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日本でJリーグが開幕する少し前からずっと変わらず、『サッカー馬鹿』である。それ以外にもスポーツは観るには観るが、そこまで熱を注げるものはない。子供の頃から運動神経は悪くない方で、短距離とか体育祭で毎年リレーの選手になるくらいの力は、そこそこあった。でも、なんというか自分でも気づいてたが『チームワークで勝つ!』みたいなのでは、自分の力が発揮できない。バレーボールはできた方だが、それもサーブだけが得意で、バレーボールが上手いかといえば自信ない。要するに、仕事と同じでこっちもまた団結して何かを行うより、“自分のペース“で進める方が私には合う。だから、もしまた何かスポーツしろと言われたら、単独でできるものを迷わず選ぶ。自分に団体競技の素質がない分、“チーム”による華麗な“連係プレー”とか、やっぱ憧れはある。その醍醐味を知ったのが、サッカーだった。個人技の素晴らしさも抜群に楽しめるが、リズムのいい流れの中で見事なシュートが決まる瞬間のワクワク感、あれは何度観ても惚れ惚れする。まさかそんな“快感”を他のスポーツで味わえるとは・・・。今日本で開催中のラグビーW杯。昨日は日本代表が優勝候補で世界ランキング2位の強豪アイルランドと熱戦を繰り広げ、なんと日本が逆転勝利して、世界を驚かせた。私もラグビーを観たがるダンナの影響で、日本戦だけでなく色んな国の試合を観ている。ルールは分からないので、TV解説や特番で覚えたり、試合の最中、ダンナに聞いたり・・・ま、どれを聞いても一回『サッカーに落し込む』ので、分かり易かったりなかったりする。それでも分からないなりに、ゲームを楽しめるようになった。そんな中でTV観戦した昨日の試合。アツい試合だったなー。そんな感想しか言えない自分が恥ずかしいけど、とてもいい試合だった。初戦のロシア戦はミスが目立って動きが良くなかったが、今回は強い対戦相手ということで、日本の気迫が目に出ていた。コミュニケーションがうまく取れている点でも、アイルランドに勝っていた。それがあの流れるような連係から生まれたトライに繋がったんだと思う。素人ながら、そう簡単に勝たてせてもらえる相手だと思ってなかったが、あの日本チームが勝てたのは奇跡でもハプニングでも何でもなく、彼等の“自信と実力”の賜物だと言える。で。日本の勝利の感動の余韻を引きずったまま、その後横浜みなとみらいまで行ってしまった。これまたダンナのお供で行ったのだが・・・行って良かった! いい夜になった。パブリックビューイングの会場に着いた時は、『南アフリカ×ナミビア戦』の前半が終わったところで。休憩中のお客さんに混じり、飲み物と食べ物を買い、芝生の後ろの立ち飲みコーナーへ移動。既に強い南アがナミビアに大量得点でリードしてたから、試合自体盛り上がらないんじゃないかと思ったら。いやいや、みなさん、盛り上がっております♪多分、前の日本戦で大盛り上がりして、飲んで騒いでした人の一部が残ってたようで、時々あちこちから大きな歓声やノリノリの笑声が聞こえて、それがまた興味深く。試合そのものよりも、その場の雰囲気を味わうことの方が良い体験になった。ああやって夜の空気や芝生の香りを嗅ぎながらビールを・・・てのも、サッカー観戦以来だし。試合終了後もトークショーやジャズライブがあったので、空いた前列の芝席に座り、夜空を仰ぎながらのんびり時間~♪横浜の海の景色は今まで数えきれない程、見ているがこういう楽しみ方は初めてで、なんとも新鮮だった。それにしても、外で飲む生ビールの美味しさったら!私、ビールは日頃飲まないんだけど、昨日のあのビールは不思議なくらいぐびぐびイケた。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「時効警察に新メンバーいらんわー。特にY。演技ヘタで他の人と調和しない。」JR桜木町駅前。夜見るとこわっ。ってか、誰選手ですか? 隣にいた学生風のお兄さんが『日本のユニフォームじゃないんだ・・・』て、しょんぼりしてたわ。 ぷかり桟橋(右)と戻って来たばかりのマリンルージュ(多分)。ベイブリッジは船の後ろ方向。 フィッシュ&チップスと言う名(どこが?)のバッタモン。鯖フライとフライドポテト。揚げたてでウマかったから許すわ。パブリックビューイング芝席『FANZONE』。私達はこの後ろの飲み食いできる所で観戦。この前の試合の、ジャイキリ日本×アイルランド戦は大入り満員みたいだが、のんびりしてる。
2019.09.29
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ザ・ギース尾関という芸人さんの娘の、夏休み自由研究の内容が話題に。テーマは『10年間生きてきて学んだことカルタ』。五十音に合わせて、『あ』から順に絵札とコメント札とを純粋な感性と鋭い視線で巧みに表現していて、なかなか興味深い。絵もものすごく巧いってわけじゃないけど、絶妙なタッチで感性をくすぐられる。こういうのをホントの“絵心”って言うんじゃないのか?彼女の絵と文字には、人を惹きつける“魂”が宿ってる。自由研究と言えば少し前にも、小学5年(ってことは、この子も10歳?)男子が『ママを救う!献立スロットマシーン』を作成して感心させられたもんだ。夕飯の献立を考えるのが面倒な母親の愚痴を聞いて、スロット型のマシーンを完成させた息子。これを使うと献立は2197パターンとなり、「6年間献立考えなくていいよ!」(息子談)だそうで(驚)。炭水化物と炭水化物が重なる日なんか、ニヤリとする。でも息子が紙にあれだけメニューを色々書けるってことは、このお母さんが日頃から家族のために沢山の種類の料理を頑張って作ってるんだな~と、子供と親の両面からこの家族の“愛”を感じられて、ほっこりした。しっかし・・・生まれてまだ10年とはいえ、“ユニークで発想豊か“な子供も、世の中にいるにはいるんだなぁ。そういう才能や意欲のある子供を確認できただけでも、まだ日本の未来にいくらかの期待はできそうだ。あ。ちなみに私は、カルタの 『う』が絵も文章もツボ(笑)。******今秋始まるドラマの紹介で、面白い番組があった。企業で働く若い男女の10年をワンクールで一話ずつ描く試みだとか。つまり一話で1年が描かれる。過去にも展開が速く『ジェットコースタームービー』と呼ばれたドラマもある。ただ、ここまで凝縮しているのも珍しい。ちょっと強引で無茶な企画のような気もするが、出演者に興味がないのに、この試みでどう内容がまとまるのかを観てみたいと思えた。その番宣で出演者が『10年前の自分』について其々答えていたので、私もつい振り返ってみた。けれど、1年前に何をしてたかも思い出せない情けなさだから、10年前なんか覚えてるはずもなく。僅かな記憶としては、姑との同居が始まり実父を亡くして間もない頃の時期で。それはもう、ひと言で表わすなら私史上最悪の『暗黒期』の始まりだった。だから覚えてるわけがない。怒涛の日々すぎて息つく暇もなかったし、酷すぎて早く痛みを忘れてしまいたい、そんな”もがきの時代”だ。良いのか悪いのか、その頃の日記が楽天に残ってる。さっき2009年9月の私が、何を想い暮らしていたかを恐々覗いてみた。綴られた毒吐き日記は4つ。読んでみたが、その時にあったこと全部、見事に忘れてた!(爆) いや、それでいいんだ。己の“魂を浄化”するために、長々ブログを続けてるんだし。読後感としては。私、必死で頑張ってたんだな・・・(涙)。持病の治療を続けながら同居9か月の姑やダンナとの色々、主を亡くした実家の抱えた問題・・・押し潰されそうなストレスの種を吐き出して、それで9月が終わってた。そりゃ忘れたくもなるはずだ。でも読んでて嬉しかったのが、あの頃まだ長年交流してた公園猫のボスちゃん♀が生きてて元気で。彼女に癒されるのが生き甲斐になってたんだわ。弱ってる時に現われて、いつも救ってもらってた。それに、コメント欄に懐かしい名前もあった。初めの頃にブログを通して出会った仲間たち・・・今はもう、言葉を交わすことは叶わないけど、みんな元気で暮らしているかな? 同年代のSさん・・・手術入院の際に作ってくれた私の名前入りの白くまちゃん。今も我が家で可愛く座ってるよ~♪あの時の仲間のことを思い出せて、悪いことばかりじゃなかった、って解った。それは今日の収穫だった。あと、すっかり記憶から消えてたけど・・・私、一回だけ『ぷち家出』してたわ!!(呆)『家出』って言う程のものでもないけど、あの日はギリギリの状態で“本気”だったのは、読んでて生々しく思い出した。今ならもう半日でも家出する気力ないなー。どうしてもってなったら、駆け込む先はご近所友の新築マンションゲストルームだな(ラグジュアリ~♪)。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「親子で置石とか!!」
