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富士の眺望は、金時山や矢倉岳から楽しむことが出来ますが、1786m標高の三つ峠開運山からは、加えて素晴らしい南アルプスの眺望も楽しむことが出来ます。南方に山中湖、足下に河口湖、西方三つ峠山荘の向こうに西湖が見えます。残念ながら、2004年10月に行きました本栖湖は遠く山に隠れて望むことは出来ませんが、富士五湖を高所から満喫出来るのです。北方には、万年雪を頂く南アルプスの絶景が、電波塔の向こうに見えます。その手前には、秀峰八ヶ岳があるのですが、昨日は雲に隠されてしまっていました。開運山頂上は真上が雲一つ無い快晴ですのに・・家内と共に、野辺山高原から清里高原に行ってみましたのは、10年以上昔となりましたが、此処に来れば思い出に耽ることも出来そうです。却って遠くに見える方がロマンチックな思いが募ってくるものなのかも知れません。3回忌が済む、10月中旬から下旬にかけては、空気も一層澄み、冷気も昂じて来ますので、49年前を偲んで、富士急行「三つ峠駅」から再度のトレッキングをしてみる積りです。どんどん体力が落ちていることを自覚していますので、10分毎に休憩してゆっくり自分のペースで登りたいと思っています。
2011.09.13
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私は、紋付の和服も所持していませんし、家紋については母が亡くなるまで知りませんでしたし、確かめようとする意識もありませんでした。家内が亡くなって、墓所には我が家の家紋を刻んで貰おうとしただけで、家紋の由来、他家の家紋については殆ど興味がありません。ふと家内の親戚で家系に興味のある方から、家系図が郵送されて来て、家内の父母は、網元名跡を継ぐ為に夫婦養子として入籍したのですが、義父の生家となる家紋が、我が家と同じものと言うことを知らされました。「丸に立澤潟(タチオモダカ)」と言う家紋、元来が武家の家紋とのことです。義父の生家は、元来が筑前藩(現 福岡県西部)の医家であったらしいが、魚目村榎津郷(現 新上五島町榎津郷)が無医村になったことから、請われて赴任に同意、元禄・宝永年間に移住となったらしい。今年7月に、新上五島町で、義祖父の墓所清掃をした際に確かめて見ましたら、上記の家紋情報が間違いであることが分かりました。「丸に川の字(カワノジ)」と言うらしいのです。今まで、家紋など気に掛けたことも無かったのですが・・それでも、これ以上は調べようとは思っておりません!
2011.09.06
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入社時に配属先の課長だった人は齢85才を越えても、矍鑠と未だ車の運転をして、お元気です。しかし、奥様の健康が優れず歩くことが不自由になったことで、世田谷区ですが、渋谷区富ヶ谷からそれ程遠く無く、少し離れた場所である祖師谷に、息子さんと共に2世帯住宅を建てて、今月末引っ越すことになりました。親の代から住み続けた渋谷区富ヶ谷の家は売却することにして、6月25日引っ越すと聞きましたので、準備の手伝いに行って来ました。井の頭線「駒場東大前」を下りて、正門から入って時計台を見つつ構内を歩きましたが、主たる記憶は50年前ですので、900号講義室を除いては、今浦島の状態でした。駒場キャンパスの整備事業で、駒場寮も矢内原門も消滅して寂しい限りでした。裏門にあたる松濤門を抜けると、其処は渋谷区富ヶ谷で、元上司の家はすぐ傍です。此処には80年間住み続けたと言うことですが、改築して35年、家の中に入りますと未だ住み続けられる雰囲気です。本当は、息子夫婦と此処で住み続けると言うのが理想だった様ですが、富ヶ谷では2世帯住宅を建てる程の敷地余裕が無いとのことで売却することになったとのことで、残念がっておられました。物置から、又押し入れ上の戸から、種々袋漆器類を出して、古物商に鑑定・売却するとのことで、居間に並べるお手伝いをさせて頂きました。手入れが良かったのか、漆器の質が上等だったのか、殆ど劣化の無い、お膳・文箱・お椀類が沢山ありました。中でも、黒漆に金糸で家紋をあしらった文箱は逸品、これは売らずに家宝にしたいとのことでしたが、至極当然に思われました。
2011.06.13
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何処の団地でもクレーマはいるものですが、文句を言うだけで代替案を示す訳で無く、甚だ建設的では無いことが多い様です。本年は団地修繕8工事を実施したのですが、一部工事に予算超過が生じたので、その他工事に生じました余剰予算を充当して予算枠に収めたのです。しかしクレーマは「それは臨時総会事案であって規約違反」「予算不正流用で刑事事件の可能性あり」との強硬なクレームだったのです。本件は事前に弁護士に相談、下記の打合覚を理事各位に連絡し、監査報告にも問題無いと考えて議案書をすることに致しました。1.一部工事の予算超過に関する規約違反収支予算内であれば問題無いと言う考え方も確かにあり、その様な運営をしている管理組合がある。精査した工事予算が得られたら、実施前にその都度総会議決と言う考え方もあり、私は後者の立場に立ちたい。しかし、管理組合はどちらかを選択することが出来る。2.今回の処理方法臨時総会ではなく総会最初の議案として事後承認をとったら良い。謝罪する必要はなく、間違えたという表現は避けること。3.刑事事件への見解刑法247条「他人の為に処理する者」(理事)が「自己・第3の利益を図り、又は本人に損害を与える目的で、その任務にあたり、本人に財産上の損害を加えたとき」となるので、収支予算内での工事実施から考えると刑事事件とはならない。4.民事訴訟の可能性次年度理事会から本年度理事会を訴えることはあるが、住民が次年度理事会の代わりになることは出来ない。次年度理事会が被害あったと判断することが要件となる。其処で、例年には無い第1号議案(団地修繕工事)とした議案書を、組合員に配布しておきました。それでも総会冒頭、クレーマは延々と「規約違反」との質問を繰り返し、又クレーマの尻馬に乗ってマンション管理士を自称する組合員が「専門家だが規約違反!」と同調するに至り、15分予定の質疑が1時間にも達してしまいました。堪りかねた、一般組合員の方から「規約問題云々は別室でお願いしたい」、「議事進行!」との声が出て、漸く議長が賛否を取りましたら、賛成160票、反対20票と圧倒的多数で可決となりました。組合員の多くは、現理事会が団地の為に何をしてくれたのか、来年度に向けてどの様な議案を提示してくれるのかが重要であって、規約違反論議は重要では無いのです。規約に記載されている骨子は「組合員の同意を得ずに勝手なことをしない!」と言うことであって、それに抵触せず予算枠内で行われる限りは、理事会の費目相互での多少の裁量は許されると言う結論だったのだと思っています。クレーマは理事会を代表する理事長から「規約違反で申し訳なかった!」と言う謝罪の言葉が欲しかった様ですが、区分所有法に詳しい弁護士にも「理事会方針と結果を淡々と示し、組合員多数から同意を得る」ことを優先させ、その際「謝罪しないこと、間違ったと表現するな」と助言されておりましたので、無理な相談と言うものです!理事会の悪口を言い、謝罪発言をさせることで存在感を示したいと言うクレーマの策謀は不発に終わりましたし、建設で無いクレームに組合員の賛同は得られないと言うことなのでしょう。昨日で、共に活躍してくれた理事各位に感謝しつつも理事会から卒業、本日から一住民として復帰し団地内に没入することになりました。
2011.05.23
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何時の間にか、ミヤコワスレが終わりに近づきました。我が家のミヤコワスレ(都忘れ)は濃い紫、何故か一番名にし負う様な気がして好きな花です。ミヤコワスレ(都忘れ)キク科ミヤマヨメナ属別名:野春菊(ノシュンギク)、東菊(アズマギク)山野に自生するミヤマヨメナの日本産園芸品種として多く栽培され、開花期は5~6月頃で花色は紫青、青、白、ピンクなど多種に渡る。 名前の由来は、承久の乱にて佐渡に流された順徳天皇がこの花を見ると都への思いを忘れられるとの話によるとされ、この由来によって花言葉は「別れ」や「しばしの憩い」等と言われる。家内のいない独り暮らしになりますと、忘れ形見に思えて、一層健気に見えて来てしまいますが、年月は容赦なく過ぎて行きます。
2011.05.14
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中国の領土的野望は留まるどころか膨張の一途を辿っています。遂に尖閣諸島の領有権は譲ることの無い「核心的利益」に位置付けたと報じられています。軍事力を背景にして実効支配を築き上げ、既成事実として領土拡張を画策していることは明白だと思われます。自国に都合の良い時は戦略的互恵関係を発言して外資投資を促し、海洋資源がある地域については他国に難癖をつけて軍事実効支配をして憚らない。一朝事が起きた場合は、投資資本の凍結・奪取の意向を明らかにして、恫喝外交で対抗、屈服させることは国策、戦略的互恵関係は中国にとっての建前で、本音と思われず、幻想であることに間違いありません。戦略的互恵関係一色だった日本の政治界・経済界は、今回の尖閣諸島問題で、その危うさを認識して破綻する方向に違いありませんし、国家リスク管理の観点から、中国からの資本脱出を図ることが、重要になり一刻も早い決断が必要だと思われてなりません。しかし、建前としての戦略的互恵関係を維持しつつ、国際的に問題が無い様に暗々裏の内に進める必要がありましょう!しかしスタンドプレーばかり目立つ前原外相では、微妙なかじ取りで出来るとも思えず、不安で仕方がありません。中国政府が今年に入り、沖縄県・尖閣諸島の領有権を台湾やチベット、新疆ウイグル両自治区と同列の「核心的利益」に位置付けたと報じた。尖閣諸島付近での漁船衝突事件をめぐって中国側が見せた一連の強硬な態度の背景には、この政策変更があるとの専門家の見方を伝えている。中国指導部は昨年後半、領土などに関する問題を「国家の利益」と「国家の核心的利益」に分類することを決定。今年に入り、南シナ海や尖閣諸島を含む東シナ海の問題を、台湾などと並んで一切の妥協を拒む「核心的利益」に分類した。東南アジア各国と領有権問題を抱える南シナ海については、中国が米国側に本年3月、核心的利益に属すると表明したことが明らかになっている。
2010.10.03
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この処、ガソリン価格が安くなったと思っていましたが、米国原油先物相場が急反発して来ましたので、束の間かも知れません。アメリカ経済の景気回復は順調とは思えませんが、一部企業の好業績を根拠にNYダウも1万ドル回復が報じられていますが、束の間の様な気がしてなりません。膨らんだ余剰資金の投資処は予測出来ない程短絡的で長期展望もなく、爛熟資本主義の末期的状況なのでしょうか?NYMEX原油先物相場は、原油在庫の減少や米株高を背景に買われ、7日ぶりに急反発、米国産標準油WTIの8月物は前日終値比2.09ドル高の74.07ドル/バレルで終了。メキシコ湾岸に集積する米石油生産施設では前週、ハリケーン「アレックス」の影響を受けて一部生産が止まったため、石油在庫が減少するとの観測が高まった。又、7日の米株価が、米金融大手の堅調な業績予想を好感して、一時前日終値比200ドル超急伸したことも原油相場の支援材料となった。▽ガソリン=急反発。8月物は5.40セント高の202.53で取引を終えた。▽ヒーティングオイル=続伸。8月物は6.15セント高の197.87セント/ガロンで引けた。原油に加えて、金相場も1200ドル/オンスの高留まり、ヘッジファンドやソヴリンファンドが利益を求めて暗躍している市場は健全とは言えません。又、ヒーティングオイルとされる灯油・軽油価格が、殆どガソリンと変わらないのは、世界共通の様ですが、分溜容量から考えますと奇妙に思えますが、市場のカラクリに依るものと思われます。
2010.07.08
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今朝は雲一つ無い快晴で吹く風も気持ち良く感じられる朝となりました。昨晩は端午の節句と言うことで、スーパーで買って来た菖蒲をお風呂に入れ菖蒲湯としました。売っているものは日数が経っている所為か、独特の香りが弱くなっているのですが、昔からの風習を楽しむことで良いとすることにしました。端午の節句は中国での屈原(くつげん)供養が起源とされており、日本人にも「男子の前途を祝う節句」として親しまれています。屈原(くつげん)(BC340~BC278頃)戦国時代の強国楚の高官であり詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。しかし、秦の陰謀によって失脚、国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。楚の人達は小舟で太鼓を打ってその音で魚を脅し、更にちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。毎年命日の5月5日の屈原供養祭が行なわれ、中国全体に広がって、その風習は病気や災厄を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われ、やがて日本にも伝わって来ました。奈良時代から宮廷で行われていた端午の行事も、鎌倉時代には廃れてしまいました。しかし、台頭した武士階層は尚武の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになりました。5月5日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形」を飾って男子の前途を祝うようになったのは江戸時代からです。 没後50年横山大観展で出品された「屈原」1898年大観30才の作品で厳島神社蔵、その制作意図は東京美術学校(現東京芸大)を追われた岡倉天心の悲愴な心境を屈原の悲歌に重ね合わせることにあったと言われている。荒れ狂う風は屈原の悲愴な内面感情を、風にざわめく叢の陰に隠れる鴆(ちん)には讒言を、背後から屈原を上目使いに見る燕雀には小心さを象徴し、右手に持つ蘭は高潔な気性を現わしていると解説されている。この画像はインターネットでダウンロード拝借したものです。是非観賞したい逸品ですが、未だ本物にお目に掛ったことはありません。そう言えば、この屈原の顔が岡倉天心を彷彿とさせますが、気のせいでは無いと思っています。
