全5件 (5件中 1-5件目)
1

昨日(3月30日)、義母は何ごともなく113歳の誕生日を迎えることができた。今年に入ってから、正月明けにと3月初めにともに誤嚥性性肺炎で救急入院した。昨年の4回の救急入院のうち1回だけがインフルエンザであとはすべて誤嚥性肺炎だった。カテーテルでの痰の吸引もふくめてそれなりの口腔ケアをしているつもりだが、誤嚥性肺炎は「ある日突然に」やってくるのだ。 妻も私も義母の入院には慣れたように思うが、妻は病院でつきっきりで看病し、私が家事一切と妻の三食を運ぶという毎日は、どちらかと言えば私の方がはやくへたばってしまうのだった。妻ほど精神的にタフではないということもあるのだが……。 花やケーキ、カードなど誕生日のお祝いがたくさん届いた。義母から見たら「超若い」友人やひ孫からのものまで、配達日指定なのでどっと届くのである。昼食後、花やカードと一緒に義母の写真を撮る。お祝いの訪問客もあって、義日が疲れてしまわないか心配だったが、最後の訪問客の時にはぐっすりと眠り込んでいて挨拶もなしだった。誕生日のお祝いがかえって義母を疲れさせるのではないか。「誤嚥性肺炎」という言葉が脳裏をかすめて行ったり来たりしていた。 翌日(つまり、今日だが)、昨日の午後に届いたお祝いと義母の写真を朝食後に写す。それぞれの写真をいくぶん調整して、写真用のはがき用紙に40枚ほど印刷する。そこまでが私の仕事で、住所、お礼文を書いて投函するのは妻の仕事である。 「頑張ってお礼状を書くね」と意気込む妻を後に、私は金デモに出かける。勾当台公園野外音楽堂の集会。(2017/3/31 18:08~18:07) 先週ほど寒いことはないが、温かいとはとても言えない。ただ、誰もが防寒は十分といえるほどの服装(冬のままの服装ということだが)なので、今日はステージ上で寒風を避けることもなく、ベンチに座っての集会となった。 高浜原発3,4号機の運転差し止めを命じた大津地裁の判決が大阪地裁で逆転されたことや、伊方原発3号機の運転差し止めが広島地裁で却下されたというニュースにはあえて触れずに、原発事故時の女川町の避難計画の話題から主催者挨拶は始まった。 30日に、女川町が女川原発の重大事故時の広域避難計画を発表して、これで原発から30km圏内の緊急防護措置区域(UPZ)の全ての避難計画が出そろったことになる。女川町の避難は「原則として」自家用車で栗原市に避難するというもので、一部バスなどでの避難も想定しているという。 「免許を持っていない私が女川町民だったらどうすればいいのでしょう」と主催者は語り、川内原発事故時の鹿児島市の避難計画がバス利用を想定しているのだが、民間のバス、民間人のバス運転手をどのような法的根拠で動員するのか、できるのかが問題だと指摘された。「原発ではない方法で電気を作りさえすれば何の問題もなくなるのですが」と話は続いた。 主催者の話題を受けて、3・11と同じような事故が起きた場合の避難について家族と話し合ったら、一人が公務員なので一緒に避難はできないという結論にならざるをえなかったという話が紹介された。公務員が真っ先に犠牲になるかもしれないのだが、これも原発を止めさえすればあたら犠牲者を出すこともないのだという結論になった。 28日のNHKの時事公論(正確には「時論公論」という解説番組)で報道された話題として、原子力災害対策本部が新たに3県での放射能検査が必要だと決めたが国民にきちんと知らせないのはけしからん、というスピーチがあったが、正確には次のようなことだ。 東電1F事故後の2011年4月から食品の放射能検査や出荷制限が福島、茨城など11都県で始まったが、6月に山梨、静岡、神奈川を加え、さらに8月には岩手、秋田、青森3県を加えてあわせて17都県で検査が行われるようになっている(2011年中にすでに17都県になっていて、今年新たに加えられたということではない)。 原子力災害対策本部がその検査をこの4月から縮小すると発表したことをNHKは「縮小できるのか? 放射能物質の検査」として取り上げ、消費者の不安の声や生産者の「生活を守るためには検査が必要だ」という意見などを紹介している。 ガイドラインでは、人間が管理できない野生動植物の検査は従来通りとし、農畜産物では過去3年間の検査で50Bq/kg以下となったものは検査を止めることができると改めた。 つい最近沖縄ソバから285Bq/kgの放射能が検出された。沖縄ソバに鹹水として使用した木灰が福島産の木材から作られたことが原因だが、木材の出荷時には汚染検査をしたのだという。検査をしたにもかかわらず、思わぬ形で食品に放射能が混入したことになる。ほかにも検査なしで出荷された食品の汚染がしばしばニュースに取り上げられる。 こうした例が示しているのは、検査漏れ、検査の不十分さということで、むしろ検査を拡大することが国民の健康を守ることになるはずだが、ここでも、できるだけ福島事故をなかったことにしたいという意識が行政を支配しているのが見て取れる。 3月29日付の河北新報の社説が高浜原発の再稼働を容認した大阪高裁の判断をきちんと批判していると紹介するスピーチもあった。「高浜原発 高裁決定/「基準」への吟味が足りない」と題する社説で、運転中の原発をストップさせた大津地裁の判決を高く評価し、新規制基準に適合しているという規制委員会の判断に寄りかかり、関電の安全対策は「不合理なものとは言えない」と結論付ける大阪高裁の判断には説得力がないと批判している。 地元の新聞の高い意識を力にして、まずこの宮城で原発を止めて脱原発運動の先頭に立ちましょう、と訴えてスピーチを終えられた。スピーカーは、河北新報以外の報道を評価されなかったが、私の知るかぎりでは(読売、産経は問題外だが)、多くの新聞が大阪高裁の判決に批判的であったことは確かだ。 「脱原発をめざす宮城県議の会」の角野さんも挨拶され、首相官邸前の脱原発抗議行動と同じように国会前で毎週金曜日に行われている「希望のエリア」の行動を紹介された。「希望のエリア」行動の参加されている仙台出身の人が来仙されて交流を持ったことなども話され、指定廃棄物の焼却問題も含め、運動の本番はこれからという思いで、東京も地方も手を取り合って頑張っていきましょう、と締めくくられた。 最後に、東芝の株主総会の話題が紹介された。東芝の1兆円超という史上初の規模だという。その結果、東芝は6200億円の債務超過に陥っている。株主総会では半導体部門の分社化を決め、2兆円規模で売却したいという意向だが、おそらく買いたたかれるだろうし、旧東側への売却となれば政治問題化する恐れもある。すでに政府のなかには中国や台湾への売却を阻む意向があるという報道もなされている。 また、東芝は子会社のウェスティングハウス(WH)の破産法適用を申請したが、このことで原発建設計画をもつアメリカの電力会社に甚大な損害を与える可能性が出てきた。アメリカ政府は電力会社の債務保証をしているため、場合によっては日米の外交問題となることも考えられる。