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五月晴れという言葉はどこへやら、このごろは雨の日が多い。月曜日の朝は雨が降っていて、朝の散歩も取りやめ、計画していた庭の草取りも延期した。火曜日と水曜日はよく晴れ、草取りを敢行した。春から1度もしていなかったので、見事な雑草の山ができた。木曜日一日乾燥させて、金曜日のゴミ収集日に出そうと思っていたが、木曜日も雨で濡れたまま収集用ゴミ袋に詰め込んだ。 7袋のゴミ袋をゴミ集積所には運んだ金曜日も一日中雨降りである。夕方、傘を持って家を出たときはほとんど止んでいたが、遠くで雷が鳴っていた。肴町公園での集会。(2018/5/18 18:15~19:00) 朝からの雨で、参加者が少ないだろうと予想していたが、20人を越える人が暗闇の中に集まっている。集会を開く公園の中では肴町公園がいちばん暗いうえに、私が肴町公園に着いた頃からまた降り出した雨のために参加者の顔は傘の陰で参加者がよくわからない。 自然エネルギーを活用して地域再生をはかる人びとを描いた映画『おだやかな革命』がメディアテークで先行上映され、チネ・ラヴィータで6月15日(金)から二週間上映されるという案内や、6月2日(土) 18:30から仙台市市民活動サポートセンター4階で開催される『事故初期の運転操作で福島原発事故は防げた』と題するみやぎ脱原発・風の会の公開学習会などの告知がなされた。 スピーチをしている後方で、スタッフとお巡りさんが何か打ち合わせをしている。タブレットPCで天気図を見ているスタッフもいる。スタッフの一人が、つよい降雨の予報があってこの後のデモをやるかどうか検討していると教えてくれた。 結局、まもなく強い雨が降るという予報のため、今日は集会のみで終了するということになった。そのころには気のせいか雨脚が強まったような気がした。 強くなった前の中、ひとしきり脱原発コールの声を上げた後、25人の集まりは散会となった。 帰宅した後のメールのやりとりで、集会だけやってデモを取りやめたのは2011年のデモ直前に強い地震があったとき以来2度目という情報や、今回も金デモの回数に数えるという情報が流れ、金デモは278回を数えることとなった。 みやぎ脱原発デモは278回を数えるが、5月14日に1300回目のデモが行われたというニュースがあった(5月15日付け毎日新聞電子版)。 中国電力が計画している上関原発建設計画に反対して、祝島の住民が続けてきたデモが14日、1300回目を迎えたというのである。 祝島の対岸の上関町に原発建設計画が浮上した1982年の秋から毎週月曜日の夕方にデモが行われてきたのだという。祝島島民の原発反対の闘いの様子は、『原発を止める島』というルポルタージュにまとめられている。その本ことは、2年ほど前のこのブログで紹介した。その部分を再掲しておく。 今日のデモに出かける前に、頼んでいた本が届いた。堀内和恵さんの『原発を止める島』である。上関原発建設計画が持ち上がってから30年以上にわたって反対を続けてきた祝島の人々の苦闘のルポルタージュである。中には、映画監督の纐纈(はなぶさ)あやさんや鎌仲ひとみさん、写真家の那須圭子さんたちの祝島に寄り添う活動の報告も含まれている。 表紙裏には次のような惹句が書かれている。日本では、一七ヵ所の地で原発が建設されてきた。だが、それをはるかに超える二九ヵ所の地で原発を止めてきた。この事実を知る人は少ない。瀬戸内海に浮かぶ人口約五〇〇人の小さな島、祝島。ここには、三〇数年もの間、原発を止めてきた人びとがいる。祝島から、優しい風が吹いている。堀内和恵『原発を止める島―祝島をめぐる人びと』(南方新社、2016年) 南方新社 Tel: 099-248-5455 Fax: 099-248-5457 e-mail:info@nanpou.com URL: http//www.nanpou.com 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.05.18
