念講演会と祝賀会が開かれたのであある。私も、楽しいお祝いの席にカメラ持参で参加させてもらった。その時の様子を撮った写真は、フェイスブックの写真アルバムとして私のタイムラインに投稿してある。 「多田瑤子反権力人権基金」は、1986年12月18日に29歳で夭折された弁護士の多田謡子さんの遺志を将来に生かすために、1989年に設立され、毎年、「権力に対して闘い、人権擁護に尽くした団体や個人を顕彰」している。辺野古や高江の反基地闘争の先頭に立ち続け、今は不当逮捕で異常な長期拘留を課されている沖縄の山城博治さんは、第27回の受賞者である。 篠原弘典さんの人生をかけた長い闘いは、多田瑤子反権力人権基金による授賞理由によく要約されている。 篠原弘典さんは1966年東北大学に入学し、原子力の平和利用によって社会に貢献することを願って原子核工学科に進みましたが、全国学園闘争の波の中で自らの学問と社会のかかわりを問い返し、原子力の危険性を知るに至って反原発の歩みを始めました。 1970年、女川町で開かれた「第1回原発反対漁民総決起集会」に参加して漁民の心に触れた篠原さんは、仲間たちと女川で長屋の一室を借り、原発の危険性を訴えるビラをつくって漁民に働きかけることになります。卒業後は、原子力企業などに就職する同窓らと袂を分かち、とび職として生活を築きながら、一貫して女川原発差止訴訟原告団(団長・阿部宋悦さん)をはじめとする運動の牽引役となり、その後は「みやぎ脱原発・風の会」を主導してきました。 今、女川の運動を長年支えた仲間は、東日本大震災とその後の苦難の中で、ほとんどが亡くなっています。彼らの遺志を継ぎ、脱原発東北電力株主の会代表、女川原発の再稼働を許さない!みやぎアクション世話人、放射能問題支援対策室「いずみ」顧問などで、脱原発社会実現のため活躍している篠原さんの長年にわたる闘いに敬意を表し、多田謡子反権力人権賞を贈ります。勾当台公園野音ステージ。(2017/2/24 18:06~18:26) 寒くはないがけっして暖かくもない仙台の普通の冬の日なのだが、50人もの人が勾当台公園野外音楽堂に集まった。 点検のため休止中だった川内原発2号機が24日午前10時に臨界に達したというニュースから主催者挨拶は始まった。その再稼働に容認の姿勢を見せた三反園鹿児島県知事は脱原発を旗印にして当選した知事である。なんとか脱原発派の知事を貫き通してほしいという希望が込められたスピーチになった。 2月19日の深夜に放映されたNNNドキュメント「“夢の原子炉”は夢だった もんじゅ廃炉の内幕」について話された人は、いまや使用済み核燃料の保管施設の99%は埋ってしまい、さらなる保管施設の建設計画もないまま再稼働が進められていると指摘し、文科省も通産省も環境省も責任ある政策を何もやろうとしていないと批判された。 金デモスタッフの一人とフェイスブックで付き合いのある方が関西から来仙した機会にと金デモに参加され、科学者の立場からスピーチをされた。福島事故以前は、科学はそれなりに人類に貢献していると科学者は信じて「幸福」な研究生活を送っていたのだが、事故によって事情は一変した。 また、科学界は戦後一貫して軍事研究を拒否してきたが、今や学術会議で軍事研究を進めてはどうかという意見が出されるようになっている。原発もまた、電力やエネルギー問題という枠を越えて、自公政権は核兵器の原料であるプルトニウム生産のために再稼働をしようとしている。軍事研究に反対すること、原発に反対することは同じ意味を持っているということを話された。 また、おなじフェイスブック仲間の仙台在住の生物学を専門とされている人は、生物に与える放射能の影響を心配される立場から、現在の福島への帰還など絶対にありえないと強調された。 仙台港に建設中の石炭火力発電所は、住民説明会も環境アセスもなされないまま建設が進められているが、市民による申入れや県議会の動きなどによって、仙台パワーステーション(関西電力と伊藤忠の合弁企業)はようやく説明会を行うことになったという報告があった。3月8日(水)18:30から夢メッセで開催される。その前準備の勉強会を3月5日(日)13:30から仙台市民活動サポートセンターで行うという告知もあった。 交通の便が悪い夢メッセで580席という大会場を設定するということにいくぶん悪意を感じるが、会場を反対の市民で埋め尽くして圧倒しましょうと言葉も付け加えられた。 篠原さんの祝賀会の報告に続いて、山形大学公害問題研究会の学生さんから講演会の案内があった。3月26日(日)13:30~16:00に山形市中央公民館大会議室で「放射線医学のスペシャリストが語る知られざる被ばくによる健康被害」と題する崎山比早子さんの講演会が開催される。医学博士の崎山さんは、放射線医学総合研究所の主任研究員だった方で、市民の立場から原発や被爆問題に取り組んでいる。 