2019.09.26
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言うことを聞かなくなってきたもさもさの髪をやっつけに、都内の行きつけ美容院まで。アシスタントのG君(良き話し相手❤)がいきなり私に、「結婚するんです」と言い出し、驚きがおさまらぬうちに「だから店を辞めて札幌に帰ります」と畳み掛け、かなりの衝撃を受けたあの日から約三ヶ月。G君のいない店は、少しだけ寂しさを漂わせたまま通常運転に戻っていた。今まで3人で分担してやってたことを2人でやるのだから、それはもう大変だ。『アシスタント募集』の看板も出ているし、専門系の求人サイトにも掲載していると言うが、今の時代美容業界も若い人を呼び込むのは厳しいようだ。でも大きな店で下っ端修業をし続けるより、経験値は上がるんじゃないかなぁ。Oさんの下で働く方が。なんて素人だから簡単に考えちゃうけど、いつか新しいアシスタントに出会えるだろうか。その日を楽しみに、ココに通い続けよう。今回もがんがんハサミを入れてもらい、夏が終わったと言うのに、首元がすーすーするくらいに短くなった。やっぱり天パーくせっ毛の私には、このくらいの長さがしっくりくる。楽しいお喋りと心地いいシャンプーとマッサージもしてもらい、身も心も軽くなった。生まれ変わった気分で、明日からまた気合入れて踏ん張らねば。少し遅め昼ごはんは、お気に入りの店のいつものメニューをオーダー。店はやや狭くなってしまったが、変わらぬ味にホッとする。お腹も満たされ、ウィンドウショッピングも適当に楽しんだから、ご機嫌で家路へ。と・・・思ったら、最後に寄った所で“アリエナイこと”に出くわす。イベント広場で物産展をやってたから、何があるのかをぐるりと見て回った。美味しそうな和菓子を見つけたので、選んでいると、隣に杖をついたおばあさんが1人。彼女は私のそばにあったお菓子の小袋ひとつを迷わずぐわっと掴むと、脇に抱えた(私の側の左腕)紙袋に慣れた手つきで涼しい顔して突っ込んだ!これ、TVで観たことあるやつ。『万引きGメンなんちゃら』みたいな特番で、現行犯逮捕される高齢者のアレ。すぐ隣に、私がいるのを気づいてないわけじゃない。彼女は私を見事に“利用”したのだ。私が手にひとつ商品を持ち上げたから、一緒に買うふりをして自分は水色の袋にイン!!である。店にとっては運悪く、おばあさんの右側に柱があり、彼女がレジの人から“死角”に入るので、ぶっちゃけ“万引きしやすい”ポジションなのだ。だから、おばあさんはそれを瞬時に判断して“狙った”と言える。あの動きはTVで観る『精神的に不安定で』とか『認知症で』とかいう思わず同情しちゃう理由とは明らかに違う。あの婆さんは、真っ黒! 完全に『プロ』の手口だ。彼女は小脇にいくつもの紙袋を抱えていたが、もしかしたらそれも“万引きの小道具”じゃないかな。今となっては、買い物をして貰った紙袋を使い回して、”買い物に来てる人”を装ってたとしか思えない。ついこの前、小田原駅に『お金貸しておばさん』が出没するとTVで観た。金がないふりをして、親切そうな人からお金を巻き上げるのを生業としていた。あの女と同じニオイがする。目の前で起きたことに、軽く頭をハンマーで殴られた気がした。でも、見逃すわけにはいかない。と思ったら私、少し離れたレジに向かっていた。柳原可奈子そっくりの可愛いお姉さんが、私に顔を近づけて来て「何でしょうか?」と聞いてきたので、おばあさんに気づかれないように、”事実”をそのまま伝えた。すると、周りにいたスタッフが一気に“緊張”した空気になった。男の店員さんが声をかけたのか、私がレジにいた時に振り返ると対面式のコーナーで男性店員とおばあさんが笑顔で話をしてた。そのまま私は店を去ったので、あのおばあさんがその後どうなったのかは、見ていない。私は・・・あれで良かったんだろうか?帰り道。さっきまで今日の”ご機嫌で小さな幸せに浸り浮かれていた”私とのギャップに、放心状態になった。彼女の人生は、私が向かう先の老後と変わらなかったはず。なのに何故、あんな風になってしまったんだろう?歳を取り、あんな風に老いていくのは、あんまりだ。あまりに 衝撃が大きすぎて、家に帰るまでなぜだか目には涙が滲んでた。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「祝☆25周年!たまにしか行けないけど、これからも続いてほしい癒しの場所のひとつ。」
2019.09.25
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一か月くらい前、からかなぁ。家の周りであまーい香りがするような気がして。季節を知らせる花の香りとも衣類洗剤のニオイとも違う。これまでにココで嗅いだことのない香りが、どこからともなく漂っている。おそらくだが、これは仏事に用いる線香の香りだろう。近所の家が旧盆を境に焚くようになったのか、それとも歩いて10分圏内にある数か所の寺のどこかから、風に乗ってうちまではるばるやって来るのか・・・その謎は今日も解けない。なんだか判らないまま、毎日早朝から我が家の周りを包み込む。私が玄関ポーチでダンナを見送る時、犬や猫並みに急にクンクンして「いつも同じ香りがする」と言っても、ダンナの反応は薄いので、私の鼻がおかしいだけなのか?視力も頭も悪いけど、鼻と耳は結構利くので、意外と何でも敏感に反応しがち。幽霊も肉眼で見たことはほぼないのに、”何かしら”の気配をニオイや音や声で感じ取るタイプ、ってのは余談だが。何にせよ。親族がお坊さんで信心深い環境下で育ったせいか、神社仏閣の独特な香りは好きだし、嗅ぐと心が解れるというか癒される。最近は洗剤でも線香でもこれまでに生活で当たり前とされてきたものさえ、人によっては“香害”になってトラブルになるらしい。ま。アレルギーとか引き起こすほどのものなら、お互いの気持ちを配慮するのも必要だが・・・。ホントに世知辛い、というか“情緒”が乏しい世の中になったもんだ。******無料キャンプ場の利用者が、大量のごみを放置して近隣住民が大迷惑しているというニュースを観た。そのキャンプ場の目の前に高齢者施設があるのだが、『やすらぎの~』と冠されているのに、夜な夜な若者が“パリピ”状態で、全く安らげないようだ。その結果、しばらくの間、キャンプ場を閉鎖することになってしまったと! いい空間を提供してくれる側を困らせて、追い込んでどーする??モラルもマナーも無視した傍若無人な集団が、美しい自然溢れる森の中で、繁華街と変わらない迷惑行動をするなら、彼等いや奴らは一体、そこに何のために来るんだっつー。書いててだんだん腹立ってきたわ――!そもそもキャンプみたいなアウトドアってのは、それぞれが“山なら山のルールを守り”、たとえ見知らぬ者同士でも“協力”や“敬意”を忘れない、そんな人達の趣味じゃないの?河原のバーベキューとかも流行ったりしたけど、あれだって、皆がやってるから“流れ”でやってる風にしか見えない。最低限のルールも心得ない集団が、カッコだけで集まって、近所に迷惑かけまくって問題になったわけで。こんな“自然を舐めてる”人間が、キャンプなんかすると結局また最終日に、自分をキャンプ中に守ってくれた相棒のリュックもテントも平気で捨てて帰るんだわ。富士山登った後に使い終わった物を、ついさっきまで拝んでた“霊峰”にばら撒いて帰る輩も、成田とかの空港や宿泊先の宿にスーツケースを放置して逃げる輩も、みんな同様いや同罪。なんだか分らないけど、日本だけだなく世界中がおかしな方向に進んでるなぁ。昨日、都内の寺に墓参りに行ったんだけども。ランチで入った店は、創業ウン十年のものすごく古い店で。でも、店内は隅々まで掃除が行き届いてて、トイレも男女兼用なのに、こんなに綺麗な個室も初めて!ってくらい清潔で安心できる空間だった。おかみさんを始めとする店員さん達が、そこそこイイ御年の御婦人で。手際よく接客したりお客さんとお喋りをしたり・・・とにかく“感じのいい”お店だった。だから、客も自然に”店に敬意”を払っているのかもしれない。その成果があの店の“清潔感“に顕われている気がした。その“反対”が、この後に立ち寄った衣料品専門店。国内外(特に外)の観光客が山のようにやって来る街の中に、スタイリッシュな空間を演出。アジア系の客が多いせいか、店員も外国語のできる人が目立ち、良質の衣類をアウトレット価格で手に入れられるから、コスパも満点。だから時々立ち寄る。ダンナが急にトイレに行くと言うので、ココなら綺麗だろうと、初めて男性用を利用。戻って来たダンナの一声は「汚い」だった。個人的には、どこの店でもトイレを借りた時に、その部屋の中がどんな状態かに、その店の“本当の顔”が見えると思っている。だから残念だがこの店は、どんなに質のいい商品を綺麗にディスプレーして小奇麗なスーツの店員さんがスマートに接客してくれたとしても。“それなり”だったんだなぁと、正直な話、ガッカリした。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「20周年を機にお直しも済ませ、ヴィジュアル的に開き直ったんなら、カミングアウトしても好感度下がらないと思うよ?」
