きまぐれの音

きまぐれの音

万年筆

万年筆


万年筆を初めて手にしたのは、中学1年のとき。

それは親や親戚から入学記念で貰うそれではなかった。

「学研中1時代」。この新規購読者プレゼントである。

キャップはアルマイト製。安っぽさがまるで洗面器である。
それでも初めて使う万年筆は楽しかった。書き損じが出来ない
緊張感からか、いくぶん字がうまくなったような感覚に襲われる。
大学ノートの表紙に自分の名前を書いたり、日記を書いてみた。

ま、それも短時間で飽きた。その後はおきまりの「竹」である。
指をインクで汚しながら毎日竹を描く。かなり上達した。

竹に飽きた頃、万年筆と決別した。

それから時が流れてバブルの頃、中堅社員になっていた自分は
かなり忙しい毎日を送っていた。

そんな自分が一息つけるのが昼食後にぶらりと覗く社内のミニショップ。
ここの一角には、出入りの業者が交代で印鑑、洋服、それに健康食品を
売りに来ていた。値引きもいいし、支払いは分割やボーナス払いが
あたりまえのせいもあり、入社以来、自分のスーツやら電気製品は全てと
言えるほど、ここで買っていたのだ。

ここに或る時から万年筆屋が出店ローテーションに加わったのが
イケなかった。

モンブラン、ペリカン、ウォーターマン、ダンヒル、カルチェ、
カランダッシュ、アウロラ、デルタ・・・。

”限定品”の言葉に弱い自分でもあり、また万年筆屋の人柄の良さと
その蘊蓄の凄さにも酔って買いまくった。

職人の手作りによる工芸品。華麗な小宇宙。用の美・・・。
夜な夜な手に取ってみるとその愛おしさに、いっときの間ではあるが疲れや
ストレスが軽くなる思いだった。

そしてバブル崩壊。仕事は忙しいままだが、何か違う。
バブルの頃は忙しさと一仕事終わったときの達成感の喜びが両方あったが
それが片方しかない。

終わりがみえない日々が毎日過ぎて行くだけ。そんな状態でもたまに手に
取ってみる万年筆は変わらずキラめいていて癒してくれた。

その後仕事を変わり、日常が楽しくなって来た。

あれだけ情熱を注ぎ収集した万年筆だが、苦しかった日々の思い出も
残っている。でもそれは今の自分にはいらない。

それで昨年から、どんどん処分してしまっている。幸いに、どれも大事に
してくれる人に渡っているのが嬉しい。


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: