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2018年10月06日
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お釈迦様は  貧しい人々  苦しんでいる  人達を

何とか  楽にして  上げたくて

少しでも  救って  上げたくて

ご自身が  悟った  法を  説かれたのでは  ないだろうか

ゆえに

苦行難行は  するな  悟る  事には  ならない

偶像や  仏画等  拝むな  意味の無い  事だから

死後の  世界は  語るな  誰でも  如何様にでも  言えるから

お釈迦様は  思想家であり  哲学者であり  

決して

教祖様では  なかった  のでは  ないだろうか

如何にして  どう考えたら  どう思ったら

苦しみを  和らげ  離れ  逃れて  生きて  行けるかを

説かれたのでは  ないだろうか

でも  その後  様々な  変遷を経て  仏教として  確立し

寺を建て  仏を  拝み  死後の  世界を  語る

難行苦行も  一部で  尊われている

数万人と  思われる  僧侶は  今も  居るが

悟った人に  出会った  事も  話を  聞いた  事も無い

2千年以上  引き継がれて  来ていると  言うのに

相変わらず  生きるとは  苦しい事の  様だぁ



人間塾 喜文治

寺に行けば、心が静まり、謙虚な気になるのも事実、それは勘違いなのかなぁ~?
観光仏教・葬式仏教と言ってはみても、必要なんでしょうねぇ~?
人は迷い!人は弱い者!ただただ、何かにすがりたい時もあるよねぇ~?











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最終更新日  2018年10月06日 04時08分10秒
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