2019.09.24
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俯瞰力は生命力。そう思った話をひとつ。芸能人の加山雄三(82歳)、今春に運転免許証を返納。その理由は大好きなテレビゲームで遊んでいる際に、「反射神経の衰えを感じ、運転が怖くなった」から、と。現在は身分証代わりとなる“運転経歴証明書”を所持しているという記事を読み、彼が運転を諦めるなんて・・・と意外な気がした。でもすごく新鮮で好感が持てた。編集者の頃、音楽番組の取材と人気バンドのライブ(彼はゲスト)に行った時に、生・加山雄三を見ている。個人的には、ヨットとスキー好きのインテリセレブで『サライ』の人、という印象。だけど私の親世代にしたら、彼の親も有名俳優という大物芸能人も芸能人。若い頃は音楽活動だけでなく、映画の主役もやってた『若大将』として親しまれていた(らしい)。だから、私が仕事の現場で見たと言えば、実家のミーハーな母は興味津々だった。たった二度しか見てないのに、決めつけるのもなんだが。確かに大物感や存在感があり、この世界の重鎮なんだなぁという目で初めは見たけど、ずっと見てるうちにフツーになるというか・・・彼のそういう“背景が“気にならない人になるというか。つまり、周りに馴染むのがとても巧いんだと思う。御年のわりに“柔軟性”があるのは、間違いない。様々な意味で恵まれた生まれだからか沢山の趣味や才能をもっているが、つまみ食いして終わるのではなく、何事もとことん遣り尽す(時に莫大な借金を抱えながらも完済)点には感心する。お金の使い方に関しては、今も昔も変わらないのはどうかとも思う。でも、彼は“大物芸能人”だから、長年支持してくれるファンに対してイメージを保ち続けるには必要なこと。たとえ彼が今の時代とかけ離れたセレブっぷりを、変わらず続けていたとしても、私はそんなに気にならない。むしろ、そのくらいの“大御所”が、エンターテインメント性がずいぶん薄くて軽くなってしまった今の芸能界に居てくれた方が、厚みが増してイイ感じ。でも、この加山さん。私が見た時の印象そのままに、実は意外と周りに溶け込むのが巧いようで。大物なのに、大物感を押し付けない良さがあるってことに、最近やっと気づいた。ゲームに夢中になってる話は、何かのトーク番組で知ったが、一番私が面白いと感じたのは、メタルダンス ユニットの”BABYMETAL“にハマってると言ったこと。あの時は、かなり意外で驚いた。そしてその後、何かのライブで“競演”してるのを見て、ますます面白い人だと、見る目が変わった。どう考えたって、孫にしか見えない女の子たちを相手に、愉快そうにエレキギターをかき鳴らし唄う老人。なんてカッコいいんだろう。老人というのは失礼すぎるな。彼にとって年齢は、ただの背番号くらいの意味しかないかも。それでいて、自分の反射神経の衰えを潔く受け容れる素直さがある。日本の頑固なおじさん世代に、ココ注目してほしい。そう。彼の良い所は、この“柔軟性”にある。80歳を過ぎてもいつまでも変わりなく若々しく見えるのは、彼の直感の鋭さと”好奇心”や“欲望”が止まらないからだ。私が取材やライブで見た時も、彼は自分よりも年下のキャリアも短い人達と、共に並んで仕事をこなし、嫌な顔も大物感も見せず、純粋にその空間を楽しんでいた。この姿勢が彼を、芸能界でもひとりの人間としても『長続き』させているんだろう。お金のあるなしに関わらず、“目の前にあるチャンス”を掴む力は、芸能人も一般人も変わらないわけで・・・。だからこそ、あの視野の広さとフットワークの軽さは、見習うべきものがある。私も姑の介護と実母の介助で痛感したのだが。人の生き方の良し悪しは、『日常の中でいかに自分を使い切るか』に左右されると思っている。人間は40代から脳の前頭葉の萎縮が始まると、介護を通じて知った。そして、目の前の姑と実母の“真反対”の暮らしぶりから、多くを学ぶことができた。持病に苦しみながらも交友関係が広く、お喋り好きでカラオケ好きで世話好きでおしゃれ好きで食にも貪欲な実母。その生き方と”完全に真逆“の、風邪ひとつ引いたことのない健康体だった、けど、ジャンクフード好きで、ラクを好み人嫌いなのにすべてを周りに依存してばかりの姑。このふたりが、その後ドラマ以上に”劇的な運命”を辿ることになるのを、この目でしっかり見届けた。そして悟った。意欲の低下、柔軟性がなくなる等の症状を引き起こす『感情の老化』。それは実年齢で決まるものではなく、“自分の行い”が決定づけるのだと。加山雄三と同年代の姑は、転倒と骨折を繰り返し認知症から寝たきり、胃瘻生活となり、数年前から意思の疎通もままならない。ところで・・・加山雄三といえば、マリーナと船。船舶免許の方は・・・まだ? 燃えた船はどうなった??どうでもいいけど、どうでもいいなりに、ちょっと気になる。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「ラグビーと聞くと、従弟の鼻取れたって話思い出して軽くトラウマ」
2019.09.19
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うわ~、予報より早く雨降ってきたわー↷↷昨日と今日で10℃は違うらしい。コイツか? コイツのせいか?しっかり寝たのに頭が疼き、すっきりしないのは。招いてもないのに、このまま秋がやって来るらしい。一雨ごとに・・・とは言うけれど、もっとなぁ・・・夏らしいスカッとする想い出、作りたかったよ。体調悪くて病院通った以外の記憶が・・・ないわ。念願のライブ行けたことくらいしか。夏を・・・思い存分楽しみたかったなぁ(涙)。******季節ネタでも何でもないけど。昨日???!ってなった出来事がふたつ。本業(校閲校正)の職場にて。某雑誌の担当者Kさんが編集部(クライアント)と電話してた、その内容に呆れた。Kさんが編集部の進行の遅れを心配して訊ねたら、編集長自ら電話に出て、「担当者が辞めたので、引き継いで今、私がちゃんとやってますから!」と言われたらしく。「担当急に辞めて、なんか大変なことになってる・・・」と明らかに余裕のない相手の言葉に、より進行が不安になるKさん。編集部の事情は分からないが、編集者が自分の担当の仕事を“放棄”するなんか、ありえない!私も編集者だったから、雑誌に穴を空けることの怖さは知っている。どんなに体調が悪かろうが、家庭の緊急事態が起きようが、一番に考えるのは絶対に誌面に穴を空けないこと。それが編集者の意地であり、使命だと思っている。私みたいな万年下っ端編集者でさえ、それを守って働いてきたのだから、大手出版社のスタッフならば当たり前に身に付いているはずだ。それなのに何故、最後まで遣り遂げることなく途中で逃げてしまえる? 信じられない。ある程度の想像はつく。でも、どうしても良くない方の退職理由が浮かんでしまう。いくら仕事を辞めるにしても、自分の抱えた仕事をそのまま残し、共に作り上げている外部スタッフ(Kさんをはじめとする私の所属会社)にも礼も別れの言葉も告げず、何ひとつ編集者として社会人として人として、すべきことをせずに去るなんか・・・あまりにも非常識すぎる。何もかも嫌になり、勢いでパッと辞めたのだとして。編集長や編集部を困らせて、本人の気は済んだかもしれない。しかし、その人に害を与えたわけでもないのに“巻き添え食わされてる”Kさんや私達や印刷所の多くの人のことまでをちゃんと考えてほしかった。大手出版社の編集者としてのプライドをもって働いていた、立派な大人であれば。悪いけど、こんな”逃げ方”をする人は、どこに行ってもずっと“逃げる人生”になるだろう。ハンガリーの諺に『逃げるは恥だが役に立つ』(=自分の戦う場所を選べ)というのがある。日本でも人気ドラマのタイトルとなり、話題にもなった。だけどその人は、戦う場所を選ぶ以前の問題だ。リセットして逃げれば、それですべてがクリアになるなんてのは、ゲームの世界だけ。自分が嫌と思うモノにフタして逃げても、何も解決しない。だから・・・初めから編集者なんか向いてなかった。