ココ の ブログ

冬の京都(2)

冬の京都(2)

 故郷であろうが無かろうが京都と言う町はボクにとっては勿論、日本人の心のふる里として愛されている場所である事実は誰も否定できないであろう。その特異な存在性で毎年、内外の多くの観光客が押し寄せる場所でもある。特異な存在性とは言わずと知れた千年の都であった歴史的事実である。特に欧米人は日本の文化と美の原点を其処に見出し、中国人は自分達が失った古代の建築風景を其処に見る事が出来、驚いた事に「心が休まる」と言う。そういう点では奈良も同じ事が言えるが、奈良は京都よりも古いだけに古代としての世界になってしまうので洗練された都の気風が無く、街も東海道から離れて居た関係もあって何処か田舎臭いままである。ボクの住む奈良は奈良でも、奈良市内から遠く離れた南西部の大阪府との県境にある新興都市だから更に田舎臭い処である。住んでいる人の半数以上は大阪からの移住者である。

京都(06)
京都(06) 竜安寺とは亦違った雰囲気の枯山水石庭。

 ボクの様に京都からの人々も居るが少数派である。それだけ京都からは遠く離れているという事である。因みに、ボクの家から京都へ行く距離と同じだけの距離を南に向かって行けば高野山がある。高野山へ墓参りに行くのは最近では数年に一度になってしまったが、高野山の菩提寺から季節毎の法事の連絡が来るのを見て時間の経つのを速く感じる程度だ。京都の西大谷にもボクの家の墓地があるが、ボクの代で宗旨替えをしたから妹が管理しているだけで、親父は高野山に眠っているから何れ子供の居ない妹の代で京都の墓地は無縁仏になってしまい本願寺の管理寺務所で統合されてしまうだろう。ボクにしてみれば同じ仏教だから宗派が違っても同じだと考えて居て特に違和感は無い。寧ろ、そういう死後の細かい事に拘るよりも現生にこそ極楽を味わい人生を謳歌すべきだと想っている。

京都(07)
京都(07) 市内の仕舞た屋風の家並みも変貌して行く。

 心のふる里だから心に何か悩み事があれば、その都度出掛けて行って癒されるかと言えば、先ずそういう事は無かったし、普通はそういうものは無いものである。そんな事は誰もが体験する事だろうし、遠く離れて想い返す方が、心の中で自然に癒されて行くものである。そうでも無いと、女々しく故郷へ帰ってぼんやり風景を眺めるというのはテレビや映画のシーンの観過ぎでしか無いだろう。観念的にはそういうシーンは考えられなくも無いが、現実は人間はもっとドライで現実的である。そうでないと世界中の人々が故郷へその都度大移動せねばならないし、交通機関が儲かるだけの話で、観光産業がそれで潤ったという話は聴かない。民族大移動は盆暮れの日本のサラリーマンだけが行う行事に過ぎないのである。車の大渋滞も一種の儀式だからこそ人々は耐えているのである。その為のゲーム機が渋滞の退屈さを紛らわせてくれるだけである。

京都(08)
京都(08) 市内の仕舞た屋風の家並みが防火建築の街に変貌して行く。

 が、それも運転をしない家族だけの暇つぶしに過ぎない。現実は今居る処が心の拠り所である事に気が付いている筈なのである。しかし人間は理想を願う生き物だから今居る場所は仮初めの場所に過ぎないという幻想に振り廻される。何処其処へ行けば癒されるとか幸せが待っているなぞという幻想を信じて居る馬鹿も居ないだろう。子供が願うからとか親の顔を観ないと義理が立たないという愚にも付かない事を錦の御旗の様にして移動する国民性にボクなんか辟易とする。単身赴任中に毎月の様に東京から帰省していた律義さはボクだけの事だった様で、全国各地から単身赴任していた仲間が「余程、子供や奥さんが可愛いのですネ」と冷やかすのを苦笑いをしながら誤魔化すボクの本音なぞ分かる筈もなく、仕事を離れて旅行し、自宅に着くまでの一時こそ至福の時だったのだ。

京都(09)
京都(09) 繁華街の河原町にも高層ビルが建つ様になった。

 人生とは旅の連続だとするボクの信念こそ大事にしていただけの事なのだ。それが仮に飛行機であったり新幹線であったりしても楽しめれば何でも良かったのだ。出来れば出張の延長で自宅へ立ち寄る事があれば尚良かった。そういう意味では公私混同的に仕事を楽しんで居たのかも知れない。人間、生きている限り、仕事で時間を浪費するのも私的な事で時間を過ごすのも同じ行動なのだ。それが生きている証でもある。此処からは仕事で、この先は私的な事なのだと切り離したところで、やっている本人は同じなのだ。成果が出ればどの様な方法であってもボクにとっては効率が良ければ同じ事なのだった。多分、忙しい人間や経営者はそういう考え方でやっていたのだと想う。だからこそ疲れる仕事や遊びはボクにとっては効率が悪かっただけの事なのだろう。

京都(10)
京都(10) 生まれ育った辺りのビル街も次々と新しいビルに変貌して行く。

 飲み会や新年会で楽しい一時を過ごしても、後で振り返って「はて、何が楽しかったのだろう?」というのでは詰らない。良い記憶が残れば宴会も成功なのだが、亦行きたくなる気にさせるにはどうすれば良いか幹事役は大変だろう。ボクなんか太鼓持ちになる気が無いから、そういう心配なぞせず勝手に飲んでいるが、話題の無い相手や口下手な相手を楽しませるには幹事役は上から下まで多岐にわたって話題を多く持たねば務まらない。自分も楽しむには話題が勝手にほとばしり出る位でなければ苦労するだろう。詰りは頭(脳)が要るという事に成り、人生を多く経験していない事には出来ない芸当に成る。そういう意味で忘年会の幹事役は貴重な存在であり有能な社員である。そういう人間が首相になって国を引っ張って行ってくれれば良いのだが、誰かが何とかしてくれるのをジッと待っている様な連中が成るから日本は斜陽化して行くしか無いのだ。(つづく)

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