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我が 子を 叱っちゃ 駄目だよ自分の 分身 なんだもん自分の 傑作 なんだもん自分を 親に しようと 頑張ってくれて いるもん神仏からの 預かりもの なんだもん 世界を 敵に 回しても 守ってやるって 覚悟が 出来たら 何にも 怖い ものは ないよ こんな 自分の 所へ 子供に なるって志願して 来て くれたんだもん 叱る 前に 自分の 覚悟を改めようよ 叱る 前に 「有り難う」って伝えようよ 喜文治 学校は命懸けで、行く所じゃないよ。何をしに行くのか?分からない親と、何を教えたら良いのか?分からない先生と、自分の意志を、上手く伝えられない子供達の、妥協の慣習なの。人は、何故、この世に産まれて来たのか?人は、何をする為に、産まれて来たのか?生きている内に、自分は、何をしなければ、ならないのか?親も、先生も、子供達も、分からないの。分からないけど、教えるの。何を教えるのか?社会に出て、会社に勤め、使われ易い様に、読み書き計算と、従う事を教えるの。自分の特性は何か?どの様に自分が役に立つのか?どう生きるのか?あんまり関わらないの。そんな事より、漢字を一つでも、計算式の一つでも、覚えた方が、褒められるの。褒めるって、先生の思い通りに、成ってるって、事なの。逆らわない方が、良いんだと、擦り込んでいるの。学校って失敗する所なの。失敗しながら、正しい事を、学ぶ所なの。でも失敗を、恥じたり、恐がったり、させているの。失敗をしない子なら、学校へ行かなくても良いの。子供は子供成りに、一生懸命なの。先生に気を使い。親に気を使い。友達にも気を使い。くたくたなの。そんな子供を、理想と言う物差しで、責めるの。誰の子でもない、アンタの子だよ。責めたって、無理だよ、アンタの子だもん。諦めな。アンタの子だもん。もっと我が子に合った、我が子らしい生き方を、一緒に探そうよ。最後のより所の、親に責められたら、行くと来ないんだよ。世界中を敵に回しても、守ってやろうよ。自分の命が、我が子の為に、失っても本望だよ。その覚悟が出来たら親だよ。人の子の親だと言って良いよ。 そうだって、爺様。泣いてんの?・・・・・・・・・・・・・・。「 ちょっと、煙たいだけじゃ。」火なんか、ないじゃん?「 タバコの煙じゃ。」そんなもん止めな!「 そんな悲しい事を、言うなよ。」また、泣いてんの・・・・?
2007年08月31日
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相手を 褒めるって その人より 大きいの相手を 認めるって その人より 上なの相手を 許すって その人より 広いの相手を 助けるって その人より 強いの相手を 見逃すって その人に 勝ったの 相手を 責めるって その人より 小さいの相手を 認めないって その人より 下なの相手を 許せないって その人より 狭いの相手を 苛めるって その人より 弱いの相手を 非難するって その人に 負けたの 相手の 為に じゃないよ全部 自分の 心を 軽くする 為だよ 喜文治 無人島で、一人で生きているのなら、気を使わなくても、良いんだけれど、この島は、1億2千万人も、蠢(うごめ)いているの。しかも、思いも、考え方も、1億2千万種類あるの。更に、1億2千万種類がいつも、クルクルと、思いも、考えも、変るの。島の外からも、影響受けるし、出入りもあるの。否が応でも、人と交わって行くの。常に、相手がいるの。親子・夫婦・兄弟・同僚・先輩・後輩・様々な関係で、交わっているの。その相手と、どう交わって行くかが、心の重い・軽いに大きく関わってくるの。本気で接しちゃ駄目なの。この世は、芝居だから、本気で交わちゃ、ぼろぼろにされるの。本気になるのは、魂を磨く為だけなの。だから、芝居では、相手を立てて、一定の関わりに、留めて置くの。そして、魂を磨く事に、専念するの。勿論、相手を立てる事も、魂を磨く修行の一つなの。相手を立てても、卑屈になる必要はないの。だって、この世はお芝居で、自分も現状の役を、演じているの。周りの人達を、気分良くしておいて、自分はしっかり、魂を磨きましょう。って、言う話なの。 爺様。おいっ!爺様。寝てんじゃないよ。分かったのかい?・・・・・・・・・・・・・。「 分かった。」本当かよ?俺は、分かんなかったなぁ~?爺様。本当に分かった?「要するにだ。この爺様は、小さくて。下で。狭くって。弱くって。負けたって。事だよ。」それじゃ、全然駄目じゃん!「 だから、芝居っ気なしに、本気で接して来て、ぼろぼろにされ、友達がいなくなった。って事だよ。」そうか?じゃ、可哀相だから、俺が友達に成ってやろうか?「 野良に、気紛れで、優しくしないでくれ。後がもっと辛い。」そうか?爺様は野良猫だったのか?「 猫じゃなく、野良犬だっ。」どっちだって、いいじゃん!「優しさに、直ぐに、尻尾を振ってしまう、野良犬じゃ。」「 せめて、プライドのある振りの出来る、野良猫になりてぇ~。」それって、ただの痩せ我慢じゃん?「 ・・・・・・・・何とでも、ほざくが良い。フンっだ。」
2007年08月30日
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転ばぬ 先の 杖を先輩達は 使いたがるが 自分も 転んで 学んで身に 着けて 来たんだ よね その杖は 仕舞って 置いて独りで 起き上がる ことこそ今 教えて 置きゃなきゃ いけないね 起き 上がったら褒めてやる 事しか ないね 喜文治 親が若いと元気です。身体も動くし、口も出す、じれったくて、見て居れず、自分でやってしまう。子供は引きます。勝手にやれば!親のやることなんだ!任せておこう!自転車の後ろを、いつまでも手が離せません。自転車って、結局、転んで覚えて行くんですよねぇ。転んだら危ない。怪我をする。見てられない。子供が歩く砂利道を、先回りして、箒で掃いている様な、親をよく見掛けます。勿論、親は心配で心配で、自分の遣っている事が、見えていません。そこまでして育てると、転んでも周りから、手が差し伸べられるのを、待っています。しかし、その頃は親も年老いていて、手を差し伸べられません。子が親を、助けなければならない時に、子は転んで起き上がれません。 親が元気な内にこそ、転んでも自分で起き上がり、砂を払う事を、身に着けさせて、置かなきゃいけません。もし怪我をしたなら、親はまだ元気ですから、病院に直ぐ連れて行けます。親が元気な内にこそ、失敗から学ばせて、二度と同じ失敗をしない様にして、置かなきゃいけません。その失敗は、必要であれば、親が協力して、カバー出来ます。 我が子って、言い方が、誤解の元です。神仏から、育てる事を、託されただけなんです。託されたとは、親としての、勉強をやって見なさい。って、預けられた、だけなのです。貴方に親としての、勉強を始めて貰う為に、子が志願して来てくれたのです。決死の覚悟で、来てお出でなのです。魂のレベル(格)では、子が親より上だそうです。学ばせて頂きましょう。奇特なわが子達より。感謝を致しましょう。志願をして来て下さったのですから。産んでやった。育ててやった。とんでもない勘違いです。学ばせて頂いているのです。 どうよ?爺様?分かった?・・・・・・・・・・・・・・・。「 そんなもんかなぁ?」そんなもんなんだって!分かったのかぁ?「 オムツを替え。飯を食わせ。学校にやって。学ばせて貰っている?」そうそう、それが、生涯を通した、お布施なんだって!爺様も、そのお役目が、頂けたと言う事なのね!良かったね。「解(げ)せん!」なに怒っているんだよ?自分にも親が居たんだろう?順送りなんだって!解かった?「 解せん。」そればっかり。・・・・・・・。いつまでも言ってな~。「 解せん。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
2007年08月29日
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恩に着せたら 薄っぺらい 言い訳したら 後ろめたい 怒り散らしたら 消え入りたい 黙って 微笑んで おれる ふところが 欲しい 喜文治 神仏って、喋らない。表情も、変らない。でも、訪れる人の、こころ次第で、褒めて貰ったり、諭してくれたり、頷いてくれたり、叱ってもくれる。微笑んでいたり、澄ましていたり、怒っていたり、泣くこともある。それで、訪れた人は、気が済むのである。言葉など使わない。ただ黙っている。全てを知っていても、表情を変えない。あくまでも、訪れた人の、こころ、次第である。何故ならば、 『人の悩み、苦しみ、怒り、悲しみ等の全ては、 その人自身が、その人にだけ、発生させたものであるから、実は、その人にしか、治められない。』 その治め方も、治める時期も、その人次第である。 静かに見守る。黙って、治めるまで待って上げる。何も言わない。何もしない。ただ、見守ることこそ、愛である。 そうなんだって、爺様、分かった?「・・・・・・・じゃないかなぁ~って、思っていたんだ。」またまた?それって、後出しジャンケンだよ?「 いつも、黙って、微笑んでおるじゃろっ?」ええっ?だっ誰の事?「 この爺様のことじゃよ!」うっ、嘘っ。嘘でしょう?冗談だよね。ね。ね。ね。?「 い~や、嘘でも冗談でもない。わしの事じゃ。」いつも、ぶっすっと、していて、何か言えば直ぐに怒り出すのが、爺様でしょう?「 気の所為じゃ。」気の所為なもんか。いつもこっちが、迷惑してるちゅうのに。もう。「 何か言ったか?」爺様は便利じゃの~。俺もそんな性格になりたいわ?・・・・・・・・・・・・・・・?