2008.05.06
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22日未明亡くなった義兄の通夜・告別式が、昨日26日滞りなく終わりました。普段は全く気にすることが無い易暦で、葬儀に向かないとされたのか24日では無く、葬儀社から通夜が25日、葬儀告別式が26日と設定されました。遺体は自宅に3日間安置されましたので、義兄遺族もせめてもの供養と思ったに相違ありません。通夜には、退職して7年以上経ちますのに、努めていた会社からも大勢の方々が参列してくれていました。退職後も、OB会へ毎年参加すると言う真面目な性格とやさしい人格がなせる業だったのでしょう。葬儀・告別式になりますと、機械的にスケジュールは動いてしまうようで、出棺から斎場への移動、火葬から遺骨になるまでは1時間、あっと言う間で、直ぐに葬儀社のホールに戻って、初7日法要、遺族・親族による清めの会食で、全て終えることとなりました。ただ通夜の時から、気になっていましたのは、祭壇に置かれていました戒名牌でした。義母は我が家で亡くなりましたので、12年前の葬儀に際して五島列島の菩提寺である浄土真宗の寺に電話連絡して戒名を頂いたのですが、院号・位号もあるものでした。義兄の戒名は釈から始まる僅か3文字の簡単なもので、奇異に思ったのです。インターネットで検索してみると、この戒名(真宗では法名とされるのらしい)が本来的な法名であることが分かりました。遺族も遠い五島列島でなく、生活拠点から遠くない墓地での埋葬を望んでいますので、先祖代々の家名墓に入るのでも無いことから、「宗派の仕来たり」に合った法名が良いのだと思うに至りました。浄土真宗では無戒であるため戒名とは呼ばず、法名(ほうみょう)と呼ぶ。法名には本来的に院号(寺の発展に貢献し、それを讃える意味でお寺より下附されるもの)、修行の経歴を表す道号(いわゆる、四字や六字の戒名)や、修行の形態を表す位号(信士・居士・信女・大姉等)はありません。しかし地方によってまた寺院によっても、そのつけ方はさまざまです これは、開祖の親鸞が「戒律を守れない凡夫であり、阿弥陀如来によってのみ救われる」という教義を打ち立てたことによる。男性は釋迦の弟子を意味する「釈」号、女性は「釈尼」号である。位号は普通用いないが、他宗の影響が強い地域の古い寺院などでは使用されている場合もままある。義父義母には位牌もありますが、義兄の場合には位牌は無く、過去帳だけとなります。初7日法要が済んだら、導師和上は清めの会食に加わることも無く、弁当を持ってさっさと帰ってしまいました。忙しいのかも知れませんが、遺族への挨拶も無いのですから驚きです。真宗と言っても宗派規律が殆ど無く、各寺でかなり自由に処理しているのだと改めて認識しました。
2007.12.27
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昨日未明、義兄が急逝しました。1938年6月生まれですから享年69才にしか過ぎません。死亡診断書によれば死因は「誤嚥性肺炎」とされています。2ヶ月ほど前から歩行困難となったらしく、先週の電話では「毎正月義兄宅で集う会は、通院治療も必要なので中止したい」との連絡でしたので、「又、元気になったらお会いしましょう」と話しをしたばかりでした。一昨日意識不明となり緊急入院となったのですが、ご家族からの電話では「4~5日で退院出来るとの診断ですのでご心配無く!」とのことでしたので、退院前の元気な姿を見に来週早々に行けば良いと楽観視していました。しかし、一昨日夕方に病状は悪化、深夜には意識不明になったと言う連絡を受け、急遽インターネットで病院の横浜市泉区所在地を確認し、車で病院に駆けつけました。到着しましたのは昨日午前1時頃のことで、既に生命維持治療が施されていて、もう話しかけることも出来ませんでした。担当医師は「左肺2葉は潰れ、水分や食物、口腔内容物、逆流した胃液などを下気道に嚥下することにより起こる肺炎で、右肺3葉の内2葉は嘔吐物で塞がれ、残った1葉に5倍濃度の酸素空気を供給して生命維持させています」との説明でした。小康状態にあると判断し、翌日再訪することで、午前3時帰宅の途に着きましたが、午前4時帰宅して直ぐ、午前3時40分腎臓不全も発生し逝去となったとの連絡が入りました。義兄は7年ほど前、食道癌を発症、東京医科歯科大学病院で切除手術をして、その後2~3年は短くなった食道で飲料を飲み下すのに苦労していましたが、それも慣れて来て健康を取り戻して来た様に思われました。しかし、元来が大食漢だった義兄は、栄養摂取が十分では無かったようで痩せてしまいました。それでも、年取ってからの痩せ型体型は健康の証と思って来たのですが、そうでも無かったのかも知れません。本人はもういませんので自分の状態を語ることはありませんが、担当医師の説明では「骨の劣化も相当進んでいて、90才代の状態」とのことでしたので、体内の老衰は年齢以上に進行していて、相当苦しかったのかと思いやるに過ぎません。これで家内は、長兄を誕生前に、次兄を在米中1983年に、今回すぐ上の兄と、両親・兄弟をすべて亡くして、高齢者仲間入り直前に、何とも寂しい限りとなりました。
2007.12.23
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先日近くの三越デパ地下で福砂屋のカステラが期間限定で売られていました。此処のデパ地下には、文明堂の常設店舗があるのですが福砂屋はありませんので、久しぶりと思い見ていましたら、並べてあるのは0.7号のカステラとオランダケーキでした。私は毎年長崎に行きますと、必ず福砂屋のカステラを買って知人に宅配発送するのですが、長崎空港店を含めて殆どの店が0.5号、1号と並べていて、0.7号は見たことが無かったのです。0.5号は一人用、1号は二人用として考えていたのですが、段々と夫婦で歳をとって来ますと0.7号が都合の良い分量かと思い買って帰りました。「福砂屋本店-カステラの老舗」訪問日記です文明堂ほどではありませんが、今や東京でも簡単に入手できるようになった福砂屋のカステラ、東京分は東京地区の工場で焼かれるそうです。知人に言わせますと、「長崎の福砂屋のカステラは、東京で売られているカステラより美味しい」とのことですが、同じレシピでも職人の腕で味も少し違って来るのかもしれません。私は食べ比べることもしませんので、底に残されたザラメ糖のザリザリ感、しっとりとした甘さで、どちらも美味しいと思います。
2006.11.14
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昨日、何十年ぶりにコクゾウムシ(穀象虫)を見つけました。実は3ヶ月程前に福島県の農家の方から玄米を15kg頂きましたので、桐製の米櫃の中に入れ、時には圧力鍋で玄米ご飯にしたり、精米機で白米にしたり楽しんでいました。桐製ですと防虫効果もあり、湿気にも強いとされているからです。しかし何しろ夫婦2人しかいませんし、朝食はパン食、昼は麺類が多く、ご飯を食べるのは夕食だけですので、なかなか減りません。昨日、1kg程精米機で白米にしようかと、米櫃から玄米を出してみますと黒い甲虫が這いずっていたのです。あれあれと思い、米櫃の中を見ましたら結構な数がいそうなので、新聞紙を広げて玄米を其処に拡げましたら、米粒の中から何十匹と見つかったのです。全て退治して、玄米は数個のポリエチレン密閉袋に入れ直し、「鷹の爪」も混ぜて密封し米櫃に戻しました。唐辛子類は虫除けに良いと聞いたからです。コクゾウムシ(穀象虫)は、体長3mm甲虫の一種でその名の通り鼻が象の様に長く伸びていて、健全な穀粒を加害する。象の鼻のような口吻で穀物に穴をあけて卵を産む。 孵化した幼虫はそのまま穀物の中で発育して蛹になり、成虫となって穀物から出て来る。25~30℃、70%湿度条件で、産卵から成虫まで約1ヶ月間かかる。成虫も穀物を食べる。米粒の中に生み付けられた卵は数日で孵化(ふか)した幼虫は、お米を食べながら大きくなる。やがて成虫となり、米粒の中から出て来てお米を食い散らし、卵を生むサイクルとなる。穀象虫は困ったことに精米工程の熱では死滅しない。防除するには、精米所を徹底的に清掃する必要がある。家庭では、購入したお米は早めに消費することや、密閉容器に入れ温度の低い所で保管する事が大切。虫が這いずり回る「お米」はあまり気持ちの良いものではありませんが、逆に考えればその中で虫が生きられる程、農薬が入っていない証拠とみることが出来ます。近頃、中国産の野菜は農薬大量散布が懸念されますので、産地表示を見て購入は避けています。野菜等では有機農業が見直されて増えていますが、値段的には相当高価な感じがしますので、国内産と言うことで妥協しているのが日常です。頂いた玄米は自家消費用なのでしょうか、低農薬米であることは確かな様で、残り少なくなりましたが喜んで賞味させて頂くことに致します。高度成長期前の1950年代では、梅雨時になりますと、醤油には白カビ、お米にはコクゾウムシ等は良く見られた光景でしたが、防腐剤と農薬の使用で何時しか消えてしまい忘れてしまいました。何十年ぶりに見つけたコクゾウムシ(穀象虫)を、そんな昔を思い出せてくれました。
2006.06.25
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近頃「鯨ウオッチング」などで環境保護の象徴ともなって来ている鯨、その商業捕獲が禁止されてから24年が経過して変化が出て来ている様です。個体数が激減した時は「保護策」は有効ですが、一定の個体数増加があった時は、生態バランスを保つ意味で捕獲は認められるべきだと思っていました。鯨の補食するオキアミ、小魚は大量で生態バランスが崩れるのではとの主張もあった様ですが、一理あると思われました。日本国内でも野生猿、野生鹿なども保護されて来たことで、個体数が増えすぎ、農作物被害、森林破壊も懸念されますので、この様な「保護政策」は「過ぎたるは及ばざるが如し」と柔軟に対応して行くことが必要だと思っています。カリブ海で開催中の国際捕鯨委員会(IWC)総会は3日目の18日、1982年の商業捕鯨一時禁止決定に批判的な内容の宣言を、33対32の1票差で可決した。捕鯨支持派がIWCの主要議題で過半数を獲得したのは、禁止決定以来初めて。宣言には拘束力はないが、IWCの意思を示すものとなる。 今回のIWCは初日の終了時点で、捕鯨支持派とされるガンビアやトーゴが新たに分担金を支払って投票権が認められたため、採決が捕鯨国に有利になる可能性があるとの見方が出ていた。2日目には、日本が承認を求めた4地域の漁民によるミンククジラの沿岸捕鯨の実施が、賛成30、反対31、棄権4の小差で否決されていた。「捕鯨禁止」でネット検索してみましたら、その辺の経緯を解説したWebサイトが見つかりました。24年前もどろどろとした政治決着の結果で、今回採択でも「どろどろ」の政治駆け引きが続いているとの興味ある記事でしたので、脚色して転載します。1946年に設立されたIWCは、加盟国17カ国前後で捕鯨国の仲良しクラブだった。状況が一変したのは1971年アメリカが「クジラやイルカなど海洋哺乳類の保護」を重要な政策として打ち出してからである。この「保護政策」にイギリスも協力し、捕鯨に少しでもかかわりがある世界中の英連邦諸国を次々とIWCに招き入れた。スイスのように海のない内陸国も捕鯨に反対する目的で入ってきた。その結果、加盟国は1980年代には40カ国を超え、大半が捕鯨に批判的な国々になったところで、1982年商業捕鯨を禁止する決議(モラトリアム決議)がIWCで多数決採択され、1986年から禁止が実施された。 IWCでは決議があっても異議申し立てをすれば、従わなくてもよい決まりがあった。日本はノルウェーと共に異議を申し立てたが、アメリカから圧力をかけられて撤回してしまった。日本漁船はアメリカの200海里水域内で漁をさせてもらっていたが、日本が異議申し立てを撤回しない限り、日本に許可していた漁獲枠を削ると言ってきたのである。 ノルウェーは異議申し立てを維持して1993年に捕鯨を再開し、アイスランドも1992年に脱退したことで、日本は主要捕鯨国で唯一モラトリアムによる直接の影響を受けている国となった。 だが1990年代後半になり、日本が対米従属度を高めるとアメリカが捕鯨に関して日本に圧力をかけることは減った。こうした変化を背景に日本はまきかえし作戦に出、日本は発展途上国に開発援助(ODA)の見返りにIWCでの日本の立場に賛成するよう要請した。かつて英米が行ったのと同じ戦法をとったのである。 明治から敗戦をはさんで1970年代までは、鯨肉は国民的なタンパク源で、近代的な捕鯨によって安く大量の鯨肉を確保し、缶詰やその他の大衆食として定着させ、日本の産業振興を支えるという国策があった。こうした政策は1986年の商業捕鯨禁止によって終わったが、それが外圧による強制であったため、日本政府は捕鯨再開を求める方針を掲げた。これは当時としては良かったかもしれないが、その後の日本が空腹の時代から飽食の時代へと変わっていき、食品流通が国際化されて安い牛肉などが海外から入ってきた結果、国民的な栄養源としての鯨肉の重要性は減った。 にもかかわらず日本政府が捕鯨にこだわっているのは、いったん決めた政策を変えることが難しいという、官僚制の弊害によるものだろう。その弊害を利用して、捕鯨協会がロビー活動を展開している様に見える。
2006.06.19
