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建築家45年(3)
建築家45年(3)
人は見掛けや噂だけで判断してはならないと言う事だが、そのタカリの先輩だけは矢張りゼネコンから悪評が立つぐらいだったし、ボクもタカリの場面を目の当たりにしたから自分の目に狂いは無かったと想っている。しかし、ボクもマタイ受難曲を毎日の様に聴いていて想うのは、酒と好きな音楽とは別物であるという事は確信をもって言える。バッハの「マタイ受難曲」で無く美空ひばりの「リンゴ追分」でも良い訳だ。クラシックだから高尚で人間性も素晴らしく、歌謡曲だから庶民的で低俗だと想うのは間違っている。音楽の趣味の好き嫌いが人間性にまで及ぶ訳がないのだ。趣味は趣味でしか無い。それにしても「マタイ受難曲」を聴いていると気持ちが清らかに成るのに何故彼はタカリの常習犯だったのだろうと考えると分からなく成るのだ。矢張り趣味は趣味でしかないという事だろう。
詰るところボクが彼から反面教師として学んだのは「決して自分を卑しめる行為はするな」という事だった。そういう意味で彼は逆説的ではあるが良い事を教えてくれたのだ。設計や監理をしていて技術的にも意匠的にも品位を保つのが建築家のモラルとするなら卑しい気持ちを持てば作品も下卑たものになる。奇をてらっただけの設計は往々にして古びて忘れ去られ街の公害風景になってしまうものである。稚拙な設計であっても真面目に原則を守り手を抜かずに為された作品は何処か観捨てがたい処がある。無駄な装飾を省き、風雪にも人の目にも耐えて来た建物には古民家のような佇まいがある。それが歴史であり文化である。我々は其処から多くの物を学ぶのである。学ぶという事は真似る事も含まれるが単なる模倣では無い。時代の要請も加味しながら新しい意匠を模索するのである。
そういう事をM教授は道元を通して教えてくれたのだと想う。今にして想えば、ボクをM教授に紹介してくれたボザールの友人は何を考え何を期待して紹介してくれたのだろう。ふとそういう事を想う。彼はパリに帰って建築界で活躍しているのだろうか。トンと音沙汰が無いが、日本でも彼の消息を知らない。その後、同じM教授の研究室に居た男と一緒に仕事をした事があったが、その男も消息を絶った。両者とも優秀な男だっただけに惜しい気がするが、世に受け入れられなかったのだろう。才能だけでは世に出る事が出来ないのがこの世界である。まして大不況が世界中を席巻している中、バブルのような状態が再び来るのかどうか分からない経済界では新人建築家が伸して行くには大変な苦労が要るだろう。才能以外にも運もあるだろう。時流に乗るという事も世に出る大事な要素なのだ。
ボクの場合、結婚してサラリーマン建築家をしていた頃には部下に指示してばかりで自分では描かなかった設計図も、独立してからはドラフタ―でリハビリを兼ねて描き始め、二ヶ月目にはもう若い頃の状態に戻っていた。しかし、それが最後の手書き図面となった。何故ならそれ以降、キャド時代に替わったからだ。工業高校出の若いスタッフが慣れた手つきでキャド図面を描く時代に成ったのだ。そして5年ほど前からバタバタと十数棟の高層マンションを設計して来た。マンションなんて設計しないと粋がっていた若い頃には考えられなかった事だ。その元になったマンション思想は15年ほど前の独立した頃に大阪府下の中堅都市に設計した公営住宅群だった。空中廊下という渡り廊下を偶数階に設け、5棟ある建物を全部繋いで何処からでもどの棟や階にも車椅子で行ける様にしたのだった。
人に優しい建物という思想が地方自治体に広がり、弱者も健常者と同じ生活が出来る条件で設計される建物が当たり前になった。デパートも劇場もそういう公共性の建物には細かい指示が出され、エレベータ業界もサッシ・メーカーも内装材も法的規制がされ消防法も厳しく規制するようになった。不慮の事故で被害を受けるのを最小限に喰い止めるのだが、民間のマンションには更に防犯協会の認定を受ける為の基準も出来ている。それらを総てクリアしなければ市場に出せない時代になって来たのだ。昔ながらの意匠だけで済まされないのである。マンションのクライアントも安全と安心を売り物にするのが当然のように想う様になったのだ。それは良い事に違いない。ユニバーサル・デザインという基準なぞ当たり前の時代なのである。だから日本の建築は世界の何処にでも通用する様になった。
更には耐震建築物も発達して免震構造も各種取り入れられる様になった。地震被害が大きく成るにつれ耐震基準も厳しく変わって行く。想い出すのはボクの大学の恩師であった I 教授が提唱していた五重塔理論だ。五重塔が火災で焼失した以外は地震で倒れずに残っているのは何故かという疑問が解明され耐震構造に応用されている工法である。東京のスカイツリ―というテレビ塔にも応用されている。それは芯柱である。芯柱が地震による各層のスネイク・ダンスを制震させ地震による揺れを喰い止めているのだ。分かり易く言えば、扉の閂(かんぬき)の役割をしているのである。扉が開こうとする力を地震力の揺れとすれば、それを喰い止める閂が芯柱の役割である。それを学生時代に聴かされ成る程と感心した。それが、45年経ってやっと最新の構造物に応用されているのを知って嬉しく想うのである。(つづく)
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