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“美爆音“に近隣から苦情。『春の選抜高校野球大会』の出場校、千葉の習志野高校の応援は、「高校野球界トップレベル」らしい。その吹奏楽部の迫力ある応援演奏は、“美爆音“と呼ばれ地元だけでなく甲子園ファンにもお馴染みとのこと。クドいようだが、サッカー馬鹿なので、甲子園も自分の故郷や神奈川が出てれば、サラッとチェックする程度で、ほとんど知らない。だから、ニュースで“美爆音“をちらっと聴いたくらいで語るなって言われそうだが、語っちゃう。 どんなに素晴らしくても、主役を引き立てるポジションでないと、応援の意味がない気がする。例えば、サッカーの場合。中東のホームゲームだと、向こうのお祈りの歌や楽器の音が延々とスタジアムじゅう大音量で回るんだわ。それを聴いて、向こうの選手たちはモチベーション上がるんだろうか? それよりプレッシャー感じそうだが。同じく、フィギアスケートで音楽に合わせ観客が手拍子をして盛り上げようとするが、選手のステップや音楽と明らかにズレてて、選手に影響しないか心配になる。 それと同じで、例の“美爆音“とやらも、周りや選手(特に対戦相手)にどう届いているか? それを想像したら、皆が皆、好い顔をするとは言い切れないだろう。もしかしたら演奏が耳に馴染んでる人以外には、不快に感じる場合もあるかも?確かに、あんなに大勢で一糸乱れぬ動きで演奏する姿は素晴らしい。けれど、それを目当てに来るファンもいるらしく、スマホを向けて撮るのに必死で、試合を観てない人が結構いて驚いた。何をどう楽しむのもそれぞれの勝手。だけど、甲子園での一番の“主役”はやはり試合に全力で臨む球児達であり、アルプススタンドの観客ではないハズ。いやモチロン、応援する生徒側も自分達の心構えとして“主役”のつもりで構わない。それでも、何と言うか・・・“サポートする側”は主役より目立つべきではない。これは、私が編集者やライターという仕事を通して自分に常々言い聞かせていたこと。取材相手の一番好い状態を演出したり話しやすく手助けするのが私。だから、黒子に徹して働いた。ま、これは超個人的な意見なので、受け流してもらっていい。 それにしても“美爆音“・・・。どうなのかな、この呼び名(苦笑)。まぁ、彼等の奏でるオリジナルの一曲は、習志野の誰もが知ってるメジャーな楽曲らしいから、大音量で演奏すればそりゃ、テンション上がるんだろうね。現地で観る側もTVで応援する側も“習志野市民“にとっては。 ******故郷を想い出してテンション上がる曲、私にもある。今の暮らしの中では、全く聴くことがないが、さっき「まさかな・・・」と思いつつユーチューブで検索したら、あった!あった!! ご丁寧に誰かがフルバージョン上げてくれてた♪そこのコメントにも書いてる人いたけど、「県民ならみんな知ってる」と言える。ものすごく久しぶりだっだが、懐かしかった―――!帰省した時、夕方これがTVから流れるだけで、私を一気に昔に引き戻してくれる。地元酒造会社提供の『天気予報』の枠なのだが。地元演歌歌手のおじさんの唄う酒造会社のイメージソングにのって天気予報が流れ、さらに地元在住の大物フォーク歌手が唄うオープニング曲とエンディング曲が・・・わずか5分程度の番組に、なんて贅沢な!それをどうやら今も使っているようで、だからこの両曲に反応するしないで、この県の人かそうでないかが判るのだ。これもまた、県により色んな楽曲があるだろう。ちなみに私は長男の嫁として日本海側の某県を度々訪れていたため、その地域でしか流れていない有名なCM曲を、すっかり唄えるようになった(苦笑)。そう言えば、今住んでる所でコレ知ってたら地元民・・・て言える曲・・・あったっけ?神奈川県民になって結構長いけど・・・思い出せないや。ベイスターズの歌??ダメでしょ、サッカー馬鹿なのに♪ありあけぇ~の~ハァ~アアバァ~♪ダメか・・・。もう、サザンでいいや。(←なげやり)★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「私の愉しみの場所が来月で閉店!!ショックで西野カナ並みに体、震えた。」
2019.03.31
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元号発表が迫る中、あちこちで見かけるのが『平成の顔』『平成の歌』をひとつ挙げるってやつ。CMで「(私の選ぶ顔は)□□です!」みたいに局アナがリレー式に話してるのを何度か観た。よく1人に絞れるなー、ってのが正直な感想。一般人ならともかく、マスコミの仕事を長年してたら一年間だけでも信じられない数の著名人に会うから、平成だけに限ったとしても、結構な数、印象に残る人がいると思う。私みたいなハシクレでも1人を挙げろと言われても、取材を通して出会った色んな人の顔が浮かんで、それぞれに想い入れがあるから、「この人!」って言いきれない。その時々、気分により、思い浮かぶ顔も違うし。音楽にしてもそう。この30、31年間の中で一曲を選べと言われても、ひとつになんか絶対絞れない。その年、その年の“自分の中でのヒット曲“があり、一曲ごとにもれなく想い出も付いてくる。特に『No music , no life.』な毎日を過ごしてきた私にとって、公私共に様々な音楽や歌との出合いがありすぎて、それを たったひとつ挙げろと言うのは酷である。実際は誰からも言われてないけど。TVであんな風に街角で、急にマイク向けられて「私の一曲は(または歌手は)△△です!」とポンと言えるとか、私には無理だ。あ、でも強いて挙げれば、やっぱPRINCEだよなぁ。2016年4月21日、突然この世から居なくなってしまったショックも含めて、彼は私の運命に相当な衝撃を与えた人。音楽の感性の扉を、ぱかっと開いてくれた人のひとりだから。******婦人病の特殊手術を受けてから、明日で3年。平成のある時期から患ったこの病とも、かなりの付き合いだ。その闘病の記憶のほとんどは、辛くて悲しくて怖くて情けないものだった。私の主治医として関わったのは、3人の先生。初めの個人病院の女医は、私の症状のすべてを見ておらず、一年以上は見落としたままだった。気づいた時には悪化してた。その後に私の希望で大きな病院に転院。若さ溢れる女医さんは、私の心もケアしてくれた。この先生のもと、一度目の開腹手術を受けた。けれど、複雑な症状を抱えているために、術後二年経たないうちに再発。再び投薬治療を何度も繰り返したものの、悪化する一方で・・・再び開腹手術&子宮全摘しかないと言われて、悩んだ挙句、慣れ親しんだ先生との長い長い付き合いを、私から終わらせた。他の総合病院の医師にも話を聞きつつ、すがるように辿り着いた先で、なんとか受けられた特殊手術。執刀医と初めて一対一で面談した時、彼は一時間を超える時間、私の不安と向き合ってくれた。彼の姿勢や言葉に、これまでの迷いが吹き飛んだ。医師で「私の命を預けたいのはこの人!」と思ったのは、彼が初めて。どの医師にも一度の手術では難しいと言われ、ダメモトで受けた結果。主治医も執刀医も驚くほど、術後の経過は良好。お蔭で今こうして私は、体調の急変に怯えることなく仕事やプライベートに好きなだけ打ち込めている。彼こそ、神の手。そう言ってもいいくらいの恩人。私にとっての平成の顔は、この時のT先生と言ってもいいかもしれない。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「美容室で見た女性誌の4月の私の運勢。キーワード:プロ意識。注意点:現実逃避。私の生活態度…見たんか?」