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ちょっとすごいことになってきた。といっても、安倍政権崩壊の話でも原発廃炉の話でもなく、ただの私事である。この4月からある地域の役を引き受けたら、ずるずると6つほどの役が引っ付いてきた。役職指定というやつで、いろいろな地域組織の役が自動的に割り当てられるのである。 年度初めには、そんな組織の総会が次々に開催される。あわててパソコンで名刺を作ったのだが、けっこう捌ける。職業人時代でもこんなに名刺を消費したことはない。もっとも、研究室に閉じこもっているばかりの私の職業は、名刺交換を必要とするようなものではなかったのだが……。 これから先、どんな会合をどれだけさぼれるかという知識を獲得するために、今はどれもさぼらないで出席しているが、ほとんど形式的な集まりで、かなりつまらない。世間というものの構造がこういう形式で支えられているのだ、と無理やり思い込んで我慢している。 しかし、ときおりご挨拶に伺いたいという電話があって閉口する。それほどの役ではないのに、世間は大袈裟なのである。たいていは断っているが、断りに失敗することもあって悩ましい。 何よりも厳しいのは、妻の視線である。当初からそういう役を引き受けることに反対していた妻は、バタバタし始めた私を「それ見たことか」と眺めているのだ。私は義母の介護の下請け労働力と見なされているので、その労働時間を他のことに向けられるのを警戒しているらしい。介護には労働時間の裁量制というのはとうてい無理なのである。 目下のところ忙しいと言うしかないが、いずれ効果的なさぼり方を学習するだろう。もう1ヶ月ほど辛抱すれば何とかなるだろうと思っている。そう信じて、朝から書類づくりのために張り付いていたパソコンデスクから立ち上がり、デモに出かけるのだ。錦町公園から一番町へ。(2018/5/11 18:55~19:10) ゴールデンウィーク中の金曜日のデモは休みだった。今日は5月の1回目である。5月からは夏時間(午後6時30分から集会、7時からデモ)で、冬時間から30分繰り下げられる。 時間に余裕があると高をくくっていたら、いつものように遅刻した。会場が錦町公園ということが考えに入っていなかった。錦町公園は、会場となる公園のうちでわが家から一番遠いのだ。それに、考え事をしながら歩いていて、途中まで別の公園に向かう道を歩いていたということもあって、錦町公園に着いたときには集会はほぼ終了しかかっていた(1枚目の写真の撮影時間は18:55なのである)。一番町(1)。(2018/5/11 19:13~19:18) 今日のデモの市民へのメッセージの一つは、次のような一文だった。 先日、国は2045年の人口推計を発表しました。宮城県で最も人口が落ち込むと予想されているのが、女川町です。半分以下の約3000人にまで落ち込むと予想されています。 原発が地域おこしに全くつながらなかったことが、誰の目にも明らかになったのではないでしょうか。 原発の経済効果はまったくの一過性であり、決して町の発展につながりません。 むしろ、事故の危険と背中合わせに生活をせざるをえないというマイナスの面がますます際立っています。 みなさん、原発に頼らない地域の自立を、ともに目指していこうではありませんか! もちろん、女川町の人口減少の理由には東日本大震災の津波被害が大きく影響しているのは間違いない。しかし、原発がその復興に役立たないのは自明であるし、いまや原発事業、原子力産業そのものが急激な斜陽化の途上にあることもすっかり明らかになった。 しかも、県や自治体が考えている事故時の避難対策が現実的ではなく、すでに原子力規制庁は避難時の放射線被曝は避けられないと判断している。不安にさいなまれながら住む故郷とはいかなるものか、私には容易に想像できないのだ。 まもなく女川町の人口が3000人を下回るのだという。じつは、私が引き受けた地域の役というのは、町内会の会長である。私の住む町内には、ほぼ1200世帯が暮らしている。単身でアパートやマンションに住む学生が多い町だが、複数の家族がいる世帯数を考えれば3000人ほどの人口になるだろう。 町内会長という役の忙しさに悩まされているその町の人口と、原発立地自治体である女川町の先行きの人口を重ね合わせながら、少し暗鬱な気分になりながらデモの街を歩いたのである。一番町(2)。(2018/5/11 19:20~19:25) 忙しくても本は読みたいのだが、大部の本に挑戦する気分はまったくない。かつて読んだ本を引っ張り出してきて、パラパラと拾い読みをする日が続いている。