最後に、6年目を迎える3・11を忘れないために、3月12日午後2時から仙台市元鍛冶丁公園で開かれる「福島原発事故を忘れない3・12アクション」(主催:脱原発みやぎ金曜デモ)の案内があった。大勢の参加者を集めるためにチラシ配布にご協力を、ということである。仙台市役所前を通り、定禅寺通りを越えて一番町へ。(2017/2/17 18:41~18:46) 勾当台公園は、野外音楽堂から離れると急に暗くなる。50人のデモが公園を出発してからの写真がことごとくシャッター速度が遅く、激しい手振れ写真ばかりだった。ISO感度や露出補正を夜間用に変えたはずだったが、絞りの設定を朝の散歩のときのままだった。 それに気が付いた時は仙台市役所の前までデモは進んでいて、公園から勾当台通りを渡るあたりの写真は使い物にならないのだった。一番町は定禅寺通りから青葉通りまで。(2017/2/17 18:47~18:55) 19日の篠原さんのお祝い会の翌日から、〈脱原発 東北の群像〉という5回連載の記事が河北新報に掲載され始めた。その署名記事には、つぎのような言葉が添えられている。 東北で反原発運動に人生をささげ、警告を発し続けてきた人々がいる。福島第1原発事故は、その「予言」を現実のものにする一方、運動が積み重ねてきた敗北の歴史も浮き彫りにした。事故から間もなく6年。国が原発再稼働を推し進める中、彼らは何を感じ、どう行動するのか。(報道部・村上浩康) 1回目は、一面トップで「熱狂は失われたのか」と題して脱原発みやぎ金曜デモが取り上げられた。2012年7月に300人ほどの参加者で始まったみやぎ金デモも2017年2月17日のデモでは45人の参加者になっていた。それでも市民の意識は確実に変わった、とこれからを語るスタッフの言葉も紹介されている。 多田瑤子反権力人権賞を受賞した篠原弘典さんが「長き闘い 諦めの先へ」と題する2回目の記事で取り上げられている。長きにわたる厳しい闘いが紹介され、「地元で抵抗する根っこを孤立させてはならない」という小出裕章さんの言葉も紹介されている。 3回目は、青森県大間町長選に立候補した熊谷厚子さんを取り上げた「「首長奪取」遠い悲願」という記事である。母親のあさ子さんの遺志を継いで二代にわたる大間原発反対の運動を続けている熊谷さんの町長選挙は惨敗だった。また、六ケ所村で町長選、町議選に挑戦している菊川慶子さんも紹介され、負け続けても新潟県知事選のように地方の首長をとることの重要性を語る旧浪岡町長の平野良一さんの言葉も紹介されている。 福島で原発反対を訴え続ける人は、4回目の「悔恨 それでも訴える」という記事で取り上げられている。反対闘争にも関わらず10基もの原発が建設されてしまった苦衷を語る石丸小四郎さんや、福島原発告訴団団長として現在の闘いを闘っている武藤類子さんなどが紹介されている。 「学び つなぎ 踏み出す」と題する最後の5回目の記事は、ふたたび仙台の活動が取り上げられている。サークル「ぶんぶんカフェ」とスタッフの斎藤春美さん、「エネシフみやぎ」と副会長の小野幸助さんなどが紹介されている。この記事を読んだ妻が、さっそく斎藤春美さんに電話をかけていた。斎藤さんは妻の友人の一人である。 このシリーズ記事は、反原発運動の苦闘の歴史の紹介となっているが、現在も続く闘いの紹介でもある。シリーズ最後の記事は、一昨年から金デモに参加しはじめた若い女性や、昨年末から参加している老婦人の言葉を紹介したあと、次のような言葉で締め括られている。踏み出す人がいる限り、忘却にあらがう道は続く。青葉通り。 (2017/2/17 17:02~19:09) 多田瑤子反権力人権賞を受賞された篠原弘典さんとは福島事故後のデモではじめてお会いした。篠原さんは東北大学工学部原子核工学科に私の2年後に入学しており、私は大学院修士課程まで在籍していたので、在学中にお会いしている可能性はあるのだが、記憶にはない。 私が修士1年の夏、原子核工学科の教授から助手までの全教官が辞め、新しい教官が着任することになった。全教官の総取り換えである。他大学に移る人もあったが、多くは他部局に配置換えになった。私の指導教官も他部局へ移り、修士論文のための実験はその部局の研究室で行うことになり、私が原子核工学科へ顔を出す機会はぐっと減ってしまった。というよりも、原子核工学科には私が所属する研究室も机もなくなったのである。おそらく、そういうことも篠原さんと知り合う機会がなかった理由になっているかもしれない。 教官同士の内紛とは別に、私は私で数人の友人たちと「原子力工学という学問がないではないか」というカリキュラムへの抗議を学科教授会に行っていた。 また、当時、全国原子核共闘という全共闘系の組織があったが、東北大の原子核工学科にはそういうものがなかった。その原子核共闘が仙台で開催された原子力学会で抗議行動を行うにあたって、どういうわけか私に連絡が来て、活動のサポートをすることになった。会議をする教室の手配や彼らの宿から学会会場までのルートの案内など一人でやった記憶がある。