2007年08月28日
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真面目に 生きる って実は 面倒臭い 事 面倒臭い 事を 一生懸命 取り組むとなかなか 先に 進めない 面倒臭い 事に 立ち向かうとついつい 根気が 薄れて 行く でも その 地味で 面倒臭い 事を一つ ひとつを どう 片付けて 行くかが自分の 値打ち 喜文治 真面目に生きるって、周りを大切にするって事なの。周りを大切にするって、自分を大切にするって事なの。真面目に生きるって、確かに面倒臭い事なの。面倒臭いと、中々先に進めないの。しかし、そんなに先を急ぐ必要は、全然無いの。あまり急ぐと、周りに迷惑を掛けたりして、後でお詫びをしたり、説明に追われるの。だから、そんなに急ぐ必要は、実は無いのだけれど、何故か急ぐの。生き急いで、自分を見失っているの。面倒臭い事に、立ち向かうと、根気が薄れて行くの。何故、そうするのかが、曖昧だと直ぐに薄れて行くの。根気が薄れれば、休めば良いの。人生って、生きている内に、何処まで行ったか?じゃないの。どんな生き方をしたか?なの。行き急いで、「 どうだ?」って、自慢しても、誰も喜ばないし、疲れるの。丁寧に生きよう。時間を大切にし、季節を味わい。周りと譲り合って、笑顔で過ごせる時間を楽しもう。この人生を、どう楽しんだか?が、その人の値打ちなの。楽しむって、独り占めじゃないよ。どれだけ、感謝の中に居たかなの。人生を楽しむって、感謝をして、感謝をされる事なの。それ以外の楽しみって、独りよがりなの。 楽しむって、感謝だって。爺様、知っていた?「 今、聞いた。」今かよ?。 じゃ変んないじゃん?その年で、今かよ?・・・・・・・・・・・。で、勿論、感謝三昧なんだろうね?・・・・・・・・・・。「 これからじゃ!」はぁ?。 じゃ、間に合わないじゃん!「 間に合わないとは?」否、そのお年で、今からじゃ。 とても・・・・・・。「 で。 何が、間に合わないと?」解かってるくせに・・・・・・・・・・・!「 気付かせて貰っただけでも、価値が有るんじゃ!」そんなもんかなぁ~?「 そんなもんじゃ!」・・・・・・・言い切った。
2007年08月27日
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苦労して 出世しても 所詮は 自分の 為 精々で 家族の 為お金を 溜め込んでも行き着く 所は 自分の 為 精々で 家族の 為そんな 手前勝手な 事に折角の 能力を 費やして 良いのかなぁ? 心が 晴れ渡る様な 身体が 自然と 動き出す様な自分にしか 出来ない事が 待っているんじゃ ないかなぁ 喜文治 社会の仕組み、経済の仕組み、の中で、生きています。投げられたボールを、棒切れで叩いて、遠くに飛ばしたら、億単位の年収になり、荒海で命を懸けて、魚を捕る漁師は、生活するのがやっとである。勿論、その魚が自分の口に入る事は、滅多に無い。自分の生業(なりわい)が、向いているとか?向いてないとか?考える事も無かったかもしれない。勿論、スポーツ選手や芸能人を、どうのこうのと言うつもりは無い。自分が、本当に納得した、人生を生きているだろうか?朝、目覚めた時、また今日も仕事か?今日がまだ水曜日か?疲れたなぁ~。今日、休みたいなぁ~。やっと金曜日か?そんな、心に封印し、疲れた身体を、引き摺って、愉快でない日々を、重ねる。これが人生か?仕方が無いんだよ。みんなそうでしょう?心が、晴れ渡るような、生き方って、無いのだろうか?身体が、自然にウキウキする様な、生き方って、無いんだろうか?自分の為に、生きている限り、無いのかもしれない?他人様の為に、生きれたとすれば、遣り甲斐。生甲斐。で、活き活きと生きれるかもしれない?もし、もしも、感謝をし、感謝をされる中で、生きる事が出来れば、良いのかもしれない?納得して生き。納得して逝きたいね。夢だ。理想だ。来世はそうしたい。本当に、そうだろうか?社会の仕組み。経済の仕組み。に、組み込まれ、慣らされ、諦めて、まるで家畜の様に身体や人生の貴重な時間も、心まで組み込まれてしまっているのではないだろうか?自分の為。家族の為。は、当たり前だと言われる。他人の為。に、自分でも役に立つ。そんな感謝のキャチボールの中で、生きられたらいいね。
2007年08月26日
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他人様に 喜んで 貰う 事他人様に 役立つ 事以外の 仕事って 無いよ 自分が 何をして 喜んで 貰えるか?自分が 何をして 役に立つか?勉強して みないと 分からないよ 喜文治 自分の為にだけ、自分が賢く、作られたんじゃないよ。自分の為にだけ、自分が足が早く、作られたんじゃないよ。自分の為にだけ、自分が器用に、作られたんじゃないよ。自分の為にだけ、自分が健康に、作られたんじゃないよ。その賢さで。その足の早さで。その器用さで。その健康さで。周りの困っている人達を、手伝って上げなさいと言う。神仏の願いなの。そんな神仏の願いを無視をして、自分の為にだけ利用し、勝ち誇っていたら、ペナルティーがあるよ。漁師が、命懸けで取って来た魚を、不労所得の様なお金で、食ってたら、ペナルティーがあるよ。って事なの。少なくとも、感謝を伴わないと、ペナルティーがあるよ。って事なの。じゃぁ、見ず知らずの漁師さんのに、感謝?それも良い事だけど、お魚さんの命にも、感謝でしょうね。食の循環を、叶えてくれている、神仏に感謝でしょうね。幾らお金があっても、お金を食って生きられないの。お金って社会の、単なる道具なの。社会の仕組みが、壊れたり、乱れたら、ただの紙切れに、戻るの。その紙切れで、魚も米も手に入らないんだよ。社会の仕組みって、堅固そうだけど、そうでもないの。戦争や紛争、飢饉や大災害で、一瞬にして崩れた例は、幾らでもあるの。日頃から、魚が食卓にある経過。ご飯が炊飯器で、炊けている経過。蛇口からいつでも、水が出る経過。物事の成り立ちや、その苦労や、その経過を忘れて、暮らしていると、そんな自分の危ぶさ。を感じるの。こんな自分って、本当にこの世に、必要なの?何かの。誰かの。お役に立っているの?今は駄目だけど、この先、自分は大切な存在に、果たしてなれるだろうか?神仏が願っていた、存在に応えられるだろうか?そんな危ぶさを、自分に感じるの。 爺様の場合はさぁ。危ぶさと言うよりも、怪しさじゃない?「 またお前か?お前は何で爺様に絡むの?」いいじゃん。暇そうだし?「 勝手に暇と決め付けるな!爺様成りに忙しいんじゃ!」でも何か、怪しいんだよねぇ?「 それはお前の気のせいじゃ。」そうかなぁ?「しっ。しっ。何処かへ行け。爺様に構うな!」・・・・・・・・怪しいなぁ~。
2007年08月25日
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色んな 物事で 自分を 主役に しないの始めかっら 脇役に 徹するの仕事でも 遊びでも 家庭でも 脇役に 徹したら結構 楽しめるよ 仮の 主役を 立てるのその家来を 演じるの 本気じゃなくってあくまでも 演じるの 主役は 気働きをし 顔色を伺い 纏めなきゃ いけないの上手く 行って 当たり前で 下手をすると 非難されるの気持ちが アップダウンし 疲れるのじゃ 目立って もてるかって 言えば それ程でも ないの 脇役は 割と 気持ちが 冷静で 平坦なの楽チンなの そのくせ もてるの 楽チン しながら 主役は どうすべきかを 学んでいるの主役 じゃなくって 脇役に 徹していよう少なくとも 嫌われにくいの 喜文治 誰だって、目立つ主役を、張って見たいの。でも最初は、みんなが、理想に燃えて、言いたい事を、遠慮なく言うの。上手く行かなければ、互いが反省し、自主的に纏まろうとするの。それまで、脇役を演じていて、みんなの総意で、主役を求めて来たら、受ければ良いの。最初から、主役を争って、傷つけ合う事は、後で自分が纏めようとする時、障害になるの。だから、主役はやりたい人に、任せておいて、脇役を演じさせて貰うの。そのまんま、上手く行けば、それでいいし、主役のやり方の、勉強になるの。そんなもんなの。その方が楽チンなの。その方が学べるの。 爺様も、かつては、主役を目指して、戦ったのかい?・・・・・・・・・・・・・・・。どうした?元気がねえなぁ~?・・・・・・・・・・・・・・・。誰にも言わないから、話してみな!「 事有る毎に、主役に立候補したが、誰にも推薦されなかったんじゃ。」そうかい。そりゃぁ、残念だったね。で、何で推薦者が、一人も出なかったんだぁ?「 そう。そこなんじゃ。今でも考えているんじゃ。」ず~っと、一人で考えてな!気が済むまで。・・・・・・・・うん。
