
京都の親戚の家での出来事だった。
この時期は冬で、布団の中に木で組んだコタツが入っていた。
私と従兄弟たちとが、ふざけて布団の中から頭を出したり、入れたりしていた。
その時に言う言葉が、「ア!あそこにお岩さんが居る!」という言葉だった。
その言葉を言いながら、私は従兄弟を驚かせていた。
そして従兄弟たちは「キャーキャー」言いながら遊んでいた。
何度か同じ事をして、私は面白くて仕方が無かった。
そしてまた繰り返した。
その同じ繰り返しだったのだが、ある時、布団から頭を出したまま、私は動きを止めてしまった。
その理由は、私のすぐ目の前に、事もあろうに、
お岩さん が立っていたからだ。その時私は信じられなかった。目が開いたまま、身動きが取れなかったのだ。
お岩さんは、感覚的には3メーターくらい前に、立っているのだ。
そして私はお岩さんと、目が合ってしまったのだ。
何分経ったんだろうか?それとも数秒?
時間の経過はいまだに判らないけれど、確かな時間は過ぎていただろう。
急に怖くなって、私は布団に潜った。
何も知らない従兄弟たちは、いまだにキャーキャー言っていた。
でも私が反応しないので、いぶかしく思ったのかも知れない。
彼等の声が止まった。
従兄弟が聞いてきたので、正直に私は喋った。布団に潜ったまま。
私は事実を真剣に喋ってはいるんだが、彼らは本気にはしていなかったようだ。
そして恐る恐る布団から顔をのぞかせて、様子をうかがった。
そうしたらもうそのお岩さんの姿は、目に飛び込んでは来なかった。
でもこの時から、確実に私は怖い夢を見るようになってしまった。
それもお岩さんがらみの夢が多かった。
その一例として、
とある大きな田舎の部屋で寝ていました。そうして目が覚めると部屋は月明かりの光で少し明るかったのです。
障子は、ガラスがはめられ、そのガラスを通してお月さんが見えていたようです。
それで私は小便に行きたくて目が覚めたのを感じていました。
でも便所は廊下を歩いて行かなければならないのを知っていましたし、自分の周りには誰も居ないことも判っていましたから、何か怖さを感じていました。
しかし便所に行かなければ、オシッコが漏れてしまう感覚だったのです。
障子を開けて廊下を見ると、少し長い廊下に成っていて、その部屋から右側に向かって歩くと、突き当たりの右側が便所であることも理解していました。
私は勇気を振り絞って、便所の所まで歩きました。木で作ったドアの簡単な蝶番を引き、ドアを開けました。
電気は付いていませんでした。でも少し明るいので、電気を付けるのを忘れてしまっていたようです。
そして日本式便器(ドボン式)が目の前に見えてきました。
そこに立つと、なぜかその便器の穴の所が、やけに明るかったのです。
しかしこの時は怖さを忘れていたと思います。
おもむろに小便をしようと仕草をしていたら、何とその明るい便器の穴に、京都で見たお岩さんの顔が現れてきたのです。
お岩さんの顔を見て、夢は終わりました。そして汗をかいていたのを思い出します。
でもこの夢は、これから何度も見る事に成りました。
全く同じ夢を同じように見るのです。ですから、あるときには、夢の中にいる自分が、「これは夢だ」と思いながら、同じ事をしていた記憶があります。
それでも同じ事をしてしまう自分が不思議でした。
ただ、時々お岩さんの顔が違う形で現れることもありましたが、ほぼ同じ経過を辿って現れて来たのは不思議でした。
そして初めてその部屋に居るのに、殆どその家の構造が理解出来ていたのも不思議だと思います。
夢の中で、「これは夢だ」と自覚しながら、色々な経験をしていたのも面白かったですね。
どうして見たんだろうか?
親戚の家では、京都伏見のお稲荷さんを祭っている。
その影響があったのかもしれないと、今は思っている。
動物霊が、その化身を見せたのかもしれないと思っているが、定かではない。
しかし現実に私の目は見た。
誰が何を言おうと、これは見た者しか判らないから、言い訳はしない。
最近の学者だと、この様な話に対して、どの様な反射を示すんだろう?
「過去の経験が、知識となって、夢に現れたんではないでしょうか?」と、説明されるのではないでしょうか?
確かにそれまでに、お岩さんに対してよいイメージはありません。
しかしそれは映画の中での恐怖でしかありませんから、知識としては残るのですが、同じ場面でないということです。
しかし知識として残っているにせよ、どうして夢を説明できないのに、夢の中に現れたのでしょう?という返事が出来るのでしょうか?
夢という現実を、全く架空のものとしてしか理解できない人に、夢の定義が出来るわけはないからです。
夢は夢ではなく、現実の世界だということが判れば、夢をコントロールする事も可能だということです。
マインドコントロールの世界は、まさしくこの現実を言い表した事です。
すでに意識が現実を生み出すという現象を、証明している世界なのです。
ということは、
夢は現実であり、この現実はその夢を形に表す事が出来る夢であると、逆説的にいえるのです。
その様に判断できれば、夢をおろそかにしないで、自分の世界だと思って、心温まる夢を常に創り続けて欲しいと思います。
そうする事で、恨んだり嫉んだり、殺めたりするような、心冷たい世界を創る事はできなくなります。
まずそれから世界の平和が始まるのではないかと思います。
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