絓秀美さんの『反原発の思想史』 [1] で、同じ原子力学会で高木仁三郎さんたちが反原発のビラまきをしていたことを知ったが、一緒になった記憶はない。 そのような諸々のためなのか、修士課程が終わると原子核工学科から追い出されることになった。博士課程へに進学願書を出したのだが、どこかで握りつぶされたのだった。原子核工学科の教授会のやり方に法的な瑕疵があるということになって、工学部上層部(評議員クラス)が動いて、救済措置として附置研究所の物理系研究室の助手籍が与えられた。 こうして私の物理学が始まったのだが、そのときほっとしたことを覚えているが、それは原子力工学から離れられたうえに職まで得たことによるのだが、どうもそればかりではなかったようだ。今思えば、反原発の現場から遠のいたこと、これから学問に専念できること、そうした思いもない交ぜになってほっとしていたような気がする。 そして、東電1F事故によって反原発の場所に戻ってきたような気分になっている。ここまでずっと遠く迂回してきたのだが、この迂回がなければ物理学者になることもなかったのである。物理学者としては恵まれてはいたのだが……。[1] 絓秀美『反原発の思想史――冷戦からフクシマへ』(筑摩書房、2012年)。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.02.24
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暖かな一日だった。汗をかきながらバタバタと動き回る一日でもあった。汗をかきすぎないように着るものの調整が忙しい日だったということだ。冬の汗は、風邪に直結するのだ(いつもなら)。 厚着にならないように、薄着にしすぎないように、私としてはずいぶんと慎重に考えたうえで、いつもの服装に落ち着いて(つまり、結論が出せずに)、家を出た。勾当台公園に着いた頃には少し風が強まって、日中の暖かさがどんどん失われていくのだった。いつもの服装でよかったのだ。勾当台公園野音ステージ。(2017/2/17 18:08~18:24) 主催者挨拶は、倒産寸前の原子力企業「東芝」と、2030年原発ゼロに踏み切った民進党の話題だった。続くスピーチでも、二人ほどが東芝のことを話し、さらに二人が民進党についてスピーチをした。 東芝は原子力事業にしがみついて、ほぼ倒産状態になっている。まともな経営判断ができない経営者のもとで企業はつぶれてしまうし、まともな判断ができない政治家のもとでは日本がだめになってしまう。国民が声を上げるように、東芝の社員自らが声を上げないとだめだろう、などと言う話が出た。 東電1F2号炉に投入し、すぐに壊れたロボットの話題が出ると、それも東芝ではないかと指摘する声も上がった。どうも、東芝のやることなすことから生産的なイメージが消えつつあるようだ。 新潟知事選挙の結果や野党共闘の将来を見据えた末なのか、民進党が従来の「2030年代に原発ゼロをめざす」という政策目標を「2030年までに原発ゼロをめざす」と時期を前倒しにすることにしたという。即時廃炉派が多い金デモ集会の参加者からは、いちおう民進党の前進を評価しつつも、即時廃炉に向けてもっと強く後押しをしなくては、という意見なども出された。 今日の午後2時から開催された岩沼市での脱原発デモに参加した人が、民進党の原発ゼロ前倒しの決断は、16人だけの岩沼のようなデモが全国で行われていることも力になったに違いない、と話された。 民進党の蓮舫代表が連合会長と会談し、原発ゼロ前倒しの理解を求めたところ「時期尚早」と連合会長が応えたということに、福島事故後6年も経っていて遅すぎるくらいだという批判もなされた。巷では、高々50万票ていどの原発推進御用組合などと民進党は手を切って、過半数が原発反対である国民の方を向くべきだ、という意見が飛び交っているが、さて、どこでどんなふうに決断するのやら……・ 共謀罪についてのスピーチもあった。政府は「一般の市民は対象にならない」としてきたが、法務省は2月16日に「正当に活動する団体が犯罪を行う団体に一変したと認められる場合は、処罰の対象になる」という見解を発表した。このことは、これまでしっかりと順法的にデモを組織してきた金曜デモであっても「犯罪を行う団体に一変」するかどうか、警察はつねにわれわれを監視し続けなければならないことを意味している。つまり、「テロ等準備罪」という名の共謀罪が新設されれば、「一般の市民」が監視されることになってしまうのである。 そして、何よりも「犯罪を行う団体に一変した」と判断するのは公権力の側で、現在の自公政権やそのもとにある警察の恣意的な適用が大いに懸念される(沖縄では、共謀罪がない今でも不当な逮捕と長期拘留が続いている)。加えて、「犯罪を行う団体」という文言から、「テロ準備罪」としながらも一般の犯罪にも共謀罪を適用しようとする政府の意図が透けて見える。市民の自由な活動の抑圧をめざしているということだろう。 