今日も他人事

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215年 ~中原に鹿を追い~



遂に三都を制圧した劉備軍は、中原から曹操の勢力を追い払うべく、エン州、徐州への侵攻作戦を画策。

劉備自身は洛陽に腰を据え、張飛、馬超、董白からなる騎馬軍団、趙雲の率いる遊軍、ホウ統の計略部隊、法正の指揮する重装備部隊に補充と出撃の用意を整えさせます。

そんな中、張飛の長男である張苞と関羽の長男である関興が些細なことからいがみ合い、一騎打ちを始めたという報告が劉備の下に届きます。

劉備は二人の仲介に入ると共に、父達のように義兄弟の契りを結ぶことを勧めます。

初めは反発していた二人も、互いに武技を競い合ったことで実力を認め、劉備の勧めを受け入れましました。

義兄弟となった二人は、趙雲の遊軍に配属され、それぞれ李厳、呉イの副官に任命され、来るべき陳留攻略に備えます。

四月。劉備軍は張遼、曹真の許昌奪還が失敗したことにより、兵力が手薄となっていた陳留へと侵攻を開始。

許昌を守っていた関羽、華姫の二将軍も途中で合流し、一挙に攻勢に出ます。

その道中、先鋒を務めていた騎馬部隊が河北から陳留に向かう曹操軍の輸送部隊を捕捉。



馬岱、華姫が先行して輸送部隊に強襲を仕掛け、被害を被りながらもこれを撃滅したことによって、陳留の曹操軍の士気は大きく打ち砕かれることになります。

直後に五虎将軍の猛攻に晒された陳留は、わずか二月で陥落。

続けて関羽が陳留の防備を固める間に、趙雲、董白、華姫、張飛、馬超らが騎馬部隊を率いて濮陽に急行し、反撃する暇も与えず、これも占拠します。

劉備軍がエン州を領有したことで、徐州に残存する曹操軍とは別に、河北の曹操軍とも黄河を挟んで対峙することになりました。

それとは別に、劉備軍が急速に領土を拡大したことで、孫権との同盟にも亀裂が生じ始めていました。

こうした状況に対応するため、劉備は軍勢を再編。

対河北における前線拠点である濮陽に趙雲、法正を残すと共に、荊州守備軍を増強する為に馬岱、ホウトク、馬忠、張翼らを派遣。

劉備自身は洛陽から許昌に移り、孫権と曹操の双方に対応する構えを取ると共に、陳留では関羽や張飛、諸葛亮らに徐州攻略と河北に対する防衛の準備を命じます。

その後、寿春の孫権軍が曹操軍の守る小ハイへと侵攻したという知らせを受けた劉備は、陳留から関羽を総大将とする徐州攻略軍八万を進発。

同時に濮陽から趙雲、法正に三万五千の軍勢を率いさせて北海へとその矛先を向けさせます。

徐州攻略軍の先鋒を務めるのは騎馬部隊三万騎。その内、張飛と馬超の二万騎は小ハイに向かい、董白の一万騎だけは別路から孫権軍の支援に向かいます。



対する曹操軍も、二万の軍勢を夏候惇に預けて、迎撃に向かわせますが、北上していた趙雲軍が反転してその側面を突きました。

劉備軍の勢いは凄まじく、馬超は騎射で胡質を射落とし、張飛が突撃し夏侯惇を生け捕りにします。

迎撃軍を失った小ハイは、法正率いる重装備の攻城部隊によって攻め落とされるのでした……。


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