ゆのさんのボーイズ・ラブの館

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13・・・蘭月


雨足が早くなると、その雫が時折病室の窓ガラスに
音を立てて弾ける

それがどこか遠くで聞こえていた

麻酔が覚める頃だったろうか・・・
まだ体が怠く
誰かがひたいの汗を拭きながら髪を撫でていることに気づく
それがなぜかとても懐かしく
子供の頃の記憶を思い出させる

父・・・母・・そして義兄がいて
毎日を平凡に、そして不自由なく幸せに暮らしていた

それは与え授けられたものではなく
守ってゆかなければならないもの


まだはっきりしない意識のまま、やっとの思いで重いまぶたを明けると、目の前に母の姿があった

久しぶりに逢う母・・・

あの日、
実家を出てしまった自分は
まともに帰っていない

「気がついた?・・・」

いつものまま変わらず
優しく微笑む母が二重、三重とぼんやりと見えた

「・・・う・・・ん・・・」
声にはならない
コクリと頷くのがやっとだった

「具合はどう・・?・・・傷は・・・痛まない?」
彼女は顔を寄せ、耳元で囁いてくれた
ゆっくりと、小さな子供に問いかけるように

「・・・の・・・渇・・い・・・・」
微熱でもあるのだろうか、それとも手術の後だからだろうか
唇も渇き、体中の熱りをとりたくて水分を欲している

「何か飲んでも良いか、先生に聞いてみるわね・・・」

そう言うと、彼女は点滴の針が刺さる腕の方の手のひらを
両手でそっと包んでくれた
まだ自分の体の感覚が戻っていないのに
なぜか、彼女の手のひらから伝わる温かさは心地よく
またいつの間にか眠り誘われてしまった


   ・・・お母・・さ・・ん・・・

     もう・・・これで終わりになるのかな・・・





朋樹が日樹の病室を訪れたのは
手術が終わって2時間が経過していた

平日ということでスケジュールを調整し、仕事の合間をぬって駆けつけたが
1時間足らずで終わると説明を受けていた手術には立ち会えず
今しがたになってしまったのだ

病室は入院生活を快適に過ごせる広さとデザインの
ナースステーションに近い個室

母親が傍に付き添い、日樹は安心して眠っているようだった
少し血の気が引いた青白い顔が術後まだ間もない

17歳とはいえ、その姿にはまだまだ幼さが残る
朋樹と一緒に暮らして1年も過ぎたが、こんな風に感じたことは一度もない
子というものは母親の前ではこんなに無防備になるものだろうか
自分の記憶にも遠い

それにしても
日樹は母親に良く似ている
社長夫人として優美な品格を持ち備えた女性
淡い色の和服姿がことさらに似合う


「日樹の様子はどうですか」

一番に聞かなければならないことだ
朋樹は隣の来客用の椅子に腰を下ろす


そして、朋樹に同行した鏡氏は身をわきまえ病室の外に控えていた
常に朋樹の動向を把握し、指示に対して俊敏な対応ができる
秘書として忠実完璧で、かつ
まるでSPさながらの身心構えだ

「少し前、一度目を覚めましたが・・・また寝入ってしまいました」
柔らかな笑顔で彼女は話す

「経過は」
「手術は予定通り終わりました 特に問題はありません」
「そうですか・・・」

まだ40代前半と若い彼女は
朋樹と共にいればその連れ合いと間違われてもおかしくない

「ただ・・・」
「ただ?」

「日樹には・・・何か気に病むことがありますか?・・・」

しばらく日樹の顔を見つめていた彼女は
朋樹にそう問いかけた

母親の直感だろうか

「なぜそうと?」

答えをはぐらかす気はなかったが
どうして彼女がそう思ったのかを聞いてみたかった
一連の事件は虐めとして片付け、真実は闇に押し込めてしまったが・・・
日樹はそれからもずっと吹っ切れないままだ
走ることに夢中になっていた間はまだ良かった
なのにこの傷が完治しても復帰しようとする気配が見受けられない

「日樹が手術室に入る前、そう感じました
これで終わるのに、日樹にとってはまだ・・・何も終わらない
そんな顔をしていたの」

彼女はまっすぐ朋樹を見る
それは日樹とまったく同じ瞳だった
いや、奥深くに日樹にはない強さを感じられる
昔からずっと・・・

そして彼女は続けた

「手を貸すのは簡単です、でも自分で乗り切らなければ日樹のためになりません
この子には・・・朋樹さん、貴方のように強い人間になって欲しいの」

朋樹が14歳の時、諸藤家に後妻として嫁いできた日樹の母
当時まだ20歳をそこそこ過ぎたばかりの彼女は
朋樹にとって継母というより姉のような存在だった
7歳で母を亡くし、心に孤独を抱いていた少年にとって彼女との出逢いは安らぎ
年も若く、自分と年齢差のない彼女が継母になるということが
抵抗も無く、ただ嬉しかった