そんな本の中に、現在の日本の情況を描いているのではないかと切実に思う文章が見つかることがある。 例えばこれは、50年近く前の1970年頃にハンナ・アーレントが書いた文章である。嘘をつく人は、一つひとつの虚偽をつくりだすことはいくらでもできるであろうが、主義としてずっと嘘をついてなお無事であるというのはできない相談であることには気がつくだろう。このことは、全体主義の実験や全体主義支配者が嘘の力――たとえば、現在の「政治路線」に過去を合わせるために繰り返し歴史を書きかえる能力や自分のイデオロギーに一致しないデータを抹殺する能力――に寄せるぞっとするような信頼から学ぶことのできる教訓である。〔………〕 そのような実験が暴力手段をもつ人びとによって行われるときわめて恐ろしい結果を招くが、欺瞞がいつまでもつづくということはない。そこから先では嘘が逆効果になるような点が必ずやつてくるのである。この点に到達するのは、噓を聞かされる聴衆が、生き残れるためには真理と虚偽を区別する線をまったく無視せざるをえなくなったときである。あたかも信じているかのように行動することに生命がかかっているとなれば、真理も虚偽ももはやどうでもいいことになる。信じることのできる真理が公的生活からまったく姿を消してしまい、それとともに、変転してやまない人間の事柄における主要な安定化要因も消滅してしまう。 [1] まるで安倍自公政権がやっている欺瞞政治について述べられているような印象を受ける。そして、その欺瞞政治はいずれ破綻するというのだが、政治体制だけが破綻するのではない。 アーレントが述べているのは、全体主義国家としてナチス・ドイツであり、スターリンに象徴される全体主義的社会主義国家のことである。その暴力的な欺瞞の破綻は政治体制の終焉をもたらすが、社会全体の悲劇的な破綻を伴っていた。社会の「主要な安定化要因も消滅」してしまうのである。 それは困る。安倍晋三や自民党の道連れは断固として拒否したい。私たちが願っているのは、安倍自公政権の破綻、壊滅だけである。そんなことを考えていると、スラヴォイ・ジジェクの次のような言葉が気になってくる(これが載っている本の原著は2002年、16年前に出版されていて、これも必ずしも新しい本とは言えない)。旧き良きドイツ民主主義共和国では、以下の三つの特徴を兼ね合わせることは同一の人間にとって不可能だった。その三つとは、確信(公式的イデオロギーへの信心)、知性、そして正直さである。もし確信しかつ知性的であれば、正直ではないし、もし知性的であると同時に正直だとすれば、信ずる者ではないし、もし信ずる者でありかつ正直だとすれば、知性的とは言えない。こうしたことはリベラルな民主主義イデオロギーにも当て嵌まらないだろうか? もし覇権をもっているリベラルなイデオロギーをマジに信じている(振りをしている)のであれば、知性的であると同時に正直であることはできず、愚かであるかあるいは腐敗堕落したシニカルな人物である他ない。 [2] 日本はリベラルな民主主義の国か? 旧民進党の解体プロセスは今も続いているが、そこで離合集散を繰り返している政治家たちのかなりの部分はつまらない保守なのだが、彼ら自身は「リベラルな民主主義イデオロギー」を語っているつもりらしいのだ。「愚かであるかあるいは腐敗堕落したシニカルな人物」ということか。 安倍自公政権解体後のストーリーもかなり困難な想像力を必要とするようだ。とはいえ、安倍政権以降がどんなであれ、安倍政権よりはましだろう。そんな乱雑な想像が真っ先に思い浮かぶのは、なによりも安倍政権の絶望的なほどの惨めな欺瞞性の故である。青葉通り。(2018/5/11 19:27~19:35) 暑い。デモを歩いたせいばかりではない。今朝早く散歩に出たのだが、寒すぎて5分ほど歩いて引き上げてきた。そのことがあって、やや保温に気を遣いすぎてしまった。ジャケットが厚すぎたのだ。 デモが終わり、青葉通りを西に歩き始めたところでジャケットを脱いだ。少し寒くなったが、それと見合うように急ぎ足になればちょうどよくなるのだった。今朝散歩をさぼった分、少し大股で急ぎ足で帰った。急いで帰って、写真整理とブログを片付けないと、ほかの仕事が滞るのだ。[1] ハンナ・アーレント(山田正行訳)『暴力について――共和国の危機』(みすず書房、2000年)p. 6。[2] スラヴォイ・ジジェク(永原豊訳)『「テロル」と戦争――〈現実界〉の砂漠へようこそ』(青土社、2003年)p. 101。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.05.11
