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「ありがとう」を期待してはいけない


 池澤夏樹の『母なる自然のおっぱい』(新潮文庫)。動物がいかに賢いかという話。チンパンジーがピクトグラム(アイコン)を使って文を作ったからというようなことでない。人間に近いといわれて喜ぶとは限らない、と池澤は人間中心主義を叩く。狩りの時、人と動物は対等に戦う。誰も自分たちの方が賢いなどとは思わない。追跡されれば川を渡って足跡を隠す。時には数十歩も後戻りして横へジャンプして追手を蒔くというような話…。
 ローレンス・ヴァン・デル・ポストの『狩猟民の心』からこんな話が紹介してあった。ヴァン・デル・ポストらはある時砂漠の真ん中で飢えて水もなく、ほとんど死に瀕しているブッシュマンの一族を救った。それではブッシュマンたちにすれば彼らは生命の恩人か。それについてグループの一人が著者にいう。
「まさかあなたは、われわれがやったあれくらいのことに彼らが感謝すると思っているわけではないでしょうね? あなただって、ただ行儀よくふるくまっただけで感謝が得られるなどとは思わないでしょう? 御婦人に向かって帽子を上げて会釈するたびに、相手が『ありがとう』と言うと思いますか? そう、ここでブッシュマンたちにどれほどのことをしたように見えても、彼らにすればそれはちゃんと育てられた人ならばするに決まっている正しい礼儀のようなものなんですよ。もしも立場が逆だったら、彼らは何のためらいもなくわれわれがしたと同じことをしてくれるでしょうが、それに対して礼を言われるとは思ってもみない。そうなんだ! その場で『ありがとう』ということは、あなたがそんなことをしてくれるとは思っていなかったとほのめかすこと、つまり遠回しにあなたを侮辱することなんですから」(PP.63-4)
 池澤はいう。助け合うことがあえて賞賛するにもあたらない日常の行為となっている社会には、助け合うという言葉もないだろう。「人間」という言葉の中に含まれているのだろう、と。「ありがとう」という言葉、及び、その言葉を発する背景に含まれる問題点を適切についていると思う。僕はよく下心のあるありがとうという言い方をするのだが(ここでありがとうといっておいたら次の機会にも適切な行動をしてくれるだろうと思ってありがとうということ)、相手の方から「ありがとう」という言葉が返ってこないからといってがっかりするのもまちがっているわけである。私がありがとうというのが間違っているわけではないと僕は考えているが、ポイントは相手のありがとうという言葉を期待してはいけないということである。


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