ココ の ブログ

長生き(4)

長生き(4)

 ボクは最近、昔の友人達の事を想い返してみて懐かしく想うよりも、如何に上手に歳を取っているだろうかと考える事が多い。と言うのは、歳相応な生き方をしていればそれで良いだけの事なのだが、小学生の頃の同窓生でつくる山歩き会というのがあって昨年誘われて初めて参加した事があったのに、その後の毎月のメール案内があってもゴルフの月例会と重なったり、他の用事で行けなかったりと参加しなかったのだった。すると先々月の案内だったか「これ迄、メール案内を出していましたが、1年間参加の無い方には今後は案内を差し上げない事にしました」という案内があって、それが最後になった。去年の参加から1年も経っていないのにそういう案内があったのでボクは笑ってしまった。一人でも多くの参加を募っていたくせに案内を出さないとは了見の狭い幹事役だと想ったのだ。

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 メール案内は同時に数十名に送れるタイプのものだから一人や二人が長期の欠席であろうが、案内を出す分には少しも手間が掛かる訳ではない。それより寧ろ名簿から除外する手間の方が面倒な位だ。だから手間暇の問題では無く、ボクに対して何か名目を探して除外したかったのだろうと想った。逆に考えれば、ボクにすれば山歩き会に参加しようがしまいが都合が付けば行くだけの事で、それ以上の意味も無く、少人数の仲良し会的なもので固めたいのであれば最初からそうすれば良いだけの事にしか想えないのだ。小学校の同窓生と言っても精々100名程度に迄減って、関西に住む同窓生は名簿を見ても7割程度で、その内の1割が参加したとしても7名ぐらいなものだ。ボクが参加した昨年の山登り会では16名ほどあったから多かった方なのだ。

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 それはたまたまその秋に同窓会があって丹後半島へ旅行したのだったが、観光バス1台で廻ったから30名ほどの参加で、その時に山登り会の案内を貰ったのだった。だから半分近くの同窓生が参加した事になり盛況だった訳だ。その中でも数名の常連が居て、彼等が幹事役をしているのだが、どうも仲間内の好みだけで参加者を制限したかった節があった。自分達で仕切る会だから自分達以外の目立つ同窓生は邪魔に想え、敬遠したのだろう。そのグループは想い起こせば小学生の頃は勿論、今も目立たない連中ばかりで、言わば京都を出て羽振りが良く成った連中が疎ましく想えた様だった。その証拠に、仲間内ではタメグチを叩いているのにボクや他の羽振りの良い同窓生にはタメグチでは無く敬語に近いよそよそしい言葉でしか話が出来なかったのだった。

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 つまりは50年以上も昔の劣等生が当時を想い出し、今も差が付けられていると感じて萎縮し敬語に近い言葉づかいをしているのではないだろうかと感じたのだった。劣等生は劣等生同士、羽振りの良い連中はどうしても同じ仲間でしか話をしなかったから劣等生は話題にも乗れないのだった。しかし、小学校の同窓生同士で羽振りが良いとか劣等生だったとかで張り合うというのも大人気なく、馬鹿馬鹿しいだけに問題にもしなかったが、ボクが参加した山歩き会は忘年会も兼ねていたから酒も入って余計に感情が出ていたのかも知れない。楽しく風景を眺めながらピクニック気分の山歩き会とは程遠い無言の行のような歩き方だったのも変な会だと想ったものだった。訊けば大病をした仲間が寄り集まって山歩き会をし健康になったというから彼等なりの歩き方だったのだろう。

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 そういう会とは知らなかった新たな参加者は、その後の山歩き会には不参加だったのだろう。だから少人数の元の会に戻ってしまい長く来ない会員には断りの案内を出したと想えるのだ。何とも了見の狭い連中だと笑ってしまった次第だ。つまり肉体的には健康ではあっても心が伴わない不健康な山歩き会であるなら歳相応の老人に成りきっていない生き方だと言えるだろう。それも全くのアカの他人ではなく小学生の頃の同窓生なのだから変な老人に凝り固まってしまったのが哀れな気がする。そういう老人には成りたくないと想うのだが、養老院では案外そういう老人が多いという。加齢と共に頑固になり子供の様になってしまうというのだ。頑固になるというのは時代に乗れず取り残された人か、以前から信念の人であった人に多い。今回の場合は前者なのだろう。

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 だから歳相応の老人になっている人というのが案外少ない事が分かる。今住んでいる住宅団地も加齢が進み高齢者が多く成って何とか若返らせ活性化させたいと県や市が様々な企画を立てている。しかし、都市計画も良いが、人間的な問題だけに道路や施設の建設という物理的外的なアクションと言うかミッションよりも人間を中心とした内面からのミッションを考える方が良いのではないかと想うのだ。老人性と言っても体力的なものが主で、内面的な心のケアとか若返りは人々との交わりの中から生まれるものである。もっと心を開いて参加できるミッションを沢山考えて実行すれば活性化の原動力になると想うのである。既に活性化している老人は言われ無くても自ら興味をもって率先してやっているものである。ボクなんかは60歳の後半に入ってからゴルフを再開したから加齢問題の解決方法は個人の問題でもあると想うのだ。(つづく)

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