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昨晩は端午の節句と言うことで菖蒲湯を楽しみました。スーパーで買って来た菖蒲は、切ってから日数が経っているのか、独特の香りが弱くなっている様な気もしますが、薬湯では無く縁起物だと考えて良しとすることにしました。35年前に義父母から頂いた「兜飾り」も、久しぶりに保管箱から出して虫干しとしましたが、義父母も既に逝き、子供達も既に家を出て行きましたので、祝い祝われた当人達がいなくなって何か寂しい気がして来ました。端午の節句は中国での屈原(くつげん)供養が起源とされており、「絶望し身投げする直前の屈原の憤怒風貌」は横山大観の名画で日本人にも知られています(重要文化財か否かは確認していませんが・・)。インターネットでは「端午の節句」を次の様に解説しています。屈原(くつげん)(BC340~BC278頃)中国戦国時代の強国楚(そ)の高官でした。詩人でもあった彼はその正義感と国を思う情は強く、人々の信望を集めていました。しかし、大国秦(しん)の陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまったのです。楚の人達は小舟で川に行き太鼓を打ってその音で魚を脅し、更にちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。このようなエピソードから、毎年命日の5月5日の屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広がっていったのです。国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きます。その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。三国志の時代に端午の節句は、魏(ぎ)の国により旧暦5月5日に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。日本で奈良時代から宮廷で行われていた端午の行事も、時代が鎌倉時代の武家政治ヘと移り変わるにつれ段々と廃れて行きました。一方、台頭して来た武士のあいだでは尚武の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになったのです。この様な時代の変遷の中で、薬草を摘んで邪気を祓うと言う端午の行事が、男子誕生の祝いへと結びついて行ったと考えられます。5月5日の端午の節句に「鯉の吹流し」を立て、「武者人形(五月人形)」を飾って男子の前途を祝うようになったのは江戸時代からです。やがてこの風習は武士だけでなく、広く一般の人々にまで広まって行き、町人階級も紙で作った「鯉のぼり」を竿につけて高く掲げて楽しむ様になりました。中国古来の風習をそのまま踏襲するのでは無く、日本の国情に合わせて変化させて来ている様です。
2006.05.06
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10年ぶりだったでしょうか、久しぶりにジグソーパズルをしました。3Dジグソーパズル「地球儀(World Globe)」540ピースが近くの「ケイヨーD2」店にて 5490円で売られているのを見て、衝動的に買って来てしまいました。パッケージ裏側によると、発売している会社のWebサイトはこちらとなっています。25年も前に2500ピースのジグソーパズルに挑戦し完成したこともあったので、500ピース位では極端に言えば一日でOKだと思ったのです。しかし、あ(豈)に謀らんや、そうは問屋が卸しませんでした。通常平面ジグソーパズルでは、四辺縁の直線部分を作って、後は色ごとに分類し嵌め込んで行くのですが、3Dジグソーパズルでは辺や縁に相当する所が無いのです。仕方なく5大陸部分を、国名表示を頼りに組み上げて行きましたら、各ブロックが段々と球面状になって行きますので、一部のピースが落ちてしまいその固定方法が又難しく閉口しました。漸く4日程掛かって完成しましたが、完成品は結構しっかりとしています。接着糊も使っていませんのに、所謂アーチ力学と同じく、各ピースがピース自体の抵抗と摩擦によって球形が維持される様です。3D球体パズルはプラスチック製の湾曲ピースを球体に仕上げていく新しいパズルです。カチッとしたはめ心地が味わえ、のりは要りません。パズルの中は完全空洞になっています。3-D球体パズルとは、「ジグソーパズルは平面」という固定観念をくつがえし、遊び心を発揮した3-D球体パズルは、脳の持つ空間能力を隅々まで働かせ組み上げていく高度な知的パズルゲームです。独自開発の湾曲ピースを絵柄情報頼りにひとつひとつはめて球体に仕上げていく行程には他のパズルでは味わえない独特の魅力があります。また、それぞれピース自体の抵抗と摩擦によってパズルの成形が維持されるので、内部は空洞となり、完成に向かうにつれて新鮮な驚きがあります。今回の地球儀は直径229mm(9 inch)で少し小さいのですが、地球儀としての役割は十分果たします。5年程前に30.5cm(12 inch)リプルーグル地球儀を親戚の方に差し上げてしまってからは、我が家には必要性も感じられずそのままになっていたので、5年振りの復帰は何となく嬉しい思いです。通常地球儀の大きさは直径約 30.5cm(12 inch)ですが、3Dジグソーパズルですと960P になってしまいますし、その他サイズ375mm(15 inch)の大きさで1500 Pの難しいものもあるようですが、自力で完成させる自信が無くとても挑戦する気になれません。
2006.05.05
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昨夜9時ごろ、東の夜空を見上げましたら、中天に赤い火星がくっきりと見えていました。残念ながら我が家には天体望遠鏡はありませんので、8倍の双眼鏡で見てみますと赤い点が少し大きな点になりましたが、表面模様は識別出来ませんでした。それでも、夜空に輝く赤い星、今度の日曜日10月30日は火星大接近の頂点となるようで、マイナス2.2等星となりますので別に天体望遠鏡が無くても夜空のロマンを満喫出来そうです。実はこの情報、先日府中市の郷土の森プラネタリウムで教えられていたものです。郷土の森プラネタリウム訪問日記はこちらです2年前の2003年超大接近に比べると見える視頂角(視直径と言うらしい)が20.2″(秒)と20%小さくしか見えない様ですが、大きなメリットもあるそうです。2003年超大接近の際は南中高度が34度でしたが、今年は70度に達しますので、地上近くの気流乱れの影響も少なく、住宅密集地でも見上げさえすれば天心に見える好条件とのことです。それに日食・月食と言った瞬時の天体ショーではありませんので、10月30日以外でも、9月上旬から12月上旬までの4カ月間はマイナス1等星より明るいので、秋の夜長ですから晴天の日を見つけて心ゆくまで火星を観望出来ます。何時でも見えると言うことで緊張感はありませんが、怠惰ながらも天体浪漫を愛する人達には最適の教材でしょう。2005年火星大接近の紹介Webサイトはこちらです視直径20秒超の火星接近が実現する次の機会は2018年になってしまうとのこと、「月天心貧しき町を通りけり」ではありませんが、ひっそりとした田舎雰囲気の中、ゆっくりと夜空を眺めたいものです。
2005.10.28
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夜、めっきり乏しくなった虫の音あれほど賑やかだったコオロギ達何処に行ってしまったのやら朝、身が引き締まる冷たさ見上げれば雲一つ無い青空紺碧の深い秋の空だ昼、気持ち良い日の光ふと下を見れば落ち葉が多く見渡せば街路樹は色とりどり夕、驚く程早くなった日没暮れなずむコスモス寂しく見えるのは何故朝晩の冷たさを感じる近頃、深まる秋は気持ちを感傷的にする様です。暫く前には青々としていた落葉樹もグラデーションに染まって、葉が疎らとなる木々も目立って来ました。今日は又晴れとなり日陰が気持ち良く感じられましたが、それでも20℃前半ですので暑さもそれ程でもありません。日の光もめっきり弱くなり、木枯らしの吹く晩秋も目の前に迫っている雰囲気です。
2005.10.24
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一昨日ケイヨーD2と言うDIYの店に行きましたら、古い洋画DVDが多数480円で売られていました。名画として名高い「風邪と共に去りぬ」、「オズの魔法使い」、「カサブランカ」、「真昼の決闘」等、何回と無くテレビ放映されたものが殆どでした。パック裏面には小さな文字で次の様な注意書きが書かれてありました。“この作品は製作されて50年以上経過しているため、原版のフィルム状態によっては見づらい部分、聞きづらい部分のあることを予めご了承下さい”、なるほど製作・配給会社が映像権を主張しないことでこの安い価格が実現出来た様です。その中に未だ見たことが無かった「QVO VADIS(クオ・ヴァディス)」を見つけ、税込み480円でしたので、何の迷いも無く購入しました。ポーランド人作家シェンキェヴィッチの名作「クオ・ヴァディス」(1896年刊で1905年ノーベル文学賞を受賞)を、MGMがイタリアのチネチッタ撮影所で作った1951年度作品で、登場人物3万人と称される大作です。DVD画像は一部鮮明さを欠く部分もありましたが、殆どの部分では観賞するに際し何の支障もありませんでしたし、主演はRobert Taylor(ロバート・テイラー)とDeborah Kerr(デボラ・カー)、イギリスからハリウッドに移ったばかりのデボラ・カーの理知的な美しさには目を見張るばかりでした。皇帝ネロの迫害を恐れてローマから逃げ出そうとする使徒ペテロは、師キリストに出会い「Quo Vadis Domini(クオ・ヴァディス・ドミネ)」(主よ何処に行き給うや)と尋ねると、「余はローマに赴きて再び十字架にかからん」と答えられたので、ペテロは翻然悔悟してローマへ戻り、逆さ吊りの十字架に掛かって殉教したとされています。シェンキヴィッチはこの伝説を元に、迫害に耐えたローマのキリスト教社会を描きながら、プロイセン・オーストリア・ロシアの3強国によって祖国が分割され領土をすべて奪い尽くされたポーランド人が、侵略や抑圧に立ち向かうのを鼓舞したと言われています。「クオ・ヴァディス」を初めて読みましたのは今から45年前のことで、感動したことは覚えていましたが、その本も何処かに四散して無くなってしまい、あらすじも定かではありませんでした。購入したDVD映画、一寸スペクタクル巨編過ぎましたが、気軽に面白く見ることが出来ました。只小説では、ヒロインであるリギアを守る護衛の巨漢ウルススの活躍は血湧き肉踊るものだったと記憶していましたが、映画では脇役のせいか平板な描写で少し残念な思いを禁じ得ませんでした。文章から惹き起こされる想像力は映画の描写力に勝ると言うことなのかも知れません。又、こんな掘り出し物のDVDを見つけて見ようと思いますが、480円では破格過ぎる価格で、今後続くのか否か甚だ疑問に思ってしまいます。
2005.10.08
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先週から国税庁のWebサイトに入って、平成16年度確定申告書調製の操作をしていましたが、今朝出来上がりましたので、最寄りの税務署に出掛け提出して来ました。車で行こうか公共交通で行くか迷ったのですが、郊外ですし午前10時頃行けば空いているだろうと見込んで、車で行って見ることにしました。確定申告期間の最中ですので幸いにも臨時駐車場が設けられていましたが、未だ2月下旬、混雑して停められない程ではありませんでした。それでも、庁舎前に設けられているプレハブ建屋の相談所の中は、雲霞の如く申請者で一杯、座る席も無く暫く待たされました。漸く席に着いて、係員にパソコンのプリントアウトを見せますと「出来ているのなら、提出は庁舎内の受付へどうぞ」と言うばかりです。この様な「パソコン絶対視」現象をデジタル時代の弊害と言うのかも知れません!パソコン結果が正しいとは思わないのですが、そう言われましたので90%OKと自己判断し、源泉徴収票と保険支払証明書をホチキスで添付して、庁舎に行きそのまま提出してしまいました。昨年技術士事務所を開設したのですが、開業届を税務所に提出していませんでしたので、税優遇措置のある青色申告とはならず、白色申告となってしまいましたのは残念です。控除額が断然違うのです。とは言っても事務所開設は有限会社としてでは無く、「人格無き社団」ですから、開設費用は一切掛かってはいないのですから良しとしましょう!「人格無き社団」に依る開設に付きましては、こちらの日記をご覧下さい!しかし、従来は厚生年金には所得税は掛けられなかったのですが、平成16年度から課税制限が下がり、個人年金も所得として合算、事業所得も入れますので一挙に10万円が課税されることとなりました。これで地方税も上がりますので、年金生活者も今後年々課税が強化され、生活の切迫感が増加することが懸念されます。今後私の事務所経営がどうなるか分かりませんが、ついでに開業届、青色申告承認申請書も当該税務署に提出して来ました。本年度は必要機材(パソコンの更新、デジカメの買い替え等)を購入し、経費処理をどんどん増やす意気込みです。その前に昨年度分の「消費税申告」期限が3月末ですので、これもクリアしなくてはいけません。
2005.02.21
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梅も綻んで咲くこの季節、日本南岸には移動性の低気圧がやって来て、北にある高気圧から東風が吹くことが多いと言われています。東風を「こち」と呼ぶことは良く知られていますが、その他の各地でも風の呼び名はその土地特有なものがあり、由来も明確で無いこともあって聞いても分かりませんし、日本語の難しさを実感させられます。各地の方言との関連もあるのかも知れません。こち (東風)春に東方から吹いて来る風。あまりに有名な道真の歌で知られています。「東風(こち)ふかば にほひ起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」語源については、次のような出典もある様です。東よりふく風をこちと名付く、如何。これを推するに、虎うそぶいて、風を成といへる事ある歟。虎は、木神なれば木也。こと言いつべし。ふき返りて、ひ也。こひとなる。こひをこちとばしいひなせる歟。 (『名五記』巻五)要するに、「こ」は「虎」で、「ひ」が「風」で「こひ」となり、訛って「こち」になったとの説明です。信憑性については判断し兼ねますが・・あい(え、ゆ)(東風)中部地方、富山、福井県を中心に用いられ、東風のこと。大伴家持が任地越中で、越中ではコチ(東風)の語がないことも珍しく思ったらしく「東の風越の俗の語に東の風をあゆのかぜと謂ふ」と言い、次のような和歌が残されています。「東風(あゆのかぜ)いたく吹くらし奈呉(なご)の海人(あま)の釣する小舟(おぶね)漕ぎ隠る見ゆ」はえ(や)(南風)山陰、西九州地方でよく用いられ、南風のこと。南風(はえ)が吹くと雨が降り海が荒れ出航不能となり、南風の時化が治まる迄風待ちして待機するとのことです。北原白秋が「思ひ出」の中のTONKA JHONの悲哀として「南風(ハエ)が吹けば菜の花畑のあかるい空に」 と歌っていますし、俳句にも、「川がりは先凉みとれはへの風」(毛吹草-五・夏) とあるそうです。ならひ(い)(北風) 太平洋岸東日本で用いられ、冬の季節風のこと。「江戸にては東北の風をならいと言う。つくばならいというあり」(物類称呼)とあって、東北の風としています。たま(ば)(北風)冬に北日本の日本海側で吹く北寄りの風。