2019.03.29
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20代にしてなぜこの詞が書ける?様々な想い溢れ涙出ちゃう。桜の散り際に花びら浴びながら聴きたい。生きてるうちに誰しも、何度かは経験するだろう。”潮時“とか”引き際”とか・・・“これまでの自分”にピリオドを打つ“けじめ”の時を。大物歌手の『引退発表会見』を生放送で観た。13歳でデビューして以来、歌手活動が順調な中、大物演歌歌手と20代で結婚。それを機に引退。3人の子供を授かるも、離婚。20年ぶりに彼女が復帰したのは、「子供との生活のため」と言い切るくらい、覚悟を持っての復帰だった。だが、離婚の影響か、復帰当時から精神的に不安定だったのを何となく記憶している。更年期障害からのうつ状態や、婦人科系の闘病など彼女に降りかかる試練は、ワイドショーで目にする度、こちらの胸も締めつけられるような辛いものばかり。あの頃、“痛々しいまでの必死感”が個人的に観てて好きになれなかった。元気に振る舞おうともできない程の覇気のなさと無表情が怖かった。でも、そんな症状で頑張る母の背中を、息子達はちゃんと見ていた。今では、母と肩を並べる?くらい人気者のミュージシャンになった者も・・・。息子3人も自分の職を持ち、独り立ちをした。去年還暦を迎えた頃から、二度目の“引退”を考えていたと彼女は言う。子供との暮らしのために仕事に戻った目的を果たしたのだから、ちょうどいいタイミングなんだと思う。彼女の表情はあの復帰の頃のそれとは別人のように穏やかでふんわりと温かく、満たされていた。相変わらずろくな事を聞かない取材陣の似たような質問に、ひと言ひと言選ぶように丁寧に応え、時におどけ笑いに替え、本人は涙を何度か流してたけど、会場はずっと和やかな空気に包まれていて、結局ほとんどを観てしまった。彼女の関係者やTVコメンテーターは無責任に、「何度でも帰ってくればいい」と言う。でも私には彼女はもう、「これが本当に最後」と決めている顔に見えた。みんなにチヤホヤされ長くスポットライトを浴びてれば、一般人の日々の当たり前のこと等、全部つまらなく感じるだろう。でも彼女は20年間母親であり、娘に戻っていた期間がある。闘病や更年期の苦労も含め、“ひとりの人”として過ごした経験がある分、いわゆる『普通のおばさん』に戻るのも、自然にできる気がする。ファンや関係者には悪いが、年末の彼女の引退の日を迎えたら、その後はそっとしてあげてほしい。彼女の固い決意を尊重して、普通の人に戻してほしい。あの頃、共に輝いていた“花の○○トリオ”の仲間と、一般のおばちゃん達として、楽しい再会が叶うよう。ちなみに、【潮時】って言葉には、好機という意味も。ただ単に潮が引くだけではなく、満ちることも表わす。彼女のこれまでの歩んできた道を思えば、様々な経験をして、芸能生活も多くの活躍をして評価され充分に結果を残してきた、満ちた、と言える。だからこれからの人生は、彼女を支えてくれた高齢のお母さんと共に、ゆっくりと楽しい老後(まだ早いけど)を楽しんでほしい。本人は「紅白は家でのんびり観たい」と言ってた。その前までに引退すると。潔くてイイ。でも・・・最後の『越冬つばめ』も、ちょっと聴きたいかな。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「昨日商品券が要るのでM越Eに行ったら、扱ってないと言われた。今日になりダンナの親戚から返礼の商品券届いたスライド…させちゃおっかな」
2019.03.28
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桜の開花に合わせるかのように、東京五輪聖火リレーのトーチがお披露目。日本の桜がモチーフとなった今作は、上部を見ると美しい桜の花びらの形に。オリンピック&パラリンピック共に、ピンクを基調にして微妙に変化を加えているらしい。筋肉質なアスリートの熱き闘いに、日本のしなやかさと気品を添える好ましいデザインだと思う。最近のコレ系のデザインで一番納得できる気がする。それが東日本大震災の被災地仮設住宅の廃材から生まれたと聞けば、なおさら。******この時季、あちらこちらから卒業式の話題が・・・。その中で気になったニュースが、またひとつ。京都大学の卒業式に、62歳男性が経済学部代表として登壇。学位記を受け取った。その写真を見ても、学長も学生もほぼ同年代と思われる背格好で白髪のため、どっちがどっちな不思議な絵面に(苦笑)。彼は子供の進学に刺激され、銀行員生活の傍ら受験勉強を3年間続け、58歳で合格を果たしたと。 「この歳になっても、何かが解るということが楽しい」 その好奇心と学ぶ意欲により、4年間の学業が評価され、卒業式の学部代表に抜擢。なんと彼の挑戦はこれだけでは終わらず、来月から同大学の大学院生として、更に学問の道を究めることが決まっている。見習わなければ・・・と思った。こんなところでいつまでもゴロゴロ転がってる場合じゃない!とダラけ気味の自分に言い聞かせた。去年のブログ読んで呆れた。去年も今年と全く同じ時期に私、体調ものすっごく崩してる風邪か花粉症か見分けもつかないぐずぐずの日々を、この時季一週間くらい過ごす。お彼岸の墓参りに行くと必ず、後日ダウンするという・・・できれば恒例にしたくない症状が2年連続出てる今回はダンナがダウンして看病して完治したら、今度は私が倒れるというパターン。共にじゃなくて良かったけど、ダンナのようにあっという間に快復とはいかず、数日寝込んだ。やっと今日になり、ある程度ダルさが抜けた。まだ本調子じゃないので、ゴロゴロしてたいんだけど、眠りかけたら、副業の爽やかボスからメールが。明日までにひとつ“宿題”出され、寝ながらも延々それを考えていた。そして寝ながら(非道な!)答えを打ち込み、返す。寝ぼけてたわりに私らしく長々と生意気な言葉を添えて・・・。本業の方も今日のうちにやっておくべき事が細々あり。熱血ボスと連絡取り合ったりしたので、そうこうしてるうちに、さすがに冬眠から覚めた。ダラけてばかりいるんじゃない!と、みんなにお尻を叩かれたみたいだ。私はやっぱり、何もしないでいい暇な時間が長く続くと、良くないみたいだ。アラ還の男子学生のように、「この歳になっても、何か○○○ことが楽しい」と常に言える自分でありたい。このところダラダラ休みすぎたので、かえって体がツライ。働き者の亡き父も休日が続くと毎回言ってた。「体が鈍るから、仕事したい」と。今、それ、すごく解る。まずは肩慣らしにこれから、アイロンがけでもして少しずつ“私の日常”を取り戻さねば。そして今日、副業で寝ながら偉そうな意見をメールした“責任”を、仕事できちんと返せる人間にならねば。ぼんやりしている頭のまま、自分のハードルを上げてしまったので、大変なことになったが今後は今まで以上に“覚悟“して仕事と向き合わねば。でもそれくらい、厳しくしないと、また己に負けて風邪をひく。 ★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「レ○シック。術後の悪い話を多く聞くけど・・・安全って言えるの?」