2007年08月24日
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厳密に言うと 実は みんな病気なのそれでも 入院もせず 働いているの世間って 凄く いい加減で 幅があるからどうにか 誤魔化しながら 働けるのいるでしょう? 直ぐ近くにも ちょっと 変ってる人 例えば 20点以上なら 働けるの勿論 仕事の種類や 仕事の場所は 違うよでも 一応 社会人なの 100点の人って 絶対 いないから 20点から 100点近くまで 凄く 幅があるの と言うことは 大なり小なり 誰でも 何処かが 間違っているの100点に 近い人は 20点 付近の人を 馬鹿に 出来ないのだって 100点に 近い人が 間違った所を20点 付近の人が 正解しているかも しれないから点数だけでは 侮(あなど)れないの 近くに いるじゃないですか? ある事に 精通しているが故に他の事が 間違っていても 気付いていない 自称エリートが その人も 厳密に言うと やっぱり 自称エリート病だもんみんな 大なり小なり 病気なの自分だけ 可笑しいのじゃないの みんな 可笑しいの可笑しいかなぁ~ なんて 気付いている方が まともに近いの 100点に 近かった人は 油断しているからそうじゃなかった人は 追いつけば 良いの頭を 低くしながら 今度は 40点・50点・60点・70点・80点を目指してゆけば 良いの お迎えが 来るまで人生の 幸せって 部門で 100点付近に 届いていれば 良いの 喜文治 いろんな方が、ご相談に来られます。必ずご自分を、責めておられます。じゃ、貴方の思う、まともな方って、どんな人ですか?と、尋ねると、答えられないの。例えば、偉いと思われている、政治家や官僚や経営者達の、事件・事故の説明やお詫びの、記者会見を聞けば、この人、可笑しい。こんな人が責任者だったの?って、思うじゃないですか?だって病気なんだもん。その病気が世間に、知れただけなの。でも本人に、病気でしょって言うと、怒ると思うよ。その位、重症なの。記者会見って、心の公開された、健康診断の様なのもなの。客観的に、捉えると、誰にでも、病気である事が、分かるの。みんなが、大なり小なり、何等かの病気なの。 じゃ、爺様も、病気だって事?「 勿論。そうさ!」自信持っているねぇ。「 勿論。そうさ!」自信持って、言い切られたら、二の句がつけないんだけれど?「 勿論。そうさ!」「 随分以前から、自覚しているもん。」自慢できる事じゃないでしょう?「 勿論。そうさ!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2007年08月23日
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幼い頃に 自分の将来の 姿を覗ける 望遠鏡が あったとしたら覗く勇気が 自分には あっただろうか?きっと 悩んでしまった と思う仮に 恐いもの 見たさに 負けて 覗いたとしても年老いた 自分の姿を 見つけたら 納得できなかった のではないだろうか?中々 受入れられ ないようね「 そりゃ 幼くて 世の中の事を 知な過ぎるから 無理もない。」 と誰かが 言う かもしれない果たして そうだろうか? 仮に その望遠鏡で 再びこの先 五年・十年・二十年が 覗けるとしたら 手を出しますか?手に取って 焦点を 合わせる 勇気が ありますか? 喜文治 少年が自分の20代・30代・40代・50代・60代・70代80代のある日を、覗いたとすれば、きっと受入れられなかったでしょう?しかし、現実には、それを生きています。受入れ難い筈の、自分の人生を、生きています。理想通りに行かなかった理由は、数え切れない程あります。勿論、少年には、格好悪い、言い訳にしか聞えないでしょう。 じゃ、現状を消しゴムで、消し去りたいのですか?そこまで言うなら、消し去っても良いよ。でも、その心の構え方では、同じ様な人生を、なぞるだけでは、ないだろうか?それだけのエネルギーがあれば、ここから何とかしようよ。少年が、成る程!こうなる為に、あんな事をしていたんだね。って、納得してくれる様な、自分にして行こうよ。分かってくれるよ。どれだけ頑張ったか?その姿を見せれば、頷(うなず)くよ。手伝ってくれるよ。見てられないって。 所で、爺様の少年は見掛けないけど、どうしたの?・・・・・・・・・。「 随分前から、見失っている。」それって、見捨てられたんじゃないの?・・・・・・・・・。「 否、何処かで、迷子になったんじゃろう?」どっちが?・・・・・・・・・・。「 わしがじゃ。」あじゃ~。
2007年08月22日
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人間にとって 都合の良い 花や果物や野菜は土を耕し 水や肥料をやり 幾度も周囲の草を取り手厚く手厚く 育てられるが 全部が全部 期待に応えて育ち切るとは 限らない そこへいくと 道端で どうにか生きている名も知られていない草 草としか言い様のない雑草 時には踏み潰され 時には水浸しになり除草作業とかで 強制撤去を 受けたりもするみんなに邪魔がられ 勝手に季節を 彩ってみている草 やがて木枯らしが 吹き始めると 立ち枯れる奴 薄汚く 朽ちてゆく奴等 様々な生涯を閉じる 閉じた筈の根っ子は 土の中で生きている誰からも 期待など されていないのに 誰からも 邪魔に 思われているのに着々と 土の中で 春を待つそして 気付かれない様に また顔を覗かせる 道端で どうにか生きている 名も知られていない草草としか言い様のない雑草お前のその根っ子を 少し 分けては 貰えないだろうか 喜文治 植物の一部を、綺麗だと言う感覚だけで、「花」と称して大切にする。また別の一部を、「野菜」と称して重宝がる。また別の一部を、「木材」と称して育てる。其の他の植物は「草」と言う言い方で括り、邪魔にする。草の中にも、綺麗な花を咲かせるものもあるが、名前など殆ど知られていない。今年は雪も少なく、春の草の勢いは、例年を上回った。じゃ、自分を植物に例えるならば、果物と呼ばれるほど、役に立ってはいない。木材と呼ばれるほど、しっかりとはしていない。ましてや、花と呼ばれる様な、美しさは持ち合わせていない。じゃやっぱり、自分は草か?と、意気消沈していると、声が聞えて来た。お前の様な、根性無しが、俺達の仲間だと?笑わせるんじゃないよ。はっきり言って、迷惑だよ。草はなぁ。草なりの、覚悟の仕方ってもんがあるんだぜ。何処にも該当しないから、草だと?ふざけるな!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。「 草にも叱られてしまったぁ~。」・・・・・・・・・・・・・・・。爺様でした。
2007年08月21日