つまり、国民の税金から損害補償の金がアメリカに支払われる可能性があるということだ。政策判断の間違い、経営判断の間違いが国民の税金で償われるというのはいかにも腹立たしいことではある。 廃炉を決定したはずの「もんじゅ」の話題も提供された。廃炉のためにはまず198本のMOX燃料、172本の劣化ウラン燃料棒を引き抜く必要があるが、もんじゅでは燃料棒同士が支えあう構造になっているため引き抜いた燃料棒を同じ形の金属棒(模擬燃料棒)に置き換えなければならない。 その模擬燃料棒は370本必要だが、170本以上不足していることが判明した。現有の模擬燃料棒も製作年が古くそのまま使えるかどうか不明だという。 核燃料を装填したままの廃炉作業は安全面からはとうてい考えられず、もんじゅの廃炉の見通しは一段と暗くなった。本来、作るべきでなかった工業用核分裂施設のなれの果ての無残さが次々と顕わになってくるようだ。勾当台公園から出発。(2017/3/31 18:32~18:41) 今日は市会議員のひぐちのりこさんがチンドン屋さんのスタイルで参加されて、賑やかにデモを盛り上げてくれた。それにしても太鼓や鉦で構成されるあの楽器はなんという名前なのだろう(帰宅してからのWiki情報では、鉦(当たり鉦)、締太鼓、大胴を組み合わせて作られ、そのまんま「チンドン太鼓」と呼ぶという)。 おなじく、市会議員のすげの直子さんがコーラーを引き受けてくれて、こちらもよく通る声で元気に呼びかけてくれた。一番町を賑やかに。(2017/3/31 18:47~18:58) マスコミはアッキード疑獄や共謀罪法案などの重大な政治的局面の報道で賑わっている。また、高浜原発3,4号機の再稼働を大阪高裁が容認したこと(大津地裁判決を覆したこと)や広島地裁が伊方原発3号機の運転差し止めの訴えを却下したことなど脱原発運動にとって重要なニュースもあった。もちろん、全国で無数に起こされている(起こされようとしている)裁判のうちの2例にすぎないので、さほど落胆するには当たらないし、むしろ独立性を失った司法で福井地裁判決や大津地裁判決があったという価値の方が決定的だと言っていい。ある司法判断を徹底的に批判する司法判断を司法自体がその内部に抱え込んでいるというのは将来を見通すうえでとても重要だろう。 さて、そうした大ニュースの陰でひっそりと流されたニュースがあった。1週間ほど前、原子力規制委員会はこの29日に4原発5基の廃止措置計画(廃炉の工程計画)を許可する方針だというニュースがあった。30日になったら、廃止措置計画の資料の一部に分かりにくい記述があったため、認可を見送ったというニュースになった。 ニュース価値としていえば、4原発5基の廃炉はすでに決まっていて、規制委員会は単に事務的手続きな仕事をしているのであって、許可するとかしないとかはたいした問題ではない。私が気になったのは、「この5基の原発は運転開始から40年たったので廃炉が決まっていた」という意味の文が何の注釈もなしに記述されていることだった。間違いはないのだが、しかし、規制委員会は40年で廃炉という原則を破って別の3基は40年を越えて運転することをすでに認めているのである。つまり、40年は何のクライテリオンにもなっていないので、上の文章はあえて書く意味がないのである。 廃止措置計画が審査されている4原発5基というのは、日本原電敦賀原発1号機(35.7万kW)、関西電力美浜原発1、2号機(各42万kW)、中国電力島根原発1号機(46万kW)▽九州電力玄海原発1号機(56万kW)で、それ以外ですでに廃炉が決定している原発には、浜岡原発1、2号機(各69万kW)、日本原電東海原発(16.6万kW)がある。 一方、40年を越えて運転することを規制委員会が認めた原発は、美浜原発3号機(82.6万kW)、高浜原発1,2号機(各82.6万kW)である。 これを見れば、廃炉か延長容認かを決定しているのは、明らかにその原発の発電量である。運転延長には数千億円規模の安全対策費用がかかるとされていて、70万kW以下では採算が取れず、80万kW以上では採算が取れるという判断である。ここには、40年経った老朽原発は危険だから廃炉にしようという安全性の観点を規制委員会はとっくに捨てているのである。安全性ではなく経済性がクライテリオンになっているのだ。 おそらくこうした判断に関わった役人(規制委員会委員も実質的には上に逆らえない役人にすぎない)は、「社会的、経済的に合理的な判断」だとか「合理的に達成しうる目標」などという屁理屈で自己弁明しているに違いない。ここで言う「合理的」というのは「霞が関文学」ではきわめて恣意的、主観的な意味合いしかもたない。 こうしたことから思い出されるのは、放射線被ばくの線量限度を定めるときに適用される「ALARA原則」である。国際放射線防護委員会(International Commission on Radiological Protection, ICRP)は「すべての被ばくは、経済的および社会的な要因を考慮に入れながら、合理的に達成できる限り低く保たれなければならない」と勧告している。この最後の部分「As Low As Reasonably Achievable」の頭文字をとって「ALARA原則」と呼ばれている。 ICRPは、「ALARA原則」を前提にして東電1F事故による汚染地域における被ばく限度を1~20mSv/年とするよう勧告したが、日本政府はよりによって最大値の20mSv/年を採用したのである。1mSv/年とするのは「経済的および社会的要因」を考えると不合理で、合理的に達成できる数値ではないと考えたということだ。 20mSv/年ではなく1mSv/年とすることで生じる問題は避難区域が広がって避難者が増大することだけである。つまり、避難者への経済的保証が増えるだけである。経済的にさほど裕福ではないベラルーシなどでは実現させているので、経済大国と自慢する日本では楽に実現できることである。しかも、1mSv/年とすることで将来間違いなく拡大する被爆者の晩発性障害にかかる医療費を大幅に抑える効果もある。どちらが経済的かはわからないのである。しかし、政治家と官僚は福島の被爆被害者に支払う目先の金が惜しいのである。 彼らが考える経済的、社会的「合理性」というのはその程度のものにすぎない。議論を戦わせる価値もない。ただ一言「いやだね」と断言して反対することが唯一の正しい国民的態度だとしか思えないのである。青葉通り。 (2017/3/31 18:58~19:06) 今日のデモは40人だったが、じつは勾当台公園を出発するときにはいつもよりずっと多いような気がしていたのだ。一番町に入ってから40人だと知らされたときにはちょっと信じられない気分だった。 最近は続けて野外音楽堂のステージ上で集会を持っていたのだが、少し寒さが緩んだこともあって今日はベンチに座っての集会だった。面積的にはだいぶ広い場所での集会だったので、そのボリューム感に幻惑されただけだったらしい。 デモが終わり、今日の帰宅は本屋を2、3軒経由していく。安くて面白そうな本が見つかればいいのだが………。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.03.31