2019.03.26
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ウン十年に渡りサッカー馬鹿なので、野球のことはほとんど分からないんだけど。昨日の深夜に飛び込んできた“イチロー(45)現役引退”のニュースに、私なりに思うことはあった。日本人選手にメジャーリーグの道を切り開いたのは、もっと前に先輩がいるから、彼だけの功績ではない。でも、日本でも米国でも変わらずに“尊敬”され続けたタレント性(本来の意味で)を持った日本人選手は、彼なんじゃないかと・・・昨日の球場の盛り上がりを観て、“外野”の私はそう感じた。日米通算28年目。50歳まで現役でいたいと公言していただけに、あと一歩のところでの引退は彼自身もファンもどんなに悔しいことか。これまで彼をサポートし続けた愛妻のおにぎりは、2800個。「3000個握らせてあげたかった」と妻を思い遣り目を潤ませる姿に、サッカー馬鹿もグッときた。野球に関係ないが、彼のもうひとつの支えとなっていた愛犬“一弓(いっきゅう)“。ファンでもないのに、その後が気になっていたが、なんと18歳近いおじいちゃんだけど、精一杯生きているとのこと! こんな風に様々な方面から、ひとりの野球人生は支えられてきたんだなぁ。「明日から元イチローになります」確か彼は若い頃はマスコミ嫌いで、元アナウンサーの奥さんに「マスコミとうまくやっていかないと、引退後に苦労する」とアドバイスを受け、少しずつ受け答えが変わっていったと聞いたことがある。↑のような軽い冗談が自然に出るくらいに彼は、あらゆる意味で充分に成熟したと言えるだろう。「多分明日もトレーニングしてますよ。」その言葉を聞いて、彼らしいなぁとつくづく。彼のファンでも野球ファンでもないのに、偉そうに(苦笑)。でも一弓のその後が気になるので、彼のこれからの新しい生活を遠巻きに見守りたい。******気づいたらこの3月(まさにこの時季)で、この町に住んで14年。長いような短いような・・・。在ったものが消え、新しいものが増えた周りを見れば、その店や建物の数だけ時の流れを感じる。私自身の身に起きた事を振り返ってみても、自分の予想を超える“大量の出来事“が起きた。今ちょうど、ブログの引っ越し中で、リアルな引っ越しと同じで、古いアルバム(=ブログ記事)をあれこれ見てしまい、いちいち郷愁に浸ってる。もうすっかり忘れていたが、この本館【きまぐれ屋。】を始めたのは、2003年の秋だった!(驚)ブログ自体、その前に開始したのでキャリア(なのか?)としては、結構な長さだ。ある程度のことは記憶してる私でも、さすがに日々のくだらない“自分語り“の逐一を覚えてるわけもなく・・・。読み返しても???なことが多い。ショックだったのは、当時から書いてる内容がほとんど変わりないってこと! これには呆れた。私って・・・まるで成長してない???(嘆)“自分のスタイルが確立できている“と言えば響きは好い。ただ、「しなやかに生きたい」と願ってるわりには、頭カタいんだなというショック。しかも最近どんどん長文になってるしオジサンやオバサンの話が無駄に長いのと同じか?ま、もう完全におばちゃんだから、認めるけど。過去の入った埃だらけの小箱の中身を覗いてみたら・・・玉手箱を開けるずっと前から自分は、“ワンパターンのおばちゃん”だった、というオチでも、読んでみるとその頃自分が“何を抱え”、“どう向き合おうと”していたかを思い出した。どんな辛い重い出来事でも、これくらい時間が経ってしまえば「がんばったなー、私」と思えることも。何事も続けることは大事だ。継続は力ってなわけで、イチロー選手のストイックさにあやかり、駄文でも日々の想いをココで吐き出し、私はこれからも、飽くことなく言葉を紡ぎ続けたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「夫婦で弱り中花粉症と思うけど風邪?喉痛治らないよ」
2019.03.22
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もうあの元気な姿を見ることができないのか・・・。五輪を語るうえで欠かせない、“オリンピックおじさん”。富山県出身の山田直稔さんということを知らなくても、どこかの五輪会場に映り込んでいる彼の姿は、記憶にあるだろう。そのオリンピックおじさんが、9日に亡くなった。92歳という高齢ではあったが、見た目も若々しくつい最近まで応援する姿が会場にあったように思う。モチロン、来年に迫った(早っ!)東京五輪を現地で応援する意気込みも語っていた。1964年の東京五輪以来、半世紀にわたり“金のシルクハットと羽織袴”で選手を会場で応援し続けたオリンピックおじさん。遠いどこかの土地で五輪が開催されても、いまいちピンとこない時に、現地中継の画面越しに彼の“いつもの姿”を観て、急に“実感”したもんだ。せめてあと一年・・・会場に行けないとしても日本の、東京開催を観ることができたら・・・どんなに心残りだったろうと思いもするが、これまでの人生を振り返ると、好きなことを最後まで遣り通して、人の記憶に残る記録を残しこの世を去れた、最高の人生だったに違いない。それにしても、あと一年・・・(拝)。「ロケンロール!」ヨボヨボになってもその出で立ちは変わらず。金髪姿にイカした杖をついた男は、世の中の“何か”に怒り立ち向かい、常に吠え続けていた。でもそれは、去年“ひとり娘も理解できないおかしな夫婦関係”を長年続けていた最愛の妻に逝かれ、一気に勢いを失う。彼があんな風にイキがっていられたのも、全部、あの寛大で菩薩様のような奥さんが居てこそ。それは奥さんがいなくなる前から想像できたけど、思った以上にダメージを受けてた。少し前に”おしどり夫婦”と呼ばれた(けど結構な苦労も)女優が亡くなり、後を追うように夫の俳優が亡くなった。今回のロケンロールおじさんの死も、あの時と同じように、若い頃から”やんちゃ”してた男ほど、奥さんナシでは生きていけないんだと、感じる最期だった。この世では、素直に甘えられなかった分、向こうの暮らしでは奥さんの尻に堂々と敷かれ、時には手でも繋いでもらって。人の死を聞いて不謹慎かもしれないけど、このおじさんの場合、やっと奥さんに寄り添えるんじゃないかと・・・妙にホッとした気持ちになった(拝)。******世の中には様々な“おじさん”が存在する。私が一番想い出になってるのは、雑誌編集者時代。編集部の入るビルの周辺で、“フリースタイル”で暮らすおじさんだ。年齢的におじさん・・・と言えるのかどうかも判別できないが、野性味溢れるロン毛&年中小麦色の肌。痩せ型筋肉質で、少しも不健康そうに見えず、アスリートのようにも見えた。夏は色んな種類のTシャツを着こなし、時々パッと目を惹く原色が混じるので、そのルックスから編集部の皆は【レゲエのおじさん】と呼んでいた。近所にファストフード店の裏口があり、当時は一定の時間を過ぎた商品を持ってアルバイトが廃棄に出て来ていた。それを“目的”に彼はやって来た。てか、その辺りをテリトリーにしていた。だから編集部の前に住んでいたと言っても過言ではない。編集部が24時間に近いくらい明々と照明が点いていて、人の気配もするからか、彼を玄関先で見ることが多かった。食事に行って戻って来た時、私達が作った雑誌の誌面を綺麗に伸ばして敷物にしてくれていた(苦笑)。別に悪い気もしない、むしろ彼を見かけることが密かな楽しみでもあったので、もっとお近づきになっていれれば・・・と、今なら思う。当時は自分達も生きるのに必死(寝る間なく働き詰めの日々)で、彼にどう接すればいいかも分かってなかった。“何もしない“ことが、あの街で互いに共存するエチケットなんじゃないかと思うところもあり。レゲエのおじさん・・・懐かしい響き・・・私の方があの場所を去るのが早かったと思うけど・・・編集部が転居した今、どこでどうしてるかなぁ。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「Sakai muscle line!! 面白いからそれでいいや。」
