ゆうの入院~手術から退院まで~



つまりほぼ24時間親がつきっきりでなければならないのだ。

そして多くの病院がそうであるようにこの病院では患者ではない12歳未満の小児は立ち入り禁止。
ということはなつを預けなくてはならない。

そこで入院を宣告されたその日に実家まで事情を話してなつを連れて行きまた戻ってきてそこから入院生活が始まった。

何時間かぶりに対面したゆうは点滴をつながれてて鼻から管を通されベッドの柵越しに横たわっていた。
目をそむけたくなる光景だった。
ついさっきまで普通に抱かれていたのにどこから見ても病人な姿。

点滴や管を通される時はさぞ泣いただろうなと思うといたたまれなくなる。
今も針が刺さっていて痛いだろう。
スヤスヤと眠っていたのが救いだった。

入院生活は個室は高かったので相部屋で他の患者に迷惑をかけまいと必死だった。
生後1ヶ月なんだからところかまわず泣いて当然だがうるさくして当然、という態度はとれまい。
昼間はまだ良かったが問題は夜、他の患者もいたのでいたたまれなくなりプレイルーム(昼間患者の子ども達が遊ぶところ)へベッドごと移動、小さなベッドで私も添い寝で過ごした・・・が一睡もできるはずはなく。

後で、看護婦さんと話すきっかけがあったとき、うるさくて同室の子たちに迷惑かけちゃってる。
なかなか泣き止ませる事ができなくて、やっぱり個室に移ったほうがいいですよね?などと話していたらひとりになりたい、静かに寝たい人のほうが個室にはいればいいのよ、と言ってくれたのだ。
それはそうかもしれないがかなり救われた思いだった。

さて、入院初夜、夜とはいえ人の往来がないわけではないし息子はいつ吐くかわからない状況、実際何度も吐いてベッドから1メートル以上はなれた床まで汚した。

そんな状況で添い寝して眠れるはずもなく・・・

昼間、レントゲンを見せてもらい検査の結果説明、肥厚性幽門狭窄症と診断されるが重度ではないため手術せず薬での治療をすすめられる。

硫酸アトロピンという薬を経口投与し、幽門の開きを促すというもの。
この薬は本来は心臓病の薬で副作用を利用して治療するというもの。

投与する事により、心拍は上がり顔は高揚して24時間心電図をとる。
水分などを経口摂取するのが困難な状況なため持続点滴を24時間、さらに鼻から管を胃まで通されてそこから薬を投与する。

レントゲンなどを撮られたがその時空腹のため泣きすぎて検査にならずミルクをとりあえず100cc飲ませ、撮影し、また鼻の管から抜き取ったらしい・・・。
医療的措置で仕方ないとはいえかなりの衝撃だった。

ミルクを一回100ccを上限に一日何度か哺乳瓶から飲ませる。

管から投与すればいいのだがそうすると口から栄養を摂取する事を忘れてしまいかねない、ということで。

吐いた回数や便や尿の回数、量も表に記録していく。
体温も測る。

病院にはお風呂がないのでお風呂や家事のときだけは子どもを預けて自宅に帰っていた。
電車で乗り換えなければならない距離、季節がまだ比較的過ごしやすかったのが救いか(10月~11月)

食事も病室でとってはならず(コッソリ食べてたけど)隣の面会室?でとる。

幸か不幸か夫が失業中だったこともあり夜中の付き添いは何度か交代してもらえてそれはものすごくありがたかった。

さて、病状だが1週間投与を続けても症状は良くなるどころか悪化する一方。
しかしなるべくなら切りたくはない、のが親の本音。
でもこんな苦しそうな姿をもう見ていられなくなり、手術を決意、
それからは劇的に回復をみせ、4日後には退院となった。

退院は・・・あれほど待ち望んでいたことなのに何故か心細くて仕方なかった。
自宅に戻るとこの子の管理はほぼ私ひとりに任されることになる。
今までのように何かあればすぐに誰かが飛んできてくれるわけではない。
もう少し、入院させてほしい、、、などと勝手なことを思ったものだ。

退院してからも1回派手に吐いたのだ。
あの悪夢が蘇る。
どうして!?手術は成功したのに。。病院では術後は一度も吐かなかったのに。
(全身麻酔の副作用で少し吐いたけど)

入院中なら看護婦さんが着替えを手伝ってくれる、シーツも交換してくれるのにここは自宅。。。とても不安になりながら着替えをさせた。

幸いそれが最初で最後だったけど忘れられない体験になったのは間違いない。



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