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ゆのさんのボーイズ・ラブの館
8・・・薫る五月
ゴールデンウィークも終わってしまえば残ったのは脱力感だけであった
サラリーマンでさえ五月病と称するダラケ病にかかるこの時期
入学して一ヶ月、高校生活にも慣れてきた拓真たちも
そろそろ余裕の居眠りでもでそうな気配
陽気も申し分ない
数日間は休み返上で部活に登校していたおかげでさして休みボケもなく
今日もなんとか六時間目の授業もクリアできそうだった
「あ~弁当を食った後の時間割はちょっと考えてほしいよなぁ・・・」
授業あと残り時間5分を切ったところで
前の席の亮輔が椅子の背もたれに思いっきり寄りかかり
後ろの席の拓真の様子伺い
漢文の授業は退屈だ・・・
異国、しかも遠くいにしえの話
そんなもの現代人に何の必要があるのかといったん思えば、その時代にどんなロマンがあろうとも興味もわかない
孔子も老子も赤の他人、どうでも良い
そろって同じ高校に入学、6クラスあるうちで偶然にもクラスも一緒
さらには座席も前と後ろ
この腐れ縁はどこまでも続いている
拓真とて亮輔とそう変わらず
先ほどから授業そっちのけで窓の外ばかり眺めていた
それもそのはず、校庭では上級生の体育の授業中、その模様が見渡せるのだ
現実逃避に窓際の席は何かとラッキー
気づけば教科書の端っこに無意識のうちに走り書きをしていた拓真
“諸藤ひじゅ”・・・そう書いていた
しかも一つならず四つも五つも同じ文字を繰り返して
最後の並びにはなんと☆マークなどもつけていた
拓真は亮輔に気づかれぬようにその落書きをそっと手で覆い隠した
見つかればまたひやかされる
「シーッ、先生に聞こえる あと少しだから我慢しろよ」
拓真は声をひそめて亮輔をシッシと追い払う
本当の理由は窓の外
あの人を見つめていたいから
うっとりと・・・授業の半分以上はそんな状態
高校受験合格発表の日、受験番号そっちのけで見とれてしまった陸上部の練習風景
ひときわ目立った綺麗なフォームで走る生徒
その人は事故で足を骨折してしまった
当然、体育の授業に参加することなく制服のまま木陰で見学をしていた
休みに入る一日前、やっとの再会をすることが出来たのに
何も知らない自分は彼に対し残酷なことを口走ってしまった
『貴方の走る姿に魅かれて・・・』
走ることを止められているあの人に向って
おまけに体当たりをして眼鏡を壊してしまうという二重失態
だから今日は謝るんだ・・・
チャンスは授業が終わり校庭から教室に戻るとき
二年生は拓真たちの一つ上階の教室
必ず通るこの階段で呼び止める
キーン コーン・・・
待ちに待った授業終了のベル
号令の合図とほぼ同時ぐらいに
教科書ノートをパタパタと閉じ、一目差に立ち上がり廊下へでる
その速さといったらない
「おい!拓真~」
相棒の呼びかけなどもはや耳に入らない
目指すは憧れの君、待ち伏せ作戦
ほぼ同時ぐらいに体育の授業を終えた生徒たちが校庭から戻り、数人のかたまりでパラパラ階段を昇ってくる
「諸藤さん・・・」
一人一人の顔を目で追い、日樹を探す
どれも体操服の奴らばかり
ぞろぞろと過ぎていく人数の多い集団を何回か見送る
「いない・・・ここにも・・・」
こういう時は気が競ってノロノロ階段を上がっていく連中がじれったい
「うぅ~早く・・・」
いい加減痺れが切れ、そろそろ人数残り少ないというところで
拓真の胸はトクンと高鳴った
「いた・・・」
ドキドキドキ・・・
少し片足をかばうように
階段を一段、一段を昇ってくる
目当ての人だ
クラスメイトと話ながら体操着の集団の中に一人だけ
制服姿の少年を見つけた
(呼び止めるんだ・・)・
「諸藤さん!!」
「・・?・・・君は・・・」
拓真に自分の名前を呼ばれた少年は
一瞬驚いた顔をしていたが
すぐに数日前に出逢った下級生と気がついたらしい
それほど印象深かったのだろう
足を止め拓真に笑顔を向ける
「ほ、北都です!俺、北都拓真っていいます!」
この前のような失礼の無いようにまずは自分の名前から告げる
日樹と一緒にいたクラスメイトは『先に行くぞ』と日樹に目合図し
階段を上がっていった
「この前はすみませんでしたっ!」
長身の拓真は思いっきり頭を下げた
とにかくあの日から今日までそのことで頭がいっぱいだった
自分の印象はきっと最悪なものだったに違いないから
まずはそれを訂正しなければ、そればかりこの連休中考えていた
「それであの~眼鏡なんですけど・・・」
踏んづけてフレームを曲げてしまった眼鏡もその後どうなったか
確認しておかなければ
