海外旅行紀行・戯言日記

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シュヴァイツァー博士


“ I am life that wants to live in the midst of other life that wants to live. ”(英語訳文)

イッヒビン レーベン ダスレーベンヴィル
インミッテン フォン レーベン ダスレーベンヴィル
独語原文は韻を踏んでいる様で、心地良い響きとなっています。

この“私は、生きんとする生命群のただ中にある、生きんとする生命である”として生命への畏敬を説いた言葉は1960年代の若者に人気を博しました。
1952年のノーベル平和賞受賞したアフリカ医療院の立て役者である偉人は核兵器廃止運動にも強く訴えを残して、次世代から感銘を得たのです。
逝去直前には、医療院での独善的な経営方法から糾弾を受け、ナチスドイツとの関係が疑われ、聖者のカリスマ性が失われましたが、90年間の彼の一生は生命への畏敬を貫いた特筆すべきものだった様です。

インターネットで調べて見ますと、次の様に記載されています。

シュヴァイツァー(1875-1965)は当時ドイツ領であったアルザスのカイザースベルク(ケーゼルベール)に生まれ,ストラスブール大学に学んで哲学博士を取得。
その後 J. S. バッハの研究とパイプオルガンの演奏に傾倒するとともに神学研究を進め、「メシアと受難の秘密」 (1901) 、「J. S. バッハ」 (1905) 、「イエス伝研究史」 (1906) 、「パウロ研究史」 (1911) 等を刊行。
1905年春に霊的衝撃を感じて黒人医療に一生を捧げる決意をし,医学の修業に入った。11年に結婚,12年に医学博士となり,13年には看護婦であった妻とともにフランス領赤道アフリカ(現,ガボン共和国)のランバレネに渡り,ここに熱帯病病院を建てて医療活動に入りました。
その後の関心は文明論に移って、「文化哲学」 (1923)、「インド思想家の世界観」(1935)等を刊行、自伝に「水と原生林のはざまで」(1921)、「わが生活と思想より」(1931)があります。

尚、音楽関係の著作には,前述のバッハ伝のほか「独仏のオルガン製作と奏法」(1906)、「バッハ・オルガン曲集」8巻(1912‐67)が知られています。
又第1次世界大戦を契機として生まれた文明批判があり,それはヨーロッパ固有の否定精神を克服して,世界と人生の積極的肯定に至ろうとするものであった。生命への畏敬 〈Ehrfurcht vor dem Leben〉という標語は,ランバレネに行く途中にひらめいたものと言われています。
1952年ノーベル平和賞を受け,その後核実験の禁止を強く訴えました。
1965年逝去しましたが、アフリカ・ランバレネ熱帯病病院の直ぐ近くに設けられた墓に、静かに眠っています。


もう既に死去してから40年近くが経過しましたので、独善的行動、ナチスとの関係等は窺い知ることが出来ませんでした。
でも、彼の偉大さを損ね且つ死者に鞭打つ様な情報は無くても良いのでは無いかと納得するに至りました。
今でも、彼の鷹揚なバッハ演奏は名演としてCDとして残されています。


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