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百 人 百 役 ( ひゃくにん ひゃくやく ) 喜文治 以前、自動車一台の部品数は、2万点と言われていたが、今どきは、もっと数は増えていると思う。2万点の一つでも欠けていれば、完成車ではない。いつも磨いて貰っている部品もあれば、雨に打たれ直射日光に晒され続ける部品もある。暗闇の中で、暑く焼けた油にまみれ、黙々とその役目を果たしている部品もある。高価な部品もあれば、安価な部品もある。大きな部品もあれば、小さな部品もある。全部揃って、一台の自動車である。この社会も良く似ている所が有ると思う。一見何の役にも立っていない部品に見えるが、それは知らないだけで、同じ自動車の部品である。自分の関連する部品は分かっても、少し離れてしまうと、全然分からない部品もある。其々が其々の役割で、必要な時に必要を満たすから、一台の自動車として、存在している。一台の自動車を世界に例え。一台の自動車を国に例え。会社や家庭に例える事も出来ると思う。あるいは、自分自身に例える考えがあっても良いと思う。 「 じゃ、俺も一つの部品として、頑張るか~。」オイ。オイ。爺様。君は横で、休んでてくれないか?「 えっ?気を使わなくても良いよ。まだまだ頑張れるから!」否そうではなくって、爺様は交換部品だから、ちょろちょろしないでくれ!」「 ちょろちょろ?交換部品?いつから?」ず~っと以前からだよ。知らなかった?「 うん。知らなかった。・・・・・・・・・・・。」
2007年08月20日
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掃除・ 片付けって 心と 頭の 整理・ 整頓なのだから 思い付くと 深夜でも いきなり 始め家族や 近所から 顰蹙を 買うの 気に 成っていた 事の 見通しが たったかねてからの 問題が 解決に 向かい 出したさぁ 剥がし 難かった 魔が やっと 離れて 行くもう 二度と 来ない 様に 急いで 掃除をし 片付けるそれは 魔を 払う 為の 儀式 である 掃除・ 片付け・ 模様替えは それまでの 魔を 払い同時に 心と 頭の 整理・ 整頓でも ある だから いきなりに なる 喜文治 人の心って、独立している様だけど、そうでもないそうです。形から入るって、心に強く影響を、及ぼすそうです。健康なんだけれど、入院して病院着でいると、病人らしくなる。活発なお嬢様が、和服をお召しになると、歩き方や身のこなし、話し方まで変るそうです。恋人と別れた。長い髪を惜しげもなく、ばっさり切る。気持ちを断ち切る。って、言う。形なんでしょうね?部屋を片付ける。模様替えする。大掃除をする。今までの気持ち。今日までの自分。を、断ち切りたいのでしょうね?自分に付き纏っていた、「魔」の様なものを払い。生まれ変りたい。それが、掃除であり、片付けであり、模様替えなんでしょうね。どんどん掃除をしましょう。どんどん片付けましょう。どんどん模様替えも致しましょう。人は毎日生まれ変って、いるそうですから?
2007年08月19日
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不 足 満 足 ( ふそく まんぞく ) 喜文治 どれだけ何を持っていようが、人は今度はあれが欲しい、これが欲しいと、思う。それが手に入っても、満足は一瞬であり、また喉が渇くように、別の何かが欲しくなる。要するに、常に心は渇いているって、事なんですね。じゃ、現状で 「 今度あれが欲しいなぁ~。」 で留めて置けば、同じではないだろうか? 部屋が物で溢れていて片付かない。整理して、使わない物を、処分した。すっきりした。満足である。暫くすると、物足りない気に成ってくる。少し部屋を飾りたくなった。これ可愛い。これ素敵。これ綺麗。結局、元の木阿弥である。 今度、余裕が出来た時、此処に、こんな感じの、○○を置きたい。そこで、満足と、決める。あと一個。で完成であるが、完成はさせない。わざと、させない。完成は、次の未完成に繋がるから、わざと、完成はさせない。無理をすれば、完成させれるが、わざとさせない。イライラする。落ち着かない。禁断症状である。でも、慣れるしかない。 その事に慣れたら、次の段階がある。今度は、省(はぶ)くである。100点満点を目指して、90点でやめる。90点に慣れたら、80点を目指す。80点に慣れたら、70点をめざし、やがて50点を満点にする。勿論、60点満点であろうが、40点満点であろうが、個人の自由である。学校のテストの点数とは違う。これが、人生の達人の、極意である。 それでか?爺様の部屋に、何もないのは?さすが、20点満点ぐらいかなぁ~?大したもんだよ!「 これには、別の理由がある。」別の理由って、何?「 以前はあった。」だから、省いていったんでしょう?「 確かに、省いていった。」やっぱり、凄いじゃん!「 否、そうではない。納入業者が持って返った。」えっえっえぇ~?それって引き上げられたって事?「 そうとも言う。」そうしか言わないでしょ!・・・・・・・・・・・。それで、今日のこの言葉かよ?「 結果的には同じである。」いやぁ~違うと思うけどなぁ~。・・・・・・・・・・・・・・・・・。 /
2007年08月18日
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物事には 鮮度が あるよ生鮮品 だけじゃ ないよ ものの 言い方 見せ方 話し方伝え方 教え方 褒め方 叱り方 怒り方 考え方 等々 人の 言動の 鮮度が 落ちたら相手は 受け 取ら ないよ 自分も 情熱が 薄れて 行くよ生鮮品 だけじゃ ないよ人間関係も 鮮度が 大事だよ 喜文治 何度言ったら分かるんだ!耳には伝わっているが、心まで届いていない。乾いたグランドに、種を撒いている様なものである。もう芽が出た頃かと見に行くと、あれだけ撒いた種がない。風に飛ばされて、跡形もない。何度繰り返しても、同じである。偶然、土砂降りでもあれば、その轍に芽が出るかもしれないが、雨も降らない。乾いたグランドを耕す、水も引く、木を植えて影も作る。そして種を撒く。芽が出た。それで終わりではない。水を管理し、草を取り、肥料もやり、見守らなければ、実を結ばない。乾いたグランドを耕すとは、相手の興味を引くと言う事ですかねぇ?水を引くとは、興味を持たせ続けるって言う事ですかねぇ?影を作るって事は、相手の言い分も聞くって事ですかねぇ?兎に角、鮮度を保つって、日頃からの大変な努力が、必要なんですよね。
2007年08月17日
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「 はいっ!」 って単純な 言葉 だけどその 瞬間の 心の 表情 なの 相手に している だけじゃ ないの 先ず 自分に して いるの それが 相手に 届いたの良い 表情を 届けたいね 喜文治 「 はいっ!」って返事が、中々出来ないものです。したとしても、色んな言い方があります。それは、その時の自分の、心の表情が込められています。 込めたくなくても、篭って届けられます。さらに、困るのは、その相手に対する感情まで、篭って届くって事です。たった一言の「 はいっ!」と言う、たかが返事です。 でも、その時の自分の心の表情も、その相手に対する感情も発信し、しっかりと、伝えてしまっています。取り返しが着きません。謝罪も、言い訳も、反って強調してしまいます。 不意を突かれた時の返事、それは、押されたチャイムに、裸で玄関に立った様なもの。心にも身嗜(みだしな)みって、あるんでしょうね?心の身嗜み。薄化粧ぐらいはして置きたいですね。 薄化粧?おい!爺様。裸はどうするんだよ?「 そうだった。」「 バスローブぐらいは着けておきましょう。」ええっ!それって、自分の好みを言ってんじゃないよっ!「 じゃ、服を着て出ましょう。でもなぁ~何しろ不意だからなぁ~?」どうすんだよ?「 自分で考えましょう。」ええっ!答えが無いのかよ?・・・・・・・・・・。
2007年08月16日