二度とこの業界に戻らないでほしい。(ま、病気とかの理由で急に辞めたなら仕方ないけど、それでも解せない。情けないなぁ)食事休憩でいつも立ち寄る職場近くのファミレスにて。ふたり席に座ったら、ひとつ向こうのふたり席にこっち向きにお婆さんがひとりで座ってた。イメージ的には“菅井きん”。それをもっと若返らせてみた雰囲気。東京の真ん中にしては、化粧っ気のないTシャツ姿でかなりリラックススタイル。近所に住んでる人だろう。テーブルの正面には大きなレジ袋が何故か在る。その前でナイフとフォークを持って切っているのは、切れ味の悪い薄っぺらいステーキ。不機嫌な顔で一切れカットして・・・その後どうなったのか気づかなかったが、いつの間にか食事は終わった(やめた?)ようだ。シメは、大きなビールジョッキを痩せた片手で持ち上げ、豪快に飲み干す。その姿に負けた気がした。私は届いた麺類のてんこ盛り具合に、食べる前から胃が後退りを始め、汗をかいているというのに・・・。と、私がこっそり覗き見して勝手に気圧されてるのも知らずに、彼女は目の前の袋からプラスチックトレーを取り出し、今度は料理を残らずワッサーっと詰め始めた。明らかに雑な詰め方。『ドギーバッグ』のつもりで店からテイクアウト用の容器を貰ったのだろうが、あの入れ方はまさに『犬の餌』状態。でもお婆さんは気にしない。慣れた手つきで全部詰めると、おもむろに立ち上がり、レジに向かった。お、男前すぎる・・・。細かいこと気にしないであのくらいタフじゃないと、人間、長生きなんか、できないんだな。長生きなんかは、1㍉も望んでいないのだが。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「今年もこの季節となりました。元気の素。届きたてほやほや♨」
2019.09.18
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窓の外に蝉の声。それをかき消すようにラジオから波音。風も空の色も雲も、全部が一気に違ってきた。ダンナを送り出す時、いつも通り玄関前でふたり朝一番の空気を吸い込んだ。少しひんやりと澄んだそれは、頭の芯まで突き刺すくらいに、気持ちよく・・・さっきから祭囃子も聞こえてくる。高らかに乾いた太鼓の音。いい季節になったなぁと一瞬思った。でも、私は汗で化粧がどろどろになっても、気分を上げてくれる真夏の太陽や空が好きだ。だから秋の訪れを、そんなに歓迎はしていない。連休あっても何も面白いことやるわけでもなく、変わらない日々だし。でも、台風で被災した地域の方達のことを思うと、もっと心地好い気候になってほしい。******時季的なものは関係なく、この頃のTVは”旅番組”が目立つ。海外を特集する豪華旅もあるにはあるが、特に多いのがTV局から日帰りでロケに行けるような、安上がりな旅が増えた。バス、電車、自転車そしてランニング・・・ナド等“経費削減”を実現しながら、近隣で“旅らしい景色”が撮れるのだから、いいアイディアではある。近隣ウォーキングくらいしか滅多に旅をしない私にとって、”バーチャル旅気分”が味わえるから、つい観てしまう。知らない町を知るのもモチロン楽しいが、自分が何かしらで関わったことのあるエリアが特集された時の方が、『里帰り気分』になり前のめりで観てしまいがち。昨日もたまたまTVをつけたら、興味のある旅をしてた。途中からだったが、馴染みのあるエリアのため充分に楽しめた。昨日観たのは、メインのメンバーに毎回ゲストが参加というスタイル。この日のゲストは女性タレント1人。芸歴も長いが、私には彼女が今もこうしてTVに出ていられるのが不思議だった。若い頃はナイスバディを武器にそれなりに活躍はしたし、その後もドラマやバラエティで観るには観た人ではあるが・・・この人の容姿以外で武器になるものがイマイチ解らず、やはり”事務所力”なのか・・・とその程度に思ってて。でも番組を観るうちに、彼女に抱いていた負の印象がどんどん変わっていった。彼女は、どこを訪れても“挨拶”や“お礼”の言葉を欠かさなかった。会う人会う人、そして番組のレギュラーメンバーに気を遣っているのが画面越しに伝わってくる。途中メンバーとお土産を買ったり、その土地名物の服に着替えたりしたのだが、最後まで紙袋を自分で持ち(他の人は手ぶら)、歩きにくい格好で町を回っていた。あまりに彼女が自然にしてるせいか、レギュラーの人間の誰も彼女をゲスト扱いしていない。馴染みすぎてゲストだって忘れてたんだと思う。たまたま観た番組だったが、レギュラーメンバーの好感度が下がるのと同時に、彼女のポイントがグンと上がった。この“ひと手間”が彼女が業界から消えない理由なのかもと思える時間だった。ああいう言動って、「私ってデキるでしょ?」と“人前だけで”これ見よがしにイイ人を演じるのとは、全然違う。インスタで“自己陶酔型“の人には、その魂胆が丸見えで、不快になることが多い。日頃からそうかそうでないか、”本音”の部分やどんな生き方をしてきたかは、本人も気づかない間に”一瞬の動作や言葉”に確実にあらわれる。最近は“挨拶”や“お礼”をできない、と言うよりしない人が本当に多い。これは大人も子供も増えてる気がする。人と人の関係が様変わりして希薄になっているから、仕方のないことだけど、どんなにコミュニケーションの形態が変わろうとも、たった数語の日本語くらい、口を開けるのは時間の無駄ではないはず。例えばうちのマンションの場合。部活動や習い事(主にスポーツ)をしてる人は、こちらが挨拶したり何かを言うと当たり前にひと言返してくれる。でもそれ以外は・・・特にママ友が群れると・・・。うちの集合住宅のママ友が常識に欠けるだけなのかもしれないので、全国のママ友がそうだとは言わない。ただ、彼女達の場合、“自分にメリットがあるかないか”で、コミュニケーションとる人を瞬時にチョイスする。だから、子供のいない見知らぬ住人(私)に挨拶なんかしない。するのはその軍団の親分が挨拶した時だけ、真似して控え目に(出しゃばり過ぎない)。子は一番近い大人(親族、教師)を手本とするので、親がしないなら、子にもほぼ無視される。私が笑顔で挨拶しても、私なんか居ないくらいの勢いで、自分達のワールドに浸ってる。ま、極端な例を挙げてしまったが、そんな冷たい人ばかりじゃないけども。ほとんどは常識ある穏やかな住民。時々当たるのが、非常識なだけで・・・。ずいぶん前のことだが、小学校から帰って来た女の子のグループに、廊下ですれ違った時。挨拶したら声を揃えて返してくれたので、嬉しくなり思わず「おかえりなさい」と笑顔で付け加えた。その瞬間、さっきまでの和気あいあいな空気が凍った。みんなが顔を見合わせ、「誰?知ってる人?」「知らない」と小声で話し始めて・・・背中に冷たい目が一斉に刺さるのを感じながら、引き攣った笑顔のまま早足で去った。あの後、「変なおばさんに声かけられた」とか、親に言ってんのかな~参ったな~と、少しだけ後悔。かなり緩めの田舎風味な町なのに、私の育った九州の田舎町の感覚でいたらダメなんだと、あの時思い知った。でもなー、挨拶くらい好きにさせてよ~。実家の母からの言い付けで、身に沁みついてるのだ。だから誰でもどこでも、”ひと言”を添えちゃいがち。私には声をかけて相手の表情や言葉が、柔らかくなるのを見てきた成功体験の積み重ねがある。挨拶やお礼や軽い謝罪・・・その”ひと言”で場が和むのは、間違いないのだ。ただし、ヘタに「ごめんなさい」とか言っちゃうと、つけ上がる輩も中には居るからな。やっぱ、ここはうちのマンションの“ママ友の掟”に倣って私も、声かける“相手を値踏み”した方が身のためなのか? ナンともイヤな世の中になっちゃったもんだ。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「『いま』が一番幸せと即答した100歳超のおばあさんに脱帽。私も今!って胸張れるように暮らしたい。」
2019.09.15