コメント(10)

早朝、犬と散歩に出るとうっすらと雪景色だった。冷気にあわてて、急いで手袋をポケットから取り出す。季節が行きつ戻りつして、まるで何かをためらっているようだ。私にはためらう理由は少しばかりある。季節にあまり急いでほしくないのだ。山茶花と雪に朝の陽射し。(2017/3/24 6:18) 庭の椿が咲き始めているが、写真に撮ったのは、まもなく季節を終える山茶花である。花弁に透ける朝光を撮りたかったが、さほどの出来ではない。こんな時には露出補正を上げるのだったか下げるのだったかも思い出せないままにシャッターを切った。犬が待っていてくれないのである。人生に宿題が多すぎて読むべき本としんぶんとてがみとうたふべきうた きくべきうたが多すぎてまるで 生きてゐるひまがない 吉原幸子「無意味なルフラン」部分 [1] 読まなきゃいけない本がたくさん溜まっている。必ずしも「読むべき本」というわけではないが、いちど読もうと思った本を諦めきれずに溜まってしまった。それなのに週一の図書館通いは習慣のように繰り返すし、そのついでに本屋を廻ったりして、自分の首を締めあげることになっている。加えて、知人二人の著作が送られてきたりする。 年が明けてから義母が2回も救急入院した。そんなときは気持ちがバタバタして、本に向かうことがない。退院しても、疲れてしまった気力がなかなか回復しないのだった。体力も気力も歩をそろえて老いていくのだ。 それでも、少しずつ回復過程にはあるようだ。二週間でウォーラーステインの本が4冊目、『「日米合同委員会」の研究』を読み、原子力政策をめぐる小説『キアロスクーロ』を読み始めた。次はエティエンヌ・バリバールの本を読むつもりだ。問題は、読んだ本の評を書き上げる作業が滞っていることだ。その気力まではまだまだ戻っていない。こちらは、『ローザの子供たち』について書き始め、予定の3分の1ほどでストップしたままだ。 読むことは書くほどの気力を必要としないので、『ローザの子供たち』で論評の対象となっているウォーラーステインやバリバールを読むことに心が傾いて、つまりは楽なことをしているというわけだ。これこそ、ハイデガーの言う日常の「頽落」というものだろう。勾当台公園野音ステージ。(2017/3/24 18:12) 勾当台公園に着いて、最初にいただいた挨拶は「寒いですね」だった。やはり、この季節にしては寒いのである。司会者も「今朝、家の周りに雪が積もっていました」が最初の振りだった。 「肥田舜太郎先生が天命を全うして亡くなられました」と、主催者の挨拶は始まった。この3月20日、100歳で亡くなられた肥田先生は、ヒロシマで生まれ、自身が原爆の被ばく者でありながら、被ばく者の救護、治療にあたられ、その後一貫して反核、反被ばくを訴え続ける仕事をされた。「志が高かったから長寿となられたのか、長寿だったからたくさんの仕事を成し遂げられたのか、思うところ大でした」と挨拶は締めくくられた。 主催者挨拶を受けて司会者も肥田先生について話された。福島事故の後で講演のために来仙された肥田先生が「また全国行脚することになろうとは思わなかった」と語られたこと、福島事故で全国の人が被ばく者になってしまったという意味の発言をされたことなどが印象的だったという。 脱原発運動は非暴力でやっていくために、事実を明らかにし、誤りを正し、科学的、論理的に進めましょうという前置きがあって、1年ほど前に地方新聞が取り上げた指定放射能廃棄物の記事のことを話された人がいた。 その地方新聞は、環境省が発表した宮城県の指定放射能廃棄物の数量をそのまま記事にした。その人が、数量が少ないのではないかと新聞社に電話したら、担当記者はそれを認め、自治体が県に届け出ていない例や、農家が自治体に届けて出ていない例を挙げて実数はもっと高いことを知っているが、風評の問題があって書けなかったと語ったという。こういう事実をきちんと明らかにしていくことも反原発運動では大事ではないかと話された。 四国電力と住友商事の合弁で石炭とバイオ燃料を燃やす火力発電所を建設する計画について、住民説明会が行われるという案内があった。4月2日14:00~16:00、東北福祉大学仙台駅東口キャンパス、4月3日18:00~「夢メッセみやぎ」で開催される。直前の案内だが何とか大勢の参加を期待すると訴えられた。 また、関西電力が計画していた千葉火力発電所は建設中止になった。仙台でも石炭火力発電所の停止を求める署名活動を4月初めから開始したいという案内もあった。 私が、現在国会に上程されている原子炉等規制法改正案とIAEA(国際原子力機関)勧告について少しばかり話した後、山形大学公害問題研究会の学生さんから2回目の講演会の案内があった。学生さんが話し始めたら、会場から「行くよっ!」と元気な声がかかった。 崎山比早子さんの講演会「放射線医学のスペシャリストが語る知られざる被ばくによる健康被害」は、3月26日(日)13:30~16:00、山形市中央公民館大会議室で開催される。勾当台公園から一番町に向かう。(2017/3/24 18:37~18:42) 集会の会場に着いたときは、寒の戻りに妨げられて参加者が少ないだろうと予想していたが、いつものように40人が集まった。コーラー候補も何人かいて、デモは勾当台公園を出発した。 暗すぎてシャッターが下りないことが何度もあったし、露出優先AFにしているので、シャッター音が明らかに遅いのも何度もあった。暗い中ではどう映ったか確認が難しい(老眼では難しいという意味だが)。シャッター音で、たぶんこれは使えそう、などとあてずっぽうで判断して道を進んでいくのである。一番町を行く。(2017/3/24 18:47~18:57) ネットもテレビも松友学園がらみの疑獄事件で賑わっている。「教育勅語」を前面に出した幼稚園教育を時の宰相がほめそやしていたと思ったら、いつの間にかその教育者を罵りだした。宰相に声を合わせるように文部科学大臣も防衛大臣も、日本国家として68年前に学校教育から排除・失効させた「教育勅語」を擁護する言説を繰り返している。彼らは、日本が国家として定めた法を無視、ないしは無力化しようとしている。大臣がそうであれば、日本は法治国家ではない。 絶滅種の「教育勅語」にはまったく興味はないが、作家の高橋源一郎さんが「教育勅語」の「超現代語訳」をTwitterで発表したので、それをぜひ記録しておきたい。その比較のために絶滅種を一応掲げておく。