今日も他人事

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218年 流血演舞



昨年から全土にて戦いを繰り返した劉備軍に、突然の悲報が届きました。

長年、荊州の守りを任されていたカク峻が病に倒れて帰らぬ人となってしまったのです。

カク峻に代わって第四軍を任されたのは、涼州出身の老将・韓遂でした。

後漢末期から長らく西涼で戦い続けてきた歴戦の将である韓遂なら荊州の兵馬を統括し得ると考えての抜擢でした。

さらに寿春に残留していた張飛、董白、馬超の三万騎、続いて趙雲と法正率いる重装備の歩兵部隊二万が柴桑へと南下を開始。

主力部隊を昨年の寿春での会戦にて失っていた孫権軍はさしたる抵抗もできず、趙雲は柴桑を占拠、ここを揚州攻略の前線基地と定めます。

寿春に続いて柴桑を失いましたが、孫権軍もただ手を拱いていた訳ではありませんでした。



揚州から寿春へと呂蒙率いる四万の軍勢を侵攻させるとともに、甘寧に一万五千の歩兵を与えて海路沿いに徐州へと向かわせ、上陸して下ヒを襲わせます。

揚州の反撃に備えて趙雲が柴桑を、その副官であった呉イが寿春の守りを固める一方、下ヒには新進気鋭のトウガイ、馬超の妹である馬雲リョクを向かわせてこれに当たらせます。

呂蒙、甘寧ともに孫権軍を代表する勇将でしたが、流石に多勢は無勢。



呂蒙は呉イと交戦している最中、後方から張飛、馬超の騎兵部隊に攻め込まれて敗走。



甘寧は一度はトウガイと馬雲リョクを撃退しますが、援軍として到着した李厳に退路を断たれた所をトウガイに討ち取られます。

孫権軍の攻勢を凌いだ劉備軍は次の侵攻先を江夏と定め、徐庶、厳顔、郭ワイに歩兵部隊を率いて進ませるとともに、法正を指揮官とする関興、張苞、楽チン、張虎ら若手将校達に長江を降らせ、二方面からの攻撃を目指します。

各地で押し合いが続く中、韓遂が孫権軍に捕らえられ呉イが第四軍総大将の代行を務めることになります。

そして年末。繰り返し続く曹操軍の大船団による猛攻の最中、劉備軍と曹操軍両陣営を驚愕させる報告が届きます。



関羽の娘である関銀ペイと孫権軍からの降将であった潘璋が曹操の嫡子であった曹丕の水軍を破り、曹丕と副官の曹真、妻のシン氏を捕らえたというのです。

関銀ペイは曹丕と曹真を処断し、その首と捕虜となったシン氏を許都へと送り届けるのでした……。


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