2019.03.19
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うわー、もうついていけん! やっぱ人の親になるのって、大変だな~と思う。子供1人1人の人格形成や運命にある程度影響与えるのは、その子を育てる立場の大人だからなぁ。責任重大だ。ついこの前、“キラキラネーム”に悩む男性のニュースでもそれは思った。18歳になるまで彼は、母親が名付けた“王子様”という名前に、常に悩み続けて育った。偶然読んだ漫画で改名できることを知り、大学に進級する今のタイミングで自ら改名を申し出て、見事、希望の名前を手に入れた。“肇(はじめ)“の名の由来を聞いて、心の中で拍手した。それは、彼に恥ずかしい名前を付けた母親の自己満足&意味不明な理由より、何百倍も優れている。彼は将来、介護の道に進みたいのだそう。そのために大学も福祉系に進学すると。これまで人に笑われたり、人にふざけてると言われ傷ついた彼だからこそ、誰よりも人の気持ちの解る介護のプロになるだろう。母親は歳の離れた彼の弟にも案の定、キラキラネームを懲りずに付けたらしい。自分の息子である長男が改名したいくらい苦しんだのに・・・結局、何も見えてない人なんだな。でも、こんな親の元で真っ直ぐに育った肇君を、私はすごく尊敬する。よくぞ勇気を出して、自分の道を切り開いてくれた! その賢さと強さで、弟が同じように悩む時が来たら、力になってあげてほしい。******今や“小学校”の卒業式に、袴で出席する女子がいるとか?昨日今日ニュースで観て、親御さんには悪いけど呆れてしまった。なぜ、小学校で??? 袴なんか、子供には無理でしょ? 現に階段など移動中に転倒したり、トイレを我慢して体調を崩したり・・・袴を着たがために、トラブルを起こしているという。それでも、子供が「着たい」とせがめば直ぐに従う親。友達が着ると分かれば、慌てて駆け込みレンタルする親。そんな家族がここ最近、この時季、続出するそうだ。そんなに着たければ、式が終わってから写真館で着て、飽きるまでいっぱい撮影とかすればいいんじゃないの?で、インスタとかに上げて見てもらえばいい。私立はどうか知らんが、公立なんて様々な家庭の事情があるし、いくら特別な日だからって、そんなお金かけて派手に着飾る必要があるの? どう考えてもワカラン。私の小学校の卒業式(昭和の話だが)と言えば、そりゃまぁみんないくらかは小奇麗にしてた気もするが、普通のカッコウだったよ。ただ1人、浮いてたけど。同じクラスのK君は、小学校に入学した日から卒業式まで6年間ずっとランニングシャツに短パン、頭は丸刈りとゆースタイルだった。だから彼だけ、この時季のまだ寒さも残る卒業式にも、同じカッコウを貫いた。お蔭で?風邪も引かず休みなく登校し、“健康優良児”として表彰されたのを覚えてる。もちろんあの姿がクッキリと今も私の脳裏に・・・。子供のクセに小麦色に日焼けしてイイ筋肉してて、足が凄く速くて。“野人”という表現がピッタリなたくましい男子だった。中学校で長袖シャツと学ランに身を包んだ彼を見た時・・・「違う・・・」と思った。それくらい小学生のK君は、あのスタイルが板についたポリシーを感じる人だった。キラキラネームにしろ、袴にしろ、そのくらいの確固たる信念のもとにやるんなら、好きにすればいい。でも、人に何か批難されたり笑われたり、自分の不注意で何かしらトラブルを抱えた時に、人のせいにするつもりなら、止めた方が良い。何事も最後まで貫けるかどうか、だ。大事なのはきっと。******子供メイク。これもまた、個人的に受け容れられない。メイクは私も“初めて”が早い。と言っても、幼稚園くらいからクラシックバレエを習ってて。発表会に出るようになった小学校低学年で化粧は経験済み。しかも舞台用の油っぽい体に悪そうなドーランとかコールドクリームとか口紅とか色々・・・吐きそうなくらい塗ってた。髪も踊りで乱れないように体に悪そうなワックスとスプレーで固めて、それが普通のシャンプー程度じゃ落ちず、何回も熱湯で洗い流して・・・育ち盛りの柔らかい頭皮をどんだけいじめたことか・・・。そんな化粧の嫌な面の想い出があるから、できればすっぴんでいたい。10代の恋する乙女な時期は、母親譲りのソバカスが恥ずかしく、自分の顔に自信が持てなかった。しかも超敏感肌でストレスも多く、ニキビにも悩まされた。友達や周りはみんな透き通る健康的な肌。なのに私は茶褐色や赤みに支配されている。今の時代なら、迷わずナチュラル系のファンデーションを塗って登校しただろう。規則が厳しい歴史ある進学校でそんなことしたら、停学になる。でも、ホントはそのくらい自分の肌がコンプレックスで、長年耐えてきた。同じように肌悩みを抱える子も、今も沢山いるんだろう。そういう子供達の悩みが少しでも和らぐなら、医療用や無添加のファンデや色つきリップくらいは、プライベートで使ってもいいとは思う。でも、シャドーやネイルとか必要?? たとえ子供用の化粧品があるとしても、今一番“穢れなく綺麗な時期”の肌にわざわざストレスをかけることが、その子のためになるの? デメリットしか浮かばない。ま、本人と親がいいならいいけども。結局私は、今も顔のコンプレックスはコンプレックスのまま。美肌ブームがあった時、少しでも今の状態から抜け出せれば・・・と神にもすがる想いでいくつか試してみたけど・・・気休めでしかない。初めから分かっていたから、そんなに落胆はしない。とりあえず、これまで出逢った男性が、誰ひとりこの肌のことを言う人がいなかった(女の人もだが)ので、それは有り難かった。私が気にしすぎてるだけで、周りはそれ程気にしてないと思えるようになれた。今も美しい肌には憧れるけど、私は私なのだし。個性のない顔の唯一の個性として、素直に受け容れこの顔とこの先もつき合って行くことにする。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「駅ホーム反対側のレール近くに女物の靴の片方…彼女の向かう先は…靴屋で間違いない。」
2019.03.17