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今 生 役 割 ( こんせい やくわり ) 喜文治 一人ひとり顔が違う様に、この世に産まれて来た役割も、一人ひとり違うの。自分にしか出来ない、大切な役割があるの。背が大きいのも、小さいのも、手が長いのも、手の平が大きいもの、足が長いのも、何等かの訳があるの。その声も、その賢さも、その顔も、そのスタイルも、必ず、何等かの訳があるの。だって、面倒臭かったら、型に嵌めて同じものを作った方が、楽チンなのに、わざわざ、一個一個違うのは、それなりの手間が掛かっているの。 所が、何かが流行りだすと、一斉に皆で真似をするの。綺麗だから。可愛いから。賢いから。お金持ちだから。幸せだとは限らないよ。その顔で。その賢さで。その腕で。その足で。その声で。やるべき事があるの。そのやるべき事って、自分を喜ばす事じゃないよ。人様を喜ばす事だよ。さて、何をどうやって、自分らしく、人様を喜ばせるのか?考えて見よう。 今まで、自分が如何に喜べるか?ばっかし考えて来たから、難しいよ。損か?得か?と言う。損得秤(そんとくばかり)で決めて来た癖があるの。人様が、悲しむか?喜ぶか?と言う。喜悲秤(きひばかり)で、考えて見るの。心の秤を、持ち替えて、自分が出来る事。自分しか出来ない事。自分らしい事。探して見よう。 遠回りの様な気がするけど、人様を喜ばせれたら、自分が幸せになる、一等近道なの。人様を助け。人様を救い。人様を喜ばす事こそ。この世での修行なの。魂を磨く事であり、感謝をし、感謝をされる事が、この世でのやるべき修行なの。塀の中で、朝から晩まで、お経三昧のプロが、極楽へ行きたい。極楽へ行きたい。と、唱えていても、人様も極楽にやれないし、自分も行けないよ。 言葉だけでは、修行にならないの。この世は実践の場だから、やって見せなきゃ駄目なの。お経なんか知らなくても良いの。中国の古典を意味も分からず、唱えている暇があったら、ボランティアに行けば良いの。溝に落ちているゴミや空き缶を拾えば良いの。その姿に。心に。人は尊敬の念を抱くの。理屈もお経も後から着いて来るものなの。 この世の修行は、実践しかないの。ひとつでも、ふたつでも、実践する事なの。暑かろうが、寒かろうが、人様を喜ばす、実践しかないの。理屈は、実践をしたくない奴の、言い訳なの。 今日もキツイかな?キツかったら、水かソーダー水で、薄めて飲んでね!身体と心には、とっても良いものだから・・・・・・・・・!長くなって、ご免なさい。頭が悪いから、長くなるの。
2007年08月15日
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背 中 師 匠 ( せなか ししょう ) 喜文治 昔の徒弟制度では、「仕事は盗め」であったと聞いた。なんて、傲慢で、意地悪く、古臭っくて、非効率なやり方だと思っていた。しかし、今に成って、「仕事は盗め」である事が、しみじみと思い知らされている。やる気のない者が、その場にいるだけで、張り詰めた緊張が緩む。先ず、危険である。何故、自分が此処にいるのか?どうしたくって此処に居るのか?自分に何が出来るのか?その位の事が、考えられない様な者に、物事を教える意味も無いし、価値も無い。指示を待っている様な者に、その先の細かい仕事や、難しい技術が身に着く筈がない。帰って貰い!新人が来ると仕事が増える。只でさえ忙しいのに、いちいち説明し、手を取り足を取り、疑問に答えている時間も、労力も、愛情も無い。 僕は、黙っていつもの様に、やるだけである。その存在は認めない。無視である。それでも、じっと見ている。邪魔をせず見ている。休憩に質問があれば、答える。それが詰らなければ、帰ってくれて結構である。別の自分に合った師匠を、探せば良いだけである。質問が的を得てくれば、やらせて見る。やらせて見ると、見方や質問の質が変る。変らなければ、帰って貰えば良い。 特別、難しい話ではない。玄関お掃除でも同じである。汚れている。先ず、そう感じた人の仕事である。どう掃除をするか?何処までやるか?その人の全人格が出る。誰かが直ぐに汚す。「折角今掃除をしたばかりなのに!」と、言いたくなる。言わない。またやる。また汚す。言わずにまた掃除をする。感じて貰うまで、分かって貰うまで、自分の仕事である。「自分でやってみろっ!」と言って、やらせて見ても、その者の全人格が出るから、こっちでまた、やり直さなければならない。だったら、気付くまで自分の仕事である。何故、やり直しているのか?分からなければ、分かるまで自分の仕事である。 口で教えようとすると、やってもいない内から、理屈で質問をしてくる。答える必要も、教える必要もない。まだその時期ではないのだ。やって見せる。背中で語る。背中で教える。言葉は一切要らない。上手く出来たら、その時、褒めてやれば良い。優しい言葉で。背中で教えられないのなら、まだ弟子を取る立場に成っていないのである。
2007年08月14日
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ダンプ会社の社長を 引き受けた 夕方ドライバー達が 日報を書く為に 事務所に入る靴は脱ぎっ放ぱなしである 黙って靴を並べた 長年勤めている 事務員が言った「 内のドライバーに靴を並べさすのは無理!」 経験が有る様だ 『 彼女の家に行った時 慣れた仕草で 靴を並べている所を 母親かおばあちゃんが見たらいざ 結婚と成って 父親が反対しても 母親やおばあちゃんが 味方になるよ会社で 練習しておいたら 』 そんな事を機会が有る度に 短く話した 2年が過ぎた頃 靴が並び出した 仲間の靴も並べていた色んな場面で マナーとか品の様なものが 出始めただが 景気は底に向かっていた これ以上運賃が下がると 品が保てないそれが19年生きて来た 会社閉鎖決定の要因の 一つである 喜文治 畑違いのものが、いきなりパラシュートで、降り立った。年は若いが、皆ベテランのドライバー達である。自分達の、新しい頭だとは、最初から認める訳が無い。そんなある日、遅れて帰ってきたドライバーが、余所のドライバーから、嫌がらせを受けた。と、訴えてた。明日も続く様だと、車をぶつけるか?鉄パイプで殴り合いになると、付け加えた。僕は、創業当初から取締役をやり、毎日の配車をやってくれている彼に、直ぐに相手方に同行し、事情を話しトラブルを解決してきて欲しいと、頼んだ。そこにいた者達が、一斉に耳をそばだてていた。彼の目は点に成っていた。そのドライバーを呼んで、僕が同行する事にした。相手方は、本人が帰宅した為、明朝確認し、善処する事を、約束してくれた。 軽四トラックにぶつかった。事故の無線が入った。相手の怪我の状態?ドライバーの状態?車の状態?警察への連絡?等等実に、速やかな処理で、舌を巻いた。慣れているのである。流石ベテラン事務員。夕方、お菓子箱を持って、ドライバーと僕が同行して、殆ど僕が詫びる。実は、翌日からそのお宅の、盛り土をさせて頂く家であった。怪我もないし、車も大した事は無いので、明日からの盛り土は宜しく頼むとの事だった。勿論、車の修理代等は、会社全額負担。本人には小言一つも言わない。懸命にやっていてのトラブルは、不可抗力と受け止めて来た、そこの歴史があった。 この降って湧いた様な頭は、何かが有ると必ず同行して、頭を下げてくれる。そんな事が、靴を並べてくれたり、急な残業にも、応じてくれる様に成ったのかなぁ~。と思った。自分に何かが有ったら、誰がどの様に、治めてくれるのか?を、観ているんでしょうね?長くなり成した。ご免なさい。です。
2007年08月13日
