今日も他人事

今日も他人事

1.魔王、再起


――長安、城内。

 肌の蒼白い男だった。

 瞳の色も透き通るように薄い。それに比べると、もう一人の男はこれといって特徴のある容姿ではなかった。ただ、細い眼の中に、強い光が宿っている。

「ようこそ、王異殿。私は、董太帥の軍師を努めている李儒という」
「カクと申す。李儒殿と同じく軍師を務めている」
「王異です。こちらこそ、よろしくお願いしますわ。李儒殿、カク殿」

 王異は二人の男に向って拱手した。

「王異殿は、董太帥が天水の視察中に迎えられたと聞くが」
「私から志願したのです。董太帥に認めていただくには時間がかかりました」
「ほう。何故、自分から?」
「乱世を平定するために。今、この国が乱れているのは、悪政によって国力が衰え、人心が離れてしまったためです。朝廷にはびこる腐敗を取り除いた上で、帝がきちんと争いを平定するだけの力をしっかりと持てば、それはできると私は考えています」
「なるほど。女ながら、しっかりと学識を持っておられる。董太帥が軍師に迎えられただけのことはあるようだ」

 李儒の口元には薄い笑みが浮かんでいる。ただ、眼までは笑っていなかった。王異を値踏みするように、じっと見据えている。着物から覗けて見える蒼白い肌とあいまって、どこか不気味な印象が拭えなかった。

「そこにいるカク殿も、数年前までは天水の将校だった。王異殿と同じように視察中の董太帥に評価されて、今は長安で軍師を務めている。董太帥は身分に関わらず、実力さえあれば評価してくれる方なのだ」

 李儒の言葉にも、カクは無言のまま、僅かに頭を下げただけだった。

「そういえば、李儒殿。董太師は今は何処に?」
「今日は、孫娘の董白様を連れて遠乗りに出かけておられる」
「遠乗り、ですか。東では、袁家の緊張が高まり、何時、戦が起きてもおかしくないと聞き及んでいますが」
「案ずることはない」

 いぶかしむ王異の心中を察したかのように、李儒がにやりと笑みを浮かべた。

「董太帥は、底知れぬ野望と覇気を秘めた御方。常に天下を見据えておられる。我等は、その覇道を整えることに力を注ぐだけでよい」


――長安、周辺。


「おじいさまっ」

 背中越しに掛けられた声の方に振り向くと、孫娘の董白が立っていた。

「ねぇ、何時までこんな僻地にいなきゃいけないの?私、もう飽きちゃったわ」 

 そう言う董白は腰に手を当てて、不満そうな表情を浮かべていた。

「白は今の生活は不満か?」
「当たり前よ。三年間も長安に篭ってばかり。ずっと変わり映えのしない毎日なんて退屈なだけだもの」

 董白は董卓の傍に近寄ると、上目遣いにじっと顔を覗きこんできた。

「おじいさま、早く天下を取りにいきましょうよ。私、おじいさまと一緒に早く戦に出たい」
「そうか、白は戦に出たいか」
「だって、戦争ほど楽しいことはないもの。敵を撃破する時の悦びは、他のどんな遊びにも換え難いわ」
「ふふ、流石はわしの孫だ。だが、もう少し待て」

 空を見上げると、青空に白い雲が漂っているのが見える。流れる雲は、いつもよりどこか急いでいるようでもあった。

「わしは風を待っておるのよ」
「風?なんのこと?」

 董白は訳が分からず、不思議そうな表情を浮かべている。その頭を撫でながら、董卓はにやりと笑みを浮かべた。

「そろそろ吹く。良い風がな……ククク」



袁術と袁紹。

中原が袁家の争いに巻き込まれている中、遠く離れた長安で董卓は再び動き始めようとしていました。

董卓は中原で群雄がぶつかり合う間に、西涼と巴蜀を領土として力を蓄え、中原を一呑みにしようと画策していたのです。

その手始めとして、収益を増加するために長安の都市開発を進め、天水で軍馬を繁殖させていきます。

軍備を整えていく董卓の下に急報が入ったのは11月のことでした。




――長安、城内。

 袁術軍、洛陽を進発して長安へと侵攻を開始。同時に、天水へと馬騰軍、張魯軍が進撃した模様。

 その報を受けて、長安は慌しい様相を示していた。遷都してから二年、長安が外敵の脅威に晒されたことはこれまでなかった。

 城内の広間も騒然としていた。長安に残る役人達は敵軍への対応について、際限なく意見を述べ合っていたからだ。

 その役人達の声も、董卓が広間に姿を現した途端、潮が引くように止んだ。

「敵が我が領土へと踏み込んできた」

 董卓が口を開くと、ほとんどの者が俯く。これが董卓のやり方だった。恐怖で人を縛り、同時に人を試す。弱者は董卓に怯えて無駄口を叩かず従うようになるし、強者は勇気を振り絞って武勇や智恵を発揮するようになる。

 朝廷の役人が語るような建前だけの言葉など、無意味なのだ。

「カク、手筈は整っておるか?」
「はっ、長安守備軍の内、弓兵隊一万および攻城部隊五千、さらに潼関守備隊への増援五千。何時でも出撃は可能です」
「よかろう。函谷関、武関の守備兵は、叔穎に命じて潼関へと集結させてある。速やかに潼関に赴き、軍師として補佐せよ」
「潼関は死守いたしますか?」
「くれてやってもよい。ただし、最後に取り返せればだ」
「かしこまりました」