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JR品川駅構内に毛筆の墨だけで表わされたポスター。同駅で働く職員による”手書き”だそうだ。華やかで芸術的に優れたポスターが当たり前の今、白紙に墨が踊るシンプルな作風は斬新で、かえって目に付きやすいかもしれない。思うに、この“発想”の原点は”お寺で見かける掲示板”なのかなぁと。「シンプルな言葉が沁みる」と最近、SNSやメデイア等で話題にもなっているが。どんなに世の中が進化発展をして、どこぞの会社の役員が“辞めます宣言”して宇宙を目指す時代が来ても。たとえこの先、AIが人間に急速に近づいたとしても。核となる”人間“が居なければ、何も始まらないし、変わらない。結局は“人の手”がなければ、世の中は動かせない。様々な技術を駆使したお金のかかったポスターより、こうして職員自ら筆を持ち、アイディアを捻りだし決して巧いとは言えないけど“味も温かみも”ある広告が何よりも役立つことを、物語っている。ま、実のところ、広告出稿が減り空きを誤魔化すための窮策にも見えるけど、もしそうなら災い転じて福ってことだな。忙しなく行き交うあの辺りのビジネスマンの疲れた心には、あの手作り感は刺さるだろう。******名門のホテルオークラ、『The Okura Tokyo』で復活。泊まったことは一度もない。けれどパーティーや散歩ついでに立ち寄ったことはある。編集者時代、あの辺りは私の“戦場”だった。忙しすぎる毎日だったが、このホテル周りの醸し出す独特な空気には、ホッとするものがあった。旧本館の日本らしい趣のある外観が好きだった。4 年前の閉館時にも、わざわざ夫婦で別れを惜しみにも行ったくらいに。こんなメタリックな輝きの、とんでもない建物に変身しちゃったのは、とっても残念だけど・・・一流のホスピタリティは変わらないようで。「オークラは人でもっている」と客に言われたことを胸に刻み、若手を育成するホテルマン。彼に指導を受ける新米たちは、白い巾を片手にガラスの隅々をありとあらゆる角度から目視して、ピカピカに磨き上げていた。言葉遣いもお辞儀のスタイルも、他人が見て“美しい”“心地良い”と感じるまでに究められるのは、やはり”人間”ならでは、だ。******台風15号の猛威により、千葉県を中心に一部地域では現在もライフラインに危機的状況が続いている。我が町の周辺でも一時的に停電していたようだし、千葉に住む高齢の親戚が娘の住む都内に避難したり知人と連絡が取れないという生々しい話を実母経由で聞き、より事の深刻さに心痛めるここ数日。電気もガスもダメで水も出ない、ケータイスマホも固定電話も通じないときたら、一体どうすれば???主になぎ倒された電柱が、今回の災害のネックになって、復旧工事や車での買い出しに支障が出ていると。何もできない私だけれど、とても悔しく腹立たしい気持ちになった。千葉や伊豆大島を囲む海を利用する手立ては幾らでもあるのに、なぜ利用しないのだろう?ABEさんのひと声で、大型客船チャーターしてでも人人が寛げる空間を一刻も早く提供してほしい。また、動物園や農家の動物が瀕死の状態で居るのも耐えられない。全国の動物園や農家で連携して、人間しか頼れない物言えぬ多くの命を助けてほしい。捥げた電柱や家々の瓦礫を撤去するのも、人や動物の命を守るのも“人”にしかできないのだから、もっと頭と手を総動員して近隣県の力も借りて、一刻も早く元の暮らしに戻れる努力を!できるものなら千葉の皆さん、東京湾アクアラインやフェリーで川崎、横須賀方面に来れるから、試してみて。ひとりで抱え込まないで。こんな時こそ、頼れるのは人と人の力しかないから。なんて偉そうに、“綺麗事“書いてー!と叱られるかな(反省)。でも、ほんとにTV観ててツライ。さっき元アイドルIEが”内閣府政務官に内定”ってニュース観て、更に怒りが込み上げてきた。そんな場合じゃないし、こんな人を重要な役職に、今このタイミングでするなんか、そして本人も不倫を反省もせずへらへら受けるなんか、常識を疑う。こんなん誰が望んでるのよ? てか、まーだ議員で居たことに驚愕するわ~。こんな人の情報なんか流さなくていい。エネルギーの無駄遣い。今は災害からひとりでも多く迅速に”人を救う”ことに集中しようよ?★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「色も形もロゴマークそっくりな有名ブランドの衣装・・・パクられたスーパーLの寛大なコメントに拍手。絶対買い物に行く!近所にはないんだけど(苦笑)。」
2019.09.13
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手触り、厚み、素材、色、サイズ、ブランド、価格・・・今まで自分は“こだわり”ないと思ってたけど、きちんと向き合ってみれば、そこそこの希望や好みが私にもあるのが分かった。今使ってるフェイスタオルが、一気にくたびれてきたのでそろそろ新しいのを買う時期かと観念。数日前にタオルを買いに近所をぶらり。“お得感”だけで買っていた(でも、普通に使える)店が2年くらい前に閉店したので、それからは主にスーパーのお買い得品と人からたまに貰う“自分では絶対に買わない”ブランドの贈答品で、なんとかなっていたのだが・・・。贈答品も使い切り、使用中のタオルが弱ってきた今このタイミングで、なぜかうちの周辺のスーパーやそれに相当する店から、“好みのタオル”がことごとく消えてしまった。手頃さだけで言えば、何枚パックとかのを置いてる店もある。でも、それは私の求めるモノとは違う。使えばあっという間に、ループが伸びたり切れたり生地がガビガビザラザラになってしまう薄々のだ。前なら、それでもいいと割り切っていたし、今も時と場合によっては(粗品とかのを)使ってる。でも、やっぱりせめて“顔を拭く”タオルだけは、少しでいいから“好い気分”になれるモノがいい。別に高級品じゃなくても、激安でも“イイ仕事”するタオルには、これまでにも何度か出合えたから。そう思って気軽にタオル売り場に行ってみたものの・・・どこを回っても規模が縮小されている!『100円ショップ』が世に登場して、誰もが挙って何でもカンでもを100均で買いまくるようになると、タオル業界が悲鳴を上げたと、随分前にニュースで聞いたことを思い出す。つまり、100円でみんながタオルも済ませてしまうから、それ以上のお金をかけてまでタオルを買う人がいなくなってしまった、というのだ。確かに種類も豊富で、デザインや機能的に工夫も見られる。滅多に100均に行かない私でさえ、猫の柄につられて手ぬぐいタオルを買ったりしたこともある。姑がまだ自宅介護だった頃にも、デイケア持参のとか家で寝たきり時に私が世話用で使うのとか、“直ぐ汚れて直ぐ洗えて直ぐ乾いて何枚も要る消耗品“と考えれば、とてもありがたい存在だった。だから、普段使いでいいのなら100均タオルで充分だろう。しかし、周りをよく見れば100円よりも安く売るアウトレットも他店であるから、100円のタオルもあのクオリティでは“そんなに安くない”ってことに、私はある時、気づいてしまった。それでもやはり、小売店のダメージは変わらないのか?今やネットでも激安は探せるもんな。だからなのか、この前まで山ほど売ってたタオルコーナーが、まるで申し合わせたかのように縮小。見れば、『ブランドもの』か『粗品レベル』の二択しかない! 私がこれまで好んで買ってたシリーズ(一番コスパが優れてる中級)が見当たらない!(泣)日を変えて、思いつく所をあちこち探し回ったものの“好み”を見つけ出せず・・・疲れてしまった。で、結局はネットショップでぽちっとな。タオルを贈答目的以外でネットで買うなんか、初めてだ。すっごく安いモノもあったが、レビューを読むと“それなり”なので、徐々にグレードを上げてしまい・・・うーむ。まだモノが届いてないので、何とも言えないが。これは果たして、安いんだかどうだか、ちょっとモヤモヤしている。たかがタオル、されどタオル。なんと銀座には『タオルコンシェルジュ』が居るんだと!(驚)ココジカhttps://www.sunwood.co.jp/sunwoodclub/webmagazine/magazine_201808.htmlでもこんなとこで、うっかりいいモノに触れてしまうとキケンすぎるから、絶対行けない。お米と一緒で“後戻り(生活レベルを下げる)”できなくなる。そう言えば。梅雨時季の大雨の日だったか、副業の締め切りで事務所を訪れた時、私を気遣い爽やかボス(雇い主)がタオルを貸してくれた。手に取ったそれは、玄関専用のようだ。こげ茶色のMUJI商品かそれに近いフェイスタオルだが、色も褪せ、ふっくら感も今は昔な“年季の入った”一枚で。肌触りの悪さには一瞬ギョッとしたが、彼女のことをますます好きになった出来事だ。そういう”飾らない”気遣いのできることに対してもだし、お洒落で大きな家に住んでる海辺の素敵な奥さんなのは間違いないのに、意外と“生活感”あって“倹約家”で仕事以外は”大雑把”なんだなぁと、なんかすんごくホッとした(笑)。★ ★ ★ ★ ★ 今日のやや長めのひとこと。「あなたはまだP○yPayに連携していませんって、警告文が鬱陶しい。リンクしないと、何!?この世の終わりでも来るの?」
2019.09.11
