殺意の理 1


送られてきた、というのは語弊があるかもしれない。
まず切手が貼られていなかった、そして封筒には差出人の名前も書かれていなかった。
しかし「川島修刑事殿」と受取人の名前はみみずがのたくった様な文字で書かれていた。
彼は自分のフルネームと役職を誰かも分からぬ差出人が知っていることを疑問に思い閉口した。



この封筒は差出人が直接ポストに投函したものだろう。



封筒はA4の大きさのどこにでも売っている至極普通の茶封筒だった。
匿名の封筒自体にはさほど問題は無い。
何かの悪戯程度だと最初は思った。



実際同様の嫌がらせを隣に住む顔見知りの主婦が受け取ったと言っていた。



家内に「また帰りが遅くなるかもしれないが、今日は帰ってこられそうだから簡単な夜食でも用意して先に寝てくれ」と言い玄関のポストからダイレクトメールとその茶封筒を持ちそのまま出勤した。



職場で同僚から書類に目を通す程度の仕事を引継ぎ、それらをこなした後にふと茶封筒のことを思い出し鞄から取り出し備品のペーパーナイフで封を切った。



なぜペーパーナイフが備品として置かれているかというと、昔、送られてきた封筒を素手で開けて傷を負った者がいるからだ。
糊代の部分に薄いカミソリが仕込まれていた、当然誰かが封を切るまでカミソリのことなぞ送り主以外知る由も無い。



封筒とは違うが小包が送られてきたこともあった。
その小包には小型の爆弾が仕掛けられており小包を素手で開けてしまい、親指を失くした者もいる。



今ではX線で郵便物をスキャンする。
内部構造を確認しOKとするかNOとするかには専門職の人間が関与することとなる。



かくなる理由で郵送物には敏感に…細心の注意をしなければいけなった。
それが私物でも刑事であるからには。



問題の茶封筒にはスキャンをした限りでは何の細工もされていなかった。



しかし手紙の文面と写真を見た彼は思わず息を飲んだ。


~~~~~


新聞や雑誌を一文字ずつ切り取りその文章は構成されていた。
ひらがなとカタカナと漢字がバラバラに切り取られ貼られているので読み辛かった。
内容は以下のようなものだ。



「私は人間を○月○日に殺す 誰でも良い無差別だ。


一人でも多くの人間を殺す 場所も時間も決めていない 殺害方法も決めていない しかし必ず実行する 無能な日本警察 無能な一般市民 全てを殺す 同封した写真を見よ」



同封された写真は三枚。
画質が悪く自宅のパソコンでプリントアウトしたものだろうと推測できる。



内容は猫や犬などの惨殺死体だった。




頭蓋を割られ脳漿が飛び出している猫の写真。
腹を裂き腸を身体に巻きつけられた犬の写真。
五体がバラバラに解体され、口に前足だか後ろ足を咥えさせられた犬だか猫だか判断できかねる写真。



全て首輪が無いのでおそらく野良だろう。
もしペットだとして飼い主が訴えて犯人が捕まってもこの様な犯罪では器物破損程度にしか罪はとえない。



しかし今問題なことは「無差別に人間を殺す」という文面だ。
もしこの文面通りに犯行が行われたら取り返しの付かないことになる。



もうすでに鑑識に指紋採取やパソコン、プリンターの機種の解析にあたってもらっている。



しかし新聞と雑誌から文字を一字一字切り取るような手の込んだ文面を送ってくるような人物ならば指紋など残すはずが無い。



しかし写真の背景からいくつかの公園と林を割り出すことができた。



そこに何かの手がかりが無いか…彼は行動を開始した


~~~~~


警察は実際に事件が起きてからでないと動くことが出来ない。
ましてや捜査一課ともなると扱う事件は「殺人」など凶悪犯罪がメインになる。






川島刑事は事件性を感じ単独で動くことにした。






事件が起こってしまってから捜査本部を作っても意味など無いのだ。
殺人を食い止める、事件を未然に防ぐのも川島刑事は警察と刑事の仕事だと頑なに信じている。






まず脳漿が飛び出た猫の写真の背景で思い当たる場所があったので足を運ぶことにした。






住宅地の中にポツンと点在する公園だ。
写真にはギリギリ見える角度で、緑のペンキの剥げたカゴのようなブランコが見える。






このカゴのブランコは子供が遊び方を誤り死亡してしまったので現在は撤去が進み設置されている公園は極めて少ない。






川島刑事の自宅から然程遠くない場所にその公園はある。



同僚や鑑識には相談をしたが上司には報告していない事件であるので警視庁の車は使えない。
川島刑事は自宅方面へ電車を乗り継いで向かった。
家に逆戻りさせられるんなら始めから家で封を切ればよかった、と悔いた。






電車に揺られていると芸能人のゴシップや政治動向が吊り広告で見られた。同僚や後輩女子刑事との会話に役立つので極力この吊り広告を見るようにしている。経済新聞を川島刑事は毎日の通勤電車の中で読むのだが、週刊誌や芸能人のゴシップなどには疎かった。