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さっきから急に風が強くなった。バルコニーの“幸福の木”に被せたビニールハウスが、今にも飛びそうな強さだ。私が手抜きして、土台をしっかり固定してないからいつそれが風に倒されてもおかしくない。実際、この前一回派手に飛んだ。その時は仕方なくハウスごと取り去った。もうあんな面倒くさいことはしたくない。でも、飛びそうなハウスを固定するのも、今日は面倒。昨日仕事でものすごく小さい文字を沢山読んで、若い子の言葉に???になりながら頭を使い過ぎたせい。今日は疲れてる。疲れてるんだ。ほんとは何もしたくない。昨日の夜からため息が出る。すんごくファンってわけじゃないが、好きな曲もあるし高校の同級生からの関係のまま、みたいなふたりの空気感が好きだった。そのひとりは、最近(楽器を持たない)ミュージシャンの肩書よりも俳優としての顔の方が、お茶の間に知れ渡ってた。映画の賞まで貰うし、NHKの大河や朝ドラの常連だし、今ではバイプレイヤーの1人として、欠かせない存在になっていたと思う。今だって大河に重要な役どころで出てるのに。今日も撮影が入ってたと言うのに・・・そして何より、ミュージシャンとして今年は記念すべき年で、今もうそのツアーが始まったばかり。そんなとても大切な時に、【逮捕】だなんて!!!しかも薬物! それも結構強めの危ないヤツ!!がっかりだよ~~~。別にファンとかじゃないけど、編集者時代から彼等の活動を“大ファンだった同僚のお蔭”で、知りたくなくても知らされちゃうくらい詳しくなって、勝手に身近に感じてたのに。サンプル盤だけど、1枚アルバムだって捨てずに時々懐かしくなり聴いている。ついこの前だって、NHKでやってた電気グルーヴの特番を予約までして観て、やっぱ面白いな~とか想い出に浸ってたのに・・・そのピュアな感情を・・・どうしてくれる?(怒)ギョウカイに居ると、そのテの話は残念ながら時々、耳に入ってくる。「誰々がヤバいらしい」とか巷の噂と変わらない表層的な情報だから、私程度の人間が正義感から証拠を掴みようもないけれど。ただ、インタビューした相手が何人か取材後に”お薬で逮捕“(または死)って経験があるので、その時はニュースを聞いて、やっぱり今日みたいに悲しい気持ちになった。取材で話をした時は、あんなに音楽を愛してて、私の素人に毛が生えたくらいの質問にも、嬉しそうに身振り手振りで夢中で答えてくれたのに・・・。良い曲を作っておきながら、そんな結末・・・裏切りでしかない。好きな仕事や自分を信じて支えてくれている仲間やファン、そして地道に積み上げてきたキャリアがあるのに、どうして危険な“快楽”を求めるの?みんなきっと「一回だけ」のつもりなんだろう。軽い気持ちでタバコや酒みたいな感じで手を出して、抜けられなくなるんだ。だって、タバコや酒でさえ、どんなに頑張っても病院にお世話になっても、抜けられない人が世の中に沢山いるのに・・・その快感を遥かに超えるヤバいヤツは、遊びやファッションで試したらダメ!!でしょ―――?ちなみに私は手術直後のモルヒネが効きすぎて、幻覚&幻聴そして皮膚の痒みを訴えていた。全部現実ではないと半分は解ってたけど・・・。薬が抜けきるまで、1週間以上頭が割れそうに苦しんだ。術後の痛みより酷かった。それを全部覚えてるのも怖いが、とにかくこれまでにない奇妙な経験を数年前にした。医療用の鎮痛薬でさえ、こんな恐ろしいことになるのに! こんな逃避はダメ! 絶対!!51にもなって、妻や子もいるのに、今こんな事件を起こせばこんなに大騒ぎになる程の地位や実績を築いてるのに・・・お前はバカか? 冷静に考えられない程もう、頭ん中、イカレチャッテルノ?カナシイよ。『しょんないTV』好きだったのに。この前もダンナと面白がって観たばっかなのに・・・そのピュアな感情を・・・どうしてくれる?(怒)残念だ。ほんとうに残念だ。電グルの記念になる年に、何やらかしてんだよ?そういう・・・笑えない”御ふざけ”は止めなさい!あんたの“弾けていい”場所は、ファンと卓球が待ってるステージとカメラの前だけだ。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「抹茶ババロアとフライドポテト。高カロリーコンビを頼んだ隣のおばさん。ポテトをお持ち帰り容器に素手で入れようとして、半分豪快にばら撒いた。何がしたかったん?」
2019.03.13
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昨晩から結構な量の雨が降り続き、今朝は突風でバルコニーのビニールハウスが飛びそうになった。それが“あの時刻”に合わせるかのように、晴れた。雲は少し厚めだけど、春の日差しが暖かい。いつの間にか風も止み、穏やかな午後の時が流れる。あの日のあの時間も、この窓から見える空は眩しく、今日よりも青い空が広がっていたのが、忘れられない。そして震度5弱の我が家で、当時元気だった姑に大声で指示をしながらテーブルの下で足に掴まり、激しい横揺れに必死に耐えながら、空を見ていた。あの瞬間、真っ青な天に白い雪が一斉に降りだしたように見えたのが不気味だった。『東日本大震災』から8年―――。当時被災地で生まれた赤ちゃんが8歳になり、弟達と元気にサッカーボールを追いかけている。あの震災を経験し、今も傷を抱える人達や問題を抱えたままの人達が大勢の中、こうしてあの震災を”知らない世代”もまた多く育っているという現実。8年前から時が止まったままの人達と、その場所をこれから支えていく若者達と・・・どれだけ同じ方向を見て進んで行けるのだろう? この8年間に被災者の人生は大きく揺れ動いたと聞く。町や村を去る者残り続ける者、他県に避難して帰りたいけど帰れない者・・・何が正解で何が間違ってるわけじゃない。あの大惨事の中で「今後の人生を今決めろ」とアカの他人に急かされて、誰が正しい判断ができると?今日もTVの震災特集の画面上に、地震速報が淡々と流れる。東日本の後にも、別の場所で震災があり、更に被災地を増やした。地震大国に暮らす以上、誰もが避けられない”宿命”と諦めるしかないのか。阪神淡路大震災も東日本大震災も・・・何の時でも事務的に国は“10年でひと区切り”みたいな考え方をする。正しい名称を失念したが、“震災復興補助金”を貰った人に、“返済の期限“が迫っていると知り、酷く驚いた。え? 補助金て借金なの? それは解せない話だ。被災して何もかも失った人に、追い打ちかけるって、どんな気分なの?8年かけても不透明なこと、不満に思うことが多い。被災してない私でさえも、ニュースで“被災地の真実“を知る度に、もやもやイライラしてしまうのだから、実際に被災された方々の今日までの苦労を思うと・・・。なんとかならないものか? 毎年この日に感じるのは、自分は無力で何の役にも立たないもどかしさ。ボランティアができる体力もなく、財力もない。自分の仕事やそこでの経験も、まるで役に立たない。だから苦し紛れに、“食べて”応援したり僅かな募金をしたり・・・被災地に心を向けることが今の私の精一杯。本当に自分が情けないが、被災地を忘れないでいることはきっとできると思うから、ずっと忘れない。そして、こういう自然災害が起きる度に思う。そんな時にまず自分を救えるのは、自分しかいないということ。遠い昔、パリに行った時、現地の案内人が私達日本人旅行者に向かいこう言った。『この国は自分の身は自分で守るのが当たり前です。だから(観光中は)自分の身は自分で守ってください』この言葉を聞いて背筋が伸びた。同じツアーの中年夫婦は、初日にもう所持金全部を盗まれていて、呆れた。そうだ、いつの時代も日本人は“平和ボケ“しすぎている。この旅から戻って以来、自分の事は人任せにせず、より一層、自分で責任を取るようになった気がする。もちろん、被災した時は周りと助け合うのも大事だ。けれど、最後に自分を守れるのは、自分しかいない。 その事を今日、また頭に強く刻んで、これからの日々を時間や周りに流されることなく、自分の足で生きていこう。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「近所の垣根がスズメのマンション状態あ~、一度でいいから中を覗いてみたーい」