顔をあげた瞬間、拓真の目に入ったのは・・・
「あ・・・」
彼を呼び止める
ただそのことひとつに集中して気づかなかったのだ
日樹が眼鏡をかけていること
今あらためて認識する
端整な顔の少年に付属するもの
「・・眼鏡、直ったんですか・・・?」
「うん、大丈夫だよ」
この前とは全く違う澄んだやわらかい笑顔
うっかり見惚れてしまいそうになる
中性的な日樹
成長過程には個人差がある
たとえ日樹がまだその途中だったとしても、おそろしく変貌してしまうことは無いだろう
パーツそれぞれの作りが元々違うのだ
きっと大人になっていってもこの面影は消えない
「良かった・・・」
弁償だろうと腹をくくったのだから、少し救われた気がした
だが、まだ言わなければならないことがある
これが一番大事なこと
「それと俺、何も知らなかったから・・・足を怪我したって聞いて・・・すみませんでした」
拓真がそう詫びると
やはり日樹にとって敏感になっていることだったのだ
日樹の顔が曇る
「・・・気にしてな・・・」
きっとこの人なら許してくれるだろう
その言葉を今かと待っているときに突如、中断させるような割り込みが入った
「諸藤!」
日樹を呼ぶその声に許しを得る言葉を遮られた
どうやら階段を上階から降りてくる男が呼んだようだ
拓真と日樹は同時に声のする方へ向く
大柄な男は拓真など全く目に入らないのか
ズカズカと横を通り過ぎ日樹に近寄る
今まで話していた自分を無視して割り込んできたのだ
体格のせいか、その男の態度がなんとも不愉快
拓真より背丈も横幅もある
誰だ・・・
諸藤さんの知り合い?
日樹もその男の姿をみるや、まるで恋人に再会し恥らうような表情で
見つめ返している
馴れ馴れしい
随分諸藤さんと親しいじゃないか・・・
って・・あれ・・・俺、嫉妬してる?
前ボタンを胸が見えるぐらいまでオープンにしている
ネクタイをしていないので学年すらわからないが
まちがえなく上の学年だ
その上、チラリ見える胸元からその体が筋肉質の
自分と同じスポーツマンだということが窺える
それも相当なアスリート・・・
「真っ直ぐ帰るんだろう」
「ええ」
「じゃ、部活が終わったら資料を持って家に寄るな」
「ありがとう・・・」
今にも抱擁をはじめそうなぐらい接近しての会話
それが絵になってるから少々悔しい
しかも拓真を意識し、まるで日樹に誰も近づけまいとガードしてるようにも思える
華奢な日樹がすっぽり包まれてしまいそうだ
「あの・・・」
自分の存在をすっかり忘れられているのがしゃくで
アピールするが、一度目はまるっきり無視
こっちが先に諸藤さんと話してたんだろうが!!
少しばかり腹だたしくなり嫌味っぽくこちらも割り込んでやる
「あのっ!」
今度ばかりは聞こえないとは言わせないように声を張り上げた
「なんだ」
男は振り返りざまに拓真をギロリと鋭い眼光で睨み返す
相手を脅すすごみに、思わず一歩後ずさりしてしまった
な、なんだよ・・・諸藤さんの用心棒みたいに・・・
・・・用心棒?
ふと野球部のマネージャーが言っていた言葉を思い出した
『おっかない番犬がいつも目を光らせてるから~』
こいつがもしかして番犬?
俺の諸藤に近寄るな!
黙ったまま威嚇する目が、そう拓真に向けられ
互いに向き合う目と目から見えない火花がバチバチとショートしている
散歩途中すれ違いざまに
「ううぅっ~」と唸り声を出す敵意丸出しの犬のようだ
一触即発状態
「拓真~!」
背後からの聞きなれた声でふっと緊張感が解ける
助っ人、亮輔の登場だった
事の成り行きを影から見守っていた亮輔が雲行き怪しい状況に出張ってきた
亮輔にしてみれば拓真が危なっかしくてならないのだ
これで今日のところは引き分けだ
運良く命拾いしたな、フフフ・・・
内心そう強がったところで
今、目の前にいる男に向って直に言えるわけがない
本当は威圧感に押され気味で、状況は随分と分が悪かったのだから
命拾いをしたのは当の拓真自身なのだ
そして日樹とその男は二人の世界に戻り
拓真と亮輔にまったく目もくれず
認識外に追いやっていた
二人の関係・・・
数日前、二人が肌を重ね合わせていたことなど
そしてその経緯など
拓真は知る由もない
「じゃ、後で」
「・・・はい」
男は用件を言い終えると去り際に、まるで頬にそっと口づけする仕草を・・・
そんなはずはないのだ
あくまでも拓真の妄想に過ぎない
だが、そう錯覚を起こさせるぐらい紳士的で情熱的な行為だったのだ
おまけに、ご丁寧に拓真にも挨拶を忘れず、ひと睨みをして行った
男を見送る日樹の瞳が別れを惜しむ切ない色をしていたことも
全部拓真の見間違えだったのかもしれない
「今の、陸上部の奴じゃん」