肉眼で見える範囲の広告を見た「Y議員、女子高生と援助交際」「Mアナウンサー、またまた不倫」など書かれていた。






「くだらんなぁ」






と心の中でつぶやいた。
しかしこの類の話を多少知っておかねば川島刑事のような中年男性は若者に置いていかれてしまう。
一応川島刑事は石頭に広告の内容を叩き込んだ。


~~~~~


その時電車がスピードを落とした、目的の駅に着いたのだ。






改札を抜け寂れた商店街を抜けて最初の角を曲がった。






見慣れた住宅地を歩いていて感じた事だが今、昼の時間帯は歩行者も住民らしきものも殆ど見かけることがない。
たまにすれ違うのは汗で額に髪の毛を貼り付けて足早に家々を回る自宅訪問のセールスマンくらいだ。






つまりほぼ深夜などと変わりがない、人の気配の無い立地条件ということになる。






昔から警視庁で耳にタコが出来るほど言われている、「日中の住宅街は麻薬や覚せい剤を売買するのに最も適しているので気を付けろ。」と。
やり手のバイヤーはもう夜の新宿歌舞伎町や渋谷を抜け出してこのような日中のアイドルタイムを使い商売をしている。






川島刑事は「夜型から昼型に変わったのならば健全でいいのではないか」などと自分の範囲外の仕事には無頓着だ。






しかしそんな日中の住宅街でももちろん住民は、いる。
歩行者も当たり前だが、いる。






すれ違う住人はベビーカーを押した母親が多かった。






その住人に警察手帳を見せ「最近このあたりで変わったことはありませんか?」と不器用に破顔し努めてやんわりとした言葉で尋ねた。






しかし長年刑事をしていると顔の全体は笑っているのだが鋭くなってしまう眼光は変わらない、その事を川島刑事は分かっているが止めることができない。
これは職業病だ。







すれ違う住民も少なかったので、これといった収穫もなく公園まで辿りついてしまった。






やはりカゴのブランコがある。
その後ろの茂みに掘り起こした形跡があり、盛り上がって見える。



しかし川島刑事はわざわざそこを掘り起こす必要はなかった。
犬でも猫でも…人間でも死んで腐ると腐臭を放つ。
さらに茂みに一歩一歩近づくと腐臭の濃さが際立った。






川島刑事は胸ポケットからコピーしてもらった数枚の写真の中から脳漿の飛び出た猫の写真を選びじっと見つめた。





「この猫がここに…」






まだ腐臭は少し茂みに近づいて分かる程度だ、だが確実にそれは死骸が発するものだった。



~~~~~~


靄がかかった心を払拭するため川島刑事は写真と反対の胸ポケットに入れたマルボロとジッポライターを取り出し一本咥えた。
その時ふと看板が目に入った






「園内での禁煙にご協力ください」そう書いてあった。






川島刑事が苛立ちを隠さずまた胸ポケットにタバコとジッポライターをしまった、そのときズボンのポケットに入っている携帯電話が震えだした。






「川島さん、今はどちらに?」






後輩の笹川からの電話だった。






「思い当たる節があって単独で捜査中だ。」
ここでも川島刑事は苛立ちを隠さなかった。
むしろ愚痴をこぼせる相手が見つかったと安堵した。






しかし、電話の内容は川島刑事の脳を直接握りつぶすようなものだった。







「川島さん、新宿アルタ前で無差別殺人事件が起こりました死傷者は19人です。





9人が死亡し、10人は病院に搬送されて治療を受けているとの事です…負傷者の中の2名ほどは意識不明の重篤状態です。」






川島刑事はすぐに封筒のことを思い出した。






「犯人は男か、一人か? アルタ前なら箱(交番)もあるし外勤も大勢いるだろう? 捕まえたのか?」






「男、一人です。 はい、抵抗され警察関係者も多少負傷しましたが捕まえました。
今は新宿署にいます。 これだけ大きな事件ですので近いうちに警視庁が捜査本部を作りそちらで今後の対応を練っていくと思われます。」




後輩の声は強調って聞こえた。
気のせいだろうか?






「犯人は男か、名前と年齢は? これから俺も新宿署へ向かう。」
川島刑事はメモ帳を取りだし相手の言葉を控えるために次の言葉を待った。





「犯人なのですが… それが… その…」






歯切れが悪い、いつもなら軽い冗談を織り交ぜながら話す人物なのだが。 大きな事件で困惑しているのだろう。





「名前と年齢を教えてくれ、できれば住所もだ。」
川島刑事は早口でまくし立てた。








「犯人は25歳、川島和夫… 自分は川島修刑事の息子だと言っています。」






川島は「まさかっ」と一言発してその後数分間、繋ぐべき言葉を見つけられずその場に立ち尽くした。
電話をいつ切ったのかも分からないほどに動揺していた。
そしてその電話を力の限り握り締めた。






猫の死体が埋まっているであろう場所を睨み。
新宿署に行くべく駆け足で大通りに向かった。


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