朕󠄁(ちん)惟(おも)フニ我カ皇祖皇宗(こうそこうそう)國ヲ肇󠄁(はじ)ムルコト宏遠󠄁(こうえん)ニ德ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ我カ臣民克(よ)ク忠ニ克(よ)ク孝ニ億兆心ヲ一(いつ)ニシテ世世(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ此(こ)レ我カ國體(こくたい)ノ精華ニシテ敎育ノ淵源(えんげん)亦(また)實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス爾(なんじ)臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦󠄁相(ふうふあい)和(わ)シ朋友相信シ恭儉己(おの)レヲ持(じ)シ博󠄁愛衆ニ及󠄁ホシ學ヲ修メ業ヲ習󠄁ヒ以テ智能ヲ啓󠄁發シ德器ヲ成就シ進󠄁(すすん)テ公󠄁益ヲ廣メ世務(せいむ)ヲ開キ常ニ國憲ヲ重(おもん)シ國法ニ遵󠄁(したが)ヒ一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以(もっ)テ天壤無窮󠄁(てんじょうむきゅう)ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂(ふよく)スヘシ是(かく)ノ如キハ獨(ひと)リ朕󠄁カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺󠄁風ヲ顯彰スルニ足ラン斯(こ)ノ道󠄁ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺󠄁訓ニシテ子孫臣民ノ俱(とも)ニ遵󠄁守スヘキ所󠄁之(これ)ヲ古今(ここん)ニ通󠄁(つう)シテ謬(あやま)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(もと)ラス朕󠄁爾臣民ト俱(とも)ニ拳󠄁々服󠄁膺(けんけんふくよう)シテ咸(みな)其(その)德ヲ一ニセンコトヲ庶󠄂幾󠄁(こいねが)フ明治二十三年十月三十日御名御璽(ぎょめいぎょじ) このような漢文読み下し調の文章は、けっこう調子が良くて、意味が分からないままに感心してしまうことが多い。気を付けなければならない文章の典型である。政治家の演説も、断言肯定命題ふうの調子で進むのはたいてい中身がない。時の宰相に至っては、日本語として意味が全く通じないが、支持者がけっこういるというのは単に言葉の調子に騙されているだけである。言葉の調子で騙すためには、なまじ中身がない方がいいのかもしれない。意味が通じたら馬鹿にされてしまうということを政治家は知っているに違いない。 さて、高橋源一郎流の現代語版「教育勅語」は次のようなものである。ここでは、「朕󠄁」や「爾」は単なる「わたし」や「あなた」ではなく、身分制度が判るような訳になっている。①「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね」②「きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです」③「その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと」④「そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません」⑤「もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください」⑥「というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです⑦「いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです」⑧「そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。 以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」 教育勅語を擁護する人間がよく言うのは、人として大切な徳目も書いてある」ということだが、しいて言えば④だけである。このレベルなら小学校に入学してすぐに担任の先生が言う「お友達と仲良くしましょうね」程度であって、ことさら教育勅語を持ち出すまでもない。 これを書いた高橋源一郎さんの感想。「自分で読み返して思ったんですが、これ、マジ引くよね……。」 引くどころか、これで日本の子どもたちを軍国少年に育て、戦争に駆り出し、230万人を兵士として死ぬことを強要したのである(その内、半数以上の140万人が餓死だった)。戦争に行って天皇のために死ぬことだけが臣下としての唯一の道徳だというのである。反吐が出る。青葉通り。 (2017/3/24 19:00~19:10) 森友学園理事長の証人喚問では、自民党の国会議員はあたかも悪行高い犯罪者を断罪するかのような弁論ばかりで、証言から何かを明らかにしようとする姿勢は皆無なのだった。自民党、公明党、大阪維新の会の議員には、ニーチェの次の言葉を謹んでささげておこう。 ……友よ、俺は忠告する。罰への衝動が強い人間を、絶対に信用するな! それは、粗悪で素性も怪しいやつらだ。…… 自分は正義だと言い過ぎる人間を、絶対に信用するな!…… 連中が自分から「善良で正しい人間」だと名乗るとき、忘れてはならない。連中がパリサイ人となるために欠けているものは、ただひとつ――権力だ! フリードリッヒ・ニーチェ「ツァラトゥストラ」 [2] 私たち日本人の不幸は、自民党と公明党が政治的権力を握ってしまっていることだ。彼らは間違いなくパリサイ人だ。 [1] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年)[2] フリードリッヒ・ニーチェ(丘沢静也訳)『ツァラトゥストラ 上巻』(光文社古典新訳文庫 2010年)p.204。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.03.24
コメント(4)

東京、赤坂のビルの一室で少しやきもきしていた。想像以上に議題が多いうえに、これまた想像以上に議事進行が慎重かつ丁寧なのだった。 早朝、家を出るときは、急いで帰って犬の夕方の散歩を終えてから金デモに出かけるつもりだった。ああ、これで犬の散歩の時間はなくなった。これで自宅に戻る時間もなくなった。もう、集会には間に合わずデモだけだなあ、とあきらめたころに会議が終わった。 挨拶もそこそこに飛び出したが、よくしたもので、地下鉄はホームに着いたらすぐ電車が来て、東京駅では5分とおかず出発する新幹線があって、予想より30分早く仙台に着いた。勾当台公園野音前に着いたとき、まだ集会は始まっていなかった。 仙台に戻る車中で、読書に飽きてスマホでニュースを見ていたら、「原発避難者訴訟 東電と国に賠償命じる 前橋地裁」という毎日新聞の速報記事と「原発避難訴訟 国に初めて賠償命じる判決 前橋地裁」というNHKのニュース記事があった。 NHKの記事は、国と東京電力の責任について次のように述べていた。 