2019.03.11
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「箱を見た瞬間に頭の中で完成形が思い浮かび、 いきなりハサミを入れてしまう」“空箱職人・はるきる”さんの言葉(ハフポスト日本版)より。どこの家にも在る何かしらの空箱が、彼の手に掛かれば我々の想像を遥か超える素晴らしい作品へと生まれ変わる。箱のデザインを上手に活かしつつ生まれたそれらは、画像を見るだけでも、躍動感や息づかいを感じる。今にもそこから飛び出してきそうな、風や音や鳴き声、体温・・・・・・彼はただ“製作”するのではなく、それぞれの作品に“魂”を吹き込む作業をしているのかもしれない。「人形には作り手の魂が宿る」と聞いたことがある。たかが空箱、されど空箱。現在、神戸芸術大学アート・クラフト学科3回生のはるきるさん。彼は既に職人ワザの域に達していると言えるだろう。【空箱職人 はるきるさんの作品たち】https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5c84dfc0e4b0ed0a00144bc9?utm_hp_ref=yahoo&cx_referrertype=yh 職人ワザには、憧れる。父が亡くなる寸前まで、ひとつの道を極めた職人、だった。悪く言えば、頑固で一本気な九州男児。良く言えば、果てるその日まで好きなことに尽くした達人。私が若い頃は、「どうしてもっと器用に、要領良く仕事しないんだろう? 好きだけじゃ損ばかりで、儲けに繋がらないのに・・・」と、父の仕事ぶりを不憫に思うことが多かった。でも、業界は全く違えど、私も父とまるで同じような儲からないけど楽しい仕事を選んでしまった。稼げないけど、作った物が父の仕事のようにこの世に残るので、やめられない。結局はそれを飽きずに今も細々と続けている。これはどうも、一生抜け出せそうもない。親子だな、と思う。本当に情けない程、不器用なとこの血を継いでしまった。そんな私にも、はるきるさんの言葉と同じような感覚が、自慢じゃないがあるにはある。これだけ同じ世界の仕事を続けてれば、誰だって似たような感覚はあるのだろうが。私の場合、編集者になりたい!と決めた頃に短期講座で、その業界就活生向けの専門学校に通った。今はどうか知らないが、その当時の出版業界では、履歴書送付の際や試験で必ず“課題作文”を書かされた。そりゃ、文章を書くことを仕事にするんだから、当然である。これが巧くなければ、採用どころか応募の段階で自分が恥をかく。そんなわけで、毎週1課題のように宿題が出され、ひたすら原稿用紙と格闘の日々。その中で一番苦しかったけど面白かった(マゾ?)のは、『三題咄』。落語で御馴染みのスタイルだが、これを出版社の試験で取り入れていた所が多かったのだ。『三題咄』の課題で鍛えられた力は、実際に受けた某大手出版社で、早速役に立った。作文だけは手応えがあった。だから、今もその“お題”を覚えている。残念ながら作文以外が私には足りなかったのか、採用には至らなかったけど(嘆)結局、他で拾ってもらえたから、その後、編集者として無事に夢を叶えるのに成功したが。あの頃に、お金を払ってでも通って、家で繰り返し原稿を書き続けたことは、本当に私には必要なことだったのだと感じている。今でも、ついつい癖で、ニュースの何を見ても読んでも“3つのワード”を選んでしまい、頭の中でシャッフルし、文章の組み立てを始めてしまう。そんな想いが強まると、ココに来てうわーっと吐き出す・・・という流れだ。はるきるさん風に言えば、「言葉を3つ見つけた瞬間に頭の中で、タイトルと文章の構成が思い浮かび、いきなりキーボードを叩いてしまう」ってのが私になる。またまた岡崎体育登場で、そろそろウンザリさせてしまいそうだが。実は彼のライブの“大人気コーナー“が凄い。噂で凄い!と聞いてユーチューブで実際に観た時は、ぞぞっとするほど感動してしまった。私の得意な『三題咄』をナント彼は即興に替えてしまう。会場の観客から3つのワードを貰い、キーボードでその場であっという間に弾き語る。その言葉の当てはめ方に、これまたセンスの良さが光り、聴かされた方は、ただもう唸るしかない。3つのワードを入れた文章を書くのは、誰にでもできるかもしれない。でも、その場で曲まで作り歌にして、しかも客から笑いまで盗るなんか、なんという達人!!上には上がいるのだと、色んな達人を見る度に思い知らされる。私の力なんか、まだまだだな。今はただ単に、ココで意味もなくボヤいてばかりの日々だけど・・・・・・この世を去るまでに、私も達人に仲間入りできるだろうか? 空箱職人の閃きに触れ、私の中で眠っていた“想い”が少しだけ頭を擡げた。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「アボカドの食べ頃を逃さないには、どうしたら?カフェとかのアボカド系メニューは、いつも完熟でなぜ失敗がないの?」
2019.03.11
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某アイドルグループの人気者が“卒業”だそうで?ここ最近の芸能ニュースで、どんだけこの“卒業”という言葉が使われただろう?前に歌が唄えれば女は誰でも【歌姫】扱いされることを書いたが、【卒業】も同じことが言える。なんたって“響き”がいい。たとえ事務所とギャラやプライオリティ等でドロドロに揉めたとしても、【脱退・引退】と表現するよりものすごく好感度が高い。しかも、聞けばなぜだかきゅんとする。裏事情を何でもオブラートに包めるこれまた“魔法の言葉”、と言える。“学校を卒業“する意味じゃなく使われるきっかけになったのって、もしや尾崎豊の「卒業」か?人生の旅の途中で、自分に纏わりつく”何か”から卒業するって意味で用いられて世に広まったのって、尾崎の影響かなぁと“卒業”って言葉が軽々しい意味に なってから、耳にする度、ふと思う。ほんと、何でもかんでも安易に“卒業”って使っちゃ、言葉の重みがなくなってしまう。ところで、昨日だかに発表された第30回『大人になったらなりたいもの』の調査結果が、今も昔も変わらずの結果で、子供らしくてほっとした。少し前に「ユーチューバ―になりたい」って子が増えてるって話を聞いて、世も末だなーと震えたもんだから。でも、あれだ。男の子は夢見がちで、 女の子は現実主義なんだなぁ。それはいつの時代も変わらないのかも?ただひとつ、私が子供時代はそれなりに人気だったタレント・歌手になりたい子が激減したのも、昨今の“卒業が相次ぐ”アイドルグループの惨状を子供は冷静に見てる、ってことかも?ま、昔は女の子だったはずの私は、叶えられそうにない夢をしつこく追いかけての今、だがそれは、さておき。「3月9日」(byレミオロメン) が明日ってことは、今頃が各学校の“卒業式シーズン”なのかなぁ。うちには子供いないので、学校行事とかまったく分からず・・・でもお目出度いことなので通りすがりの私からもお祝いの気持ちをココに置いて行こうかと。超個人的経験からなので役に立たないだろうけど・・・ 好きなことはとことん納得いくまで突き詰め、人の意見を参考程度(笑)に聞き、危ない橋は無理して渡らず、時には己の限界を受け容れ、自分の可能性の範囲内で夢を実現しよう!若者よ、タフになれ!三歩先行くくらいの柔軟な想像力を持て!そして、これから先、己の成す事すべてに責任を持て!該当者のみなさん、ご卒業おめでとうございます ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「どんどん機能が使えなくなるので、今月中に、本館【楽天】に引っ越すことになりそうです」
2019.03.08
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世の中的に“民族大移動”状態の時季。我が町にもコロコロカート族が大勢押し寄せ、通りのあちこちでスマホ片手に道を塞ぐから、なかなか普通に暮らすのも大変になる。国内外の色んな言葉が飛び交って、面白いんだけど面倒くさい。残念ながら、シルバーボランティアの皆さんの努力も虚しく・・・町じゅうゴミが明らかに増えた。活気溢れる町に発展するのは喜ばしいが、プラスとマイナスは常に表裏一体。そこはかとなく“秩序の乱れ”を感じる。古き良きモノは今のところなんとか維持できているものの・・・新しいモノが増える度、人が続々と押し寄せる度、この町の今後が気がかりになる。全てが私の杞憂に終わればいいけれど。******さて。気が滅入る話はこのくらいにして。“旅の季節”ということで、お土産の話でも。昨日たまたま観た番組で【全国のお土産】マイスターみたいな人が、オススメの商品を紹介してた。その時に知って驚いた(呆れた)のが、我が神奈川県を代表するお土産【鳩サブレ―】の類似品が全国で60種類?くらいあるってこと。【鳥型サブレー関係特集記事】https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1607/21/news085.html中にはもはや“鳥とは言えない”モノまで”混ざってる“ようだ。しっかし、なぜそんなに鳥が好きなんだろー。しかも、みんな”鳥の向きが同じ“とか、謎すぎ(笑)。あとサブレ―じゃないけど、岩手銘菓【かもめの玉子】!実際に社員が海に“かもめ”を数えに行ったら、1羽を除いて“うみねこ”だったという笑撃の事実!!まー、なんだかんだで番組は楽しめた。番組と関係ないが、【名菓ひよ子】は子供の頃、親が贈答品でしょっちゅう貰ってて、当たり前に食べてたからか、自分の故郷の銘菓だと思い込んでた。違ったのを知った時、軽くショックを受けたもんだ。ちなみにひよこは、頭からワイルドにがぶっ!とね。(サブレ―は袋の中で程よく割ってお上品に) ところで東京新橋界隈では、【切腹最中】が人気らしい。“忠臣蔵“浅野内匠頭が切腹した田村屋敷跡に店があるというのが、この商品の起源らしい。うーん、美味しそうなビジュアルなんだが、それ知っちゃうとはみ出した餡子がなんだか違うもんに見えて食べづらいなー得意先への”謝罪”に使われるそうだ。みんなそんなに仕事でミスってんの? 新橋のサラリーマン、大丈夫?? 個人的に“仕事で貰って嬉しかったお土産”と言えば・・・お堅い系の出版社に勤めてた頃のが、なぜか多い。 その①【都電もなか】(菓匠明美)パッケージに夢がある!! 一個ずつ電車になってて、編集部内で空き箱を繋げてみたりしてた(笑)。味も見た目も素朴なんだけど、当時小豆苦手な私もコレは楽しみだった。印刷所の営業さんからの定番のお土産として、いい想い出。 その②【ぺこちゃん焼】(不二家 飯田橋神楽坂店)これも同じ出版社時代に、関連会社のデザイナーが時々本社にやって来る時に、差し入れでくれた。稲○吾郎みたいな無口でナルシスト系イケメン上司だったが、このペコちゃん焼を持って来る日は、笑顔でお喋りだったなー。当時行列ができる程、人気で。彼は毎回、本社の私達のために、焼き立てを並んで買ってくれた。そういう想い出混みで、温かくて美味しい手土産の記憶。 あとは転職後の雑誌編集部の頃。別の雑誌の編集部上司が、出張土産でくれた、いかしゅうまい発祥の店『呼子萬坊』の【いかしゅうまい】! プリプリで印象的だったなー。って、銘菓じゃないか(知らぬ間にいか入ってるっ!(叫)もうなんか口の中パブロフの犬気味でお腹すきすぎて、文章がぐだぐだになってきたんで、この辺で参考までに。【ご当地銘菓最強全都道府県ランキング一覧(2017/12/4付)】https://netatopi.jp/article/1094851.html ★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「威張った歩き方でバレバレやん。しかもひとりだけデザインも色も違うしサマにならんし労働者の気持ちになれ!って誰かがわざと着せたんなら許すけど。」
2019.03.07
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今週もこれ聴いてテンションアゲ↑ていきましょう~今一番オススメしたいパーティーチューン。届きたてほやほや『まんぷく』共演トリオによる夢の饗宴お楽しみください~今夜も良い夢を~。そして明日も一日、共に笑顔で踏ん張ろう★ ★ ★ ★ ★今日のふたこと目。(血迷って初!!)「3日間休み取れた電池切れて何もする気が起きん!」
2019.03.05
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某高級ブランドの新作セーターが”人種差別”に当たるとして、世の中を騒がせたのはつい最近のこと。その前後で各方面で“似たような”問題が取り沙汰され、毎日のように何かしらニュースのネタに。大きな組織に対するバッシングがこんなに頻繁に起きてしまうのも、最近はすべてインターネットやSNSの普及が要因。誰もが何にでも首を突っ込み、好きに発言できる時代だ。二時間ドラマの噂好きなおばちゃんみたく、隣の家を覗きアラ探しをするくらいの感覚で、土足で踏み込み、何にでもケチをつける。良い方に転べば、その鋭いツッコミにより、冒頭で挙げたような人種差別の問題を真面目に考える機会にもなる。だから、このテの揚げ足取りや所謂ディスる行為も、全部が悪いとは言わない。ただ、ちょっと槍玉にあげるのが“細かすぎる“んじゃないかなぁと思う時も、個人的にある。世の中が周りの言動に対して、過敏になりすぎてるとでもいうのか・・・そうじゃなければ、何でもいいからストレスのはけ口になる“サンドバッグ”を求めてるというべきか・・・。毎日のように片っ端から指摘&口撃が繰り返されるので、そういうニュースが耳に入る度に、げんなりしてしまう今日この頃。ただし、ここ数日国内で騒ぎになってるのは、どれも馬鹿馬鹿しいんだけど、女としてイタダケナイかな。「“ママに見えない”が最高のほめ言葉」「働く女は、結局中身、オスである」「女性ドライバーの皆様へ。やっぱり、クルマの運転って苦手ですか?」「ハードプレイがお好きなあなたに」「手クニシャン、そろってます」等など・・・これらは、某女性誌キャッチコピー、大手自動車会社の公式ツイッター投稿、女子ハンドボール世界選手権大会PRの垂れ幕に書かれている問題のフレーズの一部。どれも“女性蔑視”“低俗”と、関係組織が非難を浴びている。確かにその言葉だけを切り取れば、明らかにアウトだ。