今日も他人事

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214年 ~三都奪還~



西涼を平定し、許昌、宛城を抑える事に成功した劉備軍は、次なる長安、洛陽への侵攻のために軍勢を再編。

豫州牧に関羽、荊州牧にカク峻、益州牧に黄権、涼州牧に馬騰をそれぞれ宛て、守備と民政を任せます。

また、西涼の平定は領土の拡大のみならず、人材の確保にもつながりました。



劉備は張飛、董白、馬超にそれぞれ一万騎を与え、本隊直属の騎馬部隊を編成すると共に、ホウトク、馬岱を趙雲配下として遊軍を増強。

こうした中で、許昌を守っていた関羽は馬超の名声の高さから、どれほどの実力の持ち主か手合わせしてみたいと劉備に手紙を送ります。

それに対し、諸葛亮は気位の高い関羽の機嫌を損ねないように、自筆の手紙を返します。



『孟起は文武に通じ、名声に違わぬ一代の英傑であるが、翼徳とは並んでも髭殿とは比べようがありません』

この手紙を見た関羽は、孔明殿はよく分かっている、と喜び、以降は馬超と手合わせをしたいとは言いませんでした。

三月。軍勢の再編を完了した劉備は八万の本隊を漢中から長安に向けて進撃。

同時に宛の趙雲が二万五千の遊軍を率いて、長安と洛陽を分断します。

この時、宛には僅か三千の兵しか残っていませんでしたが、許昌に駐屯している関羽が宛から汝南に至る広大な地域に対して、防衛を敷いて睨みを利かせていました。

増援の心配のなくなった劉備軍本隊は、張飛、馬超、董白の騎馬部隊三万騎と、ホウ統の率いる諜報部隊三千を先鋒として進軍。

迎撃に出てきたウ禁、孫礼の二万を撹乱して殲滅すると、そのままの二万八千の長安守備軍とも交戦。

八月に長安を陥落させた劉備は、漢王朝の復興を果たした、と献帝からその業績を褒め称えられます。

しかし、曹操軍も黙って長安を奪われた訳ではありませんでした。雪辱を晴らすべく、陳留から三万の手勢を率いて張遼が許昌へと侵攻して来たのです。



関羽は華姫、馬忠、張翼を伴い、張遼を迎撃すべく自ら二万五千の軍勢を谷間に築いた砦に展開させます。



関羽は火計を用いて張遼軍に打撃を与え、華姫の騎馬部隊の突撃でゾウハを討ち取ります。

張遼を打ち払うことには成功したものの、奇襲により馬忠が敗走。



さらに曹真率いる三万三千が続いて侵攻してきたため、関羽らは休む間もなく迎撃に向かいます。

関羽が奮戦している間、劉備は長安と洛陽を分断していた趙雲と合流し、洛陽へと侵攻。



その一方で、孫尚香に水軍五千を与えて、黄河沿いの港を次々と占拠させていきます。

冬には各地の戦闘も終息し、劉備は曹操の手によって再建された洛陽へと入城します。

長安、洛陽、許昌の三都を攻略した劉備はその功を労うことも兼ねて、関羽、張飛、趙雲、馬超、華姫の五人の将軍を召喚。

劉備は特に優れた豪傑でもあるこの五名を褒め称え、五虎将軍の名を与えるのでした……。


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