 言いながら、カクが頭を下げる。

 元々、董卓の娘婿である牛輔の配下で将校として働いていた男だった。数年前、董卓が天水を視察していた際に、幕僚として引き抜いた。部下の配置や運用が極めて巧みだったからだ。

 長安に来てからも無駄口一つ叩かず、卒然とした態度を取り続けており、まるで隙はなかった。

「李儒、天水の具合は?」
「天水には張遼、高順、張?、侯成の四名を派遣しました。それぞれ騎馬隊五千を率いて馬騰本隊を撹乱させます」

 李儒が挙げたのは、いずれも董卓古参の部下ではなく、新参の将軍だった。董卓自身の目から見ても光るものはあった。

「安定に派遣した呂布はどう使う?」
「敵が天水へ攻撃を開始するのを見計らって、呂布将軍には騎馬隊一万で馬騰軍の退路を断ち、挟撃して頂く手筈となっておりますが」
「呂布が、己の鼻面を掠められて黙って見過ごすか?」
「そこは軍師として派遣された王異殿に抑えていただくしかありませんな」

 李儒が口元に笑みを浮かべて言った。王異は理詰めの女である。呂布の傍若無人なやり方とは肌が合わない。王異にしてみれば初任から難しい問題を抱えたことになる。

 それを分かっていて、わざと呂布と王異を組ませる辺りが李儒らしかった。巧く噛み合えば互いの足りない部分を補うことができるだろう。董卓に利益があるのなら、誰がどれほど苦労しようと意に介さない酷薄な所が李儒にはある。

 董卓も止めさせようとは思っていなかった。王異の手腕を試すにはちょうどいい。

「李儒、わしも出撃するぞ」
「やはり出られますか」
「漢中、五斗米道の動きが目障りだ。奴らに、この董卓に手を出すことの愚かさを骨の髄まで教えてやらねばな」
「分かっております。長安の騎馬隊一万五千は、董太帥の下知が下るのを待ち望んでおりますぞ」
「一万はわしが率いる。残り五千の指揮官は白」

 広間に居る者達の視線が董卓の傍に立っている董白へと一斉に注がれた。董白自身は微笑を浮かべて平然としている。

「魏続、白の補佐をせよ。どういう意味か、分かっておるな?」
「はっ、命に代えても董白様には決して傷一つつけさせませぬ」

 魏続の声からは緊張の色がはっきりと伝わってきた。董白の身に何かあれば、即座に首を刎ねられることを十分に承知しているからだ。董白が不満を漏らせば、それだけで董卓の不興を買うと思っていることだろう。

 軍議の後、董卓は董白、魏続を伴って城外へと向った。既に李儒が手配していたらしく、騎馬隊一万五千が野外で整列している。

 董卓は愛馬である刑天に跨ったまま、ゆっくりと軍勢の前に進み寄った。いずれも董卓自身が西涼の荒野で鍛え上げた精兵である。

「今、三方から数万の敵が我が領土を荒さんと攻め込んできている。帝も朝廷のものども皆、この長安が戦場になることに慌てておる」

 董卓は、一度、息を吐き、それから大きく息を吸い込んだ。

「だが、わしは嬉しい。野戦において我らに敵う者がいるか?いるわけがない。ならば、これは好機だ」

 最前列の兵達に怯えた様子は微塵もなかった。皆、存分に暴れ回る機会を待ち侘びているのだ。

「行け、我が董卓軍の勇者達よ。我らに仇なす者達を完膚なきまでに叩き潰し、蹂躙する悦びを存分に味わって来るがよい」

 董卓は手綱を握り、刑天を駆けさせ始めた。すぐ傍に白馬に跨った董白の姿が見える。その後方には多数の騎兵。

 戦の風が、吹き荒み始めている。駆けながら、董卓はその風を肌で感じ取っていた。


<勢力一覧>

■董卓軍

拠点数:三
総兵力:十万
解説:帝と朝廷を掌握し、長安を根拠地に西涼一帯を支配している。ただし、最北西の武威郡は馬騰の涼州軍五万が支配しており、董卓の影響力は及んでいない。


■袁紹軍

拠点数:三
総兵力:十五万
解説:エン州の曹操らを引き込み、冀州のギョウを根拠地として、南は袁術、北は公孫サンと争っている。


■袁術軍

拠点数:三
総兵力:十八万
解説:孫堅を配下とし、予州や荊州北部を拠点に、劉表、董卓、袁紹と争っている。


■公孫サン軍

拠点数:五
総兵力:三十万
解説:劉備や孔融らを味方に、幽州や青州を拠点に袁紹と河北の覇権を巡って争っている。現時点での最大勢力であり、小勢力を次々と併合しようとしている。


■劉表軍

拠点数:二
総兵力:五万
解説:荊州南部を拠点に、同盟を組んでいる袁紹の為に袁術軍を南から牽制している。


■劉焉軍

拠点数:三
総兵力:三万
解説:中原から切り離された益州を拠点に、独立した小国家を作り上げようとしている。




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