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高校生だったか、大学に入っていたか、もうすっかり忘れてしまったが、国見の頂上にある仏舎利塔まで歩いて行ったことがある。一人ではなかった。数人の友人たちと一緒だったはずだが、その顔触れも記憶にない。 かろうじて覚えているのは、仏舎利塔と仙山線の踏切、踏切の近くに仙台女子商業高等学校があったことくらいである。仙台女子商は、男子商と統合されてその場所にはもうない。記憶にある目印がなくなって、どの道を通っていったのか判然としない。 候補の道は2本ある。一つは東北福祉大学の脇を通る道であり、もう一つは唸坂を上って行く道である。東北福祉大学近くを歩いたことは何度もあるのだが、その付近を通って国見峠に向かったという実感はまったく生じなかった。ただ、当時と様子がすっかり変わってしまったということもあるかもしれない。唸坂(うなりざか)というのは、作並街道(国道48号)から登っていく急坂で、伊達政宗の仙台築城で使う石を引く牛がこの坂で唸り声を挙げたことに由来する名前だという。石を引くときは下り坂で、空荷の帰り足で坂を登るときに唸ったのだろうが、それほどの坂ということらしい。Photo A(左) 唸坂(1)。(2018/5/2 5:11)Photo B(右) 唸坂(2)。(2018/5/2 5:13)Photo C(左) 唸坂(1)。(2018/5/2 5:18)Photo D(右) 唸坂(2)。(2018/5/2 5:20) 街歩きや散歩の道筋に坂があるのはいい。道が曲がっているのもいい。作並街道を通るたびにこの唸坂を一度は歩いてみたいと思っていた。つまり、この坂を歩いた記憶はやはりないのである。 大崎八幡宮の大鳥居を今日の散歩の起点として歩き始めた。作並街道から唸坂を覗くと、坂はすぐに左に曲がっていって木立の陰に隠れてしまう。もうこれだけで十分に散歩人には魅力的な導入部なのだ。 もう3年も山登りをしていない。十分に自覚しているつもりだが、歩き始めれば坂の終わりを早く見たくてつい歩幅が大きくなる。もちろん、そんな歩き方はとても長続きしないので、しだいに歩幅は狭く、足の運びと呼吸をシンクロさせるようになる。 登り始めてすぐに道は作並街道と平行になるが、どんどん高度を稼いでいく。この辺りは、仙台の旧市街の西北を囲むような丘陵地帯で「荒巻」と呼ばれている。仙台城のある青葉山も地名で言えば「荒巻字青葉」のはずである。 その丘陵の一部が広瀬川に削られて谷になっていて、作並街道はその谷の中腹を川に沿って作られた道で、唸坂はその作並街道から丘陵の頂上に向かう道なのである。これは帰宅後に見たGPSによるトラックデータによるのだが、大崎八幡宮から国見峠頂上付近の仏舎利塔の標高差はほぼ200メートルである。Photo E 門前のオダマキ。(2018/5/2 5:22) 歩くペースと呼吸は落ち着いてきたが坂道はずっと続いている。道の左側は下の作並街道まで急激に落ち込む斜面だが、立派な屋敷や塀の切れ目の所々には鬱蒼とした林を下っていく細道があったりする。その道を辿って行きたい衝動に駆られるが、誰かの屋敷に続く私道の可能性もある。早朝5時に他人の敷地に踏み込んでしまう勇気はない。 しかし、長い坂だ。どこかに唸坂の終点があるのだろうが、よくわからない。ようやく道は作並街道から離れるようにわずかに北寄りに方向を変える。そこから見える坂は少し緩やかだが、見える範囲で登ってきた距離と同じほどの長さである。 坂道といえども、見通しのいい道はいくぶんつまらない、などと思いながら道脇を見るとオダマキが咲いている。それも石段の中央、石の隙間から生えているらしく根本には白いスミレも花開いていた。道から6、7段、幅は1.5メートルほどの石段のまん中で立派に成長している。 そのオダマキは大事にされているにちがいない。株を痛めないように気を遣って出入りしているであろう家人を思って、思わずカメラを向けた。Photo F JR仙山線「国見」駅。