長年活字や出版物に関わる同業の立場から見ても、どのキャッチコピーも、好ましいとは言えない。それぞれを考えたコピーライターには悪いが、使われた言葉にセンスがない。しかも品もない。世の中の騒動を知って読んでも、なんだかモヤモヤしてしまうから、知らないでたまたま街中で目にしたらもっと不快な印象を持ってしまうだろう。“完全にウケ狙い”というか、単にインパクトだけを意識 したと思われる。考え手と企画の担当がノリノリで「斬新でいいねぇ!攻めてるねぇ!」とか笑い合ってる姿が目に浮かぶ。しっかし・・・揃いもそろってよくもまぁ、これだけ“寒い”キャッチが選ばれたもんだ。31年続いた平成も間もなく終わるこんな時代に、女性の活躍が目覚ましいこの21世紀という時代に、今もなお、女目線男目線でこういう古臭いコピーが悪びれもせず採用されていることが、驚きだ。これじゃ平成が始まった頃と何も変わらない。4年制大学卒女子が“総合職”採用されるようになり、やっと男女差が表向きはなくなった頃の時代と、なんにも。そりゃ生まれつき男女差があるのは、認める。男ができて女ができないこと、その逆も沢山あって本人の才能や努力や世の進化の力を借りても、叶えられないものが現実には山のように存在する。けれど、だからと言って、この時代に↑のような表現が出ること自体、信じられない!なんでこんなに感性が古臭いんだろう? 現役のピチピチ社員やコピーライターがこれを考えたのだとは、全く信じられない昭和や平成のカビ臭さがぷんぷん。若い彼等から見れば“終わってる”古参の私でも、もっとマシなキャッチコピーを10本くらいは書けると勘違いしちゃうくらいだ。なんだこのバブリー臭は?!女性蔑視なんじゃないかという点でもモチロン問題があるし、けしからんとも思うが。それより何より、これらすべてのコンセプトの既視感や鮮度の無さに、クリエーターの端くれとして恐怖すら感じる。こんな低レベルの言葉で、世の中の人の心を掴もうと考えてるのが情けない。しかもコピーの良さで注目を浴びるんじゃなしに、こうしてバッシングの対象で話題になるなんて。呆れるのは、非難されて直ぐに謝罪してしまうこと。そして時間やお金をかけて作った腐れキャッチや商品をあっさり引っ込めて、無きモノにしてしまうこと。土台ぐらぐらの信念なんか、プロとして恥ずかしい。「これがうちのやり方ですから!」と、何故胸を張れない???自分の言動に責任持てないで、学生ノリで内輪ウケみたいなモノを大金無駄にかけて公表して、世の中を動かそうとするなんか、甘いわっ!そんなテキトーな仕事して・・・何が面白いの? 自分の仕事にやりがいはあるの? ・・・って、私自身がどうでもいいニュースに過敏に反応してるし(苦笑)。※タイトルは岡崎体育Al.『SAITAMA』より拝借※★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「ビバヒルのディランが・・・リバイバル製作のタイミングで急逝・・・波瀾の52年(拝)。」
2019.03.05
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ひなまつり、かー。随分前から、なんも関係ないなぁ。お雛様、子供の頃、実家で母が用意してくれたけど、うちは浮き沈みの激しい自営業だったからか、ただ単に裕福じゃないからか、昭和の時代にしては珍しくガラスケースに収まるコンパクトサイズで。価格的にもデザイン的にも人形の顔ぶれ的にもオーソドックスなタイプだったんじゃないかなぁ。大きな雛壇を和室にどーん!と飾ってるひとつ上の一人っ子の従妹を羨ましく思ったこと・・・あったのかなぁ。私は子供の頃から、子供らしくも少女らしくもないからなぁ。りかちゃん人形はハウスも含めて色々種類持ってたけど、人形やぬいぐるみってもの自体、興味がたいしてなくて。でも、雛人形に関しては唯一“私のお内裏様”が、色白細面の雅なイケメンで気に入ってた(苦笑)。当時巷でよく言われたのは、お雛さんが終わったら、直ぐ片づけるように、と。「お嫁さんに行き遅れる」ってのが、確か理由だったが、そんなの関係ないよなぁ。昔の人の言うことは、その経験則をもとになるほどと思わされることが多い。でもこれに関しては、眉唾物だ。ちなみに【桃の節句】と呼ばれる由縁は、ふたつ。桃には「百歳(ももとせ)まで生きられるように」という不老長寿の願いが籠められているらしい。 更に、「邪気を祓う力が桃にはある」とか。 鬼ヶ島に鬼退治に行く主人公が【桃太郎】なのは、その理由から、という説が。某記事で、お雛さんは“ひとりに一つ“が正しいとかって、話題になってる。主な意見として、それは雛人形の業者側が売り上げを伸ばす目的で言ってるんじゃないか?と批判的なものが目立つ。私もそう思う。なぜってお雛様って先祖代々、引き継がれていくものだと、誰に言われたのでもなく子供の頃から勝手に思い込んでたから。あの人形って、そういう役割も含まれてるんだと。業者が言うには、人形は“人間の身代わり”であり、雛人形に厄をうつしてそれを処分することで厄落としになる、と。解るよ。神社のご祈祷で貰う紙のヒト形と同じだと言いたいんだろう。でもあんな豪華で高級な人形、一回一回捨てられない。第一エコじゃないし、なんたってお金が続かない。雛人形がその昔、金持ちの間で流行ったというのも納得がいく。核家族化や少子化、経済的な問題や狭小住宅化の時代に、今どれだけの人が雛人形を買える余裕があるかは知らない。どんな言い伝えがあるにせよ、今は“もったいない“の精神を養うべき時代で、核家族少子化の今こそ雛人形を次の世代に引き継いだり大事に長持ちさせたりすべきだ。どうしてもって言うんなら、お雛様だけ新しくすればいいんじゃないの? お内裏様、毎年離婚結婚で縁起悪いか(苦笑)。それは置いといても、いちいち捨てるなんか、作り手や人形にも失礼だ。******昨日、前を進んでた20歳前後(後姿年齢)の女のコが、着物ドレス?(和装ゴス?)で風切って歩いてて。周りが思わず指さしたり、目を向けたりして注目の的だった。それも構わず、前だけを見て堂々と歩くその姿は、私には格好良く見えた。彼女は髪型・髪飾り(和風タッセル風)から足元(草履)まで徹底してた。周りが自分をどう見ようが、「私は私!」という信念を勇ましい背中に感じ、おばちゃんちょっと感動。しかも手に持ってる袋を見て、更に好感度が上がる。大手手芸用品店のロゴが見える。彼女の衣装は、古着の着物をリメイクした手作りと思われる。きっと何かまた新しいモノを作るための材料を買いに行ったのだろう。こんな自己主張が堂々とできる若者を、偶然見ることができて、私も力が湧いてきた。しかも”和の文化”を自分なりに取り込もうとしてるのがいい。できればきちんと浴衣や着物を着てほしいとこだが、こうして若いうちにかできないアレンジで、和装で自分を表現しようという心意気に、応援したくなった。せっかくだから、メイクがどんなだったか・・・見たかったな。回り込む勇気がなかった。彼女に失礼だし。それだけが悔やまれる。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「私は本館【きまぐれ屋。】に戻るか、はてなブログに行くと思います。」
2019.03.03
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