陸上部毛嫌いの亮輔が、その数人のメンツだけは記憶していたらしい
日樹と接しているのだからそうであろうとも予想はされていた
あっけにとられた一瞬の出来事
これが拓真と男の初顔合わせ
この先もこの二人は好まざるとも、まだまだ顔をつき合わすことになる
そして
あの男に嫉妬していた自分に
何よりも驚いた拓真・・・
『・・・挿れても・・・いい・か・・』
低音で優しく耳元に響く言葉
その答えはわかっている
拒否はない
だが・・・満たされることもない
いつか、いつか・・・
きっと溢れるほどに満たされるだろう
ずっと待っているさ
だから・・・
その日が来るまで
今日も同じように聞くんだ
拓真は不機嫌だった
それもそのはず
憧れの日樹に近づこうとチャンスを窺うが
そういう時に限ってあの男が側に寄り添い
日樹を大事そうにガードしているのだ
まさに番犬のごとし
マネージャーの言った意味がようやくわかった
その上、部活中も気に入らない奴の顔が目に入るのだから
野球部の真横で練習する陸上部
そこにあの男がいる
筋肉質の逞しい均整のとれた体のあいつ
そのせいで拓真は球筋が乱れ不安定になる・・・
夏の大会に向けてチーム作りが始まり
拓真も控え投手として一年生さながら
ベンチ入りに名前があがっているところ
こんなことではいけない
そんな心境をいち早く察するのが、さすが長年バッテリーを組んでいる亮輔なのだ
「拓真少し休憩しようぜ」
「・・・あぁ・・」
亮輔にポンとボールをほおる
これ以上投げ込んだところで修正はききそうにもない
自主的にインターバルをとった方が良いと判断し
グランドから離れ水飲み場へ向った
帽子を脱いで額の汗をぬぐう
頭を冷やすにはこれが一番だ
かまわず蛇口に頭を近づける
勢いよくひねられた蛇口
滝に打たれるのもこんな感じだろうか
しばらく髪から流れ落ちる水の流れを見つめていた
俺・・・なにやってるんだろう・・・
十分濡れきったところで頭を上げ
思いっきり振って水気を一気に飛ばす
水飲場脇の木陰で野球部と陸上部の顧問同士が話していた
別段、盗み聞きしようなんて気はなかったのだ
その名前を耳にするまでは・・・
「今年はどうですか」
新入生を迎えて新しいチーム作りが始まり
目指すは互いに夏の大会と目標が定まっている
「高原の調子はまずまずで、あとは一、二年生の調整ってところです」
「個人種目は別として、メドレーリレーとなると諸藤のいない穴は大きいですかね」
憧れの日樹が話題にあがっていたことで
拓真の足が止まる
「その諸藤なんですが、休み前に退部届け出してきまして・・・」
「怪我の方は問題ないんですよね?」
「ええ、今年の夏は無理にしても復帰は十分できるはずですが・・・」
こっちとしても退部の理由がよくわからない、と首を横に振り
陸上部の顧問は口を閉ざしてしまった
日樹はそれだけ有望な選手なのだ
退部だって!?
拓真は思わず声を荒げてしまったのだ
その声は木立の葉のざわめきに共鳴し
そして
“盗み聞きか・・・”
そういわんばかりに
あの男が傍らに立っていた
日樹は自分の部屋のベッドに身を置いていた
膝を立てそれを両手で抱え
小さくうずくまっていた
今までなら部活で費やした放課後の時間を
たった一人、家でもてあましてしまうのだ
物悲しく感じる夕暮れ時が
なおさら好きになれない
退部を決めたのは自分だ・・・
走ることを許可されていない今はいい、
制限されていることを自分に言い聞かせればいいのだから
だが、怪我が完治したあと
足が自由になったときはどう抑制すれば良い
果たして自分を抑えきれるだろうか
心惑わされるこの時間が過ぎれば、次にやってくるのは
毎夜繰り返す暗闇
眠れ夜・・・
このベッドで高原と数回
肌を重ねた
ギブアンドテイク
感情などいっさい介さない、必要ないはずだった
なのに、高見に向かうことができないのだ
極みに達するというところで体が完全に拒否してしまい
高原を受け入れることができない
そのたびに自慰を余儀なくされる高原も
決して強制したり、日樹を責めたりしない
“いいんだ・・・”と
高原は哀れむ瞳を日樹に向けるのだ
それが尚のこと日樹の心を苛む
以前は義兄が使っていたリビング隣のこの洋間が日樹の部屋になっている
南向きの日当たりの良い部屋
一人で過ごすには広すぎる空間
その隅には、かつて主人に何よりも愛されていたスパイクシューズ
そして真っ白なベンチコートは事故当日着用していたのだろう
時の流れとともに褐色に変色した
血痕をところどころ、に残していた
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