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木昌1777さんComments
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午前中に戸越銀座付近を歩き、東急池上線、JR山手線、東急田園都市線と乗り継いで三軒茶屋にやって来た。三軒茶屋も戸越銀座と同様に、なぜかその名前はなじみ深いのだが、理由は分からない。ともに東急沿線なので、東急の宣伝戦略とマスコミがタイアップしてきたのだろうかなどと疑ってみる。かといって、東急が開発した新地でもなさそうだが。
三間茶屋駅北口に上がると、そこは世田谷通りと茶沢通りの交差点である。交差点脇でザックから地図を取りだし、「GARMIN GPS」の立ち上げをしていると、「あぶないっ」という男の声と2,3人の女性の悲鳴があがった。驚いて顔を上げると、広い交差点の真ん中を1歳半くらいの幼児が走っているではないか。母親らしい若い女性と祖母でもあろうか中年の女性が同時に追いついて連れて戻ってくる。さいわい信号切り替わりのタイミングがうまい具合になっていて車は走っていなかったのだが、背筋をしびれが走るような光景だった。お母さんに強く叱られるのではないかと、それも心配したのだったが、そんなこともなくきょとんとお母さんの顔を見上げているので、それにも一安心したのである。

気を取りなおして、茶沢通りを北に歩き始める(Photo A )。ここでも、当面の目標は神社(太子堂八幡神社)である。写真に見るように、戸越銀座と較べれば時代の新しい商店街が続いている。 最初の信号がある交差点で左折して細道に入る。道なりに右に折れていくと、川を埋め立てて作ったらしい広い遊歩道に出たので、その道を辿ることにする(Photo B )。
東京にはこんなふうに小川を埋め立てて遊歩道にしている場所が多い。街歩きをしていて、しばしばそんな道を見つける。水源林を失った小川は水量が極端に減ってしまう。水量が減った小川は水質が悪化してどぶ川になってしまう。どぶ川よりは遊歩道の方がよい、ということなのだろう。
埋立てて成りたる広き舗装路のむかうに満つる虚しさは何 佐藤佐太郎 [1]
遊歩道を少し行くと、親子連れがいる。2歳くらいの女の子が、座り込んでいる大柄な猫に近寄っていく。お母さんがその姿をカメラに収めようと構えている。その二人と1匹を後から写そうと離れたところからカメラを向けると、お母さんが私に気づいてフレームから逃げ出してしまった。そのタイミングで猫が歩き出し、女の子に近寄っていくと女の子は後ずさりするのだった(Photo C )。「傍に寄っていくくせに、向こうから来ると逃げるのよね」と、お母さんが笑っている。それにしても上品な色合いの猫であった。

Photo C
大猫と腰が引ける女の子。(2013/1/23 13:31)
遊歩道をもう少し進んで右折、北上すれば太子堂八幡神社に出る。人通りのない住宅地の道だが、二人連れの女子高生が歩いている。近くに高校があるのかと地図を見たが、それらしいものはない。西に1kmほど離れたところに国士舘高校があるのだが、少し遠い気がする。

Photo D
太子堂八幡神社。(2013/1/23 13:36)
太子堂八幡神社は大きくはないが、雰囲気のいい神社である。周囲を椎や樫のたぐいの常緑の大木が囲み、いわば神社の森らしいのだ。私の生まれ故郷の八幡神社は杉の古木に囲まれていた。北国なので椎や樫のような常緑樹は大木に育たないのである。

Photo E
太子堂八幡神社西側の道。(2013/1/23 13:39)
八幡神社らしく、源義家につながる由来記が掲示されていた。境内を通り抜け、西隣の細道を南に下る(Photo E
)。二つ三つの細道の十字路を越えると丁字路にぶつかり、民家の向こうは東急世田谷線の線路が走っている。
少しばかり線路に平行に進んでからY字路を右に折れる。道の向こうに鳥居が見えて来る。若林稲荷神社である。朱塗りの鳥居で、社殿は緑の屋根、朱塗りの柱で、八幡神社と較べるととても華やかな神社なのだった。
神社の前を左折して環七通りに出る。環七通りの「若林踏切」手前を右折して松陰神社に向かおうとしたのだが、期待していた線路沿いの道がない。踏切を越えてから右折して再び線路を越える。その踏切を渡り終えた途端に警報機が鳴り出し、若林駅に電車が入ってくるところだった(Photo F
)。明るい緑青色のおしゃれな一両編成の電車である。

Photo F
若林駅に停車中の東急世田谷線の電車。(2013/1/23 13:57)
若林駅の踏切からところどころ道脇に雪が残る道をまっすぐ進んで、丁字路を左に折れると松陰神社(Photo G
)である。宗教心も信仰心もまるでないのに、なぜか今日は「お年寄りの神社巡り」風の街歩きである。神社や寺は、古くからその地に住み暮らした人々の象徴だからと、街歩きの目安にしているのだから当然なのだが。

Photo G
松陰神社。(2013/1/23 14:02)
吉田松陰が安政の大獄で刑死したあと、高杉晋作らによって千住小塚原回向院からこの地に改葬されたということである。墓は、徳川幕府によって一度は破壊されたものの明治になって木戸孝允らによって再建された。安政の大獄に連座した幾人かは同じ墓域に埋葬されていて、その詳細な説明板が松陰の墓所に掲げられていた。
松陰神社の駐車場脇にあるトイレを使わせてもらった。中に「参拝は済まされましたか。最近、参拝をしないでトイレだけ使う人がいて困る」という旨の張り紙があった。神道信仰はしていないが、敬意を表して帽子を取って一礼はする程度の私が許される範囲に入るのかどうか分からないが、趣旨はもっともである。
東京のコンビニのことは知らないが、東北のコンビニでは「トイレだけでもお使いください」と宣伝しているところが多い。もちろん、トイレを使うことが買い物のきっかけになればという魂胆である。宗教施設でもトイレを使うことが信仰に触れる契機になる、などと考えるということはないのか。そんな余計なことを考えてしまった。
街歩きMap 地図のベースは、「プロアトラスSV4」、 歩行軌跡は、 「GARMIN GPSMAP60CSx」によるGPSトラックデータによる。
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