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ストリーミング時代になってから、音楽の聴き方が変わった。私が音楽業界にいた頃は、今みたいにスマホで最新最速の情報を手軽に掴める時代になってないから、新曲に最初に触れるにはTVやラジオや有線をチェックするしかなく。だから当時の特にTVは、音楽ファンに欠かせない情報源になっていた。中でもドラマとのタイアップが、新曲の売上を伸ばす最短コースになっていた。ストーリーとの相乗効果で、デビュー間もない新人でさえ一夜にしてブレイクできる、そんな時代だった。今や化石になりかけているCD盤。それを“トリプルミリオン”を達成できるまでに人の心を惹きつけ買わせるには、やはり楽曲自体のクオリティの高さが重要だ。だから音楽を作る人間はみな、“売れるイイモノ”を作って“てっぺん”を獲ろうと誰もが必死だった。その結果、「CDを手元に置きたい、繰り返し聴きたい」とより多くの人に思わせるためのインパクトある楽曲が次々誕生するのだと、内側から見て常に感じてた。キャッチーなサビはもちろん、ドラマの一番好いシーンでナイスタイミングで流れ出すイントロなんか最高だ。業界を離れて久しい今の私だが。当時の音楽の出だしをちょっと聴いただけで、あの頃の自分やドラマの名場面が浮かんでくる。今や“懐メロ”となった音楽全盛期の名曲達。皮肉なことに、サブスクが普及してから『80年代を中心とする邦楽ポップス』が世界で注目されるようになった。たとえ日本語の意味が全部理解できなくても、国境を越えて“刺さる何か”があるということだ。イントロもなくギターソロも好まれない、曲構成もフリースタイル、生演奏で再現できない打ち込みの音・・・等など時代の移り変りと共に音楽の形も進化してゆく。音楽バカだから、歳を取っても新しい曲は今でも貪欲に探し求めてはいるし大好きなミュージシャンや歌も沢山見つけたけど・・・私は『情景』の見える、幾つになっても忘れずに口ずさめる、そんな“職人的”に人間臭く作られた音楽の方が好きかな。******そういう意味では、最近だと藤井風も相変わらず好きな1人。ただし超個人的には、YouTubeで躍動感溢れるパフォーマンスで魅了してた頃の“泥臭さ”をなくさないまま、メジャーに挑戦してほしかった。いや今の見た目の垢抜け方も専門家による素晴らしいアレンジも素敵だけれど、“本人のピアノ1本”(時にはサックスも)だけで、果たしてどこまで上っていけるのか、いちファンとして単純に見たかったなぁと思ったり。ま、“プロになるってことは売れなきゃいけない”ので、周りの色んな大人の力を借りなければ、生き残れない世界だから、今のスタイルで藤井風らしさを見失わず世界に羽ばたいてってほしい。そんなわけで、本題(おそっ)。支持年齢層が高めと言われがちな藤井風の楽曲にも、サブスク世代を意識したのかイントロなしのキャッチーな作品がある。その代表的なのがCMや紅白でもお馴染みの「きらり」。私、この歌いだしの風さんの「あ」がたまらなく好き。たぶんシの音のメゾピアノってやつなんだけど、この楽曲を初めて聴いた時、風さんの低音の「あ」一発で胸を打ち抜かれたくらい、好き。そして彼のリリースしたアルバム2枚の全22曲中6曲が、「あ」始まりだってことに、最近気づいた。最新曲の「まつり」もね。数的に多いともいえないから偶然なんだろうけど、好きなのかもね、彼自身「あ」の響きが。ちなみにデビュー曲「何なんw」も、nanana・・・のスキャットで始まった後、歌詞の最初は「あ」。満を持してデビューを迎えた藤井風の気迫の満ちた「あ」。挑戦的な第一声は、何度聴いてもゾクゾクする。彼の発する出だしの「あ」。それだけでこの先に広がる“歌の世界”がイメージできる。これは藤井風の魅力のひとつとも言うべき“ヴォーカル技”なんじゃないか・・・と思うのだが。あー、うまく説明できなくてもどかしい。誰か、私の好きな藤井風の出だしの「あ」の魅力、解ってくれる風民さん、いないかな~?★ ★ ★ ★ ★今日のふたこと。「好きになるには、好きになろうという気持ちがないとなれない(byみうらじゅん)。ん?」残りの楽曲は Fujii Kaze - YouTubeでcheck!
