気まぐれ屋。
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風は強めだが、夏っぽい青空。ものすごく久しぶりに、解放感に浸る日曜日。様々な不満や苦しみを抱き【耐える】時間があともう少し長ければ、【自由】って言葉の意味を、もう忘れてしまうとこだった。姑を我が家に迎えて、あっという間の7年。他人同士の私達が紙切れ上の家族となり、同じ屋根の下暮らし始め互いにカッコつけてられたのはおそらく、最初の一年ぽっち。そこを越えてからは徐々に、どちらからともなく鍍金は剥げ、本性が見え始め・・・これから本当の家族になれると、ちょっとだけ期待したのも束の間。私に対するベルリンの壁か万里の長城かわからないが彼女の心に築かれた鉄壁は、私をどんどん【他人】と見做し厚く強くなるばかりで、結局その関係はみるみる冷たく、こじれにこじれ・・・・・・決定的にヒビが入った、というか、私から距離を置きたいと思うに至ったのが去年の2か月間の完全介護、になるわけで。期間限定ではあるが寝たきり状態だった姑の、介護前から感じていた不満怒り不信感が、積もりに積もって相当なストレスになり。私の婦人病の悪化や投薬治療の副作用の辛さも相俟って、姑という鉛の重しが身体じゅうに食い込む勢いで、もうどうにもこうにも生きづらくなっていた。だから同居当初のように、彼女の天然ボケや下町コント風言動にさえも全く笑えず、【その場しのぎの笑顔】で流すことさえ、苦痛になってた。だから最近はほとんど滅多な事以外、自分から話しかけない無愛想な嫁に徹して。そんな中、彼女が急に壊れ始め・・・・・・今は薬の効果かマシになってはいるが。根っこの部分は変わらない。薬や治療じゃ手におえない姑自身の甘ったれた依存体質の怠惰なキャラクターが、どうしても許せず。ついにダンナと義弟と彼女本人を前にして、この7年に及ぶ怒り哀しみを荒れ狂いながらぶちまけ、そこまで醜態を晒しようやく、【私の想い】のひとつが叶う日まで辿り着く。昨日の朝。姑はダンナとケアマネさんが選んだ介護施設に、ショートステイでお世話になるため、家を出て行った。期間はわずか1週間。それでも姑の仏頂面を見ずに済むし、嫁としての義務(食事洗濯掃除ほか家での世話全般)も、持病で傷んだ体で頑張らなくていい。本当の意味での安堵の時間が、初めてこの手にできたのだ。実の息子であるダンナもさすがに最近は、母親のとんでもない自己中な言動やわがままに、心身疲れきっていた。だからダンナの方が実は、彼女を見送った後、私以上にホッとした表情だった、っていうのは、ここだけの話。私はあれだけ待ち望んだ姑の長期外泊なのに、そこまでの爽快感はまだなく。居ると息苦しさしか感じなかったのに、この家に小さな穴というか物足りなさのようなモノを感じなんだかんだあっても、時に憎んでも、7年も家族を続けてると、相手がどんな親でも、私の中に情が芽生えてしまってるんだ、と気づいてしまった自分が、なんか悔しい。*************彼女の居なくなった午後。癒しを求め、久々の八幡様に参り、そのまま神社仏閣を巡りつつ、我が聖域の寺の外廊下に座り、しばしふたり、無言で空を眺める。BGMは蝉しぐれ。青々とした空と映える白雲。緑に輝く楓と枝を走るリス。それ以外に、何もない。頭をからっぽにして、無になるつもりが、時々お義母さんの顔がちらついて参った。間もなく私とダンナの自由時間の二日目が終わる。姑は今、何を想い、この一週間を暮らしているのだろう?見知らぬ町の、見知らぬ施設で、全く縁もない初対面の人々に囲まれ、団体生活を送る・・・彼女にとって、これ程苦痛で、苦手な事はない。私や息子が与えたこの難題を、どう捉え、何を得て、帰ってくるのだろう?何を期待しても、ほんとに呆れるくらい全く懲りない人だから、この課題も特別な意味を持たないのかもしれない。彼女にとっては。それでも、【何か】に気づいてほしい。学んでほしい。自分がこれまでの人生、いかに周りの人に支えられ助けられ生きてきたのだと。私は私で、この休み期間中、しがらみが取れたことで冷静になり彼女との同居を決めたのは、間違いじゃなかったと、少しでも思えるように・・・★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「秋の虫が鳴き出した。猛暑異常気象とか騒いでても、年々夏が短くなってる気がする。」
2015.08.23
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