告知が三つあった。 3月5日13:30から市民活動サポートセンターで、仙台港に建設中の石炭火力発電所の問題についての学習会が開催される。住民説明もなく、環境アセスメントも実施されずに建設が進められている火力発電所は環境に対して劣悪な影響を与えると予想されていて、多くの市民が危惧を抱いて、大きな関心を持って取り組んでいるということだ。 また、4月22~23日の2日間、錦町公園においてアースディ東北「地球のことを考える」フェスティバルが開催されるが、NPO法人「きらきら発電・市民共同発電所」もブースを出して、再生可能エネルギーの利用で脱原発を、と訴えるとのことだった。 3月11日12時~16時に、福島市民会館で「第6回 原発入らない 地球(いのち)のつどい」が開かれる。主催は「原発入らない福島の女たち」で、原発をめぐる問題を分科会で討論したあと、全体会を経て、市内でも後進を行うことになっている。バスで1時間の福島のデモにも参加されたいと案内があった。勾当台公園から一番町へ。(2017/2/17 18:31~18:42) 今日のデモは45人になった。雨を避けたり、完封を避けるために、このところ野外音楽堂のステージ上での集会が続くが、45人になると少しばかりステージからあふれてしまう。 全体の写真を撮るために、私はステージの下にいるのだが、スピーチする人の写真もステージの下から撮ることになる。階段に人が詰まって上がれないのだ。人をかき分けて撮るほどの写真ではないのである。一番町。(2017/2/17 18:43~18:56) ネットでは、大阪府豊中市の国有地が学校法人「森友学園」に格安で払い下げられた話題が飛び交っている。話題の中心は、地価の10分の一ほどの価格ということと、その学園がその土地に「安倍晋三記念小学校」を作るとして寄付を募っていたこと、名誉校長は安倍晋三の妻であることなどで、国会でも取り上げられ、検察、マスコミがしっかりしていれば大疑獄事件に発展するような大事件である。 その学校法人は幼稚園も経営していて、戦前の教育勅語を暗唱させたりしているという。また、父兄に中国人や韓国人に対するヘイト文書を配っていたとして問題視した大阪府の聴取を受けたということだ。 アメリカの社会学者、イマニュエル・ウォーラースティンは、「史的システムとしての資本主義は、以前にはまったく存在しなかった差別(oppressive humiliation)のためのイデオロギー装置を発展させた。すなわち、今日いうところの性差別と人種差別にかんするイデオロギーの枠組が成立したのである」 [1] と主張している。第2次世界大戦後、国連の枠組みで大々的に人種差別や男女平等に関する取組が行われたが、たいした成果を上げずにいるのは、世界が資本主義に邁進しているためだということなのだ。 人種差別は、資本主義である以上避けがたいと言うのである。だとすれば、人種差別、ヘイトクライムに反対するには、資本主義に反対するしかない。などと私が書き、これを読む人がいると、彼らは資本主義に反対している、昔の共産党のように革命を企てている、などと公安が認定すると即逮捕、共謀罪成立後にはそんな道筋が見えてくる。 書いたものを読んだだけでは共謀罪は成立しにくいと思うが、集会で話して一人でも拍手などしたら、それこそ公安警察の監視下にあれば、かなり危険だろうと思う。そんな未来を作ってはならない。青葉通り。 (2017/2/17 18:57~19:07) 今朝、1時間ほどの速足散歩をした。大腿部に多少の筋肉の張りを感じながら帰宅すると、義母が不調だという。9時ごろ訪問医の診察を受けて、即入院ということになった。今年度、5度目の救急入院である。 入院の準備でもろもろをバッグに詰め終わる前に救急車が到着し、バタバタと送り出した。妻が同乗していったが、今回は直接病室に入ったという。救急搬送の場合は、いつも数時間かけて診察、検査をしてから病室に入るのだったが、前とまったく同じ症状ということで省略されたらしい。 家に残った者の食事を作りながら、準備しそこなった品物を妻が連絡してくるのを昼過ぎまで待ち、妻の食事と一緒に病院に運んだ。病院から取って返し、勾当台公園に向かった。 デモが終わった時には、さすがに疲れてしまった。最後の写真は、流れ解散地点の鉄柵に腰かけたまま、デモがやってくるのを待って写した。さて、どうやって帰ろうかと考えたが、8時20分にご飯が炊きあがるように仕掛けてきたので、それほど急ぐこともない。ゆっくりゆっくり歩いて帰ることにした。慌ただしかった一日のクールダウンのつもりである。[1] 植村邦彦『ローザの子供たち、あるいは資本主義の不可能性――世界史システムの思想史』(平凡社、2016年) p. 151。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.02.18
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今年はとても雪が少ない。2度ほど雪掻きをしたが、もっと降り続いたら困ると思ってやったまでで、3cmとか5cmの積雪だったらやらなくてもよかったのである。 雪が少ないと、春先の渇水でアユの遡上が心配になる。いまはそれほどでもなくなったが、一時期は釣具会社のインストラクターまで引き受けていたほどアユ釣りに夢中だったこともあって、そんなことが気になるのである。 雪が少ないのは、デモにとってはありがたいことなのだが、数年前に降り続く雪のなか、雪を蹴散らしながら進むデモの写真を見てから、一度はそんな写真を撮ってみたくてしょうがないのである。デモ人には迷惑な話だろうが、デモの写真を撮ることが面白くなってきた身には、毎週のデモにも変化のある景色が欲しくなるのだ。 さほど寒くはないな、と思いながら勾当台公園に着いたが、意外に風が強い。その風が冷気を運んできたように、集会が始まってから急に冷え込んできた。 勾当台公園野音ステージで。(2017/2/10 18:08~18:27) 主催者代表の西さんが「FMたいはく」の30分番組に出演するという報告から集会が始まった。明日11日に放送される震災を振り返る企画の番組で、放射能ごみを一般ゴミとして焼却する問題を中心に放射線被ばくについてインタビューを受けたということだ。 また、フランスのフラマンビル原発の敷地内の火災事故について、5人が軽傷で放射能の漏洩はないという報道があったが、これまでの原子力関連の政府や原発側の発表に隠ぺいやごまかしが多いことを考えると、原発で起きた火災はとても心配だと話された。情報を正確に開示しない原子力関連の事故については、このような心配が決して解消されることはない。 続いて、ドイツから来られた方がフラマンビル原発の火災事故はドイツでも報道されているが放射能汚染は問題になっていないという話題から、全原発廃炉を決定したドイツについて話された。この人は女川原発にとても近い寄磯浜の地域研究を行っていて、地域の人には原発の不安ばかりでなく廃炉になった時の地域経済への不安もあるのだが、ドイツの廃炉の道筋では長期にわたる廃炉事業が地元を潤すことになっているのだが、そういう事実を知らせることが大切ではないかと話された。 ドイツ人だが住んでいるのはオーストリアで、そのオーストリアはかつて原発を建設したが国民投票でそれを拒絶して動かしていないこと、3年前には原発由来の電力を輸入することすら法によって禁止したことなどを説明したうえで、日本もオーストリアと同じく70%以上が山林地帯なので、かつてのように自然の小河川を利用した多数の小規模発電で電力がまかなえる可能性を追求することがいいのではないかと話された。 1月末の東電1F2号機の内部撮影に続いて、昨日(9日)に東電は2号機の格納容器内に調査用ロボットを投入したことが話題として取り上げられた。 先週のブログで、「カメラのレンズもあっという間に不透明になってしまうだろう」と書いたが、まったくその通りのことが起こった。1000Sv まで耐えられるレンズだったというが2時間ほどで見えなくなってロボットを引き上げざるをえなかったという。この高線量のため、この後のロボットによる内部調査の実施は不透明になったということだ。 その時の放射線量は先の530Sv/hrよりさらに高い650Sv/hrに達したという。しかし、問題は、ロボットは格納容器壁から3mほど進んだものの、圧力容器を支える円筒内には入っていないということである。溶融核燃料はその円筒内に落下し、作業台を溶融してさらに下に落下していると思われるので、650Svよりはるかに高い線量を示す場所が内部に存在していると考えられる。 圧力容器を支える円筒の外側で650Svもあるということは、デブリが圧力容器直下ばかりではなく、横に広がって構造的に複雑な状態になっている可能性も否定できない。そうであれば、デブリの取り出しがいっそう困難になると考えられる。司会者の質問に答えて、おおむねそのような話をした。 福島共同診療所は、福島で被ばくによる放射線障害の検査、治療のために全国からに寄付によって設立され、福島の子どもたちや東電1Fの作業員の健康診断、治療を行っている。診療所の現状や子供たちの健康問題について、その福島共同診療所のお医者さんによる講演会が2月19日(日)、若林文化センターで開催されるという案内があった。 また、福島からの自主避難者への住宅支援が3月末で打ち切られることへの抗議と、福島での甲状腺検査の縮小に反対する署名の要請があり、会場に署名簿が回された。 昨年の北陸電力志賀原発3号機への雨水流入事故を受けて規制委員会が各電力会社に調査を指示したところ、東京電力柏崎刈羽原発、福島第2原発、東北電力女川原発、中部電力浜岡原発、中国電力島根原発、日本原子力発電敦賀原発、日本原子力研究開発機構の高速増殖原型炉もんじゅと東海再処理施設、日本原燃の六カ所再処理工場の10施設で、建屋に止水措置がされていない貫通部が残っていたというニュースの話題が出された。 