17日の判決で、前橋地方裁判所の原道子裁判長は、平成14年7月に政府の地震調査研究推進本部が発表した巨大地震の想定に基づき、国と東京電力は、その数か月後には巨大な津波が来ることを予測できたと指摘しました。 また、平成20年5月には東京電力が予想される津波の高さを試算した結果、原発の地盤を越える高さになったことを挙げ、「東京電力は実際に巨大な津波の到来を予測していた」としました。 そのうえで、東京電力の責任について、「事故の原因の1つとなった配電盤の浸水による機能の喪失を防ぐため、非常用の発電機を建屋の上の階に設けるなどの対策を行うことは容易だったのに行わなかった。原発の津波対策は、常に安全側に立った対策を取らなければならないのに、経済的な合理性を優先させたと言われてもやむをえない対応で、今回の事故の発生に関して特に非難するに値する」と指摘しました。 また、国の責任についても、「東京電力に津波の対策を講じるよう命令する権限があり、事故を防ぐことは可能だった。事故の前から、東京電力の自発的な対応を期待することは難しいことも分かっていたと言え、国の対応は著しく合理性を欠く」として、国と東京電力にはいずれも責任があったと初めて認めました。 東京電力ばかりではなく国の責任を認めたことは、東電の旧経営陣3人の業務上過失致死傷罪についての刑事裁判や、全国18か所での1万2000人に及ぶ集団訴訟にとってきわめて重要な意味を持つことだろう。 しかし、137人が15億円の補償を求めていたのに、62人に3800万円の賠償を命じた判決は、あまりの過小評価で、「一部勝訴」と判断するしかない中途半端なものだ。故郷を奪われ、家を奪われ、つまりは生活の基盤を丸ごと奪われた人間が受け取る賠償がそんな少額というのはどんな人間観、経済観なのか、私には理解できない。勾当台公園野音ステージ。(2017/3/17 18:10~18:27) スーツにコート、中折れ帽という姿で参加した私を司会者がからかうことから集会が始まった。万が一のことを考えてカメラだけはバッグに入れていたので、そんな恰好で首からカメラをぶら下げていたのである。 しかし、東京ではちょうどよかった服装では少し寒いのだった。 主催者挨拶は、当然のように高崎地裁判決の話題である。国と東電に福島事故の責任を認めた点で、「ほんとうに待たれた判決です」として、チェルノブイリでは人が住めないような汚染地域に日本では避難者を帰還させようとしているが、「帰らなくてもいいんだよ、という方向性ができたらいいですね」と締めくくられた。 3月8日に開催され仙台新港の石炭火力発電所についてのパワーステーションによる説明会の報告があった。500席の会場に満杯の出席者で、公害を心配する人がとても多いことを示した。説明が終わり質疑に移るところで、報道関係者を締め出そうとしたが、強烈な抗議で結局は報道陣の取材を認めさせた。とはいえ、質疑は惨憺たるもので、何を聞いても2,3枚のペーパーを読み上げるだけだった。私はいくつかのニュース、報道記事を見たが、どちらかといえば地域住民の目線で報道していたように思えた。報道陣がPSの態度に反発したせいかもしれない。 この石炭火力発電所はほぼ完成しているが、さらに新港の対岸に新しい火力発電所の計画が進んでいる。四国電力と住友商事の合弁で石炭バイオ燃料を使う火力発電所を建設する計画だ。PSの発電所問題が起きた後、仙台市は小火力発電所でも環境アセスメントを義務付けるように条例を改正したが、環境アセスをきちんとやるかどうかしっかりと監視する必要があると訴えられた。 そして、なぜ関西電力や四国電力が仙台に火力発電所を作るのか、東日本大震災でずたずたになっていることを見越した地域差別ではないか、と疑問を示した。それについては、ほかのスピーカーも、石炭火力発電所がそんなにいいなら東北電力が女川原発を廃炉にした跡地に火力発電所を作ったらどうか、公害型発電所だけれども原発よりはましだろう、と話された。 報道記事によれば、関西電力や四国電力が仙台に発電所を作りたがるのは、電力自由化による競争を大消費地の東京に売ることで切り抜けたい西日本の電力会社は、仙台をが東京圏と周波数が同じ(東日本は50Hz、西日本は60Hz)で送電網に余力があるだと解説していたが、いずれにしても、電気は東京へ、金は関西へ、公害は仙台に、という資本主義的地域差別構造であることは変わらないのである。 茨城放送のスタッフが常磐線に乗って取材したとき、路線の一部でバスに乗り換えると、6.0μ㏜/hr、6.2μ㏜/hrという高い放射能強度に驚いたという話題もあった。年間1mSvだったら0.23μ㏜/hr、20mSvだったら3.8μ㏜/hr以下でなければならないのだが、その数値をはるかに超える数値が観測されたというのである。その放射線量は東電1Fの場所と風向きの関係に依存するということだったが、それは、その辺りにいつも新鮮な(?)放射能が飛び交っているということを思わせて、ぞっとする。 最後に、長町で40年電気屋をやっているという人が、同業組合のメンバー20人ほどのツアーで女川原発を見学に行った話をされた。新しい防潮堤が作られていたりして、東北電力は地震や津波対策に力を入れているように見えるが、戦争をしたがる政府が日本にある以上、ミサイル攻撃などによる原発の破壊などの危険があることを身にしみて感じたと報告された。 集会に参加されていた「脱原発をめざす宮城県議の会」メンバーの遊佐美由紀さんの紹介などもあって、集会は終わった。勾当台公園から一番町に向かう。(2017/3/17 18:32~18:36) 40人になった参加者は、暗い勾当台公園から一番町に向かってデモ行進を歩き出した。東京仕様の服装で震えていた私には、デモへ歩き出す瞬間がとても待ち遠しかったのである。 デモの後先を撮ろうと小走りになるとロングコートはとても邪魔なのだった。そして、カメラを構えると中折れ帽のつばに当たって、これまた邪魔くさいのである。一番町を行く。(2017/3/17 18:43~18:53) 帰りの新幹線の中で、もう一つ、とても気になる記事を見つけていた。ジャーナリストのまさのあつこさんの「IAEA勧告すら無視した「原子炉等規制法等改正案」の審議開始」という記事だ。 2013年に日本政府は、原子力及び放射線安全に関する日本国内の規制の枠組みに対するIAEA(国際原子力機関)による総合評価サービス(IRRS)を受けることを決め、2016年にIAEAから日本政府にIRRS報告書が提出された。IRRS報告書は13項目の勧告。13項目の提言から成っている。 まさのさんによれば、勧告の肝は「事故が起きたときの「緊急避難計画」も同様かそれ以上に重要で、もし機能する「緊急避難計画」がないなら、原発再稼働は断念すべき」という点にある。つまり、「日本政府は、オンサイト(原発)とオフサイト(周辺区域)については、役割分担をしていると言っているが、その対応がバラバラではダメである」ということだ。 いま、国会に上程されて審議が始まった「原子炉等規制法等改正案」は、けっしてIAEA勧告を取り入れたものではない。