ココ の ブログ

タイトル変更(5)

タイトル変更(5)

 以上で大体、我が家の飼い猫・ココの生い立ちと最近の動向の状況説明が出来た。このブログのタイトルを「建築家のブログ」から「ラグドール・ココのブログ」に変えた理由が単純にブログのファースト・インプレッション(第一印象)を変える為だったから少しは堅苦しい印象も軽くなったのではないだろうか。ブログなんてものは誰もが気楽に読むものだから堅いイメージのものは素通りされてしまう。張り切って書いている人も多く居るのだろうが、中には商売をしている人も居たり冗談半分に書いている人も居ることだから、どのようなブログが一番良いのか分からないものの、一番肝心なことは如何に多くの人に読んでもらえるかに掛かって来る。

H 10
「何か獲物は居ないかな」と庭をそろそろ探っているココ。

 書いた以上は人は読んでもらいたいものだ。それが人情である。書いて発表する以上は「読みたくない人は読まなくても良い」というのでは一方通行で寂しいし何か無理に突っ張っている感じがして青臭い。若い頃はそういう時期もあって良いが、そろそろ大人になって世間が見え出すと自分のアイデンティティも働いて幅広く読んでもらえる配慮をして自己主張するようになる。そうなれば内容も充実してくるだろうしファンも増えるだろう。一種の人気番組になる可能性もある。自分の考えに協賛してくれる人も現れるだろうし反対意見を言ってくる場合もあるだろう。そういう交流が人の付き合いの始まりなのだ。


 人は生意気なことを言っても独りでは生きていけないのだから出来るだけ多くの人から影響を受けたいし自分の主張も受け入れて欲しい。そういう単純な動機でブログを始めるのが基本だから五月蠅いことは言う必要がない。但し、スパムや妨害は許せないというか情けない行動だ。自分が世間から疎外されていると想い込んで人の幸せな雰囲気を壊すことで満足するなぞ悲しい行動だからだ。哀れでもある。そういう負け犬的発想では益々世間から孤立していく。世間を敵に回すと益々生きにくくなる。悪循環になるのだ。犯罪者がそういう心理状態で生きている。偽善者はその逆を行くのだ。

COCO 122
腹も膨れ、狩りの獲物も見つからない時は、寝るに限る。
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>  偽善者とは逆の、悪ぶって生きて行く人も居る。実際は善良な一市民なのに何故か偽悪者ぶっていると格好が良いと想う人がそういうタイプなのだ。偽善者よりもましではあるが世間は偽善者を評価して偽悪者を弾劾するものだ。世間は目あき千人、目くら(盲人)千人といって半分は真実を見極められない人が居るものなのだ。それに噂によって付和雷同して冷静な判断が出来ない場合が多いものでもある。自民党の凋落を見れば分かるだろう。あれだけ肩で風を切って威張っていた自民党の馬鹿先生方が今は見る影もない日蔭者のようにコソコソと行動し、敗因は自分たちの行動のせいなのに仲間内の悪口を言いあっている。


 何とか生き残ろうとしているのだろうが、世間の目はそういう次元の低いことでは評価してくれない。信用というものは築くのは大変だが、失うのは一瞬である。それが分からないのだから情けない先生方なのだと言っているのだ。先生と言っても、先に生まれただけの呼称に過ぎないのに自分は偉いのだと勘違いしているのである。何が偉いのか、分かっていればこういう結果を見ずに済んだのだ。まあ、いずれ起死回生の運も巡ってくるだろうし反省して出直せば返り咲くこともあるかも知れない。そういう希望をもって国民一人一人の為に奉仕して行けば人様の評価も変わっていくだろう。

仰向けのココ(07)
寝るのにも飽きたから、一緒に遊んでくれる?

 繰り返すが、世間は目あき千人、目くら(盲人)千人というのだから、見ている人は見ているのだと希望を持つことだ。それよりも万民の為にという崇高な理念も大事だが、自分に嘘をつかないという当たり前の生き方をすれば心の声が聴こえるようになるものである。ボクは宗教者でもモラリストでもないが、人の道は知っている積りだ。だからこそ口はばったいことを言うのだが、それもそろそろ堅苦しいだろうから程々にして、矢張り軽くて読み易いブログを目指そうと想っている。これがタイトル変更の弁なので、これからも宜しくご指導をお願い申しあげる次第である。


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