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家に居る日の”ぼっち昼ご飯”のお供は大体、テレ東『昼めし旅』。人間観察とドキュメンタリーが何よりも大好物なので、この番組の“風まかせ“な素人との遣り取りが、昼の付け合せにちょうどいい。テーマとしては、ひと昔前に他局でしゃもじ持って夕飯時に気忙しく突撃してたヤツと変わらない。でも、アグレッシブなあの番組と違って、これは全体にゆるゆる~な空気が漂ってて、安心して観られる。観光地じゃない“もっと地域に食い込んだレアな場所や料理”が出るので、滅多に旅&帰省しない私にとって、バーチャルな旅&里帰り気分を味わえる。「あなたのご飯を見せてください」をうたい文句に、「ご飯を通して、住む人の人生や物語(ドラマ)を描く」ことを目指すというだけあって、行く先々で台本では書けないストーリー、そして俳優では表せない表情や言葉が次々飛び出す。今出てたおじいちゃんも素敵だなー。小奇麗な家にひとり暮らし。家事も立派にこなす短パン姿の94歳。軍隊でカレーライスを食べたというおじいちゃんの手作りカレー、美味しそう~。手際のいい調理に加え鍋もピカピカ。大好きなほうれん草のお浸しをカレーに添えるとか・・・彼の人生がこの映像を観るだけでも伝わってくる。一緒に食事した石田靖も、孫のようにすっかり寛いでいる。さっき出た人は、お菓子屋さんの奥さんだったが、話しているうち、店を訪ねたスタッフと”高校時代の同級生”だと判明! それまで余所余所しかったのに、急にふたりの顔が和らいで、取材を終えて帰る時には「それじゃあね~、ばいばーい」と手を振り合うという。“当時のふたり”にすっかり戻ってて。全く他人の私でも“懐かしさ”が込み上げて、少しだけ涙腺が緩んだ。話が逸れるが、見知らぬ同士でも、故郷が一緒とか趣味が一緒とか、何か共通点を見つけると一気に仲良くなれるのは、不思議だなぁ。18歳で上京後、故郷が同じとか同じアーティストのファンとか聞くだけで、急に”親近感“がわいてやはり心強かった。私の場合、大学の後輩が高校の後輩で従弟とクラスメイト、新卒入社の同期が、私の中学時代の彼氏と大学の友達、また、私が親友になったひとりは、大学の後輩。転職した時の同期入社が高校の2つ先輩、取材で名刺交換した某アーティストのマネ―ジャーが、中学時代の1つ先輩、ダンナが私の最愛アーティストと幼なじみ、今のマンションの真上の奥さんが同郷で隣町出身etc.・・・こうして今、思いついただけでもそこそこあるもんだ。私の人生もだいぶ長くなった分、“共通点”のある出逢いの数も増えている、ということか?これから先、こんな偶然の出逢いが、またどこかであるのかも?と前向きに考えれば、少しは楽しく生きられそうだ。★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのひとこと。「揚げ春巻きと生春巻きなら生春巻き、焼き餃子と水餃子なら水餃子の方。」
2019.09.10
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ああぁ・・・睡眠不足ZZzzz・・・明け方。“非常に強い”という表現じゃ全く足りない規模の、とりあえず私が生きてきた中で“最大級”と言いきれる台風15号が直撃。気をつけろ、早めに避難しろとあちこちから“お知らせ”があったものの。今までもそんな風に脅され、気合を入れたけど翌日「あれ?」って“良い方”に予報が外れ、無事なことが多く。だから今回も、それと同じくらいだろうとナメてた。寝れないくらいものすごい風。ひゅるひゅると悲鳴にも似た轟音と荒れ狂う風が、近くの林を破壊するんじゃないかと思う程の恐怖。窓ガラスを補強すればよかったと、寝ながら後悔。窓が強風に叩きつけられる度に、悔やみすぎて眠れなくなった。嵐が過ぎ去る迄、随分長く感じた。やっとおさまったと思ったら、更に大きな風が・・・。夜が明けて恐々と窓を開けると、あんなに恐ろしい風だったわりに、我が家の被害は何ひとつなかった。一応はホッとしたものの、電車が動かず、ダンナは職場に向かうまでに“忍耐を強いられ”、かなり疲れたようだ。関東から静岡まで、広い範囲で大きな被害が出たとニュースで知った。建物のダメージだけでなく、中にはケガをしたり亡くなった人も・・・。それを思うと、明日は我が身。私は“今回たまたま助かった”だけなのだ。いつどこで何が起きるかなんて、誰にも分からない。常に“その時”を考え、冷静かつ迅速に行動しなければ。頭で分かってても、実際に危機に遭遇すると、昨日のように息をひそめ“忌まわしい時が過ぎ去る”のを”祈る”ことしかできないのだが。台風による損害は『火災保険』の補償範囲にある。ただし、申請手続きは結構細かく、注意点も多い。しかも全てをフォローしてくれるわけでない。自然災害では“それ以外“の“自己負担”費用が、かなり高額になると聞く。かける保険の種類や金額にもよるのだろうが、これだけ多くの人人が被害を受ければ、また、繰り返し自然災害に遭えば、そのうち“頼る”こともできなくなるのでは?と心配になる。 とは言え、暮らしの“安心”を買う意味でも“保険”は必要。“いつか”は来ない方が絶対にイイが、”その日”のために備えることは有効だろう。******親が“我が子を守る”ために加入する『いじめ保険』がTVで話題になっていた。日本初の『いじめに特化した保険』として、今年5月から発売されている。私が子供の頃なんて、“子供同士の”問題は担任の先生にも相談するけど、被害者加害者当事者間の話し合いで解決するのが当たり前。それが時代の流れと共に、できない世の中になり、“扱い”を間違ったり放置したりすれば、子供を“追い込んでしまう”危険性も増してしまった。そんな複雑でデリケートな子や親達のために、”法的な解決法で円満な話し合い“を提供するのが、この保険の役目でもあると。発案者は現役の弁護士さん。「いじめ問題を弁護士(第三者)が解決できることを知ってほしい」との願いから。誰かが冷静な目で見守ってくれれば、感情的な言い合いにならないで済むから、良いと思う。保険加入者が“いじめが深刻になる前に相談できる”というのもメリットだ。うまいこと考えるもんだと、感心はした。でも・・・ここまでしなきゃいけないとこまで、”学校は崩壊”してるのか・・・というショックの方が大きい。学校でもリスクマネジメント能力のある『スクールロイヤー(学校担当弁護士)』を2007年導入し、司法の観点から教職員にアドバイスするという制度が広まりつつある。これもイイ取り組みだと思う。けど、これだって今までは各学校単位で解決してきたことである。いくら今、教師の仕事量が多く、生徒や親御さんと向き合う時間がないとしても、教育の現場に“弁護士”が居て、教育のプロにアドバイス???うーん。なんか違う気がする。弁護士さんも優秀なのは分かるけど、教育現場では“学校教師”の方が立場は上だ。いくら司法の観点と言っても、教育についての諸々を熟知していなければ指導や忠告に説得力がないのでは? 既にこの制度を取り入れている学校では、機能してるのだろうか?ただ単に先生のための悩み相談の相手なら、弁護士ではなく“心理カウンセラー”の出番だと思うが・・・“何か揉め事“が起きる前に、それに合う保険を契約したり己の中にあるストレスを発散させたり。それはとても賢く、安心材料にもなるけれど・・・よくよく考えれば、親も教師も“自分で解決すべき事”を他人に責任負わせて、逃げてると言うかラクしてるように見えてしまう。第一、弁護士が子供の通う学校に介入(と言ったら失礼か?)するということ自体、どうもしっくりこない。でもそこまでして、盾を武器に身構えなくてはいけないなんて・・・学校も単なる”組織”に成り果てたもんだな。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「横綱白鵬と横浜流星と横浜銀蝿のニュース並ぶとワケワカラン。」
2019.09.09
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子供の頃から“ファンタジー“や“ファンシー”に括られるモノが苦手だ。可愛いモノは嫌いじゃない。例えば、猫を筆頭とする動物や花柄とか。そういうのにお気に入りはあるが、端的に言えば“リアリティ”がないモノに惹かれない。どういうきっかけか忘れたが、10代の一時期に、星新一のショートショートにどハマりして、SF/ファンタジーの物語を読みまくった。でも、私が惹かれたのは、幻想的なストーリーより、全体構成や文章の書き方みたいな方で。SFにはそれ以上の興味は持てなかったったが、長編小説より短編やエッセイが好きなのは、この時の経験がベースになったと言える。よって、私を作るために役には立ったのだが、”空想”する力は、私にはつかなかった。“面白みのない、可愛げのない子供”だったのは、自分でも分かってる。クラシックバレエでどんなに夢の世界(花の精やら海の精やら)を踊っても、ふわふわキラキラの愛らしい衣装を身に着けても、お姫様にもプリマドンナにもなりたいとは思わないそんな“冷めた”子供だった。何が私をそうさせたのかは、全く思い当たらない。母は“美意識”が人一倍高く、動物も可愛いぬいぐるみも大好きで、70代の今でも娘の私が呆れるくらい“乙女”な心を失ってはいない。大雑把な性格で“女子力”的にはそんなに高くなさそうだが、とにかく“可愛い”モノに目ざとい。遠い昔、実家から届いた荷物に『お茶犬』(根付ストラップ)が2匹入ってて。聞いたら「ええらしい(可愛い)やん。(夫婦)ふたりで付けよ」と、“良い事”をして満足げだった。こんな感じで、時々???な(知り合いが手作りした)人形とかが荷物に混じってて、「私にどーしろと?」ってなる。 こんな私が小学校の低学年の頃だか一度だけ、漠然と”夢を描いた”のが“歌手”への憧れである。歌番組全盛期で、そのテの番組くらいしか当時の田舎では楽しみがなかったから、歌ばかりTVやラジオで貪るように聴きまくってた。別に「アイドルになりたい。チヤホヤされたい❤」と考えたわけではない。アイドル歌手よりも”もっと大人で“本格派”の歌い手に惹かれてたから。その時代に耳に沁みた音楽もまた、私の進路に影響を与えたことは間違いない。現実はステージに立つ側でなく、それを支える”裏方”になったわけだが。そう考えると、私は子供の頃からどちらかと言うと『現実主義』だったのかも? 10代の頃は、親やばあちゃんの強い希望を叶えるため、やりたくもない理数系を苦しみながら勉強して、将来は地元で“教師”になろうとしてた。どこから誰が見ても超現実的で安定した“夢”だ。みんな私が“そうなる“と思い込んでいた。けど、周りの夢や期待を最後にひっくり返したのは、私自身だった。これまで”手堅い生き方”をしていた私が、”自分の能力では不可能”と思われた“非現実的”な夢を、大人になって追いかけ始めたのだから、かなり無理がある。でも、馬鹿だからその時は本当にその道で働く自分しか頭になくて、周りに呆れられようとも、闇の先にほんの僅かな光があると信じて、前に進み続けた。その強い“念”のお蔭で?ついに夢を手に入れた。だから私は、夢は憧れるものでも見るものでもなく、“この手で掴む”ものだと本気で思ってる。こんな考え自体、傍から見れば「儚い夢物語だ」と笑われそうだが、私には超現実的で本気で掴みたい”確かな目標”だった。そんなことも自ら経験したせいか、最近ますます“現実的”で“確かに得られるモノ”にしか、興味がなくなっている。ま、そんなに無茶な”冒険”ができる歳ではなくなってきたので、これも自然な流れと言うべきか。たとえ元気に長生きできたとしても、血迷って90歳でスキューバダイビングで海底の美しい世界を見たいとか、スカイダイビングで空と一体になりたいとか、ロケットで宇宙飛行したいとか、そういう夢は・・・私は見ないのだろうな。なんと海外には『人魚』になれる学校があるらしい。どんな願望? それ学んでどうしたいの?? ただの人魚姫な”コスプレ”を、どこで披露するの???不運にもソレに“遭遇”してしまった場合、どう反応すれば???? 「男性も歓迎します!」って明るく言われても・・・(苦笑)。その前に、“人魚”って実物は美しくないよ?私にはここまで自分をナルシストに演出できないし、いくら綺麗な浜辺に行っても、この格好じゃ何ひとつ“解放”できんわー。てか、解き放つ方法、これで合ってんの?体験者の感想、求む!(でも友達にはなれない(苦笑)tabi-labo https://tabi-labo.com/274442/mermaiding※リンク先の下の方、イケメン人魚、スキンヘッド髭タトゥーおやじ人魚は必笑!★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「顔くしゃ、胴長、白毛ふさふさ…ってスパニエル系?」
2019.09.06
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「生きてる人間同士のやりとりはその場の空気を一番大切にするべき」 ※石田ゆり子公式インスタグラムより※日々の生活を切り取り想いを綴る、石田ゆり子のインスタが好きでいつも投稿を楽しみにしている。このところじっくりチェックする暇がなかったのだが、ネット上で彼女の名前そして『投稿炎上→削除で批判の声』というタイトルを見かけ、記事を読んでみた。既に“問題”となった日の文章は消されているので、それに関する記事と彼女の“その後の追加投稿”から推測するしかない。でも“騒動”の大筋は分かった。おそらくだが、今彼女は新作映画の宣伝を兼ねて多くのインタビュー取材を受けている時期と思われる。そんな中でインスタに載せた取材に関する文章が、読んだ者の一部の”反感”を買ってしまったようだ。彼女が批判されてしまったその想いを、遅ればせながら私なりに解釈してみた。その上で、彼女には周囲がとやかく言う程のことを書いてはいない、と判断した。モチロン、有名人が特定の人やモノ(この場合は取材した記者や編集者)についての印象や感想を書くのは、控えた方が賢明だ。なんたって“女優としてのイメージ“があるから、それを自ら傷つけるようなリスクを負うのは、誰しも普通は避けたいところ。だから“何かの対象”に向けてSNS上でひと言呟くには、それなりの“覚悟”が必要だ。これは芸能人とか一般人とか関係なく、分別ある人間として心得るべき最低限のマナーだが、彼女のように“影響力”ある人なら尚更、注意が要る。彼女に批判や擁護の声が殺到して、一度はその内容を削除したものの、後日改めて彼女は想いを綴っていた。それは自分を”良く見せる”ための弁解ではなくて、ひとりの大人として女性として、長年女優として働いてきた者として、毅然とした姿に私は感じた。誰かが呟いたことを字面だけで判断し、面白がって”アゲアシを取り“一斉に“口撃”・・・これを最近は『ディスる』って言うのか? そんな愉快そうな言葉でオブラートに包んだつもりでも、その行為をやってる人の言葉は、結構な強さを持った”凶器”だ。中には御もっともな意見もあるのかもしれないが、大体は相手をよく知りもせず、その内容の“欠点”になり得る部分だけをクローズアップして、相手が弱ってしまうまで、とことん打ちのめす。で、傷つけるだけ傷つけたら、また別の“獲物”へと放浪を続ける。彼女のインスタに限らず、他のどこの有名人のインスタでも“炎上”は起きている。明らかにファンじゃない人間が、酷い言葉をわざわざ”置き逃げ”しているのを何度も見てると、ターゲット本人じゃなくてもすごく気分が悪くなる。ああいうのを平気で無責任に書ける人って、一体何が“目的”なんだろう?他人をいじめマウントを取ることで、自分で解消できないストレスをぶちまけてるだけにしか見えない。時々ニュースを騒がせる“無差別テロ”と、心理は同じような気がする。ここのブログでも前に何度も書いているが、この世には残念ながら『人の幸せを喜べない』『平穏を奪いたい』人が一定数いる。彼等は“世直し”屋にでもなったつもりだろうが、実際に“動機”を聞いたところで、賛同できないだろう。それにしても、だ。“プロ”のインタビュアーが取材で、彼女のインスタのネタばかりを話題にするとは(呆)。石田ゆり子の嘆きを読み、私は彼女の想いをよく理解できた。彼女にも若い頃から芸能界で長くやってきた自信やプライドがある。それなのに、インスタの話だけ・・・三谷映画に初出演する今の彼女に聞くべきことは、他にあるだろうに・・・石田ゆり子のインスタ見れば誰でも分かることを、今更文字にしてどーすんの? 手抜きじゃないか。インタビュアーの腕の見せ所なのに、いい度胸してんなぁ。「記者がかわいそう」と書き込んだ人がいたとか。いや、それ、違うって! 女優が誠意をもって「プロならプロの仕事をお互いしましょう」と、ただ“当たり前”のことを願ってるのだ。もし彼女の言葉にその取材者が本当に”落ち込んだ”としたら・・・その人は“インタビュアーに向いてない”のだ。こんな素人みたいな取材して、恥ずかしいと思わないなら。私が取材する側だった時。色んな媒体で沢山同じ質問をされたであろう相手から、『いかに“新鮮”な話を引き出すか』を目指して臨んでた。新譜のキャンペーン期間なんて、どこの取材でも繰り返し同じことを聞かれて、アーティストも本当にかわいそうだから。私は私の意地があったから、毎回“オリジナルのインタビュー記事”を載せるのが、自分なりのプライドだった。ある時。人気アイドルが解散後に、ミュージシャンとなりソロ活動を始めるタイミングで、取材をした。彼が取材後にプロモーターさんに言ったという言葉が、今でも私の“勲章”だ。「アイドル時代のことを聞かないで、アーティストとして接してくれて嬉しかった」と。本人がとても喜んでいたと担当者から聞き、その後、私を支える力になった。「こうでなくちゃいけない」とか、「こういうイメージ」とか、その人のことを大して知りもしないのに、相手の“イメージ”を自分勝手に決めつけ、先入観という型枠にねじ込もうとするのは、時に失礼になる。どんな“出逢い”であれ、相手への尊敬の念や言動の責任を持てなければ、他人に何かを、しかも“上から目線”で意見する資格なんかない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「可動域訓練を始めた。四十肩五十肩だって!!あはは!(涙目)」