(2018/5/2 5:30)Photo G 東北文化学園大学前の坂道。(2018/5/2 5:31)Photo H 電波塔が見え出す。(2018/5/2 5:38) 信号を一つ越えたあたりから道は緩やかになり、道の先にJR仙山線の「国見」駅と踏切が見え出す。信号のあるあたりが唸坂の終点で、「唸坂上」と呼んでもいいかもしれない。 仙台女子商業高等学校はかつてこの辺にあったということをネットで知ったのだが、道はもっとずっと狭くて、人家も少ない記憶と、現在の風景は比べようがない。記憶と干渉しあう要素をまったく見つけられない。しかも、踏切を越えれば、東北文化学園大学のビル群の前をまっすぐに道は登っている。その直線性において、記憶とは絶縁しているのだ。 コンクリートを踏みしめて歩いて行くと右手に国見浄水場の広い敷地が見えてくる。ここの水は、広瀬川の支流、大倉川上流の大倉ダムから直接送られてくると思っていたが、そうではないらしい。ダムから取水された水は大倉発電所で利用されて大倉川に放流された後でふたたび取水されて国見浄水場に送られて来るのだという。 国見浄水場にさしかかったところで見上げると国見峠の電波塔が見える。相当な坂道が続くが、とにもかくにも電波塔までは行かなければと少し急ぎ足になる。上りはじめに比べれば道はずっと緩やかである。Photo I1(上)仙台仏舎利塔への参道(?)。(2018/5/2 5:48)Photo I2(下)山門(?)と急坂。(2018/5/2 5:50) 道の右手は、国見浄水場、仙台高校と続くが、左手斜面は森である。林の側には歩道はなく、浄水場側の歩道を歩いていたのだが、林のへりに白い花の咲く木がところどころに見える。ウワミズザクラには少し花期が早いような気がして、道を渡って見に行った。アオダモだった。 歩道のない林のへりを歩いていると、ときどき後ろから車が追い越していって、やや安全性に欠ける。そろそろ歩道に戻ろうと思ったころに林の中に道を見つけた。方向的にはまっすぐ頂上に向かっている。無駄になっても、林の中の草地の道は歩いてみたい。 何の花も咲いていない道を登っていくと、ちょっとした台地になっていてそこに門があった。インド風の装飾があって、案内はないものの仏舎利塔への道らしい。このような門をどう呼ぶのが知らないが、仏教寺院に倣って山門と呼んでおこう。 山門の向こうは急斜面の道で、しかも裸地である。少しならず驚いた。登山道ならいざ知らず、ふつうなら階段道だろう。そう思いたくなるほどの傾斜なのである。 つい最近整地したらしく、剥き出しの土に木の根が残されていて、少しずつ草が萌えだしていた。そのなかに、ノコンギクかヨメナらしい草があった。葉を撫でてみると、どうもヨメナらしい。ヨメナを鉢植えにしたいと思っていた(ノコンギクは二つの大鉢で繁茂している)ので持ち帰りたかったが、土を掘るとそこを起点にして道が荒れそうな気がした。大げさだが、それほどの斜度なのだった。Photo J1 仙台仏舎利塔。(2018/5/2 5:55)Photo J2 電波塔。(2018/5/2 5:58) 息を切らして上り詰めると、そこは仏舎利塔のまん前である。さすれば、この登ってきた荒々しい道は「表参道」ということなのか。また少し驚きなおしたのだった。 この仏舎利塔は、日本山妙法寺の山主藤井日達上人が当時のネール首相から送られた仏舎利を収めるために建立されたことを記した案内板があった。日本山妙法寺という宗派は行動的な宗派らしく、仙台の脱原発デモで一緒に歩いたことがある。〔人類絶滅の恐怖〕の象徴である日本全国に広がる全原発の廃炉解体を祈る「命の行進」の途次だったという。首相官邸前や国会議事堂前の抗議行動でも数人のお坊さんを何回か見かけたことがある。 人類の平和や人々の安寧を願う宗教人がその信仰心に基づいて行動することは当然と言えば当然だが、過去も現在も現生の権力や栄華が欲しくて時の政治権力にすり寄る宗教団体が後を絶たないこと考えれば、いかにも貴重なことではある。一つ二つの大臣席が欲しくて、原発推進ばかりではなく、自衛隊を海外の戦地で戦わせようとする集団的自衛権を認める戦争法案を自民党と一緒になって成立させた宗教団体をバックにする政党すらあるというのに、何とも得難いことのように思える。 宗教や政治の話はひとまず置いて、散歩を続けなければ……。Photo K 国見峠付近。