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直 向 引 力 ( ひたむき いんりょく ) 情報過多。情報の消化不良。情報錯綜。物事を始めようとすると、色んな情報が集められるし、入って来る時代である。確かに便利で良い面が強調されるが、果たしてそうだろうか?意外と使いこなせる情報は、少ないし、肝心な所に触れられていない事も多い。勿論、情報を集める側の能力にも、充分責任はある。色々調べて見たが、準備に時間も掛かるし、様々な問題も孕んでいそうだ。だから、今回は見合わせよう。例えば、今、正に熱戦が、繰り広げられている、甲子園。これをインターネット等で、情報を集め分析をして見ると、どうも我が校の勝利の可能性は低い。従って、今回の出場は、経費の無駄になるから、辞退しよう。と言っている様なものである。難しい学問も、データーも、実は過去の結果である。未来を決定付けるものではない。炎天下で、ボールを追い掛けた事のない者でも、情報だとかデーターになると口を挟む。やって見ないと分からない!と言う者よりも、声高に意見を言う。こんな輩が、色んな場面で口を挟む事が、多くなった。情報と言うお化けの、副作用である。何処をどう考えても、勝てる筈のないチームが、強豪と競り勝った例は、幾らでもある。結果が予測と違えば、それはね。こうこうこうだから、勝ったんだよ。と、したり顔で喋る。実に、見っとむない事であり。恥ずかしい事であるが、反って怯まない。自分達の野球をやるんだ。幾ら強豪でも同じ高校生だ。自分達の練習の成果を出せれば良い。40度を超えるグランドで、白球を追いかける懸命のプレーが、今日も続けられ、勝敗が決まる。勿論、自分の郷土の学校を応援する。勝って欲しい。せめて、いい試合をして欲しい。一つひとつのプレーに、一喜一憂して、引き込まれて行く。勝敗を超えた、選手達の直向さに、惜しみない声援を贈る。そして、自分に置き換え、あの直向さの、行方を捜してみる。 所で爺様の直向さは、何処に行っちまたんだぁ~?「 また、お前か? 」もう使い果たして、枯れちまったかぁ~?「・・・・・・・・・・・・・」どうなんだぁ?「 感謝をするって事に、今は、直向に成ろうとしているのかな? 」おっ?答えたっ?真ともじゃん?でも、ちぃ~と気障(きざ)じゃん?「 もう帰ってくれっ~。」・・・・・・・・・・・・・・・・。
2007年08月12日
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資格を 取った だけじゃ プロじゃ ないよ資格を 取ったら その仕事を 本格的に学んで 良いよって 言う 事なの それから 3年・5年・10年と色んな 失敗から 学んで周りが やっと プロって 認めるの 所が その上が あるの今度は プロとして 学んで 来た 事を一度 振り 払わなきゃ いけないの 学ぶって 縛られる 事なのプロって 縛られている 事なのその 呪縛を 払い 除けたら達人に なるの 喜文治 プロって大変だよね。先人達が築いた技術や知識を、深く深く学び、身に着ける事なんだけど、所詮は、先人達は超えられないの。何故ならば、先人達は暗中模索の中から、築き上げたものなの。それを学ぶ者達には、暗中模索がないの。だから、浅いし、脆いし、危なっかしいの。伝統があり、掟があり、流儀があるから、護りに入るの。学べば学ぶ程、縛られて行くの。雁字搦(がんじがら)めで、余裕も、個性も、応用もないの。そして、一人前の顔をして、現場に臨むと、素人に振り回されるの。そこで、学んで来た事と、現場との矛盾に苦しむの。自分は向いてないんじゃないか?一体何を学んできたんだろう?と、悩むの。この悩む時間こそが、本当の学びなの。そこで、二つに分かれるの。自分は勉強して来たプロで、あんな素人達に、好き勝手な事を言われ、許せない。と、素人を無視するタイプと、言われてみれば、一理あるよね?どう言う事なんだろう?調べてみなきゃね。と、素人を受入れようとするタイプに、分かれるの。学んだ学問は学問として、現場で起きている問題を、自分の課題として、取り組む人が、やがて、達人に成って行くの。先人達を基本にし、現状と取り組んだ時、先人達を超えたの。だから達人なの。 所で、遠慮なく長生きして来た爺様は、何の達人に成れたの?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。それだけ人間やって来て、何かあるでしょう?「言いたくない。」おやおや、謙虚だね?「暗中模索の中で、五里霧中に成ったのじゃ。」って事は?「そうじゃ、来世に、掛けたのじゃ。」えっ?って事は?今世は、もう諦めたって、事?「お前は何で、いつもいつも、念を押すんじゃ?」いつも、まさかって思える様な、信じ難い答えだから、ついつい。「ワシの事は、そっと、しといてくれって、いつも、言ってるじゃろう。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 泣く事ないだろう?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2007年08月11日
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微笑んで いない のはあやして 欲しいと甘えて いるの 仏頂面は気を 使って 欲しいと甘えて いるの 遠くを 見ている のは構って 欲しいと甘えて いるの みんな 実は 甘えん坊 なの 喜文治 子供から大人になって行くって、今まで持っていたものを手放して、新たに何かと持ち替えるのではないの。今までのものの上に、徐々に大人らしいものを重ねて行くの。だから、上辺の大人っぽいものを、払って見ると、そこに子供の自分がいるの。普段は、その子供に、もう大人なんだから、駄目駄目って、いつも言い聞かせて、大人を装っているの。しかし、孤独を感じた時、寂しさに襲われた時、自然の中に溶け込んだ時等、その子供が顔を出すの。めそめそと泣いたり、無邪気に笑ったり、向きになって怒ったり、べたべた甘えたり、肩書きとか、立場とか、年齢と言う、鎧を脱ぎ捨てて、子供の心に返る事で、素の自分と再会し、落ち着くの。大人って、無理して演じてる所があるから、そんな時間って、必要なの。それが家庭であったり、恋人との時間であったり、独りだけであったり、其々違うけど、これからも、大人を演じ続けて行くには、そんな時間って必要なの。恥ずかしい事じゃないの。社会と言う舞台で、大人の役を演じて行くって、大変なんだもん。 爺様もそんな楽屋を持っているの?・・・・・・・・・・・・・・。「 あのね。それって厭味?」そうじゃないけど?「 見たって分かるでしょう?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・?「 この爺様には、出演できる舞台が、もう無いの。」御免。寂しくさせちゃって?「 いいから。そっと しといてっ!」・・・・・・・・・・・・・・・・・・? (お断り。小冊、『 自分のあやし方 2 』を、殆ど離れて行っています。)
2007年08月10日
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浄 土 受 験 ( じょうど じゅけん ) 私達は 皆 受験生 なのかも 知れない 亡くなれば 誰でも 自動的に お浄土に 行ける 訳では ない この世での 日頃の 行ないや 言い方や 心の 有り方で行き先が 決まる 学校の 試験と 違うのは 一夜漬けでは 誤魔化せ そうもない決まった 一斉の 試験日が 有る 訳でもない試験の 範囲も 示されて いないあくまでも 内申書 だけである 試験官は 余にも 有名な 閻魔様で あるその 閻魔様の 元に どんな メールが 届けられて いるか本人には 分からない 悪口かも しれないし 感謝の 言葉かも しれない私達は 皆 お浄土への 受験生 なのかも 知れないちぃ~とは 受験勉強を 真剣に 取り組まなければ 成らないのかも しれない そう言う 爺様は 勿論 コツコツと やって来て いるんだろうね?・・・・・・・・・・・・・・・・。何で こんな所で 黙秘権を 使うんだぁ?・・・・・・・・・・・・・・・・。「 受験資格が 無いそうだ。 」・・・・・・・・・・・・・・。そこまで やっちまったか?「 その代わり 推薦はされる そうだ。 」爺様が 推薦で 行ける?えっ。嘘っ? 「 皆様が 絶対に 行きたくない 例の場所への 推薦だそうだ。 」あの 蜘蛛の 糸が 降りて 来るって 所か?「 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。そうだ。 」お気の毒だねぇ~。