2019.09.05
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昨日の夜は落ち着かなかった~。雷雨が強まるとともに、何度もスマホに【緊急速報メール(避難勧告)】が届いて、そのアラームが鳴る度、心臓がバクバク・・・(汗)。うちの近所は稲光はあったが、雨の降り方も特別ではなかった。一応、危険な範囲を防災マップでチェックして、懐中電灯も手元に用意。ダンナはカーテンを全開にして、照明を消し、寝転んで暫らく稲光を眺めていたが・・・直ぐに飽きてた。周辺で浸水や崖崩れや停電等の被害もあると、ニュースで。今は陽射しも出ているが、雨が降りやんだ後も油断できないのが、このテの災害の怖いとこ。台風も数個発生とか、勘弁してほしい。どうかどこもこれ以上の被害がありませんように。******巷では、『タダ活』ってのが流行らしい。ネットで“招待”(無料・・・じゃないんだ)と検索すれば、沢山出てくるらしい。試しに“招待”、“招待 タダ活”、“タダ活”で探したが、うーん・・・思ってたより見つけにくい気が。ま、やらないから別にいいけど。さっきTVでレポーターが一日外を歩き回って、どれだけお得に出合えるかに挑戦していた。食品から生活用品等、細々と貰い続け、合計で1万5千円相当を手に入れた。中には“タダ活”歴10年以上の“常客”もいて、ある奥さんは家電、旅行、外食・・・様々なモノを無料でゲットして、浮いたお金で?戸建を購入したと!「たいしたものだと思います」と言うその夫も、奥さんには、頭が上がらない?私も”お得品“や“無料”の言葉には弱い。一時期、暇すぎてプレゼントの文字を見ると、応募しまくったもんだ。あれも“当たる”時は当たりが少しの間続く。ある日、玄関掃除をした後に“幸運が舞い込む”というジンクスに気づき、本気でそれをやっていたことも・・・。でも、だんだん当たることもなくなり、なんだか急にマイブームが去った。SNSでの応募が当たり前になった頃に、だ。ツイッターもフェイスブックもLINEもインスタも何もやらない私は、プレゼントに応募する“権利”を奪われた気がした。“タダ活”をするにも、インスタに無料で手に入れたモノをUPしたり、LINEで“友達”登録をしたりする必要がある。要するに企業側は、これまでTVを始めとするメディアに高額な広告費を払い宣伝してたことを、素人に“情報発信”して拡散してもらうことで、なんやかんやが“ラク”できるのだ。客もラクして得するので、『WIN-WIN』が成立する。ここ数年、「ミニマム」とか「ユーティリティー」とか耳触りのいい表現とそれを活かした暮らしをするのが、“かっこいい”とされる風潮がある。コスト、人間関係、持ち物等ナド、身の回りの無駄をすべて削ぎ落として“コンパクト”で“シンプル”に生きられれば、どんなに気楽だろう。歳を重ねる度に、私自身その重要性もよく解っている。けど、何もかもを“簡単”に済ませてしまうことで、“失う”モノや“欠ける”モノも多分、同じくらいある。そのことに気づかなければ・・・気にならない人は、これらの“お得”な暮らしを楽しめるんだろう。私は大人になってからは、なんとか“直感”に任せて初動の勢いで先に進めるようになったけど、元々は亡き父曰く『石橋を渡る前に叩き割ってしまう』性格らしいから、何かを試す前に、それ相応の時間をかけてみっちりメリットデメリットを考えてしまう。だから、たとえ私がSNSを自在に操れたとしても、この波には乗らないだろう。何が悲しいって、こういう“宣伝”活動を、これまでも今も“支える”側の仕事を、私がしていることだ。こっちは僅かなお金を稼ぐために、必死に丁寧に日々を励んでいる。「何をどんな表現で見せたら、みんなが惹かれるのだろう?」それを大真面目に考えてきた人生だった。なのに今やそれを一般の人達が、そこまでの苦労をせずとも、こうしてSNSで画像添えて数語呟くだけで“ラク”に金品を手に入れている現実に、泣きたくなる。モチロン企業にも客にも便利な企画だと、認める。「これも時代のせい」とひと言で片づけるのもいい。でもなー、素直に受け容れられないモヤモヤはある。単に私が、世の中についていけてないことを、ボヤいてるだけなのかもしれない。でも時代に“負け”てる“損してる”生き方だとは、絶対に思わない。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「軽減税率とか・・・めんどくせー!誰が得するのよ?」
2019.09.04
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随分前に店を辞めた空き店舗の、借り手が決まったようだ。貼り紙が剥がされ、職人さんが何やら作業を始めている。以前は個人商店だった。白い大型犬が”番犬”を任されているのだが、臆病で甘えん坊だからいつもレジ下にすっぽり隠れてて。自動ドアが開いて客が入って来ても、知らんぷり。一度、お勝手に居るおじさんを呼んでほしくてひと声鳴いて伝えてよと、あの手この手で頼んでみた。けれども、目の上が八の字になりオロオロその場を回るだけで、何の役にも立たなかった(嘆)。閉店したのは、その犬が死んで二年くらい経った頃。自分の家の敷地だから、店を閉めてもそんなにダメージはないのかも知れないが。おじさんもおばさんもまだ“引退”するには早すぎる気がしたから、その後、家族を見かける度に「どうやって暮らしてるんだろう?」と、他人事ながら謎で気になった。この店自体、正直な話、“繁盛”してたわけではない。大手のスーパーや商店街に明らかに負けてるし。第一、あの夫婦は“商売っ気”がないというか・・・ガツガツしてなくて。だから店で扱うモノの“コンセプト”もいまいち分からず、町のレトロな商店のままをずっとぬるく続けてる感じだった。役に立ってると言えば・・・ちょっとした“井戸端会議”的な役割は果たしてたんじゃないかと思う。私のような余所者も初めから温かく迎えてくれ、少しの会話も成り立ったくらいだから。でも本当は、あまり接客が向かない人だったんじゃないかな。おじさんは見た目アウトドアやってる風だが、夫婦揃って控え目な印象。そんな夫婦が貸すと決めたのは、一体どんな店なんだろう? 場所はまあまあだが、決して広いわけじゃない。よって、できる事は限られる。ダンナ曰く「パン屋じゃないの?」と。でも、パン屋はこの周辺にここ数年の間に呆れる程“増殖”したから、これ以上は要らない。既に老舗を含む数店舗が消えた。かたい柔らかい甘いしょっぱい・・・ありとあらゆるパンが溢れてて、選ぶのも迷うくらい店はある。それに私的に嬉しくない。パンは食べるが、生まれて今までずっと『米派』だから。美味しいパンならたまにはいいけど、中途半端なレベルのをたとえ近所で売られても、通わないのが目に見えている。とりあえずドラッグストア、美容院、コンビニは充分間に合ってるからいいや。でも小さめのスーパーはあり得るかもしれない。ご近所の高齢者とか、大きいスーパーより入りやすいかも?なーんて、あれこれ“想像”は続く・・・今の時代にまずあり得ないけど、個人的には独身時代に住んでた町の商店街にあったような個人経営の小さな“レコード屋“さんが欲しい。ああいう店って、音楽が本当に好きな人がやってるから、店主の話が面白くて・・・遠い昔、好きなアーティストの新譜を予約して、マニアックに話し込んだりしたもんだ。で、帰り際にショップ向けの宣材(アーティスト写真入り)をおまけでくれたり。いい時代だった。さあて、あの場所には何ができるのやら?毎日前を通りながら、開店する日を楽しみに待つとしよう。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「日傘リーマン初めて見た。」
2019.09.03
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