2005.02.15
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サンマの丸干しは早春の時期が旬で、丸干しの代表格で知られるウルメイワシより美味だと思います。関東近辺では「サンマの丸干し」と言うと伊豆旅行した時のお土産とイメージがあり、残念ながら東京には余り出回っていません。昨年は3月上旬河津桜を見に行き、会場のテント売り場で買った記憶があります。サンマは春から夏に、日本の西南海域から北海道の沖合まで北上して生育し、産卵の為親潮に乗って8月中旬から南下する回遊魚の様です。南下する10月頃が栄養を蓄えていますので、食べ頃で旬とされています。北海道、三陸沖、銚子沖等で獲れる脂の乗った秋刀魚も、駿河湾迄下って来ますと脂も落ちて身もパサパサで塩焼きしても美味しく無いのだと思いますが、丸干しにしますと絶品の味に変化します。しかし、「サンマの丸干し」の本場と言うと三重県、和歌山なのかも知れません。実は先日地元デパートの地下食料売り場で和歌山の「ウルメイワシの丸干し」「サンマの丸干し」が売っていたのです。丸干しの乾燥のさせ方も伊豆のお土産干物に較べ徹底している様で、見るからに堅そうでした。そう言えば、サンマの大きさも伊豆のものより大きめで、脂の少ない特性を活かして、生で「サンマ寿司」、干物にして「丸干しのサンマ」として食しているとのことでした。となりますと、伊豆・駿河湾で獲れるサンマは小振りですので」「落ちサンマ」でなく逆に「上りサンマ」かも知れません。確認はしていませんが・・何れにせよ、和歌山の干物両方を買って、その夕方食べたのですが「サンマの丸干し」は「ウルメイワシ」より美味なのです。サンマは秋だけのものでは無く、春の小振り「のぼりサンマ」、晩秋・冬の「落ちサンマ」を干物用と工夫すれば一年中「旬」で食べられる魚だったのです。インターネット検索すると「サンマの丸干し」は各地にあり、九州から北海道まで日本の海ならどこでも獲れている素晴らしい大衆魚だったことが分かりました。
2005.02.11
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日本で最初に「たい焼き」を考案したと言われている「浪花家」が、立川伊勢丹のデパ地下に1月26日から2月1日迄出店すると言うので行って見ました。別に「たい焼き」の実演がされている訳ではなく、小さな売り場があるだけで予約販売をしているだけ、しかも一人最大5個で購入個数も制限され、予約してから80分待ちで受け取れると言うことでした。1つ140円ですから700円を支払い、整理券を貰って後で来ることにしましたが、開店から2時間で整理番号は61番目、それほど人気があるとは感じられませんでした。やはり、B級グルメは実演販売しないと美味しそうには見えないのでしょう、老舗の名前だけで売れるほど商売は甘くない様です。「浪花家」は文京区にある老舗で、1909年から「たい焼き」を売っているようです。それでも、家に帰って電子レンジで暖めなおして食べますと、薄い皮は香ばしくパリッとしていますし、皮に包まれた餡子は程良い甘さの小豆の風味がして、普通の「たい焼き」より格段に美味しかったと思います。やはり、昔風の鉄製型で焼き上げた「たい焼き」は、しつこくない甘さと風味が良く、冷めても美味しく食べることも出来そうです。近頃「たい焼き」と言いますとアルミ鋳物のようなもので、一度に大量に焼ける設備で売っている店が多くなりました。これですと、皮がパリッとせず柔らかくて美味しくありません。昔は東京の街中でも、「浪花家」の様なお店が沢山あったような気がしますが、いつの間にか消えてなくなってしまいました。何れも小さい店でしたので、店主が一人で拵え出来上がると暖かい「たい焼き」を新聞紙に包んでくれたものですが、後継者も無く閉店してしまったのは残念なことです。
2005.01.27
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今朝のニュースによりますと、米地質調査所は昨日発生したスマトラ沖地震のマグニチュードを8.9から9.0に修正したとのことです。12月26日インドネシア西部のスマトラ島沖で発生した強い地震で、10mを越す大規模な津波が次々とスリランカ、インド、タイ、マレーシアを襲い、津波は遠くアフリカ沿岸まで達しソマリアでも死者が出ている様です。午後1時での報道によると、各地の死者総数は13000人を越え、更に行方不明者が多数となっており、クリスマス観光旅行中の日本人観光客も20名も含まれている模様です。マグニチュード9.0とは聞いたことが無い程の地震の大きさと思っていましたが、新聞記事によりますと、1900年以降4番目の大きさで、最大の地震は、日本の三陸地方にも大きな津波災害をもたらしたチリ地震だそうです。1.チリ地震 M 9.5 1960年 死者 5700人2.アラスカ地震 M 9.2 1964年3.アリューシャン沖地震 M 9.1 1957年4.カムチャッカ沖地震 M 9.0 1952年4.スマトラ沖地震 M 9.0 2004年 死者13000人以上スマトラ島はユーラシア・プレートとインド洋・プレートが衝突している地域で地震多発地帯だとのことですが、日本ではユーラシア・プレート、北アメリカ・プレート、太平洋プレート、フィリッピン海プレートがせめぎ合う地域ですから、同クラスの地震の可能性もあり他人事とは思われません。テレビニュースでも、津波の来る様子を撮影した映像が放映されていましたが、将に激流で、車など掴まっていた人達が次々に流されて行く姿が痛ましいものでした。映像を見るまではこれ程とは思いませんでしたが、凄まじいものです。この年末に発生しました自然災害、本当に今年は自然災害の厳しい年でした。日本政府はスリランカ政府からの要請に基づき、救急専門チームを27日に派遣決定、他の国からも要請あり次第、医療チームや捜索・救助チームの派遣を検討するとのことです。今回のスマトラ島沖地震エネルギーは、関東大震災の40倍、阪神大震災の500倍にもなる凄まじい巨大地震ですし、津波の被害は史上最大となりました。各国・国連等が支援に動き出しましたが、被害地での、一刻も早い復旧作業と各種救援が望まれます。
2004.12.27
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近頃は自己欲優位・金銭万能の時代で、遊興費獲得の為の恐喝・殺人が横行する時代となり、老いも若きも自己防衛に気を付けなければならなくなりました。ほんの数十年前はそうでは無く、若い世代は夢に燃え社会の一員となることに喜びを感じる世情でありました。1964年安田講堂で行われた東大卒業式での大河内一男氏(その頃は学長で無く東大総長と言っていました)の卒業生への訓辞「肥った豚であるより、痩せたソクラテスたれ」は良く知られています。1960年の安保騒動が終焉、池田内閣の所得倍増論が華やかで、産学共同が叫ばれ、卒業後の就職先も選り取り見取で学生は浮かれていた傾向がありました。南原、矢内原と学究肌でキリスト教徒であった法学部出身の総長に次いで、茅誠司氏が理工系として初めて総長に就任、産学共同を押し進めたのでした。大河内一男氏は経済出身の労働問題研究者で、そんな傾向に忸怩たるものがあり「自己繁栄を追求するより、社会全体を見て社会貢献せよ」と言いたかったのでしょう。実際はこの句は新聞記者に配られた講演原稿にはあった様ですが、卒業式の訓辞では言われずじまいだったのです。反って新聞記者の書いた記事となって有名となってしまいました。その後1968年東大闘争では闘争拠点となり、占拠した学生と警察との攻防が繰り広げられ、ついには学生側の落城で決着となりましたが、安田講堂内部は占拠によって相当荒らされていた模様でした。昨日は久し振りに安田講堂に行って見ましたが、偉容を誇った時計塔も、講堂裏には高いビルがあって見下ろされていました。その他設備更新が此処彼処で行われていて工事現場の様相を呈していましたが、国立大学から学校法人となり自己経営が求められたことで研究設備を充実させているのでしょうか?三四郎池は健在でしたが、緑はどんどん少なくなって行くようでした。40年振りに入った講堂内部は記憶していたより小さく、2000名を越える入学式・卒業式は一度には出来ないと思いました。しかし500~1000名程度の集会にはゆったり出来る良いホールです。
2004.11.27
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震度6強から7に変更された新潟県中越地震、今朝のニュースでも伝えられた被害地の状況は、目を覆うような惨状です。高速道路の陥没、山崩れによる一般道路寸断、倒壊した多くの家屋、避難所のすし詰め状態、中継される大きな余震、等々凄まじい。衣食住のライフラインを断ち切られた住民は、取りあえず食糧を求めて役所に行っても貰えない様子で、余震に怯える住民達は疲労困憊の様子です。NPOの人達も、道路寸断で素早いアクセス方法が見当たらず、支援作業が進まず手を拱いて待機せざるを得ず、直下型地震の物凄さを目の当たりにし、テレビに釘付けとなりました。阪神大震災とは異なり、住宅密集地区が無かったので、発生した火災の類焼が無く死者の数がそれ程でも無かったのが、せめてもの慰めでしょうか?被害地は今晩から雨の予報で土砂災害も予想され、名だたる豪雪地帯ですから来月早々にも雪も近いと懸念されます。一刻も早いライフラインの復旧と、素早い被害者支援を政府非常災害対策本部が的確に実施して頂きたいと思います。こう言う緊急事態になりますと、IT・携帯電話はインフラ破壊で使い物にならず、車も使えず、人力と公共放送しか頼りに出来ないのだと愕然としています。インターネットニュースでは、次の様に伝えています。新潟県中越地方を襲った地震の被害は24日、確認作業とともに拡大、県警の調べで死者は23人に上り、負傷者は2100人を超えた。死傷者数による被害規模は1995年の阪神大震災以来。政府は非常災害対策本部を設置した。震度5強の余震が続き、避難者は夜になって85000人に達した。新潟県は被害が大きかった小千谷市や川口町など26市町村に災害救助法を適用した。県によると、全半壊と一部損壊を合わせ建物の被害は住宅約2700棟、事務所や公共施設などが約1200棟。警察庁によると、約60ヶ所で山崩れが起きた。24日は、周辺の道路が寸断された山古志村から自衛隊ヘリコプターが高齢者らを長岡市へ輸送。これとは別に同市の太田川上流などで、住民や温泉の宿泊客ら計約700人の孤立が続いた。電気は少しずつ復旧しているが、停電地域も多く水道やガス、携帯、固定電話サービスの復旧見通しは立っていないという。JR東日本によると、上越新幹線は脱線車両が線路上に残されたままで、東京と新潟を結ぶダイヤは全て運休。脱線した上越新幹線の復旧には2週間以上掛かり、新潟迄の運転再開には更に時間がかかる見通しだと言う。取りあえず、東京―越後湯沢間で1時間に1本程度折り返し運転している。日本道路公団によると、北陸、関越両自動車道は路面の段差やひび割れ、道路脇の斜面崩落などが見つかり、新潟県内で通行止めが続いた。警察庁によると、国道など一般道路でも200ヶ所以上で損壊や陥没があり、通行止め区間が相次いだ。台風による大雨で地盤が緩んでいるうえ、26日からは再び雨になるとみられ、土砂災害への警戒を呼びかけている。
2004.10.25
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93才を越えた父と実兄夫婦が神奈川県秦野市に住んでいますので、良く訪問するのですが、今頃はおやつに出してくれます「ゆで落花生」が美味しい時期となりました。秦野市は「落花生発祥の地」とも言われ、都市化がどんどん進む中、未だに落花生農家も健在です。明治初期、外国から入った落花生を二宮町で栽培を始め、秦野市が火山灰に覆われた畑が多く、土壌も落花生栽培に適していることから広がったそうです。現在は主生産地が更に広がって千葉県に移ってしまいましたが、神奈川県としては未だ第三位を保持しています。落花生は収穫後乾燥させてから出荷するのですが、ゆで落花生は商品とし難い小さい殻のもの・殻の色が悪いものを捨てることなく、美味しく食べられないかとの生産農家の工夫から始まったのだと思います。かなり昔から、落花生は塩ゆでにして食べるのが、この地域ではごく普通の食べ方でした。生の落花生を塩ゆでにして、殻を剥いて、落花生を皮ごと食べるのですが、柔らかい塩味が絶妙でこれが、美味しいのです。しかし、ゆでた落花生は傷みやすいため流通が難しく、食べることができるのは地元の人に限られていました。ところが、落花生最大の生産地である千葉県で、このゆで落花生をレトルト加工することにより、時間が経ちますと黒ずむ弊害を克服し、産地でしか食べられなかった食味・風味を常温で保存できるようにしたのです。NHKテレビで紹介されたこともあり、その美味しさが評判となって、最近は生協や大手スーパーでも、販売するところが出て来ました。つい先日、自宅近くのスーパーでレトルトでない普通の「ゆで落花生」パック詰めを見つけて、買って来ました。食べて見て成る程とは思いましたが、やはり茹でたてのしっとりとした熱さが残る風味には適いませんでした。少しでも時間がかかると堅くなってしまいますので、レトルトパックでないと駄目かも知れません。
