今日も他人事

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9.廃帝、立帝




「ククク、残念なことだが……考えようによっては悪くはない。これで皇帝になれたではないか……!」
(郡雄伝第三章 董卓おじいさまと李儒、献帝の会話にて)

九月頃、董卓おじいさまは会議を開くと、突如、少帝廃立を議題に掲げます。


「世の中で一番重要な物は天地であり、それに次ぐのが君臣である。それが政治の行われる所以である。天子は闇弱であり、宗廟を継いで、天下の主たるべきではない。今、伊尹・霍光の故事に倣い、陳留王を立てようと思う」

公卿達は何も応えられません。

さらに董卓おじいさまは故事に習い、否定する者を斬る、と告げます。

しかし、劉備の師でもある慮植が進み出て、


「昔、太甲は王となった後、知徳に欠ける行いがございました。また、昌邑王の罪過は千に余り、故に廃立の事が行われたのでございます。しかし、今上陛下は年もお若くあらせられ、何の不徳の行いもございません。先の例と比べる事はできません」

と、反対しました。

董卓おじいさまは怒り、会議を取りやめさせると共に、慮植を殺害しようとしますが、蔡ヨウが必死で命乞いをしてきたため、諦めます。

そしてすぐさま、その足で名門袁家の太博・袁隗の下へ赴きます。

董卓おじいさまに恐れをなした袁隗は、董卓おじいさまの意見に反対する事も出来ず、皇帝廃立に賛同する姿勢を見せます。

翌日、再び会議を開くと共に、何太后を脅迫して「少帝廃立、陳留王擁立」の命令書を書かせます。

さらに袁隗に、少帝の持っていた皇帝の印を取り去り、陳留王に付けさせました。

ここに董卓おじいさまによって新しい天子・献帝が擁立されます。

何太后は息子・少帝の不遇を嘆き、声を抑えて泣き崩れたそうです。

さらに董卓おじいさまは何太后を責め立てます。

かつて、何太后が権勢に甘んじて、献帝の育ての親で祖母に当たる董太后を追い出し、辛辣に扱った事を指摘し、これは嫁姑の礼に逆らう背徳行為であると弾劾。



何太后を永安宮に監禁し、二日後には腹心・李儒の献策を受け、これを毒殺させます。

さらに反逆者として前車騎将軍・何苗の棺を暴き、死体を切り刻んで四散させたとも言われます。

結局、少帝は三十七日しか帝位に就けず、3日で年号が変わるという事態となりました。

これは董卓おじいさまの暴虐さを表すエピソードでもありますが、同時に董卓おじいさまの絶対的な影響力を示す話でもあります。

董卓おじいさまの意思一つで、天子でさえ自由に扱う事が出来る……と。

この皇帝交代の混乱に乗じて北方の辺境である匈奴の有力者・於夫羅が、山西の白波賊と組んで侵略してきましたが、董卓おじいさまは娘婿の中郎将・牛輔を速やかに派遣、撃退します。

その間にも、董卓おじいさまはさらに自身の権力を強化していきます。

皇帝交代の二ヶ月後には、大尉・司空・司徒の三公の権限を兼ねる相国に就任、御母上を池陽君に封じます。

(後に曹操も相国と同意の丞相に就任します。これは三公が漢王朝で既に形骸化し、尚書が実権を掌握しているという状況を解消すると共に、権力を中央に集中させる事を可能にしています)

この際、天子に謁見する際に名乗らなくてもよい賛拝不名の権、参内中に小走りで歩かなくても良い入朝不趨の権、帯剣したたまま宮殿内を歩ける剣履上殿の権などの特権を与えられ、董卓おじいさまはもはや天子さえ凌ぐ権力を握ったといっても過言ではありません。

漢王朝はゆっくりと、董卓おじいさまの色に変わっていくのでした……


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