改正の目玉は、原子力規制委員会(原子力規制庁)による原発の抜き打ち検査ができるように改正することだと主張しているが、これはIAEAから2007年にすでに勧告されているもので、規制庁は周回遅れの法改正を行おうとしていて、今次のIRRS報告書によるIAEA勧告からの乖離ははなはだしいとまさのさんは主張されている。 たしかに、IAEA勧告にも関わらず、川内原発も伊方原発も玄海原発もことごとく避難計画がずさんなまま規制委員会は新規制基準に合格したと認めている。原発の安全基準は明らかに世界基準からはるかに低いレベルにあるのは間違いない。どの口が「世界最高の安全基準」などと言うのだろう。 さて、原子力規制庁が発表したIAEAのIRRSミッション報告書は131ページものpdf文書なので、いちおう保存はしておくのだが、さていつ読み終えるのか、ほんとうのところ心もとないのである。青葉通り。 (2017/3/17 18:58~17:07) デモが終わって家に帰り着くと、イオがどうした、こうした、おばあちゃんがああだった、こうだったと、報告が集中豪雨のように頭上に舞い降りてくる。まるで、長時間の外出を後悔せよ、と言わんばかりの勢いなのだった。仕事だというのに………。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.03.17
コメント(6)

6年目の〈3・11〉がやってくる。〈3・11〉は、東日本大震災と名付けられた自然のカタストロフィであったが、原発事故という人類の造形物によるカタストロフィでもあった。この二つのカタストロフィは画然と分けられなければならない。原発事故をあたかも自然災害の一部であるかのように語ることは、自然と人類をともに理解しようとする人類の当為としては許されない。 そして、そのことをほとんどの日本人は理解しているはずだ。私たちは、地震や津波に反対することはできないが、原発に反対することでもう一つのカタストロフィをこの地球上から消し去ることができる。そんなカタストロフィのない未来を子どもたちに残すことができるはずだ。 今年の〈3・11〉を中心とする10日、11日、12日などに全国219ヵ所で反原発・脱原発の行動が行われるという「赤旗」(3月8日付け)の記事がネットで紹介されていた。「全国津々浦々」というのはこういう状況を指している言葉だと実感できるような数字である。その内、みやぎ金曜デモのような定例の行動は86ヵ所だという。 毎週、全国86か所で脱原発のコールが響いているというのは、もうそれだけで十分にすごいことだが、それがこの〈3・11〉前後には219か所にふくれあがるというのだ。かつて国会前に結集した10万人以上の人々が3000人になり、1000人になることをもって、脱原発運動の後退を語る向きもあるけれども、むしろ、それは運動の前線が国会前から全国津々浦々へ拡がっていったということだろう。一つ一つの運動体は小さくても、全国にわたる空間積分値は当初の国会前に匹敵する。日本のあらゆるところに「反原発」の根は張り巡らされた。そんなイメージを私は抱いている。 仙台の今日は定例金デモではあるものの、10日の金デモを日曜日の昼に移して、「福島原発事故を忘れない3・12アクション」と名付けた記念イベントでもある。月に1回の日曜昼デモと同じ時間割だが、フリースピーチはなくて、3人のゲストのスピーチがある。 元鍛冶丁公園には午後1時の少し前に着いた。少しでも会場設営の手伝いができればと思ったのだったが、ステージ背面に横断幕などを張り終えると私が手伝えることはほとんどないのだった。 陽射しは暖かいのだが、雲の流れぐあいでときどき陽が翳るとひんやりする。屋根のあるステージには日が当たらないので、陽射しのあるベンチでのんびりと待機である。 三々五々、公園にやってくる人たちの服装の色合いが、陽射しのせいなのか、私の気のせいのなのか、どこか春めいて見える。何となく「佳日」などという言葉がよぎるような日である。集会風景(元鍛冶丁公園)。(2017/3/12 14:02~14:41) 定刻を数分すぎて、〈3・11〉の犠牲者追悼の長い黙祷から集会は始まった。 主催者挨拶が始まったと思ったらヘリコプターが頭上を通っていって、「本当にがっかりしました」という言葉から聴こえだした。安部首相が3月11日に毎年開いてきた記者会見を「一定の節目を越えた」ということを理由に取りやめたことについてである。主催者ばかりではなく、誰もが「一定の節目」がどういうことが理解できないニュースだった。 東電1F原発の廃炉はようやく「これから」始まる。おそらく放射線被ばくによる晩発性障害に苦しむ人たちは「これから」増えてくるだろう。どこにも「節目」などはないのである。自主避難者への援助を3月いっぱいで打ち切り、20mSv/yの汚染地の故郷へ強制的に帰還させるという無残な政策をもって「節目」などと考えているのなら、私たちは強くそれに反対するしかない。「デモを始めたときから私たちが求めていることは何も変わっていません。これからも求めつづけていきます」という言葉で主催者挨拶は締めくくられた。 最初のゲストスピーカーである「脱原末をめざす宮城県議の会」メンバーの中嶋廉さんの最初の話題は、女川原発再稼働を目指す東北電力の動きと連動して動き出している県予算のことだ。震災で壊れたモニタリングステーション再建の予算化、原発事故時の避難者の汚染を調べるゲートモニターを現在の1台から来年には7台に増設する予算の計上、原発事故時の拠点となるオフサイトセンター建設の予算(調査から建設まで32億4千万円)の計上などは、東北電力が女川原発の再稼働を2018年後半に計画していることとはっきりと連動していて、政府、県、東北電力による再稼働のタイムテーブルは確実に進められている。 もう一つの話題は、原子力規制委員会についてである。原発の新規制基準への適合審査は規制委員会と電力会社とで行われているが、それを電力会社の自主検査に任せようとする動きがある。IAEA(国際原子力委員会)もその動きを是認しようとしていて、日本の原発の安全性がいっそう疎かにされそうな状況である。そうした動きは規制委員会に対する原子力ロビーの働きかけによるのだが、その原子力委員会は私たち国民の声は聞こうとはしない。その一例が、宮城県の専門家会議での「女川原発は被災原発として審査されるべきである」という指摘を受けて県が規制庁に申入れたが、委員会にはまったく伝わっていないことが明らかになっている。規制委員会は、電力会社の話は聞くが私たち国民には耳を貸さないのである。 1960年代には原発事故の損害を試算していたのに、政府は福島事故にかかる費用を私たち国民につけまわそうとしていることや、放射能汚染ゴミを一般ゴミとして焼却しようとしていることなどにも触れられたが、なかでも印象的だったのは、強権的な政府の施策に対して「沖縄の人たちと同じ心構えで私たちはこれからの闘いにのぞむ必要がある」と訴えられた言葉だった。 続いて、生活協同組合あいコープみやぎ専務理事の多々良哲さんが、放射能汚染廃棄物の焼却問題について話された。昨年の秋、宮城県知事は8000Bq/kg以下の放射能汚染廃棄物を一般ゴミと混焼することを市町村会に提案したが、12月末の市町村会で全県的な合意を得ることに失敗した。これは、とくに県北や仙台での反対運動の成果でもあるが、自治体選挙や知事選挙をにらんだ知事の戦術という側面もある。実際に、年明けにはあらためて全県の合意を取り付けたい意思を表明している。 一方で、栗原や大崎、登米、仙台に続いて、県南にも一般焼却に反対する住民組織が立ち上がって、反対運動は県全体に拡がり始めている。こうした経過を踏まえて、全県的組織の立ち上げを目指した「放射能汚染廃棄物『一斉消却』に反対する宮城県民連絡会結成集会」が開催されることになった。4月2日(日)13:30~16:00、仙台弁護士会館で開催されるということである。 「宮城県の空と大地を放射能から守る」私たちの闘いは、同時に「宮城県知事から地方自治を守る闘い」そのものであると訴えられて、多々良さんのスピーチは終わった。 最後のスピーチは、日本基督教団東北教区放射線問題支援対策室いずみの服部賢治さんが福島の放射線被ばくと子どもたちの甲状腺がんについて語られた。被災時に18歳以下だった子どもたちの1回目の検査で116人に甲状腺がんとその疑いが見つかった時、福島県と専門家たちはスクリーニング効果だとして原発事故との関連を否定したが、2巡目の検査で見つかった69人中68人は一巡目で異常がなかったのでスクリーニング効果(過剰診断)という論拠が崩れているが、県は未だにその意見を変えようとしない。 また、NPO法人「3・11甲状腺がん子ども基金」の活動も紹介された。基金では甲状腺がんの子どもに一人当たり10万円の支援を行っていて、これまで66人に給付を行った。66人の内16人は、秋田、宮城、群馬、埼玉、茨城、千葉、神奈川、新潟、東京などで、子どもたちの甲状腺がんが福島を中心に広域にわたっていることが明らかになっている。しかも福島県以外では、定期的な検査がなく、自覚症状が出てからの診断なので重症化している例が多いという。全県的な検査が行われていない宮城県にももっと多くの発症者がいる可能性がある。唯一検査を行った丸森町では2名の甲状腺がん(またはそのおそれ)が見つかっている。 このように甲状腺がんの広域的な多発のおそれがあるにもかかわらず、福島では検査を縮小しようとしているうえ、避難者に対する差別と同じように甲状腺がんやその疑いの人たちにさまざまな差別が起きているとも話された、服部さんは次のような言葉でスピーチを終えられた。「福島原発事故は終わってはいません。健康影響の発生を未然に防ぐことや、起きてしまった健康被害を解決していく道筋を作っていくことが重要だと思います。 事故由来の放射能汚染があった地域における健康影響をモニタリングすること、可視化すること、被害を低減する取組みが非常に重要だと思います。 福島県で行われている甲状腺検査など子どもたちへのフォローなど、今後、社会的にどう取り組んでいくのか、国や行政が消極的な姿勢のなか、私たちが被災当事者としてどうあるべきか、私たちの主体性が問われていると思っています。 福島県はもちろんですけれども、それ以外の地域でも被害者の甲状腺のモニタリングをしていくことが、福島県の人たちや、今も苦しんでいる方々への応援になると信じています。 今日は震災で亡くなられた方々への追悼と祈り、そして脱原発、脱被ばく、未来は変えられると信じて、今日は歩きたいと思います。」 集会の参加者は100人に達した。不慣れな人もいるだろうと少しばかりコールの練習をして、デモは出発した。一番町。(2017/3/12 14:52~15:01)青葉通りに出る。(2017/3/12 15:04~15:06) いつものデモのようにカメラを抱えて、デモの列の前後左右を動き回るのだが、先頭から最後部まで写し終えて先頭に戻るのに苦労する。デモの列はいつもの倍以上の長さである。 じつのところ、けっこう疲れることに気づいてから疲労とデモの列の長さの関係にやっと思い至ったのだった。見知った顔ばかりのいつもの金デモに比べれば、新鮮な被写体がやたらと多いので、すこしばかり張り切りすぎていた。張り切ったからといって、それを支えるほどの体力はないのだ。国道4号の大通りを渡る(青葉通り)。 (2017/3/12 15:11~15:13)解散地点前。 (2017/3/12 15:17) 服部さんが話された放射線被ばく由来の甲状腺がんが、チェルノブイリ事故では5年後から急増したことはよく知られている。福島県の甲状腺がんの多発ばかりではなく、周辺の1都9県でも発生しているにもかかわらず、福島県は検査を縮小しようとするのは、健康被害を防ぐという観点からはまったく逆行している。なぜそのような方向に思いが至るのか、想像することすら難しい。福島の甲状腺がんが事故由来ではないことに医学的な確信があるなら、どれだけ検査をしても問題ないはずだからである。ましてや、検査費用など膨大な原発事故処理費用のなかでは negligible small だから、予算上の問題とは考えにくい(東電1Fの廃炉費用は40兆円とも60兆円とも言われている)。 私が唯一思いつくことは、「探さなければ見つからない」、「見つからなければないことにできる」というばかげた心理作用がさせる愚行ということだ。甲状腺がんは原発事故由来ではないと主張してきた面々はおのれの間違いに気づき始めていて、チェルノブイリのような急激な増加が現れない(見つけられない)ように検査を縮小して、できるだけショックを和らげようしているだけなのかもしれない。敗北戦、撤退戦での傷を深くしないような企まざる作戦ということだ。しかし、それは気分的なごまかしにすぎず、自覚のない自己欺瞞そのものである。 しかし、晩発性放射線障害は甲状腺がんばかりではない。白血病もあれば、遺伝性障害もある。これから少しずつ精細な結論、反撃できない証拠が人命を犠牲にしつつ顕在化していくにちがいない。そのとき、不作為の犯罪を咎められる医師や政治家や官僚が否応なく出てくるだろう。薬害エイズ事件で医師と企業と官僚が罪に問われたように………。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.03.12
コメント(10)

