シュヴァイツァー(1875-1965)は当時ドイツ領であったアルザスのカイザースベルク(ケーゼルベール)に生まれ,ストラスブール大学に学んで哲学博士を取得。 その後 J. S. バッハの研究とパイプオルガンの演奏に傾倒するとともに神学研究を進め、「メシアと受難の秘密」 (1901) 、「J. S. バッハ」 (1905) 、「イエス伝研究史」 (1906) 、「パウロ研究史」 (1911) 等を刊行。 1905年春に霊的衝撃を感じて黒人医療に一生を捧げる決意をし,医学の修業に入った。11年に結婚,12年に医学博士となり,13年には看護婦であった妻とともにフランス領赤道アフリカ(現,ガボン共和国)のランバレネに渡り,ここに熱帯病病院を建てて医療活動に入りました。 その後の関心は文明論に移って、「文化哲学」 (1923)、「インド思想家の世界観」(1935)等を刊行、自伝に「水と原生林のはざまで」(1921)、「わが生活と思想より」(1931)があります。
尚、音楽関係の著作には,前述のバッハ伝のほか「独仏のオルガン製作と奏法」(1906)、「バッハ・オルガン曲集」8巻(1912‐67)が知られています。 又第1次世界大戦を契機として生まれた文明批判があり,それはヨーロッパ固有の否定精神を克服して,世界と人生の積極的肯定に至ろうとするものであった。生命への畏敬 〈Ehrfurcht vor dem Leben〉という標語は,ランバレネに行く途中にひらめいたものと言われています。 1952年ノーベル平和賞を受け,その後核実験の禁止を強く訴えました。 1965年逝去しましたが、アフリカ・ランバレネ熱帯病病院の直ぐ近くに設けられた墓に、静かに眠っています。