今日も他人事

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210年(二) ~華~



甘夫人は、劉備が徐州を治めていた頃に知り合い、妻に迎えた女性でした。

包容力があり、誰からも愛される人柄であった甘夫人の死は、劉備だけでなく、多くの人々に悲しみを与えます。



また、甘夫人の生んだ長男の阿斗(後の劉禅)は、劉備の側室であった糜夫人が世話をすることになりました。

そんな中、孫権の使者が訪れ、劉備に縁談の話を持ちかけます。



相手の名は孫尚香。孫権の妹であり、『弓腰姫』と綽名される女傑でした。

この話を聞いた劉備は、はじめ難色を示します。

孫尚香はまだ十八歳。当時の劉備は既に四十歳を超えており、二人は親子程も離れた関係だったためです。

なによりも、孫尚香が劉備に嫁ぐ事により、劉備軍は常に孫権の監視下に置かれる事になりかねませんでした。

しかし、諸葛亮は縁談は受け入れるべきだと劉備に答えます。

諸葛亮の戦略では、劉備軍と孫権軍の同盟は強固でなければならず、劉備が孫尚香と婚姻を結ぶ事によって、それを実現したいと考えていたためでした。

こうして、劉備と孫尚香の婚儀は無事に執り行われましたが、そんな中で、一人だけ釈然としない思いを抱いていた者がいました。



名を董白。かつて、漢王朝を我が物とし、暴虐を重ねた魔王董卓の孫娘です。

董白は長安の動乱によって、一族をことごとく誅殺され、天涯孤独の身となっていましたが、とある一件にて交友があった劉備と再会し、以後、行動を共にしていました。

董白にとって、共に流浪の日々を重ねてきた甘夫人は姉のような存在であり、その死の直後に新たな妻を迎えた劉備の行動に納得することができなかったのです。

しかし、事態の流れは、そんな董白の思いを考慮してなどくれません。

諸葛亮が荊州南郡攻略の軍を興すと、董白はその内、八千騎の騎兵部隊の総指揮を任されます。

本来、劉備軍の騎兵部隊は張飛と董白の二人によって指揮されていましたが、新野への曹操軍の攻撃が思った以上に激しかった為に、張飛が新野を離れることができず、その総指揮を董白が取ることになったのでした。

諸葛亮は自らが指揮する攻城部隊一万と董白の騎兵部隊八千、それにカク峻の歩兵部隊七千を加えた二万五千の軍勢をもって荊州南郡に侵攻すると、西側の武陵、続いて零陵を一挙に攻め落し、劉キと補佐役のカク峻に二郡の統治を任せて、自身は早々に江陵へと帰還を果たします。

既に諸葛亮の目は東の益州に向いており、江陵では兵糧から武器の調達まで益州攻略の準備が着々と進められていたのです。

こうして荊州南郡にまで勢力を伸ばした劉備に対して、朝廷は羽林中郎将の位を与えます。

同年。秋の収穫を済ませた劉備軍は、江陵に集結させた益州攻略軍六万を東方へと進撃させるのでした。


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