2022.07.29
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スーパーの食品売り場にて。私が品物を選んでいると。「あ! ママだぁ♪」元気な幼児の声が聞こえた。その直後。私の視界に入る所に一台のカートを押す60代と思われる女性がやって来た。正面に孫の男児を座らせて。それをチラ見しつつ、ほぼ無反応にモノを眺める私。すると彼がぽつんと一言。「ママだ(と思)ったのにな・・・」????! どうも男児は、この私を『自分のママ』と本気で“見間違った”らしい(え?)。今日は雨が降ってたから、いつもの帽子はかぶっていない。マスクで顔半分覆われ眼鏡もかけており、近所だからかなりラフで凝ってない服装だ。もしかすると、パッと見似たような格好の人も来てたのかもしれない。しかし、それにしても間違えるには無理がある。それも、ふたり一緒に間違えるだなんて。一体、本当のママはどんな人よ?(こっそり見たかった) あの位の子供はもう親を見分けられるんじゃないの?大昔、親友の娘をベビーシッターした時。顔をじろじろ見られた後、数分後には別人と気づかれキッズコーナーでギャン泣きされた苦い経験をしたが。この男児は私のそばに来てみてやっと、肌の質感でも見てそれが全くの人違いだと判ったっぽかった。それでも彼は、最後まで自分の間違いを認めたくなかったんだろう。そしてあの言葉になった。で、何故だかカートを押してたばあばも、孫につられて間違った・・・の?(え?)どっちかって言うと私、その子にばあばと呼ばれても、ぐっと奥歯を噛み締めるしかない年齢になってきてるのに?そんなハプニングを老女は誤魔化そうとしたのか、私のそばを通り過ぎた後もしばらく、品良く小声で笑ってた。「うふふふふふ・・・」苦笑いしながら遠ざかるその声が、今日はやたら耳に残った。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと以上。「『犬神家の一族』は繰り返し観てしまう邦画のひとつ。もちろん珠世さん=島田さん(合掌)。」 ギターのイントロからもうカッコいい。
2022.07.26
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婦人科系のガン検診を終えたら気が抜けて、今日は眠くてたまらない。TVで古い映画が始まったから、英語のリスニング練習でも・・・と気合いを入れたものの。話がつまらなすぎてかえって眠気が増してしまい・・・そのままリビングに転がって熟睡。やば。1時間も寝てしまった💧途中、事務所の爽やかボスからメールが来てた。それに対し、即返事をした(たぶん)のだが。今見ると、謎の下書き(空)が二個も残ってる💦💦寝ながら文字を打ったので、あまり覚えてないけれど(オイ!)。私は三度目にやっとまともな文章を書いて返事を送れたらしい(たぶん)。そんなわけで、寝てる間に一週間追加された私の夏休み。済ませておくべき事柄は、この一週間のうちにある程度終わった。だからこれからの一週間は、家事の細々をこなしながら“自分のためになる事”に取り組むのが好いと解ってるんだが・・・う~ん。仕事や用事がないと、ついあれこれと“マイナス思考”に陥りがちな悪い癖がある。だからウジウジしないように何か夢中になれる課題を課しておきたい。しかし、今までもコロナ禍の巣籠もり中に始めた幾つかの事が、どれもこれも“やりっぱなし”状態。読みかけの本も雑誌も読んだ内容を忘れるくらいに放置が進む。仕事を言い訳に、すべてを後回しにしてきての結果がコレだから、全部自分のせい。そういう自分に嫌気がさして、変わりたい!と思うけど、どうも自分の尻を叩く力さえも不足してるし↷↷友達や知人が若い頃と変わらず“何かに夢中”でいるのを見たり聞いたりすると、何故あの力が私の中から湧いてこないんだろう?と情けなくもなる。私にも酷暑に負けないほどの情熱が、かつては確かにあったのに。でも人は人。私は私だ。単に今の私にソレが足りてないだけのこと。いつかまた“燃える”ものに出合えれば。そのくらいの緩さで暮らしたい(これも言い訳かもしれないが)。とりあえず、部屋のあちこちに放り出してる“やりかけたモノ”達に、手を付けよう。