本来、原発建屋は放射性ガスやダストが外部に漏れださないように密閉されたうえに万が一のことを考えて内部は減圧されているものなのだが、止水措置がされていない貫通部が残っていたというのである。もしかしたら、その貫通部を通じてこれまで放射能が漏れだしていたのではないかと疑いたくなってしまうような話である。 原発のことばかりではなく、仙台市ではすでに400tもの放射性ゴミの一般焼却試験が行われているが、その結果の詳細は明らかにされていないことなど、正しい情報を明らかにしないことへの怒りの訴えもあった。 政府は日本の規制基準は世界一厳しいなどと嘯いているが、溶融核燃料を受け止めるコアキャッチャーはヨーロッパでは設置が義務付けられているにもかかわらず、日本では設置しなくてもよいとされていて、日本の軽水炉原発はとても危険なものであると話された人もいた。 そして、そんな危険な原発を再稼働しようとするのは、ある自民党幹部が「原発は抑止力になる」と発言したように、発電よりも核兵器用のプルトニウム生産が目的なのではないかとつけ加えられた。 また、栗原市や色麻町などが計画している400Bq/kg以下の放射能汚染ゴミを堆肥化して農地にすき込むことへ厳しい批判もなされた。放射性物質は本来密閉保管されるべきもので、400Bq/kgといえどもその原子数、分子数は膨大なもので、それを農地に広くばらまいてしまうことはとても危険なことだという訴えだった。勾当台公園から一番町へ。(2017/2/10 18:34~18:48) 先週の45人から、今週はまた35人のデモとなった。歩き出せるの嬉しくなるほど、集会ですっかり冷え込んでしまっていた。 いつものカメラアングルに変化をつけるため、道の向かい側から撮ろうと思ったのだが、暗いうえに距離もあり、それに間を走る車に邪魔をされて、期待したほどではなかった。小走りで遠回りした分だけ寒さをしのげはしたが……。一番町。(2017/2/10 18:49~17:01) 東電2F原発の2号炉の内部調査ロボットの話題で、物質の放射線損傷のことに触れることがあったが、学生時代の修士論文のテーマで、シリコン半導体をコバルト60のγ線を照射する実験を行っていたときのことを思い出した。 高い放射線強度の照射で試料が発熱しないように水冷しながらのγ線照射できる装置を自作したのだが、ビニールパイプで通水させたのが大失敗で、危うく照射施設を水浸しにするところだった。ビニールパイプが放射線照射で真っ黒に硬化して、ボロボロになる寸前だったのである。γ線源に近い部分を金属パイプに置き換えたが、たっぷりと冷や汗をかいた経験だった。 そんな実験をしながら、サングラスを作ることを思いついたのである。私は中学時代から近視用メガネを使っているが、そのレンズだけをはずして、適当量のγ線照射を行うとガラスが着色する。照射量を変えれば、レンズの色は濃くも薄くも自在にできる。それをフレームに戻せば近視用サングラスの出来上がりである。そうやってサングラスを少し楽しんでから、あるいは夏が終わったら、ガラスが軟化しない程度の温度でレンズだけを温めてやれば、放射線損傷によってできた欠陥が回復して元の透明なレンズに戻るのである。 放射線損傷を勉強していたのでそんなことを思いついたのだが、管理の厳しいコバルト60照射施設を個人的な遊びで使うことは、いかな私でも憚られて、これは空想だけに終わったのである。青葉通り。 (2017/2/10 19:02~19:08) デモはいつものように終わり、いつものように帰るのだが、今日もぶらぶら本屋に立ち寄りながら、ほんのわずかの街歩きを楽しむのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.02.12
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早朝、5cmほどの積雪があった。昨日の夕方から降り出した雪は地面を濡らすだけだったのだが、夜更けから積もりだしたらしい。犬の散歩を終らせてから雪掻きをした。雪掻きといっても専用の箒で掃くだけである。15cmくらいまでならこの箒一本で済む。 玄関前から掃きだしたが、3mほど進んだら箒の柄が根元から折れてしまった。木製の柄が差し込んだ中で朽ちていたらしい。仕方がないので、柄なしの箒で屈みこむようにしての残りの15mほどを掃きおえた。中腰の姿勢はぎっくり腰のおそれがあったが、何とか無事に終わらせることができた。 柄の朽ちた部分をかき出し、残りの柄を差し込んで箒の修理を終えた。この冬はこれでなんとかやり過ごせるだろう。 日中はけっこう暖かくて、雪はあっという間に消えてしまった。デモには積雪用の編み上げ靴(ただの登山靴)を履いて行こうと考えていたのだが、昼過ぎには雪の痕跡もなくなったので、いつものジョギングシューズで家を出た。 