犯罪者(小説)





朦朧とする意識の中



ひとつだけ覚えていることがある




それは





優しい笑顔












「気付いた?」

「…んー……気分わる」

「やっぱり?」

「ねぇお兄ちゃん…私、どうなったんだっけ」

頭がズキズキする

気分も悪い

まだ眠い目を開けて光を見るのが少し嫌だった

私は目を瞑ったまま自分の記憶をたどる

「変だなぁ…記憶が曖昧で」

「教えて欲しい?」

「なにを?」

「君が失っている空白の時間」

「お兄ちゃん?」

私はいつもより少し曇った声の兄を確認するため

ゆっくりと目を開けた

「秋穂ちゃん」

「……え」

何が起こっているのかまったく理解できなかった

兄だと思っていたが

私は全く別人と話していたようだ

「誰!?」

「秋穂ちゃん、ちゃんと食べてる?」

私は掴まれた手首を振り払い

兄ではない男をにらみつけた

「誰!?」

「そんな怒んないで?別にとって食おうなんて思ってないよ」

あまりに穏やかな声

スラッとした鼻

薄い茶色のサラサラした髪

優しい微笑み

悪い人じゃ、ないかも

安心したのもつかの間

彼の口からとんでもない言葉が発された

「誘拐犯だよ、僕は」

そんなとき

テレビからニュースキャスターの声が聞こえた

今朝未明、兵庫県明石市の、河本真由果ちゃんが、何者かにさらわれました
現場近くの人に話を伺ってみました
 ─本当にいい子で、大人しい子だったんです。だから、誘拐されても大声を出せなかったんじゃないかしら……
 ─車の音も悲鳴も聞こえませんでしたねぇ。

頬に手をあて、悲しそうにうつむくおばさんや

声にモザイクをかけられたおばさんが話す

「秋穂ちゃんはニュースに出てないね」

「…誘拐……誘拐犯…」

「ということだから、よろしくね」

包み込まれるような笑顔は

いつかブラウン管の向こう側で微笑んでいた

アイドルを思い出させた

「待ってよ…じゃあ私…誘拐されたってこと?」

「うん」

頭に殺人の文字がよぎった

逃げなければ

私は殺されてしまう

ニコニコ微笑む犯人の横で

氷のように硬直してしまった私

逃げたいけれど、身体が動かない

恐怖で声も出なくなってしまい

さっきまでの安心感が嘘のようだった

外からは車のエンジン音が聞こえ

雲が浮かぶ空は澄んで綺麗だった

「…お、お金でしょ?うち…金持ちじゃないから、無理…ですよ」

「何言ってるの?」

「それに,すぐに警察が来ますよ。…今なら,一生このこと,秘密にしておきますよ」

「秋穂ちゃんは僕が身代金でも要求すると思った?」

手は冷え切り

身体は小刻みに震えている

「身代金は要求しないよ」

「私……売れませんよ」

「秋穂ちゃん,落ち着いて。売ったりなんてしないよ。」

「じゃあ……何が目的ですか」

恐怖のせいか,ろれつが回らない

「目的はただ,秋保ちゃんが欲しかっただけ」

「私…何か気に障ることでもしましたか?ご…ごめんなさい,謝りますから,殺さないで下さい」

「殺さないから,落ち着いて」

「…私……奴隷ですか」

「秋穂ちゃんの中ではいろんな想像が巡っているようだね」

私はいろいろ考えたが,もう思考が停止してしまったようだ

「秋穂ちゃんには,僕の友達になってもらうよ」

「…友達?」

「そう。友達。一緒に話して,遊んで」

「本当に,それだけ?」

「だから殺したり,酷いことはしないから。安心して欲しいな」

「…それだけなら,どうして誘拐なんて」

「秋穂ちゃんに友達になって欲しかったんだ。友達と楽しそうに話す秋穂ちゃんの笑顔に,惚れたんだ」

全くどういうことか,理解できなかった

「名前は友達が君をそう呼んでいたから」

「あ…そっか。名前……」

「いいよね,友達になってくれるよね」

「…それは,強制なんでしょ」

「まぁそうだけど」

凍った身体もいつしか解けてきたようだった

友達になるだけ

なんだ,簡単なことじゃないか

「家には…」

「帰さないよ」

「毎日ここに来るから,お願いだから,せめて家には帰して」

「だーめ。秋穂ちゃん,何か勘違いしてるようだけど。これは一応誘拐なんだよ」

「…親が心配するよ」

「わざわざ家に帰してたんじゃあ,誘拐の意味がないよ」

逃げればいい

私の頭の中には,その言葉があったから

殺される危機感もなくなって

私は少し,油断していた

「逃げたりなんて,しないよね?」

「えっ…」

「逃げたりなんてしたら…どうなるか分かってるよね?」

「…に、逃げたりなんて,しません」

「そう。よかった」


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