早朝の散歩のときからだいぶ暖かったので、朝食のあと郵便局に出かける際には薄着で出かけた。それでも、西に向かって歩いていると背中に当たる午前10時の陽射しに汗ばむほどだった。 一昨日、92枚の往復はがきを出したら、昨日、一枚だけ戻って来た。返信はがきの方に消印が押されていて、相手に届かぬまま返信先の私に配達されたのだ。返信はがきが先に有効になるなどという経験は初めてである。いずれにせよ、往信分は未使用のまま往復はがきとしては意味がなくなったので、印刷し直しの往復はがきが必要になって郵便局に出かける羽目になった。 出かけた先は小さな郵便局だったが、対処に困ったらしく、どこかに電話で問い合わせていた。さいわいなことに、スタンプミスを記したうえでそのまま配達するということで、私の要件は何ごともなかったかのように終わったのである。 郵便局から家に帰り着いたころから、風が強く吹きだした。暴風警報が発令されたほどの風だった。金曜日に来るヘルパーさんと入れ替わって、強風のなかを妻は食料買い出しに出かけて行った。 金デモに出かける夕方には風もおさまっていたが、冷え込みはきつくなってもいた。強風が吹き荒れて空気が入れ替わったようだ。 温めたり冷やしたりして金属の強度を試験することをクリーピングテストと呼ぶが、こういう熱履歴は、中性子による照射損傷とあいまって、鉄鋼製の原子炉圧力容器や格納容器の脆性破壊の原因になる。なかでも、玄海原発1号機はもっともその危険性が高いと、井野博満東大名誉教授が指摘している。 今日の朝からの自然の熱クリーピングはいくぶんの水洟をもたらした程度で、私は鼻水を啜りながら勾当台公園に着いたのだった。勾当台公園野音。(2017/3/3 18:09~18:24) 金デモが河北新報の一面に取り上げられたためか、先週は50人もの参加者があったが、今日はあまり多くはなくて、最終的には35人の参加にとどまった。 もともと脱原発というシングル・イシュウで集まりましょうという約束事があるので、集会のスピーチは、森友学園と自公政権を結ぶ疑獄事件に微妙に触れつつ、そして巧妙に避けつつすすめられた。 福島から参加された二人が、映画「『知事抹殺』の真実」を見た感想を話された。このドキュメンタリー映画は、福島の原発でMOX燃料を使うことに反対していた佐藤栄佐久元知事が収賄額0円の収賄罪で有罪判決を受けたという、いわば権力によるフレームアップを描いたものである。こうしたが検察や警察の司法権力による国策捜査として行なわれるばかりではなく、マスコミが「冤罪」のフレームアップにきわめて重要な役割を果たしてしまうことに。驚きと恐怖を覚えたというスピーチだった。 焼津市のビキニデーに参加された人のスピーチもあった。アメリカによるビキニ環礁での原水爆実験は1946年から行われていたが、1954年3月1日の水爆実験では、焼津市の第5福竜丸を含む多くの漁船が被ばくした。毎年3月1日にはビキニデーと名づけた反核行事が行なわれていて、焼津市では被ばくで亡くなられた久保山愛吉さんの墓まで焼津駅前から行進したあと「墓前祭」が行われている。 その3・1ビキニデーの地元の人たちの交流会での話題が披露された。浜岡原発に反対する地元の人たちが、東電1F事故の前に100万筆におよぶ反対署名を集めたものの受け取ってもらえないままになっていたという。いかにももったいないことなので、何とか再提出するように取り組みたいと話されていたという。福島の事故の前に100万筆もの反対署名を集めたということは驚きに値するが、現在ならさらにいっそう反対する人が増えているだろう。 県議会開催中にもかかわらず、脱原発をめざす宮城県議の会の遊佐美由紀さんも集会に参加されていた。所属する民進党中央は脱原発をめざす年限をめぐって揺れているが、いずれにしても脱原発をめざすことには変わりがないこと、県議の会の仲間とともに頑張りたいなどと挨拶された。 最後に、12日の日曜日に行われる「福島原発事故を忘れない 3・12アクション」の案内もあった。そのため、来週の金曜日(10日)の金デモはお休みで、「3・12アクション」に大勢の参加を、というアピールがなされた。勾当台公園を出発。(2017/3/3 18:33~18:38) 集会中にどんどん冷え込んできて、デモに出発するころには寒さが耐え難くなってきた。それなのに、勾当台公園を歩き出してしまうと、あまり寒さを感じなくなっていた。体を動かしたせいばかりではないようだ。いくぶん冷気がおさまったような感じだ。一番町を行く。(2017/3/3 18:44~18:52) 不思議なことだが、一番町の通行人の反応がデモの人数によって違うような気がする。先週の50人のデモの時には通行人の表情は「おっ、デモだ!」という感じで、35人の今日は「何をやってるんだろう?」という感じの表情にみえるのだ。 たしかに、人数がどんどん減った極限を考えれば、その反応はもっともだろう。2,3人で「原発なくてもええじゃないか、ええじゃないか」と叫びながら踊っていたら、みんな目をむいて注目するに違いないのである。 一人では狂気、数人では悪ふざけ、数十人ではまっとうな行為、同じことをやっても「見られ方」が異なるのは世の常なのである。青葉通り。 (2017/3/3 19:01~19:08) 前々回の金デモの日(2月17日)の朝に、義母が誤嚥性肺炎で救急入院したのだが、入院に至るまでの経過がいつもと違っていた。血中酸素量と発熱が肺炎の目安になるのだが、6日ほど前から熱は平熱で血中酸素量が80台に下がることがあった。それは静かに寝ているときで、トイレや食事のために起きると90台に回復するのである。 入院の3日前に訪問医の診断を受けたときも、起きていたためか血中酸素量は95でまったく正常だった。その後も、静かに休んでいるときは低い値、起きれば正常値という状態が続いた。思い至ったのは、生体活動の衰えによる酸素量低下であって、肺炎によるものではないということだった。 肺炎だったら回復が期待できるが、老衰にともなう呼吸の衰えなら打つ手はあまりないのではないかと心配になった。訪問医に電話で相談して、家庭で酸素吸入する方法も考えてみることになって、再度診察を受けることになった。 金曜日の朝、訪問医の診察を受けたときには発熱もあり、呼吸音も悪いこともあって、肺炎のおそれで救急入院ということになった。誤嚥性肺炎なら回復するので、緊急入院なのに私と妻はほっとしたのである。 入院後は、いつもの入院時と同じように、あっさりと正常に戻り、一週間で退院と宣告されたものの退院予定日が週末にかかるため、安全を見込んで週明けの月曜日(27日)の退院ということになったのである。 低酸素症状は肺炎のせいということになったのだが、どうも釈然としないのである。肺炎なのに、身体の運動量と酸素量に強い相関があるというのが不思議なのである。ある医師は「数字にあまり振り回されないように」と言い、ある医師は「まもなく113歳なのだからそういうことがあってもおかしくはない」と言うのだが、介護する側は細かな変化に対処しなくてはならないので、あまり安心はできないのである。 義母の入院騒ぎには、妻も私もすっかり慣れっこになっているのだが、時を経て慣れるということは、時を経て私たちの老いも進むということで、妻も私も以前と同じように疲れてしまうのである。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2017.03.03
コメント(4)
全5件 (5件中 1-5件目)
1