勾当台公園野音ステージで。(2017/2/3 18:07~18:28) 雨のせいで二週連続して野外音楽堂のステージ上での集会だったが、今日は、「風が冷たいのでステージで」ということだったが、じつのところ、あまり風は強くなかった。みんなの距離が近い集会の感じがよかったので今週も、ということだろう。 「否定する気はありませんが、私はデブです。それで何の話かというとデブリの話です」と、主催者挨拶は始まった。 東京電力は、1月末に1F2号機の内部撮影を行い、圧力容器の下の作業台の大きな穴や溶融燃料(デブリ)らしい塊を見つけた。そのときの映像ノイズから格納容器の内側(圧力容器を支える円筒の外側)で放射線量が530Sv/hrに達すると推定した。そこはメルトダウンして圧力容器から落ちたと思われる場所から離れていて、なぜそのような高線量になっているか分からないのだという。このことは広範に高放射能汚染が広がっている(デブリが飛散している)ことを示唆していて、廃炉の道筋がいっそう暗澹たるものになったと言えよう。 530Sv/hrは強烈な放射線量である。人間は積算線量3~10Svで骨髄死、8Sv以上で腸管死、20Sv以上では中枢神経死となると言われている。530Sv/hrの場所に1分もいれば確実に死に至るのだ。 しかし、ニュースを見る限り、マスコミは530Sv/hrという数値に驚愕しているように見えるが、そもそもその原子炉のほんの一部が空中に吹き飛んだだけで10万人以上が避難しなければならないほどの放射能がまき散らされたことを考えれば、原子炉内がその程度の高線量というのは当然である。もともと原発というのはそういう存在だ。核分裂がもたらすのはそういう結果であることは物理的には自明である。今さら驚く方が不思議なのである。 おそらく、じっさいには廃炉は困難であろう。たとえ可能であっても数十年という年月を必要とするだろう。チェルノブイリは早々に廃炉を諦めて石棺として封じ込める道を選んだ。東電1Fも汚染地下水の流出を封じる手立てをして石棺化を図るのが現実的だろう。しかし、「それでは福島の人たちの心が壊れるのではないか」と主催者は畏れる。石棺化は、チェルノブイリがそうであったように、東電1Fの近隣地域の永久的な遺棄につながってしまう。 女川、伊方、川内をそのような故郷にしてしまうのか。誰が考えても答えは明らかだと思うのだが、なぜか日本の政治家と経済人にはそのことがまったく通用しない。 仙台では長町地区でも金曜行動が行われているが、最近、その時間帯が夕方から昼に変わったという。夕方まで仕事があってそれに参加できなくなったのでこちらに来ました、といわれてスピーチに立った人の話題は東電2Fの冷却ポンプの故障についてだった。 昨年11月22日早朝、福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震で東京電力福島第2発電所2号機の燃料プールの冷却用ポンプが1時間半にわたって停止し、冷却水があふれ出した。東電は、それは事故ではなく安全装置が働いたためだと言い逃れしたが、それでは何も起きなかった1号機や3、4号機では安全装置が働かなかったということになって、それはそれで大問題ではないか。震度5弱の地震でその程度なら、3・11ではもっと重大な事故が起きていたのではないか、と東電の隠蔽体質を懸念する話だった。 福島から参加された方のお兄さんが2011年6月に白血病を発症して、その後に亡くなられたという。その因果関係を断定することはできないが、低線量被ばくといえども、福島では今も被ばくが続いていることをとても心配されていた。また、福島での集会に参加していたとき、原発に反対するためにはSNSを利用してマスコミジャーナリズムに対抗する必要性を痛感して、今こうしてデモに参加したことなどを必ずSNSで発信するようにしていると話された。 仙台の郊外で地域医療に携わっているお医者さんの話が紹介された。その地域では今までほとんど見られなかった膠原病や白血病になる人が現れたばかりではなく、甲状腺の患者さんが増えたという。このような事実が、みんなには届いていないことが問題ではないか、と話された。 その話で思い出したのは、チェルノブイリでもこれまで全く見られなかった甲状腺がんの患者が3人も現れたとき、原発事故によると確信されたお医者さんがいたというニュースだった。しかし、IAEA(国際原子力機関)やICRP(国際放射線防護委員会)からは、統計的に有意義ではないと無視された。 たしかに何十万人の中の3人であれば、統計的には有意義ではない。しかし、地域医療に携わっていれば、その母数ははるかに小さい。何よりも、職業医師としての人生で初めて3人の患者が同時に現れれば、放射線被ばくの影響を疑うのはきわめて正常な科学的態度である。結局、世界は甲状腺がんの異常な発生が放射能の影響であることを認めざるをえなかったが、それは事故後だいぶたってからである。 甲状腺癌ばかりではない。