平成16年きのこ祭り



林研主催のせがわきのこ祭り






 平成16年10月17日、きのこ祭りが野迫川村北今西のタイノ原できのこ祭りが開催されました。

ほぼ毎年、太鼓の出演で参加させて頂いてますが今回は太鼓に加え、 

なんと世界遺産語り部として15~20分の語り部もさせて頂きました。

拙い説明を聞いて頂き、申し訳ありません・・・

 編集者註1:林研より画像を頂きました。ありがとうございました。

 編集者註2: 楽天のトラックバック より、 はてなダイアリーshrykさんの雑記帳 に掲載して頂きました

 編集者註3:翌日の 奈良新聞 に掲載されてました。びっくり。








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 こちらが会場です。

 我々は太鼓を積んできたので集合は遅いが

 既に山行きの説明会がされてました。

















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 皆さんが山できのこ探しをされている間、

 太鼓を並べて公演の準備・・・

 戻ってこられたのが遅くなったので、お食事されながらの

 公演となりました。このあと、拙い話をしました・・・




















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 当方の後は「きのこ」に関する講義。そして体験。こんにゃく作りです。






















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  皆さんお待ちかねの松茸の販売。

  競り方法かな、と思ったら固定制ジャンケン。

  取り合いになってました。 




















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 皆さんがわんさかと集まってます 

































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 間伐材・端材を利用した丸太の椅子作り。 

 林研の本領発揮、少し皮を残して椅子にするのですね。 
























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 まだまだ人が集まってます。

 でも、1万円以内ならわんさかと集まるが、

 高額になると誰も手が出ないそうです・・・ 























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 ようやく見えましたね。

 残っている、と言うことは、高額なんです。

 それでも市価にくらべりゃとてつもなく安いです!! 























 ☆ここより、林研より頂きました画像を用いたいとおもいます☆



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 集合時の様子。

 自分はこの頃まだ林道タイノ原線を南下中(標高降下中?)
























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 これからきのこ探しに山へ。

 少し、小辺路街道も歩いたようですが

 高低差が激しすぎ・・・ 























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 山の中の様子。

 頑張って探してます。

 当方はこの間、太鼓のセッティング・リハでした 























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 これが講演・・・いや語り部中の誰かさん。

 全く拙くて申し訳ない、
























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 語り部中の皆さんの様子。

 一生懸命聞いて下さって・・・、

 ホントありがとうございました・・・ 























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 我が野迫川夜叉太鼓。

 下っ端の当方が語り部中、記念撮影されていたのですね。

 でも太鼓を片付けて下さり、有難うございました。すんません 























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 どんぐりとか木の実を使って工作教室。

 皆さん、うまくできましたか?

























ここで、当方が話をした「熊野古道」のレジュメを公開したいと思います。
世界遺産に登録されました熊野古道を学んでみよう



・熊野信仰と熊野へ参る道のり



そもそも何故熊野なのか?

熊野信仰           出雲の神様→熊野の神様へ  政治的な理由

↓→の=未開の地・辺地         カムヤマトイワレヒコ(神武)ヤタガラス

「隈」くま

籠もる、奥まったところ深山幽谷樹木の茂っているところ





・旅行ブームと生活道路と



小辺路  最短であり、全部陸路で時間が読める<>峠がきつい<巡礼や商人向け

大辺路  ぐるっと海路、ひたすら流れに乗る<>遠く、時間がかかる

中辺路  田辺まで海路、田辺から陸路で急な峠少ない<平安貴族が好んで利用

伊勢路  伊勢参りを兼ねる

奥駈道  修験者

これらの道で、最も生活臭が漂う=あまり、余裕を持って歩いていなかった証拠でもある



また、道の往来道は山の稜線を、谷を横切るときは山から谷へ直角に渡る

渡河地点に集落を形成(平地区・水が峰は違う)モンスーン地帯の特徴



高野山の開山以降、小辺路を歩くこととなる

         平維盛(1184に27歳で入水)はこの道を目指していた?



中世末(戦国末期)~~~近代

1573天正元年「清良記」伊予の国土居清良氏の一代記。高野・熊野三山・伊勢 

1623元和9年「醒睡笑」余りに悪路で大・小辺路の馬は皮をはいでも役にたたん

1713~1747享保年間にはかなりの文献を数える

1889明治22年十津川から北海道へ移住総勢2,667名で4回に分けて

それ以降も戦後までは細々と巡礼で来られていたらしく、「オーシュウベェ」関東・奥州

           山伏でもなくお遍路でもない。訛りがあって言葉がわからない

健脚なら2泊3日、普通は3泊4日 水が峰・伯母子・三浦・果無と4つの峠を越える





・世界遺産の登録



7月で134カ国788箇所が指定されている

’93に1法隆寺2姫路城3白神山地4屋久島 ’94に5古都京都 

’95に6白川郷合掌造り ’96に7厳島神社8広島原爆ドーム

’98に9古都奈良 ’99に10日光 ’00に11琉球首里

「道」としての指定はスペイン「サンティアゴ・コンポステーラ巡礼道」

平成13年4月に「世界遺産センター」へ「暫定リスト」として提出・受理

平成16年6月に委員会が決定












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