独学はとても孤独で、誰に褒められるわけでもなく、自己流じゃ上達も大して望めない。それでもコツコツやっていれば、“何か”が掴める瞬間が来るかもしれない。何もしないで悶々とするより何かを試した上で、どうするかを考えよう。運良く追加でたっぷり休みを与えられたのだから、逃げてばかりいないで、重い腰を上げよう。そして今年の夏が終わる頃、自信に繋がる“何か”を、欠片でもいい。掴んでたい。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「トウモロコシは茹で派?焼き派?」君のせいじゃない 僕のせいでもない ありふれてた未来が 変わっただけ(「走馬灯」より)
2022.07.21
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夫婦を繋ぐ1曲🎵ほんっとに今年も“一日の流れ”がやたら速いな。ついこの前、初詣してその直後からバタバタと立て続けに周りで心配な出来事が続いて・・・祈りながら堪えながらの日々でかなり辛かった。その不安がいくらか解消されてホッとしたのも束の間。待ちに待った夏が来たと思ったのに、いきなりの戻り梅雨。これでは気持ちが晴れ晴れしない。せっかく取った我が家の短い“夏休み”が台無しだ。世の中は、今日も心を重くするニュースばかりを垂れ流す。******そんな天気も気分もスッキリしない毎日ではあるが。間もなくダンナと私は、夫婦になって23年目を迎える。ふたりのこれまでは、毎年blogで書いてる(「アサカラシカオ」2018年7月とかね)ので、今さら特筆すべき事もない。ただ言えるのは。よくもまぁ、こんなに長く続いたもんだ。結婚前から滅多に言い争わず、夫婦喧嘩もほとんどない。姑の介護中に、ふたりとも疲労困憊して一度だけ“別居”を本気でしそうな状況になったけど・・・手のかかる姑に振り回されても逃げ出さず精一杯尽くし、無事に看取り、この7月に三回忌を終えることができたのも、相棒がこの人だったから乗り越えられたのだ。心から感謝してる。子供も居ない友達も少ない私達。これから先、私の残りの人生で真っ先に頼れる者はダンナだけ。だから、一日でも長く彼との暮らしが続くように、私なりに努力したい。贅沢も要らない派手な想い出も興味ない。一日一日“普通“に生きていられることが、どれだけ幸せか。体が弱く常に痛みや恐怖と闘ってきて、しかもこんな時代になったから余計に、その有り難みが私にはよく解る。だから、これまで以上に相手を思い遣り心穏やかに。ふたり笑ってあたたかく、ご飯美味しいとか言い合いながら平凡に過ごせれば、それで充分。★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと以上。「男闘呼組29年ぶり復活か。ファンの皆さんおめでとう!成田昭次さん、一度インタビューしたなぁ。」
2022.07.16
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虫が気持ち悪いと言わないで!沖縄こどもの国、大人への苦言が話題(withnews.jp)日課のネットサーフィンで今日一番気になったのがコレ。「子供は大人の鏡」と言うけれど、確かに。周りに目を向けても子供達の喋り方や態度から、その親が想像できてしまう時がある。親をコピーしたかのように、そっくりなのだ。舌足らずの幼子が、ちっさい奥さんや旦那さんみたいに振る舞うのを見る度、その家庭の在り方が透けて見える。かくいう私も、時々自分の中に父や母を見てドキッとする。高校卒業までの短い間しか同居してないにも関わらず。両親の“躾や教えや口癖”のあれこれが、私の子供時代の人格形成に大きく影響しているってことなんだろう。昭和生まれの典型的な九州男児な父と人好きだけど心配性な母のもと、“厳しく”育てられたから約束事や教育の面ではだいぶ息苦しい時もあった。親や親戚の期待が大きすぎて、常に自分の実力以上のことを求められてきた。だから、大人の顔色ばかり覗い“言いなり”になって大人の好む“優等生”を演じ続けて過ごした日々。でも親は親なりに必死で、“良い子”に育てたかっただけなんだと解ってる。それに私に色んな習い事をさせてくれたり、本やレコードを買ってくれたりしたのは、有り難かった。