今日も他人事

今日も他人事

207年 ~再動~


毎夜、眠りに付くたびに。

暗い、真っ赤な夢を見る。

十五年前のあの日、すべてを亡くした長安の夢を。

大勢の人間が死んだ。

名前も知らない小姓。祖父が侍らせてた女官。自分と同じように眉オ城で暮らしていた叔父や叔母達。皆、乗り込んできた兵士に殺された。

祖父の董卓も死んだ。殺したのは呂布。けれど、その呂布も戦に敗れて死んだ。

一番、大切だった人も、それを奪った憎い仇も誰も居なくなってしまった。

けれど、自分は生きている。まだ、生きている。何の為に生きているのか。ふと、そんな事を考えて、すぐに止めた。

生きている。生きている限り、生き抜いてみせる。それでいい。私は董白だ。魔王董卓の孫娘なのだ。あの強くて、大きくて、誰よりも優しかったおじいさまの血を引いているのは、もう自分だけなのだから。

祖父の形見の剣。それを握り締め、宿舎の窓から外に目をやる。

肌寒い。朝日が差し込んでいるというのに、空気は身を切るように冷たかった。

冬が訪れようとしている。董白にとって、新野で迎える七回目の冬だった。




建安十二年。

天下には曹操、馬騰、孫権、劉障、劉表などの群雄が勢力争いを繰り返していました。

その中でも、曹操は中原を巡って袁紹との戦いに勝利し、河北の大半を手中に収め、最大勢力として君臨していたのです。

その頃、劉備は劉表の治める荊州に駐留していました。

かつては、徐州を有したことさえあった劉備軍も中原の熾烈な勢力争いに耐え切れず、徐州を追われ、紆余曲折の末に、劉表の客将に身をやつすことになってしまいました。

兵力は僅かに七千しかなく、劉表に与えられた新野は荊州の盾とも呼ぶべき位置にあり、常に曹操軍の攻撃を警戒しなければなりません。

しかし、劉備軍には関羽、張飛、趙雲などの豪傑がいましたし、陳到という将軍の下に関平、劉封、董白、華姫などの若い人材が揃っています。

また、ビジクや孫乾、簡ヨウといった文官達に加えて、徐庶という流浪の軍師もいました。

徐庶は、劉備に進言します。


『河北に追い詰められている袁紹の子息達が討たれれば、曹操は大軍をもって南征を開始するでしょう。曹操軍の南下に備える為に、歩兵を養い、防備を固める必要があります。また、北西の上庸は争地ですので、速やかに抑える必要があります。新野と上庸は漢水でつながっており、曹操軍に兵站を乱される心配はありません。また、北の宛から新野に向かって侵攻する軍を側面から牽制することもできます』

劉備はその策を取り入れ、新野の兵を二万にまで増やすと、速やかに一万の兵を趙雲に率いさせて上庸を占拠しました。

同時に、関羽らを中心として新野の周りに弓櫓などを配置し、防備を着々を固めてゆきます。

この頃、徐庶の母が曹操に捕まり、ギョウへと孝行に来るようにという手紙が徐庶の下に送られてきました。

徐庶は動揺し、軍師を辞職して、劉備に別れを告げますが、これは人材を欲する曹操の策略ではないかという関羽の進言もあり、劉備と相談の末に劉備軍への残留を決めます。

その後、徐庶の母親の名を語る手紙が徐庶の下に送られることはありませんでした。

また、曹操が見せしめとして殺した、という話もありませんでした。

宛、許昌、汝南から新野に向けて四万の大軍が向かって来ているという報告が劉備の下に届いたのは、それから一月も経たない頃の事でした。


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