2007年08月09日
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感謝だよ人生は 感謝だよ今の 境遇の 中に 感謝の 種を 見付けるんだよ一つ 見付かると 次から 次へと どんどん 見付けられるよ見付けたら 大事にしながら 育てるんだよ育てて 終っちゃ 駄目だよ育てたら 独り占め しちゃ 駄目だよ周りに お裾分け するんだよ お礼とか お返しは 当てにしちゃ 駄目だよ自分に 余裕等 全然 無くっても 笑顔や 挨拶と 言う 感謝を お裾分け するんだよその 一切を 神仏は いつも観て いるんだよやがて色んな 所から 感謝が 還って 来るよ感謝の 環が 完成する んだよその 現状の 中で 感謝を する事が自分の 魂を 磨く 事 なんだよ 喜文治 今日、何食べようか?これから、何処へ行く?ねぇねぇ、今度の休み、何しようか?なんか、最近、仕事が忙しくって、やんなちゃうよ?子供がさぁ、学校で、色々あってさぁ?炊飯器・冷蔵庫・洗濯機が普及し、昔と比べ、さぞかし余裕が出来たのか言えば、そうでもない。相変わらず、忙しい。大人だけではない。子供達もかなり忙しくしている。手で米をとぎ、水で冷やし、手で洗っていた時よりも、余裕が無い。 この日常的意識を、「生活の意識」と仮に呼ぶ。一方、何故生きる?何をしに、産まれて来た?どう生きる?を、仮に「由来の意識」と呼ぶ。普段は「生活の意識」が、頭も心も埋め尽くし、「由来の意識」等入り込む余地が無い。しかし、一度、人生に関わる様な、重大事件や事故に、出会うと「生活の意識」は狂う。何で私なの?何ゆえ、俺なんだ?どうなっているんだ?僕の人生は?と、一気に、「由来の意識」の世界に入らざるを得ない。暫くして、落ち着くと、今までの「生活の意識」が、何も考えず、流されていた事に気が付く。浮き草が、大きな潮に、流され、ただ浮いていた事に、気が付く。自分の意志等、いらなかった。否、むしろ邪魔でさえあった。浮かんでいる事だけを、考えていれば良かった。潮に身を任せておけば、皆と同じ様な、幸せらしきものに、あり着けた。 「生活の意識」は「由来の意識」と言う、根っ子を持っていなければ成らない。「由来の意識」と言う根っ子から「生活の意識」と言う葉や花や実が育っている。「由来の意識」。自分の生い立ち。両親。両祖父母。そしてご先祖。が、其々が様々な苦労をしながら、繋いで来て、そして今、自分が預かったバトン。 何故、この国に?何故、この時代に?何故、この家に?自分が産まれて来たのか?どう護り、どう渡すか?近付く旧盆のひと時に、考えてみても、良いのではないでしょうか? 何をする為に、貴方はこの世に、今、産まれて来ているのでしょうか?何故生きる?どう生きる?一等大切な事だと思います。
2007年08月08日
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辛い 事が あった 苦しい 事が あった 悲しい 事が あった 涙が 止まら ない泣いて 良いんだよ 泣きたい だけ 泣いて 良いんだよ泣くって もう 終ったって 事なの泣くって もう 済んだって 事なの泣くって もう 過ぎたって 事なの 『 でも 泣いても 泣いても 涙が出るよ 』 それはね 幾重にも 成っていたって 事なの一枚 一枚 洗い 落として いるんだよその 涙の 分だけ 学んだって 事なのだから 泣きたい だけ 泣いて 良いんだよ 喜文治 泣くって良くない、イメージがありますが、我慢せずに、泣けば良いの。ただ、場所や、相手を、選ばないと、いけないけど、泣きたい時に、我慢していても、身体に良くないよ。泣くって、それだけ頑張って来たって、言う事なの。泣くって、それだけ一生懸命だったって、言う事なの。泣くって、諦めたから、もう良いよって、言う事なの。それだけ、頑張って、懸命に、時間も、費用も、労力も、打ち込んで、来たんだから、必ず、何かを、しっかりと、学んでいるの。直ぐには、分かんないよ。でも、次のステージに上がって見ると、徐々に分かって来るの。ああ、あそこで、あの学びがあったから、今こうして居れるんだ。って、分かるの。その瞬間。あんだけ憎らしい筈の奴が、許せるの。認められるの。感謝できるの。ほらね!また、成長出来たね。
2007年08月07日
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人間ってさ 実は いい加減 なのね 自分の 形は 四角だと 思って いても丸も 三角も 台形も いるし 菱形や 楕円も いるの見ている 間に 形を 変えて 行く 者さえ いるもん色々 混ざって いるのが 娑婆なの そんなのは 厭だと 四角だけ 集めても互いが その角で 怪我を するの更に その四角も 条件次第で また 変化して 行くんだもん周りに 聞いたら 誰も アンタを 四角だとは思って いないかも しれないよ 自分の 形を 思い 込まない 方が 良いよ自分が 変化する 事を 恐れちゃ 駄目だよ変化は 進化だと 言って おれば 良いの 喜文治 物事を考える上で、条件を固定させて考えないと、考えが纏まらないけど、鉄筋コンクリートの建物も、法律も、自然も、人の気持ちも、変化していない物はないの。毎日、刻一刻と変化して行っているの。強靭と思われていた橋は崩れるし、法律の解釈も変って行くの。ましてや、自然や人の気持ちが、変化して行かないと、思う方が可笑しいの。他人だけじゃないよ。自分もどんどん変化して行っているの。認めるか?認めないか?気付くか?気付かないか?に、関わらず、変化して行っているの。誰も止められないの。この娑婆も、色んな人がいて、互いに反発し、同調しながら、全てが変化して行っているの。他人を固定しちゃ駄目だし、自分も固定しちゃ駄目なの。どんどん変って行くし、変って行かなければいけないの。但し、悪く変って行っちゃ駄目だから、大まかな方向だけでも、決めて置いた方が良いね。大まかで良いの?大まかで良いの。細かく決めると、それが固定化するから、大まかで、「すいません」「すいません」って、謝りながら、生きて行けばいいの。だから爺様は、「すいません」が、板に付いているんだね?それって、ずるくない?「はい」。「すいません」
2007年08月06日
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人は 二回 誕生する と言う 一回 目は母から 動物として 生まれた 日それは 自分の 喜びの 始まり 二回 目は感謝に 気付き自分を 見詰め 出した 日それは 他人の 為に 生きる 喜び その 日から 人生と 言う 喜文治 人生は、映画で言うと、二本立てなんです。高学歴・大企業・高収入・良縁・出世・名誉等と言った。自己を中心とした、唯物(形の有るもの)と言う一本目の映画。それだけで、この世と言う、映画館を出ても、構わないし、殆どの人がそこで終る。しかし、この世と言う映画館では、もう一本上映しているのだ。それは、唯心(心や精神が現象の本質である)と言う映画である。この二本が、同時上映されており、両方を見るのが、良いのだが、二本目はあまり見ていない。勿論、どちらが良いとか、優劣を着けるものでもない。この世を離れる時は、例外なく、全てを置き去りにして、裸で旅立つのだから、人生は物の争奪戦ではない。僅かな知恵や、微力な能力で、人様を助け、喜ばせ、どれだけの感謝を集め、自分が生かされいる、感謝にどのくらい気付き、それを周りに、どうお裾分けしたか?で、人生の味わいが決まる。愛や感動や感謝や努力や協力の心のキャッチボールをどれだけしたか?で、人生の深みが決まる。折角だから、上映されている二本とも、味わってから逝きたいものである。
2007年08月05日