二人とも芸能芸術面スポーツ面にも理解があったお蔭で、わりと自由に五感を鍛えられたので。そして私はそっちの分野に興味を持ち、自分の居心地の良い場所を探し成長していけた。このチャンスがあったからこそ、そのうち仕事に結びつき、自分が“遣りたかった事”を叶えられたわけで。端から見たらガチガチに“厳格に管理”された娘ではあったかもしれない。それでも、その厳しい暮らしの中で“自由な発想”を生み出す機会を惜しみなく与え続けてくれた親には、すごく感謝している。習い事や趣味は、どれもこれも極められたわけではないが、私の感受性を養うには充分すぎるくらいだ。上記の記事を読んで。子供が何かを感じる前に、大人が先回りして感想や答えを言うもんじゃないなぁと思った。子は親や信じられる大人を見て育つ。その大人が頭ごなしに“否定”や“差別”をしてしまうと、どうしても子供はその考えに引き摺られてしまうだろう。そして一度“先入観”にとらわれると、自分で純粋に物事を判断するのは難しい。虫には危険な種類もいるので、そういう恐さは教えるべきではあるが。この展示会においては全く必要のない感情であり言葉である。どんな虫であれ気持ち悪いかそうじゃないかは、見た本人が感じれば良いこと。私もカッコイイ系の虫しかあまり触れないけど、カマキリ先生の番組を観るうち、これまでの虫に感じた思いや感覚が違ってきた。今は「気持ち悪い」というベタな感情より、謎めいた姿形に興味津々。美しさに惚れてお気に入りの虫も見つけられた。そう言えば、自分はプードルを飼っているのに、大きな犬とすれ違っただけで「怖いわねぇ~!」と飼い主に聞こえるように言い放ったおばさんの話を聞いたっけ。プードルが愛らしくて大きい犬が凶暴・・・???これこそ、おばさんの偏見だ。******去年の6月にコクワガタをレスキューして一晩泊めた。ついこの前は、ベランダで転がってたカナブンをレスキュー。そして今日は同じくベランダで、転がったカブトムシをレスキュー。相変わらず我が家には、鳥や虫の“来客”が多い。何故だか珍しい鳥や雀が、毎年我が家だけに立ち寄る。お隣さんはセミが転がってても、完全無視(虫なだけに)。どうやら情緒的なものにあまり興味がないみたい。向こうのポーチ内だから、我が家がレスキューできずあの時は心苦しかった。“小さな生き物”に対する感情も人それぞれ。感情は○か×かだけで決まるものじゃないのだし、大人が常に子供より“正しい”とは限らない。何を見て何をどう感じるか・・・くらいは、誰に遠慮するでもなく誰にカッコつけるでもなく、個々の感じるままに。もっと柔軟でいいんじゃない?★ ★ ★ ★ ★今日のひとこと。「あずきバーばかり食べてる2022夏。」
2022.07.07
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日差しがほんの少しだけ和らいだ日。【姑の三回忌法要】のため、都内某所の寺へ。ココに来るのはコロナ禍の影響もあり、たぶん一周忌法要以来のこと。早いもので、彼女が亡くなって三回目の夏を迎えた。“あの日”のことは今も鮮明に覚えてる。姑との同居暮らしそして介護の日々は、彼女が元気な頃からなかなかパンチが効いててカオスで。だからその“最終回”までの出来事の色々は、二年経ったからって容易に忘れられるものでも無い。本当にほんと、奇天烈な人との同居は言葉に表せないくらい大変だったけど・・・今は「良い勉強させてもらった」とさえ思う。彼女に対してあの頃抱いたイライラもモヤモヤは、“お別れ”の最中に静かに私の中から消えていった。すっかり“収納部屋”になった姑の部屋。かなり彼女の物を処分して掃除も頑張ったつもり。それでも時々“彼女のニオイ”がする。つい最近まで“気配”もわりと感じてた。でも。そろそろ“向こうの生活”に馴染んでもらわねば。三回忌も無事終えたことだし、コレでひと区切り。これからは夫婦の暮らしを、大切に紡いでいきたい。******“あの日”からしばらくして。気持ちを鎮めるために書き、投稿サイトに採用された原稿を載せておく。藤井風に背中押された日。50代主婦に見る『帰ろう』のききめ11年半同居した姑が亡くなった。正確に言えば、最後の3年は施設そして病院にお世話になったので、同じ屋根の下で暮らしたのは正味8年半程。