(2018/5/2 6:04)Photo L 霞む仙台市街。(2018/5/2 6:07)Photo M 仙台高校過ぎの坂道。(2018/5/2 6:17) 国見峠という以上、そこは道筋でなければならない。仏舎利塔から尾根筋を北に向かうと変則的な四差路(十字路とは言い難い)に出る。国見ケ丘五丁目という案内図のあるこの辺りの道筋が国見峠ということだろう。さて、ここからは帰路となり、ひたすら下る道になる。下っていく道のむこうには仙台市街が遠望できる。見えると言ってもすっかり霞んでいて、ビル群が薄い影絵のようにしか見えない。急坂が続くこの付近にはどこか市街を遠望できるいい場所があるに違いない。たとえば仙台高校の屋上などは展望台としてどうだろう、そう思いながら右手に仙台高校の校舎を眺めながら通り過ぎる。Photo N 分岐。(2018/5/2 6:23)Photo O JR仙山線の歩行者専用踏切。(2018/5/2 6:27)Photo P JR仙山線「東北福祉大前」駅。(2018/5/2 6:30) 坂道が緩やかになって、分岐路に出る。どちらを行くか決めていなかったが、左は広い新出来の道、右のほうが古い道らしい。ということで右の道に入る。 また急坂になった道は緩やかにワインディングしていて、突然、目の前に踏切が現れた。広くはないが立派な車道だと思っていたが、突き当りは歩行者専用の踏切なのだった。 道はほどなく貝ヶ森からやってくる広い道に合流する。その道は、高架になっている仙山線「東北福祉大前」駅の下を通ってくる。この駅も初めて見たように思う。 右に折れて下っていけば、国見台病院に出る。国見台病院のあたりまでは何度か歩いて来たことがある。わが家からの散歩としては、たぶん時間的にも距離的にもこの辺りが限界ということだろう。Photo Q 国見大病院前の交差点。(2018/5/2 6:32)Photo R1(左) 大崎八幡宮北参道(1)。(2018/5/2 6:42)Photo R2(右) 大崎八幡宮北参道(2)。(2018/5/2 6:43)Photo S 大崎八幡宮表参道のゴールデンレトリーバー。(2018/5/2 6:48) 国見台病院前の交差点を右折すれば国見小学校の裏の道に出る。「蟹子沢遡行」と称して沢跡を辿る街歩きのときに国見小学校まで到達したのだが、その先の沢筋を見失って諦めたことをはっきりと思いだした。 これからは見慣れた風景となって少し急ぎ足になる。今日の散歩は時間がかかると思って、自宅を4時45分くらいに出たのだが、ここでもう6時半を回っている。7時までは帰りたいと計画していたが、もう無理である。 国見小脇の道を下り、子平町のバス通りを南に折れて、大崎八幡宮の駐車場に入る。駐車場から続く北参道の雰囲気が好きで、大崎八幡に来た時は必ず通っている。 大崎八幡の本殿前で軽く一礼をして急いで表参道を下る。八幡町通りに面した大鳥居の手前に犬がきちんと向こう向きに座っている。横を人が通ると、そちらを向いて座りなおしている。 私が近づくと私の方を向いて座りなおす。飼い主さんが胸のふさふさした長毛を撫でてやる。見事な毛並みのゴールデンレトリーバーだった。「素晴らしい毛並みですね。ほんとうにゴールデンレトリーバーらしい」と声をかけると、飼い主さんははにかみながらもとても嬉しそうに微笑むのである。 犬と飼い主さんに別れて、帰路を急ぎながら考えた。もしかしたら、飼い主さんは飼犬のみごとな毛並みを自慢したかったのかもしれない。犬もそのことをよく理解していて、通る人の方に向き直って座ることを繰り返していたのではないか。さらにさらに、もしかしたら毎朝のようにあそこで自慢しているのかもしれない。 そんなことを思っていた。さて、それを確かめるために、この時間帯に散歩がてら見に来ようかとも思ったのだったが、確かめない方がいいような気もした。 美しい犬に出合って、今日の散歩は終わったのである。散歩コースと撮影場所(地図のベースは、「プロアトラスSV7」)。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也) 小野寺秀也のホームページブリコラージュ@川内川前叢茅辺
2018.05.02
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