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都 合 審 判 ( つごう しんぱん ) 物事の 善し 悪しを 自分の 勝手な 都合で判断 して いませんか 例え 都合が 悪くとも 相手の 事が 嫌いでも正しい ものは 正しい のですから潔く やりましょう やって 見れば 意外な 事が 発見 出来たり新しい 出会いが 有りますよ 喜文治 来週の○曜日、時間空いてる?ええ。空いてますけど?じゃ、○○で○○があるんで、頼めるかな?いいすっよ!確かに、そう言われた時は、空いていました。が、他からも、別の事で、誘われてしまった。結局、先客は、夕べから少し熱が出たと言う事で、キャンセル。優先順位?って後先の事だけど、気持ちの、優先順位ってのも、あるの。従って、早いか遅いかではなくって、気が進むか?進まないかなの。積極的に参加。期待しながら参加。誘われたから参加。死ぬ程暇だったから参加。参加にも、色んなレベルがあるの。日頃の関係で、優先順位が、微妙に変わるの。でもね。期待もせず出掛けたら、思いがけない人と出会い、恋に発展するかもしれないの?期待していなかったから、そんな出逢いがなくとも、元々なの。空想・妄想を、勝手に期待に変換し、そこそこ楽しかったのに、ガッカリする場合があるの。勿論、プライベートだから、勝手な都合で、決めて良いんだけれど、色んなものに、参加をして、見聞を広げる努力を、して行かないと、どんどん狭くなって、息苦しくなるよ。食わず嫌いや、思い込みや、決め付けで、生きて行くと、どんどん、心が、老けちゃうよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。「そう言う、爺様はどうなんだぁ?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・僕は?僕は?僕はもう既に、心身ともに、老けちゃっていますよ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。「見りゃぁ、分かるよ。」じゃ、聞くな!「自分の事をどう思っているのかなぁ?って思ってさ。」「分かってるじゃん?」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。もう帰って良いか?「ずっ~と。良いよ。」・・・・・・・・・・・・。
2007年08月04日
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思 出 化 粧 ( おもいで けしょう ) 懸命に 生きて いても 上手く 行かなかったり誤解 されたり 辛い事が 沢山ある それは 懸命に 生きるからでいい加減だと 辛さも 軽い しかし 辛さも 悲しみも やがて 懐かしさにゆっくり 化粧を して 行きます 喜文治 人生って、思い出作り、なんだよね。喜んだり、悲しんだり、怒ったり、笑ったり、苦しんだり、感激したり、一生懸命。思い出を作って、いるんだよね。出会ったり、別れたり、泣いたり、喜んだり、忙しいの。感動する事で、自分の魂を、磨いて行くの。100%嬉しい事は無いの。100%辛い事も無いの。必ず、嬉しい事にも、否な事が混ざっているし、必ず、辛い事にも、楽しい事って、混ざっているの。時間の経過と共に、辛い事、悲しい事、苦しい事は、徐々に薄められて行き、やがて、懐かしさに、化粧をして行くの。その間、人は学んでいるの。生まれて来た時よりも、少しでもマシな魂に、する為に。 所で、爺様は遠慮なく、長生きをして来たから、かなり学んだんだろうな?・・・・・・・・・・・・・・・・何で答えられないんだぁ?・・・・・・・・・・・・・・・・今からですぅ。馬鹿言ってんじゃないよ!その角まで、お迎えが来ていると言うのに、今からですっ?これからですぅ。あ・の・ね。じゃ、お迎えのバスの中で、やってなっ!お言葉に、甘えさせて、頂きます。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
2007年08月03日
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平 凡 非 凡 ( へいぼん ひぼん ) 偉大な 事が 成された皆が 賞賛し 後に 続こうと したが誰も 成し 得な かった 何故 偉大な 事が 成しえた のか誰でもが 出来る 事を 飽きずに やり続けある時 偉大な 結果に 繋がったもう 誰も 追い 付けない まで遠く 離されて いた 喜文治 1・2度しかお邪魔していないお店で、名前で呼ばれて、驚いた事がお有りだと思う。 あるホテルで、フロア係りの方が、定年を迎えた。しかし、ホテル側は、引き続き、勤めてくれる様、頼み込んだ。と聞いた。何故?それは、宿泊されたお客様の、お顔とお名前を、記憶されていたそうである。顔と名前は、確かに、誰でも覚えられる。が、宿泊されたお客様、全てとなると話は違う。もし、お名前を間違うと、反って逆効果である。かなりの確信がないと呼べない。これがお持て成しである。どのホテルに宿泊するか?を、決めるのに様々な諸条件があるが、コンシェルジュで、決めるお客様が、多いと聞いた。お客様のよろず相談を、引き受け快適な旅を提供するコンシェルジュ。よろず相談だから、何が飛び出してくるか、予測が付かない。叶えられる事も有るだろうが、八方手を尽くしても、叶わない事もあるだろう。例え叶わなくとも、お客様は、その努力に納得され、リピートされるそうだ。有名なものに、心を奪われがちだが、有名に成るには、それだけの努力と年月が、費やされているのだろう。好きだから続けられた。その事に楽しみを見出せたから続いた。今一度、自分の仕事(役割)を、見詰め直してみたい。本当に詰らなくて、くだらない事なのかどうか?楽しくない。向いていない。あっちの方が良い。と、ほざいてる暇があるならば、どうしたら楽しく出来るのか?再考してみたいものである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・否に、今日は真面目じゃん?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・尊敬していた偉人が、昨日お亡くなりになられた。ご冥福を心よりお祈りしたい。
2007年08月02日
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物事を 自分の 事と して受け 止められる のか ? 他人 事と して受け 流す のか ?結果が 全く 違って くる 人生の プレーヤー なのか ?人生の 評論家 なのか ?良く 考えて 見た方が 良いよ 他人の 人生を 評論して いても自分の 修行には ならない もんね下手でも 良いから プレー しようよ 喜文治 多いよねぇ!評論家気取りの人が。他の人の人生から、学ぶのだったら、大いに結構だが、聞いた。見た。だけで、評論を始め、自分こそが分かっている。と、言いたげな人が、多いよねぇ。プレーヤーは、言い訳しない。結果が全てである。負け様が勝とうが、黙々と練習を続けている。人生のプレーヤーとは、自分の人生を黙々と、懸命に生きる事、なんだろうね。微力な自分を、どう人様に役立たせ、喜んで貰えるか?懸命に生きるって、事なんだろうね?聞かれてもいないのに、それを傍から評論する人がいる。人を評論することによって、自分を喜ばせたいのだろうか?喜ばせ無きゃいけないのは、人様だよね。人様が喜んでくれて、自分の生きる甲斐が、見出されるんだよね。正しい理屈ばっかり振り回して、気が付くと周りには誰も居なくなった。・・・・・・・・・・・・・・・・・この爺様の事か?否、アンタの理屈は、我儘な理屈だったから違うよ。もっと悪いんか?少しは学習したんだね。かなり手遅れだけど。くしゅん。
2007年08月01日
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