価値観も性格も何一つ合うモノがなく、意地っ張りな者同士、彼女と私は何かとぶつかり合った。互いに情は確かにある。彼女の良さも解ってるし、私のことも認めてくれてはいた。だから、所謂嫁姑バトルのような、そんなさもしい感情は一切ない。ただ馬が合わない。若い私の方がへりくだればいいんだろうけど、譲れない理不尽な事も多く、何かとかみ合わなかった。それでも彼女が怪我や病で倒れる度に、長男の嫁として精一杯の愛情を注ぎ献身的に介護した。どんなに尽くしても、感謝の言葉すら聞けない。体や脳が思うように働かない苛立ちから、彼女は元気なとき以上に我が儘になりどんどん駄々をこねる幼子に戻っていき、時に私に当たり散らした。「すべてを投げ出したい!」と、何百回心が折れそうになったことか。家での介護が難しくなり3年前、姑はこの家を離れ、専門スタッフの介護を受け始める。そして“命に関わる選択”が増えたのを理由に、血の繋がりのない私は一歩下がり、彼女の息子達に全権を委ねることにした。私なりに嫁業を精一杯やったので、この頃にはもう、燃え尽きていた。だから、この2年面会にも行かなくなっていた。私が行っても、好い顔はされない、互いにストレスになるだけ。そう思っていたのも理由。それなのに“危篤の報せ”を受け、一番に病室へ駆けつけられたのは、偶然近くで仕事していた私だった。病室に入ると、そこには2年ぶりに見る寝顔があった。看護師さんに促され、彼女のそばに行き、顔を近づけ耳元で「お義母さん!」と言った。でも、その後が続かない。何か言わなきゃと焦るだけで声が出ない。2年分の無礼を詫びるべきか、それとも何か労いの言葉でもかければいいのか・・・好い言葉が見つからず、決まり悪く椅子に座る。何を言えばいいんだろう? さっきの言葉に詰まった自分を思い返しながら、姑の横顔を見ていた。窓の外に広がる曇天の空。蒸し暑いけど、海からの風が心地好かった。不謹慎かもしれないが、なぜだかこの時、急に私の脳内で藤井風の『帰ろう』がイントロから適度な音量で再生された。そしてダンナが着くまでの約1時間、姑と私の久々のふたりきりの時を見守るように、藤井風はこの歌を飽きずに唄い続けてくれた。私の脳内自動リピート曲『帰ろう』は、1stアルバム『HELP EVER HURT NEVER』のラストを飾る、日本語の美しいバラード曲だ。「死ぬためにどう生きるか。人生を帰り道に重ね合せて自問自答した」セルフライナーノーツの本人コメントをもとに詞を注意深く聴くと、彼自身の『帰ろう』だけでなく、聴く者それぞれの人生分『帰ろう』のテーマや風景が浮かんでくる。そしてモチロン、私の『帰ろう』も。これまで自分なりに詞を理解したつもりでいたけど、まさか命の灯火が消えゆく姑のそばで、その歌詞の意味を思い知ることになろうとは。<ああ 全て与えて帰ろうああ 何も持たずに帰ろう与えられるものこそ 与えられたものありがとう、って胸をはろう><与えられるものこそ 与えられたもの> こんなシンプルで大切なこと、この世に生まれてまだ20年ちょっとの若者に言われて気づくなんて。<憎みあいの果てに 何が生まれるのわたし、わたしが先に 忘れよう>私達は憎み合うくらい険悪な関係だったわけじゃない。でも、今の私に必要なのはコレだ。この歌に救われた。念のために言うが『帰ろう』は、決して嫁姑物語を描いたものではない。しかし、嫁姑のややこしささえも鎮める力が、この歌にはある。私がそれをこの前、体感したからわかる。姑が骨になる日。最後のお別れの時、お棺に眠る彼女の耳元で今度は「ありがとう」がすんなり言えた。この瞬間、私の中で何年も燻っていたモノが全部消えていた。アルバムリリースの前、藤井風の公式Twitterには、こんなメッセージがあった。「あなたの何かのお役に立てますように」ありがとう、風君。早速、役に立ちましたよ。※<>内はすべて『帰ろう』(アルバム『HELP EVER HURT NEVER』収録)より拝借★ ★ ★ ★ ★今日のやや長めのふたこと。「某店の会員カード、今後アプリしか使えんて!いつから客を店が選ぶ時代に?」
2022.07.05
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