おそらく、日本でも経験的に様々な異常を感じている医師がたくさんいても、それが表に出てきていないのではないかと思う。統計的な確度に自信がないということもあるだろうが、多くは陰に陽に働く圧力のせいではないか。はっきりした形をとらない圧力というものが、この社会に張り巡らされているだろう。それが権力というものだと言ったのは、ミシェル・フーコーである。 1月29日に開催されたシンポジウム『原発のない東北の復興を考える』の報告もあった。3回目のシンポジウムだが、1回目の530人、2回目の630人に対して今回の参加者は780人に達した。 基調講演された金子勝慶応大学教授の著書も販売されたが、すべて完売ということだった。金子教授は、原発は衰退産業そのものであり、そもそも経済的には成り立たないこと、原発そのものが日本経済の足かせになっていることなどを強調された。パネルディスカッションでは、原発に頼らない地域経済を主題として議論され、今後の活動にとってとても有意義な意見がたくさん出された、という報告だった。勾当台公園から一番町へ。(2017/2/3 18:35~18:44) デモに出発する準備をする人たちがいつもよりずっと多いような気がした。たぶんそんな気がするだけだろうと思っていたが、今日の参加者は45人だとスタッフの一人から教えられた。 先週までの2回のデモは35人だったので、たしかに今日は多い。これくらいの人数での10人の増減はけっこう印象を変えるようだ。一番町。(2017/2/3 18:46~18:52) 東電1F2号機の格納容器の写真の記事に続いて、東京電力は今月中にもロボットを投入して格納容器内を調べるというニュースもあった。 前にも何度か失敗しているように、今度もおそらくロボット投入直後に動かなくなるだろう。失敗する可能性が極めて高いのだ。格納容器内の530Svという線量の推定が写真のノイズから推定したというのは、カメラが放射線損傷を受けている程度から判断したということである。高エネルギーの放射線は、どのような固体材料においてもその原子配列を壊す形で損傷を与える。 その物理的性質がもっともダメージを受けやすい固体材料は半導体である。半導体の性能は、きれいに配列した母体結晶に導入されたごく少量の不純物が作る電子(または電子空孔)のある定まったエネルギー順位で決まる。放射線損傷は母体結晶の原子配列を乱雑に壊してしまい、いろんな種類の格子欠陥(電子レベルでは不純物と同じ役割をする)が大量に(様々なエネルギー順位が大量に)発生するので、電子制御できる半導体ではなくなる。格納容器に投入されるロボットの制御部分は半導体からなる集積回路で構成されているので、格納容器内ではあっという間にその性能を失ってしまう。 半導体ばかりではなく、カメラのレンズもあっという間に不透明になってしまうだろう。ソーダガラスであれ石英ガラスであれ、それが透明なのは光を吸収する電子のエネルギー順位が存在しないためである。半導体の場合と同様に、放射線損傷はガラス固体の中に様々な電子のエネルギー順位を大量に作ってしまい、それが光を吸収してしまう。ガラスが放射線損傷で真っ黒になるのはよく知られた事実である。(ちなみに、私は、私の研究生活の最初期の短い期間、半導体や金属合金の放射線損傷をテーマにしていた。1個の放射線が固体内のどれだけの原子配列を壊すか、モデル計算をしたことを思い出した。) 高エネルギー放射線の大量被ばくの前では、人知を絞ったロボットもまったく無力なのである。どんなに科学が発達しても、人間にはできないことがあるのだ。それを知ることこそ科学そのものの前提なのである。青葉通り。 (2017/2/3 19:00~19:04) 一番町も広瀬通りを過ぎ、さらに中央通りの入り口を過ぎると急に人通りが少なくなる。青葉通りに曲がれば、デモ人とくるまばかりという感じである。バスはたくさん通るので、バスの方にプラカを掲げ、乗客に向かってコールをあげることが多くなる。 バスの乗客には声が届いているのだろうか。バスの乗客としてデモを眺めてみたいと思ったが、たしかそんな短歌があったのではないか。抜き書きノートで探して見た。三人目として探した岡井隆のノートにあった。じりじりとデモ隊のなか遡行するバスに居りたり酸き孤独嚙み 岡井隆 [1] 長いデモの列を遡るようにバスはのろのろ進み、デモに加わっていない作者には忸怩たる思いがわいているのだ。バスの中からデモの列を眺めてみたいなどと単純にはいかないようだ。デモに加わっていない自分をどう見るかの方が心に重くのしかかってくるのだ、きっと。たぶん、私でも……。[1] 『現代短歌全集 第十三巻』(筑摩書房、1980年)p. 293) 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.02.05
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