2004.10.10
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自宅近くの多摩中央公園の中にグリーン・ライブ・センターと呼ばれる植物を育て、園芸指導をしてくれる所があります。グリーン・ライブ・センターのWebサイトはこちらです昨日、散歩をしながら立ち寄りました所、いろいろな植物の鉢植えが売られていましたので、その中からレモン・グラス、珈琲の鉢植えを買って見ました。各々200円ずつの価格でした。両方とも冬に弱い種類の様で、戸外に置きますと寒風吹き荒ぶ多摩丘陵地帯の寒い冬には立ち枯れてしまうと言うことでしたの、冬になったら屋内に入れると言うことにして持ち帰って来ました。珈琲の木は、瑞々しい若緑色の葉が美しく、少し大きめの素焼きの鉢に植え替えました。それで、グリーンを楽しんで見ようかと思っています。美味しい珈琲を飲みながら・・植え替えて、水やりのつもりで庭に置いておきましたら、夜来の雨で、葉に着いた水滴が綺麗でした。珈琲の木と言うぐらいですから、このまま枯れないで育ったらこの熱帯の木の処置に困るでしょうが、将来については考えないことにして置きます。珈琲は1000年以上前のアラビアが起源で、当初は実を潰した団子で薬として用いられた様ですが、その後13世紀頃には種を煎って粉にして使う様になった様です。アラビアからイスラム全土に広まった珈琲は16世紀にトルコで、煮出し珈琲が大流行、17世紀にはイギリス・ロンドンのトルコ人貿易商がコーヒー店を開業、あっと言う間に3000軒が林立したと言われています。現在主流のドリップ式珈琲は1763年、フランスの珈琲好きのブリキ職人によって考案されたもので、豊かな味と香りが最大限に抽出出来ることになったそうです。バッハの世俗カンタータ「珈琲カンタータ」が有名ですが、バッハは1750年に死去していますので、その頃は煮出し珈琲しか無かったのだと、珈琲店で頂いた小冊子を読みながら、初めて知りました。ドリップ式の味が楽しめたら、バッハももう一曲素晴らしいカンタータを作ったかも知れませんね。
2004.09.06
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今日8月6日は広島原爆の日、平和式典の様子をテレビニュースで見ていました。秋葉広島市長は「憎しみによる暴力の連鎖が止まらず、アメリカ一国主義による新たな核兵器開発が平和の危機となっています。被爆都市として核廃絶へ向かって運動の先頭に立ちたい。政府には「核兵器廃絶の世界のリーダー」として、平和憲法を守り、戦争や核兵器容認の風潮を正す様求める。」と平和宣言を宣誓。これに対して、小泉首相は淡々と「平和憲法を堅持し、非核三原則を遵守し、核兵器廃絶に努力したい。」と挨拶しましたが、日米同盟強化と憲法改正を主張している本人ですので、「理念と現実政策との乖離」が感じられ、この挨拶には違和感を覚えました。この1年でも、5100余名の方々が原爆症で亡くなり、慰霊者の数が23万人を越えたと言うことは驚きですし、60年もの間苦しんで亡くなって行く原爆後遺症とは、想像を絶する悲惨さがあります。所で、今年も猛暑は記録的、梅雨前線、台風等に依る集中豪雨も観測され、日本が熱帯化している様な気がします。雨が降ると言うよりスコールが来ると言う感じがしますから・・しかし、明日8月7日は立秋、暦の上では秋となり暑さも残暑となりますので、暑さも峠を越えて呉れることを期待しています。又、今年は例年に無く、自宅周辺には赤トンボが多く見受けられます。アキアカネと呼ばれる種類の赤トンボで、朝な夕なに乱れ飛んでいますが、暑さも為に依るものか赤色が定着していませんので、赤トンボと言うより未だオレンジ又は黄トンボの状態です。それでも、住宅街の中でも自然が戻って来ているのかと思いますと楽しく眺めることが出来ます。多摩ニュータウン地区は相当な乱開発が行われたのですが、計画的に緑が整備され、水道水を用いた溜池が設けられましたので、自然の治癒力が働き出し、トンボ・蝉等が戻って来つつあるのだと思います。
2004.08.06
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7月下旬過ぎから猛暑になって、蝉の大合唱、アブラゼミが殆どで多少のミンミンゼミが混じって、聞こえて来ます。毎年同じことだと思うのですが、今年は一寸鳴く時間帯が狂っているのではと疑っています。私が抱いている例年の感覚では、朝の暑さが募ってくる午前8時頃鳴き出し、暑さ真っ盛りの午後に一休み、夕方鳴いて、夜はお休み、となっているのです。しかし、今年は、朝8時からはでは無く、午前10時を過ぎてから合唱が始まり、午後の一休みはありますが、夕方鳴き出して夜も止まること無く、数は少なくなりますが真夜中まで鳴き続けているのです。今年の猛暑特有の現象なのでしょうか、昨年は凶作となった様な冷夏でしたので気が付きませんでした。我が家周辺には、アブラゼミを餌として狙うヒヨドリも多くいますので、その食事時である朝を避け、活動を停止する夜に鳴く時間をずらしているのかと考えたりしています。実際、木々の下には、頭を食べられてしまったアブラゼミの死骸が多く見受けられ、自然の摂理とは言え可哀相な感じもします。蝉は地中で約7年ほどを過ごし、成虫となって地上に出ますとおよそ1週間で子孫を残してその生涯を終えるとされていますので、そのサイクルを全うする為、種族防衛機能が自動的に働き、鳴く時間をずらしているのでしょうか?それとも、住宅から洩れてくる照明を夕方の光と錯覚しているのかも知れません。何れにせよ、人間の活動が、生体サイクルにも影響を与える地球環境の変化をもたらし、それが音もなく深く静かに進行していると感じざるを得ません。
2004.07.27
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遂にUFJ銀行を統括するUFJホールディングスが、三菱東京フィナンシャルに吸収合併されることになった。三和銀行を中核として第4番目に位置するメガバンクとして2002年に誕生してから僅か2年しか経過していません。竹中金融相から眼の敵にされ「検査忌避で挙げてやる」と凄まれ、業務改善命令を発動、「組織的隠蔽」を激しく指弾されて刑事告発される可能性が高まり、完全に白旗を揚げて降参と言うことに相成りました。三和銀行は、大阪第十三銀行として発足、つい近年迄は、中堅の割合目立たないが堅実な銀行でした。1980年代から、利用客の利便を重視した営業方針に転換「駅前に三和のATM(現金自動支払機)」が大いに人気を呼び、大型銀行に変貌しました。バブル後の日本の銀行群の格付けでは、土地への投資なども少なく最良のA格付けを誇っていました。その頃は「日本は諸外国から閉鎖的だとか言われていますが、現実にわが国に進出してきている外国銀行と邦銀は国内での法律、制度は同等だと思うし、ただ利用者がどこを選択するか、ということです。グローバリゼーションの中で、金融業務は国内、海外という壁はほとんどなくなりつつあり、ただ、われわれ銀行業として日本国内で大蔵省の規制でできる仕事とできない仕事があることはあるが、出来る限りの金融業を行うユニバーサル・バンクを目指し三和銀行としては取り組んで行きます(1992年10月)」と自信を覗かせていました。しかし、好事魔多し、頭取派と会長派の血で血を洗う抗争が勃発したのです。こうなると堅実な経営戦略は影を潜め、長期戦略も何も無く茶坊主の暗躍する修羅場となりました。銀行再編には、他行の後塵を拝して、東京三菱、みずほ、三井住友に遅れること久しく、合併メリットが疑問視される第4のメガバンクUFJホールディングスが誕生、株式交換比率は三和銀行1、東海銀行0.62、東洋信託0.46とし、2002年4月に発足となりました。金融庁の目論見ではメガバンクは2~3で良いのですから誤算だったと思われます。自己保身と権力維持の茶坊主ばかりののUFJ銀行、経営の根幹となる不良債権処理も一番出遅れることとなり、金融庁には解体の対象第一候補、要注意銀行として眼の敵とされ、本日シナリオ通り、吸収合併されるに至りました。しかし、竹中金融相の描く姿は「アメリカの金融業界の現状を最善とする」と言うことの様で、国民・顧客の視点からの規制緩和の構造改革では無く、受け売りの論理を実践しているに過ぎません。日本長期信用銀行は税金をつぎ込んだ後、構造改革の一環として国有化し、アメリカ企業に有利な条件で譲った結果、株式上場でその企業に大儲けさせたのです。この辺の判断の誤りに付いての弁明はありませんが、臭い物に蓋と言う姿勢にも問題があります。将に曲学阿世の徒です、この男は!
2004.07.15
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曽我さん家族がインドネシア・ジャカルタで1年9月振りに再会したニュースはテレビ各局が中継放映していました。拉致被害で苦しみながらも、拉致された北朝鮮で生き抜き、米国脱走兵のジェンキンス氏と結婚して、二人の子供を育て小さな家族の幸福を味わっていた曽我さん、日本帰国以来バラバラになった家族の絆を取り戻そうと懸命に訴えた希望が漸く叶えられたのですから、日本国中が祝福していると思います。ジェンキンス氏は1965年在韓米軍の軍曹として駐留していたのですがベトナム戦線への派遣転出命令に対し、北朝鮮亡命で拒否の意志を示したと言われています。ベトナム戦争は泥沼化し、結局は米軍撤退となって終結したのですが、米国の残虐行為が明るみに出て、道徳頽廃気運が米国中に蔓延し、自由主義国リーダーとしての威信失墜、経済大国の自信迄もが揺らいだ時期でもありました。日本国内でも脱走兵は多く出て、小田実が主宰する「べ平連」は救済活動を積極的に展開していましたが、国を捨てて敵前逃亡したことで訴追は免れなかった様に記憶しています。ジェンキンス氏も個人の行動として悔いる所は無いのでしょうが、国に訴追される怯えはずっと持っているのでしょうし、亡命以来40年も経過していますが、日本に入国すれば訴追は免れ無いと判断しているのでしょう。日本政府のこの件に対する対応は、小泉首相の5月訪朝では“ I Guarantee”と身の安全を請け合いましたし、今回の再会に際しては「日米間の強い信頼関係がありますから」と、折衝した形跡も無いまま、極めて軽い気持ちに終始しています。つまり、解決に努力するよりも「何とかなる」と言う判断で、ことを進めているに過ぎない様です。信頼関係だけで法を曲げての決着、軍法違反訴追免除が勝ち取れるのか、大いに疑問でしょう。拉致家族連絡会の「ジェンキンス氏の訪日説得を、曽我さんに任せるのでは無く、政府が積極的に解決する努力をして欲しい」との声明が出されていますが、現在の状況説明と進むべき方向を明らかにするのは政府の義務である筈です。拉致疑惑の発端となった横田めぐみさん、他の拉致被害者の北朝鮮国家犯罪も一刻も早い解明も待たれます!そうでないと、参議院選挙の劣勢逆転を意図した場当たりパーフォーマンス、政治ショーだけでは無いのかと疑われても仕方がありません。
2004.07.10
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原子力発電・核燃料サイクル推進政策に赤信号が出ました。原子力発電は発電単価が火力よりも安く、二酸化炭素も排出せず、地球温暖化防止のCOP3促進にも大きな役割を占めると言われて来ました。昨年来、維持整備費、将来の解体処理費を考えますと、どうも従来火力より割高とのことが明らかになって来ました。この議論は長い間封印されていたのです。今回は、核燃料サイクル費用が直接処分より割高となる隠蔽資料があることが判ったのです。これも10年間封印との新聞記事があります。経済産業省・資源エネルギー庁が推進して来たことは、“初めに国策ありき”を押し通すことでした。しかし、経済的に合理性が無いのですから、これは推進の是非について再検討を要します。のみならず庁内縦割り弊害の多い資源エネルギー庁は再編を考慮すべきでしょう。エネルギー政策や環境政策は、複雑に変化し且つ相互関連がありますので、総合的・横断的な対応が求められますが、省庁間「縦割り」弊害のある現状の官僚組織・制度では、対応が出来ないと言って良いと思われます。数年前に省庁再編が実施された際、資源エネルギー庁の解体分割が検討され、省エネ・新エネルギー、資源・燃料部隊は環境省昇格に伴い環境省に編入、総合的観点から環境・エネルギーを取り扱う、と言う案もあったと記憶しています。小渕政権がもう少し長続きすれば、そうなったかも知れないと残念でなりません。しかしながら、絶大な利権構造を誇る経産省は、従来通りの経産省管轄に戻してしまいました。現在の資源エネルギー庁はどうでしょうか? 電力自由化、新エネルギー、原子力政策は互いに矛盾を縫合させたままで、庁内の省エネ・新エネルギー部、資源・燃料部、電力・ガス事業部間の「縦割り」弊害さえも顕著となっているのです。批判派のNPO法人「環境エネルギー研究所」の飯田所長は、進まない風力発電の元凶は資源エネルギー庁にありと、インターネットで次の様に手厳しく糾弾しています。「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」、通称「新エネRPS法」が原因である。RPSとは、1990年代後半から欧米から広がってきた自然エネルギー促進制度で、「Renewable Portfolio Standard」(再生可能エネルギー割当基準)の略称である。電力会社や消費者に対して、電力販売量や電力消費量に占める自然エネルギーの比率を高めるよう目標値を義務づける制度で、その過不足をクレジットの形で販売することで、自然エネルギーの設備の有無にかかわらず、全ての電力会社が義務を達成できる仕組みである。しかし、先行する欧州で制度の欠陥のために混乱が生じ、国家管理的な性格もあって、徐々に懐疑的な見方が広がってきている。経済産業省は制度設計でも致命的なミスを犯している。官僚特有の縦割り性向のために、電力自由化政策や地球温暖化政策との調和を試みた形跡すらない。不透明なプロセスから、電力会社の政治圧力を受けて、2010年までにわずか1%増という「小さすぎる目標値」に抑える姑息な策が弄されているが「目標値」とはいえず、むしろ「抑制値」と呼ぶべきであろう。これほど見事に失敗した政策も珍しいのではないか。官僚主導の政策決定プロセスは、自然エネルギーの普及という「公共性」を真摯に追求したというよりも、官僚組織としての「私的利益」の追求に他ならない。結果として、自然エネルギーの促進そのものの普及が滞り、混乱に陥っている現状を考えれば、「公共性」に反していることは明らかだろう。
