海外旅行紀行・戯言日記

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フランクフルトと京都



フランク族がマイン川を渡って、ザクセン族を制圧したのは西暦500年頃とのことで、渡った場所をフランクフルト、制圧したザクセン人を対岸に移住させた場所をザクセンハウゼンと名付けたそうです。
しかし、この地名が文書に現れるのは、カール大帝が794年に「マインツ大司教区内にあるフランクフルトと呼ばれる往来の盛んな所」に招き、王宮の広間で王国・教会会議を主宰したと言うことで、起点とする様です。

九州にあった邪馬台国が起点となった、大和朝廷が近畿地方を制圧し、天皇制を確立し、遷都を繰り返しながら桓武天皇の下で平安京に都を定めたのは西暦794年のことでした。

日本とドイツは遅れてきた国民という点でも、よく似ていると思うのです。
ローマ帝国と中国王朝から遠く離れた辺境の地だったのです。
日本は海に隔てられていた為、制圧されることは無かったのですが、ドイツ各地はローマ軍の前線基地となりました。例えば、ケルンはColonyで植民地と言う意味からも想像出来ます。

しかし、フランクフルトは、神聖ローマ帝国の選出・戴冠都市ではありますが、その後商業都市・自由都市として発展して行きます。ユダヤ人の努力による所も多かったので、近年、ビスマルク、ヒトラーには金銭拠出を強制されるだけの嫌われた都市でもあったのですが、今日では欧州連合(EU)の中央銀行の所在地となったのです。

一方、京都は平安時代以後は、室町の復権はあったのですが、象徴の都と言うことで文化都市としてその地位を持続するだけとなりました。地理的な制約もあって堺のような商業貿易都市になることもありませんでした。
明治維新の時も東京遷都となり、政治中心地では無く、文化都市として生き続けることになりました。

ゲルマン魂と大和魂との違いなのでしょうか? 最も大和魂は武家社会に由来するものなので、京都に郷愁を感じる精神が無かった為なのでしょうか?


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