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建築家45年(13)

建築家45年(13)

 原発事故の事は今直ぐには解決しないから、先ず健康被害を避ける為にも避難するのが賢い方法だろう。今は建築家を長年続けて来て振り返り、反省と将来の在り方を模索している最中だから今後の展望を原発以外の一般論で言うなら、矢張り一人の人間としての生き方の問題になる。必ずしも職業で人生が決まるのでは無く職業は生きる為の手段であるからだ。要は意志の問題なのだ。人間が生きる為の方策として狩猟民族や農耕民族になり集団生活をする内に夫々が役割分担をする様になった事から仕事が分化され発展して行った中の一つに建築家という職業が出来たに過ぎない。職業という表現が嫌な建築家は職能と言うが中身は同じである。職業には金儲けという概念が入るから嫌な表現に思えるのかも知れないが、金儲けは通貨が社会の流通機構を促進させる道具なのだから決して無くなるものではない。

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 通貨が形を変え、カードや携帯電話に成ろうとも原理は同じである。だから通貨が商品として商売が成り立つのも自然の現象に過ぎず、労働をして額に汗するだけが仕事だと頑なに主張する人々にはディーリング・ルームや金融業などの関係者は不労所得者に観えるのだろう。まして博打で稼ぐ人々やカジノで100億円も摩る人を犯罪者の様に言うのも間違っている。100億円であろうが1万円であろうが関係は無く、その金の出所の方法に問題があるだけの事だ。地方自治体がカジノ建設案を出せば必ず反対する人々が出る。あれは犯罪の温床であるとするのだ。それなら競馬(農水省)や宝くじ(総務省)やパチンコ(警察庁)を主催する国は犯罪を奨励している事になるのだろうか。そういうへ理屈を言う前に、人間の性を考えるべきである。掛けごとの商品の額で考えるべきではない。

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 昔、ドイツでこういう笑い話があった。先の大戦の最中、一所懸命に働く兄弟が居た。しかし働いても働いても生活は楽にならず、嫌気がさした兄は働く事を止め、朝からビールばかり飲んで、とうとう部屋中がビール瓶だらけになってしまった。一方、弟は朝から相変わらず額に汗して労働をし貯金をしていた。しかし戦争が終わって安心したのも束の間、インフレの嵐が来て弟の貯金は紙くずになってしまった。ところが、兄の部屋の邪魔だったビール瓶が高騰して高く売れた。一所懸命に働いていた弟よりも飲んだくれの兄の方が裕福になって笑いが止まらなかったという話である。そういう馬鹿みたいな現象が実際にあったのだ。それを経済学の目で観れば需要と供給のアンバランスがそういう現象を引き起こしただけの事で、現在で言えば意識的なレア・メタルの需給バランスの調整による高騰の様なものである。

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 金が1g3,000円だった頃に買ったインゴットも、10年ほどして急に金が要るようになって売った時には1g1,500円にしかならなかった。そういう失敗を経験しているから、最近の金の高騰が1g5,000円程になったのを観て、妻が要らなくなった金のネックレスや指輪など3点(貴金属店で一人3点までと制限されていた為)を売って儲かったとニコニコとしていたが、ボクよりも妻の方が金儲けが上手いのが分かった。尤も、妻の場合は小遣い程度の金だから可愛いものだが、本当はアメリカのデフォルトが近いという見方が世界の投資家や国が保全の意味で金塊を買い占めているだけの事で、金の生産量が急に増えたり減ったりした訳ではないから市場の需給バランスの問題に過ぎない。つまり経済とはそういう動きを捉える現象であって人間の考え方次第で決まるものなのである。

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 だから職業も単なる人生の生活手段であると言った意味は、人間が社会を見て判断する生き方から来ているだけの事だから、経済であろうが商売であろうが人間中心で観れば総てが考え方一つで総てが決まるのだと言える。そこに職業に貴賎は無いとされる由縁があるのだが、人の嫌う職業ほど儲かるのは理の当然だろう。単なる見掛けで判断し振り廻される人は何を見ても既成概念に振り廻される。その代わり、それだからと自分の職業を卑下したり居直るのも間違っていると言える。それで端的に影響されるのは美容整形である。韓国のスターは殆どの人が男も女も美容整形手術を施しているそうだが、見掛けでしか判断出来ない国民性の持つ文化というものが底の浅いものである事が証明される様なものである。そう言えばかつての韓国の大統領までが目を二重に整形手術を施したというのを見聞きし呆れてしまった。

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 確か「自分の顔に責任を持て」と言ったのはリンカーンだったと想うが、良い歳をした大人が美容整形をするのは自分の顔に自信が無いと言う事、つまり自分の人生を否定する行為だから常識では考えられない。一国の大統領がそれでは国民は馬鹿にされたようなものだ。だから彼の政治生命は短かった。折角大統領に成りながらそういう瑣末な行為でイメージアップを狙うのは哀れだが、アメリカの大統領だったニクソンも大統領選の為に頬の肉を整形手術で取ったそうだ。だからウォーター・ゲート事件の様な事を平気でやれたのだろう。もし日本の首相がそういう事をしたならどうだろう。それで無くとも日本の首相の重みは軽い。海外で言う事と国内で言う事とが違う政治家なぞ最早政治家では無い。言葉が命である事を忘れた政治家が自分を可愛いドジョウに例えるなぞ不遜である。むしろ泥の中でうごめく訳の分からない生き物にしか国民には映らないだろう。(つづく)

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