2004.07.04
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昨日、夕方のテレビニュースを見ていましたら、「夜に搾乳した牛乳にはメラトニンが多く含まれ、健康に極めて良い」と報道していましたので、この名前を思い出しました。メラトニンと言う名前を教えて呉れたのは、会社時代の6年前に訪問を受けたアメリカ人からでした。「時差呆けで、なかなか大変ですね」と言う私の挨拶に対して、そのアメリカ人は「睡眠薬でない、メラトニンと言う薬を服用、副作用の無い自然な眠りが出来ているので大丈夫」と言ったのです。その次の訪問時、カプセルを入れたプラスティック瓶を「試して見て!」と持参して来て呉れました。有り難く頂戴し、自宅に持ち帰ったのですが、服用することもなく何処かに置いたままとなって仕舞いました。テレビ報道を見て、薬箱を探して見ましたが行方不明です。必要性の無いものは行方不明のままが良いのでしょう。しかし、6年経ってもメラトニンは日本では販売されておりませんので、インターネットで輸入する他無く、日本での薬事検証対応が遅すぎる気がします。インターネット検索して見ますと、次の様な情報が見つかりました。メラトニンは、米国で1995年頃より、ガン防止、抗癌剤の副作用緩和、免疫系強化、さまざまな病気への抵抗力強化,エイズに対する有効性、不眠症治癒、血圧を下げ心臓病を予防、まさしく世紀の発見、不老長寿の秘薬であると言った報道がされて来た。それ以来、米国では栄養補助食品として販売されているために、入手が容易の様です。アメリカのニューズウィーク誌では、典型的なコメントとして「みなさん,メラトニンを試してみましたが,最高ですよ。睡眠サイクルを元にもどしてくれて元気がでました。」と大きく紹介している様です。 ヨーロッパではニューロホルモンと考えられており、市販薬としては販売されていません。日本でも正式に認可、販売はされていませんが、個人輸入などで入手することに対する規制は行われていません.インターネットの普及によりこういった薬剤も国内で容易に入手できるようになっており、中毒情報センターへの問い合わせも増加しています。インターネットでメラトニンを検索しますと、国内で1000件近くの情報が掲載されていました。一例として3mg60cap 2800円+消費税+航空便送料で輸入を代行しているところも簡単に見つかります。結構、高価な薬を頂戴して、アメリカ人には迷惑を掛けたのだと今更思い出すこととなりました。
2004.07.01
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唐代の詩人、詩聖と呼ばれる杜甫の詩の題です。彼は青年時代から、詩の才能が高く認められたのですが、官吏登用試験に失敗、政治に揉まれた悲運の生涯でしたが、死後も詩の評価が高まり、今なお世界最高の詩人とされています。絶句とは起承転結の4節からなる詩の形態を言いますが、自信もあったのでしょうか、杜甫は簡明にも詩の題とした様です。江碧(みどり)にして鳥いよいよ白く山青くして花燃えんと欲す。今春、看(みすみす)又過ぐ何れの日か 是帰年ならん起承の自然描写から転の社会情勢、結での自分の思いを述べる手法は見事なものです。口語体に直しますと、次の様に解釈されるのでしょう。口語体に直しますと、次の様に解釈されるのでしょう。“長江も山も今を盛りの春を迎えている。それをじっと見つめる我が目前を、今年も又無駄の様に過ぎて行く。何時、かねての望みである故郷に帰る日が来るのであろうか?”「改革無くして成長無し」と清新なメッセージを掲げて、日本政界・官界の構造改革を標榜した小泉政権の登場は三年前には鮮烈でした。国民は両手を挙げて歓迎し、その推進を期待したのです。しかし、目論見は崩れ、「今春、看(みすみす)又過ぐ」が続き、名目は別にして内容のある構造改革は頓挫してしまいました。「人生いろいろ」と嘯き、彼こそ旧来の特権意識の塊であることが露呈して来たのです。遂に、李斯(りし)状態に陥っている様にも思えます。趙高(ちょうこう)に誑かされて奸計に与し、行政の能吏から陰謀・守旧派に変節してしまった秦の宰相です。李斯-荀子の門下生。楚の人。法治主義の実践者。呂不韋の家臣から始皇帝の丞相となり、統一国家の確立に貢献。趙高-始皇帝の末子胡亥を二世皇帝に立てる陰謀を計り、李斯を誘い遺言を捏造、権力を握った宦官:陳舜臣「小説十八史略」の登場人物一覧より抜粋李斯は、趙高を「能力も無く、陰謀しか能が無い」と馬鹿にして多寡を括っていたのですが、結局は趙高の陰謀に掛かり、五刑(鼻、耳、舌、足を切り、笞打って腰斬)に処せられてしまいました。平家物語でも“李斯、趙高の類”と悪臣の典型例とされるに至りましたのは、身から出た錆とは言え、切ないことです。
2004.06.28
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組織として活動する団体・業界はその取るべき倫理を忘れて来ています。政界は政治倫理を忘れて権力維持に執着し、官界は公僕精神を無視して省益保護に身を費やし、企業は企業倫理を忘れて利益追求に没頭し、学会は研究倫理を問わずに成果のみを追求、宗教団体も宗教倫理を無視して団体増殖に奔走する。社会の最少構成単位である個は、生活の安泰を願うには、組織群に帰属するより仕方がありませんから、清く正しく美しくも単なる麗句としかなりません。しかし群を構成するその個体も倫理感を喪失して、享楽追求に狂奔、恐喝・窃盗・賄賂何でもござれ、挙げ句の果ては殺人まで犯す世の中となりました。群に入っていない個の象徴の若年層は目標を見つけられず右往左往するしかありません。低年齢化する少年犯罪は、乱れる世の鏡、教育の名の下に道徳教育を強要し、法改正しても、社会全体が倫理観を取り戻すことがなければ無くならず、唯物史観による物質文明の狎れの果てかも知れません! それだからと言って昔の日本が善い姿だと言うことは短絡的で戴けませんが・・宗教倫理学会のWebサイトには次の様に書かれています。一面的で承伏出来ない所はありますが方向性を示している様な感じがします。宗教と倫理の関係をめぐる問いは、宗教が一般社会の中で存在する以上、不可避的に立ち現れる根元的な問いとして、既に長い歴史を持っている。宗教的信念が超越的・脱日常的な方向を指し示すとき、それは社会で共有されている価値規範との間に、独特な差異を生み出すことになる。それが宗教の存在意義の一つであることは言うまでもないが、同時に、宗教の生み出す価値が、社会の価値形成や倫理観にしばしば大きな影響を与えてきたという現実がある。社会の世俗化や宗教の多元化が世界的な規模で進行する今日にあっても、宗教と倫理との間には、絶えず問い直さなければならない緊張関係が存在している。しかし、科学やテクノロジーの急速な進展によって、人類は未曾有の価値混迷の時代に直面しており、既成宗教が旧来の価値観を一方的に振りかざすだけでは、到底その混迷を打開することはできない。過去の伝統を踏まえながら、宗教と倫理の関係を、近未来を見据え根本的に問い直さなければならない。キリスト教、イスラム教の根幹をなす聖書は、日本で年間平均200万冊以上販売され、その売上数は世界第2位とのことです。我が国のキリスト教信者は精々50万人と言われていますので、おかしな現象です。これは宗教書としてより、文学書として購入されていると言うことでしょうか? 混迷する価値観を象徴しているのかも知れません。私はキリスト教信者では無いのですが、我が家の書棚にも新旧約聖書、聖書解説、聖書物語など少なくとも5、6冊が散見されます。
2004.06.26
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今回の参議院選は小泉政権への信任投票だと言われ、無風状態で、公明党の支援を受けて単独過半数となる56議席獲得可能と取り沙汰されていました。しかし、直近の世論調査では年金法案強行採決、多国籍軍への唐突な参加表明、等のやりたい放題の施策が、国民の嫌気を増大させ内閣支持率も急降下しているとの報道もあります。確かに、全て途中での説明責任放棄、決定後の事後了解なのですから国民も嘗められたものだと感じざるを得ません。構造改革の目玉であった道路公団民営化も、実質採算性の悪い高速道路は直轄方式での全て建設推進にて決着、官僚思惑通りとなり、郵政公社の民業圧迫も叫ばれる昨今、構造改革も頓挫・終焉を迎えていると思われます。こんな体たらくでも、信任が得られるのか、7月の選挙結果が注目されます。朝日新聞6月25日夕刊に堺屋太一氏(元経済企画庁長官)の参議院選に寄せる記事が掲載されました。橋本、小渕内閣での大臣でしたので、小泉政権からは当然抵抗勢力と見なされる人物の一人でしょうから、恨み節も当然入っているとは思いますが、歴史感覚としては傾聴に値します。小泉内閣は昭和初期の「海軍内閣」に似ている。大正デモクラシーの流れが浜口雄幸内閣の不況を機に失速し、犬養毅内閣のデフレ脱却の試みがテロで断たれた。その後の体制内非主流とも言える海軍内閣は「昭和維新」を掲げたが、実態は官僚主導の復活だった。小泉内閣も自民党内の非主流で、族議員を追い出すとは言ったが、結果は官僚依存になった。橋本、小渕内閣で政治主導による、金融自由化、農業自由化が進められた。ところが、小泉内閣で全てが逆転した。大正デモクラシーの流れが官僚主導に戻ったのに似ている。多国籍軍への参加も、国会論議や閣議了解さえ無いままに首相が国際約束した。全てが事後了解で、「関東軍」を思い起こさせる。官僚主導を打ち破るには、有権者が選挙によって、政治が強大な力を持つことを示す必要がある。官僚の受け売りでなく、自らの信念を語る人を選ぼう。確かに自民党主流派宏池会は森派軍門に下り、昨年の総裁選に出た橋本派、亀井派、高村派は閉門蟄居状態で、実質的な活動が出来ませんので、森派のやりたい放題の党内事情となりました。人格、識見共竹中平蔵より数段上を行く堺屋太一の歴史感覚、当を得ている様で今後の成り行きに注目です。
2004.06.25
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この所ワン・フレーズも無くなり、奢ったトリック放言&なし崩しポリティクスが目立つ小泉首相にはフラストレーションが溜まっています。超大国アメリカとの友好関係を良好に保って行くことに異論はありませんが、米国のすることに全て賛成すると言う傀儡隷属関係にも見えてくるのは残念です。論議の尽くされないままの年金法案採決、国会論戦の全く無い自衛隊の多国籍軍参加の閣議決定など、正面突破でなく言葉のトリックで国民が納得すると思っているのでしょうか? 国民も嘗められてしまったものです。近頃、影は薄くなっている田中真紀子女史、彼女の毒舌を聴いて見たくなりましたので、インターネットで調べてみました。この様な記事は、三大新聞には掲載されず、「夕刊フジ」にのみ次の様に載せられています。毎日では食傷気味となりますが、偶にはこの様な恨み節毒舌発言も良いかなと思えます。真紀子女史は現状すっかり表舞台から影を潜めメジャーでは無くなっているのは残念です。6月15日の衆院本会議で、 “変人”内閣の不信任案に初めて賛成票を投じた田中真紀子女史は、不信任案が与党の反対多数で否決された後、報道陣に「三年前はちょっと期待して(首相を)売り込んだわけですからね。担いだ責任を非常に感じています」と懺悔、“親不孝息子”小泉純一郎首相を「政治家として極めて恥ずかしい存在」とこき下ろした。続けて「とても不誠実で不真面目。外交も年金も混乱を招いているにも拘わらず、本人は平然とし、茶化している」と非難。国会審議の無いままブッシュ米大統領に多国籍軍への参加を約束したことに関しても「総理大臣の職務権限をしっかり考えたことがないんじゃないですか」と切り捨てた。「強い人には面と向かってものを言えない人」「国内外で言うことがまったく違う。場当たり主義なのよ。役人もみんな笑っている」「閣僚の放言が目に余るけど、小泉さんごときが注意するなんて恥ずかしいことじゃない」…などと言いたい放題。更に「大道芸人みたいな方。お手玉をしたり、口から火を噴いたり、一輪車に乗ったりするが、スキャンダルが出たりして不利になると風呂敷を頭からかぶって引っ込んじゃう」と大道芸人にも失礼な“真紀子節”で相変わらずの毒舌トークが炸裂した。
2004.06.20
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昭和39年卒航空学科同期会が、昨夜(6月12日夜)神田学士会館で行われましたので出席して見ました。この前の同期会は卒業30年会でしたので、将に10年振りでした。機体コース27名、原動機コース21名の総勢48名だった同期の桜は、死亡が各コース1名ずつ計2名あったので現状46名、出席者は17名で4割弱の出席率でしたが、10年振りに見る顔が多く懐かしく歓談しました。出席者各人の現状と経歴、思い出が披露されましたが、63才ともなりますと、大学に残っていた教授も他の大学に転身、公共機関に働いていた人達も多くは退職又は転身、企業戦士も多くは退職しての年金生活者となっていました。それでも、昔を懐かしむ・子供を語ると言うより、現状の生活をエンジョイし生き甲斐を見つけて行こうとする意気軒昂な気迫が感じられました。この学科は太平洋戦争の敗戦にて、GHQからの航空機研究禁止命令て廃止され、戦後10年余を経て復活した経緯がありますので、戦後の航空学科卒の50年同期会と言うのは未だありません。そこに向かって頑張ろうとの意気で、取りあえず5年後に45年同期会をやろうよとのことで再開を約して散会となりました。30年同期会では、大学の主任教授、公共機関の幹部、企業の中堅幹部として働き盛りの感のある年頃でしたが、今回は様子が一変しました。果てさて、老年に突入してどんな人生となることでしょうか?