それまでずっと一人だったから・・・

廻りの人間が無くなってしまったものをどんなに補おうとしても
母親の代わりを務めることまではできなかった

その上、彼女は実子の日樹が生まれた後も、我が子だけを欲目に可愛がるでもなく
むしろ前妻の子、朋樹に愛情を注ぎ続けた
その溢れんばかりの愛情こそが、やがて日樹に向けられ
義兄弟が実の兄弟のように生りえることを願いに込めていたのだ

世に存在する“継母の”良からぬイメージはでたらめだと
それまでの先入観を見事に打ち消された

いったい父はどこで見初めてきたのだろう
訊ねる機会もなく今まで過ごしてきてしまった
これからも知ることはないかもしれない
聡明で美しい人・・・


「日樹は・・・弱いから・・・」
決して自分の子供を過大評価しない母

「ええ・・・」

弱い、というより
優しすぎるのだろう
自分より、他人の気持ちを優先させ過ぎてしまう
朋樹が実の兄ではないと知った日から
日樹は母親に甘えることをしなくなった

それは義兄に対する遠慮だったから・・・








「日樹は・・・弱いから・・・」
決して自分の子供を過大評価しない母

「ええ・・・」

弱い、というより
優しすぎるのだろう
自分より、他人の気持ちを優先させ過ぎてしまう
朋樹が実の兄ではないと知った日から
日樹は母親に甘えることをしなくなった

それは義兄に対する遠慮だったから・・・

それでも自分には両親と血が繋がっている証がある
だから何の確執も感じず幸せなのだ
日樹にとって、義兄のことを思うなら
そう言い聞かせてしまえば我慢など容易かった
それで家族が幸せに過ごせるなら・・・

朋樹にしてみれば
そうして健気な義弟だからこそ大事にしたかった
大事にしてきた

「そうでした、これを日樹に渡してください」
彼女はバックの中から一通の白い封書を取り出した

「これは?」
朋樹が受け取り目を向ける
それは都内にある諸藤家の住所が書かれた日樹宛ての手紙
裏を返しても差出人の名前は記載されていない

「日樹が東京の家を出たころから月に一度、必ず届いてたものです・・・
あの子は家に寄り付かなくなってしまったから
そのたび転送はしていましたが」

そんなことがあったとは自分はまるで知らなかった
朋樹は少し驚いた
日樹の動向には細心の注意を払っていたつもりだったからだ
もっとも、郵便を確認するのは先に帰宅する日樹がほとんどだ
それを見つけたところで、まさか手紙の中身までは確認できまい
無論干渉することもできない

「日樹が事故に遭ったころから途絶えていたのに・・・
最近になってまた届きました」

たとえ認識していなかったこととはいえ、今までに何度も日樹のもとに届いていた手紙
最近までの日樹に大きな影響を与えてるとも思えない

同じ学校の生徒が日樹の周りをうろついているのは薄々気づいている
一度自宅前で見かけた少年、北都拓真と名乗っていた
とっさに判断した朋樹の眼力は

“彼は毒にはなるまい”

朋樹は別段気にかけることもなく
受け取った封書をスーツの内ポケットに納めた

「朋樹さん、そろそろ時間です」

病室の外で待機していた鏡が呼びかけてきた
社長である父の名代であちらこちらを飛び回るのも朋樹の仕事
目の前の彼女も同じだ
諸藤家に嫁いで来た時よりその役目を背負う羽目になっていた
社長を影で支えながら細やかな気遣いを絶えさせてはならない
彼女は完璧だった

「では、これで失礼します
日樹を・・・」

立ち上がり朋樹は彼女に一礼する
移動中の時間を調整して病院に立ち寄った
このあとも予定が押しているため、術後の日樹は彼女に任せる

あの日、日樹のことは全て自分が責任をもつと決めた
日樹が自分から道を選ぶ時が来るまで
それまでは大切に箱の中に匿い、守り通すのだと

夜には病院に戻れる
それから本宅まで送れば良い

自分の母もこんな感じだったのだろうか
若くして他界した実母
まだ7歳の子供だった自分に母の記憶はもう薄い

「大丈夫よ、朋樹さん」

細身の体のどこにそんな力が隠されているのだろう
彼女の瞳はいつも頼もしく安らぐ

外まで見送るという彼女を制して病室を出れば
鏡は、これから顔合せする予定の客先に連絡をつけていた

「母親とは良いものだな」
「は?」

電話を終えた鏡が聞き逃したと訊ねる
だが朋樹は繰り返しては言わなかった

「行くぞ、鏡」
「はい!」


三つ揃いのスーツを見事に決めこんだ朋樹の姿が日樹の病室前から遠くなる
鏡はその一歩後ろに下がり、一定の距離を保ちながら朋樹の後を追う
二人とすれ違う者は思わず見惚れ振り返ってしまう
果敢で美麗な勇姿だ










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