2004.06.13
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フリージャーナリストの橋田信介氏(61)の妻幸子さん(50)の気丈な記者会見には感心させられました。常日頃から覚悟出来ていたと出発前の記者会見でも言っていましたが、今回の現地会見でも冷静な態度での応対でした。何故、50才でこれほど達観出来るものなのでしょうか!「自分の目で100%本人と確認し、心の整理は出来ました」気丈に語っていましたが、達観していてもこの様に淡々と話すことは出来ないのが普通です。「橋田と知り合ってから27年、幸せでした。特に子供が生まれてからは充実した生活を送らせて頂きました。今後この様な生活が出来ないことが残念です」社会情勢に恨み辛みを言うこと無く、活動中の逝去と言うジャーナリストの本望かも知れない本人の気持ちを、淡々と気丈に代弁しました。常日頃に互いに話し合い、余程覚悟していないと言えない言葉です。「帽子の此処から弾が入り、ここから抜けた。多分この1発で即死状態、後の苦しみは味わわなくて済んだのでは・・」せめても苦しむことなく死亡したのだと、自分にも納得させる言葉には無念の気持ちが滲み出ていましたが、良くも此処まで冷静に語れるものです。「橋田が今回イラクを訪れた目的であるイラク人少年の日本での目の治療、やり残した仕事をどうにかしたかった。皆さんの協力で連れ帰ることが出来そうです。本当に有り難う御座います」ホテルに残された遺留品にあった航空券チケットを使って、戦闘で左目を負傷したイラク人少年モハマド・サレハ君(10)は6月4日朝に成田に到着しました。夫の意志をその死後受け継ぐことを、この様な状態でも遂行する強い姿勢は、私の如き凡人には出来ませんので感心するばかりでした。甥の小川功太郎氏(33)の母洋子さん(57)は、兄と息子を一度に失い「橋田は兄らしい最後だったが、功太郎の顔は生前そのままで、辛かった」、父親の博氏は「功太郎は電話の声に張りがあり、生き甲斐を見つけた様だったのだが・・」と無念の思いを語りました。覚悟はしていてもこれが遺族の率直な無念な気持ちだろうと思います。昔のこととなりましたが、某大学名誉教授だった人が、航空機事故のニュース番組に出て来て、「私は航空機事故で死ぬなら本望・・」なる発言をして物議を醸しだしたことがあります。自分を掛けた人生の目的に死ぬと言うことは、もしかしましたら羨むべきことなのかも知れません。
2004.06.04
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今回の小泉訪朝は拉致家族8人の内5人の帰国が実現したことで、高い評価があったことを新聞各紙で報じられています。しかし、人道支援供与については否定的な意見が多く、全面的な肯定評価では無い様です。外交は相手国の事情も複雑に絡んで即断即決には行きませんが、今回の小泉訪朝は事前の事務方交渉も無く、日帰り交渉で成果を狙ったものでしたが、見事に北朝鮮の術中に嵌ってしまいました。退去させたくて措置に困っていた蓮池、地村両家の子供達の帰国を外交カードにして食糧支援、医療支援を勝ち取られてしまったのです。又10人の行方不明者の再調査を約束しただけで、拉致問題が何ら解決しないまま日朝正常化交渉の再開言質を取り付けました。核開発問題は従来通りの方針通り米国次第で対応するとのことで譲歩は一切ありませんでした。一方、小泉首相は「経済制裁の発動無し」「国際機関を通じての人道支援」「正常化交渉再開」とオンパレードと思われる程、北朝鮮の喜ぶカードを切り続け、今後の交渉で切るカードが無くなってしまいました。世界に冠たる悪の独裁国家に対して何たる浅はかな判断だったことでしょうか。首相報告を受けた拉致被害者家族連絡会は、「総理にプライドがあるのか。米国逃亡兵ジェンキンス氏に、米国政府の訴追免除確認も無く、何故あそこで意思確認したのか。」「結果だけ見ると一番悪い。食糧支援を帰国の引き換えにしたので無いかと疑惑を持たれるかも知れない。」「これでは子供の使いに等しい。先行き真っ暗な気持ちです。」「政治家として責任を取るべきだ。」と非難の嵐となりました。拉致議連の平沼赳夫会長も「経済制裁をしないと言う約束は安易な妥協をしたと言う批判は免れない。」とコメントするに至りました。今回の訪朝で、子供5人が帰国出来れば国民から一定の評価が得られ、それを梃子に年金問題で揺らいでいる自民党の支持率アップを図り、参院選を有利にしようとの考えだったのですが、世論調査結果を見ますとそれには一応成功した様です。しかし、あまりに近視眼的な党利政策の結果で、長続きするとも思えません。寧ろ屈辱外交の結果と言うべきで人道名目で支援することで、北朝鮮国民を弾圧・搾取したことで終焉に近い金日成・金正日一家の共産党独裁体制を延命させてしまい、長期的観点からは日本の国益をも損ねたのでは無いかと懸念せざるを得ません。やはり「拉致問題の解決無くして国交正常化無し」のワンフレーズ・ポリティクスの有言実行を完遂して貰いたいものです。
2004.05.24
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竹中平蔵氏は慶大教授から経済担当相となりましたが、学者とは言いながら著書は殆どが入門書、住民税を国外に持ち出しての脱税、国民年金の未納等、個人的に利益を得ることに奔走する姿は醜態だと思います。現在の小泉政権では竹中氏が、経済財政諮問会議を主宰し「骨太の方針」と称して経済運営の舵取りをしていると言われています。この所、経済回復の動向が顕著になって来たこともあり、政権公約「2006年度に名目2%成長達成」を確実なものにしようと、竹中氏は政府・日銀一体となっての実現に向けて日銀に対して協力を求めました。小泉改革のブレーンと言われる本間阪大教授も同調し、更に「デフレ脱却時期明示」も求めましたが、日銀の福井総裁は頑強に拒否したとのことです。G7で谷垣財務相が述べた様に「景気回復は民間努力」が妥当な判断で、「骨太の方針」が寄与している所は少ないと見るのが一般的でありますので、「功を諮問会議だけのものにしたい」曲学阿世の徒とも思われる竹中・本間両氏の誘いに乗らなかったと言うのが真相の様です。彼の主宰する諮問会議は経済運営の舵取機能が無いのではないかと危惧する状態です。インターネットニュースでは下記の様になっています。政府がデフレ克服に向けて掲げる「2006年度に名目2%成長達成」という目標について、日銀の福井総裁が26日の経済財政諮問会議で「数字を伴った名目成長率は金融政策のターゲットとしない」と述べ、政府との政策目標の違いを明確にしていたことが30日公表の議事要旨でわかった。会議では本間阪大教授ら民間議員が経済財政運営の基本方針を示す「骨太の方針2004」に「政府・日銀が一体となって2006年度に名目2%成長を目指す」と明記するよう提案。これに対し福井総裁は「金融政策では消費者物価指数がターゲット」と強調、「政府・日銀が一体」との文言の修正を求めた。更に「デフレ脱却の時期はなお明確でない」と述べ、当面は量的緩和を堅持する意向を表明、その上で「物価が安定的にゼロ%以上という通過点を過ぎても屈折は生じず、連続線上で考える」と強調した。また景気回復による長期金利の急上昇を抑えるため、政府には財政規律の確保を要請した。日銀は金融市場に潤沢な資金を供給する量的金融緩和を進めているが、福井総裁は「最終ゴールまでの姿について新しいメッセージを出す可能性はある」と述べ、望ましいと考える物価水準を提示することなどに含みを持たせた。
2004.05.03
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「正直者が馬鹿を見る」の典型的な例で、産業界・国家からの嫌がらせにあって倒産を余儀なくされた「西宮冷蔵」が営業再開することになったと言うのは本当に明るいニュースです。雪印の牛肉偽装を告発したために廃業に追い込まれた「西宮冷蔵」、水谷社長は自主廃業を宣言してから1年半の間、生活費にもこと欠き、歩道橋で雑誌を売ってしのいだ日々もありましたが、多くの人々の支えによって2年ぶりに営業再開しました。その間、支援カンパ金を生活費に流用することも無かったと言うのですから立派の一語、凡人には真似出来ません。インターネットニュースに次の様に掲載されています。2002年1月、水谷社長は西宮冷蔵の大口顧客だった雪印食品の牛肉偽装を内部告発。食肉加工品メーカーの不正が次々と明るみに出ました。しかし、告発した西宮冷蔵に対して国は「伝票を改ざんするなど雪印の偽装に加担した」として営業停止の処分を行い、取引先の撤退も相次ぎました。街頭で拡声器を持ち「勇気を持って不正告発しようとする者への報復行為」と告発者保護法の制定を訴えて出馬した辻元議員の補欠選挙にも落選。その後まもなく「自主廃業」を決めた西宮冷蔵と水谷社長の存在は、人々の記憶から次第に消えて行きました。自主廃業に伴い、13億円の借金を背負った水谷社長は、学費が払えず大学を中退した息子の甲太郎さん、娘の真麻さんの三人と共に、料金滞納で電気を止められた倉庫と事務所で電気も無い生活を続けていましたが、こんな水谷社長を支援しようという動きが出て来ました。心ある出版社からの援助申し入れがあり、JR大阪駅前の歩道橋で、露天商の様に本と雑誌を売って生活費を稼ぐことになりました。又「消費者の立場に立って犯罪を告発したのに廃業に追い込まれたのは不当」と消費者団体が、全国からカンパを募り、営業再開に最低限必要な資金およそ1100万円が集まりました。今年3月末には倉庫に電気が通り、営業再開準備の知らせを受けて解雇された社員らも戻って来ました。冷凍設備の本格稼動には、まだ1ヵ月程度かかりますが、すでに複数の荷主が商品の預け入れに応じている様です。それにしても、国税の無駄使いを止めた告発は、実際は表彰ものだと思うのですが、産業界の規律を乱したとの懲罰で対応したのです。加点主義を持たずに減点主義のみで対応し、公僕の精神を軽んじ人間味を持たない官僚機構は改善して行かなければなりません。
2004.04.29
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サラリーマンが加入する厚生年金は少子高齢化の影響から給付減額が行われていますが、尚一層の納付増額と給付減額は避けられないと言われてから久しいものがあります。又、自営業者の多くが加入する国民年金の未納者が多く納入要請が強くなっており、強制徴集も法政化して存続を図ろうとしていますが、破綻を来しているのが実状です。年金制度改革は国民の将来設計に重要なものですので、国民に分かり易い国会論議で決着をつけて欲しいと思っていました。政府案では基礎年金の国庫負担割合を現行の1/3から1/2に引き上げる前提で、厚生年金と国民年金で2100年度までに給付する3070兆円の内、現行の保険料水準では賄えない不足分、厚生年金440兆円、国民年金40兆円を保険料引き上げで不足分を解消する計画。しかし国家負担財源は不明のままであるのが問題となります。民主党が政府の年金制度改革法案の対案として消費税3%を財源とした税年金改革推進法案を衆院に提出、衆院厚生労働委員会で質疑を行う予定の矢先、三閣僚の国民年金未加入・滞納問題が明らかになりました。インターネットニュースでは次の様に掲載されています。国民年金の未納・未加入期間があったことが明らかになった中川経産相、麻生総務相、石破防衛庁長官は、衆院厚生労働委員会に出席し、改めて経緯を説明したうえで陳謝した。野党側は「国民の年金不信を高めた」などと引責辞任を求めたが、三氏は「大臣任命権は首相にある」として揃って拒否。保険料を納めないという意図はなく、単純なミスだったと釈明した。小泉首相は記者団に対し「閣僚も気づかない、払わないことがあるのだから、どういう改善策があるか、考えていかなきゃいけない。国民だって分からない、払ってないという方も多いと思いますよ」と述べ、複雑な制度に問題があるとの認識を示した。一方、民主党の枝野政調会長は「今回の政治責任は、単なる勘違いやミスというレベルでは通じない」と批判した。 三氏は先のイラク人質事件では、声高に自己責任を叫んでいた面々。ネガティブキャンペーンを展開し、人質となった人達への誹謗誘導に成功しました。兎に角この三氏は他人の責任追及には厳しいが、年金改革法案署名者としての自己責任・政治責任には極めて甘いことを露呈してしまいました。小泉首相も身内に甘い責任回避発言であり、改革法案提出者として「どういう改善策があるのか考えなければ」と番記者に述べるとは、真に政治責任を弁えない不適切な対応です。人質事件ではキャンペーンに乗って付和雷同した人々にも問題あると思いますが・・、これ程簡単な情報操作で世論が変わってしまうのも驚きです。年金問題は国民生活のインフラともなるべきもので、少子高齢化の社会環境の変化をどの様に克服して老後の生活を維持して行くかが問われていますので、議員年金に安住し国民年金を蔑ろにした議員諸君によっての小手先決着では、真の解決とは言えません。国民の立場に立った幅広い議論を期待します。
2004.04.25
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多摩ニュータウンは、都、都市基盤整備公団(旧日本住宅公団)、都住宅供給公社が中心となり1966年に急増する東京の人口の受け皿として造成を開始。八王子、町田、多摩、稲城の4市にまたがり、現在約20万の人々が住んでいますが、高齢化が急速に加速して地域となっています。意欲のあるニュータウン構想でしたので、自然破壊も強烈だったのですが、結果として緑に溢れた住居地域が計画されました。「多摩ニュータウン今昔写真展-宅地開発の夢跡」はこちらの日記を参照下さい開発が開始された多摩市永山地区では、昔ながらの団地スタイルの中層住宅が多く建設されましたが、1980年代初頭の多摩センター地区では独立住宅に近いタウンハウスの低層住宅がメインとなりました。1980年後半には、八王子市堀之内、南大沢地区では当時増加する一途の流入人口を受け入れる為、高層マンション計画に変更されてしまいました。現在も住宅地開発は町田市多摩境地区、稲城市若葉台地区で高層マンション建設が積極的に続けられていますので、既に需要よりも供給の方が多いのでは思われます。その結果、1980年後半から建設された八王子市堀之内、南大沢地区では多くの高層マンションが売れ残ってしまいました。そこで数年前から都市基盤整備公団および都住宅供給公社では、完売を目論む安値販売を掛けて、既入居者からも契約金額の割引訴訟が行われるようになりました。いずれも入居者敗訴ですが、予想計画の杜撰さが問題となっています。今度も事業撤退前の投げ売りですから堪りません、既入居者は買い換えた方が借金も少なくなり有利なのですから不満を言うのも尤もだと思います。[読売新聞]インターネットニュースに拠りますと次の様に掲載されています。東京都の多摩市、八王子市などにまたがる「多摩ニュータウン」で、都住宅供給公社が最高7割引で売り出した分譲マンション17戸に購入希望が殺到している。4月15日から見学・購入申し込みの受け付けを始めたが、最初の日曜日となった18日には約2000人が来場し、申し込みの平均倍率は66.7倍に跳ね上がった。17戸は11年前に完成し、売れ残った同公社の最後の物件。損を承知の「投げ売り」で在庫をさばき、同公社は分譲事業から撤退する。1993年に完成した八王子市別所のマンション「ノナ由木坂」(総戸数252戸)のうちの17戸で、駅から徒歩10分の丘陵地にあり、床面積は91~107m2となっている。当初の価格は平均7625万円だったが、今回は周辺の中古相場を参考に、平均2477万円に下げた。公社は1998年にも約3割引きで売り出しており、その売れ残り分を再値下げで一掃する考え。見学者は4日間で約4800人に上り、これまでに1133人が購入を申し込んだ。一番人気は2181万円の4LDKで、倍率はすでに191倍。申し込み期限は25日だが、公社職員は「どこまで(倍率が)上がるか分からない」と話し、「バブル経済時代のにぎわい」と苦笑いも。来場者は多摩地区の人が多いが、千葉、神奈川からも訪れている。高齢夫婦の姿も目立ち、公社職員は「若者の都心回帰が進んでいるが、高齢者は郊外で環境のいい場所を求めているのでは」と推測する。千葉県から夫婦で訪れた男性(62)は「ちょっと古いけど、昔7000万円だったと聞いて、思わず申し込んでしまった」と話していた。公開抽選は4月30日。
2004.04.20
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イラクでの人質事件直後、麻生総務大臣の「退避勧告の出ている中、出掛けた人の危険遭遇は自己責任」との発言以来、政府与党の中には自己責任論が主流となり、遂には救出対策費用請求の声も噴出している様です。人質家族へは「自己責任で拘束された人質救出を政府に依頼するのは筋違い」由の郵便物が殺到しているとも言われ、マスコミ会見でもその批判に付いての質問も多くなり、家族からは「世間への謝罪」的色彩が濃くなってしまいました。表現の自由に名を借りたバッシングに近くなったのは残念です。解放された高遠女史のアルジャジーラ局インタビューで述べた「今後も活動を続けます」発言を、日本マスコミが故意に曲解し「人質の中にはイラクに残りたいと言う人もいる様だが・・」と小泉首相に水を向け「如何に善意の気持ちがあっても、他人の救出努力を忘れてそう言うことを言うのですか? やはり自覚を持って頂きたい」との非難めいた発言を引き出し、報じています。マスコミ番記者の質問が「今後も活動を続けたい人もいる様だが・・」とすれば「そうした善意は大事にして頂き、治安の安定を待って再開頂きたい」となったのではと推測します。首相番記者の哲学不在と思われる質の悪さが露呈したものと言わざるを得ず、それこそ自覚を持って頂きたいものです。TBS系のインタビューに応じた米国のパウエル国務長官は、「人質になった市民の自己責任を問う声があるが・・」との質問に関し、「誰も危険リスクを冒さなければ、世の中は進歩しない。より良い目的の為、自ら危険を冒して活動した日本人がいたことを私は誇りに思うし、日本の人々も誇りに思うべきだ」と語っています。ネオコンの影に隠れていた感のある国際協調主義のパウエル国務長官が、遂にイラク復興の表舞台に登場の予感です。ネオコンによって破綻したイラク占領統治は一朝一夕には改善することは無いでしょうが、より良い方向に向かうことは確かな様に思います。既成組織命令主体で「組織防衛主体で活動評価が減点主義」の日本に対して、規制緩和で自由活動を奨励し「開拓精神旺盛な良い所を評価する加点主義」のアメリカ、彼我の差を痛感してしまいました。主体外交と従属外交の差かも知れませんが、残念です。
2004.04.17
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昨夜午後10時のニュースからテレビに釘付けとなりました。イラク武装勢力による日本人人質事件が発生したのです。この様な迅速を要する場合はテレビが良いのですが、何せニュースソースが少なく、中東アルジャジーラ放送を横流ししたものが殆どです。遂に日本を標的にした攻撃が開始されたのでしょうか?サマーワ自衛隊駐屯地に向けたと思われる砲弾が炸裂した事件に引き続き、日本の民間人3人が拘束・人質となり、自衛隊撤退を3日以内に実施しないと人質を火炙りの刑の処するとの声明が出されています。自衛隊派遣の動機は米国政府の要請に従ったものでしたが、航空自衛隊の輸送支援はいざ知らず、派遣本体となる陸上自衛隊サマーワ駐屯地では飲料水供給、学校の再建・建設などの人道支援に限定、米国占領軍と歩調を合わせた治安活動に従事していないことは明らかです。拘束された人達は、孤児への学用品配布活動、劣化ウラン弾の調査解明活動、フォトジャーナリストの3名ですから、イラク国民にとっては有益ではあっても、害になる人達ではありません。武器・警備機能を持たない善意の人間を人質にするのは目的如何に拘わらず、重大な犯罪行為です。3日以内の自衛隊撤退は実際には不可能ですので、3日後、実際に残虐な処刑を実行するのでしょうか? 米国占領統治とは一切関わりを持っていない人達ですので、一刻も早い解放を願わずにはいられません!民間人拘束は、イスラエル人、イギリス人、カナダ人等多岐に亘り出しました。韓国人拘束は、日本人と間違えての拘束と思われ解放された、と報じられています。スペインに続き、日本、イタリア、オーストラリア等、国連決議無しの状態での米国のイラク侵攻を支持した国々への時・場所・手段を選ばないソフトターゲット攻撃が始まったのでしょうか?
2004.04.09
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昨日の判決に驚いて、新聞をじっくりと読みました。この様な場合はテレビニュースの話し言葉では良く分かりませんので、文章で書かれ読み返すことの出来る新聞が最適です。個人的信条・理由は憲法に保証される権利ですから個人的行動についてとやかく言うのはいけませんが、嘗て日本を破局に追い込んだA級戦犯が合祀されている靖国神社への公人としての参拝に対しては疑念を持たざるを得ません。新聞によりますと、判決骨子は次の様に記載されています。(1) 2001年8月の靖国参拝は内閣総理大臣の職務執行に当たる。(2) この参拝は憲法20条3項が禁止する宗教活動に当たり、同条項に反する。(3) この参拝は、原告の信教の自由を侵害したものとは言えない。(4) 原告の利益の侵害があったとは言えず、不法行為の成立は認められない。画期的な判決をした裁判長は亀川清長氏、「裁判所が判断を回避すれば、今後も同様な行為がなされる可能性が高く、違憲性を判断することは自らの責務」として、英断を下したこの人の氏名は良く覚えておく必要がありそうです。行政の長たる首相を糾弾したのですから、今後幾多の嫌がらせを受けることは想像に難くないからです。靖国参拝については中国、韓国からも、日本への反対・批判が相次ぎ、物議を醸しだしていました。特に中国からの非難は激しく、内政干渉と思われる言動が続きました。覇権主義・共産主義独裁の中国は、台湾への干渉、新彊ウィグル地区・チベット地区での不満分子弾圧を強行して「一つの中国」を標榜し自国の臭い所への非難を封じ、北朝鮮の拉致問題を長期間黙認しての日本への非難でしたから嫌みなもので、何をか況やと思える中華思想の発露でした。福岡地裁(亀川裁判長)は「憲法上の問題および国民や諸外国からの批判があり得ることを十分承知しつつ、敢えて自己の信念或いは政治的意図に基づいて行った宗教活動」とし違憲判断を導いた様ですが、日本国内での日本人による英断として高く評価出来るものだと思われます。これに対して、小泉首相は「何故憲法違反なのか判らない。靖国参拝は個人的心情に基づいて行っていますので今後も続けます」との判決無視を貫き、又、自民党安倍幹事長は「地裁などの下級裁判所では、起こりうること」との談話で判決を軽視する様です。三権分立の法治国家とも思えません。与党である公明党からは「判決を重く受け止め、参拝を自粛して欲しい」との、日本を破局に導いたA級戦犯が合祀されている靖国神社への参拝に反対する声明が出されました。
2004.04.08
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スーパーのレジの近くにオリーブオイルで揚げた最高級のポテトチップスで、添加物は一切無し、塩は海塩のみ使用とのアメリカからの輸入食品が置いてありました。アメリカは「遺伝子組み換え食品は実害がはっきりする迄は食用にすべきだ」と恐ろしいことを宣言する国ですので、気にして袋の表示を見ますと「遺伝子組替え無しのラセットポテト(メイクウィーン系の黄色肉質のポテト)使用」と書いてありましたので、安心しました。アメリカ政府の強硬な対外的食糧戦略とは別に、アメリカ国民は遺伝子組み換え食品に対してやはり相当気を遣っている様子です。中身は142g(5 oz)で販売価格は400円、通常のポテトチップス(90gで120~150円)の倍以上ですので、高いと思いましたが試しと思い、買って見ました。クラックドペッパー(Cracked Pepper)と表示されたアメリカ人好みのポテトチップス、厚めに切ったジャガイモをオリーブ油で揚げて粒コショウで仕上げてあります。通常の倍位の厚みがあり、高温で揚げてあるせいか歯ざわりが硬いので食べ応えもあります。オリーブ油の味が強く、又粒コショウがかなり効いていて塩気も十分にあるので、ビールのツマミにはよく合いそうな気がします。抗酸化油と知られるオリーブ油処理ですのでコレステロールが皆無、肥満の原因になる脂肪分が30%少ないのだそうで、兎に角カルビーや湖池屋からの通常のポテトチップスとは次元が違う様です。輸入販売元のシーエフシージャパンのHPを覗いて見ますと、下記4種類のポテトチップスが販売されている様ですので、胡椒だらけの辛いチップスでなく、日本人の口に合う他の製品を試して見たいと思います。-プレーンじゃがいもの味を生かすあっさりとした塩味。-クラックドペッパー砕いた黒胡椒がピリっと来る味。-ガーリックニンニクの旨味。-ローズマリー香草の香りと刺激的な味。-レモンさっぱりとした上品な味。しかし、日頃のスナックとしてはいささか高くオリーブ油特有の味も強いので、お試しを別にすれば、高すぎるので買い続けることは無い様な気がします。「サクッ」「パリッ」が取り柄のポテトチップスが、半額ですので・・
2004.04.02
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パレスチナのイスラム過激派ハマスの精神的指導者ヤシン師がイスラエル軍に殺害された事件は、中東和平への道筋を閉ざすとして世界的にも非難の嵐が吹き荒れています。ヤシン師の武力闘争主義の是非は兎も角、平和への希望は遠くなってしまいました。イスラエルは今後軍事行動を拡大しアラファト議長殺害も考慮しているとのことで、これでは虐殺テロだと非難されても仕方がありません。国連事務総長、欧州諸国の外相が、国際法に反する暴挙だと声明を出し、米国に追従すると見られる日本政府も「遺憾」表明から1日置いて「批判」声明を出さざるを得なくなりました。ガザ、ヨルダン川西岸の占領地区をイスラエル国民住居地区として既成事実化しているのが最大の問題と思うのですが、イスラエル国内では違った見方が主体的な様です。パレスチナが全面戦争を叫び報復テロが続発しても、圧倒的な軍事力の差から全体的には押さえ込めると考えているのでしょうが、世界中から批判を浴び孤立した状態で、安定した国家経営が永く続くとも思えないのですが・・超大国アメリカの支持だけが関心事、その他の反対非難は織り込み済みとのことで、受難を克服するシオニズムは生き残ることが出来るのでしょうか?朝日新聞のインターネットニュースには以下の様に書かれていました。イスラエル主要紙は3月23この事件について世論調査結果を発表した。イスラエル国民の過半数は殺害を肯定しており、シャロン政権の政策を基本的に支持していることがうかがえる。最大紙イディオト・アハロノトが500人を対象にした調査では、殺害が「正しい」とする答えが60%、「誤り」が32%だった。しかし、「テロ減少につながる」との見方は32%にとどまり、「組織には深刻な打撃」(ヤアロン参謀長)という軍の見方と国民感情にはずれがみられる。 「テロに巻き込まれる恐怖は増したか」の問いになると、「増えた」が47%、「変わらない」が52%。「減った」はわずか1%だった。 マーリブ紙の調査でも同様の傾向が表れた。イスラエル外務省高官は「感情的な賛意と、それによって将来なにが起きるか分からないという不安感がまざっている状態だ」と解説する。 イスラエル放送によると、イスラエル国防省は3月22日夜、イスラム過激派の殺害作戦を今後も続ける方針を確認した。 シャロン政権にとってアラブや欧州諸国からの批判は織り込み済み。最大の関心は後見役の米国がどういう態度を示すかにあった。ブッシュ米政権の反応は、懸念をにじませつつも「イスラエルには自衛権がある」と殺害を支持するもので、シャロン首相はお墨付きを得たことになる。 3月23日、イスラエル治安当局は全土で報復テロを想定した警戒態勢を続け、エルサレムでは各所で検問が行われている。路線バスやショッピングセンターなど人が集まる場所の警備も強化された。モファズ国防相は国際テロ組織が連動する可能性を想定し、イスラエルの在外公館の警備強化を治安当局に指示した。
2004.03.24
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東京地裁は週刊文春の異議申し立てを退け、再度出版差し止めの仮処分命令を維持する決定を3月19日出しました。既に配送済みの雑誌については回収しなくて良いとの付帯条件が付きました。文春側は東京高裁に保全抗告する方針とのことで、最高裁までも争う姿勢を見せています。このニュースを報道するのが、出版放送業界である為、メディアを萎縮させる「表現の自由抑圧」決定として反発の方が多い様ですが、私は出版側に非があり、インターネットの普及、若い世代の活字離れ、等から出版不況から抜け出せないことから、面白可笑しく暴露記事を掲載し販売促進を図ったことに問題があると考えています。社会の木鐸を自認し青臭い正義感を前面に押し出し「表現の自由」を標榜していますが、倫理観の欠如した横暴な取材、「個人の尊厳」は「表現の自由」の旗の下では何程も認められないと言う、業界の論理が脈々と伝えられていることは確かでとても不快です。週刊誌の編集部に務めていた、現在ジャーナリストの亀井淳氏がこの問題の核心を突いた発言をしている様に思います。ロッキード事件以降、文芸春秋社には、「田中家に関するネタは書き得」と言う空気が生まれた。今回も同じ感覚だったのだ。今回は公共性も公益性も無い記事で、脇が甘すぎると言わざるを得ない。この様な記事により、雑誌ジャーナリズムのあり方を変えかねない重大な司法判断を引き出す結果を招いた責任は重大、週刊誌は安易なスキャンダル報道で自己満足するのでは無く、権力と対峙する原点に立ち戻るべきだ。文春は田中角栄氏のロッキード事件では確かに時の権力の金権体質を暴いた金星情報を提供しましたが、田中真紀子氏外相時代のバッシング記事では暴露情報に終始し、今回は真紀子氏長女の離婚暴露報道、「売らんかな」の姿勢ばかりでとても社会の木鐸とは思えない体たらく状態に陥りました。初心を忘れた長年の惰性とは恐ろしいものです。報道出版業界の関係者には、「自由には責任が伴う」と言う原則に立ち帰って自分達の体質を見つめ直して欲しいと思います。
2004.03.20
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